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万葉集その二百二十五(萓草:カンゾウ=忘れ草)

萱草はユリ科ワスレグサ属の多年草で真夏にオニユリに似た黄赤色の花を
咲かせます。

「萱」という字には「忘れる」という意味があるそうです。

万葉人は中国の古典、特に詩経、文選などで
「この美しい花を見て憂いを忘れる」「忘憂」などの文言を学び、
「萱草」をそのまま「忘れ草」と訓み習わしました。
そして憂いや悲しみを忘れるためにその花を身につけたり庭に植えたりしたのです。

 「 我がやどは 甍(いらか)しだ草 生(お)ひたれど

       恋忘れ草 見るにいまだ生ひず 」

         巻11-2475 柿本人麻呂歌集



 ( 我家の屋根の軒(甍)に「しだ草」がいっぱい生えているけれど、
  生えて欲しい肝心の忘れ草はどこを見ても生えていないなぁ )

この歌は「忘れ草」が詠われた最古のものとされています。
「しだ草」は「軒忍(のきしのぶ)」とよばれる「ウラボシ科のシダ」で
樹幹や岩石に着生し、根茎は横に走り、青々とした複葉を広げて繁茂します。

恋の苦しさから逃れたいと願いながらも忘れることが出来ず悶々としている男。
「自嘲の苦笑も そこにこもる捨てがたい歌」(伊藤博)です。
なお、「忘れ草」に「恋」が付く表現はこの一首のみ。

「 忘れ草 我が紐に付く 香具山の
     古りにし里を 忘れむがため 」 
           巻3-334 大伴旅人


( 忘れ草を私の下紐につけました。
懐かしい故郷、香具山の麓の里をいっそのこと忘れてしまうために)

729年、大宰府次官 小野 老(おゆ)が昇叙にあずかり都に上りました。
長官、旅人は筑紫に戻ってきた部下の為に祝宴を催します。

「あをによし 奈良の都は咲く花の 
        にほふがごとく今盛りなり」  巻3-328


と都の美しさ、繁栄のさまを報告する老。

やがて宴は佳境になり、賑やかな歌のやり取りがはじまります。
次第に望郷の思いが募り、遂にこらえきれなくなった旅人。

香具山の麓、明日香には田荘(でんそう)とよばれる大伴家の私有地があり、
作者は若き頃しばしば妻問いに訪れていたようです。

大宰府赴任早々、その最愛の妻に先立たれた旅人は華やかな都よりも、
妻と過ごした故郷への想いのほうが強かったのでしょう。

その辛い思いを忘れたい為に着物の下紐に忘れ草を結びつけたというのです。
その本意は悲しみは忘れたいが懐かしい故郷は忘れたくないという複雑な
心境であったことでしょう。

「 忘れ草 垣もしみみに 植ゑたれど

       醜(しこ)の醜草(しこくさ) なほ恋ひにけり 」 
                   
                巻12-3062 作者未詳


( 憂いを払うという忘れ草を垣根に溢れるばかり植えたけれど
 こいつめ!何の役にも立たないではないか。
 ますます恋が募って仕方がないよ)

「しみみ」とは「隙間もないくらいびっしりと」
「醜(しこ)」という言葉を重ねて最大限に罵っていますが、決して本気ではなく、
忘れようとしても忘れられない恋情の激しさに我ながら呆れているようです。

「相手に(その歌を)贈ったとすれば、深い思いを寄せているという真意が
十分にこもる歌になる」( 伊藤 博 ) とも。

「カンゾウ」は別名「ヤブカンゾウ」「鬼カンゾウ」ともよばれ、中国原産の
「本萱草」の変種とされていますが、この母種は我国には存在せず、古い昔に
渡来したものが今では完全に我が風土に帰化したものと考えられています。

夏の山々や高原を美しく彩る「ニッコウキスゲ」、「ユウスゲ」、「エゾキスゲ」
「ノカンゾウ」なども同じワスレグサ属の仲間です。

  「 萱草の咲きたる畦の靄(もや)深し 」   秋元 草日居 
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by uqrx74fd | 2009-07-27 10:51 | 植物

万葉集その二百二十四(海山は死にますか)

「昔から日本人は、海も山も生きものであり、生きているからには、
   死ぬものだと思い、大事にしなければならないと考えていた。

  海や山が死んだら、草も木も、魚も鳥も、虫も、人間も
  死んでしまうものだと知っていた。
  その深い「縁」を忘れて、人間はいま、まっしぐらに死に急いで
  いるのであろうか。」
 

                      ( 山本健吉 ことばの四季 文芸春秋社 )

「 鯨魚(いさな)取り 海や死にする 山や死にする
   死ぬれこそ 海は潮干(しほひ)て 山は枯れすれ 」

                  巻16-3852 作者未詳 


( あぁ、海が死ぬということなどあるの? 山も死ぬの? そんなはずがないのに。
 でもやっぱり死ぬからこそ、海は潮が干し上がるのだし、山も草木が枯れるのだなぁ)

「鯨魚取り」は海、浜、灘などに掛かる枕詞で昔は近海で鯨が多く捕れたそうです。

『 万葉も後期になると古伝承や神性にふと疑問を投げかける目がみられる。
海の潮干と山の冬枯れを示すことで海や山にさえ「死」ということは
あるのだということを示した。

本来不変と言い得る自然、当時の言い方によると永遠の生命を持つ
海神(わたつみ)山神(やまつみ)においてすら「死」から免れることはないのだと
新しい目を向けさせることに重点がある歌だということになりましょう。


この旋頭歌 (筆者注:577 577を基調とする歌体) の前に三首の
 釈教歌(仏教詠)が並んでいるのでこの歌も僧による説教の歌なのでしょう。
 外来の宗教観が古来のものの見方を揺さぶったということになります。』

                 ( 廣岡義隆 万葉のこみち はなわ新書 )


この歌を現在の私達が読むと自然破壊に対する警鐘と思えてなりません。

山を切り崩し、その土で海を埋め立て、白浜の海岸をコンクリートブロックに変える。
至るところに見られる伐採され尽くされた禿山。
草木は枯れ、獣や鳥や魚や貝すらも行き場を失い死滅する。
地盤は緩んで地崩れを起し、台風や地震のたびに起きる大災害。

万葉人は海は再び満ち、山も春来たりなば萌えると自然の再生を信じていましたが、
私たちはそれを自分達の手でしか成しえません。

人口が減少していく中でこれ以上のビルや道路が本当に必要なのでしょうか?
この狭い日本を移動するのにさらに多くの空港や鉄道が本当に必要なのでしょうか?

 「 もうこれ以上地球を壊すな!」

万葉人のメッセージに私達は真剣に耳を傾けたいものです。

「 おしえてください
   この世に生きとし生けるものの
   すべての生命に限りがあるのならば
   海は死にますか 山は死にますか
   風はどうですか 空もそうですか
   おしえてください 」
         
( さだまさし 作詞 : 防人の詩 映画「二百三高地主題歌」 
  原表現は万葉集から )

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by uqrx74fd | 2009-07-19 10:51 | 自然

万葉集その二百二十三(山川)


「 幾山河 越えさり行かば寂しさの

        はてなむ国ぞ今日も旅ゆく 」 

            若山牧水 (岡山県哲西町 二本松峠にて)


(旅を歌っていると同時にまた人生そのものを深々と歌っていると思えるところが
魅力的である。 寂しさの終(は)てる国などなくてもよいというほどの誇らかな
若さが結句に感じられる。 <名歌、名句辞典 : 三省堂> )

「山川(河)」という字は古代から発音によって意味が区別されており「ヤマカワ」は
「山と川」、濁音の「ヤマガワ」は「山の間を流れる川」の意とされています。

「 皆人(みなひと)の恋ふるみ吉野 今日(けふ)見れば

        うべも恋ひけり 山川(やまかわ)清み 」 

                   巻7-1131 作者未詳


( 多くの人々が憧れ、一度は訪ねてみたいという吉野。
今日訪ねてみると、なるほど、なるほどそのように言われるのは尤もなことです。
山も川も実に美しく清らかですね )  註:「うべも」は「なるほど尤も」

この歌は朝廷に仕える官人が吉野を訪れた時に宴席で詠ったものとされています。
恐らく持統天皇が何度も行幸された宮瀧とよばれていたところでしょう。
鬱蒼と杉が生い茂り、渓谷をぬって瀧から清冽な水が流れ落ちている仙境。
初めて訪れた大宮人の嘆声が聞こえてくるようです。

『 「まだ見ぬ方(かた)の花をたずねむ」と西行は歌ったが奥へ奥へと
     誘(いざな)っていくところがある。
    幾山河という古風な言葉をきみは大事にするが吉野の奥というのは
    地理的な奥というより人間のくらしや感情の奥処(おくか)であるようにおもえる。
    つきつめれば吉野は連なる山々とそれらの青山から流れる水があるばかりだ 』

             ( 前 登志男著 吉野紀行より 角川選書 )


「 今造る 久邇(くに)の都は山川(やまかわ)の

          さやけき見れば うべ知らすらし 」 

                       巻6-1037 大伴家持


( 槌音も高く、今、造っている久邇の都は美しくも清らかな山や川に囲まれています。
  なるほど、なるほど、この地を新たな都と定められたのも尤もなことです。)

740年、聖武天皇は突如、都を平城から久邇へ移しました。
久邇は京都府相楽郡加茂町を中心とした木津、山城にまたがる地域で
恭仁京(くにきょう)とよばれます。
淀川に合流する木津川が都の中を蛇行し、さながら水郷都市の観があったことでしょう。

当時、紫香楽(しがらき:滋賀県甲賀)で大仏建立の工事が進められていましたが、
木津川を利用した資材物流基地の建設を目指したともいわれています。

然しながら、744年には未完成のまま廃都とされ、再び平城京に戻る事になりました。
紫香楽で地震や火災が多発して人々が動揺したことに加え、財政不足が深刻な状態となり
すべての資源を平城京に移して大仏建立に集中せざるをえなくなったものと思われます。

「 山川(やまがわ)の 清き川瀬に遊べども

        奈良の都は忘れかねつも 」 

                      巻15-3618 遣新羅使人


( 山間の清らかな川瀬で遊んでいても、心に浮かぶのはあの奈良の都。
  忘れようとしても忘れられないことです。)

 遣新羅使人が長門の島(広島県呉市倉橋島)で船泊した時の歌です。

 風光明媚な景勝の地での遊宴の一時とはいえ、重要な使命を帯びた使人たち。
 しかも、生還を期しがたい危険な船旅の途中です。
 都から遠ざかるにつれ、酒宴を楽しむよりも望郷の思いのほうが益々募って
 いったことでしょう。


 「 山川(やまがわ)の 激(たぎ)ちのどよみ 耳底(みみぞこ)に

        かそけくなりて峰を越えつも 」 

                    斉藤茂吉 (赤光)


「激のどよみ」は「激の響み」で流れが逆巻いて響く音。
 清流で喉を癒したのち、心地よい川音の響きを背にしながら一歩一歩山を登る。
歩みとともに次第に遠ざかる音。いまもなお耳底に余韻を残して。
明治41年作者塩原旅行での詠。

 「 高根に登りまなじりを
     きはめて望み眺むれば
     わがゆくさきの山河(やまかは)は
     目にもほがらに見ゆるかな
     みそらを凌(しの)ぐ雲の峯
     砕けて遠く青(あを)に入る 」  

              ( 島崎藤村 高山に登りて遠く望むの歌 )

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by uqrx74fd | 2009-07-13 08:38 | 自然

万葉集その二百二十二(ムササビ)


現在、群馬県立歴史博物館で開催されている「大埴輪展」(7月4日~8月30日)で
可愛い「ムササビ」の埴輪が展示されています。

古代人のアイドルとされたムササビはリス科ムササビ属の哺乳類で、長い前足と後足との
間に飛膜とよばれる膜があり、それを広げて木の高いところからグライダーのように
滑空して他の木に飛び移ります。
普通は30~40m、ときには180mも滑空し、またふさふさとした長い尾が舵の役割を
はたしているそうです。

夜行性の動物で昼間は大木の樹洞や人家の屋根裏などに棲み

 「人住まずなりて久しきわが庵は

           むささびの巣となりにけらしも 」    吉井 勇


などと詠われています。

古代では山奥に棲む珍しい動物とされていたようで里に下りてきたムササビを
天皇に献上しようとした歌が残されております。

「ますらをの 高円山(たかまとやま)に迫(せ)めたれば

            里に下り来(け)る むざさびぞこれ 」 

                 巻6-1028 大伴坂上郎女


( ご家来衆のますらを方が高円山からこの里にまで追いつめて、やっと捕らえました
ムササビでございます。 どうかご高覧下さい )

この歌には、「 聖武天皇が高円の野(奈良市)で狩をされた折、ある勇者が、
生け捕りにしたムササビを天皇のもとに届けようとしたところ残念ながら
死んでしまったので沙汰やみになった」との註が付されています。

天皇を喜ばせようと歌まで用意していた作者はさぞ落胆したことでしょう。

「 むささびは木末(こぬれ)求むと あしひきの

         山のさつ男にあひにけるかも 」

            巻3-267 志貴皇子   (天智天皇皇子)


( 巣から追い出されたムササビは梢を求めて幹を駆け上ろうとして山の猟師に
 捕らえられてしまったことよ )

「さつ男(を)」とは「幸(さち)すなわち獲物を獲る男」のことです。

この歌は「高い地位を望んでまんまと敵の術中に陥ってしまった大津皇子の謀叛に
対する風刺が寓意されている」という説もありますが、天武系の政治体制の中で微妙な
立場に立たされ、言動には細心の注意を払っていた作者なので、ここでは猟の珍しい
情景を詠い、捕らえられたムササビに対するいささかの惻隠の情を示したもので
ありましょう。

古代、ムササビの毛皮は山間の住民にとって重要な生活資源だったそうです。
この歌では昼間に巣のある木を叩いて追い出して捕ったようですが、鉄砲が
使われるようになると「ともし(照射)」という猟法に変わります。

これは、夜間大樹に登っているムササビを下から火を照らし、大きな眼球が
光を反射して光って見えるのを狙い打つそうです。

昔、ムササビの光る目を妖怪とみなし、衣をかぶって大手を広げ「モモンガー」と
叫んで人を驚かせる遊びがありましたが「モモンガ」はリス科モモンガ属で
ムササビより小さく別属のものとされています。

ムササビは飛膜を広げると座布団位、モモンガはハンカチ位の大きさしかなく、
滑空の仕方もムササビは「ブウーン」と豪快、モモンガは「ひらひら」という
感じだそうです。

余談ながら
 「鼯鼠(ごそ)五技(ごぎ)にして窮す」(荀子)  という諺があります。

「鼯鼠」(ムササビ)は「飛ぶ、木に登る、泳ぐ、掘る、走る」の5つの技を持っているが
どれも中途半端なため結局敵に追いつめられてしまう。転じて、
「どんなに器用な人間でも中途半端な能力では結局は役に立たない」こととされ
(故事ことわざ辞典 :三省堂) プロの技一つだに持たない我が身にとっては
耳痛い言葉です。

「夕闇は谷より上がるごとくにて

      雉子(きぎし)につづく むささびのこゑ」  土居文明

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by uqrx74fd | 2009-07-06 23:16 | 動物