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万葉集その二百三十(夢で逢いましょう)


今日の私達は愛しい人の夢を見ると
「自分が相手を想っているからその人の夢を見た」と考えます。

ところが、古代の人々は
「相手が自分を激しく想ってくれるから自分の夢に相手が現れた」と信じていたのです。

何故ならば、人間には肉体とは別に「魂」というものが存在し、
その魂が睡眠中に体から抜け出して遊行し、相手の家に入り込んで
その人の夢に現れると考えていたからです。

「 門(かど)立てて 戸も閉(さ)してあるを いづくゆか

         妹が入りきて夢(いめ)に見えつる 」  
                         巻12-3117 作者未詳


 ( 門を閉め、戸も鍵をきちんとかけておいたのに、
   お前さん一体どこから入り込んだのですか? 
   私の夢に姿を現したりして。 )

夢(イメ)は寝目(イメ)とされ、寝ている状態で見る目という意味だそうです。

また、魂が身から離れてさまよう状態を「あくがる」といい、「あく」は場所、「がる」は
「離(が)る」の意で、今日の「憧れる」の語源とされています。( 古語辞典:旺文社 )

万葉人は男も女も相手の夢に自分が現れてくれるように、色々と「おまじない」をします。
夜寝るときに長い衣の袖を折り返すのもその一つでした。

「 我妹子(わぎもこ)に 恋ひてすべなみ 白袴(しろたへ)の

      袖返ししは 夢(いめ)に見えきや 」 
                         巻11-2812 作者未詳


( お前さんが恋しくてどうにもならず白袴の袖を折り返して寝ました。
 このように恋焦がれている私の姿をあなたは夢に見ましたか?)

「 我が背子が 袖返す夜の 夢(いめ)ならし

   まことも君に 逢ひたるごとし 」 
                    巻11-2813  作者未詳


 ( あれはいとしいあなたが袖を折り返してお休みになったその日の夜に
   見た夢だったのですね。 
   まるで、あなたに実際にお会いしているようでしたよ )

白袴は楮(こうぞ)の繊維を晒して織った衣をいいますが、白い色が夢と重なり合い
幻想の世界を思わせます。

この二首の歌は相思相愛の二人が相手の心の深さを確かめているものですが、
片思いの場合はいくら相手のことを想っていても自分の夢に現れてくれません。
そしてそれを、相手が自分を忘れている証拠だと言って悲しんだり恨んだりもしました。

平安時代になると「夢」の訓みは「イメ」から「ユメ」に変わり、
「夢路」、「夢の通い路」という言葉も使われます。

夢を通して逢うことへの厚い信仰は現実に逢えないことへの嘆きでもありました。

「 うたた寝に 恋しきひとを 見てしより

        夢てふものは 憑(たの)みそめてき」 
                        小野小町 古今和歌集恋二


( うたた寝で恋しいあの人の夢を見てからは、当てにならないと思っていた
  夢を頼みにし始めてしまいました ) 

宮廷に仕えていたといわれる伝説の美女、小町は「やむごとなき人」を一途に
愛していたようです。 その相手とは仁明天皇とも皇子の一人とも。

「 いとせめて 恋しき時は むば玉の

     夜の衣を 返してぞきる 」 
                    小野小町 古今和歌集 恋二


( 胸にひどく迫ってくるほどあの人が恋しい時は、上にかけている夜の衣を
 裏返しに着てせめて夢でなりとも逢いたいと願ったことです )

相手の心を確認し、夢というものは頼り甲斐があると喜んだのも束の間。
現実どころか夢でさえ、なかなか逢えない。
もしや相手が心変わりしたのではないかと不安になった作者。
それならば、衣を裏返して相手の夢に現れ、こちらの気持を伝えたいと願ったようです。 


『 小町の歌でもっとも情感にあふれ、自分の気持を素直に言い表している。
  視線はいつも一人の「恋しき人」に集まっており、相手が大勢だったとは
  考えられない。
  この満たされない恋がおそらく小町の歌の源泉となったので
  彼女も業平と同じように、高嶺の花しか求めぬ理想家だったのではあるまいか。』

          ( 白州正子 「夢に生きる女 小野小町」より 雨滴抄所収 世界文化社)


「 夢になりとも逢はせてたもれ

       夢に浮名は立ちやせまい 」     ( 摂津 古歌 )

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by uqrx74fd | 2009-08-31 08:36 | 心象

万葉集その二百二十九(清き浜辺ー敏馬:みぬめ)

万葉集には北海道、出羽(山形、秋田)、美作(岡山県北部)、伯耆(鳥取県西部)、
隠岐(島根)を除く全国各地の歌が集められています。

犬養孝氏の考証によるとその地名総数は約2900に達し、そのうち同一呼称のものを1つに
整理しても1200余に上るそうです。

今では失われた地名も多くあり、僅かな手がかりを頼りに場所の特定、あるいは推定が
なされていますが、「敏馬」もその一つです。

現在の神戸港の東、岩屋町あたりと推定されていますが、今は埋め立てられて昔日の
面影はなく、僅かに高台に祀られている「敏馬神社」という社名と、そこから眺望する
風景からしか往時を偲ぶよすがはありませんが、古代は難波、瀬戸内海航路の要港で
あるとともに風光明媚な景勝地であったことが詠われております。

「 八千鉾(やちほこ)の神の御代(みよ)より

    百舟(ももふね)の泊(は)つる泊まりと

   八島国(やしまくに) 百舟人(ももふなびと)の定めてし

   敏馬(みぬめ)の浦は 朝風に 浦波騒き
 
   夕波に 玉藻(たまも)は 来寄る

   白真砂(しらまなご) 清き浜辺(はまへ)は

   行(ゆ)き帰り 見れども 飽かず

   うべしこそ 見る人ごとに

   語り継ぎ 偲(しの)ひけらしき

   百代経て 偲はえゆかむ 清き浜辺を 」

   巻6-1065  田辺 福麻呂(さきまろ) 最後の宮廷歌人


( 国造りの神 八千鉾の御代以来 
 多くの船の停泊する港であると
 わが舟人たちが定めてきた
 この敏馬の浦は 朝風に浦波が立ち騒ぎ
 夕波に 美しい藻が寄ってくる

 白砂の清らかな浜辺は 
 行きも帰りも いくら見ても見飽きない

 さればこそ ここを通る人は誰しも
 この浦の美しさを 口々に語り伝え賛美したのであろう

 今後もまた百代の後まで讃えられてゆくだろう。この清き浜辺は。 )

八千鉾:大国主命(おおくにぬしのみこと)の異称 出雲国の主神

この歌は、行幸従駕またはこれに準ずる公式行事における敏馬賛歌とされ、由来の
古さや連綿と続いてきた殷賑(いんしん:にぎわい)のさまを詠い、また眼前の
浜辺の清らかさ、美しさを言葉を尽くして讃えています。

岬には「延喜式:神名帖(927年)」に登載されている敏馬神社があり、
祭神は身籠ったまま戦いを指揮した伝説で名高い神功(じんぐう)皇后 
(現在はスサオノミコト以下三神)とされています。
社の縁起によると

「その昔、神功皇后が新羅征討にあたり諸神に加護を祈ったところ
美奴売山(みぬめやま)の神が自分の山の杉を伐採して船を作ることを教えた。

皇后がその通りにしたところ首尾よく戦いに勝つことが出来たので、
美奴売の神をこの浦に祀り、その神船も献じた 」と伝えられています。

以来、この神社は船材を司る山の神であるとともに航海の守護神とされてきました。

難波津に近く海岸線が長いこの浦は、白砂青松の美しさでも都に知られており、
寄航する人々の旅愁を慰めていたようです。

万葉時代を代表する柿本人麻呂、山部赤人、大伴旅人などもこの地を訪れて歌を
詠んでおり、さぞかし繁栄を極めた港町であったことでしょう。

なお、この長歌に続く短歌では

「 まそ鏡 敏馬の浦は百舟の
         過ぎて行くべき浜ならなくに 」 
                  巻6-1066 同上     

                   (まそ鏡:「見る」の枕詞)

と、自分達の船が何らかの理由で寄港できず素通りするのは誠に口惜しいと嘆いています。

敏馬(みぬめ)という地名は「見ぬ女(みぬめ)」と発音が通じ、
「港にいるまだ見ぬ女(遊女)に会えないのは残念だ」という気持も
含まれているのかもしれません。

「 または名に負ふ歌枕
     波に千とせの色映る
      明石の浦のあさぼらけ
      松 万代(よろづよ)の音(ね)に響く

  舞子の浜のゆふまぐれ
  もしそれ海の雲落ちて
  淡路の島の影暗く
     狭霧(さぎり)のうちに鳴き通ふ
     千鳥の声をきくときは
  いかに浦辺にさすらひて
  遠き古(むかし)を忍ぶらむ  」
                 島崎藤村 ( 晩春の別離より)

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by uqrx74fd | 2009-08-24 07:38 | 万葉の旅

万葉集その二百二十八(瀧もとどろに)

古代、「瀧(たき)」という言葉は「激流」を意味していたそうです。

その由来は、「水が激しく流れるさま」すなわち「たぎつ(激つ)」が「たぎ」に短縮され、
さらに清音の「たき」になったものといわれております。
 
723年、元正天皇が吉野に行幸されました。
轟音を響かせて逆巻く流れを眼の前にしてお供の人が声高らかに詠います。

「 斧取りて 丹生(にふ)の檜山の
     木(き)伐(こ)リ来て  筏(いかだ)に作り 

     真楫(まかじ)貫き  磯漕ぎ廻(み)つつ 
     島伝ひ  見れども飽かず 

     み吉野の  瀧もとどろに   落つる白波 」   
                  巻13-3232  作者未詳
(反歌)

「 み吉野の 瀧もとどろに 落つる白波
           留まりにし 妹に見せまく 欲しき白波 」 

                     巻13-3233 同


( 斧を手に取り、丹生の檜山の木を伐ってきて、筏に作り、
左右の櫂(かい)もしっかりと取りつけました。

そして、その筏で磯を漕ぎ巡り、島伝いに眺めているのですが、
いくら見続けても飽きません。

激流をごうごうと、天にもとどろくばかりに響かせて流れ落ちる白波よ! )

(反歌)
( このような素晴らしい光景を都に残っている妻に見せてやりたかったなぁ)
 
註1. 丹生(にふ)=地名:奈良県吉野郡黒滝村一帯、檜の産地
註2. 島伝い: ここでは水辺 

吉野川を海に見立てて、白波の躍動するさま、吉野の景観の見事さを褒め称えています。
続く旋頭歌では、望郷の念を詠いながら、そこに旅の安全を祈る気持を込めたのでしょう。

簡潔ながらも筏に乗って激流を下っているような臨場感が感じられる歌です。

さて、私たちが今日言うところの「瀑布の瀧」は、「垂水(たるみ)」とよばれていました。
文字通り「空中を垂直に落下する水」という意味の言葉です。
  
「 石(いは)走る 垂水の水の愛(は)しきやし
              君に恋ふらく 我が心から 」 

                  巻12-3025 作者未詳


( 岩の上から逆巻き落ちる瀧の水のように激しくあなたに恋焦がれています。
 この苦しい胸のうち、それは誰のせいでもありません。私自身のせいなのです。)

「愛(はしき)やし」には「愛(いと)しい」という意味と、水が「疾(は)しき=早い」とが
掛けられています。
恋の激しさを一直線に流れ落ちる瀧のさまに喩えた一首です。

なお、この「ハシキ」という言葉は、のちに「敏捷」を意味する「ハシコイ」という
現代語に転じた(井上通泰:万葉集新考)といわれています。 

「垂水」という言葉を有名にしたのは、何と言っても

「 石(いは)走る 垂水の上の さわらびの
           萌え出づる 春になりにけるかも」 

      巻8の1418 志貴皇子   (万葉集その51 早蕨 既出)


の名句でありましょう。
然しながら、万葉人のこの美しい造語「垂水」は時の経過とともに消え去り、
今では地名 (神戸市垂水区など) にその名残を留めるばかりとなってしまいました。

「 瀧はこの世に数あれど 
   うれしや うれし 鳴り響く

   これはまことの 瀧の水 
   日が照ったとて絶えもせず 
   
   とうとう たらり 鳴りひびく  
       ヤレコトットウ 」 

        ( 梁塵秘抄: 榎 古朗訳 新潮日本古典集成)


瀧に対する感謝の気持が溢れるばかりの「お祭り囃し歌」で、お能の「翁」にも同じ
詞章がみえるそうです。

我国では古代から多くの人々が、瀧壷には水の神、龍神が住んでいて、
霊力あるその水で体を清める、いわゆる禊(みそぎ)をすることによって魂が甦り、
肉体も若返らせることが出来ると信じてきました。

717年、「養老の瀧」(岐阜県養老町) を訪れた元正天皇は、瀧水を浴びたところ、
肌が滑らかになり、痛むところも治ったので、大いに喜ばれ、年号を養老に改めたとも
伝えられています。(古今著聞集)

老若男女が冷たい水に打たれて修行する姿は今もなお各地で多くみられますが、
女帝も瀧に打たれたのでしょうか?

「 瀧浴びの しなびし乳房 ひしと抱き 」 

                         水守 萍浪(へいろう)

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by uqrx74fd | 2009-08-17 08:14 | 自然

万葉集その二百二十七(桔梗:キキョウ)

秋の七草といえば山上憶良が詠った

「 萩の花 尾花葛花 なでしこの花
   をみなへし また藤袴 朝貌(あさがほ)の花 」 


    巻8-1538 ( 万葉集その25「秋の七草」既出)

がよく知られています。

ところが最後の「朝貌」とは何か?については長年意見がわかれ、「槿(むくげ)」、
「朝顔」、「桔梗」、「昼顔」など諸説ありました。

まず、「朝顔」は平安時代に中国から渡来したものと考えられているので
省かれ、「昼顔」はさしたる根拠なしとして、最後に残ったのが
「槿」と「桔梗」。

最終的には我国最初の漢和辞典「新撰字鏡」(901年頃:僧 昌住著)の
「桔梗、阿佐加保(アサカホ) 又云 岡止々支(オカトトキ=桔梗の別名)」の
記述や、歌の内容などによって「桔梗」とするのが現在ではほぼ
通説となっています。

よって、以下の歌の「朝顔」はすべて「桔梗」としてお読みください。

「 朝顔は 朝露負(お)ひて 咲くといへど
    夕影にこそ 咲きまさりけれ 」    巻10-2104 作者未詳


( 朝顔は朝露を受けて咲くというけれども、夕方の光の中でこそ、
  なお一層その美しさが際立つものなのですね。)

「咲きまさりけれ」は花の色が一層美しくなったの意。

この歌こそ「朝顔」が「桔梗」であるとの説を最も有力にした一首です。
何故ならば、槿、朝顔、昼顔は朝に咲いて夕方萎む1日花、
そして槿は草ではなくアオイ科の落葉低木とされているからです。

「朝顔が濃紫の気品高い花をつける桔梗であるとすれば、
信州の陽暦八月下旬の薄暮を押しのけるようにして咲くその花の風情を
幼童時代にしばしば体験している。
それは、尾花の白いそよぎとともに、童心に深い詩情を与えずには
おかなかった。
放置するに忍びず、折り取るに忍びずというのが、その花の姿であった。」

                         (伊藤 博:釈注)

「 臥(こ)いまろび 恋ひは死ぬとも いちしろく
             色には出(い)でじ 朝顔の花 」 
                       巻10-2274 作者未詳


( あなたのことを思い悩んで夜も寝られず毎晩寝返りばかり打っている私。
  でも、万が一、恋患いのまま死んでしまうようなことがあっても、
  朝顔の花が咲くように、はっきりと顔に出すようなことはいたしますまい )

「臥(こ)いまろび」の原文表記は「展転」:「横になってころがる」意で「激しい嘆きや
悲しみの姿態として好んで使われる言葉 (伊藤博)だそうです。

「灼然(いちしろく)」は→「いちしるし」→「いちじるしい」と現代語に転訛しました。

思いつめた表情で朝顔に見入っている作者。

「やや年たけた美しい女のいささか不倫の匂いも漂う妖艶な恋を思わせる」
( 永井路子 万葉恋歌 光文社 ) そうで、やはり「桔梗」は大人の花なのでしょう。

「言(こと)に出でて 言はばゆゆしみ 朝顔の
          穂には咲き出ぬ 恋もするかも 」
                 巻10-2275 作者未詳


( 恋人の名前や恋心をうっかり口に出してしまうと、不吉な結果を招くと
  いわれているので、その素振りさえも見せないようにして密かに
  あの方を恋い慕っています。
 朝顔の花のように人目に立つようなことは決していたしますまい。)

言はばゆゆしみ:禁忌に触れてはならないという恐れる心情

穂には咲き出ぬ: 「穂」は「秀」で目立つもの。ここでは花。
             目立つように外には表れないようにして。

「 桔梗はまだ秋の気配もない頃に咲きはじめる。
  花の姿も色も きりりとしていて、しかも色気がある。

  早乙女ではなくて、子供を一人くらいは産んだひとの夕涼みする
  風情に似かよう。
  紫のほかに白桔梗もあるが、この花ばかりは紫のほうがいい。

              ( 杉本秀太郎 花ごよみ:講談社学術文庫)

       「 きりきりしゃんとして咲く桔梗哉」 一茶

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by uqrx74fd | 2009-08-10 20:12 | 植物

万葉集その二百二十六(弓張月)

本年の立秋は八月七日で旧暦の七夕です。

牽牛、織姫年一度の逢瀬のこの日は、夕暮れから三日月が中天にかかり、
星の光は少しかすんで見えますが、夜も更け月が完全に沈むと、
爽やかな夜空に天の川が燦然(さんぜん)と輝き、満天の星たちが
二星のために最高の舞台を提供します。

「 天の原 行(ゆ)きて射てむと 白真弓(しらまゆみ)
            引きて隠(こも)れる 月人壮士(つきひとをとこ) 」 
                         巻10-2051 作者未詳


( 天の原を行ったり来たりして牽牛を射てしまおうとしているお月さんよ。
 とうとう諦めて、立派な白木の真弓を引き絞ったまま山の端に隠れてしまったわい。)

三日月が恋敵の牽牛に向かって弓を引き絞っているように見立てた歌です。

古代では月が完全に沈んでから二星の逢瀬が始まると考えられていました。
牽牛織姫の渡河を今か今かと待ち望んでいる人にとって月がいつまでも空に
居座っているのは迷惑。
「どうせ片恋なのだから弓を射ても届かないよ」と冷やかしているようです。

「星の恋 いざとて月や入りたまふ 」 長斎

そして山の端に消えてゆく月を見ながら「振られたのに威張りながらの退場だわい」と
笑い、やがて始まる天体ショーへの期待に胸を膨らませています。


「 天の原 振り放(さ)け見れば 白真弓
            張りて懸けたり 夜道はよけむ 」 

       巻3-289 間人宿大浦(はしひとのすくね おほうら)


( 天つ空を遠く振り仰いで見ると、引き絞った白真弓のような月がかかっている。
 この分だと夜道はさぞ歩きやすいであろう )

古代人は満ちては欠け、欠けては満ちる月を命の再生の象徴とみなし、月の光には
夜の世界を跋扈する悪魔や悪霊を追い払う呪力があると信じていました。

天空から明るい光を照らしてくれる三日月は危険な夜道を急ぐ人にとって、弓で魔物を
射てくれる頼もしい守護神であったことでしょう。

なお、白真弓は木の皮を削って白くした立派な(真)弓という意味ですが、
真弓=檀(まゆみ)、梓弓、槻(つき=けやき)弓など材料の木を表すこともあります。

さて、舞台は時空を越え中世へ。
シェイクスピア劇「夏の夜の夢」の冒頭の場面です。

「シーシアス」: さて、美しいヒポリタ、吾(われ)らの婚儀も間近に迫った。
          待つ身の楽しさもあと4日、そうすれば新月の宵が来る。
          それにしても虧(か)けてゆく月の歩みのいかに遅いことか!
          - -。

「ヒポリタ」:   でも4度の日はたちまち夜の闇に融け入り、4度の夜もたちまち
          夢と消え去りましょう。
          やがて新月が、み空に引きしぼられた銀の弓さながら、
           式の夜を見守ってくれましょう。
                     

                                ( 福田 恒存 訳 新潮文庫 )            
どこかで聞いた台詞だなぁ。 
シェイクスピアも万葉集を読んでいたのかしらん。


  「三日月をゆみはり月とみるばかり
             中(なか)空にして そふ光かな 」   正徹

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by uqrx74fd | 2009-08-03 19:32 | 自然