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万葉集その三百二十五(鮎)

「若鮎の二手になりて上りけり 」 正岡子規

 鮎釣り解禁の六月。
 各地から鮎だよりが寄せられ、待ちに待った釣人は喜び勇んで清流に出かけます。
 ところが梅雨時の鮎は旨くないというのが、もっぱらの定評なのです。
 唯一の餌である岩苔が出水で流れ取られ、栄養源を失った鮎は痩せ衰えてしまうばかり。
 だからこそ飢えた鮎は釣竿の下に寄ってくるのでしょう。

 「 石垢に なほ喰い入るや淵の鮎 」 去来     (石垢=岩苔) 

やがて、梅雨が明け気温が上がってくると岩苔は急速に成長し、たっぷり餌を食べた
鮎は脂肪太りとなって独特の芳香を漂わせはじめ、その時期、つまり、
土用入りから二週間の頃が旬と言われています。

万葉集には魚の歌が32首ありますが、そのうち半数の16首が鮎。
如何に万葉人が鮎好きだったかが窺われますが、なんと、その大半が大伴旅人と
家持の歌なのです。
ご両人とも食べる方にはあまり関心がなかったらしく、旅人は若鮎のピチピチした姿を
美しい乙女に重ね、家持は鵜飼に興趣を抱いたようです。

「 松浦川(まつらがわ) 川の瀬早み 紅(くれない)の
    裳の裾(すそ)濡れて 鮎か釣るらむ 」 
                巻5-861 帥老(そちらう)
 
    
( 松浦川の川瀬の流れが早いので、娘子たちは紅の裳裾をあでやかに濡らしながら
 鮎を釣っていることだろうか )

 この作品は「序」と十一首の短歌群からなる空想の歌物語です。
作者は大伴旅人とされ、中国の通俗的好色小説「遊仙窟」や正統文学集の「文選」
等からヒントを得、その昔、神功皇后が鮎を釣ったと伝えられる故地「松浦川」
(現在の玉島川)で詠まれたものです。

鮎釣りに興じている美しい乙女。
燃えるような紅の裳裾から白い素足がチラチラと見えている。
健康な色気を感じさせる幻想的な一首です。

「 鵜川(うかは)立ち、取らさむ鮎の しが鰭(はた)は
    我れに削(か)き向け 思ひし思はば」 
              巻19-4191 大伴家持


( 私が贈った鵜でお捕りになる鮎。
 もし、あなたが私のことを相変わらず思って下さっているならば、
 せめてその尾ひれくらいは感謝の気持ちとして贈って下さいな。)

しが鰭(はた): 「しが」の「し」は鮎をさす指示代名詞  
「鰭(はた)」は「ひれ」であるが鮎は小魚ゆえここでは尻尾か。
「削(か)き向け」: 切って贈る

ある年の5月中旬、まもなく鮎の季節が到来する頃、作者は長年の歌友である
大伴池主(越前地方官)に歌を添えて鵜を贈りました。
「この鵜は優秀だから鮎をたっぷり捕ってくれるぞ。
あまりにも沢山捕れるので、お前さんはきっと涙を流さんばかりに
感謝をせずにはおられまいよ」
と冗談めかしたものです。
このようなことを言い合えるのも互いに腹蔵なく話し合える友人だから
こそでしよう。

「鮎くれて寄らで過ぎ行く夜半の門 」 蕪村

鮎は活きているのをすぐ焼き、緑色のピリッとした蓼(たで)酢に浸して食するのが
天下の美味。
古代から食用とされていた蓼(たで)も、万葉集に登場しています。

この句は親しい友人が釣りの帰りに活鮎を届けてくれたのでしょうか。
すぐ料理できるように、挨拶もそこそこに立ち去ったようです。
押しつけがましくない親切や思いやり、そして作者の感謝の気持ちがこもる一句です。

「 加茂川の 瀬にすむ鮎の 腹にこそ
   うるかといへる わたはありけり 」 (古歌)


(「加茂川」が「淀川」となっているものもあり)
この歌は後水尾天皇の詠とも言われていますが、やんごとなきお方も「うるか」が
お好きだったのでしょうか。

藤原宮跡や平城京跡から発掘された木簡から「年魚」「鮎」「醤(脾塩:ひしほ)鮎」
「酢年魚」「煮干鮎」などの記述が見え、また、各地の風土記にも(鮎)「有昧(うま)し」とあり、
鮎は様々な料理にされて万葉人の舌を満足させていたことが窺えます。
鮎の内臓の塩辛「あゆのうるか」も古来から称賛されていたようですが、
木簡にみえる「醤鮎(ひしおあゆ)」もその一種だったかもしれません。
 
「 鮎と蕎麦 食うてわが老い養はむ 」 獅子文六

ご参考: 

万葉集遊楽 その六十四(鮎子さ走る)

鮎はその清楚な姿から川魚の王とされています。
川底で孵化した稚魚は水流に従って一旦海にはいり、二、三月頃にまた川に戻って
一メートル余ものジャンプを繰り返しながら清流の川上へと遡ります。
さらに秋には産卵を終えてから海に戻り、その短い一生を終えるのです。
このような生涯から「アユ」は古来「年魚」と表記されました。
また川の石苔を常食として一種の香気があるところから「香魚」ともよばれています。
旬は土用入りの後二十日ほどの間です。

「 隼人(はやひと)の瀬戸の巌も 年魚(あゆ)走る
       吉野の滝に なほ及(し)かずけり 」
                    巻6の960 大伴旅人


( 隼人の瀬戸へ来て見ると白波が大岩に砕け散り実に勇壮な風景だ。
  でも、鮎が身を躍らせて走っている大和の激流のさわやかさの方が
  もっと素晴らしいよ )

隼人の瀬戸:所在については2説あり
① 鹿児島県阿久根市黒の浜と天草諸島長島との間の黒の瀬戸
② 北九州市門司と下関壇ノ浦との間の早鞆の瀬戸

大和吉野川の鮎は川面に散り浮く櫻の花びらをついばんで食べるので櫻の匂いが
身に沁みて「櫻鮎」とよばれ、ひときわ風味が良いよされています。
旅人は「隼人の瀬戸」の荒々しい海波に感心しながらも、吉野の流れを思い浮かべて
望郷の念に駆られたのでしょう。

「 春されば 我家(わぎえ)の里の 川門(かわと)には
       鮎子(あゆこ)さ走る 君待ちがてに 」 
                    巻5の859 作者未詳


(春になると我家の里の渡り瀬では若鮎が跳ね回っています。
 あなた様を待ちあぐんで )

この歌は大伴旅人が肥前松浦の玉島川のほとりで遊んだ時の歌です。
(作者未詳となっているが実際は大伴旅人作)

玉島川はその昔、神功皇后が魚を釣って征韓の成否を占い、アユが釣れたので
大いに喜ばれ「アユ」を魚編に占うと書き「鮎」という漢字が当てられます。
それ以来、この玉島川では女性が鮎釣りをすると大漁になり、男が釣っても全く
掛からなくなるのです。
旅人はこの伝説をふまえて玉島川を美しい乙女ばかりが住む神仙境に仕立てます。

『 松浦川の川瀬に赤い裳裾を濡らして立っている美しい乙女たち、彼女達は
  あたかも川を自由に泳ぎまわる若鮎の化身のようです。
  「 若い雌鮎が雄の鮎を待ちかねていますよ 」
  彼女たちは積極的に男たちに誘いかけ、男たちも拒む気持ちはありません。
  さぁさぁ喜んで釣り上げられましょう 』

清流のほとりでうたた寝をしながら、しばし俗世を離れて幻想の世界に遊んだ
旅人の楽しいひとときでした。

   「 熟恋や 次ぎの逢瀬は 鮎の宿 」 田中冶生子
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by uqrx74fd | 2011-06-26 10:39 | 動物

万葉集その三百二十四〈しただみのレシピ〉

〈しただみ〉
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  「うず高き 小貝を前に 火を焚けば
       原始の人と なりぬわれらは」  尾上柴舟
  

 貝類は大別して、二枚貝と巻貝、それに角(つの)貝の三つに分けられますが、
「しただみ」はニシキウズガイ科の馬蹄螺(ばていら)とよばれる小型の巻貝です。
 地方により類似種とともに、シッタカ(尻高)、コシダカガンガラ、イシダタミ
 ともよばれていますが、サザエに似た旨味があり、現在では塩茹で、煮物、揚げ物、
 酢の物、味噌汁の具など多様に調理されています。

 万葉のころは生食されていたらしく、ご馳走だったのでしょうか。
 そのレシピを詠った珍しい歌が残されているのです。

「鹿島嶺(かしまね)の 机(つくえ)の島の しただみを
 い拾(ひり)ひ持ちきて 石もち つつき破り
 早川に洗ひ濯(すす)ぎ 辛塩(からしほ)に こごと揉(も)み
 高坏(たかつき)に盛り 机に立てて
 母にあへつや 目豆児(めづこ)の刀自(とじ)
 父にあへつや 身女児(みめこ)の刀自 」 
                   巻16-3880 作者未詳

( 鹿島嶺近くの  机島のしただみ。
 そのシタダミを拾ってきて 石で殻をコツコツつつき破り
 早い流れで ザブザブ洗いすすぎ
 辛い塩でゴシゴシ揉んで
 脚付き皿に盛りつけ 机の上にきちんと立てて
 お母さんに差し上げましたか 可愛いおかみさん
 お父さんに ご馳走しましたか 愛くるしいおかみさん )

   ○鹿島嶺:石川県七尾市東方の宝達山脈か
    原文「所聞多祢乃」(かしまねの)は「聞くところ多し」の意があり
    当時この地にシタダミが多く棲息することで知られていたことを示す。
   ○こごと揉み: せっせと揉む
   ○机: 杯据(つきすえ)で、物を載せる台、食膳
   ○あへつや: 饗(あふ)の意で食物をもてなす
   ○目豆児(めづこ)、身女児(みめこ) : 可愛い。いとしい。
   ○刀自(とじ):一家の主婦。ここでは幼女を主婦に見立てたもの
             ( 語句解説は万葉集釋注 伊藤博 集英社単行本による)

採りたての新鮮な貝から潮の香が漂ってくるような一首です。

机島は石川県能登半島の輪島沖、有名な和倉温泉の西北2,5㎞の海上にあります。
本来ならば人に知られることがない小さな無人島ですが、万葉集のこの一首で
後世に名を残すことになりました。

この歌は童歌と推定され、

「 おのずから料理の手順が知られるように仕組まれている。
  庶民の生活風景がほのぼのとこめられた佳品。(伊藤博) 」

「 この地方の風土に生きる古代庶民の間から生まれた、かくも日常的な
  愛情の所産による童歌の存在は、万葉集の中の貴重といわねばならない」(犬養孝)

と高く評価されています。

また、「まず母上に、次いで父上にご馳走を差し上げる子供たちの母親の姿」は
通い婚であった当時の母系社会の様子が描かれており、子供たちは歌によって
日常生活の作法を学んでいたことも窺われるのです。

犬養孝氏の実地調査によると、
『 島を取り巻く岩石には所狭しとシタダミ貝が棲息し、岩肌をはい回る貝の動きさえ
透き通って見える。
全国どこにでもみられる貝だが、こんなに密生しているところは珍しい。』(万葉の旅)
とのことで、しかもこの近辺では貝の名前も万葉時代のまま「しただみ」とよばれ、
日々の大切な食糧の一つになっているそうです。
また、通の人が好む貝らしく、インターネットでも1㎏1500円前後で
販売されています。

『 われわれの祖先が食を求めて、最初は木の実や草の実を口にし、
  海辺ではまず貝を求めたでありましょう。
  そのおおらかな生活を連想させてくれるのが、各地に残る貝塚で、
  約50余種が発見されています。
  日本近海には、約600種の貝がいるそうですが、(古の人たちは)
  味の良いものを選んだことがわかります。 』
                 ( 辻嘉一 味覚三昧 中公文庫より要約 )

「 しただみの からいっぱいに 前の道」
            (中島中学一年生、若木和枝)
 

 この句は犬養孝氏が机島を実地調査をされた折、鹿島教育振興会の俳誌「しただみ」
 から抜粋されたもの。 (万葉の風土。塙書房より)
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by uqrx74fd | 2011-06-19 07:48 | 動物

万葉集その三百二十三(若布:わかめ)

(鎌倉材木座にて)
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「 あらうみを ひらきて刈れる 若布(わかめ)かな」 
               橋本 鶏二(けいじ)


『 句は知多半島の内海で詠まれた。
  幾重にも流れる青い潮の層を鎌で切り開くようにして、
  海底に生い茂る若布を刈っているのである。
 「あらうみをひらきて」という思い切った表現が、
  春の海のゆったりした呼吸を感じさせる。』
                (長谷川櫂 季節の言葉 小学館より) 

ワカメは世界広しといえども日本近海と朝鮮半島南岸でしか採れない特産物で、
ミネラル、ヨード、鉄、カルシュウムを多く含み、古代から
重要な栄養源とされてきました。
また、海藻に多く含有するヨードは養毛剤の働きをなし、女性の髪を
「緑なす(艶やかな)黒髪」に育てるのに欠かせないものだったことでしょう。

一年草であるワカメは春から夏にかけて成長します。
黒潮の影響する外海の岩礁地帯に多く繁茂し、とりわけ荒い波で揉まれた
鳴門海峡のナルトワカメと三陸地方の南部ワカメが東西の横綱とされています。

「 角島(つのしま)の 瀬戸のわかめは 人の共(むた)
   荒かりしかど 我れとは和海藻(にきめ)」 
                 巻16-3871  作者未詳


( 角島の瀬戸で採れたワカメ(若女)は(自分以外の)他人と共にいるときは
 まるで荒藻(あらめ)、つまり、つっけんどんにあたったけれど
 俺といるときは和海藻(にぎめ)、優しかったんだよな )

海藻収穫の後で酒盛りしながら愛唱されたおのろけ歌でしょうか。

角島:山口県豊浦郡豊北町の西北端の島 昔の長門の国で現在は下関市
わかめ: 若女を掛ける
人の共(むた): 「とともに」 
和海藻(にきめ): 柔らかな海藻 ここでは素直に靡く女を掛ける

なお、「和ぶ(にきぶ)」という動詞は馴れ親しむの意。

1963年、平城京跡から発掘された木簡に「都濃嶋(つのしま)から都に
ワカメを送った」と記されているそうです。
当時、ワカメはほとんどの臨海諸国から貢納されていましたが、角島も
その一つだったのでしょう。
塩蔵、干物、一夜干し等に加工され、吸い物、和え物、酢の物、あるいは
粉にした「ふりかけ」等、現在と変わらない調理方法で食されていたようです。

「 比多潟(ひたがた)の 磯のわかめの 立ち乱(みだ)え
   我をか待つなも 昨夜(きそ)も今夜(こよひ)も」 
                 巻14-3563 作者未詳(東歌)


( 比多潟の磯に入り乱れて茂り立つわかめのように、あの子は昨夜も今夜も
 家の前に立ち、身も心も千々に乱れて私を待っているであろうか )

比多潟は所在不明。関東地方のどこかの磯海岸と思われます。
愛する女が想い悶えるのをワカメがゆらゆらと立ち乱れるように譬えた一首。

昨夜(きそ)は去年を「こぞ」と云うのと同じで昨前の時を表します。

『 わかめに恋がらみの歌が多いのは「め」が「女」の音に通じ、
 波にもまれる、身をもんで恋焦がれるとの連想から出た。
 海中で見る若布の生命力の塊りと思える色は忘れがたい。
 渋みがきいて長持ちする恋の色とはかかるものかと思わされる。
 左様なものに無縁だった我が人生、のろいたいくらいうらめしい。』
                  ( 橋本治 旬の歳時記より 朝日文庫 )

「和布刈(わかめがり) 禰宜(ねぎ)大松明を 抱え来し」   佐藤忍

和布刈(めかり)神社:(北九州市:和布刈岬の突端にある関門海峡の守護神)
の神事を詠んだ一句です。

奈良時代から行われている由緒ある行事で、毎年旧暦大晦日の深夜から
元旦にかけての干潮時に行われ、三人の神職がそれぞれ松明、手桶、鎌を持って
海に入り、わかめを刈り採って、神前に供えます。(県指定無形民俗文化財)

わかめは、万物に先んじて、芽を出し自然に繁茂するため、幸福を招くといわれ、
新年の予祝行事として昔から重んじられてきたものです。
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by uqrx74fd | 2011-06-12 08:20 | 植物

万葉集その三百二十二(浦島伝説)

浦島伝説が文献に登場するのは日本書紀の雄略天皇のくだり(478年)で
「 秋7月、丹波国、余社郡(よぎのこほり)の管川(つつがわ)の人、瑞江(みずのえ)の
  浦島子が舟に乗って釣をしているうちに大亀を捕え、その亀がたちまち女に変身した。
  その女に魅力を感じた浦島は妻となし、共に手を携えて蓬莱山(とこよのくに)に
  行き仙境を巡り観た。」の記述が初出とされ、続いて「丹後国風土記」逸文にも
  同様のものがみられます。

名文の誉れ高い高橋虫麻呂の浦島物語は次のような出だしから始まります。

「 春の日の 霞(かす)める時に 住吉(すみのえ)の 岸に出(い)で居て
  釣舟(つりぶね)の とをらふ見れば いにしへの ことぞ思ほゆる 」


「とをらふ」=「たわむ」ここでは釣り舟が波の間に上下して揺れ続けている意。

( 春霞がかかっている麗(うら)らかな日に、住吉(すみのえ)の岸に出て
  釣り舟がゆらゆら揺れているのを見ると おのずと昔のことが思われます )

この一節は導入部。
まず、遠くいにしえを回想する舞台装置に春の日の霞と釣り舟のたゆたいを持ち出し、
『 映画の画面でゆらゆらと画面をゆらしながら回想の世界に筋が運ばれてゆくのと
  同じ手法 』(中西進)を用いた心憎い演出です。

なお、現在伝えられているお伽話は京都丹後の国が舞台ですが、虫麻呂のは
摂津の住吉となっています。

「 水江(みずのえ)の 浦の島子が 鰹(かつを)釣り 鯛釣りほこり
  七日まで家にも来(こ)ずて 海境(うなさか)を 過ぎて漕ぎ行くに
  海神(わたつみ)の 神の女(をみな)に たまさかに い漕ぎ向かひ
  相(あひ)とぶらひ 言成りしかば かき結び 常世(とこよ)に至り 
  海神の 神の宮の 内のへの 妙なる殿(との)に たづさはり
  ふたり入り居(い)て 老いもせず 死にもせずに 長き世にありけるものを」


「たまさかに」:はからずも 
「相とぶらひ」:愛の言葉を交わしあい
「かき結び」:契りを結び

(水江(みずのえ)の浦の島子が、鰹(かつを)や鯛を釣っているうちに、大漁となって
調子づき、7日も家に帰らず、とうとう海の境を通り過ぎてしまった。
なおも漕いでゆくうちに、海神(わたつみ)の神の娘の漕ぐ舟とたまたま出逢い、
 一目見て二人はたちまち意気投合して求婚し合い、話がうまくまとまったので、
夫婦の契りを結んで常世(とこよ)の国まで一緒に赴いた。
そして、海神の神の宮の、奥にある、善美を尽くした宮殿に二人ともに住み、
老いもせず死ぬこともなく永遠に生きていたのに、 )

虫麻呂の話では、いじめられる亀や、鯛、ヒラメの踊りは登場しません。
大漁で釣り誇っているうちに時を忘れて無我の境地。
ふと気がつくと、そこは海と常世との境界。
そこへ現れた乙女は絶世の美女、海の神の娘です。
あっという間に意気投合して二人は結婚。
浦島も容姿端麗の美丈夫だったのでしょう。

「世間(よのなか)の 愚か人の 我妹子(わぎもこ)に 告(の)りて語らく
 しましくは 家に帰りて 父母に 事も告(の)らひ 
 明日のごと 我れは来なむと言ひければ 
 妹が言へらく 常世辺(とこよへ)に また帰り来て 今のごと
 逢はむとならば この櫛笥(くしげ) 開くなゆめと 
 そこらくに 堅(かた)めし言を 」


「しましくは」: しばらくの間
「櫛笥(くしげ)」: 櫛を入れる小箱。古代、櫛には霊魂がこもるとされた
「開くなゆめ」: (開けると呪力が失われるので) 決して開けないで下さい。

 ( この男、世にも愚かな人間よ。愛しい妻に告げて言うには、
  『ちょっとの間、家に帰って父母に事情も話し明日にでも帰ってこよう』と
   言ったので、妻は、
   『常世の国へまた帰ってきて、今のように私に逢おうと思うならば、
   この櫛箱を決して開けてはなりませぬ』 と、
   くれぐれも堅くいましめたのに、)

「なんと愚かな人間なのだろう」という作者のため息が聞こえてくるようです。


「 住吉(すみのえ)に 帰り来(きた)りて 家見れど 家も見かねて 
  里見れど 里も見かねて あやしみと そこに思はく 家ゆ出(い)でて
  三年(みとせ)の間に 垣(かき)もなく 家失(う)せめやと 
  この箱を 開きて見てば もとのごと 家はあらむと 」


( 住吉に帰りついても家は見当たらず、里も見当たらず、怪しいことだと
  不思議に思い、そこで思うに、
 「 家を出て三年、その間に、垣根もなくなり、家も失せる、そんなことが
  あり得ようか。 この箱を開いてみたら、元通り家もあるだろう」と )

あれだけ妻が固く戒めたのに浦島はとうとう箱を開けてしまうのです。

「玉櫛笥(たまくしげ) 少し開くに 白雲の箱より出でて
 常世辺(とこよへ)に たなびきぬれば 立ち走り 叫び袖振り 臥(こ)ひまろび
 足ずりしつつ たちまちに 心消失(こころけう)せぬ 
 若くありし 肌も皺(しわ)みぬ  黒くありし 髪も白(しら)けぬ ゆなゆなは 
 息さへ絶(た)えて 後(のち)つひに命死にける 」


「ゆなゆなは」後々、やがては

( 美しい櫛箱を少し開くと、白雲が箱から出て、常世の方へたなびいていったので、
 引き留めようと、立ち走り、叫びながら袖振りまわし、ころげ回り、地団駄を
 踏みながら、たちまち気を失った。
 若々しかった肌も皴ばみ、黒髪も白くなった。
 やがては息さえふっつりと絶え、後には死んでしまったのです。 )

白雲は常世の神だけが持っている呪力が込められている雲、
その雲が常世の国へ戻ってしまった。
呪力が失われた浦島はたちまち現実の世界に戻され、あっという間に生命力が失われて
気絶して倒れ、やがて死にいたります。
何しろ常世にいる間に何百年も経っているのですから。

「 水江(みずのえ)の 浦の島子が 家のところ見ゆ 」
                     巻9-1740 高橋虫麻呂


( このように伝えられている水江の浦の島子の家の跡が見えるのです。)

ここで現実に戻り、作者の回想が終わります。


「反歌」
 「 常世辺(とこよへ)に 住むべきものを 剣太刀 
    汝(な)が心から おそやこの君 」 
                 巻9-1741 高橋虫麻呂

「おそや」 愚かな
「剣太刀」 枕詞。 古来、刀を「な」といったことから同音の「汝:な」に掛かる

( 常世の国に いつまでも住める身であったのに
 自分自身の浅はかさから そんなことになって 
なんとまぁ 愚か者であることか。この浦の島子の君は )
  
浦島を繰り返し「愚か者」と詠う虫麻呂は、一体何を伝えたかったのでしょうか?
現世で執着心を持つことへの愚かさと人間の弱さ、切っても切れない親子の関係、
そして何人といえども避けることが出来ない老や死。
さればこそ、その心の奥底には不老不死のまま絶世の美女とともに暮らしたいという
男の儚い願望も窺われるように思われるのです。

  「 宇良神社 長寿招福 絵馬涼し 」 福井貞子 

 註:  宇良神社は京都府与謝郡伊根町本庄浜に所在。
     もと浦島大明神と称し、浦島一族を祀る。
     浦島氏はかって丹後半島一円に勢力があった名家で
     浦島太郎はその一族と伝える。
     
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by uqrx74fd | 2011-06-05 08:34 | 心象