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万葉集その三百三十四(さ百合)

( あぶら火の : 松岡政信  万葉日本画の世界所収 奈良県立万葉文化館刊より )
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( 山百合:  妙音寺にて: 三浦半島三崎口)
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( ササユリ  : 入江泰吉 万葉賛歌 雄飛企画より )
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『 「 道隈に山百合の花咲きゐたる
     見しより燦(さん)と 夏は薫りぬ 」 石川恭子


  山百合は白い花弁に褐色の胡麻を散らしている。
  この花が咲き出すとまず芳香があたりに漂い、その香りそのものがくっきりとして
  夏が来たことを想わせる。
  茎長な大花が,花の重さに耐えず斜面に添い伏すように咲いているのも痛々しいが
  雨にも風にも意外に強い。
  この歌でも朝夕に見て涼しく明るい励ましを受けているようだ。 』

                ( 馬場あき子 花のうた紀行より  新書館)

749年の初夏、越中国守大伴家持は数人の官人たちと共に
秦 伊美吉石竹(はだの いみき いはたけ) の館での百合を愛でる宴に招かれました。
石竹の屋敷の庭には山から移植された山百合が見事に根づいて群生していたようです。
折しも家持が待望の従5位上に昇進したので、そのお祝いもかねていたらしく、
主人石竹はその日のためにわざわざ百合の花の蘰(かずら)を造り、高坏に重ねた上で
うやうやしく賓客に捧げます。

宴が佳境になったころ、まず家持が謝意をこめて詠いだします。

「 油火(あぶらひ)の 光に見ゆる 我がかづら
   さ百合の花の 笑(ゑ)まはしきかも 」
                   巻18-4086 大伴家持


( 油火の光の中に 浮かんで見える私の花蘰
 この蘰の百合の花の、なんとまぁ、美しくもほほ笑ましいことよ )

蘰を褒め、主人の細心にわたる心遣いに感謝する家持。
ともされた火の幻想的なゆらめきを「光にみゆる」と詠い、百合のふくよかな
香りまで連想させる一首です。

「 燈火(ともしび)の 光に見ゆるさ百合花
   ゆりも逢はむと 思ひそめてき 」

      巻18-4087  介内蔵伊美吉縄麻呂(すけくら いみき つなまろ)


( 燈火の光の中に浮かんでくる百合の花
 その名のように ゆり-将来もきっと逢おうと思いはじめたことでした。)

「ゆり」という言葉には「のちに」「あとで」という意味があります。
作者は歌があまり得意ではなかったのか、歌意が今一つ不明確です。

伊藤博氏は

『 「ゆりも逢はむ」は恋歌では「今は逢えなくても将来きっと逢おう」の意に
  用いられる表現で、
  「一同が現在楽しく相集い、相会(あいおう)ている場面にはそぐわない表現」
 とされた上で、
 「ここに相集うものは一様に奈良の都を離れていることとて、
 作者としては越中在任中も、帰京後も将来ずっと本日の結束を持ち続けよう
 という気持ちを込めて一首を詠じたのであろう (釋注) 』 とされています。

そこで、家持はとりなすように再び詠い座をおさめます。

「 さ百合花 ゆりも逢はむと 思へこそ
      今のまさかも 思ひそめてき 」
             巻18-4088  大伴家持


( 百合の花 その花のようにゆり-将来もきっと逢いたいと思うからこそ
 今の今も、このように楽しく過ごさせていただいているのです。)

宴席では現在を謳歌し、楽しむというのが今も昔も主催者に対する礼儀。
主人、部下への気配り十分な歌人家持です。

万葉集での「百合」は11首あり、「さ百合」と詠われたものが8首あります。
( 他は「深草百合」2首、「姫百合」が1首 )

「さ百合」の「さ」は「神聖」を意味し新婚の初夜にも飾られました。
どのような種類の百合かについては、関東以北で自生するのは「山百合」、
関西以南では「ササユリ」とされているので、家持たちが越中で詠んだのは
山百合であったと思われます。

「 いなびかり みなぎり来れば わが百合の
      花はうごかず ましろく怒れり 」  宮沢賢治


大地を揺るがす轟音。
垂れこめた厚い雲間から天を引き裂く凄まじい稲光。
一瞬、浮かび上がった燦然として立つ白百合。
それは、まるで凛とした怒れる貴婦人のよう。

『  - 夏の花の中余は尤も牽牛(あさがお)と百合とを愛す。
  百合の中(うち)余は尤も白百合山百合を愛す。-
  此花に対して思ひ出づるは、高潔なる天女の面影なり。
  清香を徳と薫じ、潔白の色を操と保ち、雑木熊笹あらあらしき浮き世に
  生まれ出でてしかも浮世に雑じらず、- - 』

       ( 徳富蘇峰著 自然と人生:山百合より :岩波文庫 )

「  深々と 人間笑う声すなり
       谷一面の 白百合の花  」  北原白秋


ご参考: 万葉集その十四 ( さ百合にかける恋: カテゴリ-植物 )
     万葉集その百十五 ( カサブランカ : 同上 )
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by uqrx74fd | 2011-08-28 08:08 | 植物

万葉集その三百三十三(薬の神様)

「大神神社 後方の山はご神体の三輪山」
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「 少彦名神社 大阪道修町 」
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「 少彦名神社 」
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我国で最も古い薬の神様は大国主命( オオクニヌシ ノミコト)と少彦名命
( スクナヒコナ ノミコト)といわれています。

大国主命は「力」、少彦名命は「知恵」に秀でられ、古事記、日本書紀によると、
父、神産巣日神( カミムスヒ ノカミ)から
「お互いに兄弟として力を合わせ、国をつくり固めよ」と命じられたそうです。

ここでの国つくりとは、日本列島をつくることではなく、人々に農業や医術を教え、
安定した生活を営ませることをいい、二神共々民を指導して豊かな農耕社会を
築くことを託されたのです。
大切な任務を与えられた二神は人民と家畜のために病気治療の方法を、また、
諸々の災いを除くため、呪(まじない)の法も定め、日本各地を指導しながら
巡り歩かれました。

「 大汝(おほなむち) 少彦名(すくなひこな)の いましける
    志都(しつ)の石室(いはや)は 幾代経(へ)ぬらむ 」

     巻3-355 生石村主真人( おひしの すぐり まひと)


 ( 大汝や少彦名命が住んでおられたという ここ志都の岩屋。
  この神さびた窟は一体どのくらいの年代を経ているのであろうか )

大国主命は大汝(おほなむち)ともよばれました。
幾代経たとも知られぬ神代さながらの岩屋を訪れ深い感慨を抱いた官人の一首です。

志都の石室の所在は二神が全国各地の国つくりをされただけに、諸説あり、
兵庫県高砂市の生石(おうしこ)神社、三木市の志染(しじみ)の窟、
島根県邑智(おおち)郡瑞穂町岩屋説などありますが、犬養孝氏は島根県大田市静間町の
日本海に面した静之窟(しずのいわや)がいかにも歌の趣にかなうとされ

『 こんにちの人でさえ、ぞっと寒気がするような岬の大洞窟に、古代人が神秘と畏怖を
おぼえて国土経営の神のすまいと伝えるのも当然のことだし、こうした洞窟を
見あげて「幾代経るらむ」の感動をいだくのもしぜんのことだろう。-
洞窟のなかからみる海の色はかくべつ鮮明だ。
誰一人、旅の人のこないところだから海水も澄明のかぎりだし、砂浜の汀には
千鳥が群れ、鳴き声は波音にまじって、やがて岬の山にすいこまれてゆくように
思われる。』    と述べておられます。  ( 万葉の旅 下 平凡社より)

大国主命信仰は一世紀半ばごろ出雲で生まれ、「因幡(いなば)の白兎」にも登場しています。
ワニザメを騙そうとして逆に捕えられ、赤裸にされた白兎が通りかかった大国主命に
「きれいな水で体を洗い、蒲(がま)の黄(はな)をとり浜辺に敷いてその上を転がれ」と
教えられ、もとの膚に戻ることが出来たというお話です。

この説話は、大国主命は薬の神様であるが故にガマの花の花粉の止血、消毒効能を
教えたことを示唆しています。
また「伊予国風土記」によると、少彦名命が死にかけた時、大国主命が大分の
速水(別府)の湯からパイプを引いて少彦名命に浴びさせ、生き返らせたとも
書かれており、温泉治療の効能にも熟知していたことを窺わせています。

「 大汝(おほなむち) 少御神(すくなみかみ)の 作らしし
    妹背の山を 見らくしよしも 」
                      巻7-1247 柿本人麻呂歌集


( その昔、大国主命と少彦名命が力を合わせてお作りになった妹と背の山。
 この山を眺めるとなんと素晴らしいことよ。)

夫婦仲睦まじく並んでいるように見える妹山、背山。
大和五条から紀伊に向かう途中、紀ノ川沿いに美しい姿を現します。
出雲から出発された二神の国つくりが大和、紀伊にも及んだことが知られる一首です。

二神がめでたくその使命を終えた後、大国主命は大物主神(オオモノヌシノカミ)という
名に変えて大和三輪山の神のまつりとなり、少彦名命は、常世の国に去られたと
伝えられています。

そして、1300年後の現在。
大国主命(大物主神)はそのまま三輪山の大神神社(おほみわじんじゃ)に、
少彦名命は大阪、道修町の少彦名神社に祀られ、共に薬の神様として崇められています。

「 お供への 百合の根細し 花鎮め 」 福永京子

毎年4月18日、大神神社で花鎮祭 (はなしずめのまつり:俗に薬祭) が
盛大に行われます。
神饌に百合根、忍冬(すいかずら)の薬草が献供されるとともに、
関西を中心とした製薬業者から2万点を超える薬品の奉納があり、
祭典後、社会福祉施設、援護家庭、地方団体などに贈られているそうです。
さらに、忍冬を原料に醸造した薬酒「忍冬酒」が授与され、12月に入ると薬祖神の
御神徳を広く一般に分かつため、お正月用のお屠蘇が出されます。

「 春琴の家は代々鵙屋(もずや)安左衛門を称し、大阪道修町に住して薬種商を営む。
 - - 春琴 幼にして頴悟(えいご)、加ふるに容姿端麗にして高雅なること
 譬(たと)へんに物なし。」 
                         (谷崎潤一郎著 春琴抄 新潮文庫より)


名作「春琴抄」の舞台となり、その町の名を知られた大阪の道修町は、
江戸時代の初めから薬種問屋が集まったところです。

今日でも製薬、薬品会社がひしめく中、少彦名神社、町の人からは神農(しんのう)さんと
親しまれている薬の神様がビルの谷間に静かに祀られています。
神農さんとは、中国の医薬の祖、神農氏による神で漢方医薬の祖として もともと
この地に祀られていたものが少彦名命と合祀されたそうです。

薬用に供される植物や、動物、鉱物などを「本草」といいますが、我国最古の本草の書
「本草和名」(918年)の中に少彦名神の名を持つ薬草が登場します。

曰く、「須久奈比古乃久須祢(すくなひこのくすね)、以波久須利(いわくすり)」

「くすね」は薬の古名。「いわくすり」は岩に着生して奇しき効力を発する草の意

それは現在「石斛(せっこく)」といわれる岩や古い木の枝に着生するラン科の多年草で、
健胃、解熱、消炎、強壮、強精剤として効ありとされ、今日でもよく見られる
テンドロビユームもその一種です。

薬用植物として今も重用されている石斛の古名に国土経営の神の名前が
冠せられていることは、少彦名命が大国主神と力を合わせて病苦に悩む多くの人々を
救ってきたことが窺われ感慨深いものがあります。

少彦名神社では毎年11月22-23日に「家内安全、無病息災」を祈願して、
神農祭がおこなわれます。(大阪市無形文化財)

薬玉飾りや薬関係者の献灯提灯が立ち、多くの露天商が軒を並べ、厄除けの
張子の虎を求める参詣者で終日賑わい、薬関係の仕事に従事する人は、
社から受けた厄除け張子の虎を顧客に配るのに大忙しだそうです。

張子の虎を配る所以は1822年大阪でコレラが流行した時、虎頭骨を配合した
「虎頭殺鬼黄圓( ことうさつき おうえん)」という丸薬をを施与すると共に
病除けお守りの虎を授与したことによるそうです。

「 神農(しんのう)の 祭の虎を もらひけり 」 本田一杉
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by uqrx74fd | 2011-08-21 09:22 | 生活

万葉集その三百三十二(夏の夜の夢)

「 ゆふぐれ しづかに  ゆめみむとて
  よの わずらひより  しばし のがる
 
  きみよりほかには  しるものなき
  花かげにゆきて   こひを泣きぬ

  すぎこし ゆめじを  おもひみるに
  こひこそ つみなれ  つみこそ こひなれ 」
               (島崎藤村 逃げ水より 新潮社:藤村詩歌集)

「夏の夜の夢」
今にも楽しげな音楽が流れ出てきそうな響きを持つ言葉です。
万葉集にみえる夢の歌は100首を超えますが、その大半が恋の歌。
古代の人たちにとって夢みることは「逢い引き」をすることでした。
携帯もメールもない時代、遠くに離れている恋人たちは、夢で逢い、
覚めては現実に立ち返り、ますます恋の辛さを思い知らされるのです。

「 夢の逢ひは 苦しくありけり おどろきて
   掻き探(さぐ)れども 手にも触れねば 」
                  巻4-741 大伴家持

( 夢で逢うのはつらいものだ。
 目を覚まして手さぐりしても、あなたはおろか何も手に触れることができないのだから。)

婚約者 坂上大嬢(おほいらつめ)に贈った歌15首のうちの1首です。
作者は当時越中の国守。
婚約者大嬢は遠く離れた都に住んでいます。
古代の人たちは、夢に恋人の姿が現れるのは、「相手が自分を想ってくれているから」
と信じていました。
逢いたい、逢いたいと面影を瞼に浮かべながら眠れぬ時を過ごす。
うとうととしながら、ようやく眠りにつき夜も明けようとするころ、
いとしい恋人の面影が夢に現れる。
美しく豊満な肢体はまるで男を誘っているよう。
「大嬢!」思わず叫んで抱こうとした手はむなしく空を切る。
はっと目がさめ、「あぁ、また夢か!」と呟く家持。

この歌は中国唐代の艶情小説「遊仙窟」の
「 夢に十娘(じふろう)を見る。驚き覚めてこれを攬(と)れば忽然として
  手を空しうす 」からヒントを得て作られたものとされています。

文武天皇の時代、遣唐使に派遣された粟田真人は天皇から書籍を求めてくるように
命ぜられ、多くの文献を集めました。
そして、同行していた山上憶良が「遊仙窟」なる本を見つけて買い求め、
大切に持ち帰ったといわれています。
この本は後々中国で発禁となった通俗小説で

「 男は手を娘の紅の下穿(したばき)きに入れ、足差し違え、口に口を合わせ、
  片捥で頭を支え、乳房を掻き探り、内股を撫で摩(さす)る。
  口吸えば心地よく、抱けばうら悲しく、鼻はくすぶり、胸つまる心地。
  やがてどっと目はかすみ、耳はのぼせ、血管がふくらみ、筋がゆるむ- -」

などの表現から察せられるように、いわゆるエロ本なのです。
四書五経に馴染んでばかりいた憶良はこのような本を読んでびっくり仰天したことでしょう。

帰国後、真面目な憶良は艶なる部分を省いた箇所から「貧窮問答歌」のヒントを得、
この本を借りて読んだ大伴旅人、家持親子は狂喜して(?)、女性を題材にした歌を
作ったといわれています。
そして、旅人は「松浦川に遊ぶ」という神仙譚を創作し、家持は大嬢へのラブレターに
応用したのです。

古代、女性を口説く最大の武器は歌でした。
多くの官人たちは「どのような歌を詠んだら女性の気を引くことが出来るか」熱心に研究し、
あらゆる文献からこれはという材料を探し求めました。
現代の若者が島崎藤村やハイネの詩を引用してラブレターを書くような感覚だったのでしょう。

そして、10世紀中ごろの辞書「和名抄」にもこの「遊仙窟」が収められ、醍醐天皇や
その息女など、やんごとなき女性までこの書を読んでいたそうです。

「 いにしへに ありけむ人も 我(あ)がごとか
        妹に恋ひつつ 寝(い)ねかてずけむ 」 
                       巻4-497 柿本人麻呂


( こんなに苦しいのは自分だけであろうか。
 昔の人も恋人が恋しくて眠れない思いをしたのだろうか )

人麻呂も恋に悩み、寝られぬ一夜を過ごしています。
この歌は、持統天皇紀伊行幸(690年)の折の宴席でのものとされていますが、
女を想って寝られないわが心を昔の人に託して詠ったのでしょうか。
「我がごとか」の一句に強い気持ちが感じられます。

「 夏の夜は 浦島の子が箱なれや
    はかなくあけて 悔しかるらむ 」 拾遺和歌集


※夜が「明ける」と玉手箱を「開ける」とを掛けている

(エピローグ)

「 夜の住人、私どもの、とんだり、はねたり、
  もしも皆様、お気に召さぬとあらば、
  こう思召(おぼしめ)せ、
  ちよいと夜のうたたねに垣間見た夢まぼろしにすぎないと。
  それならお腹も立ちますまい。- -
  つきせぬお名ごりなれど、
  今宵は皆様、これにてお寝(やす)みなさいまし。 」

( W.シエイクスピア 夏の夜の夢 パックの台詞より
            新潮文庫:福田恒存訳 )
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by uqrx74fd | 2011-08-14 07:58 | 心象

万葉集その三百三十一(きけ わだつみのこえ)

以下の文章は万葉集を学ぶ京都大学の学生が学徒出陣で徴集され、海軍で訓練を受けて
いる時の日記の一部です。

『 「 父母死すとも郷里にかえるこころをおこすな。
   決戦下此の夏までにお前たちはみな死ね。
   うかうかした気持でいたら、帝国海軍の伝統に泥を塗るだけだぞ。
   こんご生死の間にあって、お前たちが去就にまようときは、すみやかに死に就け」
   云々と。
   夏までに死ぬ覚悟をさだめておけというのではなく、ただ死ねというのだ。
   われわれはここでは、何か事あるごとに死ね死ねと教えられている。
   いったい、戦争をやりとげることが目的なのか、
   自分たちを殺すことが目的なのか。- 

  大和の風物、そして万葉集は、なんといってもわれわれが生涯をかけた
  心の拠りどころであった。が今となってはそれも単なる美しい情調、
  なつかしい憶い出と化したことを忘れてはならない。- - 』
                           ( 阿川弘之 雲の墓標 新潮文庫より )

楽しい学生生活から一転、異次元の世界に強制的に移動させられた若人たちの嘆きと
悲しみは如何ばかりであったことでしょう。
然しながら、そのような苦境の中でも彼らは自らの使命を自覚し、逞しく生き、
そして従容と死に臨んでゆきました。

古代の防人も突然の徴集と生還を期しがたい出征にあわてふためき、愛する家族との
別れに嘆き悲しむ歌を多く詠っています。
そこには、出陣に対する勇壮な決意を述べたものは数首にすぎず、大半が父母、妻子への追慕、
懐かしい故郷への想いを綴ったものばかりです。
それは、1300年後の学徒の遺作「きけ、わだつみのこえ」に書きとどめられた心情と
なんと似ていることか。

以下は万葉集防人の歌と「きけ わだつみのこえ」所収の作品を比較しながら、
いにしへと近代の若人の心の軌道を辿ってみたいと思います。


軍隊流行歌(市井素治のノートからの数え歌)

「 オ国ノタメト云イナガラ
  人ノ嫌ガル軍隊ニ
  出テクルコノ身ノアハレサヨ
  可愛イアノ娘(こ)ト 泣キ分レ 」 
                    (きけ わだつみのこえより :岩波文庫)

「 大君の命(みこと)畏(かしこ)み 磯に触(ふ)り
            海原(うのはら)渡る 父母を置きて 」

     巻20-4328 丈部造人麻呂(はせつかべのみやっこひとまろ:相模国防人)


( 大君の仰せを恐れ畏んで 磯から礒へと伝いながら、おれは海原を渡って行くのだ。
 父母をあとに残したままで )

「 葦垣(あしかき)の 隈処(くまと)に立ちて 我妹子(わぎもこ)が
   袖もしほほに  泣きしぞ思(も)はゆ 」

        巻20-4357 刑部直千国(おさかべあたひいくに:上総国 防人)


( 葦垣の隅っこに立って、袖も絞るばかりに涙を流して泣いていたあの子。
 その姿が思い出されてならないよ )

しほほに: 「しほしほに」の略で「ぐっしょり濡れる」さま。

  「 コレカラ勤メル3年間
      寝ルモ起キルモ皆ラッパ
      嫌ナ2年兵ニドヤサレテ
      泣キ泣キ送クル日ノ長サ 」     ( 同上 )

「 大君の命畏み 弓の共(みた)
         さ寝か わたらむ 長けこの夜を 」

   巻20-4394 大伴部子羊 おほともべのこひつじ:相馬(茨城、千葉)の防人


( 大君の仰せの恐れ多さに、弓なんか抱いて夜を明かすのか。
 この長い夜をずっと )

厳しい官命に対する嘆きの声 弓と共に寝る毎日。妻と共寝できない苦しさ。
辛い日々の経過がひとしお長く感じられます。

「点呼ガスンダソノ後デ
   鉄ケン制裁雨アラレ
   泣キ泣キモグル床ノナカ
   夢ハ故郷ノ母ノカオ 」    (同上)

「 我が母の 袖もち撫でて 我(あ)がからに
   泣きし心を 忘らえのかも 」

       巻20-4356 物部乎刀良(もののべのをとら:山辺(千葉)防人


( 母さんが袖でおれの頭を掻き撫でながら、おれのために泣いてくれていた
 あの気持ち。 忘れようにも忘れられないよ )

苦しさに耐えきれない時、いつも思い出すのは故郷の山川、家族、
とりわけ自分を慈しんでくれた母の顔。

明治の日清戦争のころ、言論の自由はまだ保たれていました。
与謝野晶子は反戦歌を発表、特に二番は天皇批判とも受け取れる痛烈なものです。
昭和の戦中なら恐らく不敬罪で勾留でしょうか。

「 あぁ、をとうとよ 君を泣く、
  君死にたまふことなかれ、
  末に生まれし君なれば
  親のなさけはまさりしも、
  親は刃(やいば)をにぎらせて
  人を殺せと をしえしや
  人を殺して死ねよとて
  二十四までそだてしや。


  君死にたまふことなかれ
  すめらみことは、戦いに
  おほみづからは 出でまさぬ、
  かたみに人の血を流し
  獣(けもの)の道に 死ねよとは、
  大みこころの深ければ
  もとよりいかで思(おぼ)されむ。 』

        ( 与謝野晶子 君 死にたまふことなかれ)


8月6日、9日。 広島、長崎原爆忌
8月15日。 終戦記念日。

私たちは「原爆許すまじ」と歌った日々を決して忘れることはありません。
その「原爆」を「原発事故」に置き換えると、それは「東日本大震災」そのままの姿。

      ※「原発事故」と表記したのは政府の場当たり的な原発政策には組しない意

震災後、五ケ月経過しているにもかかわらず、自己保身専一の拙劣な政治のため、
今もなお塗炭の苦しみを味わい続けておられる多くの方々を救うことが出来ません。
千年に一度の国難に最悪の指導者を抱いた我国の不幸です。

歴史の節目節目に彗星のごとく素晴らしい指導者が現れ、国を救ってきた日本。
今ほど強い信念と不惜身命の志を持つ政治家が求められている時はありません。

被災地の一日も早い復旧と復興を祈りつつ。

「 ふるさとの街やかれ
  身よりの骨うめし焼土に
  今は白い花咲く
  ああ許すまじ原爆を
  三度許すまじ原爆を
  われらの街に

  ふるさとの海荒れて
  黒き雨喜びの日はなく
  今は舟に人もなし
  ああ許すまじ原爆を
  三度許すまじ原爆を
  われらの海に 」

                   (原爆ゆるすまじ)
                      浅田石二作詞、 
                      木下航二作曲

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by uqrx74fd | 2011-08-06 08:25 | 心象