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万葉集その三百三十八( 花嫁の父)

 ( 花嫁切手 )
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 ( 花嫁船1  潮来にて)
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 ( 花嫁船2 潮来にて)
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「 われとわが子を愛(め)づるとき
  老いたる母を おもひいでて
  その心に手をふれし ここちするなり

  誰(たれ)か人の世の 父たることを否むものぞ
  げに かれら われらのごとく
  そだちがたきものを育てしごとく
  われも このひ弱き子を そだてん 」    ( 室生犀星 ちちはは )

天から授かった愛しいわが子。
何物にも代えがたいわが宝。
わけてもその子が娘ともなれば、父親にとって特別な感慨があるようです。
それは第二の恋人ともいうべき存在なのでしょうか。

「 幼子が 母に甘ゆる 笑(ゑ)み面(おも)の
      吾(あ)をも笑まして 言(こと)忘らすも 」  島木赤彦


慈しみ育て、親子共々仲良く過ごした楽しい日々の思い出。
そのような生活もあっという間に過ぎ去ってゆきます。

人生50年といわれていた昔、結婚が許される年齢は男が15歳、女は13歳と
定められていました。
ところが、なんと! 
大伴家持のもとに12歳になったばかりの娘に求婚があったのです。
その娘は他界した妻妾の子供ながら家持が愛情をこめて育てた掌中の珠でした。
求婚者は当時朝廷で権勢をふるっていた藤原仲麻呂(恵美押勝)の子、久須麻呂(くずまろ)。
まだ20歳に満たない年齢(推定)ながら、後年、美濃、大和などの国守を歴任し、
参議にまで上った人物です

久須麻呂は何度も使いを遣り、口上をもって求婚したところ、家持は次のような歌を
送りました。

「夢のごと 思ほゆるかも はしきやし
   君が使(つかい)の 数多(まね)く通へば 」 
                        巻4-787 大伴家持


(  あなたさまの使いが何度もお見えになるので 勿体なく、
   まるで夢のような気がいたします。 )

     はしきやし:愛(はし)きやし 感嘆を表す言葉


「春の雨は いやしき降るに 梅の花
   いまだ咲かなく いと若みかも 」 
                        巻4-786 大伴家持


( 春雨はいよいよしきりに降り続き、梅の開花をうながしているのに
 蕾が固くいまだに咲きません。 
 よほど木が若いからでしょうか。 )

春雨に久須麻呂、梅に花に娘を暗示し、
「 娘が幼い故、まだお誘いに応じる力がありません」と応えた家持。

さらに、感謝の意を示しながらも、父親らしい威厳をもって
「もし、本気ならば、使いをよこすだけではなく歌ではっきりとした
意思表示をして欲しい」と暗にうながします。

「 春風の 音にし出でなば ありさりて
    今ならずとも  君がまにまに 」 
                   巻4-790 大伴家持


( 春風が吹いてくるように、きちんとしたお言葉をお寄せ下さったなら、
  時期を見計らってあなた様のお心に添うようにいたしましょうに )

「ありさりて」:「ありしありて」の約で「現在の状況を変えずに時の経過を待つこと」

それに対して久須麻呂は次のような返歌で応えます。

「 奥山の 岩蔭に生(お)ふる 菅(すが)の根の
   ねもころ我れも 相思はずあれや 」 
                      巻4-791 藤原久須麻呂


( 奥山の山陰にひっそりと生えている菅の根のように、私だって心の奥底から
 真剣に思っております 。)

ねもころに:ねんごろに

「 春雨を 待つとにあらし 我がやどの
        若木の梅は いまだふふめり 」 
                       巻4-792 藤原久須磨呂


( 梅は春雨を待って咲くもののようですね。
 我家の梅の若木も未だ蕾のままです。)

「ご尤も ご尤もです。有り難い仰せ。その時期が来るまでお待ちしています」と
梅の蕾にことよせた万葉人の優雅な求婚の一幕です。

この婚約は成立したようですが、764年、父親の藤原仲麻呂が朝廷に反乱を企て、
久須麻呂も共に死亡していますので、その後どうなったのかは明らかでありません。

以下は伊藤博氏の評です。(万葉集釋注)

『 古代の娘を持つ父親と、その娘を求める男性の微妙な心のかけひきの
  うかがわれる貴重な歌群。
  家持がきちっとした(求婚の)言葉として歌を要求しているらしい点は、
  家持にとって、古代人にとって、歌というものが何であったかを教え、
  その点でもこの歌群は貴重である。 』

 「 林あり 嫁がせし子を思ふべく
      落葉を踏みて 入り来ぬ我は 」  宮 柊二

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by uqrx74fd | 2011-09-23 20:24 | 生活

万葉集その三百三十七(朝影)

「 去(い)にし子 」
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( 髭面の泣き男  神代植物公園にて )
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『 朝影って、こんなすばらしい言葉があるでしょうか。
  だって朝、人間が道に立つとするでしょ。
  太陽は東から照るでしょ。
  そうしたら電柱みたいな細い影になるでしょ。自分の影が。
  これを朝影というんですね。
  恋の悩みで私はもう ひょろひょろ になっちゃった。
  ひょろひょろと言ったらまずしいけれど、朝の影みたいに電柱みたいに細い
  影法師になっちゃった。- -
  万葉人の造語力のすばらしさ。非常に勘のいい言葉でしょ。 』

                     ( 犬養孝 わたしの万葉百首 ブティック社より要約 )

  
「 朝影に 我(あ)が身はなりぬ 玉かきる
    ほのかに見えて 去(い)にし子ゆゑに 」
             巻11-2394   柿本人麻呂歌集


( 我が身はとうとう朝日に映る影法師になってしまった。
 あのほんのちょっと姿を見せて、行ってしまったあの子ゆえに )

「玉かきる」は「玉かぎる」の訓みかたもあり、「ほのかに」に掛かる枕詞。
「玉がかすかに光るように」の意。

この部分の原文表記は
「玉垣入(たまかきる) 風所見(ほのかにみえて) 去子故(いにしこゆえに) 」 
とあり、神社の玉垣に入るかすかな風の印象を与え、その子が風の様に去っていったさまを
連想させています。

「ほのかに」は通常「髣髴(ほのか)」の字が当てられていますが、ここでは法華経にある
「風(ほのか)」が採られており、作者は仏典にも精通していたことが窺われ、
隅々にまで繊細な神経が行き届いている名歌です。

永井路子さんはこの歌をさらに想像たくましく膨らませています。

『 「見る」の意味はそれだけだろうか。
  というのは、この言葉自体、ただ会って顔を見るというだけではなく、
  肌を重ね、夜をともにして愛撫を交わすという意味もあるからである。- -
  恋人同士の逢いびきは、ふつう男が女を訪れるという形で始まる。が、そのほか、
  祭の夜もデイトによく使われた。
  豊年を祝って、歌い、踊り、騒ぎ、その興奮に体をほてらせたまま、やがて
  一組、二組と暗闇に消えて行く、といったことはつい最近まで農村では
  よく行われていた。
  だから、この歌もそんなことを頭に入れておいて味わえば、ただならぬ思いを
  秘めていることがわかると思う。
  ふとしたきっかけで逢いびきした美しいあの娘- 
  「な、いいんだろう。」そっと肩を抱くと、細い肩が無言で肯いた。
  あの夜の記憶、あの肌の匂いは幻だったのか。
  かりそめの夜を過したあと、あの娘はどこへ行ってしまったのか- -』
                                (「万葉恋歌」:光文社より )

「 夕月夜 暗闇(あかときやみ)の 朝影に
       我(あ)が身はなりぬ 汝(な)を思ひかねて 」
                   巻11-2664 作者未詳 


( 夕方出ていた月が沈んで、暁の闇が明けた朝。
  私は、その朝日に映る影法師になってしまいました。
  あなたへの思いに堪えかねて  )

通い婚の時代、月の夜は女のもとに行く絶好の機会でした。
にもかかわらず男はついに訪れなかった。
夜通し待ち続けたやるせない女の思いを時間の経過とともに詠っている一首です。

なお、この歌の「汝(な)」から男が詠んだものとする解釈もありますが、
女歌にも用例があるので伊藤博説に従いました。

「 年も経(へ)ず 帰り来なむと 朝影に
      待つらむ妹し 面影に見ゆ 」
                   巻12-3138 作者未詳


( あの子は、年が変わらぬうちに帰ってきてほしいと、
毎日門に立って待ち続けているだろうな。
 きっと、朝日に映る影法師のように痩せ細ってしまっているだろう。
 そんな姿が目の前に浮かんで可哀想で仕方がないよ。)

遠く離れた旅の空から故郷の方角を仰ぎながら妻を思う。
帰郷の日も定かならぬ防人、あるいは都での労働に徴発された男でしょうか。

「 ほのぼのと 目を細くして 抱かれし
    子は去りしより 幾夜か経たる 」  斎藤茂吉


茂吉は人麻呂の「朝影に我が身はなりぬ」を見出したとき、心がふるえるほどに
感動したそうです。
そして、「おひろ」と題する連作にその影響を強く受けた作品を残しています。

「 愁へつつ 去(い)にし子ゆゑに 遠山に
  もゆる火ほどの 我(あ)が心かな 」  斎藤茂吉
 
         
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by uqrx74fd | 2011-09-17 14:38 | 心象

万葉集その三百三十六 ( 高円山 )

( 高円山 後方右上 奈良公園浮見堂より )
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( すすき 奈良大仏池より )
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(おみなえし 山辺の道で )
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( 萩 同上 )
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高円山(たかまどやま)は奈良市東南にある標高432mの山で、昔は「たかまとやま」と
清音でよばれていました。
平城京に近く、奈良時代には貴族たちの遊宴の地として親しまれ、その頂上近くに
聖武天皇の離宮、尾上(おのうえ)の宮があったと伝えられています。
大宮人たちは時には狩を行い、酒壺をさげて逍遥し、四季それぞれの風物を楽しみ、
鶯、雁、鹿、桜、なでしこ、おみなえし、葛、萩、尾花、昼顔、紅葉など27首もの
歌を詠んでいます。

「 高円(たかまと)の 尾花吹き越す 秋風に
   紐解き開(あ)けな 直(ただ)ならずとも 」
                    巻20-4295 大伴池主


( 高円の野のすすきの穂を靡かせて吹き渡る秋風。
 その秋風に、さぁ着物の紐を解きはなってくつろごうではありませんか。
 いい女に逢うのはあとにして。 )

753年、数人の官人たちがそれぞれ壺酒を提げて高円の野山に登りました。
時期は現在の9月中旬。秋とはいえまだ暑さが残る時期です。
汗をかきかき小高い丘を登った大宮人たちは、山頂近くの秋風に心地良い
爽やかさを感じたことでしょう。

「さぁ、さぁ酒宴だ。衣の紐を解いて寛ごう。」と作者は皆に声を掛けます。
「紐解き開く」はくつろいで遊ぶさまを表し、「直ならずとも」には
「直ちに女性に交(あふ)にはあらずとも、」の意を含んでいるとされています。
「女性との交渉は後として取りあえずは衣服の紐を緩めて飲みましょうや」と
茶目っ気たっぷりの一首です。

万葉人はススキの花穂(かすい)を尾花とよびました。
そのさまが動物の尾に似ているからといわれていますが、米粒ほどの白い小花を
さしたのかもしれません。

「 女郎花(をみなへし) 秋萩しのぎ さお鹿の
    露別け鳴かむ 高円(たかまと)の野ぞ 」
                       巻20-4297 大伴家持


( ここ高円の野は女郎花や秋萩がまっ盛り。
 おぅ、あそこに見えるのは牡鹿かな。
 萩の花の上にしとどに置く露を押し分け、踏みしだき、やがて、
 妻を求めて鳴きたてることであろうよ。 )

鹿、萩に露、さらに女郎花をそえ、深まりゆく高円の秋の景観を
美しく詠った一首です。
萩は鹿が好むので「鹿の妻」ともよばれました。

「 高円の 秋野の上の 撫子(なでしこ)が花
   うら若み 人のかざしし 撫子が花 」
            巻8-1610 旋頭歌     丹生女王(にふのおほきみ) 


( 高円の秋野のあちらこちらに咲く撫子の花よ
 その初々しさゆえに、あなたが 挿頭(かざし)に愛でたこの撫子の花よ)

都に住む作者が大宰府長官大伴旅人に贈った歌です。
二人の関係は詳細不明ながら若い頃から親しく交際を続けていたらしく、
伊藤博氏は

『 長年の信頼と愛情を上品にやさしく託しており、女王の人柄が偲ばれる。
「なでしこの花」には若き日に旅人に愛された自分の姿を暗示しているらしく、
ほのぼのとした追懐の情が美しい。
恐らく押し花にした撫子にそえた歌で、ふるさとを思わせ、古く長い人の心を
思わせ、一首を受け取った旅人の心底からの安らぎを偲ぶことが出来る。』
(万葉集釋注) と評されています。

高円周辺は今なお古の面影を残しているところで、白毫寺、新薬師寺、志賀直哉旧居、
入江泰吉記念奈良市写真美術館もその山麓にあります。
堀内民一著「大和万葉旅行」は、その付近の様子を次のように伝えています。(要約抜粋)
 
『 高円山は原始林の春日山とは対照的な山で白毫寺の東の山だから
土地では白毫寺山ともよんでいる。
この白毫寺は天智天皇の第七子志貴親王の山荘を移して寺にしたと伝えられ、
著名な「五色椿」があり、奈良市小川町の伝香寺境内の「散り椿」、
東大寺開山堂境内にある「のりこぼし椿」とともに奈良の三椿(さんちん)と
よばれている。- -
新薬師寺の十二神将を見て、そこの山門をでたところに小さく祀られている鏡神社の境内から
高円山を眺めると西側斜面の大地をふくめて山がのどかで美しい。
十二神将を見た目にはこの山が親しみを覚えるのは、奈良末期の彫刻と歌との
関係からくるものであろうか。- - 

高円山の頂上に立つと、山上にかけての高円野の形相がよくわかる。
「高円山」の「高」は美称で、「円」は山の形をいったのであろう。
東の方は芳山の高峰が渓谷をへだてて見え、遠く伊賀、伊勢の山々が、
新秋の陽ざしを受けて蒼波のうねりをみせ、西の方は平城の古京へ、
稲葉の田園が豊かで、そのはては摂河泉を接する葛城山系が生駒山につらなり、
青空と山のあいだの一線が白けて、はるかに美しい。 』 
                                     (講談社学術文庫より)

    「萩芽吹く 石段粗き 白毫寺」 佐藤忠

        白毫寺は萩の寺としても知られています。
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by uqrx74fd | 2011-09-10 20:02 | 万葉の旅

万葉集その三百三十五 (柘:つみ=山桑)

[ ヤマグワ(ヤマボウシ) 入江泰吉 万葉の華 雄飛企画より ]
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[ 桑の実 高橋治 木々百花撰 朝日文庫より ]
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[ 吉野川の簗(やな) 月刊ならら 五条市提供より ]
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「 黒くまた赤し桑の実なつかしき 」     高野素十

古代、柘(つみ)と呼ばれた木はクワ科の落葉高木である「ヤマグワ」(別名ヤマボウシ)
とされています。
葉を蚕の飼料にするほか、和紙の原料、織物、黄色の染料、家具材、薬用(利尿)
など多方面に利用されていた有用の木です。
初夏になると小さな白い花を咲かせ、秋には黒紫色の実をつけます。

「 ますらをの 出(い)で立ち向かふ 
 故郷(ふるさと)の 神(かむ)なび山に
 明けくれば 柘(つみ)のさ枝に  
 夕されば 小松が末(うれ)に

 里人の聞き恋ふるまで   
 山彦の相響(あいとよ)むまで
 ほととぎす 妻恋すらし 
 さ夜中に鳴く        」
                     巻10-1937 古歌集

訳文:

( ますらおが家を出て相立ち向かう
  この故郷の神々しい山。

 この山に明け方にやって来ると、
 ホトトギスが柘(つみ)の枝に止まって鳴き、
 夕方にには松の枝で鳴く。

 その声は里人が聞き惚れるほどに美しく、
 山彦がこだまする程に高い。

 ホトトギスよ、お前は妻を恋ふて鳴いているのか。
 この真夜中にまで しきりに鳴き立てて。)
                           

「神なび山」は「神がこもる山」の意で飛鳥のミハ山とされ、
美しい自然とホトトギスを通して聖なる山を讃えています。

古代、柘(つみ)は菖蒲、桃、蓬(ヨモギ)などと共に邪悪を払う魔除けの植物とされて
いたので聖なる意をあらわす「柘(つみ)の“さ”枝」と詠い、不老長寿の象徴である
松(小松)と対句になっています。
旅先で家恋しい作者は、妻を求めて鳴くホトトギスにわが身を重ねているのでしょうか。


「この夕(ゆうへ) 柘(つみ)のさ枝 流れ来(こ)ば
    梁(やな)は打たずて 取らずかもあらむ 」
                        巻3-386 作者未詳


( 今宵、もし、柘の枝が流れてきたならば、簗は仕掛けていないので
  枝を取らずじまいになるのではなかろうか。)

この歌の序に「仙柘枝(やまびめつみ のえ)の歌三首」とあり、その中の一首です。
神仙思想に基づく「柘枝媛(つみのえひめ)」といわれる伝説で、

「 その昔、味稲(うましね)という男が吉野川で梁(やな)を架けて鮎をとっていたところ、
柘の枝が流れてきた。
男はその枝を拾い上げて持ち帰ると、あら不思議や!枝が絶世の美女に変身。
男は狂喜して契りを交わして夫婦となり仲睦まじく暮らしていたが、
ある日突然、仙女であった女は常世の国に飛び立ち、再び戻ってくる事がなかった 」

という話が下敷きになっています。

竹取物語と似たこの話は「柘枝伝」(しゃしでん)ともいわれていますが、
まとまった物語としては今日伝わっておりません。
ただ、日本書紀や懐風藻に同類の話が部分的に載っているので、
この話を知っていた人が「故事にあやかり梁を設けて美女を得たいものだと」
宴会の席で詠われたものと思われます。

簗(やな)とは今日でも鮎漁に用いられている魚を捕るための仕掛けで、
木を打ち並べて水を堰(せ)き止め、一箇所に流れるようにして流れてくる魚を
簗簀(やなす)に落とし入れるものです。

 以下は前登志夫「吉野紀行」(角川選書)からです。

『 山陰の清冽な流れを見ていると、美稲(うましね)と柘姫(つみひめ)伝説の幻想が
そんなに古いこととは思われない。-
山から川の流れてくるところ人が棲み、川のあるところに愛がある。
美稲の話は上代の神仙思想と大和人が吉野にいだいた異境感覚をものがたるもので
あるが、美稲という名が示すように稲作と吉野川の水への信仰をも暗示している 』

「 山の畠の桑の実を
      小籠(こかご)に摘んだは まぼろしか 」 


( 赤とんぼ二番より 三木露風 作詞 山田耕作 作曲)
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by uqrx74fd | 2011-09-04 07:18 | 植物