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万葉集その三百五十六(山橘=藪柑子)

「 樹のうろの藪柑子にも実の一つ 」 飯田蛇笏

多くの草木が枯れ果て今や周囲は一面の冬木立。
ふと、木の根元の洞に目をやると、緑の葉の間から粉雪がうっすらと掛かった
赤い実がひょっこりと顔を出す。
小さいながらも寒さに負けない健気で凛とした姿です。

古代、山橘(ヤマタチバナ)とよばれていた藪柑子(ヤブコウジ)は常緑の小低木で、
夏に白または淡緑色の小花を下向きに咲かせます。
花は5mm程度。 余程気を付けないと見過ごしてしまいそうです。
花後、青い実をつけ、秋、霜下りる頃、鮮やかな紅赤色に熟します。
厳寒の中、春まで緑の葉と紅い玉を保つ山橘は縁起がよい植物とされ、
庭園や盆栽、祝席での生花、髪飾りなど色々なところで愛でられてきました。

万葉集での山橘は5首。
そのうち4首が野性のもの、1首が飾り玉として詠われています。

「 この雪の 消(け)残る時に いざ行(ゆ)かな
      山たちばなの 実の照るも見む 」 
                         巻19-4226 大伴家持


( みなさん!この雪が消えてしまわないうちに参りましょう。
  そして、山橘の赤い実が雪に照り映えているさまも見ましょうよ。 )

雪見の宴で同席の人たちに声をかけた作者。
雪の白、ヤブコウジの赤。
色の対比が鮮烈な歌です。
「実が照る」とは白い雪に照り映えるの意で、雪間から緑の葉と赤い実が
顔を出している美しい様が目に浮かびます。

「 紫の糸をぞ我が縒(よ)る あしひきの
   山たちばなを 貫(ぬ)かむと思ひて 」
                       巻7-1340 作者未詳


( 紫色の糸を私は今一生懸命に縒(よ)りあわせております。
  山たちばなの赤い実をこれに通そうと思って )

「山橘を貫く」は好きな相手と結ばれることをも暗示しています。
 小さな実に糸を通して薬玉を作り、惚れた相手と結ばれることを願う女心。
 赤い実が燃えさかる恋の炎を象徴しているようです。

「 綿雪をかつぎて赤し藪柑子 」    辺見吉茄子(きっかし)

明治時代中期のことです。
藪柑子の盆栽ブームが起きました。
人々は珍しい品種を競って買い求め、高じて新潟県を中心とした投機騒ぎにまで
ヒートアップしたのです。
実に狂気の沙汰ともいうべきもので、当時の金で1千円、今でいえば4~5千万円の
高値で売買され、中には倍の2千円(1億円)にもなり、ついに県令を発して売買を
禁止する事態になったと伝えられています。

短期間で収束したそうですが、何やらオランダからヨーロッパ中に広がった
チューリップ狂乱を思い出させるとような出来事です。

藪柑子は漢名「紫金牛(しきんぎゅう)」とも言い、漢方では解毒、解熱、
利尿などに効ありとされています。
また、赤い実を付ける木々はそれぞれ、万両(マンリョウ)、千両(センリョウ)、
百両(カラタチバナ)、十両(ヤブコウジ)とよばれていますが、そのうち千両は
ヤブコウジ類とは全く類縁のないセンリョウ科に属する植物です。

    「 山深く神の庭あり藪柑子 」 江原巨江

ご参考;それぞれの見分け方

万両 : 葉の下側に実を付ける。 葉は互生(茎に互い違い) 高さは1m位。
千両 : 葉の上に実。 葉は対生(1つの茎の節に葉が左右対称につく) 高さは50㎝位。
百両 : 葉は細長く先端が尖り基部は広い(披針形) 高さ1m位 実は万両に似るが少ない
十両(藪柑子) : 葉を輪状型に付ける。
            葉の形が蜜柑に似ているので柑子の名が付いた。(江戸時代)
            実の付き方はサクランボに似る 高さ10~30㎝位で小さい。
                                           (以上)
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by uqrx74fd | 2012-01-29 08:38 | 植物

万葉集その三百五十五 (鴨)

(雄鴨 横浜山下公園の海上にて)
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( 雄雌の鴨  同上 )
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( みんなで一緒に  同上 )
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「 あしひきの 山田の田居に鳴く鴨の
     声聞くときぞ 冬は来にけり 」  良寛


鴨はカモ科のうち比較的小形の水鳥の総称とされています。
秋に寒地より群れをなして飛来して湖沼、河川に生息し、春になると再び帰って
ゆきますが、カルガモと鴛鴦(おしどり)は留鳥です。

マガモ、コガモ、ヨシガモ、オナガガモ、ハシビロガモ、スズガモ、ホシハジロ、
キンクロハジロなど色々な種類の鴨がいる中で一番多いのは、青頸(あおくび)とも
よばれるマガモで、単に鴨と言う場合はマガモさすことが多いようです。

マガモは雄雌異色で雄は金属光沢がある緑色をしており、襟に白い首輪、胸は
紫ががった栗色と際立つ容姿ですが、雌は全体が地味な黄褐色で波型の黒い模様が
あります。
雄は「グェッ グェツ」メスは「グェーグェグェ」と鳴き、情感には程遠い「だみ声」
ながら古代の人にはその愛らしい姿が好まれたのでしょうか、万葉集に29首もあり、
さらに、オシ(鴛鴦)、たかべ(コガモ)、あじ(巴鴨)、あきさ(秋沙:あいさ) 
などが識別されて別途に詠われています。

「葦辺(あしへ)行く 鴨の羽がひに 霜降りて
     寒き夕(ゆふへ)は 大和し思ほゆ 」
               巻1-64   志貴皇子(天智天皇皇子)


 ( 葦のほとりを泳いでゆく鴨の背に霜が降りている。
  そのような寒さが身に染みるような夕暮れは、とりわけ妻子がいる大和が
  恋しく思われることだ。 )

706年文武天皇難波行幸の折の詠で、「羽がひ」は「羽交」と書き、鳥の左右の羽が
重なりあったところ、ここでは鴨の背の意です。

明かりなどあまりない古代の夕はかなり暗く、小さな鳥の背などのような細かい観察は
不可能でしょうから、日中に見た情景を目に思い浮かべながら詠ったのかもしれません。


星が美しい冬の夜空。
池のほとりに出て大和の方向を見上げながら故郷の妻子を想う。
足下は霜柱が立ち、心身共に凍てつくよう。
昼間見たあの鴨の背中にも霜が降りて寒かろう。
それにつけても、暖かい我が家、妻の体。
一刻も早く帰りたいものだ。

「 埼玉(さきたま)の 小埼(をさき)の沼に 鴨ぞ翼(はね)霧(き)る
   おのが尾に 降り置ける霜を 掃(はら)ふとにあらし 」
            巻9-1744 旋頭歌  高橋虫麻呂歌集 


( 埼玉の小崎の沼で鴨が羽ばたきしてしぶきを飛ばしている。
 自分の尾に降り積もった霜を掃いのけているのだろう。 )

埼玉の「小崎の沼」は埼玉県行田市の東南部にありましたが、埋め立てられて
小さな森になり現在は小崎沼の碑が残るのみです。

「翼霧る」とは「羽ばたきして飛び散った雫が霧のようになっている」という意で、
常陸に赴任していた高橋虫麻呂は近郷の地へ赴き色々な伝説を集める傍ら
動物の生態などもしっかりと観察していたようです。

この歌について清少納言は枕草子31段「鳥は」で

「 鴨は羽の霜うち払ふらむと思ふにをかし 」と書いています。

( 鴨は古歌にあるように羽に置く霜を羽ばたきして自分で払っているのだろうと
思うと面白く思われます)

清少納言も万葉集を勉強していたのですね。

  
 「 降る雪に さめて羽ばたく鴨のあり 」加藤楸邨


わが国では古くから獣肉食は忌まれましたがカモやキジなど野鳥の肉は
愛好されたようです。
広野卓著  食の万葉集 (中公新書)によると 

『 平城京から出土した木簡に「鴨4羽百文」とあり、鴨1羽が25文で
  売買されている。
  100文で酒1石(筆者註180ℓ)買えたので、比較的高価である。
  カモやキジの肉は部位にもよるがニワトリに比べると脂質が6分の1で
  タンパク質は約1,5倍あるので、淡白な肉質が好まれたと考えられる。」
  そうです。

鴨の肉は鳥肉の中でも最上とされ、あらゆる料理に使われていますが、
蕎麦屋での定番は鴨南蛮。
南蛮とは何か?と 調べて見ると「日本葱(ネギ)」のことだそうです。
「日本葱」が「南蛮」とは如何に?
江戸時代、大阪の難波は葱の大産地だったそうで、
「たべもの語源辞典」(東京堂出版)によると、

『 切り餅にネギ、鶏肉、竹輪などを入れて鍋焼きにしたものを
難波餅といい、その難波(ナンバ)が訛って南蛮(ナンバン)になった。
また、日本に永住していた南蛮人が健康保持のために毎日葱を食べていたので
南蛮とよぶようになった』と解説されていますが今一つすっきりしません。

ともあれ、今日もまた無意識のうちに多くの人たちが「鴨南蛮一丁!」と
全国の蕎麦屋さんで注文されていることでしょう。

「鴨喰ふや 湖に生身の鴨のこゑ 」 森澄雄

「 番外編 」

鴨料理を殊の外好まれた池波正太郎氏は色々な場面で登場させていますが、
ご存じ「剣客商売」からの一コマです。

『 おはるの父親が持たせてよこした鴨の肉と見事な葱(ねぎ)を一束と
 芹と、手打ちの饂飩(うどん)を小兵衛の前にひろげ、

「お父つぁん今日はこれをとどけに来るつもりでいたんだとよ、先生」

「何よりのご馳走だ」

小兵衛はおはるに命じ、鉄鍋で葱と共に焼き、酒をふくませた醤油に付けて
食べることにした。
酒が出た。
秋山親子は悠々として鴨を食べ、酒を飲んでいる- -

酒の後は鴨飯である。
これはおはるが得意の料理で、鴨の肉を卸し、脂皮を煎じ、その湯で飯を炊き、
鴨肉はこそげてたたき、酒と醤油で味をつけこれに熱い飯にかけ
きざんだ芹をかけて出す。
それまで黙然としていた孫介老人もこの鴨飯には思わず舌つづみを打ち

「かようなものが、この世にござったのか- -」

驚きの声を発したのである。』
                         ( 辻斬り;老虎 新潮文庫より) 
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by uqrx74fd | 2012-01-22 08:12 | 動物

万葉集その三百五十四(笹)

( ササはやっぱりパンダ君  上野動物園 )
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( クマザサ 市川万葉植物園) 
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( 笹の群生 上野動物園 )
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( み湯立神事:奈良時代絵巻「おん祭り」の前の清め: 巫女が笹でたぎる釜から湯を振りまく。
  奈良の祭り: 野本暉房 東方出版 より )
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「ササ」はイネ科の竹亜科に属する植物でクマザサ、ミヤコザサ、ヤダケ、チマキザサ、
ネガマリダケなどがその仲間です。
竹の中でも比較的小さいものを「ササ」とよんでいますが、植物学的には
成長すると若い芽を包んでいる皮(稈鞘:かんしょう)が脱落するものを竹(マダケ、ハチク、孟宗竹)、
皮が枯れるまで付いているものがササとされています。

「笹」という字は葉の省略体である「世」に「竹」をのせたもので、風に吹かれた
葉の微妙な揺れや微かな音を「ささめく」、「ささやく」というところから竹の葉を
意識した国字だそうです。
また「ささ」は小さい、細かいという意味があり小竹とも書かれます。

「 小竹(ささ)の葉は み山もさやに乱(さや)げども
         我れは妹を思ふ 別れ来(き)ぬれば 」
                   巻2-133 柿本人麻呂


( 笹の葉は み山全体にさやさやとそよいでいるけれども
  私の耳にはその音も耳に入らない。
  別れきたばかりの愛しいあの子をただただ想うゆえに- -。)

現在の鳥取県西部、当時石見(いはみ)と呼ばれた地に官人として赴任していた作者が
任を終え都に戻る途中詠ったもので、恋の相手は現地妻、依羅娘子(よさみのおとめ)と
思われます。

再び会うことがない別れ。
見納めの山を後にして身を切られるような想い。
石見の海を遥かに眺めつつ妻の住むあたりを幾度か振り返り、ついには
視界を遮る神の山に対して「靡けこの山」(邪魔だ!動け!) と長歌で激しく詠う作者。
世に石見相聞歌として高い評価を受けている長短歌三首のうちの一です。

笹山が神の声を伝えるように揺れ動き、音を立てている。
古代の人たちにとって神は絶対的なものでした。
その神に対する恐れを物ともせず、愛する人との別れの悲しみを絶唱する人麻呂。
サ行の音の繰り返しが快く響く名歌です。

なお、「乱(さや)げども」を「乱(みだ)れども」と訓む説もあり、
「み山」の「み」は尊称で神が住むの意を含んでいます。

「 はなはだも 夜更けてな行き 道の辺(へ)の
    ゆ笹の上に 霜の降る夜を 」 
                      巻10-2336 作者未詳


( こんなにひどく夜が更けてから帰らないで下さい。
  道のほとりの笹の上に霜がしとどに置く寒い夜なのに )

寒夜に帰ろうとする男を引きとめようとする女。
「力感のある調べの中に女の真率な情がよく出ている」(伊藤博)一首です。

「ゆ笹」は「斎笹」で古代から「ササ」が神の拠りどころとして神事や神楽に
用いられていることを示しており、霜の白さと相まって清らかさを感じさせます。
また能の舞台でシテ(主役)がササを手にしていると、その人物が神憑りである
ことを象徴しているそうです。

「 笹の葉の さやぐ霜夜に 七重着(か)る
   衣に増せる 子ろが肌はも 」
            巻20-4431  防人の歌


( 笹の葉がそよぐこの寒い霜夜に七重も重ねて着る衣。
 その衣にもまさるあの子の肌よ。あぁ。一緒に寝たい!)

万葉集で詠われているササは五首。
そのうち四首が雪や霜と取り合わされており、冬の景物をされてきたようです。

「ササ」が風に吹かれさま「さやぐ」は視覚とともにに「サヤサヤ」という
軽快で爽やかな音感をもたらす効果があります。

よく使われる表現ですが下記は時代小説ながら格調高く書かれている一例です。

『 「 竹藪を渡ってくる風が何ともよい風情だ。 」
   武家は西日を浴びた丸窓を あごで指し示した。
   (料亭)折鶴が使う障子紙は、極上の美濃紙である。
   薄いながらも腰はすこぶる強い。
   その美濃紙の向こうから、強い西日が差している。
   陽は笹の葉を、影絵にして映し出していた。
    風が渡れば、笹がゆれる。
    揺れる葉は、葉ずれの音を立てている。
    西日が美濃紙に描く影絵は、笹ずれの音まで描き出しているかのようだ。 』
               ( 山本一力著 早刷り岩次郎  朝日文庫より)
     

「 短か日の 光つめたき笹の葉に
    雨さゐさゐと 降りいでにけり 」 北原白秋


ササの中でよく知られているのは「クマザサ」。
葉の縁が白いところからその名があり、よく「熊笹」と表記されますが本来は
「隈笹」とされるべきものです。

「 笹の葉に小路埋もれておもしろき 」 沾圃(せんぽ)
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by uqrx74fd | 2012-01-15 08:09 | 植物

万葉集その三百五十三(亀鳴く)

( 亀石 明日香にて)
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( ガラパゴスゾウガメ 上野動物園にて)
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( ニホンイシガメ  上野動物園にて )
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「 亀は万年 齡(よはひ)を経、鶴も千代をや重ぬらん
   - 丹頂の鶴も一千年の齢を君に授け奉り 」 (謡曲:鶴亀) 


亀は爬虫類カメ目の動物で、今から約2億年以上前に地球上に住んでいた恐竜と
同じ仲間とされ、長い年月の間に棲む場所に合わせて甲羅や足の形を変えてきたと
いわれています。
「ゴジラ」という映画に出てくる亀状の怪獣「ガメラ」もこのような背景から
着想を得たものなのでしょうか。
中國最古の古典「書経」によると、亀は神秘的な生き物なので宇宙の縮図とみなされ、
国家の大事を占う時には亀の甲を焼いて出来た裂け目から吉凶を判断していたそうです。

我国では鹿の肩骨を焼いて判断する「鹿占(しかうら)」が主流でしたが
亀占(きぼく)の法が中国から伝来すると、朝廷は神祇官に卜部20人を配置して
これに従事させたと伝えられ、また、民間でも亀による占が行われていたことが
次の歌から窺われます。

「 - - ちはやぶる 神にも な負(ほ)ほせ
  占部(うらへ)据ゑ 亀もな焼きそ - -」 
            巻16-3811 作者未詳 (長歌の一部)


( 私の恋煩いを荒ぶる神様のせいにしないで下さい。私自身から生じた病なのです。
 また、占い師などに頼み込んで亀の甲などを焼いて占ったりしないで下さい。
 もう死にゆく身なのですから。 )

な負(ほ)ほせ : 「な-せ(そ)」は禁止を表す 負ほす:「負わせる=せいにする」

詞書によると、
「 夫婦となって契った男が姿を消し、何年も便りをよこさないので
女は恋しさ余ってとうとう病になり、床に臥す身となった。
まわりの者が心配して夫を呼び寄せたが、もはや手遅れ。
女は涙を流しながらこの歌を口ずさんで死んだ」 とあります。

病床を見守る人たちは占い師に何を占ってもらおうとしたのでしょうか。
「もう何をしたって無駄です」と悲しみながらも甘えたい女心です。

「  -- 我が国は 常世にならむ 図(あや)負(お)へる くすしき亀も
 新代(あらたよ)と 泉の川に 持ち越せる  ―
              巻1-50    藤原宮の役民の作る歌 (長歌の一部)


 ( 「 我国は常世の国になるであろう」と瑞兆のしるしを背に負うた神秘の亀も
   「新しい良き御代である」と言って泉の川(木津川)に出る- )

 694年、飛鳥浄御原(あすかきよみはら)宮から大和三山に囲まれた藤原宮に
遷都が行われたとき、宮造営に奉仕した役民が作った歌とされています。

「常世」は不老不死の理想郷、
「図(あや)に負へる亀」は甲羅に瑞兆の模様を負う霊妙な亀のことで、
新しい時代の新都造営を寿いだ一首です。
ハイレベルの調べなので、実際には監督した官人が詠み、
「使役をしている民も喜んでいる」という形にしてお上にゴマをすったのかもしれません。

古代人に「奇しき」と詠まれた吉兆、長寿の象徴の亀は「玄武」ともいわれ、
北の方角の守り神として崇められ、その原型を明日香の高松塚壁画や亀石に
とどめています。
また、年号も「霊亀」「神亀」「宝亀」「元亀」と四例も使われているのです。

「 亀鳴くと 春は水より動きけり 」 小松崎爽青

「亀鳴く」は春の季語です。
そもそも鳴き声を出す動物には必ず発声器か共鳴器があり、亀には声帯も
鳴管もないので鳴くはずがありません。
ところが古の人たちは亀が鳴くと信じ、その鳴き声がお経を唱えているように
聞こえるとして「亀の看経」という有難い名前まで付けているのです。
これは一体どうしたことでしょうか?

村上鬼城 は 「亀鳴くと嘘をつきなる俳人よ」

菅 裸馬(らば) は 「 亀鳴いて 椿山荘に椿なし 」  
  

 ( 椿山荘と言うからには椿があふれてしかるべきなのに、
    椿がないと椿事だ。亀が鳴かないのと同じことではないか )

と大いに皮肉っていますが、「亀鳴く」という言葉の典拠は次の歌とされています。

「 川越の をちの田中の夕闇に
       何ぞときけば 亀の鳴くなり 」
                  藤原為家(定家の子) :夫木和歌集:ふぼくわかしゅう)


( 夕暮れの中、向こう遠くの田んぼで 何かの鳴き声がする。
 何かと尋ねてみると、亀が鳴いているのだという )

「をち」は遠近(おちこち)の「遠(おち)」
 
作者は何気ない気持ちで近くにいる百姓に「あれは何の声かのう」と
尋ねたところ「亀の鳴き声でございます」と真顔で答えたのでしょう。
聞いた本人も亀が鳴かないとは夢にも思わなかったのでは?

それを真に受けた後代の歌人や俳人は「これは面白い」と多くの歌句に詠み、
空想の世界の産物である「亀鳴く」は今や堂々と季語集にまで載せられているのです。

諧謔と、いささかの滑稽味。
ほんのりとした温かさが感じられる日本人の感性です。

 「 何ぞもと のぞき見しかば 弟妹(いろと)らは
      亀に酒をば飲ませてゐたり 」     斎藤茂吉


亀さんは酒が大好き。これは作り話ではなく本当のことだそうです。

( 亀の親子    三溪園にて )
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by uqrx74fd | 2012-01-08 08:19 | 動物

万葉集その三百五十二(鶴の舞)

(タンチョウのタンゴ)  学友M.i さん提供(ブログ;昨日今日明日運用中)
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( タンチョウのワルツ)  同上
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( 凍鶴 )   学友M.i さん提供
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「 空といふ自由鶴舞ひやまざるは 」  稲畑汀子

『 鶴は古くからめでたい鳥とされてきた。
  特に私が50年ものあいだ関わってきたタンチョウ、
  一般的には「丹頂鶴」といわれるこの鳥は、スマートな体が白い羽に覆われ、
  頭頂部が赤く首や尾などに黒が配色され、優雅でどことなく清楚な雰囲気を
  漂わせている。
  そんな見た目にも瑞鳥というイメージにぴったりだったのだろう。 』
  
    ( 高橋良治 釧路市丹頂鶴自然公園名誉園長:鶴になった老人 角川書店より)

高橋氏は世界で初めて丹頂鶴の人工ふ化に成功された方で、その長年の苦労を
上記著書で語られています。そのご教示によると、

 「 鶴は一度契りを結ぶと一生浮気をしないで添い遂げるといわれているが、
   求婚前の鶴は雄争奪を巡って雌同士激しく戦う。
  自分の縄張りの中に他の雌が侵入してくると、追い出しにかかるが
  戦いがが不利になると高い声を出して雄を呼ぶ。
  その声はその日の天候、湿度などによっても違うが、最大半径6㎞までとどく。

  そして、助けに現れた雄が相手を追っ払ってくれると求愛の候補者として認定し、
  それから求愛行動、つまりダンスと鳴き合いが始まる。
  翼を広げて飛び跳ねたり、気取った様子で歩いたり、くちばしを空に
  突き上げたり、草などをついばんで放り投げたり。互いにくちばしを上に
  突き上げて鳴き交わす。」 のだそうです。

「 青天のどこか破れて鶴鳴けり 」 福永耕二

古代、「たづ」とよばれた鶴は、その姿が美しい上、夫婦仲がよく子を可愛がる
長寿の鳥として人々に好まれ、万葉集では45首詠われています。


「 桜田へ鶴(たづ)鳴きわたる 年魚千潟(あゆちがた)
        潮干(しほひ)にけらし 鶴鳴きわたる 」 
                       巻 3-271  高市黒人


( 桜田の方へ鶴が群れ鳴きわたって行く。
 年魚干潟の潮が引いたらしい。
 あれ、ずっと鶴が鳴きわたって行くよ。 )

「桜田」は現在の名古屋市南区桜田町、 「年魚千潟」は名古屋市熱田区および
南区あたりとされています。

千潟の方へ餌を求めて群れをなして飛び立っていく鶴。
その鳴き声は高く、大きい。
躍動するような情景です。
日本画で描かれる鶴は1~2羽のものが多く、静かなイメージを持っていますが、
実際には集団で行動し、その羽ばたきと鳴き声の連呼は賑々しく、
それほど優雅なものではないようです。
やはり野生に生きる猛々しい本能というべきものでしょうか。


「 妹に恋ひ 和歌の松原みわたせば
         潮干(しほひ)の潟に 鶴(たづ)鳴きわたる 」
                聖武天皇 新古今和歌集897


( 旅にあって急に都に残してきた妻が恋しくなってきた。
 向こうの和歌の松原を見渡すと、あぁ、潮が干(ひ)いた潟へ向かって
 鶴が鳴きながら飛びわたってゆくよ )

「聖武天皇伊勢行幸のおりの詠で「和歌の松原」は歌枕。
地名の「和歌浦(伊勢)」と歌の「和歌」を掛けています。

高市黒人の歌を本歌取りにしたものですが、天皇の実作かどうかは不明です。

「 難波潟 潮干に立ちて 見わたせば
        淡路の島に 鶴渡る見ゆ 」  
                      巻7-1160 作者未詳


( 難波潟 その潮が引いた千潟に立って見わたすと
  淡路の島の彼方に向かって鶴が鳴きわたってゆく  )

伊勢、難波、淡路で詠われた鶴。
当時は全国各地で見られたようですが明治時代の乱獲がたたり、現在では
鹿児島県出水地方、山口県八代、北海道釧路原野でしかお目にかかることが出来なく
なってしまいました。
釧路原野の丹頂は留鳥で多くの人の努力により現在1000羽以上に増えているのは
嬉しいことです。

「 凍鶴(いてづる)が 羽ひろげたる めでたさよ 」 阿波野青畝

雪ふりしきる中の鶴は頸をまげて頭を翼深く隠し、一本足で立って身じろぎもしません。
物音にもあまり驚かず、一歩二歩あるいてもまたもとの静寂の姿にもどる。
まわりの景色と共に凍ってしまったように見えた凍鶴が突然両翼を大きく広げた。
それは、あたかも新しい年を祝福しているかのようです。

「 この国に よき名を負ひて生まれこし
       よき子を守れ 白妙の鶴 」  太田水穂


  「夜の鶴」。巣ごもる鶴は自分の翼で子を寒さや敵から守ります。
  子を思う親の愛情の言葉として人間にも当てはまる諺です。

(タンチョウの親子 )  学友M。Iさん提供 
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ご参考:鶴については下記にも記事があります。
「 その四十二 夜の鶴」 
「 その百四十二 鶴鳴きわたる 」    (カテゴリ-:共に動物 )
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by uqrx74fd | 2012-01-02 11:00 | 動物