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万葉集その三百六十九 (つつじ花 にほえ乙女)

( 桜花 栄え乙女 新宿御苑の八重桜 )
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( つつじ花 にほえ乙女  笠間にて )
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 ( 新宿御苑 )
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( 同上 )
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( 奈良 二月堂近辺 )
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『 つつじが咲くと初夏を感じる。
  庭には小ぶりな赤色の花と、紅むらさきの中型と、やや大きい紅白の絞りのつつじが咲く。
  誰がいつ植えてくれたのか思い出すこともできないまで、すっかり庭に馴染んで、
  定番の季節の花になっている。
  つつじが咲くと、そのほとりにしゃがんで、「つつじ花 匂え乙女」と囁いてやる。
  花も私もちょっとうれしい。
  「万葉集」の昔から、それは「さくら花 栄え乙女」と一対に賞(め)でられてきた
  花乙女なのだ。』
                  ( 馬場あき子 花のうた紀行 新書館より)

「 物思(ものも)はず 道行く行くも 
  青山を 振り放(さ)け見れば
  つつじ花  にほえ娘子(をとめ)  
  桜花(さくらばな)  栄え娘子
  汝(な)れをぞも  我れに寄すといふ  
  我れをぞも  汝れに寄すといふ
  汝はいかに思ふ

  思へこそ 年の八年(やとせ)を 
  切り髪の よち子を過ぎ 
  橘の ほつ枝(え)をすぐり 
  この川の 下にも長く
  汝が心待て 」
           巻13-3309 柿本人麻呂歌集 (一部既出)

(訳文)
( 男: 
  「何の物思いもせずに道を行きながら、
  緑したたり茂る山を振り仰いでみると、
  目に入るのは色美しいつつじ花 その花のように匂ひやかな乙女よ、
  咲き誇っている桜花、 その花のように照り輝く乙女よ、
  そんなお前さんを世間では私といい仲だと噂しているようだ、
  そんな私をお前さんといい仲だと噂しているそうだ。
  当のおまえさんはどう思っているかね。 」
(女: 
  「憎からず思っているからこそ、この長い年月を、
  あの切り髪の年ごろを過ごし、同じ年頃の子よりも背丈が伸び
  橘の枝先を越えるようになった今の今まで、
  この川の底よりも深く、心の奥で長い間
  お前さんの気持ちが私のほうに向くまで待っていたのに。 」 )

(語句解釈) 

「物思はず」無心に 
「道行く行くも」道を行きながら
「寄す」 心を寄せていると人が噂する
「思へこそ」 貴方を想えばこそ
「切り髪」 肩のあたりで切りそろえる少女の髪型
「よち子」原文「吾同子」 自分と同じ年頃の若い子 
「ほつ枝」 秀(ほ)つ枝 枝振りがよい 
「すぐり」 過ぐり 背丈が枝を超え

この歌は問答歌とされており、「汝はいかに思ふ」までが男の問いかけ
「思へこそ」からは「このようなことを今さら聞くのは心外だ」という
気持ちがこもる乙女の答えです。
また、男の歌の「山」に対して女は「川」となっており、
「人麻呂の表現に多い対句(伊藤博)」とも指摘されています。

今日、「匂う」という動詞は嗅覚に関する語として用いられていますが、元々は
内面の奥に隠れているものが何かに触発されて表面に美しく映え出たさまをいいました。
その語源は「丹」(に)「穂」(ほ:秀)「生」(ふ)で、鉄分を含む丹土が高熱で焼かれて
鮮やかな朱色に変身することにあるとされています。
赤や紫の美を讃える以外に「白妙に にほふ」と白色を賛美する表現もあり、
女性の美しさ、衣装、自然、季節の花々などあらゆるものを褒め称える言葉として
万葉集で75例もみられる慣用句です。

また、娘子(おとめ)は原文で「遥越賣」となっていますが、一般的には
「未通女」と表示されることが多く、清純な処女を暗示しています。

「 つつじ花 にほえ娘子(をとめ) 」

犬養孝氏は 「ツツジのように美しいおとめではなく、つつじの花の美が、
そのまま、かぐわしいおとめの美とかさなっているのだ」(万葉12か月 新潮社) 
と述べておられます。
まさに瑞々しく、輝くような美貌の乙女が彷彿される一首であり、調べ美しく
多くの人たちに歌い継がれたことでありましょう。

 「 吾子(あこ)の瞳(め)に 緋つつじ宿る むらさきに」 中村草田男


( 新宿御苑 )
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by uqrx74fd | 2012-04-28 18:18 | 心象

万葉集その三百六十八(谷ぐく=ヒキガエル)

( 吉野山の薬屋で)
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( 鏡背にみる月の世界 中央に蛙  中西進 古代日本人・心の宇宙 NHKライブラリー)
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( 山の辺の道  玄賓庵にて)
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( 自来也 yahoo画像検索より )
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「谷ぐく」とはヒキガエル、いわゆるガマの古名で、「谷間を潜(くく)り渡る」
あるいは「谷間の陰湿地に住んでククと鳴く」ことに由来するとも言われています。
早春の2月頃、冬眠から覚めて交尾し、ひも状の寒天のような卵塊を生んだ後、
再び冬眠に入り初夏にモコモコと地上に出てきますが、昼間は土石の中に隠れ、
夜になると食用の昆虫などを求めて活動し、中には鼠を捕食する大きなものも
いるそうです。

そのユーモラスな表情の中に王者の風格さえ感じられ、万葉集では深い意味をもつ
両生類として長歌二首に登場しています。

「 -  この照らす 日月の下は 
  天雲(あまぐも)の 向伏す(むかぶす)極み 
  谷ぐくの さ渡る極み きこしをす 国のまほらぞ - 」
             巻5-800 (長歌の一部) 山上憶良


( - この月日を照らす下は
  天雲のたなびく果て 
  蟇(ひきがえる)の這い回る果てまで
  大君が治められている 秀(すぐ)れた国なのだ - ) (5-800)

「きこしをす」 は「きこしめす」でお治めになる。
この歌は父母に孝養を尽くすことを忘れ妻子まで捨てて、自ら「世俗に背く先生」と
称して山野を浮浪している民に反省を求めた歌です。
当時、そのような人が多く社会問題になっていたらしく、この歌に続く短歌で
「 天への道のりは遠いのだ。
  私のいう道理を認めて、素直に帰り家業に励め」と
  聖の真似事などせず、普段の生活に戻れと諭しています。

「 - 山彦の 答へむ極み 
    谷ぐくの  さ渡る極み
    国形(くにかた)を 見したまひて 
    冬こもり 春さりゆかば 
    飛ぶ鳥の  早く来まさね  」
                      巻6-971 (長歌の一部) 高橋虫麻呂


( - 山彦のこだまするかぎり
   ヒキガエルの這い廻るかぎり
   国のありさまをご覧になって
   冬木が芽吹く春になったら
   空飛ぶ鳥のように 早くお帰り下さい。 ) (6-971)

藤原宇合が対馬、壱岐を含む九州全土の軍事を監督する「西海節度使」に
任じられた時の送別歌です。

憶良の歌共々「谷ぐくのさ渡るきわみ」すなわち「ヒキガエルが地上を這い渡って
行く隅々まで」と、空間のこの上ない広さを示す表現が使われていますが、
鈍重なヒキガエルがなぜそのように詠われたのか? 
さらに「さ渡る」と神聖を表す「さ」という敬称がなぜ用いられたのでしょうか?

伊藤博氏は友人の話として
『 ヒキガエルは一定の個所に棲息していて、そこを基地にしつつ、谷から谷へ、
  野から野へ、ほとんど現在いう一郡程度の広範囲を這い回る習性を持つと
  いうのである。
  幼年時代、大きなガマガエルに赤い紐をつけて放置しておいたら2,3日後
  2㎞離れた村はずれで奇しくも再会した。
  しかしそれにしても,油の筋を地上につけて谷グクのノタウチが一郡に及ぶとは
  つゆ知らぬことであった。
  万葉びとは一体どのようにして谷グクの生態を知ったのであろうか。
  万葉びとの物を見る眼の深さや確かさに、今さらながら驚嘆せずにはいられない 』
と述べておられます。  (万葉のいのち はなわ新書より要約 )

今一つの「さ」という敬称です。
中西進氏は
『 冬眠してまた姿をあらわすことは、死と再生の実修者としてイメージされたらしい。
  そもそもヒキともガマともよぶこの動物は和名がヒキ、漢名がガマで、ヒキとは
  日招(お)き、つまり太陽を招く動物だと考えられた名前である。
  それも太陽の力が 強くなる春に地上に姿をあらわすから、逆にヒキの力によって
  太陽が復活すると考えたのであろう。 (万葉時代の日本人 潮出版社) 』

いささか強引な説ですが下記の話は説得力があります。

 『 中国の伝説だが、月の世界を描いた鏡の裏の中央に蛙、右上に桂の木、
   右下は杵で薬をねっているウサギ、左上は天女に桃、左下の池に2匹の蛙
   こうした図像はすべて不老不死をかたどったもので、もちろん月が死と生を
   繰り返すからです。
  その中の一つとして登場するのがカエルですから、やはりカエルの性格の中心が
  死と再生-冬眠にあったことになります。 (添付写真ご参照) 』
                   ( 古代日本人 心の宇宙 NHKライブラリーより要約 )

上記の話をまとめると、古代の人はヒキガエルが広範囲に這い回って活動していることを
子細に観察した上、冬眠を生命の再生、すなわち神のなせる業と考え
「谷ぐくの さ渡る極み」と表現したのです。

たった一行の歌の中にも古代人の限りなく厚い信仰と鋭い洞察力が込められている一例です。

「見る限り 青野ゆたかに起き伏せば
    水の中にて ひきがへる鳴く 」 斎藤茂吉


 「 ヒキガエルは大型で長い舌端を飛ばせてかなり離れた位置にいる昆虫などを
  捕食するため、引きよせるものとして「引き」とよばれたという。
  動作は鈍重で姿が醜怪な上に、背にある疣(いぼ)から有毒な粘液を分泌し、
  これを捕食しょうとする蛇、イタチ、猫などを撃退する。
  これを神秘とする人間が、ガマとよんで怪物の一つと考えるようになり、
  近世の怪談や小説にも取り入れられるようになった。
  その分泌液からは心臓の作用を刺激強化する蟾酥(せんそ)という白色の薬品が製される。
  これを主成分とするのが俗にいう「ガマの油」で切傷や腫れ物に
  効ありとされる漢方薬である。
  その路傍における効能の口上は大道芸の一つとして、江戸時代から
  明治大正期までよく耳にするものであった。」 
                      ( 角海 武 万葉の動物に寄せて 自家出版)

ガマの呼称は想像上の怪物。
歌舞伎などで自来也(児来也)が上演され、宮沢賢治は詩を作り、小説でも
「かえるくん東京をすくう」(村上春樹著 神の子どのたちはみな踊る所収 新潮文庫) 、
さらに、忍者コミックなどにも登場する人気者です。

「 雲を吐く 口つきしたり 引蟇(ひきがへる) 」  一茶

番外編

「 宮沢賢治 蛙のゴム靴 」(一部抜粋)

『 一体蛙どもは、みんな、夏の雲の峰を見ることが大すきです。- -
  眺めても眺めても厭(あ)きないのです。
  そのわけは雲のみねといふものは、どこか蛙の頭の形に肖(に)てゐますし、
  それから春の蛙の卵に似てゐます。
  それで日本人ならば、丁度花見とか月見とかいふ処を、蛙どもは雲見をやります。

  「 どうも実に立派だね。だんだんペネタ形になるね。」
  「うん。 うすい金色だね。 永遠の命を思はせるね。」
  「実に僕たちの理想だね。」

  雲のみねはだんだんペネタ形になって参りました。
  ペネタ形といふのは、蛙どもでは大へん高尚なものになってゐます。
  平たいことなのです。 』
( 吉野山にて )
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by uqrx74fd | 2012-04-22 08:28 | 動物

万葉集その三百六十七(枳殻:カラタチ)

( カラタチの刺  市川万葉植物園 )
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( カラタチの花  yahoo画像検索より )
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( 同上 )
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( カラタチの実  同上 )
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「 からたちの 固くかぐろき刺(とげ)の根に
    黄色の芽あり 春たけにけり 」  木下利玄

                      (かぐろき=か黒き 「か」は接頭語)

カラタチは「唐橘:カラタチバナ」の略称でミカン科カラタチ属の落葉低木です。
8世紀ごろ遣唐使が中国から薬用として持ち帰ったものといわれており、
我国に自生する橘とは別種のものとされています。

春になると、葉に先立って直径3㎝位の白い花を開いて芳しい香りを漂わせ、
新緑の初夏にはアゲハチョウ類が産卵のために葉を求めて集まります。
花後、緑色の円い果実をつけて秋には黄色く熟しますが、酸味が強く種子が多いため
食用にはなりません。
漢方では未熟果を輪切りにして乾燥したものを枳実(きじつ)といい、健胃、整腸、
利尿などに用いているそうです。
また古くから枝や棘を活用して生垣に、近年ではミカン類の台木として重要な役割を
担っています。

万葉集でのカラタチは一首しかありませんが、それも極めて特異な歌です。

「 からたちの 茨(うばら)刈り除(そ)け 倉立てむ
    屎(くそ)遠くまれ 櫛(くし)つくる刀自(とじ) 」
              巻16-3832  忌部首(いむべのおびと)


( 櫛作りのおばさんよ、俺様はこれからカラタチの茨を取り除いて、そこに
 倉を建てようと思っているんだよ。
 だからさぁ、屎は遠くでやってくれよな 。)

まぁなんと!万葉集に屎(くそ)と言う上品なからざる言葉が飛び出してきました。
この歌は倉つくりに従事している下級官人が夜の宴会で数種の物の名前を歌に
詠みこめと催促され「カラタチ」「茨」「倉」「屎」「櫛」を詠みこんだ
「物名歌」といわれるものです。

指名された人は即座にひらめく機知とアッと驚かせる意外性が要求されます。
とはいえ、宴席の人々もさすがに「屎」には驚き、呆れたことでしょう。

当時、外で作業中に尿意を催したときは、辺りかまわず穴を掘って
用を足していたのですねぇ。

「屎遠くまれ」の「まれ」は排泄を意味する「まる」の命令形、
「刀自(とじ)」は一家の主婦の尊称ですがここではわざと敬語を使って
相手をからかっています。
さらに、カラタチの「ラ」うばらの「ラ」、くらの「ラ」と「ラ音」を続け、
「ク」の音も クラ、クソ、クシと揃えています。

即興でこのような歌を詠めるのは並大抵の才能ではありません。
このような歌が後々の俳諧、川柳、狂歌へと発展していったのでしようか。

古代、カラタチはその鋭い刺ゆえか人々に忌まれた植物でした。

「枕草子」133段「名恐ろしきもの」に

「 いかずち(雷)  はやち(暴風) おほかみ(狼) ろう(牢) いきすだま(生霊) 
    いりずみ(刑罰の入れ墨) むばら(茨) からたち(枳殻) 」


などとあるように人を寄せ付けない親しみにくい存在とされていました。

その傾向は平安時代から江戸時代まで続き、蕪村は
「からたちになりても花の匂ふなり」と詠んでいます。

この句はかって宮中の女官第1位にあった長橋という女性を
「さすがにそういう人は落ちぶれても立派で美しい」と詠っているのです。

「からたちになっても芳しい香を漂わせている」「腐っても鯛」という意で、
決して良い意味で引用されていません。

  その悪い印象を完全に払拭したのが北原白秋の「カラタチの花」 。

「 からたちの花が咲いたよ
  白い白い花が咲いたよ

  からたちのとげはいたいよ
 青い青いとげだよ 
 
  からたちは畑(はた)の垣根よ
  いつもいつもとほる道だよ

  からたちは秋はみのるよ
  まろいまろい金のたまだよ 」 


1924年に発表され、翌年山田耕作が作曲、 藤原義江が帝国劇場の舞台で独唱して
以来全国に知られるようになり、その美しいメロディーによってカラタチは
好ましい印象の花に変身したのです。

「 からたちの つぼみひそかに ほぐれ初む 」 清風郎

「エピローグ」

『 数年前、奈良の佐保路を散策していたとき、法華寺の白い築地塀の外側に
  さらに からたちの生垣が百メートル近く続いていたのが印象的であった。
  法華寺は、平城京にあった藤原不比等の邸宅に、
  娘の安宿姫(あすかべひめ:光明皇后) が母の橘三千代のために創建し
  「総国分尼寺」ともなった尼寺である。

  もっとも、この寺のからたちの生垣が創建の奈良時代からのものとは思わない。
  母の「県犬飼美千代」の姓の一字「橘」は後に賜姓されたものである。
  「からたち」すなわち「唐橘」の「橘」が何かしらそんなことに
  かかわりのあるものとして、後世の人たちがからたちの生垣を作ったのだろうと
  考えながら、おりからの小雨に濡れる白い花に目を落としていた。』

                (荒木靖生 万葉歌の世界より 海鳥社)

    「雨細く からたち咲きぬ 昨日より 」 岸風三楼
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by uqrx74fd | 2012-04-14 17:42 | 植物

万葉集その三百六十六(桜と蘭蕙:らんけい)

( 又兵衛桜  奈良)
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( 千鳥ケ淵 )
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( 同上 )
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( 千鳥ケ淵 )
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747年のことです。
大伴家持は前年暮れの風邪をこじらせたのか肺炎らしき病にかかり2カ月以上も
床に臥すという長患いになってしまいました。
一時は死をも覚悟したようですが何とか持ち直し、回復に向かった2月の終わり、
現在の4月の初めのころでしょうか、歌友の大伴池主に見舞いの礼状と歌を送ります。

漢文で書かれた文の大意は次の通りです。

「 思いもよらない邪(よこしま)な病に取りつかれて寝込み、数十日も苦しみました。
  ありとあらゆる神々に祈りを捧げてお縋(すが)りし、ようやく小康を得ましたが、
  まだ体は痛み疲れており一向に力が入りません。
  そのような次第でお見舞いのお礼にも伺うことが出来ずにいますが、
  お目にかかりたい気持ちで一杯です。
  今しも時は春、花は馥郁とした香りを苑に漂わせ、鶯は高らかなる声を林に
  響かせています。
  このような時候に琴や酒樽を傍らに置いて興を尽くしたい気持ちがはやるばかり
  ですがまだ出かける労に耐えることができません。
  よって拙い歌をお送りいたします。」

「 春の花 今は盛りに にほふらむ
    折りてかざさむ 手力(たぢから)もがも 」
                     巻17-3965 大伴家持


( 春の花 今や盛りにと咲いていることでしょう。
 手折って挿頭(かざし)にできる手力があったらよいのに )

手紙と歌を受け取った池主は早速返書と歌を届けます。

「 はからずもありがたいお便りかたじけなくいただきました。
  お筆の冴えは雲を凌ぐばかりに見事で、声に出して吟じたりしてそのたびに
  お慕わしい思いをまぎらわしています。
  春は楽しむべき季節、中でも3月の季節は最も心が惹かれます。
  紅の桃は輝くばかり、浮かれ蝶は花から花へと舞いまわり、緑の柳はなよなよと、
  可憐な鶯は喜々として葉に隠れて囀っています。
  それなのに蘭と蕙そのままの二人の交わりが隔てられて琴も酒も用がないなどと
  いう事になろうとは。
  あたらこの好季節をやり過ごしてしまうとはまことに恨めしいことです。」

「 山峡(やまがひ)に 咲ける桜をただ一目
    君に見せてば 何をか思はむ 」 
                     巻17-3967 大伴池主


( 山あいに咲いている桜、その桜を一目だけでもあなたにお見せできたら
 なんの心残りがありましょう )

風雅な文のやり取りですが文中の蘭(らん)、蕙(けい)とは「シュンラン:春蘭」と
「シラン:紫蘭」ことです。
原文では
「蘭蕙(らんけい)藂(くさむら)を隔て、琴罇(きんそん)用いるところなからむとは」と
なっており、通常は君子賢人に譬えられる表現ですが、ここでは二人の親しい
交わりをいい
「お互いに逢えないので琴も酒も用いることなくいたずらに時を過ごして」の意です。

紫蘭は本州中南部、四国、九州の日当たりの良い、湿った岩上や湿原に自生する
多年草で栽培もされています。
春から初夏にかけて紅紫色の花を咲かせますが、稀に白花のものもあり
これを特にシロバナシランというそうです。

以下は「 柳 宗民著 日本の花」からの要約抜粋です。
 
『 わが国にはランの野生種が大変多い。
中でもシュンランやエビネ、フウラン、セッコクは東洋蘭の一員として
園芸化されて人気が高く、高級品扱いされることが多いが、日本の野性ランの中で
紫紅色のその花がもっとも目立ち、美しいのがこのシランであろう。
他のランは高級品扱いされるが、シランだけはポピユラーな宿根草花として
庭植えや切り花にされて楽しまれてきた。
性質が強く庭植えでよく育つためだろうか。
宿根草として扱われるが、元来は球根植物で地下に扁球状の球根があり、
その球根は白及根(はくきゅうこん)と称し薬用(筆者註:吐血など)に使われるほか、
含まれる澱粉を糊としても用いられた。

シランとは紫蘭の意で、その花色が紫色であることから付けられた名というが、
一名ベニランともいう。
これは紅蘭という事で花色が紅色であるからということらしいが、サテこの花は
紫なのか紅なのか?
じつはその中間の紫紅色なのである。 』 (ちくま新書)

「 うしろ向き 雀紫蘭の蔭に居り
         ややに射し入る 朝日の光 」 北原白秋
                     
                        (やや:少し)
 
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by uqrx74fd | 2012-04-09 08:25 | 植物

万葉集その三百六十五(春の夜の夢)

 〈 北鎌倉:明月院 にて)
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( 河津桜と菜の花  :伊豆)
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( 梅花粧:ばいかそう 鎌倉秀雄 万葉日本画の世界 奈良県立万葉文化館より)
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 (  桃の花:古河 ) 
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( 山吹の花  北鎌倉 明月院 )
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「目に見えね 色をも知れず春の夜や
    ただ何んとなき 我がこころ哉 」
 ( 山田耕作:春の夜の夢 : 楽譜は失われている)

春の夜は目覚めても床離れしがたく、怠惰と愉悦が同居した何とも云えない幸せを
感じるいっときです。
「春眠暁を覚えず」 (孟浩然) 」の中で見る夢は甘美で艶めかしいもの。
古代の人たちもそれぞれの夢を楽しんだことでありましょう。

「 梅の花 夢に語らく みやびたる
        花と我れ思(も)ふ 酒に浮かべこそ 」
                   巻5-852 大伴旅人


( 夢の中に梅の花の精が出て参りました。
 そして私にこのように語ったのです。
 「 私は風雅な花だと自負しております。
   咲いた花は散るのが定め。
   ならばせめてあなた様の酒杯に浮かべて戴けませんでしょうか 」 )

730年大宰府長官大伴旅人宅で観梅会が催され、集う官人たちが32首の歌を
詠み競った後、その余韻がなお冷めやらぬ気持ちで追加して詠われたものです。
酒杯に梅の花を浮かべるという雅やかな趣向が夢の中の梅花の言葉に仕立てられ
後の歌に大きな影響を与えた一首です。

酒と梅をこよなく愛した風流人旅人の暖かい心が感じられると共に、
その幻想的な詠いぶりは能の世界を思わせます。
なおこの歌には 
「梅の花 夢に語らくいたづらに
          我を散らすな酒に 浮かべこそ」 
                            とも付記されています。

「 山吹の にほえる妹が はねず色の
     赤裳(あかも)の姿 夢(いめ)に見えつつ 」
                        巻11-2786  作者未詳 (既出)


( 咲きにおう山吹の花のようにあでやかな乙女
 その美しい子がはねず色の裳を付けて夢の中に現れたよ。
 きっと彼女は俺のことを想っていてくれているのだなぁ )

古代では相手が自分を想ってくれていると夢の中に現れると信じられていました。
片思いでは夢にも出てこないのです。
作者は黄色とピンク色に囲まれた美しい夢の世界で陶然と乙女を抱きしめながら
「 春宵(しゅんしょう)一刻 値千金 (蘇東坡)」、至福の時をすごしたことでしょう。

「蛙の目借り時」という言葉があります。
あまり聞きなれない言葉ですが榎本好宏氏は以下のように解説されています。

『 晩春の頃になると、どうにも我慢ならないほどの眠気を催すことがあります。
そんな時、夜が短くなったと言えば無粋ですが、蛙が目を借りに来たと言えば
微苦笑も出るものです。
苗代の出来る頃の蛙の声を聞いているとつい眠くなりますが、
これは蛙に目を借りられるからだとして出来た春の季語です。
ところが、目借時は、蛙が異性を求める時期ですから、妻(め)狩り時、
または女(め)狩り時だとする説もあります。』 「季語語源成り立ち辞典(平凡社)」

やはり、春は恋の季節なのです。

「 春の夜の 夢ばかりなる 手枕(たまくら)に
    かひなく立たむ 名こそ惜しけれ 」
        周防内侍(すほうのないし) 千載和歌集、百人一首


( 春の夜の短い夢。そんなはかない浮気心に気をゆるし
 あなたさまの捥(かいな)を手枕にしたりすれば、
 きっとありもせぬ浮名が立つことでしょう。
 せっかくのおぼしめしはありがたいのですが残念なことでございます )

詞書によると、ある二月、現在の三月の終わりでしょうか。
月の明るい夜、二条院で大勢の人々が寝ずに夜明かしして話などしていたところ、
作者が物に寄りかかって「枕がほしいものです」とそっと言うのを聞いて
大納言藤原忠家(俊成の祖父)が「これを枕に」といって腕を御簾(みす)の下から
差し入れてきたので詠んだ歌とされています。

「かひなをさしいれる」「かひなを交わす」という言葉には「共寝する」と
意味があり、たとえ戯れにしても腕を差し入れてきたので、それを素早く受け止めて
「腕(かいな)く」「甲斐なく」と詠みこみ、さらに「春の夜」「夢」「手枕」と、
はかなくも甘美な趣の歌に仕上げ、やんわりと男の誘いを断った機知ある一首です。

「 枕だに 知らねばいはじ 見しままに
    君かたるなよ 春の夜の夢 」 
                          和泉式部 新古今和歌集


( 枕ですら二人の恋は知らないのだから人には告げることはしないでしょう。
  だから決して人におっしゃったりしないで下さい。
  この春の一夜、共に見た夢のような逢瀬を )

作者によると、思いもかけずに恋に陥った相手に贈った一首だそうですが、
堀口大学氏は下記のような解説をされています。

『 実に視覚的なエロティックな歌ですね。
  枕というものは見たことを人に話すと言われているのね。
  その枕さえ見ないことは言わないのだから、「君語るな春の夜の夢」と
  ぼかしてあるが、「見しままに」とは式部が男に何を見られてしまったことか、
  想像できるでしょう。
  枕は上の方にあるから、下の方までみてないということだ。 』

        ( 日本の鶯-堀口大学聞き書き 関容子 岩波現代文庫 )

慶応大学での講義、艶やかな堀口節です。
さぞ名物教授だったことでしょう。

「 およしよと いはず小声で 春の夜の 」 (俳風柳樽)



             no.365 (春の夜の夢)終わり
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by uqrx74fd | 2012-04-01 00:00 | 生活