<   2012年 05月 ( 4 )   > この月の画像一覧

万葉集その三百七十三(藤波)

(奈良万葉植物園)
b0162728_9101435.jpg

( 同上 )
b0162728_9104626.jpg

( 同上)
b0162728_9111063.jpg

( 笠間にて )
b0162728_9113439.jpg


「 藤浪や 峰吹きおろす 松の風 」 村上鬼城

藤波-なんという美しい言葉なのでしょう。
この二字に雅やかな情景のすべてを凝縮した万葉人の恐るべき造語力です。

藤が群がり咲き、ふさふさと垂れ下がって風に揺れている。
それはまるで寄せては返す波のよう。

「 若葉まじり 群がり咲ける白藤の
     花の乱れの 日に静かなり 」 窪田空穂


750年 越中に赴任していた大伴家持は配下の官人たちを引き連れて布勢の
水海(みずうみ)に遊びました。
氷見市の十二町潟を北端にし周囲20㎞もあったと想像される広大な湖です。
各々乗馬で高岡市伏木の国府を出発、海辺から立山の景勝を楽しみながら北上し
やがて船に乗り換えます。
漕ぎ行く行くに、多胡(下田子)の入江あたりで藤の群落が。
船を寄せると新緑の中、見事に列なった藤の花房が風にゆらりゆらりと靡いている。
あまりの美しさに一同思わず嘆声をあげ家持が詠いだします。

「 藤波の 影なす海の 底清み 
    沈く(しづく)石をも 玉とぞ我(あ)が見る 」
                   巻19の4199 大伴家持(既出)


( 花房を風に靡かせている藤の花の美しいこと。
 それが鏡のような水面に映っているのもまた素晴らしい。
 澄み切った水底に沈んでいる石までも藤色の宝石のように輝いていることよ )

次々と歌い継ぐ官人たち。

「 多祜(たこ)の浦の 底さへにほふ 藤波を
    かざして行かむ 見ぬ人のため 」
              巻19-4200 内蔵忌寸縄麻呂(くらのいみきつなまろ)


( 多祜の浦の 水底さえ照り輝くばかりの藤の花房
 まだ見たことがない人のため この花房を挿していこう )

さざ波のように華やいでいる山藤。
空の青、山の緑、藤の紫と白、そして海のエメラルドグリーン。
幾重にも重なり合う夢のような色彩の世界です。
その中に浮かぶ愛する人の面影。
その人のために一折、手土産にかざして行こうというのです。

「 いささかに 思ひて来しを 多祜(たこ)の浦に
       咲ける藤見て 一夜経(へ)ぬべし 」 
                  巻19-4201 久米広縄


( ほんのかりそめのつもりでやって来たのに多祜の浦に咲き映えている藤を
 見ていると一夜過ごしてしまいそうだ。)

泊りがけになりそうだと、喜び、はしゃいでいる作者。

「 藤波の 花の盛りに かくしこそ
    浦漕ぎ廻(み)つつ 年に偲(しの)はめ 」
            巻19-4188  大伴家持

( 今は藤の花房が真っ盛り。
 この素晴らしい光景を来年も、再来年もこのように浦から浦へと漕ぎめぐって 
 愛で続けましょう。)

水鳥が気持ちよさそうに泳ぎ、ホトトギスが鳴く。
靡く藤の波。水底に映える月と篝火の炎。
優雅な吟行の集いの一幕を伝えてくれる歌の数々ですが、恐らく遊女や、
僧侶なども同行し、宴も大いに盛り上がったことでしょう。

家持が愛した景勝地、布勢の海。
現在は殆ど干拓され、十二町潟とよばれる細長い水田が往時を偲ばせるよすがと
なっているのみです。

「 公達が うたげの庭の 藤波を
         折りてかざさば 地に垂れんかも 」 正岡子規

[PR]

by uqrx74fd | 2012-05-27 09:18 | 植物

万葉集その三百七十二(藤)

(奈良万葉植物園にて)
b0162728_7233426.jpg

( 同上)
b0162728_72432.jpg

( 同上)
b0162728_7243990.jpg

( 同上)
b0162728_725688.jpg

( 笠間にて)
b0162728_7253167.jpg


「春日野の 瑠璃空の下(もと) 杉が枝に
         むらさき妙なり 藤の垂り花 」     木下利玄


近鉄奈良駅から市内循環バスで約15分。
破石町(わりいしちょう)で降りると、そこは瀟洒な住宅が立ち並ぶ高畑界隈。
春日野は目の前です。
御蓋山、春日山が連なる方向、東へ広い道を歩いてゆくと、やがて右.新薬師寺、
左.春日大社の標識が見え、直進すると春日山原始林入口に至ります。
遠い昔から春日神社の鎮守の森として維持されてきた照葉樹林の宝庫です。
新緑の頃、木々の若葉が芽吹いた森は淡い緑に彩られ、老樹の大木の梢には
薄紫色や白い藤がまとわりつき、花房がいかにも心地よげに風にゆらめいているのです。
柳生の里に通じる坂道を登って行くと、右も左も藤、藤、藤。
春日野一帯は藤原氏のゆかりの地ゆえ藤はシンボルとして大切に保護されて
きたのでしょう。

「 春日野の藤は散りにて何をかも
        み狩の人の 折りてかざさむ 」
                     巻10-1974 作者未詳


( 春日野の藤の花はもう散ってしまったなぁ。
 狩りの人たちはこれから何を折り取って髪にさすのであろうか。
 こんなに早く散ってしまって残念だ 。)

大宮人たちは毎年5月5日になると男は狩りと称して栄養強壮剤となる鹿の角袋を採り、
女たちは薬草を採りながらピクニックを楽しんでいました。
藤はその優雅な姿が好まれ、衣や頭に挿していたようです。

「 ほととぎす 来鳴き響(とよ)もす 岡辺(をかへ)なる
   藤波見には 君は来(こ)じとや 」
                         巻10-1991 作者未詳


( ホトトギスがきてしきりに声を響かせているあの岡辺の藤の花。
 その素晴らしい藤の盛りさえあなたは見においでにならないのですか?
 まして私さえも- -。)

恋する人の足が途絶えて久しい女性。
ついにたまりかねホトトギスと満開の藤に事寄せて訪れを催促したものと
思われます。
電話やメールなどのない時代。 優雅なお誘いの文です。

「我がやどの 時じき藤の めづらしく
   今も見てしか 妹が笑(ゑ)まひを 」 
                       巻8-1627 大伴家持


( わが家の庭の季節ははずれに咲いた藤の花。
 この花のように珍しく、いとしいものとしてあなたの笑顔を今すぐにでも
 見たいものです )

作者が妻坂上大嬢(おほいらつめ)に贈ったもの。
当時通い婚のため妻は母親と同居していたと思われます。
7月に咲いた季節外れの藤。(「時じき」の原文は「非時」で時にはあらずの意)
万葉時代に早くも藤が自宅に植えられていたことが窺える一首です。
藤棚はずっと後代のものなので松の木などに絡ませていたのでしょう。

藤は古事記の時代から美しい花木を愛でられてきましたが、その繊維から
衣料を作り、家具、曳き綱、吊り橋、笊、籠の材料、さらに染料など多岐にわたり
利用された有用の植物です。
ただ、藤の衣類は丈夫ながら着心地はあまり良くなかったことが次の歌から窺えます。

「 須磨の海女の 塩焼き衣(きぬ)の 藤衣(ふじころも)
    間遠にしあれば いまだ着なれず 」 
                    巻3-413 大網公人主(おはあみのきみひとぬし)


( 須磨の海女が塩を焼く時に着る服の藤の衣はごわごわしていて
 時々身に付けるだけだから、まだ一向にしっくりこないよ )

大網氏は崇神天皇の皇子豊城入命(とよしろいりのみこと)の子孫と言われていますが
伝未詳です。
須磨の海女は神戸市須磨区一帯の海女で塩の生産にも従事していたのでしょう。
海女の衣を自分が着る?
この歌は宴会で詠われたもので藤衣を新妻に譬えたようです。
「なにしろ武骨な女なので俺様も繁々と通う事もなく、いまだ打ち解けていませんので。」
といいながらのろけている一首なのです。

「谷川の音さやかなり 高木より
       咲きて垂りたる藤波の花 」 島木赤彦

[PR]

by uqrx74fd | 2012-05-20 07:35 | 植物

万葉集遊楽その三百七十一(白つつじ)

( 白つつじ 学友 n.f 君提供)
b0162728_1871868.jpg

( 根津神社にて )
b0162728_1874676.jpg

( 同上 )
b0162728_188538.jpg

( 六義園にて )
b0162728_1885369.jpg


「山の上の 躑躅の原は 莟(つぼみ)なり
     山ほととぎす 鳴くときにして 」 島木赤彦


我国自生の植物である「つつじ」は種類が多く古くは30~50種、江戸時代末期には
盆栽の流行により500種類を超えたとも言われています。(現在は300~350?)
万葉集では9首のつつじ、即ち白つつじ(3首)、岩つつじ(2首)、丹つつじ(1首)、
単なる「つつじ」(3首)が詠われていますが、現在の「どの「つつじ」に当たるのか」を
特定するのは極めて難しいようです。
古代は野性のものばかりでしょうから、「ヤマツツジ」とする説が多く、
白つつじは「ドウダンツツジ」あるいは「シロヤシオ」(白八入)とする説もあります。

「八入」(やしお)は、何度も色を重ねるという意味を持つ染色用語ですが、
「にほえ娘子(おとめ)」と詠われているイメージには小さな「ドウダン」よりも
大ぶりな花を咲かせる「シロヤシオ」の方がふさわしいように思われます。

「 風早(かざはや)の 三穂の浦みの 白つつじ
   見れどもさぶし なき人思へば 」 
                        巻3-434 河辺宮人

( 風が激しく吹く三穂の浦に咲く美しい白つつじ。
 この地で亡くなった女性のことを思うと、いくら見ても心がなごまないよ。)

三穂の浦は和歌山県日高郡美浜町三尾の海岸とされています。
711年、作者は旅の途中、かって美しい娘が溺死して白つつじに
変身したと伝えられている故地を訪ねました。

今も変わらずに咲いている白つつじを見ながら古に思いを馳せている作者。
花の白さと幻想が一体となり、さらに清純な乙女の面影を連想させる一首です。


「 をみなへし 佐紀野に生(お)ふる 白(しら)つつじ
    知らぬこと以(も)ち 言はれし我が背 」
                           巻10-1905 作者未詳


( おみなえしが咲きにおうという佐紀野に生い茂る白つつじではないが
 自身がつゆ知らぬことで、人に言い騒がれたあの方よ )

佐紀野は平城京北あたりの野 
「をみなへし」は「咲く」と「佐紀(さき)」に懸けた枕詞で、
「白つつじ」も「「知らぬ」の「しら」を掛けています。

お互い清い関係なのに周囲からあれこれと噂を立てられている二人。
「あの方はきっと迷惑しているでしょうね」と相手を気遣っている可憐な女性です。
「我が背」と言うからにはその乙女は心の奥底で男に恋心を抱いているのでしょう。

なお、「佐紀野」を「咲く野」と訓む説もあり、この場合は固有名詞ではなく
単に「おみなえしが咲く野の白つつじ」と「知らぬ」に掛かる序になります。

「 白つつじ影かと見えるうす紅の
      ほのかな色に 花々はにほふ 」 片山廣子


『 白つつじは朝の花が美しい。
  咲きたての花に近く眼を寄せてみると、ほのかな紅が芯の深みにひそんでいることがある。
 「影かと見える」という、あえかな色の捉え方も、白つつじのこまやかな
 花の色の、光りへの反応をよくあらわしている。
 咲きたてのつつじの花のつややかな花びらの可憐さを、間近にみるのもじつに美しいのである 。』   
                             ( 馬場あき子 花のうた紀行 新書館より )

「傘ふかう さして君ゆく おちかたは
        うすむらさきに  つつじ花咲く 」  与謝野晶子


ツツジ類は花期が長く、3月にミツバツツジ、4月アカヤシオ、
5月ヤマツツジ、ミヤマキリシマ、オオムラサキ、クルメツツジと
華やかな花の競演を続け、6月のサツキで締めくくります。

( シロヤシオ yahoo画像検索より )
b0162728_18171594.jpg

( ドウダンツツジ 同上 )
b0162728_18173985.jpg

[PR]

by uqrx74fd | 2012-05-13 18:20 | 植物

万葉集その三百七十(岩つつじ)

( ミツバツツジ  新宿御苑 にて)
b0162728_9194938.jpg

( 学友  n.f 君提供 )
b0162728_9202938.jpg

( 葛城山 yahoo画像検索より )
b0162728_9211247.jpg

( 同上 )
b0162728_9215041.jpg


 「 葛城の 神の鏡の 春田かな 」 松本たかし

大和盆地の西南に青垣をなして連なる二上山、葛城山、金剛山の峰々は、古くは共に
葛城山と総称され、修験の霊場であるとともに古代豪族、鴨、葛城氏の本拠地でした。

今から40年ほど前、1970年のことです。
当時の葛城山は人間の背丈を越すような大きな笹(葛城笹)に覆われていました。
その笹が、ある日突然一斉に開花して実を結び、その後完全に枯れてしまったのです。
百年に一度と言われている出来事だそうですか、ところがなんと! 
笹の日蔭になっていたヤマツツジの灌木が太陽の光を受けて急成長し、たちまち
山一面のツツジの園が出現したというのです。

地元の人たちはその木を大切に育て、今や「一目百万株」といわれるツツジが群生し、
ヤマツツジ、コバノミツバツツジ、ミヤコツツジ、レンゲツツジ、モチツツジなどが
色とりどりに全山を覆いつくしています。

この出来事は遠い昔、ツツジが生い茂っていた山が笹に占領され、再び復活した
ものでしょうが、日蔭になりながらも細々と長い年月を生き延びた強靭な生命力には
驚かされます。
万葉時代の人たちも葛城山越えの旅をしながらこのツツジを愛でていたのでしょうか。

「 山越えて 遠津の浜の 岩つつじ
      我が来るまでに 含(ふふ)みてあり待て 」
            巻7-1188 作者不詳 (既出)


( 山を越えて遠く行くという「遠」の名がある遠津の浜。
  そこに美しく咲く岩躑躅よ。
  私が帰ってくるまで、蕾のままでずっと待っていておくれ )

山陽道海路の旅の歌ですが、遠津の浜は所在不明です。
「岩つつじ」は岩と岩との間に咲いているヤマツツジと思われます。

「あり待て」: 今の状態のままで待て

作者は旅の途中、岩間に蕾を膨らませているツツジを見つけ、戻るまで
散るなと願ったものですが、寓意が含まれており、土地のうら若き女性に
一目ぼれして、「他人のものになるなよ、処女のままで待っていてくれ」と詠ったようです。
伊藤博氏は
「 旅ゆく地や人へ気づかいを示した歌で、このように詠う事でこの地へ
一刻も早く帰って来ることを願い、かつ約束をしているのである。」(万葉集釋注四) 
とも述べておられます。

「 岩つづじ 折り持てぞ見る 背子が着し 
     くれなゐ染の 衣(きぬ)に似たれば 」  和泉式部


( 岩つつじを手折って じっと見つめています。
 わたしの恋しい人が着ていた紅染めの衣の色にとてもよく似ているので )

「紅染めの衣」は公家の男女装束の内着である五位の衵(あこめ=下着)の色ですが、
身分の高い男性でも下着としての着用なら珍しいことではなかったようです。

恋人と家でくつろいでいる時の姿を思い出しているのでしょう。
紅の下衣の男とは式部らしい濃艶な一首です。

以下は「 加藤 廣 著  秀吉の枷  (文春文庫) 」からです。

『 「 ご無礼して、かく数寄者の風姿にて、海辺を回り道して帰らせて戴きましょうかな。
    万葉の躑躅を詠んだ歌など口ずさみながら。
    さて、さて、歌は何にしょうぞ 」

 わざとらしく,小首を傾けて訊ねるような様子が挑戦的に見えた。
 だが生憎 秀吉の歌の薀蓄は古今集、新古今まで。
 万葉集まで遡った歌の知識がなかった。
 第一、万葉集に躑躅の歌があることすら知らなかった。
 くやしいが黙っているしかない。
  義昭は、これみよがしに朗々と口ずさみ始めた。

「 みなつたう いそのうらみの いわつつじ
      もくさくみちを  またみなむかも 」

秀吉は目をつぶって歌を諳んじておくだけで精一杯。
歌の唐文字が解らないからその意味もとれない。
義昭が待たせている毛利の乗物に向かって去る後姿を、
ただ呆然と見送るだけだった。 
                           (註:義昭=足利義昭室町幕府15代将軍) 』        

「 水伝う 磯の浦みの 岩つつじ
           茂(も)く咲く道を またも見むかも 」  
                          巻2-185 作者未詳(既出)


( 水が伝い流れる池のほとり。岩と岩との間に、美しいツツジが咲き乱れています。
  これからは、この懐かしい道を再び見ることがあるだろうか? 
  もうないだろうなぁ)

この歌は689年 草壁皇子(父:天武 母:持統天皇)が28歳の若さで薨じ、
その一回忌に皇子の側近たちが詠った追悼の一首です。

明日香の皇子の宮所(島の宮)には素晴らしい庭園があり、四季折々に花が
咲き乱れ、池には水鳥が遊び、皇子存命中華やかな宴が催されていたそうです。

「磯の浦見の岩つつじ」とは 池を海に見立てて、水際が湾曲したところの岩間に
植えられているつつじ花を詠ったものと思われます。

優雅で絵画的な風景ですが往時の賑やかな様子を思い浮かべるにつけ、
歌を聞いていた人たちは一層寂しさが募ってきたことでしょう。

「 松刈りし 山のひろさや 躑躅咲く 」    飯田蛇笏
[PR]

by uqrx74fd | 2012-05-05 09:33 | 植物