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万葉集その三百八十二(室生の里)

(  室生 太鼓橋 )
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( 室生寺の石楠花 )
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( 鎧坂 金堂へ )
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( 室生寺 十一面観音菩薩  絵葉書より)
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( 室生寺五重塔 )
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( 石楠花 )
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近鉄大阪線、長谷寺から室生へ向かう路線の両側は広々とした田園の先に幾重にも
重なる青垣と美しい杉の林が続きます。
人麻呂の「東(ひむがしの)の野にかぎろひの立つみへて-」の名歌の舞台、阿騎野の
榛原駅を通り過ぎ、ほどなく室生口大野駅に到着。
長谷寺から2駅です。

ここから室生寺まで約8㎞の道のりをバスで移動。
枝垂桜で有名な大野寺の前を通ると宇陀川と室生川が合流する地点の向う岸に
巨大な磨崖仏(まがいぶつ)が聳えているのが見えてきました。
鎌倉時代、後鳥羽上皇の勅願により興福寺の別当雅縁(がえん)が、宗慶や宋の石工集団を
指揮して彫ったと伝えられている高さ11,5mの弥勒菩薩線刻仏です。
あっという間に通り過ぎたので車窓からよく見えませんでしたが、
以前、真近に仰ぎ見たときの柔和なお顔と美しい立ち姿が瞼に浮かんできました。

「 磨崖仏(まがひぶつ) 宇陀の菫(すみれ)に 立ち給ふ 」  皿川旭川

バスは山道に掛かり右へ左へ曲がりながら室生川に沿って進んで行きます。
水の神、龍神が籠ると信じられている室生の山々を源流とする室生川の
豊かな水は勢いよく巨岩にうち当たり、白いしぶきを上げながら掛け下ってゆき、
やがて宇陀川、名張川、木津川へと流れつがれて淀川と合流して大阪湾に出るのです。

「 鶯に朝なの冷えや室生村 」 波多野爽波

新緑と清流を楽しみながら約25分。室生の里に到着です
深い山の中に囲まれたささやかな集落で、万葉人が住んでいたころは、
桃の産地であったのか、恋の歌として詠われています。

「 大和の室生の毛桃 本(もと)繁く
    言ひてしものを成らずはやまじ 」 
                 巻11-2834 (既出:175桃 ) 作者未詳


( 大和室生の桃は木の幹からは多くの枝が茂り、きっと美味しい実をならせるだろう。
俺様も心を込めてあの娘に繁々と話しかけ、一生懸命に口説いたのだから
必ずこの恋を実らせてみせるぞ。)

「繁く」は「桃の木が盛んに育っていること」と「繁く口説く」を掛けています。
古代日本で「モモ」とよばれていたものは、中に硬い核(種)がある果物の総称で、
主として今の「ヤマモモ」をさしていた(牧野富太郎博士)ので、産毛がある桃は
中國からもたらされたものと思われます。
桃の原産地とされる黄河地域では今から3千年前に既に栽培されていたと
言われていますが、我国へはかなり早い時期に伝来していたのでしょうか。
万葉集で詠われている室生の歌はこの1首のみです。

 「 室生寺に手斧の音や日の永き」 谷田部 栄 

 参道の両側に建ち並ぶ土産物屋や飲食店を覗きこみながらぶらぶら歩いていると
 ほどなく明治4年(1871)創業の老舗旅館「橋本屋」。
かの土門拳氏が40日も泊まり込んで雪の室生を撮影したという伝説の宿です。
宿の前を左折すると、室生川の上に朱も鮮やかな太鼓橋。
その先には「女人高野室生寺」と刻まれた石柱が深い杉木立の前に立っています。

「 蝶くぐる 女人高野の 仁王門 」 窪田映子

「高野」とは女人禁制の高野山のことで、室生寺は女性を受け入れる寺とされたので
その名称があります。
寺伝によれば、室生寺は681年天武天皇の願いで役行者(えんのぎょうじゃ)小角(おずぬ)が
創建し、のちに弘法大師によって、真言宗の道場の1つになったとされていますが、
元々は水の神様である室生龍穴神社という社が草創の起源だともいわれています。

「 石楠花(しゃくなげ)の 風に抜けゆく室生寺 」 渡辺政子

仁王門をくぐり抜けると小高い丘の上に金堂が立ち、「鎧坂」とよばれている
なだらかな石段が上の方まで続いています。
下から見上げると段差が如何にも鎧の「さね」が重なってように見え、一段上がるごとに
金堂がせりあがるように姿をあらわし、さながら舞台のせりの装置です。
さねとは「扎」と書き、鉄または練り皮で作った鎧の材料の小板で、これを重ねて
革緒で絡めたものです。
石段の両側は石楠花が今を盛りと咲き誇っており、金堂が花の台(うてな)に乗って
いるように感じられ、山岳地における心憎い堂塔の配置には感嘆させられます。


「 みほとけの ひじまろらなる やわはだの
     あせむすまでに しげるやまかな 」    会津八一


「み仏の 肘まろらなる 柔肌の 汗むすまでに 茂る山かな」
 
( 御仏の肘のまるくふっくらした柔肌が 汗ばむかと思われるほど、
 この山の茂りは濃いことだ。 )

まろらなる ; まるくふっくらした
柔肌 :柔らかな感触、女性の肌
汗むす: 汗ばむ 

金堂の内陣には釈迦如来を中心に十一面観音など魅力ある仏様が所狭しと立ち並び、
私たちに微笑みかけて下さっているようです。
作者が官能的と感じたのはどの御仏だったのでしょうか?
十一面観音、如意輪観音? 仏様には性別がないはずなのに?
観音像はいつも世の男たちを魅了させてくれます。

金堂の左の弥勒堂を拝観した後、裏手の石段を上ると灌頂堂(かんじょうどう:本堂)。
日本三如意輪の1つとされる如意輪観音が迎えてくれます。
立ち膝の蠱惑的な姿で、ヒンドゥー教の影響が感じられる仏さまです。

「 ささやかに にぬりの たふの たちすます
    このまに あそぶ やまざとの こら 」会津八一


「ささやかに 丹塗りの塔の 立ちすます 木の間に遊ぶ 山里の子ら 」

( こじんまりと清らかに赤く塗られた塔がすっきりと立っている。
 そのあたりの木間に遊ぶ山里の子供たちよ )

灌頂堂の西側に出ると、五重の塔に続く石段が現れます。
三方、巨大な杉木立に囲まれ、石段の前の石楠花(しゃくなげ)が所狭しと満開です。
波打つような階(きざはし)の果てに仰ぐ優美な塔は屋外にある五重塔としては
国内最小の16m余。
巨木に囲まれているさまは如何にもこじんまりとしていて可愛らしく、
木々の緑、塔の濃茶、白、朱色の取り合わせも絶妙のバランスを保っています。
まさに「自然と人工の見事に調和した地上の楽園(白洲正子:私の古寺巡礼、法蔵館)」
と讃えられるに相応しい美しい塔です。

「 山デ生マレタ山雀(ヤマガラ)ハ
  塔ノ雫(シズク)デ身ヲ濯(スス)ギ
  羊歯(シダ)ノ林ノ
  恋ニ酔ウ  」     榊 莫山


いよいよこれから奥の院へ向かいます。
「無明橋」を渡り、「賽の河原」とよばれる場所を越えて杉木立の中、
昼なお暗い石段を上ってゆきます。頂上まで390段。
既に入口の仁王門から五重の塔まで310段を登って来たので合計700段、
往復1400段の長丁場です。
天然記念物に指定されている羊歯が一面に生えている中、石楠花も健気に
枝を伸ばし、疲れた身を癒してくれています。
所々の苔むした石仏も「頑張れよ!」と励ましてくれているようです。
少し膝ががくがくしてきました。
雨上がりの滑りやすい石段。
足下を踏みしめながらゆっくりと登って行きます。
古の人たちは都から歩いてきたうえ、階段もない山道を登ったのですから
如何に大変だったことか。
苦しければ苦しいほど、ご利益も大きいと信じながら自らを励ましたことでしょう。

 ようやく登りきったところが奥の院。
御影堂で弘法大師の像を拝し、堂宇を一巡りして一休み。
清々しい風が吹きわたり、汗を乾かしてくれます。
眼下には緑の山々に囲まれた室生の里。

「女人高野」と聞くと、なんとなく女性的なお寺を想像しますが、峻烈な石段、
杉の巨木、むき出しの巨岩、苔むした山肌、原始的な羊歯。
「 堂塔以外は女性どころか極めて男性的もしくは猛女的なお寺であったわい」
と呟きながらお山を下りたことでした。

   「 石楠花の 紅ほのかなる 微雨の中 」 飯田蛇笏
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by uqrx74fd | 2012-07-28 22:16 | 万葉の旅

万葉集その三百八十一( 山ぢさ=岩タバコ)

( 岩タバコに囲まれたお地蔵様 北鎌倉 東慶寺 2012、6、13撮影)
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( 岩タバコの花  同上 )
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 ( 同上 )
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 ( 同上 )
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( 岩がらみ 東慶寺本堂裏 2012、6、13撮影)
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( 同上 )
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( 同上 )
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「 滝しぶき 濡れて花もつ 岩たばこ 」  水下寿代

イワタバコは本州以南の日が当たらない湿った岩壁に自生する我国特産の多年草で、
15~50㎝もある大きな葉が根生し垂れ下がって生えます。
煙草の葉に似ているのでその名がありますが、先が尖った小判形の葉の前面に
デコボコがあり、冬になると小さな丸い塊となって新芽を保護しながら越冬し、
暖かくなると急に広がるという珍しい生態の草花です。

初夏の頃、淡い紅紫色の五弁の花を咲かせますが、暗がりに群生しているので
星が輝いているように見えフアンタスティックな雰囲気を醸しだしてくれます。

「イワタバコ」は古くは「山ぢさ」とよばれていました。
従来「エゴノキ」であると主張する学者が多かったのですが、静岡県下の広い地域と
和歌山県の一部で今でも山ぢさとよばれていること、他の地方の方言に山ジシャ、
岩ジシャ、滝ジシャなど多くみられるところから若浜汐子氏がイワタバコであると唱え
(万葉植物全解)、近年は若浜説が有力になっています。

古代の人たちはヤマヂサの若葉を山菜として食べ、古葉は煎じて胃腸薬に用いて
いたそうです。

「 山ぢさの 白露重み うらぶれて
       心も深く 我(あ)が恋やまず 」
                   巻11-2469 柿本人麻呂歌集(既出)


( 山ぢさが白露の重みでうなだれているように、私もすっかりしょげてしまって。
 でも、あの人を心から愛する気持ちは一時も止むことがありません。)

日蔭で育つイワタバコはただでさえ茎が細いのに、露が加わり下向き加減にみえます。
その姿は恋の悩みに堪えかねて、うなだれているよう。
可憐な花のさまを自身の気持ちに重ねた一首です。

「 息の緒(を)に 思へる我れを 山ぢさの
    花にか君が うつろひぬらむ 」 
               巻7-1360 作者未詳(既出)


( 命がけであなたのことを想っている私。
それなのに貴方はあの萎(しぼ)みやすい山ぢさの花のように心変わりをして
しまったの。)

息の緒とは紐のように細々と続く息のことで、苦しさのあまり息も絶え絶えの
ような状態をいい命の極限を意識した言葉で、

「 身も心も貴方に捧げているのに、どうして心変わりしてしまったの。
  もう死んでしまいたい」と嘆く女です。

「 日の洩れの ほとんどなしや 岩たばこ 」  浜田波川

JR北鎌倉駅の常設改札口を出て鎌倉へ向かう道を真っ直ぐに歩いてゆくと間もなく
右側に東慶寺というお寺がひっそりとした佇まいを見せてくれます。
北条時宗夫人、覚山尼が建立し、離婚が許されていなかった時代、女性がここへ
駈け込めば男と縁切りが出来たといわれる元尼寺です。(明治から臨済宗:男住職)

四季折々美しい花を咲かせる名所としても知られていますが、とりわけ
紫陽花が咲く頃、奥まった岩壁に張り付くように咲くイワタバコの群生は圧巻です。
また、同じ時期、本堂裏に「岩がらみ」という蔓性の植物が白い花を咲かせ、
期間限定で公開されます。 (2012年の公開は6月2~15日)
縁側をぐるりと廻りながら鑑賞させて戴くのですが、本堂裏の岩壁から
垂れ下がって咲いている白い花びらが暗闇に浮かんでいるように見え、一瞬
幽玄の世界に入り込んだような心地がしました。
一見、ガクアジサイのように見えますが、全く別種のユキノシタ科の植物だそうです。

「 裏崖に 花を映して 岩がらみ 」 筆者
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by uqrx74fd | 2012-07-21 16:08 | 植物

万葉集その三百八十(山辺の道:巻向、穴師)

(たたなづく青垣:檜原から車谷へ)
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( 同上:早春のころ )
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( 車谷から檜原へ 逆方向)
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( 車谷の里 後方:三輪山)
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( 穴師 後方:巻向山)
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( 竹の秋 )
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( 長岳寺 )
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( 同上:カキツバタ)
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( 今回歩いた山の辺の地図 犬養孝 万葉の旅上 平凡社より )
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檜原神社の横の緩やかな坂道を上ると路幅が少し広くなり歩きやすくなります。
美しいカーブを描いた山裾の道の右側は杉、赤松、檜などの林。
左の谷は桃、柿、みかん畑が大きく広がり、正面を仰ぐと、かのヤマトタケルが
今わの際に故郷を瞼に思い浮かべ

「 大和は 国の真秀(まほ)ろば 畳(たた)なづく青垣 
    山籠れる 大和しうるはし」  (古事記)


と詠った瑞々しい山々が目に飛び込んできました。
400~500m位でしょうか、さして高くもない山並みですが、その穏やかな姿は
如何にも故郷が優しく私たちを迎えてくれているようです。
新緑の季節もよし、春には桜や桃の花、秋の紅葉も美しく、四季折々いつ訪れても
心の安らぎを感じさせてくれるところです。

「 みもろの その山なみに 子らが手を
   巻向山は 継ぎのよろしも 」
                   巻7-1093 柿本人麻呂歌集


( 三輪のその山並みにあって、いとしい子の手を枕にするという名の巻向山が
つづいている様子がまことによいことよ。)

神の三輪山に対して、人間のやわらかい気息を感じさせる巻向山がしっくり
連なっていることに感銘した歌(伊藤博)です。

「みもろ」は御室、三諸とも書き、神が降臨するところ、ここでは三輪山をさします。
子らが手を「巻く」と巻向山の「巻」を掛けた一首ですが、いとしい女性が
「手を枕に」とさしのべるような恰好がこの山の形だというのです。
「手枕とは自分の手で寝るのではないのだ」と妙な感心しながら歩いていると、
やがて降り口となり、お山とはお別れです。

左折すると、舗装された広くてなだらかな下り道の両側に美しい民家が立ち並び
左手の畑の向こう側に三輪山が姿が。
家の前の水路の水が勢いよく流れ、巻向川とともに水の協奏曲を奏でています。
この辺りは車谷とも云われる里で、昔は30件を超える水車がこの河筋にあって
三輪素麺の粉ひきをしていたそうです。
三輪山と巻向山に挟まれたこの深い谷間に歌聖、人麻呂が愛人のもとに通いつめたと
いわれ、多くの秀歌が詠まれております。

「 穴師川 川波立ちぬ 巻向の
   弓月が嶽に 雲居立てるらし 」  巻7-1087 柿本人麻呂歌集


( 穴師の川に波が立っている。巻向の弓月が嶽に雲が湧き起っているらしい。)

川を眺めている作者。
「 一陣の風と共に波が高くなってきた、
弓月が岳に雨雲が立ってきたらしい。
どうやら一雨が来そうな気配だ。」と
「山と川が呼応して動き出す一瞬の緊張を荘重な響きの中に託した見事な歌」(伊藤博)で

「 あしひきの 山川(やまがわ)の瀬の 鳴るなへに
   弓月が嶽に 雲立ちわたる 」   巻7-1088 同上(既出)


とともに人麻呂の傑作とされている名歌です。
「弓月が嶽」の「弓月」は「斎槻(ゆづき)」、即ち聖なる槻(ツキ:ケヤキの古名)が
聳える山の意で標高567m。
瀬音の高まりと共に山頂から白雲がむくむくと湧き上がるという躍動的な叙景歌です。

人麻呂以外の歌では次のような微笑ましい男と女のやり取りもあります。

「 ひさかたの 雨の降る日を 我が門(かど)に
    蓑笠(みのかさ)着ずて 来(け)る人や誰れ 」 
                            巻12-3125 作者未詳


( 雨のざぁざぁ降る日、こんな日に蓑も笠もつけないで私の家に来て
 声を掛ける方は、どこのどなたですかぁ。) 

「 巻向の 穴師の山に 雲居つつ
    雨は降れども 濡れつつぞ来(こ)し 」 
                        巻12-3126 作者未詳


( 巻向の穴師の山に雲が一面にかかって、雨が降りだしたが、
  お前さんに逢いたい一心で ずぶ濡れになってきたんだ。 
  どなたですかとは それはないだろう。)

男が訪ねてきたと声で分かっているのに、喜びを押し殺してわざと「どなた」と聞く女。
「冗談じゃない」とぼやく男。
そこで皆が大笑いする。 
そんな感じの、宴席で詠われた民謡のようです。

山や川の名に残る巻向は昔、広大な地域であったらしく、
纏向(まきむく)遺跡がある太田や東田、車谷の北方の丘の穴師が含まれており、
穴師には垂仁天皇の纏向珠城宮(まきむくのたまきのみや)と景行天皇の
纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)があったと推定されているので、さぞかし
賑やかな街であったことでしょう。
穴師という地名は金属鉱を採掘する渡来人の集団がこの辺りに住んで
祭祀用の矛や剣、農耕用の器具生産に従事していたことに由来するそうです。

「 巻向の 穴師の川ゆ 行く水の
    絶ゆることなく またかへり見む 」 
             巻7-1100 柿本人麻呂歌集


( 巻向の穴師の川。 流れゆく水が絶えないように、私も繰り返し
 繰り返しこの地にやってこよう )

「丹念に蜜柑磨けり穴師人 」 国枝隆生

広い道に建ち並ぶ農家の前に小さな屋根つきの棚があり、朝採りの野菜や果物が
小分けして置かれています。
1つ100円という値札の前の小さな箱。
さながら古代の自動販売機です。
暑い日差しの中、蜜柑や胡瓜を頬張り疲れを癒しながら歩く人びとも。

「干瓢(かんぴょう)のひらひら吹かる穴師村 」浜崎晃子

道の向こうに広い田畑、その先に町並みが見えてきました。
JR巻向駅が近いようですが、私たちは「右山の辺の道」の標示に従って
細い野道に入ります。
この辺りが穴師の里で、額田王が振り返り振り返り眺めた三輪山の美しい姿が
再び背後に姿を見せます。
道の両側は桃、柿、蜜柑、イチジク畑。
野の花々が咲き乱れる先は広々とした青田が遠くまで続いています。

「 二三町柿の花散る小道かな 」正岡子規

歩くごとに三輪山が少しづつ遠ざかり、巻向、竜王山が視界に入り、
左手には大和三山と遥か向うに葛城、金剛、二上山の峰々。
思わずブラボーと叫びたくなるような雄大な景色です。

やがてこんもりとした森が見えてきました。景行天皇の御陵です。
御陵の前の壕は農家の灌漑用水に用いられていたといわれ、山々から
流れる水がお壕に貯められ、民を潤していたのです。

御陵を拝しつつ、右へ進むと古墳群。
その一角の林の中に大きな池があります。
山と木々に囲まれた静かな佇まいで、躑躅や竹の秋の映り込みが美しく、
大和の上高地といった風情。春の桜も見事なところです。

様々な景色を楽しみながら歩いて行く先には巨大な前方後円墳。
大和王権を初めて確立したと言われる崇神天皇の御陵です。
大きな壕に沿った細い道を歩きながら、先ほどの景行天皇と言い古代の王は
一体どれだけの民の労力を搾取したのだろう、と思い浮かべます。

ふと気が付くと、お昼もとっくに過ぎていました。
空腹を抱えながらようやく一軒しかない蕎麦屋さんに入り、
まずはビールで喉を潤します。
「あぁ! 美味い!」
ひとしきり周りの人との会話を楽しみ、近くの長岳寺へ。

「紅つつじ 花満ちて葉はかくれけり」 日野草城

堂々たる山門を潜り抜けると大きなつつじ垣がお寺の入口まで続いています。
両側の花の垣根に導かれて左へ右へ歩くこと約50m、ようやく長岳寺の入口です。
このお寺は824年に弘法大師が創建したといわれる高野山真言宗。
花の寺としても知られており、春の桜、初夏のつつじ、かきつばた、
秋の紅葉も見事です。

重要文化財の鐘楼門をくぐり、本堂に。
本尊阿弥陀如来三尊像は玉眼を用いた仏像としては我国最古のもので、1151年の作。
その堂々たる量感と美しい表現は後の運慶、快慶に大きな影響を与えたと
言われている傑作です。

 池の手前から眺める本堂は実に美しい。
カキツバタ、つつじが今は盛りと咲き競い、本堂の写り込みも相まって
幽玄の世界を感じさせてくれました。

今回の山辺の道散策は海石榴市から大神神社、檜山神社、巻向、長岳寺にいたる
約7㎞、5時間。
ゆったりとした時の流れのなんと充実していたことか。

私たちはそれぞれの感慨を胸にしながら終着点JR柳本駅へと歩き出しました。
残すところ約1,7㎞の道のりです。

「杜若(かきつばた) 語るも旅のひとつ哉」  芭蕉
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by uqrx74fd | 2012-07-14 18:15 | 万葉の旅

万葉集その三百七十九(山の辺の道:檜原へ)

( 狭井神社 )
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( ゆり祭り 卒川神社 奈良市 ) yahoo画像検索より
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( 山の辺の道の花 )
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( 玄賓庵 )
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( 山の辺の道の花々 )
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( 檜原神社 )
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( 檜原神社から二上山を望む )
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大神神社祈祷殿横の坂道を山裾に沿って北へ辿ると鄙びた茶店があり、その右側に
狭井神社(さいじんじゃ)への参道が奥の方に続いています。
この社は大神神社大物主神の御魂を奉斎しており、三輪山登拝を希望する人は、
ここで所定の手続きをして木綿襷(ゆふたすき)を受け、御祓いをすませてから
お山に入ることが許されます。
裏手にはこんこんと湧き出る薬井戸があり、霊水を容器に入れて持ち帰る人々も。

薬と酒の神様としても崇められているこの社では崇神天皇の時代に大物主神が
疫病を鎮めた故事に由来する「鎮花祭(はなしずめさい)」が毎年4月18日に
行われ(大神神社と共催)、薬草の忍冬(すいかずら)と百合根さらに県内外の製薬業者から
献じられる2万点にもおよぶ医薬品が神前に供えられ、万民の健康を祈願するのです。

また、6月17日には三枝祭(さいぐささい:ゆりまつり)が奈良市内の摂社
「卒川神社:いざがわじんじゃ」で行われ、大神神社から運ばれたササユリが
奉納されます。

「 三輪山の 笹百合かざし 巫女舞へり」  志賀松声

狭井神社を出て左側の下り坂を降り切ったところに川ともいえないような小さな
せせらぎがあり、わざわざ「狭井川」の標識が立っています。
古事記に

「 この河を佐韋河(さいがわ)という由は、その河の辺に山由理草(やまゆりぐさ)
 多かりき。 -山由理(やまゆり)の本(もと)の名、佐韋(さい)と言いき 」


とあり、昔この辺りで山百合が群生していたらしく、狭井神社(さいじんじゃ)の名前も
この記述に因んでいるのです。

その昔、神武天皇が狭井川のほとりで百合の香りに包まれながら伊須気余理比売
(イスケヨリヒメ)と一夜を共にして、

「 葦原の 醜(しけ)き小屋(をや)に 菅畳(すがたたみ)
    いや清(さや)敷きて わが二人寝し 」  古事記


( 葦茂る原の 粗末な小屋で 菅の畳を清らかに敷き重ね
  共に寝たことだ。 楽しかったぞぉ。)

と詠われ、その姫を皇后に選ばれた(日本書紀)と伝えられています。
ロマンティックな天皇ですねぇ。

ここから先は起伏のある曲がりくねった道。
上ったり、下ったりしながら進むと、両側に杉、檜、松などが茂り、
かの人麻呂が詠った情景を思い起こさせます。

「 いにしへに ありけむ人も 我がごとか
    三輪の檜原に かざし折りけむ 」 
                巻7-1118 柿本人麻呂歌集


( 遠く過ぎ去った時代にここを訪れた人も、われわれのように三輪の檜原で
  檜の枝葉を手折って挿頭(かざし)にしたことであろうか。)

右手に三輪山を仰ぎつつ九十九折(つづらおり)の道を進んでゆくと、
桃や柿、みかん畑が広がってきました。
薫風が吹き渡り、清々しい空気を胸いっぱいに吸い込みながら土道を歩く心地よさ。
やがて森蔭に入る緩やかな坂道の向こうに、謡曲「三輪」で知られている
玄賓庵(げんぴんあん)の白い築地塀が近づいてきました。

「三輪川の 清き流れにすすぎてし、
  衣の袖を または けがさじ」 玄賓僧都(げんぴんそうず)


(このあたりに隠棲して、俗世間や俗僧と交わることなく、
三輪川の清き流れでせっかく綺麗に洗い清めた僧侶としての本来の生き方を、
いかに天皇の思(おぼ)し召しとはいえ、名利のためにけがすことはできませぬ。)

と桓武、嵯峨天皇の厚い信任を得ながらも俗事を嫌いこの地に隠棲した
高僧ゆかりの庵です。

結界が結ばれ、山岳仏教の雰囲気が感じられる堂宇で一休みさせて戴きながら、
日本庭園などでみかける「添水:猪おどしともいわれる」は、勤行を
邪魔する獣を追い払うために玄賓僧都が考案したと物の本にあったことを
思い出しました。
添水(そうず)と僧都(そうず)と掛けていたのですね。

榊 莫山氏は玄賓庵を訪れた時、先代の住職の奥さんから

「 玄賓和尚というのはなぁ、そうら、えらい坊さんやった。
  毎日毎日、勤行ばっかりや。
  腹へったら、ソバ粉をねってダンゴにして食うてはったんや。
  ソバちゅうのは元気をつけるけどなぁ、性欲は でんのや。
  えらい坊さんにとっては、けっこうな話や。
  だから嫁はんはいらん。子供はできへんわなあ。」
「 婆さんの話は、真実をうかがって愉快。
山寺にふさわしい情緒にも富んで凡俗の耳をそばだたせる。」
と述べておられます。 (大和千年の道 要約:文春新書 )

しばしの休息を終え、庵を右へ曲がると正面に小さな滝があり、左手に苔むした
小さな石仏が道しるべのように鎮座しておられます。
左へ迂回して、なだらかな坂道をゆっくり上りきると、急に視界が広がり
檜原神社の横の入口へと導かれてゆきました。

天照大神が伊勢に遷るまで奉斎されていたので元伊勢ともいわれている大神神社の
摂社の一つで、本殿も拝殿もなく、赤松に囲まれた玉垣と三つ鳥居の簡素な佇まい。
奥に「磐座:いわくら」がまします清々しいお社です。
                     註:(「摂社」:本社ゆかりの神を祀る社)

「檜山伐り運ぶ道の躑躅かな」 河東碧梧桐

お社にお供えするかのように一株の大きな紅つつじが満開です。
犬養孝氏が「万葉の旅」を書かれた昭和39年当時、今の鳥居はなく、
赤松が茂る中に大きな燈籠がぽつんと立っているだけの寂しい風景でした。
新しく建てられたお社にもかかわらず御神体山が後ろに控えているからでしょうか、
その古風な造りに太古の昔からの威厳すら感じさせます。

「 鳴る神の 音のみ聞きし 巻向の
    檜原の山を 今日(けふ)見つるかも 」
                   巻7-1092 柿本人麻呂歌集


( 噂に轟く巻向の檜原。今日やっとこの目で確かめることができましたよ。)

万葉集での檜は9首、そのうち6首までが三輪、巻向、初瀬の檜原が詠われ
大半が人麻呂の歌です。(5首)
常緑の檜と三輪山の聖なる印象が重なり、心が動かされたのでしょうか。
当時は、野も山も檜で埋め尽くされていたことでしょう。

「 桃咲くと 檜原の鳥居 幣白き」 堀 文子

私たちは社殿の前に立ててある幣を手に取り、互いに御祓いをして、
拝殿に向かって拍礼を捧げました。
何をお祈りしたのでしょうか、それぞれが楽しげに語らい、笑い合っています。

「行(ゆ)く川の 過ぎにし人の 手折らねば
     うらぶれ立てり 三輪の檜原は 」 
                 巻7-1119 柿本人麻呂歌集


( ゆく川の流れのように人々がこの世からいなくなり、
 檜の葉を手折って挿頭(かざし)にする人もいないので、
 三輪の檜原もさびしそうにしょんぼりとしていることよ。)

年々歳々人は変われど自然の情景は昔のまま。
作者は眼下を流れる巻向川を眺めながら様々な思いに耽っているようです。
この地に遊び、共に枝葉を手折って頭に挿していた人も今はもういない。
愛する人にも先立たれ、自らの心を檜に投影した寂寥感漂う一首です。

11月になると恒例の祭儀。
大神神社からやってきた巫女が鈴を手に持ち、リイーン、リイーンと鳴らしながら
神楽にあわせて舞い踊ります。
白い砂の上。緋の衣が秋空に映え、鈴の音に導かれて神の世界へと誘われる儀式です。

 「 いく世経ぬ かざしをりけむ いにしへに
     三輪の檜原の 苔のかよひ路 」  藤原定家  拾遺愚草 


古へに思いを馳せながら丘の上から眺める景色は雄大そのものです。
手前に柿畑や桃畑が広がり、その向こうに大和三山。
はるかに二上山と葛城、金剛の山々。
夕日が二上山に沈むさまは、さぞ別世界のように神々しいことでしょう。

「 五月雨の 雲のかかれる まきもくの
   檜原が峰に 鳴くほととぎす 」 源実朝 金槐和歌集
               

                          ※「五月雨:さみだれに同じ 」
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by uqrx74fd | 2012-07-07 20:09 | 万葉の旅

万葉集その三百七十八(山の辺の道:三輪山)

(大神神社の大鳥居:後方は三輪山)
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( 大神神社春の大祭 三つの茅:ちがやの輪をくぐって参拝する)
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( 同上:拝殿の神官と巫女)
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( 三輪山 ) 
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( 三輪山 ))
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( 山辺の道の花々)
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( 同上 )
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( 同上 )
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私たちは「磯城瑞籬宮跡」(しきみずがきのみやあと)の参拝をすませ、木漏れ日の
坂道を歩きだしました。
鬱蒼と茂る木々を渡る風がひんやりと頬を撫でてゆきます。
恐らく山の中腹あたりなのでしょう。
ほどなく細い道に掛かる石橋を渡ると平等寺です。
このお寺は581年の創建で、十一面観音信仰発祥の地とされ、かっては
本堂ほか12房舎の大伽藍を有し三輪社奥の院とされた古刹ですが、
明治時代の廃仏毀釈のあおりでことごとく打ち壊され、昭和52年に復興されたそうです。

建てられたばかりのような新しいお堂を巡り一礼を捧げてさらに進むと、
急に視界が大きく広がり、耳成、畝傍の山々が浮かび上がってきました。

参詣の方々なのでしょうか、人の行き来が多くなり大神神社が近づいてきたようです。
山の辺の道がそのまま境内に導かれるような脇の入口から入ると、
まず目に付くのは玉垣に囲まれた二股の巨大な杉の老木とその洞に棲むと
いわれる蛇に供えられているお酒や卵の山。
蛇は祭神の化身とされ地元では「巳(みい)さん」と親しまれている由ですが残念ながら
お目にかかったことがありません。
一説によると2mをこえる青大将が4,5匹とか。

「 啓蟄の 地卵供ふ 三輪の神 」 棚山波朗

はるか1300年前には神さびた杉や神酒が恋の歌として詠われています。

「 味酒(うまさけ)を 三輪の祝(はふり)が 斎(いは)ふ杉
           手触れし罪か 君に逢ひかたき 」

       巻4-712(既出)  丹羽大女娘子( たにはのおほめをとめ:伝未詳)


( 三輪の神官があがめる杉、その神木の杉に手を触れた祟りでしょうか。
  あなたさまにお逢いできないのは。)

「味酒(うまさけ)」は美味しい酒の意、「三輪」に掛かる枕詞で、
古くは神酒を「ミワ」といったことによります。
祝(はふり)は神官のことで、老杉が神木と詠われているのは神の拠りどころと
されているからです。

円錐形の秀麗な姿の三輪山(467m)は古来神の中の神として崇められてきました。
拝殿は老杉の奥にありますが、三輪山そのものがご神体とされているので
神殿はありません。
古代は拝殿すらなく三輪山を直接礼拝していたことでしょう。

山は遠くから拝すると鬱蒼とした緑に包まれていますが、その下には
神の依り代である巨大な磐座(いわくら)があり
 大物主命(おおものぬしのみこと) の奥津磐座(おきつ いわくら)
 大己貴命(おほなむちのみこと)  の中津磐座
 少彦名命(すくなひこなのみこと) の辺津磐座(へつ いわくら)
即ち三座の巨岩が重なりあい、結界が張られています。

不思議なことに、周りの山々は花崗岩から成っているのに三輪山だけが異質の
斑糲岩塊(はんれいがんかい)という硬質の岩であるため長年の侵食から免れ、
それが太古から変わることなき円錐形の美しい姿を維持している要因とされているのです。
まさに神の山たる所以なのでしょう。

「三輪山へ 今日の柏手の 涼しさよ」 白茅

667年、飛鳥から近江の大津に都が遷されました。
称制、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ:後の天智天皇) は白村江
(はくすきのえ)の戦いで唐、新羅軍に大敗(663年)した後、朝鮮半島からの
来襲に備えて国内の防備を固めるとともに、飛鳥の旧勢力と一線を画し
民心一新を図ったようです。

称制とは新帝が即位の式を挙げないままに政務をとることで事実上の天皇です。
近江という地を選んだのは、新羅、唐の使者は何度も来日しており、
難波から都への道を熟知していたので侵攻が容易であると思われたことと、
近江は琵琶湖を通じて東北、北陸との交通の便に恵まれ、大和とも淀川の支流、
宇治川(瀬田川)と木津川によって結ばれていること、さらに味方である
高句麗は日本海を渡って近江を通行していたなどによるようです。

ところが、皇子の意図に反して多くの官人が抵抗し、百姓は動揺、放火や
非難の童謡(わざうた)が絶えなかったといわれています。(日本書紀)
( 註:童謡: 時事を風刺し異変の前兆をうたう民間の流行歌)
古来から大和一帯に定着していた都。
民百姓の生活もここに深く根付いていたのですから無理もありません。
それでも皇子は遷都を強行しました。

いざ近江へと長い列が山の辺の道を進んでゆきます。
国つ神と都を見棄てて行くのですから尋常なことではありません。
あまりのことに三輪の神様のお怒りもさぞや激しいものであったことでしょう。
聖なる山はたちまち雲に隠れてしまいました。

やがて一行は国境の奈良山の峠に掛かりました。
峠を越えるとそこは異境、道の神に幣帛を奉って旅の安全を祈るとともに
故郷に別れを告げ、大和の神、三輪山を慰撫しなければなりません。
額田王は皇子から歌を捧げることを仰せつかり詠いだしました。

「 味酒(うまさけ) 三輪の山 あをによし 奈良の山の
  山の際(ま)に い隠るまで 道の隈(くま) い積もるまでに
  つばらにも 見つつ行(ゆ)かむを  しばしばも 見放(さ)けむ山を
  心なく 雲の 隠さふべしや 」 
                             巻1-17 額田王

「 三輪山を しかも隠すか 雲だにも
   心あらなも 隠さふべしや 」 
                    巻1-18 同上


長歌訳文(1-17)
( 三輪の山が 奈良山の間に隠れてしまうまで、
  道の曲がり角の 幾重にも重なるまで よくよく見ながら行こうと思っている山
  何度も何度も眺めたい山であるのに 薄情にも雲が隠してよいものか。
  雲よ隠さないでくれ ) 

短歌訳文(1-18)

( あぁ、三輪の山 この山をなぜそのようにして隠すのでしょうか。
 せめて雲だけでも思いやりがあってほしいのに、
 隠したりしてよいものでしょうか。
 どうか姿を見せて下さい )  

語句解釈
 「あをによし」: 奈良の枕詞 「青丹」は染料、顔料に用いられた
           岩緑青の古名で奈良に多く産した
 「奈良の山」:  山城と奈良の国境の山 歌姫越えの奈良山と般若寺越えの
           奈良坂説があり、奈良坂の方が高く見晴らしが良い。
 「山の際(ま)」: 山と山の間 
 「道の隅(くま)」: 道の曲がり角
 「つばらにも」:  つまびらかに 十分しっかりと
 「しかも隠すか」(1-18) : なんでそんなにも隠すのか 

前途への恐れと不安。
何とか神の怒りを解かなければ新天地での政ごとや民の生活は祝福されません。
長歌の結句五、三、七「 心なく 雲の 隠さふべしや」に強い気持ちが籠り
さらに短歌でも「隠さふべしや」と繰り返されます。

大和は作者にとって幼い頃に育った故郷であり、大海人皇子と契り十市皇女をなした
思い出の地です。
もう再び見ることが出来ないのか、一目だけでも姿を見せて欲しい。
愛惜の情、万感せまるものであったことでしょう。

遷都を終えた天智天皇の近江朝。
やはり大和の神を慰撫できなかったのでしょうか
壬申の乱によってわずか5年で滅び、都は再び奈良に遷りました。

「月の山 大国主命(おおくにぬしのみこと)かな」 阿波野青畝

私たちはさまざまな感慨を込めながら参拝を終え、境内の休息所で
暖かいお茶を戴きながらしばし疲れを癒した後、狭井神社に通じる坂道を歩きだしました。
行く先々で三輪山の姿を振り返り、振り返り、古代のきらびやかな行列に
思いを馳せながら額田王が辿った道を進んでゆくことになりましょう。

「 めでたさの 三輪のうま酒 温めつ」 高野素十
               

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by uqrx74fd | 2012-07-01 00:00 | 万葉の旅