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万葉集その四百八(苔むす)

( 祇王寺:京都 )
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( 三千院 :京都)
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( 秋篠寺 :奈良)
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( 吉城園 :奈良)
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( 衣水園 :奈良 )
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(  唐招提寺 巨木の苔から豆?)
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( 苔の花  yahoo  画像検索より )
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( 西芳寺:苔寺 yahoo 画像検索より)
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「こけ」の語源は「木毛(こけ)」すなわち「木に生える毛のようなもの」とされています。
「むす」は生命の誕生にかかわる言葉、「生(ム)す」、「産(ム)す」で、生まれる、発生すると
いう意味を持ち、男と女が結ばれて生まれた男は「むす+こ」女は「むす+め」
なのだそうです。
 従って「苔むす」という言葉は単に「苔が生える」ということにとどまらず、
生むことを重ねて未来永劫に発展し続けるという深い意味をもっているのです。

「A rolling stone gathers no moss 」(転石苔を生ぜず)
転がる石を勤勉に譬えて怠惰で苔を生じさせてはならないと教えるのは欧米。
我国では不動の岩に苔むすことを悠久の生々発展の証とするという正逆の国民性の
違いも興味深いことです。

万葉集で苔の類を詠んだ歌は11首あり、山中に生えているさまを「苔むしろ」と
表現したものが1首、他は長い時間の経過や、もの古りた状態を形容するのに
用いられ、さらに逢瀬の間遠さを嘆く歌もあります。

「 妹が名は 千代に流れむ 姫島の 
        小松がうれに 苔むすまでに 」    
               巻2-228(既出) 河辺宮人


( この娘子の名は万代まで語り継がれることであろう。
娘にふさわしい姫という名を持つ島の小さな松が成長して苔がむすようになるまで
未来永劫に )

711年、作者が淀川あたりへ旅をした時、近くの姫島の松原で入水した乙女の話を聞き
その様子を幻想しながら詠ったものと思われます。
古代、入水した女性の伝説が各地にあり、悲劇と云うより美化したものとして
語り継がれていたようです。
学者の中にはこの歌こそ君が代のル-ツと主張される方もおられますが、
このような入水を悼む歌が「国歌」の源泉となるはずもなく、現在では完全に
否定されています。 ( 201.「君が代のルーツ」ご参照)

「 奥山の 岩に苔むし 畏(かしこ)けど
      思ふ心を いかにかもせむ 」  巻7-1334  作者未詳


( 奥山の巨岩に苔が生えていて、その厳粛なさまは畏れ多いが
 それに触ってみたいという、その気持ちをどうしたらよいのだろうか )

この歌はどうやら高貴な女性に恋焦がれた男の歌のようです。
苔むす岩は身分違いの女性を暗示していますが、そのさまがいかにも神々しく、
近寄りがたいと感じられたのでしょうか。

「 奥山の岩に苔むし 畏(かしこ)くも
     問ひたまふかも  思ひあへなくに 」 
                巻6-962 葛井広成(ふじい ひろなり)


( 奥山の岩に苔が生えて神々しいように、畏れ多いことですが、
  この私に歌を詠めと仰せになるのですね。
  歌などとても、とても思案できませんのに )

730年、駿馬を選ぶための勅使 大伴道足が大宰府に派遣されました。
当時九州に朝廷直轄の牧場があったそうです。
早速大宰府長官 大伴旅人邸で歓迎の宴が催されます。
宴もたけなわのころ、周りの人たちが歌の名手として知られていた都人、
葛井広成(ふじいひろなり)に

「 葛井さま ひとつ歌を」と囃しました。

固辞しきれず広成が即座に詠った一首は、上の歌(7-1334) をもじったものです。
この歌は宴会などで広く詠われていたらしく、皆にもすぐわかったのでしょう。
さらに一ひねりして、宴席が勅使歓迎の場であるが故に、天皇からの御下問であるかの
ように「畏(かしこ)くも問ひ賜ふ」即ち「畏れ多くも歌を詠めとお命じになられるのですね」と
応じたところが「みそ」なのです。
その機転に満場は拍手喝采だったことでしょう。
それにしても、古人は色々な歌を何時でも応用できるように暗記していたのですね。

「 塚の銘 千代に や千代に 苔の花 」 野坡

次の歌は男と女の楽しい掛け合いです。

「 敷袴(しきたへ)の 枕 響(とよ)みて 夜も寝ず
    思ふ人には 後も逢ふものを 」   巻11-2515 柿本人麻呂歌集

  「 敷袴の 枕は人に 言とへや
       その枕には 苔生しにたり 」  巻11-2516 同上


男 ( 枕ばかり音を立てよって! 
    俺様は夜も寝られない位 お前さんに恋焦がれているんだよ。
    そんなに思いを掛けているのだから 後で必ず逢えはずだよな。それなのに!)

女 ( 枕は人に言葉をかけるものなのでしょうか。
   そんなことあるはずがないでしょう。
   それが証拠にお前さまの枕は、一面に苔が生していますよ )

「苔むす」は共寝から遠ざかっていることを形容しています。
このような歌をやり取りできるのは、お互いに気心が知れた間柄なのでしょう。
宴会などで歌って楽しんだのかもしれません。
「苔むす枕」はウイットあふれる表現、現在でも使えそうです。

「 岩にむす 苔のみどりの 深き色を
    いく千世(ちよ)までと 誰(たれ)か 染めけむ 」  源実朝


( 岩にむした苔は年中緑を保ち、幾年月を経ても新しく生々を繰り返して
  絶えることがありません。
  まさしく千代八千代を象徴する悠久の姿。
  このような鮮やかな緑濃き色に染めたのはどなたなのでしょうか )

悠久の繁栄のシンボルとして詠われた苔は禅宗の渡来と共に枯山水を構成する
不可欠な存在となり、侘び、寂びの文化を生み出しました。

さらに先人の繊細な感覚は、苔が主役となる世にも稀な幽玄の世界を出現させます。
境内一面苔に覆われた西芳寺(苔寺:世界文化遺産) はその代表的なものですが、
三千院、祇王寺(共に京都)、秋篠寺、吉城園(共に奈良)の苔庭も美しく、
私たちを夢の世界へと誘ってくれます。

「 水打てば 沈むが如し 苔の花 」 高濱虚子
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by uqrx74fd | 2013-01-24 13:29 | 植物

万葉集その四百七(東人の富士)

( 吾妻山公園からの富士山  2013.1.12 撮影 )
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( 忍野八海 )
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( 朝焼け富士  山中湖から)
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( 三国峠から )
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( 三島から   巨大な噴火の跡 )
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( 青木ヶ原樹海    yahoo画像検索より )
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「万葉集の富士には二つの顔」があるといわれています。
一つは都の人々、今一つは富士山と共に生活している東の国の人が詠ったものです。

都の人たちは秀麗な富士山の姿を目の当たりにして歓声を上げ、最大限の賛辞を捧げて
詠い、都に帰ってからは「言い継ぎ、語り継ぎゆかむ」と、その美しい姿や
噴火するさまを何度も繰り返し周りの人々に伝えたことでしょう。

一方、駿河や伊豆に住む人々にとっての富士は、肥沃な裾野で田畑を耕し、
薪や新鮮な水を供給してくれる大切な生活の場でした。

毎日空を見上げて雪が降り過ぎないか、噴火の灰が降ってこないかと心配し、
時には木の下でデートを重ね、樹海の迷路を恋の迷いに譬えて心の内を語り、
噴火する山を眺めながら恋人に対する燃える想いを重ねて詠ったのです。

富士山は東国の人々にとってあまりにも身近な、当たり前の存在であったため、
その美しさ、崇高さを詠ったものが一首もないというのも当然かもしれません。

残された数々の歌から人々の生活の様子を探ってゆきますが、方言で詠われた
たどたどしい調べは素朴で温かみを感じさせるものばかりです。

「 さ寝(ぬ)らくは 玉の緒ばかり 恋ふらくは
    富士の高嶺の 鳴沢(なるさは)のごと 」  
                        巻14-3358 作者未詳


( 共寝するのは ほんのちょっぴり それなのに、この恋しさはどうだ。
 富士の高嶺の鳴沢で溶岩が崩れ落ちて物凄い音を立てているように
 俺の心は鳴りやまずだよ )

「さ寝」は満ち足りた眠り、即ち女性と共寝することで、
「玉の緒ばかり」とは、玉を繫いだ紐のように細くて短いの意らしく、
共寝の時間と回数が少ないことを嘆いています。
  鳴沢は西湖の南に鳴沢村の名が残っており、富士山西側の大沢崩れあたりのようです。
  恋の想いの強さを富士の噴火爆発に重ねるとは大げさな表現ですが、
土地に住む人しか詠えない実感が伴う一首です。

「 ま愛(かな)しみ 寝(ぬ)らく 及(し)けらく さ鳴(な)らくは
    伊豆の高嶺の 鳴沢(なるさは)なすよ 」 
                               同 或る本の歌に曰く

( 可愛さのあまり寝たのは数えきれない位だよ。
 それにつけても、この噂の轟きは 伊豆の高嶺の鳴沢なみよ )

「ま愛(かな)しみ」は切ないまでにいとしい。
「及(し)けらく」は「次から次へと繰り返す」の意
「鳴沢なすよ」は「鳴沢のようだよ」

伊豆の高嶺は天城山または伊豆から見える富士山とも言われています。
鳴沢は地名ではなく音高く流れる渓流の意かもしれません。
山崩れの音にせよ、奔流する水音にせよ、心は同じ轟音です。

都会の宮人の取り澄ました様子が微塵もない庶民たち。
苦しい生活を笑い飛ばすような愉快な歌で、宴会やお祭りで詠われた
民謡だったのでしょうか。

「 富士の嶺(ね)の いや遠長き 山道(やまじ)をも
   妹がり とへば  けによはず 来ぬ 」 
                      巻14-3356 作者未詳


( 富士の嶺の麓のやたらに遠く長い山道、それも岩がごろごろ。
 そんな道をも いとしいおまえの許へと思えば 心軽々 すいすいと
 やってきたことよ )

「妹がり」は「妹の許へ」
「とへば」は「~といえば」で「あなたの許へ行くと思えば」。

「けによはず」は難解。
「け」を「息」とするか「日数」とするかで解釈が分かれますが、ここでは
「息」と解釈し「よはず」は「及はず」で「息も切らせないで」とします。
「思うて通えば千里も一里 」です。 

場所は愛鷹山の鞍部(山の稜線のくぼんだところ)を通る十里木越え(850m)と
推定されていますが、溶岩がごろごろしている山道を走り通した男は
「どうだい! お前さんに逢いたい一心で韋駄天のごとく走ってきたぞ」と
自慢げに鼻をうごめかせている様子が目に浮かぶような一首です。


「 天の原 富士の柴山 木(こ)の暗(くれ)の
     時 移(ゆつ)りなば  逢はずかもあらむ 」 
                   巻14-3355 (既出174夏影) 作者未詳


( ここ富士山麓は木々が生い茂り、鬱蒼として暗いばかり。
 「この季節この時間に会おう」と互いに約束し、長い間待っているのに
とうとう日が暮れてしまったよ。 もう二度と会えないのだろうかなぁ ) 

「天の原」は富士の長く続く稜線を思い起させます。
人々にとって柴伐る山は、時には樹海の木の下闇で逢い引をする
場所でもありました。

「木の暗(このくれ)」「この暮れ」と掛けた言葉に時が刻々と過ぎゆき、
夕暮れが迫ってきている様子と男の暗澹たる気持ちが重なります。

胸を弾ませて約束の場所に来たのに、約束の時間をとうに過ぎても
姿を見せない恋人。
母親から猛烈に反対されているのでしょうか。
「あんなに固い約束を交わしたのに」と 諦めきれずに暗闇に佇む男です。

「 天の原 初富士の吹雪 ながれやまず 」  渡辺水巴

律令制のもと庶民の生活は食うや食わずの日々でした。
その苦しさの中、人々はお互いに助け合い、励まし合いながら
時には笑い、時には恋に燃えて生きる喜びを見出していました。
富士山の美しさを愛でて詠うなど頭の隅にもなかったことでしょう。

「 富士うつす 麦田は雪の 早苗かな 」 其角
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by uqrx74fd | 2013-01-19 19:56 | 生活

万葉集その四百六(杉の文化)

( 杉に囲まれて立つ室生寺の五重塔(奈良)
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( 杉に寄り添う石楠花 :室生寺 )
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( 苔むす杉 : 室生寺 )
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( 杉の新葉 枯葉 : 室生寺 )
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(  杉の実  奈良公園 )
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( 杉の根   奈良公園 )
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( 大神神社の神杉  奈良三輪山 )
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(  杉の巨木の脇にたたずむ石仏  鎌倉 浄智寺 )
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間もなく花粉症に悩まされる季節が到来します。
然しながら、杉が厄介者扱いになったのは戦後のことで、私たちの祖先の生活は
杉と共にありました。
太古の昔から豊富に自生していたこの木を人々はそれを最大限に利用しながら、
絶やさないようにいたるところで植栽を続けてきたのです。

杉が本格的に利用されたのは「稲と鉄と杉の文化期」とも云われる弥生時代です。
静岡県の登呂遺跡で2万坪に及ぶ水田の全面積を区画するため、畦路(あぜみち)に
杉の板をびっしりと打ち立てて土留にしていた(矢板)ことはよく知られており、
稲の生産拡大に大きな役割を果たしていました。

豊富にあった杉の天然林も藤原京、平城京という大規模な都づくりが進むと共に
伐り過ぎたのでしょうか。
早くも植林がなされていたことが次の歌からも窺えます。

「 いにしへの 人の植ゑけむ 杉が枝に
       霞たなびく 春は来(き)ぬらし 」  
                巻10-1814 (既出) 柿本人麻呂歌集


( 古の人が植えて育てたというこの杉木立の枝に霞がたなびいている。
 もう間違いなく春がきているのだなぁ。 )

杉は間伐をし、枝打ちをしなければ真っ直ぐに、また大きく育ちません。
作者は鬱蒼と茂る見事な杉木立を眺めながら古人が植樹をしたものだろうと、
その遺徳を讃えながら春の来訪を寿いでいます。
これほど古い時代に樹木を植えたという記録は世界でも例がなく驚くべきことです。

「 鳥総(とぶさ)立て 足柄山に 船木伐(き)り 
     木に伐り行きつ あたら船木を 」
               巻3-391  沙弥満誓 (さみ まんぜい)


( あの男め! 鳥総を立てて、足柄山の極上の木を何でもない木として
伐っていきおったわい。 むむぅ-!
 むざむざ伐るには勿体ない立派な船木だったのに )

「鳥総」とは枝葉がついたままの梢の部分をいい、人々は木を伐採した後、
「鳥総」の切っ先を切り株や地面に突きたてて木の再生を神に祈りました。
接ぎ木の起源とも云われている儀式です。

この歌は世間で評判の美女、しかも、自分もかねてから目をつけていた女性を 
ある男がいとも簡単に妻にしてしまったことを譬えた歌のようです。(伊藤博:万葉集釋注)
「船木」は妙齢の美女 「鳥総立て」に結婚を暗示しています。

当時、足柄のほか能登、伊豆、熊野で造船が盛んだったことが知られており、
山で伐採した丸木をその場で刳りぬき、刳り船として川に流し海辺で
舷側などをつける作業をしていたようです。

とりわけ足柄山は船の良材を産する地として名高く、この山の杉で造った船は
他に比べて格段に船足が軽いので足軽(あしがら)の名が起こったという言い伝えも
あります。(相模国風土記)

古の人たちは杉を建築用材、畦路(あぜみち)の補強材、船材に使用したほか、
竹と組み合わせて樽を作り、大量の味噌、醤油、酒の保存と運搬を可能にし、
物流を拡大していったのです。

「 み幣(ぬさ)取り 三輪の祝(はふり)が 斎(いは)ふ杉原
    薪(たきぎ)伐(こ)り ほとほとしくに 手斧取らえぬ 」 
                        巻7-1403 (旋頭歌) 作者未詳


「 幣帛(へいはく)を手に取って三輪の神官が斎(い)み清めて祭っている杉林。
  その杉林で薪を伐って、すんでのところで大切な手斧を取り上げられる
  ところだったよ 」

手を出してはならない人妻、身分違いの女性、あるいは巫女なの神職にちょっかいを
出し、危うく制裁されかかった男の歌のようです。

杉の巨木は神の依り代として注連縄(しめなわ)で飾られて保護されていることが多く、
「神木は絶対に伐採してはならない」と我々は思いがちですが、古代では
一定期間神木として祀ったのち伐採して利用したと考えられています。

そもそも神社や寺を建てる時に、良質な杉、檜を得やすい美林が存在する地を選定し、
その材を神社仏閣の建築用材に用い、修理、補強の時も適時伐採して
利用していたのです。
さらに樹皮は屋根に、葉は線香や薬用、樹脂は傷用の軟膏にと驚くほど用途が
多く、杉林があれば燃料にも事欠かなかったことでしょう。

 「  米搗(つ)くと かがるこの手に 何よけむ
      杉の樹脂(やに)とり 塗らばか よけん 」 長塚 節


「米搗く」とは籾殻を除去して精米にする作業をいいます。
「かがる」は「あかぎれが切れる」ことで治すには「杉の樹脂(やに)がよろしい」と
詠っていますが、次の万葉歌を本歌取りしたもの。
作者はからかいながら楽しんでいるようです

「 稲搗けば かかる我(あ)が手を 今夜(こよい)もか
   殿の若子(わくご)が 取りて嘆かむ 」 
                 巻14-3469(既出) 作者未詳


( 稲をついて ひびわれした手 今夜もまたお屋敷の若様が この私の手を取って
 可哀想にとおっしゃるでしょうか )

「 いつの間(ま)も 神さびけるか 香具山の
   鉾杉(ほこすぎ)が末(うれ)に 苔むすまでに 」
             巻3-259 鴨君足人(かものきみたりひと)


( いつの間にこうも人気(ひとけ)がなく、神々しくなったのか。
  香具山の尖った杉の大木の梢に苔がつくほどに ) 

都が藤原京から平城京に移ったあと、人も少なくなり閑散としている寂しさを
詠った一首で、「苔むすまでに」というフレーズは早くから使われてきました。

鬱蒼と茂る杉の巨木に神の息吹を感じ、畏敬の念を感じたのでしょうか。
社殿のなかった時代、人々は山や巨木、石などを信仰の対象としていました。
中でも奈良の三輪山は山そのものをご神体としていることでもよく知られています。

   「我がいほは 三輪の山もと 恋しくは
      とぶらひ来ませ 杉立てる門(かど) 」 
                       古今和歌集 よみ人しらず

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by uqrx74fd | 2013-01-13 08:28 | 植物

万葉集その四百五(富士山)

( 朝焼け富士 精進湖から)
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( 日の出富士  同上 ) 
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( 三島からの富士 )
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( 西湖からの富士 )
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( 富士五合目から )
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( 夕焼け富士  精進湖 )
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( 稲村ケ崎から )
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( 山中湖から )
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「 初春の 真すみの空に ましろなる
     曙の富士を仰ぎけるかも 」     佐々木信綱


『 世界各国にはそれぞれの名山がある。
  しかし富士山ほど一国を代表し、国民の精神的資産となった山は
  ほかにないだろう。
  「語りつぎ言ひつぎゆかむ」と詠まれた万葉の昔から、われわれ日本人は
  どれほど豊かな情操を富士によって養われてきたことであろう。
  もしこの山がなかったら、日本の歴史はもっと別の道を辿っていたかも
  しれない。 』  
                   ( 深田久弥著  日本百名山  朝日文庫より)

わが国で最初に富士を詠ったのは山部赤人と高橋虫麻呂とされています。
(註:他に東歌ほか数首あるが富士山の景観を詠ったものはない)

朝廷に仕える二人が、都から東国への長い旅の途中、初めて冠雪の秀峰を
仰ぎ見た時の感動は口では言い尽くせないものがあったことでしょう。
最大限の言葉で褒め讃えた歌を残していますが、それはお互いの個性の違いが
顕著に表れたものでした。

赤人は、富士は悠久の昔から崇高、清浄、雄大にして、四方を睥睨してそそり立ち、
太陽の光も照る月も白雲も、行くのを躊躇する厳然たる存在であり、
その美しい姿を後々にまで「 語り、言い継いでゆこう」と讃え、
反歌で次のように詠っています。 (長歌は文末に記載) 

「 田子の浦ゆ うち出(い)でてみれば 真白にぞ 
               富士の高嶺に 雪は降りける 」  
                             巻3の318  山部赤人(既出)


百人一首にも採用されている あまりにも有名な一首。
田子の浦を通り、薩捶峠(さったとうげ)あたりに出た時、突然 視界が開けて
目に飛び込んできた雄大かつ秀麗な富士の姿を、海、山、空とパノラマのような
大きなスケールで簡潔平明に詠った万葉屈指の秀歌です。

赤人が駿河から見た富士を詠ったのに対し、虫麻呂は驚異的な観察力を駆使して、
富士山は甲斐と駿河の中間に聳え立つ山という地理的な位置を明確にし、
盛んに噴火しているさま、富士五湖の一つである西湖、さらには富士川を俯瞰するという
まるでルポライターのような表現をしました。

以下、訳文、訓み下し文、数行ごとの解説と続けます。

高橋虫麻呂の歌 全訳文

「 甲斐、駿河の二つの国の真中から聳え立っている富士の高嶺は
  空ゆく雲も行くのを躊躇し、飛ぶ鳥も山が高きが故に飛び上がれない。

  噴火している火を雪で消し 降る雪を火で消し続けて 
  富士は言葉に出して言いようもなく 名付けようもないほど霊妙にまします神である。

  「せの海」と名付けている湖(うみ)も 富士山が塞(せ)きとめた湖だ。
  富士川といって人の渡る川も その山からほとばしり落ちた水だ。

  この山こそ、日の本の大和の国の鎮めとしても まします神。
  国の宝ともなっている山である。

  駿河の富士の高嶺は 本当に見ても見ても見飽きることがない 」(巻3-319)


(訓み下し文)

「 なまよみの 甲斐の国 うち寄する 駿河の国と 
  こちごちの 国の み中ゆ 

  出でたてる富士の高嶺は 天雲も い行きはばかり 
  飛ぶ鳥も 飛びも上(のぼ)らず

  燃ゆる火を 雪もち消ち  降る雪を 火もち消ちつつ
  言ひも得ず 名付けも知らず くすしくも います神かも

  せの海と 名付けてあるも その山の 堤(つつ)める海ぞ
  富士川と 人の渡るも  その山の 水のたぎちぞ

  日の本の 大和の国の 鎮めとも います神かも  
  宝とも なれる山かも 

  駿河なる 富士の高嶺は 見れど飽かぬかも 」 
                          巻3-319 高橋虫麻呂歌集


以下、数行ごとに読み砕いていきます。

「 なまよみの 甲斐の国 うち寄する 駿河の国と
  こちごちの 国の み中ゆ 」


「なまよみ」は甲斐の枕詞。掛かり方が未詳なので単に「甲斐の国」と訳します。
「打ち寄する」は 駿河の枕詞。 「波が打ち寄せる駿河の国の」

「こちごちの」は、「あちらと こちら」

( 甲斐の国と波が打ち寄せる駿河の国。
  あちらとこちらの二つの国の真中に )

「 出でたてる 富士の高嶺は 天雲も い行きはばかり 
  飛ぶ鳥も 飛びも上(のぼ)らず 」


 (  聳え立つ富士の高嶺は あまりの高さゆえ 雲も行きあぐねて
   飛ぶ鳥も 嶺以上に高く飛べず  )
 
「 燃ゆる火を 雪もち消ち  降る雪を 火もち消ちつつ 」

( 噴火している火を雪で消し、 降る雪を火で消し続けて )

「 言ひも得ず 名付けも知らず  霊(くすし)くも います神かも 」

その姿は、あまりにも偉大すぎて言葉では言い表せない 
また名前も付けようがない 
それは 神々しく霊妙な神である

「 せの海と 名付けてあるも その山の 堤(つつ)める海ぞ 」

( 「せの海」と名付けている湖は富士山が塞きとめた湖だ )

「せの海」は 富士五胡一つである西湖とされ、864年の大爆発によって中間が
埋まるまで精進湖と一体になっていた。

「せ」とは「カメノテ」といわれる貝の名前で当時、多く生殖していたらしい。
石に咲く花のように見えたのか、原文では「石花」となっている。
また、「せ」は「西」(せ)に音が通じる。

「 富士川と 人の渡るも  その山の 水の たぎちぞ 」

( 富士川とよんで皆が渡っている川も
富士山から奔流のように流れ落ちた川だ )

実際は、そうではないが作者にはそのように思われたのでしょう。

「 日の本の 大和の国の 鎮めとも います神かも  
  宝とも なれる山かも 
  駿河なる 富士の高嶺は 見れど飽かぬかも 」
 
 
  「 富士は日本の鎮めの神の山、国の宝
   何度見ても飽きないことよ 」
                           巻3-319 高橋虫麻呂歌集
   
反歌

「 富士の嶺(ね)に 降り置く雪は 六月(みなつき)の
    十五日(もち)に 消(け)ぬれば その夜降りけり 」 巻3-320 同上


( 富士の嶺に積っている雪は 6月15日に消えると その夜にまた降るというが 
 まったくその通りだ )     

 6月15日は旧暦の大暑にあたり、現在の8月15日頃。
そんな暑い盛りにも雪が降り積もる。

雪は豊作の前兆、目出度いものとされていたので
万年雪は国土豊穣のしるしという意も含まれているのでしょう。

「 富士の嶺(ね)を 高み畏(かしこ)み 天雲も
    い行きはばかり たなびくものを 」 巻3-321 同上


( 富士の嶺が高く畏れ鎮まっているので 天雲さえ行きためらって 
たなびいているではないか あぁ )

虫麻呂は富士山に霊性を感じて神とみなし、忿怒のごとく噴火するさまを
躍動的に伝えています。

斜面を転がり落ちる溶岩、火と雪を巻き上げた噴煙、悲鳴にも似た鳥の声、
富士川の奔流をなして流れる音が今にも聞こえてきそうな臨場感。
まさに赤人の静に対する動の世界。

その偉大な姿は日本の鎮め、国の宝と詠うスケールの大きさ。
虫麻呂の会心の作ともいうべき歌群です。

  「 初凪(はつなぎ)の 五湖へ裾ひく 富士の山 」 竹内和歌枝

東西南北どこからみても美しい富士。
「八方玲瓏という言葉は富士山から生まれた」(深田久弥)そうです。 

桜、新緑、紅葉、雪、さらに 日の出、夕焼け、月、雲 等の借景を添えた
四季折々の美しい姿は私たちを魅了してやまず、古くから数えきれないほどの
句歌や絵、写真、名文の数々が生みだされてきました。
霊峰に向かって祈り、心を癒す人々も多いことでしょう。

国民の心の拠りどころである富士。
それは、天地創造にあたって天が下された我が国民への最大の贈り物でありましょう。

「 見る見るに かたちをかふる むら雲の
      うへにぞ晴れし 冬の富士ヶ嶺 」 若山牧水


(ご参考)   山部赤人の長歌


「 天地の分れし時ゆ 
神さびて 高く貴き駿河なる 富士の高嶺を 
天の原 振り放(さ)けみれば 
渡る日の 影も隠らひ  照る月の 光も見えず 
白雲も い行(ゆ)きはばかり 
時じくぞ 雪は降りける 
語り告げ言い継ぎ行(ゆ)かむ 富士の高嶺は 」   巻3の317 山部赤人

訳文


( 天と地の分れた神代の昔から
神々しく 高く貴い 駿河の富士の高嶺
天空はるかに 振り仰いでみると
空渡る太陽の光も頂に隠れ、 照る月の 光もさえぎられ
白雲も流れなずんで
時に関係なく いつも雪が降り積っている。
あぁ、なんという美しくも神々しい姿。
これからも、後々まで語りつぎ 言いついでいこう、 
富士の高嶺のことを ) 
                         以上
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by uqrx74fd | 2013-01-02 21:47 | 自然