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万葉集その四百十七 (うち靡く春)

( 氷室神社の柳と枝垂桜 奈良)
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( 浮見堂  奈良 )
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( 長谷寺  奈良 )
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( 又兵衛桜 奈良 )
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( 千鳥ヶ淵  東京 )
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( 同上 )
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( 三春の滝桜  福島 )
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( 東京国立博物館日本庭園  上野 )
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古代「靡く」という言葉は「 草や髪の毛が風に靡く、人が横になる、服従する、
引きつけられる、慕う 」などの意味に使われ、そのほとんどが現代に継承されて
います。

この言葉が「うち靡く春」すなわち、春の枕詞になると、今まで静かに冬眠していた
草木や動物が暖かい日差しを浴びて生き生きと動き出し、花が咲き、鳥が囀りながら
木々を渡ってゆく躍動感あふれる情景を醸し出します。

たった二文字「うち」の凄さ、日本語の奥深さ。
万葉人はこの言葉を思う存分使って春到来の喜びを詠いました。

「 うち靡く 春立ちぬらし 我が門(かど)の
    柳の末(うれ)に うぐひす鳴きつ 」 
                       巻10-1819 作者未詳


(  草木の靡く春がいよいよやって来たらしいなぁ。
  我が家の柳の枝先で 鶯が鳴きはじめたよ )

万葉集で鳥の一番人気は、ホトトギス(155首) 続いて雁(66首)、鶯(51首)、
鶴(45首)と続きます。
「春告げ鳥」、「歌詠み鳥」、「花見鳥」など美しい名前をもらった鶯は
その声ゆえに堂々のベストスリ-入りです。
「柳に鶯」は珍しい組み合わせですが、長い枝がゆらゆらと揺れているさまが
打ち靡いているように感じたのでしょうか。

鶯は笹の多い林の下や藪を好みます。
「梅に鶯」は詩歌や絵の世界で多く採りあげられていますが、実際に梅の蜜を
吸いに来るのはメジロが多く、時々雀が花を啄んでいるのも見かけます。

次の歌は万葉人の観察目の正確さを物語るものです。

「うち靡く 春さり来れば 小竹(しの) の末(うれ)に
   尾羽(をは) 打ち触れて うぐひす鳴くも 」
                        巻10-1830 作者未詳


( 草木の靡く春がやってきました。
 鶯が篠の梢に尾羽を打ち触れて、しきりに囀っていますよ。)

篠竹の梢に止まってしきりに鳴く鶯。
尾羽を小刻みに振り、葉擦れの音も爽やかです。

「うち靡く 春の柳と 我が宿の
   梅の花とを いかにか 分かむ 」
                巻5-826 大典 史氏大原(だいてん しじのおおはら)


( しなやかな春の柳。
 それに我が家の庭の梅の花。
 どちらが趣があるかといわれても、困りますなぁ。
 両方とも素晴らしいものねぇ。)

大宰府の大伴旅人宅で催された梅花の宴での一首。
柳はその生命力の強さが好まれ、邸宅の周囲に魔除けとしても植えられました。
春一番に咲くのはネコヤナギで、通常の柳はそれから2カ月後に芽吹きます。
柳の花の形も面白い。

「 うち靡く 春来るらし 山の際(ま)の
      遠き木末(こぬれ)の 咲きゆく見れば 」 
                   巻8-1422  尾張 連(伝未詳)


( 草木が芽を出して靡く春が今しもやって来たらしい 。
 山あいの遠くの梢の花が次々と咲いてゆくのをみると ) 

作者は春の訪れを心待ちにして毎日遠くの山間を眺めているようです。
花は山桜と思われますが、見るたびに花の数が増えている!
あぁ、やっと春が来たのだ。
静かな詠いぶりながら、内から湧き起る感動と喜びが伝わってくる一首です。

古都奈良では春を告げる行事「お水取り(修二会:しゅにえ)」が
3月1日から14日まで行われました。
梅に続き柳が芽吹き、辛夷(こぶし),木蓮、そして桜といまや春爛漫。
北国の春の訪れも真近なことでしょう。

「 うちなびく 春のかがやき あまねかり 」 筆者
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by uqrx74fd | 2013-03-30 19:48 | 自然

万葉集その四百十六 (梅の里)

( 月ヶ瀬梅林 奈良県 )
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( 同上 )
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( 懸崖の花見台 同上 )
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( 梅と蝋梅の香り漂う小径 同上 )
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( 昔梅干し漬けに使用されていた樽 同上 )
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( 吉野梅郷  青梅市 )
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( 同上 )
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『 二月には梅が咲き、この部落全体が梅の花で埋まった。
そうして三月になっても、風のないおだやかな日が多かったので、
満開の梅は少しも衰えず、三月の末まで美しく咲きつづけた。
朝も昼も、夕方も、夜も、梅の花は、溜息の出るほど美しかった。
そうして お縁側の障子戸をあけると、いつでも花の匂いがお部屋に
すっと流れてきた。』
                      ( 太宰治 斜陽 新潮文庫より)

もろもろの花に先駆けて咲き、春の訪れを告げてくれる梅は奈良時代の終わり頃
中国から渡来したと云われています。
(九州の一部に我国原産のものがあったという説もあり)

これまで書物や絵画で読んだり見たりしながら、その形姿を想像しながら歌を
詠むしか術がなかった万葉人は、実物を目の当たりにして長年の夢がかなったと
欣喜雀躍したことでしょう。

そして、まず大宰府、次いで平城京、春日の里などに植えられ、見る見るうちに
増やしていったようです。
春日の里は、現在の白毫寺あたり、志貴皇子が屋敷を構えていたところで、
背後に御蓋山、春日山、高円山が控えています。

「 霜雪も いまだ過ぎねば 思はぬに
     春日の里に 梅の花見つ 」 
                 巻8-1434(既出) 大伴宿禰三林


( 霜も雪もまだ消えやらぬのに 思いもかけず春日の里で 梅の花を見たことよ )

作者は水がぬるみはじめた頃、春日の里へ出かけたところ、
思いもかけず霜や雪にめげずに凛と咲く梅を見つけたようです。
それはまだぽつりぽつりと咲く数輪の白梅だったかもしれません。
待ちに待った春到来の喜びが感じられる一首です。

「霞立つ 春日の里の 梅の花
   山の嵐に 散りこすなゆめ 」      巻8-1437 大伴村上


( 霞が立ちこめている春日の里の梅の花よ
 山おろしの風に散ってくれるな。 決して )

霞とともにやってきた春。
春日の里の梅はもう満開です。
「風よ散らすな」と詠われている風は高円山からの吹きおろしなのでしょうか。

「 ひさかたの 月夜(つくよ)を清み 梅の花
    心開けて 我(あ)が思へる君 」    巻8-1661 紀小鹿郎女


( 月夜が清らかなので それに誘われて梅の花が咲きだしました。 
貴方様をお慕いしている私の心も、花のように ほんのりと開いて- -。)

夜桜ならぬ夜の梅。
暗闇に咲く花が月の光に照らされておぼろげに浮かび上っています。
ほのかな香りも漂っていたことでしょう。
清純な乙女の恥ずかしげな恋心です。

「 梅の花 散らす春雨 いたく降る
      旅にや君が 廬(いほ)りせるらむ 」
                         巻10-1918 作者未詳


( 梅の花を散らす春雨 その春雨がひどく降っている
 この雨の中を あの方は今頃、旅の仮小屋でひとりさびしく
 籠っていらっしゃるのでしょうか)

冷たい雨が無情にも満開の梅に降りかかり、折角の花を散らしはじめました。
さぞ冷たかろう、寒いだろう。
長い旅に出ているわが夫よ。
雨に打たれて風邪をひかないだろうか、無事だろうかとその身を案じている優しい妻。

「月ヶ瀬や 次の茶屋へも 梅の径(みち) 」 鈴鹿野風呂

梅は観賞用としてだけではなく、実を梅干し、梅酢は防腐用として料理に、
さらに烏梅(うばい)にして解熱、腹痛などの医療用、紅染めの触媒材に利用しました。
烏梅とは半熟の梅を、藁の煙で燻して燻製状にしたものです。(真っ黒な梅干)

奈良、京都、三重の県境に月ヶ瀬という小さな村があります。
兼六園、奈良公園とともに我国最初に名勝に指定された(1992年)梅の名所です。
1331年、元弘の乱で足利尊氏に大敗を喫した後醍醐天皇が都落ちをしたとき、
一緒に逃げてきた女官が村の熟れた梅の実を見て、親切にしてもらったお礼にと
京で使用される紅花染め用の烏梅の作り方を教えたと伝えられています。

深い渓谷地にある月ヶ瀬村は、耕作地として利用できる土地が乏しく、
村人は米よりも高く売れる烏梅を作るため山や畑に木を植え、実を燻し、
出来た製品を換金して税を納めたそうです。

最盛時の江戸時代(1810年~1830年頃)には10万本の梅が植えられていたと伝えられて
いますが、明治時代になると合成染料が出回り、手間のかかる烏梅は廃れ、
梅林も伐採されて次第に減少の一途を辿りました。

現在、平地の梅林はダムの底に沈み、山の麓に移植された木や山上に残る1万余本が
昔を偲ばせてくれています。
往時の豪華絢爛な華やかさは失われたとはいえ、山の頂上からダム湖を見下ろす
景観の美しさは今なお多くの人々を魅了し、毎年10万人以上の観光客が
押し寄せているそうです。

「 月ヶ瀬や 夜の梅見る 小提灯(こちょうちん) 」 岡田耿陽(こうよう)
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by uqrx74fd | 2013-03-23 08:34 | 生活

万葉集その四百十五 (梅を訪ねて:曽我梅林)

( 曽我梅林からの富士山  2013,3、6 撮影)
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( 曽我梅林  同上 )
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(  同上 )
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(  同上 )
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(  同上 )
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( 雪か花か  同上 )
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( 流れる花 同上  )
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( 花の舞  同上 )
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「 青梅の 道にころがる 曽我の里 」 横山玄水

日ざしが日ごとにやわらかくなり梅の便りが届きはじめると、急に外出の虫が
うずいてまいります。
水戸偕楽園、熱海、湯河原、曽我、吉野梅林、それとも関西に足を伸ばして月ヶ瀬、
賀名生(あのう)、次々と思い浮かんでくる梅の里。

何処へ行こうかと思案しながら、まずは満開と伝えられている曽我梅林を訪ねる
ことにしました。

「 いつしかも この夜の明けむ  うぐひすの
       木伝(こづた)ひ 散らす 梅の花見む 」 
                           巻10-1873  作者未詳

  ( いつになったら夜が明けるのであろうか。 
    鶯が枝から枝へと飛び移っては散らす梅の花。
   その花を早くみたいものだ )

明朝の梅見を前にして寝もやらぬ作者。
遠足前の子供と同じ心境です。
天気は大丈夫かな?

朝5時半に出発。
東京駅から東海道線で国府津へ、御殿場線に乗り換えて下曽我駅で下車。
どうやら一番乗りらしく、人がほとんどいません。

飛び切りの快晴、富士山もくっきりと姿を見せてくれました。
これは幸先がよい旅になりそうだと身も心も浮き浮きしながら歩きはじめると
10分も経たないうちに白一色の梅の世界です。

聞くところによると、この地域一帯に3万5千本の木が植えられているとか。
小田原の覇者、北条氏の時代から弁当に用いる梅干しを作るために大々的に植えられ、
江戸時代には箱根越えを控えて需要が飛躍的に増大したといわれています。
温暖な気候と水はけのよい土質、塩田を控えた立地条件の良さが梅干し作りに
最適だったそうです。
このような経緯から白梅が多く植えられていますが、しだれ梅や紅梅もふんだんにあり、
畑の間から臨む富士山が惚れ惚れするほど美しい。

「 万代(よろづよ)に 年は来経(きふ)とも 梅の花
     絶ゆることなく 咲きわたるべし 」
                    巻5-830 佐氏子 首 (さじのこ おびと)


( 万代ののちまでも 春の行き来があろうとも この素晴らしい梅の花は
 絶えることなく咲き続けてもらいたいものだ )

と口づさみたくなるような見事な花また花。
低い木が多いせいか濃厚な香りが馥郁と漂ってきます。
小高い所から眺める畑は、まるで霞か雲が棚引いているようです。

折から、幼稚園の子供たちがリユックを背負って近づいてきました。
お花見の遠足なのでしょうか。
「こんにちは」「こんにちは」と可愛い声で挨拶をしてくれ、こちらも
笑顔で応えます。

2時間ばかり歩いた後、中ほどにある茶店で梅茶と大きな五平餅を求めて一服。
上を見上げると空を覆うばかりの花が雪のようです。

「 わが園に 梅の花散る ひさかたの
    天(あめ)より雪の 流れくるかも 」 
                  巻5の822 大伴旅人(既出)


( あれっ 梅の花びらが空から降ってくる。
 まるで雪が流れてくるようだね )
 
ひらひらと舞い落ちてくる花びらが風にあおられて吹き上がり、やがて
地面を白く覆い尽くしてゆきます。
「流れる」という斬新な表現。
時の流れ、無常の意味も込められているようです。

しばしの休息を終えて再び歩きはじめると、少し先の華やかな一角が目を引きます。
しだれ梅の枝が四方八方に伸び、白梅、紅梅、桃梅が入り混じって百花繚乱。
梅林の中でも特別に美しく、木の下に寝転んでうっとりと眺めている人もいました。

観光バスが立ち寄らない曽我梅林は訪客が比較的少ない上、敷地が広いので、
ゆっくりと散策を楽しむことが出来ます。
畑に徹しているので野趣があり他の梅の里とは違った雰囲気です。

富士山を拝めるかどうかは運次第。
4年目にして初めて霊峰を目の当たりにした感激は一入でした。

今日(3月6日)は2月から始まった梅祭りの最終日。
明日からは農家の人たちが一斉に作業をされるそうです。

ぽかぽか陽気に恵まれた楽しい散策。
来年もまた訪れたいものだと思いつつ美味い魚を求めて小田原へ向かいました。

 「 下曽我や 春の入日に 富士浮かぶ 」   高木良多

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by uqrx74fd | 2013-03-16 10:51 | 植物

万葉集その四百十四 (雪中梅)

( 筑波山梅林 )
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( 同上 )
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( 同上 )
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( 同上 )
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( 同上)
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( 同上 )
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( 同上 )
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( 同上 )
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梅はもろもろの花にさきがけて咲き、春告げ草、花の兄、匂ひ草、好文木とも
よばれています。
好文木とは晋(しん)の武帝の故事
「 文を好めばすなわち咲き、学を廃すればすなわち開けず」によるもとされ、
水戸偕楽園の「好文亭」はその由来に因んだそうです。

紅梅がまだなかった万葉時代、梅はすべて白。
人々は、朝起きるや否や窓を開け、目をこらしながら白い花が咲いていないかと探し、
時には木々に積る雪を梅かと見まがい、舞い落ちる雪を「花びらが流れるよ」と
詠いながら春の訪れを心待ちにしていました。
そして、遂に我慢ができなくなって、「せめて一輪なりとも」と思い立ち、
探梅に出掛けたのです。

その昔、ある日のことです。
「そろそろ梅も咲く頃だろう」と山の麓に住む友人を訪ねた男がいました。
着いてみると梅はまだ固い蕾のままで、おまけに雪まで降っている始末です。
出迎えた主人は
「遠路はるばるよくお越しくださいました、まぁまぁ兎も角、上へ」と招じ上げ、
酒席を整えます。

雪景色を肴にしながら旧交を温め、一献また一献。
お互いに近況などを語り合いながら、おもむろに主人が詠います。

「 山 高(だか)み 降りくる雪を 梅の花
     散りかもくると 思ひつるかも 」 巻10-1841 作者未詳


( このあたりは山が高いので 雪がはらはらと降ってまいります。
 折角お越しいただいたのに、生憎 梅はまだ蕾のまま。
せめて風に吹かれて舞い降りてくる雪を梅の花びらに見立てて
私のおもてなしと思って下さいませ。)

客が返します。

「 雪をおきて 梅をな恋ひそ あしひきの
    山 片付きて 家居(いえゐ)せる君 」 巻10-1842  作者未詳


( せっかくのこの美しい雪をさしおいて 梅の花など恋慕ったりなさいますな。
山裾に結構な家を構えてお住まいのあなたさま )

「山、片付きて」とは「片方が物に近接する」で、ここでは「山裾に」の意です。

この二首は「問答」と記されている歌の会話ですが、まず

「 遠路お尋ね戴いたのに、いまだに雪が降り覆う山家。
本来ならおもてなしするはずの梅もこの有様です」と

主人が客を気遣ったところ

「 なになに、雪景色と風流なお住まいで十分満足いたしております。
  どうか気に召さるな 」と応えたもの。

しんしんと降り積もりゆく雪を眺めながら杯を交わし、互いに
心遣いをし、されながらの粋なやり取り。
作者未詳ながら、品位と友情の暖かさが感じられ、ほのぼのとした気持ちに
させてくれる歌です。

「 雪の色を 奪ひて咲ける 梅の花
     今盛りなり 見む人もがも 」 巻5-850 大伴旅人


( 雪の色を奪うかのように 真っ白に咲いている梅。 
  この花は今が真っ盛り。
  共に見る人がいればいいのになぁ )

まだ寒さ厳しい中、一輪また一輪と、いかにも恥じらうように顔を見せ、
やがて水温む頃、あたかも天から舞い降りてきた雪かと見える花が
一斉に咲き、辺り一面に甘い香りを漂わせる梅。

作者は2年前に妻、大伴郎女を亡くしていました。
「共に見ようと楽しみにしていたのに」
花が華やかであればあるほど寂しさが募ってくるようです。

「 残りたる 雪に交(まじ)れる 梅の花
    早くな散りそ 雪は消(け)ぬとも 」巻5-849 大伴旅人


( 消え残る雪に交って咲いている梅の花 早々と散らないでおくれ。
 たとえ雪が消えてしまっても )

花が散りはじめ、残り少ない花の上に雪が降り積もりました。
折角の花を散らすなと詠う作者。
酒好きな旅人は杯を傾けながら、花の宴の余韻を楽しみ、風流なひと時を
過ごしていたことでしょう。

「 春の野に 霧立ちわたり 降る雪と
     人の見るまで 梅の花散る 」 
             巻5-839  田氏真上(でんじのまかみ)


( 「あれは春の野に霧が立ちこめて、真っ白に降る雪なのか」
  と皆が見まごうほどに、この園に梅の花が散っていることです )

風に吹かれて舞いながら散る花びら。
雪か花かと見まごうばかりの情景です。
万葉人にとっての花見は桜ではなく梅だったのです。

「 筑波嶺の 大谷小谷 春霞」 皆川磐水

数年前の3月4日、筑波山に登ったときのことです。
前日に大雪が降り、満開の梅が雪に埋まったことがありました。
全山真っ白。
紅梅が所々で顔を出し、「花はここだよ」と教えてくれます。
遠くから見る白梅は雪と区別がつきません。

万葉人もこのような雪中梅を目の当たりにしながら、有頂天になったことでしょう。

「 梅白し まことに白く 新しく」  星野立子
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by uqrx74fd | 2013-03-09 11:49 | 植物

万葉集その四百十三(哭沢の杜)

( 哭沢の杜)
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( 同 本殿 )
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( 本居宣長古事記伝石碑 )
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( 万葉歌碑 )
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( 天の香久山 藤原宮跡から )
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( 耳成山の麓 )
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( 畝傍山 )
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[ フランソワーザビエ&クロード・ラランヌ(夫妻:フランス)作 「嘆きの天使」 
 箱根彫刻の森美術館
 「泉の中に横たえる嘆きの天使は涙が途絶えることはありません」という説明文がある。]
  
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古事記によると
『 日本の国々と神々を産んだ女神「イザナミノミコト」が火の神を
産んで亡くなったとき、夫の「イザナキノミコト」が妻の死を悲しんで
大声で哭きながらポロポロと涙を流したところ、その涙から
哭沢女神(ナキサワメノミコト)が生まれ、天の香具山の麓、
畝尾(うねお)の木の本(もと) というところに鎮座ましました 』とあります。

ロマンティックな話に惹かれて早速探訪の旅に。

近鉄大阪線耳成駅で下車し、香久山の北西の麓の小さな森を目指します。
藤原京跡の方向に向かう広い道の両脇はどこまでも田畑が続く田園地帯で、
温かい日差しの中、少し冷たい風が心地よく吹き過ぎてゆきます。
野焼きの煙も流れてきました。
良いお天気なので農家の人たちも楽しげに立ち動いているように見うけられます。

歩くこと約1.5㎞。
「そろそろと着くはずだが」と畑で仕事をしている人たちに
「 哭沢神社(なきざわじんじゃ) はどちらですか」と聞いても誰も知りません。
うっかりしていましたが、「 畝尾都多本神社( うねお つたもとじんじゃ) 」
というのが正式な名前でした。 (どういうわけかローマ字表示は「うねび」)

案内表示に従って左に曲がると、こじんまりとした森の入口に本居宣長が古事記伝で
社の由来を説明した石碑と万葉歌碑が立ち、さらに奥に進むと いかにも田舎の
お宮さんといった感じの小さな本殿があります。
昔、この場所にこんこんと音を立てて流れる泉があったらしく、御神体は井戸、
水の神様だそうです。
湧き出る清水を涙に見立てて、哭沢と名付けられたのでしょうか。

なお、今は失われていますが、この近くに埴安(はにやす)とよばれた大きな池があり、
哭沢女神は池の神様であったという説もあります。

「 哭沢(なきさわ)の 神社(もり)に 御瓶(みわ) 据(す)ゑ 祈れども
       我が大君は 高日(たかひ) 知らしぬ 」
                巻2-202 檜隈女王(ひのくまのおほきみ)


( 哭沢の社に神酒の瓶(かめ)を 据え参らせて ご無事をお祈りしましたが
 その甲斐もなく わが大君は  空高く昇ってしまわれました。
 こんなに心をこめてお願い致しましたのに )
 
作者は亡き高市皇子の娘か妻と推定され、酒甕までお供えして長命をお願いしたのに
神様は聞き届けてくれませんでしたと嘆き悲しんでいます。

高市皇子は天武天皇の長子。
母親の身分が低かったため皇位継承順位は10人中8位でした。

壬申の乱の折は全軍を統率して獅子奮迅の働きをして功を挙げましたが
それを誇ることもなく、身の程を弁えた控えめ、かつ温厚篤実な人柄であったため、
天武、持統天皇の信頼厚く、太政大臣に上りつめた人物です。

惜しむらくは696年、43歳の若さでその生涯を閉じてしまいました。

この歌は柿本人麻呂の長い挽歌の後に「或る書の反歌」として掲載されており、
編集者が遺族の切なる悲しみを汲んで後に追加したものと思われます。

犬養孝氏は
「 死を悲しむ涙が哭沢女神というのは、古代の葬送の時の泣女(なきめ)を思わせる」と
述べておられますが、(万葉の里 和泉書院)
「泣き女」または「泣き屋」というのは中國や朝鮮半島、台湾、ヨーロッパにも
存在した伝統的な職業で、葬儀の時に遺族の代わりに悲しみを大々的に表現することを
もって生業とし、わが国でも古代からそのような習慣があったのかもしれません。

謝礼の額によって泣き方を変えたといわれるのも面白く、
米を謝礼とするときは「五合泣き」「一升泣き」などといっていたそうです。

「 死に近き 母が額(ひたひ)を 撫(さすり)つつ
      涙ながれて 居たりけるかな 」   斎藤茂吉


参拝を終えて香具山の方に向かうと、すぐ近くに奈良文化財研究所があります。
めったにない機会なので中に入りゆっくり見学させて戴いたのち、
大和三山を前後左右に眺めながら藤原宮跡を横切り、近鉄畝傍御陵前駅で
約7㎞の散策を終えました。
耳成山を起点とし香久山、畝傍山と三角形に歩いたことになります。

  「 老の目に 淚うかべて のたまひし
       母の御詞(みことば) 今ぞこひしき 」 佐々木信綱


                       以上
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by uqrx74fd | 2013-03-02 18:08 | 万葉の旅