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万葉集その四百二十五 (藤衣)

( 春日大社境内 奈良 )
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( 同上 )
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( 春日大社神苑 万葉植物園 )
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( 春日野の藤棚 奈良公園 )
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( 奈良公園の藤の大木と蔓 )
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( 亀戸明神 東京 )
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( 同上 )
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( 藤棚を橋の上から見下ろせるのは珍しい  同上 )
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古事記に次のようなお話があります。 

『 新羅から渡来した神に「イズシオトメ(伊豆志袁登売)」という娘がいました。
  それはもう大変な美人で多くの男達が求愛しましたが、ことごとく断られます。

  ある日、噂を聞いた「ハルヤマノ カスミオトコ(春山之霞壮夫)」という若者が
  「何とか結ばれたい」と母親に相談したところ、その母はすぐさま藤の蔓を集めてきて
  一夜のうちに衣服、沓(くつ)、弓矢など身に付けるものをすべて藤で作り、
  それを着せてその女性に会わせたのです。

  すると、不思議なことに、若者が着た衣服や手元の弓から一斉に藤の花が咲き、
  その美しさに魅せられた娘はたちまち恋に陥りました。
  そして、二人はめでたく結ばれ、やがて一人の子が生まれたのです。」

なんともロマンティックな伝説ですが、この歌から古代、衣服の材料として藤の蔓が
使われていたことが窺われ、万葉集では海人や庶民が着る衣として詠われています。

「 大君の 塩焼く海人の 藤衣
    なれはすれども いやめづらしも 」 
                      巻12-2971 作者未詳


( 大君の塩を焼く海人の着る藤衣、
 その衣のようにあの子と慣れ親しんできたが、
 こちらは衣と違っていよいよ目新しく可愛くて仕方がないよ )

藤で作られた衣服は主に作業衣、野良着などに用いられていました。
丈夫な反面、織り目が荒いので着慣れるまでに時間がかかったようです。

この歌は、朝廷に貢納する塩を焼く女性と藤衣を重ね、
「 慣れ親しんでも飽きることなく日ごとに新鮮で可愛い(めづらし)」と惚気ています。

「大君」という大げさな枕詞を使い、おどけて詠っていますが、新婚間もないのでしょう。
 貧しいながらも幸せそうな雰囲気を感じさせる歌です。

「 荒栲(あらたへ)の 布衣(ぬのきぬ)をだに 着せかてに
     かくや嘆かむ  為(せ)む すべをなみ 」 
                           巻5-901 山上憶良


( 貧しい子供に粗末な布の着物すら着せてやることも出来なくて、
  このように嘆かねばならないのか。
 一体どうすればよいのか、今の私には手のほどこしようがない )

「かてに」は 「~することが出来ない」
「為(せ)む すべをなみ」は 「為す術がない」

藤衣は荒栲(あらたへ)ともよばれていました。
目が粗く、ごつごつしている意ですが、ここでは「粗末な」という意味に用いられています。

作者は当時74歳。官吏を辞した後、長年闘病生活を送っていました。
この歌は病床で世の中のことをあれやこれやと思い煩い、中でも貧しい家庭の
いたいけない子供に思いをいたして詠んだ長短歌の一つです。

この歌の前に
「 豊かな家の子供は絹、綿の着物をまだ十分着ていないのに棄てている。
  これは一体どういうことだ」と嘆いており、それに引き替え
「貧しい子供達は着るものもなく、これからどうなるのであろう」と心配し
病床にある自分の力では もはやどうしょうもないと悲嘆しています。

極貧家庭の子供を我が事として詠っており、有名な貧窮問答歌をはじめ
格差社会を赤裸々に表現した山上憶良。
エリート官人でありながら絶えず庶民の生活に暖かい目を注いだ社会派歌人の
面目躍如たる会心作です。

「 藤衣 はつるる糸は わび人の
    涙の玉の 緒とぞなりける 」     壬生忠岑 古今和歌集


( 着ている期間が長いので ほつれてきた私の藤衣(喪服)の糸は
 まさに悲嘆に苦しむ私の涙の玉をつなぐ緒、そして
 父の魂(たま)ともつなぐ緒となったことであるよ )

庶民の粗末な衣類であった藤衣は平安時代になると喪服として着られるようになります。
加工技術が進歩して着やすくなったのでしょうか。

「はつる糸」は「ほつれた糸がぶらさがっている」状態のことで、
父を亡くした悲しみを涙の玉と父の御魂(みたま)をつなぐ緒を掛けています。
「わび人」は悲嘆にくれる作者自身。

「 間道の 藤多き辺に 出でたりし 」 高濱虚子


藤は繊維が非常に丈夫なので衣服以外に網や綱、運搬袋、吊り橋、細かいところでは
ザルやカゴ、乗馬の鞭、畳の黒いへり、豆腐のこし袋、せいろの中敷布など多様に
用いられた生活必需品でもありました。

しかしながら藤の繊維を取り出すのは大変手間が掛かる作業で、
湯浅浩史氏はその著「植物と行事 朝日選書」で
「 藤布は樹皮をはぎ、表皮を除いた内皮をわら灰で半日ほど煮て、清流でさらし、
ドロドロをしごいて繊維をとり、織った。」さらに

「 藤の綱は長野県の諏訪大社の大祭、御柱祭の御柱を山から降ろす曳綱にも
用いられ、古墳時代、巨石を運搬する修羅という木ぞりを引っ張る綱としても
フジがもちいられたに違いない。」 と述べておられます。

「 藤の花 這うていみじき 樹齢かな」  阿波野青畝
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by uqrx74fd | 2013-05-25 17:26 | 生活

万葉集その四百二十四 (藤の恋歌)

( 春日大社境内の藤 :奈良)
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( 春日大社神苑 万葉植物園にて )
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( 同上 )
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( 臥龍とよばれている巨大なイチイガシに絡む藤:天然記念物  同上にて)
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( 同上 )
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( 山辺の道 永久寺跡付近の野性の藤 )
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( 春日大社 砂摺り藤の巨大な根元 )
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爽やかな初夏の訪れとともに白や紫色の花穂を風に靡かせる藤。
藤棚など、まだなかった時代、人々は木々に蔓を絡ませながら長い穂を垂れ下げている
花房を見上げて、その美しさに溜息をつき、ついには深い根を掘り起こして自宅に
植え替えて楽しんだりしていました。
万葉集で詠われているフジは26首。
その大半が自然の美しさを愛でたものですが、藤に事寄せた恋の歌もあります。

「 かくしてぞ 人は死ぬといふ 藤波の
    ただ一目のみ 見し人ゆゑに 」
                   巻12-3075 作者未詳


(  こんなふうに恋ひ焦がれて、あげくの果てに人は死ぬものだという。
   見事な藤のような美しい人を、ただ一目見ただけなのに )

藤を女性の美しさに譬えた万葉唯一の歌です。
艶やかな女性に一目ぼれして、
「もう焦がれ死にしてしまいそうだ」と悶々としている男です。 

「藤波」は万葉人の造語ですが、風に靡いている様を波の満ち引きに見立てたセンスが素晴らしく、
1300年後の現在も季語として定着しています。

「 磯城島(しきしま)の 大和の国に 人さはに 満ちてあれども
  藤波の 思ひもとほり 
  若草の 思ひつきにし
  君が目に 恋ひや 明かさむ 
  長きこの夜を 」 
                           巻13-3248 (既出) 作者未詳


有名な歌なので1行づつ訓み砕いてゆきます。

「磯城島(しきしま)の 大和の国に 人さはに 満ちてあれども」

「敷島の」は「大和」の枕詞です。
その由来は、山の辺の道の途中に「磯城瑞籬宮跡」(しきのみずがきのあと)、
即ち10代 崇神天皇の宮跡があり、この地で我が国古代王権が確立されたといわれています。
日本を別称する言葉「磯城島(敷島)の大和」はここで生まれたのです。

「人さはに」は「人、多(さは)に」

( この敷島の大和の国は、人がたくさん満ちあふれていますが)

「藤波の 思ひ もとほり」

「藤波」は「思ひ」の枕詞 「もとほり」は「まつわる」

( 藤の蔓が木に絡みついているように 私の胸にあなたが まとわりつき )

「 若草の 思ひつきにし 」

 「思ひつきにし」は「思いにとりつかれている」

( 若草のような瑞々しいあなたに 私の心がとりつき )

 「 君が目に 恋ひや 明かさむ 長きこの夜を 」 

「君が目に 恋ふ」 (あなたに逢いたいと想い焦がれて)
「明かさむ 長きこの夜を 」 (この長い夜を 明かすことになるのでしょうか)

長歌全訳文


( この磯城島の大和の国に 人はたくさん満ちあふれていますが、
  藤の蔦が絡みつくように 私の想いがあなたにからみつき、
  若草のように瑞々しいあなたに 心が寄り付き、
  ただ ただ、お逢いしたいと、そればかり思い焦がれて
  まんじりともせず、この長い夜を明かすことになるのでしょうか ) 13-3248 
    
「磯城島の 大和の国に 人ふたり 
         ありとし思はば 何か嘆かむ 」   
                巻13-3349 作者未詳

短歌訳文
( この敷島の大和の国にあなたと同じ人が二人いると思うことができるなら
  なにも嘆くことはありません。
  ほかに誰もいないからこそ こんなにも嘆かざるを得ないのです。 ) 13-3249

何かの事情で男に逢えない女性の悲しみ。
「好きなのはあなただけ」と一途な想いを切ないまでに詠いながら、
藤、即ち女が男に絡む様子を思い起こさせる、艶にして優雅な言い回し。
万葉恋歌の代表作です。

「 春へ咲く 藤の末葉(うらは)の うら安に
    さ寝(ぬ)る夜ぞなき  子ろをし思(も)へば 」
                   巻14-3504 作者未詳 東歌


( 春の盛りの今 咲き誇る藤の花。
 その藤を覆う末葉ではないが、心(うら)安らかに寝る夜など一夜とてない。
 あの子のことばかり思うと )

「春へ」の「へ」は「端、境」を示す接頭語で「春めく頃」「春の盛り」など
広い意味をもって用いられています。

「うら安」の「うら」は「裏」でここでは「心」 
「さ寝る」は「独り寝る」

藤は花と共に新葉を出し、群がり咲く花を庇護するかのように覆いつつ
末葉をのばして広がります。
その状態を安定したものとしてとらえ、「心安らか」(うら安)という言葉を引き出して
いますが藤の葉を詠んだ歌は他に例がなく、作者の観察力の鋭さに驚かされます。
方言が多い東歌ながら洗練されたセンスが感じられる一首です。

「 めでたきもの
    色合いよく 花房長く咲きたる藤の、松にかかりたる」 枕草子第75段 


平安時代になると藤は主に松に巻きついて長い花房を垂らし、
それが風に揺れる風景としてとらえられるようになります。
常緑の逞しい男性的な松。それに寄り添う優雅で芯が強い藤。
それは男に絡みつく艶めかしい女性を想像させます。

「 松になりたや 有馬の松に 藤に巻かれて寝とござる 」
                 (伊賀の古民謡) 有馬節の元歌
  

蔓草として巻きつく習性を女の絡みつくに掛けたものですが、
御老体には縁がない?
いやいや、まだまだですぞ。

「 馬鹿にさんすな 枯木じゃとても 
              藤が巻きつきゃ 花が咲く」   (佐渡の盆踊り歌)

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by uqrx74fd | 2013-05-18 08:15 | 心象

万葉集その四百二十三(山吹)

( 山吹の花 春日大社神苑 万葉植物園 )
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( 山辺の道で  奈良 )
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( 同上 )
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( 北鎌倉 明月院で)
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( 同上 )
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( 皇居東御苑で )
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「 折節の移り変わること ものごとに あはれなれ。-
  山吹の清げに 藤のおぼつかなさましたる、
  すべて思ひ捨てがたきこと多し。      ( 徒然草19段)

「 草は山吹、藤、杜若、撫子。- 
 いずれもいと高からず ささやかなる墻(かき:垣)に繁からぬ、よし 」      (同139段 )


兼好法師が「家にありたき草花」の第一に挙げた山吹。

晩春のころ、日本各地の山谷いたるところで鮮やかな黄金色の花を咲かせる山吹は
バラ科、山吹属の落葉低木で、我国と中国にしか原生分布していない植物です。

「山吹」と云う名は枝がしなやかで、風に靡き揺れる姿「山振」(やまぶき)に由来し
「吹」は「振」の変字とされています。
渓流や川のほとりに自生することが多いので川や蛙と取り合わせて詠われたり、
優雅で気品のある姿から女性を連想させ恋歌にも登場します。

万葉集での山吹の歌は18首。
大伴家持はとりわけこの花を好んだのか7首も詠っています。
次の歌は家持が越中在任の折、都に住む妹から妻 坂上大嬢(さかのうえ おほいらつめ)宛に
届いた手紙を見せられて詠んだものです。
妻は歌があまり上手ではなかったので代作を頼まれたのかもしれません。

まずは訳文から。

「 この世に生きておりますと とかく人恋しさに悩みがちで、
  とりわけ春ともなると 物思いが募って参ります。

  そこで、木々が茂る山の谷辺に生えている山吹を見るたびに
  心が少しはなごむだろうと
  手元に引きよせて、手折ろうか手折るまいかと思いながら結局
  家の庭に移し植えました。

  ところが、朝露に照り映えている山吹の花
  その花を見るたびに 春の物思いはやむこともなく
  かえって人恋しさが 募るばかりです。 」 
                                  巻19-4185 大伴家持
「長歌 訓み下し文」

「 うつせみは 恋を繁(しげ)みと 
  春まけて 思ひ繁けば 

  引き攀(よ)じて 折りも折らずも 
  見るごとに 心なぎむと 

  茂山の谷辺(たにへ)に生ふる 山吹を 
  やどに引き植ゑて 朝露に 匂へる花を見るごとに

  思ひはやまず 恋し繁しも 」      
                              巻19-4185 大伴家持

「語句解釈」


   「うつせみ」   「現人」(うつせみ)で「この世に現存する人」 
    「恋を繁みと」    恋心が多いので
    「春まけて」     春ともなると  
    「思ひ繁けば 」   物思いがつのり
    「引き攀(よ)じて」  引きよせて  
    「折りも折らずも」  折ろうか折るまいかと
    「心なぎむと」    心和むと
    「茂山の谷辺(たにへ)に生ふる」 草木の茂る山の谷辺りに生えている  


「繁」という言葉を3回も使い恋文仕立てで詠み、山吹の花に妹の面影を
 重ねているようです。

反歌

「 山吹を やどに植ゑては 見るごとに
   思ひはやまず 恋こそまされ 」      巻19-4186  大伴家持


( 山吹を 庭に移し植えては見る が見るたびに 物思いは止むこともなく
 人恋しさが つのるばかりです )    19-4186

長歌の趣旨を繰り返し、切に会いたいという気持ちを強調しています。
また、野性の山吹を自宅の庭に移し植えて鑑賞していたことも窺える一首です。

「 山城の 井手の玉川 水清く
          さやかにうつる 山吹の花 」   田安宗武


天平の頃 左大臣 橘諸兄は山城の国,井手の里、玉川のほとりに山荘を営み、
遣水した庭園を中心に山吹を植え、川の両岸を埋め尽くしたそうです。
740年、その見事さを耳にした聖武天皇がわざわざ行幸されたことにより、
天下に喧伝され「井手の玉川」は山吹の名所として詩歌に数えきれないほど詠われる
ようになります。

余談ながら、橘氏の家紋は橘ではなく山吹紋を用いていましたが、子孫の楠木正成の
旗印は菊水。
初めは玉川と山吹であったが菊が瑞祥植物であり花の形が似ているので菊水に変えた
とのこと。

「 かはず鳴く いでの山吹 ちりにけり 
     花のさかりに あはましものを 」    読み人しらず (古今和歌集)


この歌に 「ある人のいはく たち花の清友が歌なり」 の注があり、作者は
橘諸兄の孫と推定されています。
河鹿が鳴く井手の里に来てみたものの、山吹の花の盛りには出会えなかったと嘆いて
いますが、黄金色の花が地面に散り敷く風情もなかなかのものです。

この名所は後世まで長く残されていましたが、戦中戦後の災害で全滅し、
当地を訪れた吉井勇は

「 くだつ世は 悲しきかなや いにしへの
     井手の玉川 見る影もなし 」
   と慨嘆しています。

「くだつ」は「降つ」 盛りが過ぎて末になる。

現在は堤に桜が植えられ、地元の人達の努力で山吹も徐々に復活されているようです。

   「 山吹の うつりて黄なる 泉かな 」 嵐雪

     ご参考: 万葉集遊楽 その百五十八 「山吹の花 」
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by uqrx74fd | 2013-05-12 07:59 | 植物

万葉集その四百二十二(馬酔木の花)

( 馬酔木の花)
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( ささやきの小径 奈良公園 )
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( ささやきの小径で )
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( 浄瑠璃寺参道  右側に馬酔木並木が)
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( 浄瑠璃寺山門 )
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( 同 本堂 )
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( 同 秋の三重塔 )
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( 正倉院前で )
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『 その夕方のことである。
  その日、浄瑠璃寺から奈良坂を越えて帰ってきた僕たちは、そのまま東大寺の
  裏手に出て、三月堂を訪れたのち、さんざん歩き疲れた足を引きずりながら、
  それでもせっかく此処まで来ているのだからと、春日の森のなかを
  馬酔木の咲いているほうへほうへと歩いて往ってみた。
  夕じめりした森のなかには、その花のかすかな香りがどことなく漂って、
  ふいにそれを嗅いだりすると、なんだか身がしまるような気がするほどだった。 』
                            ( 堀辰雄 「大和路信濃路」 新潮文庫より)

堀辰雄は馬酔木や辛夷など白い花が好きだったようです。
幾度となく奈良を訪れ、奈良公園、浄瑠璃寺、室生寺などの馬酔木を眺めながら
遠い昔、無実にもかかわらず謀反のかどで処刑された弟の死を悲しむ姉、
大伯皇女(おおくのひめみこ)に想いを馳せ、犯しがたい気品を持つ聖処女の面影と
馬酔木の白い花と重ねあわせ、ついに室生川の崖でイメージぴったりの群生を
見つけたと述べています。

「 磯の上に 生ふる馬酔木(あしび)を 手折らめど
   見すべき君が ありと云はなくに 」 
                  巻2-166 (既出) 大伯皇女(おおくのひめみこ)


(  最愛の弟(大津皇子)が逝ってしまった。
  川上に美しく咲く馬酔木を手折って見せたいのに、今はもういない。
  ついこの間元気な顔を見たばかりというのに、こんなことが信じられるでしょうか。
  道行く人たちから、気休めにでも「まだ生きているよ」という言葉を聞きたいのに
  だれも云ってくれません 。 あぁ )

切々とした悲しみが伝わってくる歌です。

万葉集で馬酔木を詠ったものは十首。
房々とした花が稲の穂に似ているところから豊穣、繁栄の印とされたり、
楽しい恋の小道具にも登場します。

「 かはづ鳴く 吉野の川の 滝の上の
   馬酔木の花ぞ はしに置くなゆめ 」 巻10-1868 作者未詳


( これは河鹿がなく吉野の川の、滝のほとりに咲いていた馬酔木の花だよ。
 命懸けで採ってきたのだから、徒(あだ)や疎(おろそ)かにしないでくれよな )

作者は吉野からの土産に馬酔木を贈り、この歌を添えたのです。
「かわづ」は、清流に棲み、涼やかな声で鳴く河鹿(かじか)。
「はし(末)に置くな」とは「脇に置いて粗末にしないで下さい」の意で
滝の上にまで身を乗り出して手折ったさまを強調して想いの強さを訴えています。

 「 馬酔木折って 髪に翳(かざ)せば 昔めき 」高濱虚子

次の歌は問答とされ、親しい男女の掛け合いです。

「 春山の 馬酔木の花の 悪しからぬ
    君には しゑや 寄そるともよし 」 巻10-1926 作者未詳


( 春山の 馬酔木の花 その「あし」ではないが、悪しき人とも思えない貴方となら
  出来ている仲だと噂されてもかまいませんわ。
  えぇい、ままよ。 さぁ、抱いて! )

「悪しからぬ」は「馬酔木のあし」と「悪し」の同音を重ねています。
「しゑや」  ええぃ  「寄そる」 関係があるように噂される

春に咲く馬酔木が好ましいのと同様、あなたも好き。
世間の噂はうるさいが、こうなったら覚悟を決めた。
一緒になろうよと迫る女。

「 石上(いそのかみ) 布留の神杉 神びにし
   我やさらさら 恋にあひにける 」 
                          巻10-1927(既出)  作者未詳


( 石上の布留の社の年経た神杉ではないが、古杉のように老いさらばえてしまった私めが 
 今また恋のとりこになってしまいましたわい )

「石上布留」天理市石上神宮付近 「神びにし」 神々しくなる
「さらさら」今さら 新たに

女から迫られて相好をくずしながら照れている男。
してやったりとの表情が見えるようです。

「 浄瑠璃寺までの馬酔木の咲ける道 」 林 大馬

奈良、京都の県境にある浄瑠璃寺へは奈良市内からバスで約25分。
静寂そのものの御寺です。
参道の右わきに馬酔木が所狭しと生い茂り、春秋の桜紅葉も美しい。

別名九体寺ともいわれ九体の仏像が並ぶ姿は壮観。
特に彼岸の中日に本堂の扉がすべて開け放され、金色に輝く御仏が池に照り映えます。
対岸から眺める姿はまさに極楽浄土。
東の塔の背後から西の本堂に向かって太陽が沈んで行くと、真中の阿弥陀如来像の
手の上にお日様が乗っているように見え実に神秘的な光景です。

「 公園の 馬酔木愛しく 頬にふれ 」杉田久女

春たけなわになると奈良公園の至る処で白い花が一斉に開きます。
特に春日神社参道脇の「ささやきの小径」はまさに馬酔木の森。
薄暗い木立の中へ木漏れ日が差し込むと白い房がまぶしく輝き、風が吹くと
サラサラと音を立てて揺れながら濃厚な匂いを漂わせます。

馬酔木という奇妙な名前はその葉に毒素を含み、馬が食べると麻痺するので
付けられたと云われていますが奈良の鹿は見向きもしないので自然と繁殖し、
昔は、葉茎の煎汁を駆虫剤として用いたこともあるそうです。

初夏になると蝉の住処となり、ヒメハルゼミ、ヒグラシ、ツクツクボウシなどの
大合唱が聞こえて参ります。

「 馬酔木咲く 奈良に戻るや 花巡り 」 河東碧悟桐

ご参考 
  万葉集遊楽 その56 「馬酔木」
          その208  「馬酔木は神と聖女の花」
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by uqrx74fd | 2013-05-04 07:37 | 植物