<   2013年 06月 ( 5 )   > この月の画像一覧

万葉集その四百三十(紅花栄う)

( 長福寿寺の紅花 10万本の群生  千葉県長生郡長南町 )
b0162728_8173510.jpg

( 同上  2013年6月23日撮影 )
b0162728_8174897.jpg

(  ベニシジミと紅花  同上 )
b0162728_818654.jpg

( モンシロチョウも   同上 )
b0162728_8182225.jpg

( 紅花栄う   同上 )
b0162728_8183547.jpg

( 葉っぱと思ったら蛙でした  同上)
b0162728_8185112.jpg

 ( 紅染めの体験   同上 )
b0162728_8191085.jpg

(  長南紅花の由来  同上  画面をクリックすると拡大できます )
b0162728_819266.jpg

我国には春夏秋冬の四季のほか立春、立夏などの二十四節季、さらに季節それぞれの
出来事をそのまま名前にした七十二候という区分があります。
「紅花栄う」もその一つで、新暦でおよそ5月26日~30日。
そのあと「麦秋に至る」「蟷螂(かまきり)生ず」「腐草(ふそう)蛍と為る」と続き、
いずれも自然と共に生きた日本人の繊細な季節感覚が窺われる言葉です。

紅花はエジプト、エチオピアなどアフリカ原産とされ、シルクロード、中国を経由して
我国にもたらされました。

1991年、邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡から
大量の紅花の花粉が発見され、綿密な調査分析の結果、3世紀中頃には
加工技術を携えてきた渡来人がこの地域で染物や化粧品などの生産をしていたことが
判明しました。
卑弥呼が魏の皇帝に献じた赤色の織物は、これらの紅花が使われた可能性も
あるとされ、遥か太古のロマンティックな世界へと私たちを誘ってくれます。

紅は古代人が最も憧れた色の一つでした。
太陽,火、さらに命の動脈である血液の色からから燃えるような生命力と情熱を
感じ取ったのでしょうか。
万葉集で詠われている紅は34首、その大半が恋の歌なのです。

「 紅に 衣(ころも)染めまく 欲しけれど 
        着て にほはばか 人の知るべき 」 
                    巻7-1297  柿本人麻呂歌集


( この着物を鮮やかな紅色に衣を染めたいと思うけれども、出来上がって着たら
 色が目立って 私が恋をしていると人に気づかれてしまうでしょうか )

恋人が憧れる紅色の衣に染めて喜ばせたいが世間の目が怖い。
当時、人の噂になると恋が成就しなくなると信じられていたのです。

「着て にほはばか」は紅色に染めた衣を着て輝くように美しくなったらの意で
「にほふ」は嗅覚ではなく視覚を表現する言葉として使われており、
「春の苑(その) 紅(くれなゐ)にほふ 桃の花」と美しく詠ったのは大伴家持です。

「 百姓の 娘顔よし 紅藍(べに)の花 」   高濱虚子

紅花の栽培地は山形県の月山の麓や最上川のほとりがよく知られていますが、昔は
伊勢、武蔵、上総、下総など二十四か国が税として納めており、出羽最上が産地として
台頭するのは江戸時代からです。
その種は長南(千葉県)からもたらされたとも伝えられていますが、
花が成長する春から夏にかけて朝霧が立ち、直接日光が当たる時間が短い場所が
栽培の最適地とされていました。

「 紅摘みに 露の干ぬ間と いふ時間 」   田畑美穂女

花を摘む作業は刺(とげ)がチクチクと皮膚を刺すので、早朝、朝露で刺が
柔らかくなっている間に行い、茎の先端に咲く花を摘み取ることから
「末摘花」ともよばれています。

「 外(よそ)のみに 見つつ恋ひなむ 紅の
      末摘花(すえつむはな)の 色に出でずとも 」 
                         巻10の1993   作者未詳(既出)


( あの方が 色鮮やかな末摘花のようにはっきりと私のことを好きだと
  素振りに見せて下さらなくともいいのです。
  私は遠くからそっとお慕いしているだけで )

紅花を末摘花と表現した唯一の歌です。
燃えるような情熱を内に秘め、ひたすら相手を想う純情な乙女。
「心が通じて結ばれるといいな」と感じさせる1首です。

次の歌は地方勤務の官吏とみられる男が都に転勤するにあたり現地妻との
別離を悲しむやりとりです。
まずは女性から。

「 かくしつつ あり慰めて 玉の緒の
     絶えて別れば  すべなかるべし 」  巻11-2826 作者未詳


( 今までこのようにお互いに心を慰め続けてきましたが、
  これからは玉の緒が切れるように仲が絶え
  別れ別れになったら 何とも遣る瀬が無いことでしょうね。)

「 紅の 花にしあれば 衣手に
               染め付け持ちて 行くべく思ほゆ 」 
                            巻11-2827 作者未詳


( お前さんがもし紅の花であったなら 着物に染めつけて持っていきたいほどに
  思っているのだよ )

「玉の緒が絶える」とは、「お互いを結びつけていた絆も切れ、自身の命も
息も絶え絶えになる」という切実な想いです。
二度と逢えない悲しみが切々と伝わってまいります。
 

「 人知れず おもへば苦し 紅の
        すゑつむ花の 色にいでなむ 」   読み人知らず 古今和歌集


( あの人に知られないままに こっそりと想っているので苦しいことです。
  いっそのこと、あの紅色の末摘花のように はっきりと態度にだしてしまおう。)

前記の万葉歌(10-1993)を本歌取りしたもの。
こちらは秘めたる恋は苦しいので、いっそのこと相手に告白しようかと詠っています。
でも、うっかりすると刺(とげ)に刺されそうですね。

「 紅の花 刺あることを 君知るや 」 加藤晴子


    ご参考   万葉集遊楽68 (紅:くれない)
             同     221 (紅花)
[PR]

by uqrx74fd | 2013-06-29 08:19 | 植物

万葉集その四百二十九 (あさざ)

( 皇居東御苑二の丸池 )
b0162728_20433049.jpg

( 同上 アサザの花 )
b0162728_20443237.jpg

( 同上 )
b0162728_2044554.jpg

( 同上 )
b0162728_2045399.jpg

( 同上 説明文 ) 画面をクリックすると拡大できます
b0162728_20443280.jpg

「あさざ」は池や沼の浅瀬に生えるミツガシワ科の多年草で、地下茎が長く横に這い、
睡蓮に似た葉を水に浮かべます。
6月から8月にかけて鮮やかな黄色の花を咲かせますが、天気が良い日の朝にしか
開いてくれない気難し屋さんでもあります。
花蓴菜(ハナジュンザイ)、金レンゲ、草葵(クサアオイ)、池沢瀉(イケノオモダカ)などの
別名もあり、古くは日本書記に「あざさ」と云う名で登場し、地下茎が絡まる意の
「あざなふ」による命名とも。

万葉集では長歌で僅か1首。
恋人をめぐる息子と両親との楽しい会話の中で女性の髪飾りとして詠われています。

長歌

「 うちひさつ 三宅の原ゆ 
  直土(ひたつち)に 足踏み貫き
  夏草を 腰になづみ  
  いかなるや 人の子ゆゑぞ
  通はすも我子(あご)

  うべなうべな  母は知らじ うべなうべな 父は知らじ
  蜷(みな)の腸(わた) か黒き髪に  
  真木綿(まゆふ)もち  あざさ結ひ垂れ 
  大和の 黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)を
  押へ刺す うらぐはし子 それぞ我が妻 」 
                      巻13-3295 作者未詳(一部既出)


一行づつ訓み進めてゆきます。( 右側:現代訳文)

「 うちひさつ 三宅の原ゆ 」 ( 日が当たる 三宅の原を通って)

「うちひさつ」は「うちひさす」の転訛で「日がよくあたる」の意から
「みや」(宮、都 三宅)に掛かる枕詞。
「三宅の原ゆ」の「ゆ」は通過した地点を表し、「三宅の原」は奈良県磯城郡三宅町
あたりとされています。

「直土(ひたつち)に 足踏み貫き」 ( 地べたにぶすぶすと足を踏みこみ )

 「直土(ひたつち)」地面に直接の意で「地べた」
 「足踏み貫き」 足を踏みこみ

 ぬかるみなどに足を踏みこんだり、切り株などを踏みつけたりして傷つく様子

 「 夏草を 腰になづみ 」 ( ぼうぼう生える夏草を腰にからませて)

 「なづみ」 からませて 

「 いかなるや 人の子ゆゑぞ 」 ( どこの家の娘さんのもとに )

 「いかなるや」 一体どちらの

 「 通はすも我子(あご)」 ( お前さんは通っているのかね )

ここまでが母親の質問です
頻繁に女のもとに通う息子、「一体どこの女性なのだろう、もしや悪い女では」と
心配する両親。

息子が答えます。

「うべなうべな  母は知らじ  うべなうべな 父は知らじ」

  ( ご尤も ご尤も 母さんはご存じありますまい
    ご尤も ご尤も 父さんも ご存じありますまいね )

「うべな」肯うの意 当時の農村生活では母父と女性が上位。父母の表現は少ない。

 「 蜷(みな)の腸(わた) か黒き髪に」 ( 巻貝の腸が黒いように あの子の緑の黒髪に)

  巻貝は食用にしていた田螺(たにし)と思われますが、緑の黒髪の枕言葉に
  貝の腸とは面白い表現。
  栄養分が多いので茹でたり黒焼きにして食べていたようです。

  「真木綿(まゆふ)もち あざさ結ひ垂れ」( 木綿「ゆふ」で「あざさ」を結びつけて垂らし ) 

  「真木綿(まゆふ)」の「ま」は褒め言葉、
  「木綿」は現在の「モメン」ではなく楮の繊維で結った紐。
  髪飾りとして「あざさ」を結いつけて髪に垂らした

  「 大和の 黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)を」 
( 大和の黄楊で作った小櫛を )

  黄楊(つげ)の櫛は今も昔も最上品。
     
  「 押へ刺す うらぐはし子 それぞ我が妻 」

 ( 髪の押さえに挿している 輝くような美しい娘
   それが私の妻なのですよ )

「うらぐはし」  
心にしみて美しく思われる 
通常は風景や自然界の美しさをいうときに用いられ
人の美しさの形容に使われるのは異例

( 全訳文 )

( 日が当たる 三宅の原を通って
 地べたに ぶすぶすと足を踏みこみ 
 ぼうぼう生える夏草を腰にからませて
  まぁ一体どこの家の娘さんのもとに
 通っているのかね 、お前さんよ。

 ご尤も ご尤も 母さんはご存じありますまい
 ご尤も ご尤も 父さんも ご存じありますまいね
 あの子の緑の黒髪に
 木綿(ゆふ)で「あざさ」を結わえて垂らし 
 大和の黄楊で作った小櫛を 
 髪の押さえに挿している 輝くような美しい娘
 それが私の妻なのですよ )

反歌

「 父母に 知らせぬ子ゆゑ 三宅道の
    夏野の草を なづみ来るかも 」 巻13-3296  同


( 父さんや母さんに内緒の子ゆえ、こっそりと草深い三宅道の夏野 
  その野の草に足をとられながら私は辿って行く。 
  そういうことだったのです。)

通い婚の時代、男は月が天空に掛かる頃に家を出て夜明けに戻るのが習いでした。
夜中に頻繁に家を抜け出す息子。
「どうやら恋をしたらしい」と親も薄々気づいていたのでしょう。
とんでもない相手ではあるまいかと心配する両親ですが恋に夢中の当人は
親なんか眼中にありません。

ある日、母親と父親が事情を聞いてくれた。
これは幸いとばかりに滔々とまくしたてる息子。
炎熱の夜、草いきれの中、切り株を踏み貫きながら、足をひきずり恋人のもとに
通う様子をオーバーに語ります。
美人の第一条件である恋人の黒髪を自慢し、「アサザ」の飾りでその美しさを
一段と映えさせる。
高価な黄楊の櫛を持っている女性は良家の娘なのでしょう。

青春時代の燃えるような恋。
どうやらこの歌は踊りを伴った民謡ではないかとも思われますが、
当時の庶民の生活の一端を伝えてくれる珠玉の一篇です。

「 いささかは 水を離れて ことごとく
        あさざの花の 日に向きて咲く 」     古泉千樫


古代の「あざさ」は現在の「あさざ」 
ややこしいですね。
「あさざ」の和名由来は「浅い瀬に咲く」又は「浅浅菜」(若葉は食用)とも。

「 舞ひ落つる 蝶ありあさざ かしげ咲き 」   星野立子

蝶を見て、首を傾(かし)げているように咲くあさざ 
[PR]

by uqrx74fd | 2013-06-22 20:44 | 植物

万葉集その四百二十八(蓴菜の花咲く)

蓴菜の花 ( 蓴菜池緑地 市川市 )
b0162728_204218.jpg

( 同上 )
b0162728_2045448.jpg

( 秋田県 三種町 蓴菜のCMより)
b0162728_2045195.jpg

( 蓴菜摘み  同上 )
b0162728_2052239.jpg

(  蓴菜料理    yahoo画像検索より)
b0162728_2051788.jpg

「 蓴菜(じゅんさい)を 掬(すく)へば水泥(みどろ) 掌(て)にあまりて
       照り落つるなり また泥ふかく 」  北原白秋


初夏の訪れとともに蓴菜便りが届いて参りました。
スイレン科、多年草の水草、蓴菜の古名は「ぬなは(沼縄)」。
根茎が水中の泥の中を横に這い、葉柄も細長く縄のように見えるところから
その名があるといわれています。

「蓴」という字は本来「ヌナワ」と読み、音読したものが「ジユン」です。
古代から食用にされていたらしく、何と! 古事記に恋の歌が。

『 水があふれる 依網(よさみ)の池の
  堤を守る杭打ちが 杭を打ったのを つゆ知らず
  池のヌナハを 手繰りよせて 手を伸ばしたのも つゆ知らず
  我が心は  何と愚かなことか
  逃がした今は 悔しさがつのるばかり 』     (古事記歌謡 応神天皇の条)

「ヌナハを手繰り寄せる」は 「女性を自分のものにする」の比喩で
「目をつけていた女性が自分が知らない間に他人に盗られたと」嘆いています。
歌垣など宴席で歌われていたものとされていますが、蓴菜が女性に例えられているのは
赤紫色の可憐な花を美しいと感じていたのか、あるいは食用にされていた
若葉が美味だったからなのでしょうか。

 「 我(あ)が心 ゆたにたゆたに 浮蓴(うきぬなは)
      辺にも沖にも 寄りかつましじ 」
                      巻7-1352 作者未詳(既出)


( 私の心はゆったりしたり、揺れ動いて落ち着かなかったり、
 まるで水に浮いている蓴菜のようです。
 岸辺にも沖のほうにも寄ることが出来ずにゆらゆら揺れて。)
 
「ゆたに」は「ゆっくりと落ち着いて」 「たゆたに」は「たゆたふ」と同じ意味で
求愛された女性が気持ちを決めかねて心が揺れ動いているさまを
池に浮く蓴菜と巧みに重ねています。

「 いかなれば しらぬにおふる 浮きぬなは
         くるしや心 人しれずのみ 」 
                  後拾遺集 恋  馬内侍(うまのないし)


( 一体どういうわけで、気がつかない間に浮き蓴(ぬなわ)が生えていたのだろうか。
  ずっと人知れずに恋をしているのは、その蓴菜を「繰る」ではないが、
  苦しいことです )

「しらぬ」は「知らない間に」 と「沼」(ぬ)を、
「くるしや」は 繰る(蓴菜を手繰って採取する)と「苦しい」を掛けています。

作者は三十六歌仙の一人ですが、謹慎すべき事情があって恋人と手紙もやり取りする事が
出来なかった頃に詠んだようです。

「 蓴菜(じゅんさい)や 水をはなれて水の味 」   正秀


寒天質で覆われた蓴菜の若芽は日本料理の食材として珍重され、
かっては全国いたるところで見られましたが、現在は残念ながら
北海道大沼特定公園3湖の1つ蓴菜沼( 特産品として瓶詰めで売られている)、
秋田県三種町、山形、広島以外は、絶滅するか、希少種になっているようです。

生産量日本一は秋田県の三種町。
同県の郷土料理とされていて、酢の物、吸い物、味噌汁のほか鶏肉でとった出汁で
ジュンサイ鍋にするそうです。

『 ジュンサイは触感を楽しむもの。
 味はあまりないので卵やウニなどコクのあるものと合わせるといい。
 ポイントは四杯酢をかけること。
 四杯酢とは酢、醤油、砂糖(又はみりん)、に出汁を加えたものです 』

   ( 神楽坂 石かわ店主 石川秀樹氏 2013年6月8日付 読売新聞)

「蓴菜と鱸(すずき)の鱠(なます) はふるさとの味)」

以下は友人からのお便りの数々です。

『 ジュンサイは子供の頃暮らしていた家の裏の沼に自生しており
 泳ぎながらよく食べました。
 大きな沼ですが田舎なのでよそから採りにくる人も無く、酢醤油をもって
 子供だけで楽しんで摘んだものでした。』     ( 友人、仙台のH.Oさん)

『 瓶に入った「じゅんさい」を見つけたので買ってきて、うろ覚えの味付けを
して食膳に供してみましたが、プロの料理人でなければ「料理」にならないと
悟りました。 』  (友人、札幌のM.iさん)

『 ジュンサイそのものには、味なんて感じられなくて、食感というよりむしろ触感。
味付けの腕前が味覚を生む類の食べ物のように思いますが、古代人は、現代人より
格段 に味覚が優れていたでしょうから、そのままでも味わえたのでしょうね。
現代人でも「生じゅんさい」の歌もあるし・・・ それが「風味」か・・・ 』

                      ( 友人、東京のI.Nさん )

「蓴菜と鱸の鱠」が「郷愁」を意味する言葉となったのは以下の故事に由来するそうです。

『 その昔、3世紀の頃、中国の西晋(せいしん)に仕えていた張翰(ちょうかん)という人が
  故郷のジュンサイの吸い物とスズキの鱠の味が忘れられず、官職をなげうって
  故郷に帰った。
  そのことからジュンサイの吸い物とスズキの鱠は郷愁を意味するようになった。 』

人生のすべてを蓴菜と鱸の鱠にかけるとは!
「美味なる食物 恐るべし」です。

「 朝より酒 生じゅんさいは 箸より逃げ 」 石川桂郎

              ご参考 万葉集遊楽116 (蓴菜:じゅんさい)
[PR]

by uqrx74fd | 2013-06-15 20:06 | 植物

万葉集その四百二十七(菖蒲と杜若)

( アヤメ  花の基部に網目の文様がある 乾燥した土地を好む)
b0162728_17382738.jpg

( カキツバタ  花の中心に白い線がある  水辺を好む )
b0162728_17372285.jpg

( 山の辺の道 長岳寺のカキツバタ )
b0162728_17385843.jpg

( ショウブ(菖蒲)  花に見えない花   葉は香り高い サトイモ科 )
b0162728_17375391.jpg

(  ハナショウブ 堀切菖蒲園 )
b0162728_17392494.jpg

(  ハナショウブ  堀切菖蒲園  )
b0162728_17381990.jpg

( ハナショウブ  滝谷花しょうぶ園 奈良県  )
b0162728_17395665.jpg

 ( 潮来の花摘み娘 )
b0162728_17385585.jpg


「節(せち)は五月(さつき)にしくはなし 
 菖蒲(さうぶ)、蓬(よもぎ)などの香り合いたるも
  いみじうおかし 」      (枕草子35段)


( 節句は五月五日にまさるものはありません。
 菖蒲や蓬など匂い草が入り混じって薫りあっているのも
 大変 趣深いことです )

菖蒲(しょうぶ)はサトイモ科の多年草で水辺に群生する植物です。
初夏に葉の途中から花穂を出し、黄緑色の小花をびっしりとつけますが
それは花というより、棒状のアイスキャンディ(?)のように見えます。
葉は香り高く薬効があり、昔から邪気を払い疫病を除くと云い伝えられ、
端午の節句に軒に葺いたり、菖蒲湯をたてる習慣は現在でも続いています。

万葉集での菖蒲は12首。
いずれも「あやめぐさ」と云う名で詠われています。

「 ほととぎす 今来(いまき)鳴きそむ あやめぐさ
    かづらくまでに 離(か)るる日あらめや 」
                     巻19-4175 大伴家持


( ホトトギスが今やっと来て鳴きはじめました。
 あやめ草を鬘(かずら)にする5月の節句まで、声が途絶えることはあるまいだろうな。)
 

ホトトギスの初音を心待ちにしていたに家持。
ようやく待望の声を聴き、せめて節句まで鳴きつづけて欲しいと願っています。
鬘(かずら)は菖蒲や蔓草、花などを編んで頭飾りにしたものです。

この歌の脚注に「も、の、は」を使わないで詠ったとあり、使用頻度が多い助辞を
省くという一種の言葉遊びだったらしく、宴会などで詠われたのかもしれません。

「ハンカチに 摺って見せけり かきつばた 」  牧野富太郎

作者はある年の6月、広島県安芸の国の北境、八幡村で広さ数百mにわたる
満開のカキツバタの野生群落に出会い、その壮観を極めた情景に感激し、
興を催して沢山の花を摘んでその紫汁でハンカチを染めたり、白シャツに
摺りつけてみたら、たちまち美麗に染まったので大いに喜び、
この句を詠んだそうです。
                     ( 植物知識 講談社学術文庫 )

  「白シャツに摺りつけてみる かきつばた 」 牧野富太郎 (同上)

「かきつばた」の語源は「掻きつけ花」が転訛したものといわれています。
「掻きつける」とは「摺りつける」という意味で、花汁を布にこすり付けて色を移し、
「摺り染め」にすることをいいます。
「カキツケハナ」→「カキツハナ」→「カキツハタ」と変わり、現在の「カキツバタ」に
なったそうです。
語尾の「ハタ」は「ハナ」の変異形です。

 「見劣りの しぬる 光琳屏風かな 」 牧野富太郎 (同上)
     
空前絶後の傑作といわれている尾形光琳の「燕子花図屏風」もここでは形無しと
興じている作者。
杜若はその形が燕に似ていることから燕子花とも書いてカキツバタと
訓ませています。

カキツバタの蕾は「筆花」ともよばれており、切花にはこの時期のものが
最適だそうです。

『 アイヌ語でカキツバタを“カンピ・ヌイエ・アパッポ ”(手紙を書く花)と
 いうそうだがこれは蕾から筆を連想したものか、あるいはこの花の色素を
 インク代わりに手紙書きに利用するという意味からか不明であるが、
 とにかく余情的な美しい名前である。』
                      ( 麓 次郎 四季の花事典より)

「 我(あ)れのみや かく恋すらむ かきつはた
     丹(に)つらふ妹は いかにか あるらむ 」 
                       巻10-1986 作者未詳


( 私だけがこんなに切なく恋焦がれているのであろうか。
 かきつばたのように紅い頬をしたあの子は 一体どんな気持ちでいるのだるうなぁ )

自分はこんなに苦しんでいるのに相手はどうなのだろう。
憧れている女性の頬の色はほんのりとした赤。
当時のカキツバタは赤紫が多かったのでしょうか。

「 菖蒲 燕子花は いずれ姉やら妹やら 分きていわれぬ花の色え 」
             ( 歌舞伎舞踊「京鹿子娘道成寺」の台詞)


ここでの菖蒲はアヤメ科の文目(アヤメ)です。
菖蒲(しょうぶ)という字をアヤメと訓むようになってから混乱が生じはじめました。
更に花菖蒲という園芸種が出現することにより益々ややこしくなりましたが、
気を付けて見ると各々特徴があり、見分けることが出来ます。

  「 杜若 語るも旅のひとつ哉 」 芭蕉

ご参考 
1、菖蒲(しょうぶ)と文目(あやめ)違い


菖蒲(しょうぶ)   サトイモ科、古くは「あやめ草」といった
文目(アヤメ)    菖蒲とも書く(広辞苑) 
                    ショウブとは別種のアヤメ科 
                    同じ仲間にカキツバタ、ノハナショウブがある。
              
2、アヤメとカキツバタの違い (いずれもアヤメ科)

   1、生育地   アヤメ  乾燥地を好む
            カキツバタ 浅い池や湿地に咲く

   2、花びら:  アヤメ  花びらの根元に黄と紫の網状の模様がある。
            カキツバタ  網目模様なし、
                     中央に鮮やかな白い筋が一本通っている

   3、花の茎:     アヤメ 内部が充実、
     カキツバタ   中空(これは切ってみないと分らない)

3、ハナショウブ(花菖蒲)  

ノハナショウブを園芸用に改良されたものでアヤメ科に属する

  湿地でも乾燥地でも栽培出来、剣のような細長い葉の中央線が突出して
  ふくれているところが文目(アヤメ)やカキツバタと違う。
  花も大きく色も紅紫、紫、白、淡紅と様々。
  模様も変化に富むが、花びらに黄と紫の網目はない。
  ( 菖蒲園で一番多く見られる )


ご参考 万葉集遊楽108( 菖蒲:あやめ草)
    同    110 (かきつばた))
[PR]

by uqrx74fd | 2013-06-08 17:40 | 植物

万葉集遊楽その四百二十六(石上神宮:いそのかみじんぐう)

( 石上神宮 鳥居 )
b0162728_15274350.jpg

( 同 楼門 )
b0162728_15285790.jpg

( 同 拝殿 )
b0162728_15281393.jpg

( 同 神杉 )
b0162728_1529307.jpg

 ( 同 神鶏 尾長鳥 )
b0162728_1528462.jpg

 ( 同 )
b0162728_1530054.jpg

 ( 同 )
b0162728_15291994.jpg

 ( 同 矮鶏:ちゃぼ )
b0162728_15303556.jpg


石上神宮は伊勢神宮、大神神社(おおみわじんじゃ)と共に我国で最も古い神社とされています。
祭神は「布都御魂(ふつのみたま)」とよばれる神剣で、古事記によると、

「 神武天皇東征の時、熊野の山中で邪神の難に遭い、武甕雷神(たけみかづちのかみ)が
  佩いていた剣によって難を逃れた。
  その剣を崇神天皇の時代に布留の地に移して石上大神とし物部氏が護った」そうです。

物部氏は大伴氏と共に天皇の親衛隊の役割を担った氏族で、石上神宮はもともと
朝廷の武器庫の役割を果たしていました。

   「 町ぐるみ 天理の氏子 水を打つ 」  松原歌子

JR天理駅から駅前の長い長い商店街を真東へ進み、天理教本部を過ぎると
やがて布留川に至り、橋を渡ったその先の高台に鬱蒼とした森があります。

大きな鳥居をくぐりぬけると広々とした神域の両側に注連縄が張られた杉の巨木が立ち、
建物の近くの真砂地には神鶏が群れ遊んでいて、いかにも古の社らしい雰囲気を
漂わせています。

人影も少なく静寂そのもの。
伊勢神宮や大神神社が年中参詣者でごった返しているのと対照的です。

万葉集には石上、布留と詠われたものが15首あり、その大半が恋の歌です。
「布留」は「剣を振る」すなわち神霊の降臨、あるいは除災招福をあらわす言葉とも
云われていますが、巫女が袖を振って神を招く姿を想像させ、その美しい容姿と
清純さが恋に憧れる歌と結びついたのでしょうか。

「 未通女(をとめ)らが 袖布留山(そでふるやま) の 瑞垣(みづかき)の
            久しき時ゆ 思ひき我れは 」   
                        巻4-501 柿本人麻呂


( おとめが袖を振る その布留山の瑞垣が 大昔からあるように
  私はずっと昔から あの人を想ってきたのだよ )

「未通女」を乙女と訓ませるのはその女性が処女であり、神に仕える巫女を
暗示させています。
「袖布留」に「衣の袖振る」と山名が掛けられており、作者は長い間手を触れては
ならない女性に秘かな恋心を抱いていたようです。

「瑞垣」は神聖な瑞々しい生垣のことですが、現在は先端を剣先状に尖らせた
石を並べたものに変わっており、近寄りがたい威厳を感じます。

「 石上(いそのかみ) 布留(ふる)の神杉(かむすぎ) 神さびて
    恋をも 我(あ)れは さらにするかも 」
                           巻11-2417 柿本人麻呂歌集 


( 石上の布留の年古りた神杉 
その神杉のような年になって私はまたまた恋に陥ってしまったことよ)

石上は奈良県天理市の石上神宮付近から西方一帯にかけて広く称した名で、
布留は神宮の付近、すなわち現在の石上神宮を中心とした地域と見られています。

作者は「年甲斐もなくまた恋をしてしまったことよ」と詠っていますが、
浮き浮きしたような気分がうかがえ、
「おれも満更ではなさそうだ。まだまだ若いぞ」という声が聞こえてきそうです。

「 石上 降るとも雨に つつまめや
   妹に逢はむと 言ひてしものを 」  
                      巻4-664 大伴像見(おおともかたみ)


( 石上の布留というではないが いくら降りに降っても 雨になんか
 閉じ込められているものか。
 あの子に逢いにいくよと言ってやったのだから )

作者は前もって「今日はお前さんの家に行くから待っていろよ」と
云いやっていたところ、生憎土砂降りの雨。

「これしきの事でやめてたまるか。おれもあの子を抱きたいし
あの子も楽しみに待っているんだから」と今でも飛び出していきそうな
様子が目に浮かぶ歌です。

「 編み立ての 茅の輪の匂ふ 布留の宮 」    朝妻 力

堂々たる楼門を入った広庭の正面に、平安宮から移建されたと云われる古式豊かな
檜皮葺、入母屋造りの拝殿。
その奥にご神体の剣を祀る本殿。
百済から献じられたという国宝の七支刀(ななつさやのたち)が納められている宝物殿。
日本書記の中で「神宮」という名を冠している唯一の社にふさわしい偉観です。

突然、境内に放し飼いにされている尾長鶏が静寂を破るかのように鳴きだしました。
ふと見上げると、木の上に沢山の鶏が気持ちよさそうに止まっており、
いかにも長閑な初夏のひとときです。
鳥たちと楽しい時間を過ごしたあと、社の脇から山の辺の道へ出て、長岳寺に向かって歩き出しました。

「 さへづりや 鳥屋に注連張る 石(いそ)の上(かみ) 」 中野はつえ
[PR]

by uqrx74fd | 2013-06-01 15:30 | 万葉の旅