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万葉集その四百四十七 (曼珠沙華)

( 明日香稲渕の棚田 :奈良県 )
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( 同上 )
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( 巨大案山子:田の神様  右下の人間の小さいこと  同上)
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( 田の神様  同上 )
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( 生き物の神様親子 同上 )
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( 藤原京跡あたりから 後方は耳成山 奈良県)
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( 飛鳥川に咲く曼珠沙華 )
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( 曼珠沙華の群生  巾着田 埼玉県日高市 )
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「 曼珠沙華 落暉(らっき)も蘂(しべ)を ひろげけり 」 中村草田男

「曼珠沙華」は梵語でマンジュサカといい天上の花を意味しています。
この句は落暉すなわち夕日を花に見立てたもの。
落日が周囲の空や雲を茜色に染めてゆく。
みるみる雲が広がり、まるで曼珠沙華の花が開いてゆくよう。
美しくも雄大な光景です。

曼珠沙華は中國原産のヒガンバナ科の多年草で属名を「リコルス」といい、
ギリシヤ神話の海の女王「リコリス」の名に因んだものだそうです。
洋の東西を問わず神聖な花とされたマンジュシャゲ。
そのような由来からわが国ではお寺やお墓に植えられ、先祖への供花と
されてきたのでしょう。

この花は種を結ばず、中国からどのような経路で渡来したか定かではありませんが、
柳宗民氏は揚子江中流域あたりの野性の球根が洪水で流され、九州に流れ着いて
野生化したものではないかと推定されています。(日本の花 、ちくま新書)
あるいは、留学生や渡来人が、むくみ、腫物,疥癬(かいせん)の治療薬として持ち込んだ
可能性もあるかもしれません。

「曼珠沙華 くさむらの中に 千万も咲き
              彼岸仏の供養をするか 」 木下利玄


曼珠沙華は秋のお彼岸の頃に咲くので彼岸花ともよばれますが、その生命力は強く、
冷夏、酷暑、干ばつ、多雨に関係なく時期が到来すると必ず花を咲かせます。
お寺以外の田畑にも多く植えられているのは、鱗茎の澱粉が極めて良質なので
救荒植物とされたためです。
ただし、アルカロイド、リコリンなどの有害物資を含んでいるので、古代の人たちは
鱗茎を細かく搗き砕き、一昼夜以上流水に浸して毒性を洗い流していたそうです。
尤も、普段の生活の中で収穫すると、いざという時の備えにならないので、
子供達には「毒があるから絶対に食べるな」と教えていた由。

また、極めて良質 優秀な糊ができるので屏風、ふすまの下張、表具加工に用いられ、
虫に食われることがないともいわれています。
万葉集ではただ一首「壱師(いちし)」と云う名で登場します。

「 道の辺(へ)の 壱師(いちし)の花の いちしろく
      人皆(ひとみな)知りぬ 我(あ)が 恋妻は 」
             巻11の2480 柿本人麻呂歌集(既出)

( 道のほとりに咲く彼岸花
  その花が目立つように我が恋妻のことを とうとう世間様に知られてしまった。
  ずっと心のうちにしまっておいたのに )

「いちしろく」の原文は「灼然」で「著しくはっきり」という意で、
作者は燃えるような恋心を抑えかねて女性のもとに度々通ったのか、あるいは
人前で手を振るようなしぐさをしたのでしょうか。

当時の恋のルールは「夜、女性のもとに通い、明け方、人がまだ寝ている間に帰る」、
そして「人に知られないよう密やかに」というのが習いでした。
何故ならば、人の口に自分達の名前が上ると、その言葉に霊力が付いて魂が他人に
移ってしまい、お互いの恋は破綻すると信じられていたのです。

「 草川の そよりともせぬ 曼珠沙華 」 飯田蛇笏

「いちし」が今日の何であるかは意見が分かれており、
「ギシギシ」「エゴノキ」「イタドリ」「草苺」「メハジキ」説など諸説紛々でしたが、
現在は「曼珠沙華」、「彼岸花」とする牧野富太郎博士説が支持されています。

氏は次のように述べておられます。

『 ヒガンバナが咲く深秋の季節に野辺、山辺、路の辺、川の畔りの土堤、
山畑の縁などを見渡すと、いたるところに群集し、高く茎を立て並び
アノ赫灼(かくしゃく)たる真紅の花を咲かせて、そこかしこを装飾している光景は
誰の目にも気がつかぬはずがない。
そしてその群をなして咲き誇っているところ、まるで火事でも起こったようだ。
だからこの草には狐のタイマツ,火焔ソウ、野ダイマツなどの名がある。
すなわちこの草の花ならその歌中にある「灼然(いちしろく)」の語もよく利くのである。

また、「人皆知りぬ」も適切な言葉であると受け取れる。
ゆえに私はこの万葉歌の壱師すなわちイチシは多分疑いもなくこのヒガンバナ、
すなわちマンジュシャゲの古語であったろうときめている。
が、ただし現在何十もあるヒガンバナの諸国方言中にイチシに彷彿たる名が
見つからぬのが残念である。
どこからか出てこい、イチシの方言 ! 』
                        ( 牧野富太郎 植物1日1題 ちくま学芸文庫より)

その後の研究で山口県に「イチジバナ」 山口県熊毛地方に「イチシバナ」
北九州小倉地方に「イチジバナ イッシセン」の方言があることが判明し
(松田修 古典植物事典 講談社学術文庫 ) 牧野説の正当性が裏付けられました。
泉下の牧野博士も大喜びされておられることでしょう。

この植物は花が咲くときには葉がなく、葉のあるときには花がないので
「ハミズ ハナミズ」(葉見ず花見ず)ともよばれています。
 
「 葉見ず 花見ず 秋の野に
  ぽつんと咲いた まんじゅしゃげ
  から紅に燃えながら
  葉の見えぬこそ さびしけれ 」  中 勘助


美しい明日香の棚田。
台風の被害が心配されましたが、今年も稲が豊かに実り、曼珠沙華も
力強く色鮮やかな花を咲かせていました。
恒例の案山子祭り、今年のテーマ―は「田の神様、生き物の神様」だそうです。
大勢の子供たちが力を合わせて作り上げた表情豊かな案山子に思わず微笑み、
心を和ませながら棚田を上ってゆくと、そこは朝風峠。
眼下に大和三山がぽっかりと浮かんで見えました。
母なる大地、明日香はいつ訪れても大きな手をさしのべて私たちを暖かく
包み込んでくれる心地がいたします。

「 曼珠沙華 燃えて棚田の 道細し 」  高濱年尾
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by uqrx74fd | 2013-10-25 09:09 | 植物

万葉集その四百四十六(葛城山春秋)

(つつじ咲く葛城山)
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( 秋の葛城山)
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( 葛城山ロープウエイから)
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( 葛城山頂から大和三山を臨む )
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( 葛城金剛連山  明日香冬野から )
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( 金剛山 葛城山頂から )
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(  綏靖天皇(すいぜいてんのう)葛城高宮跡  葛城古道で) 
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( 葛城金剛連山遠望  山の辺の道から )
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奈良県と大阪府の境に屏風を立てたように連なる金剛、葛城、二上連山は古くは
葛城山と総称されていました。
この辺りは古代豪族葛城、鴨氏の本拠地で、ゆかりの古社、古墳も多く、
また、修験道の開祖、役小角(えんのおづぬ)が修行のために山に籠ったともいわれ、
太古の世界の雰囲気を漂わせているところです。

主峰金剛山(1125m)には記紀にみえる雄略天皇ゆかりの一言主神を祀る葛城神社があり
葛城山(959m)の南麓には葛城水分神社が鎮座まします。
水分(みくまり)とは水配りのことで、人々は豊かな水をもたらす山々を聖なる山と崇め、
朝に夕に祈りを奉げていたのです。

また、「日本書紀」神武天皇即位前紀によると、この地域に土蜘蛛とよばれた部族が
住んでいましたが、天皇の兵が葛(かずら)の蔓(つる)で編んだ網で一網打尽にしたのち、
その地を葛城という名に改めたという地名縁起も伝えられています。

万葉集で葛城山を詠ったものは2首。
他の関連地域を含めても6首しかありません。
栄華を誇った葛城一族の本拠地にしては意外に少ないと感じますが、
5世紀の末、葛城氏が雄略天皇に反抗して手痛い制裁を受けて没落し、
蘇我氏に実権を奪われたことや、政治の中心が飛鳥、藤原京に遷ったという事情が
あったのかもしれません。

「 明日香川 黄葉(もみちば)流る 葛城の
      山の木(こ)の葉は 今し散るらし 」 
                        巻10-2210 作者未詳

( 明日香川に黄葉が流れている。
 どうやら葛城の山の木の葉がしきりに散っているようだ。)

明日香川に流れている木の葉を眺めながら、葛城山の秋の深まりに感慨を
抱いている一首ですか、平安時代にこの歌を本歌取りしたものが多く詠まれ
次のような人麻呂作とされたものもあります。

「 飛鳥川 もみじ葉流る 葛城の
      山の秋風 吹きぞしくらし 」  柿本人麻呂 新古今和歌集


「吹きぞしくらし」は「しきりに吹いているようだ」の意。 
なお、飛鳥川は河内にも同名の川が存在し諸説ありますが大和説が有力です。

 「 春柳 葛城山に立つ雲の
      立ちても居ても 妹をしぞ思ふ 」 
                     巻11-2453 柿本人麻呂歌集


( 春柳を鬘(かず)くと云うではないが、 その葛城山に立つ雲のように
 立っても座っても ひっきりなしにあの子のことばかり思っている )

春柳はそれを髪飾り(鬘:かずら)にすることから葛城山に掛かる枕詞とされ、
春に芽吹く柳を頭にかざすことで新しい生命力を取り入れようという
願いが込められています。
そのかづらの葛城山と「か」が続く軽快なリズム、立つ雲のように居ても立っても
いられないという言葉遊び。
若い男女の間で詠われた民謡だったかもしれません。

「 葛城や あやめもわかぬ 五月雨」  松瀬青々

「あやめ」は布の模様などの文目(あやめ)で、
「わかぬ」は「分かぬ」で区別がつかないこと。

「折角葛城を訪れたのに生憎の五月雨。
薄暗くて、周りの景色がはっきり見えないことよ」 と嘆いています。
秋ならば「葛城や あやめもわかぬ 時雨かな」とでも詠んだのでしょうか。

葛城は仁徳天皇の皇后、磐姫の故郷としても知られています。
次の歌は皇后の留守中、天皇が八田皇女という女性を後宮に入れたことに抗議して
再び宮に戻るまいと山城の国の知り合いのもとに去った時、奈良坂あたりから
葛城を臨んで詠った望郷の歌です。

「 つぎねふや 山城河を 
  宮のぼり 吾(わ)が のぼれば
  青丹よし 奈良を過ぎ 
  小盾(をだて)  倭(やまと)を過ぎ
  吾が見が欲し国は 葛城高宮  
  吾家(わぎへ)のあたり 」    (古事記)


(  山々が重なる中を流れる山城川
  我が宮を過ぎ、さらに上ってゆくと
  美しい 奈良を過ぎ
  小さな盾なす山々に囲まれた 大和も過ぎてしまった
  あぁ、私が見たいと思う国は  葛城の高宮
  なつかしき 我が家の辺り )

「葛城の高宮」の所在地は一言主神社から九品寺に向かう道の杉木立の一角に
「綏靖天皇(すいぜいてんのう)葛城高宮跡地」の石碑があるあたりと推定されています。

( 仁徳天皇の浮気については「万葉集遊楽320 磐姫皇后の謎」をご参照下さい)

「 うつりゆく 雲にあらしの 声すなり
    散るか正木(まさき)の 葛城(かづらき)の山 」 
                              藤原雅経 新古今和歌集

( 空を移ってゆく雲間から 烈しい山風の音が聞こえる葛城山
 正木のかずらは この山嵐で散っているのだろうか )

謡曲「紅葉狩」にも引用されている名歌で、正木は紅葉の樹のことです。

葛城山の秋は紅葉の他ススキが美しく、冬は樹氷、初夏は一目百万本といわれる
ツツジの群生で山が赤く燃え立つなど、四季折々素晴らしい表情を見せてくれます。
山頂からの視界もきわめてよく、国民宿舎や自然研究路が整備されているので
ロープウエイで訪れる人も多いようです。

お隣の金剛山は富士山に次いで全国第2位の登山客で賑わい、特に全長45㎞の
長距離歩道はダイヤモンドコースの愛称で親しまれています。

「 金剛の 露ひとつぶや  石の上 」 川端茅舎

もろくも儚いものの代表の露の中に金剛(ダイヤモンド)の強さを見出した
作者の内面世界の啓示。
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by uqrx74fd | 2013-10-18 07:17 | 万葉の旅

万葉集その四百四十五(葛城古道 朝妻)

( 朝妻近辺 後方は金剛山)
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( 極楽寺鐘楼門 )
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( 一言主神社 )
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( 同、大銀杏)
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( 九品寺への道 左側)
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( 長柄の古い町並み 堺屋太一氏の実家もこの辺りにある )
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( 九品寺 )
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( 同 石仏 )
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天孫降臨の伝承地とされる高天原から極楽寺へ向かう道は狭くて急な下り坂が続き、
倒木がところどころで行く手を妨げています。
難儀しながら歩くこと約40分。
ようやく見晴らしのいい場所に出ました。
眼下に大和三山がパノラマ状に広がり、大和国原そのものです。

葛城古道は標高300mの高台を歩く道が多いので、空気が清々しく、
美しい緑の田畑や低い山並みを俯瞰できるのも魅力の一つです。

金剛山の麓を過ぎるあたりに朝妻とよばれる地域があります。
古代、国造(くにのみやっこ)が置かれ、渡来人も住み着いて繁栄した群落で、
天武天皇も行幸され流鏑馬(やぶさめ)を行ったとも伝えられているところです。

万葉集では「朝妻」という言葉の響きの良さからでしょうか。
2首の恋歌が詠われています。

「 今朝(けさ)行きて 明日には来ねと 言ひし子か
     朝妻山に 霞たなびく 」
                       巻10―1817 柿本人麻呂歌集

( 「 今朝はひとまずお帰りになっても、今夜また来てくださいね 」
  と言ったあの子。
  その姿は朝妻というのにふさわしい。
  あぁ、外を見ると、その名をもつ朝妻山に霞がたなびいているよ。 )

「朝妻山」は金剛山の東に連なる小高い丘稜地帯と思われます。
一夜過ごした朝、女性は早々に起きて身づくろいを終え、後朝の別れを待っている。 
作者はその初々しいしぐさを愛でながら朝の妻という呼び方にふさわしいと
感じたのでしょう。
ほのぼのとした情景を感じさせる一首です。

「 子らが名に 懸(か)けのよろしき  朝妻の
    片山崖(かたやまきし)に 霞たなびく 」 
                        巻10-1818 柿本人麻呂歌集


( あの子の名に懸けて呼ぶのにふさわしい朝妻山の、その片山の崖に霞が
 たなびいている )

片山は一方が山で他方が開けている地形の山側をいい「きし」は崖のことです。
前の歌と同様の発想なので同じ作者かもしれません。
一夜共にした相手を朝妻と美しく詠う風雅な万葉人。
1300年を経た現在でも使いたくなるような言葉です。

「 葛城の 一言主の 冬の雷 」 有馬朗人

大和3山を眺めながら歩いて行くとやがて極楽寺に至ります。
951年開基といわれる浄土宗の古刹です。
堂々たる鐘楼門をくぐり、阿弥陀如来が鎮座まします本堂を参拝。
前方に金剛山の山肌が迫り、後方は大和平野が広がる素晴らしい眺めです。

この辺りから金剛山の山並みが途絶え、葛城山の麓を辿ることになります。
点在する石仏を拝みながら歩くこと約40分。
左手の葛城山を眺めながら坂を下ると、やがて古い街並みが続く長柄の集落へ。
由緒ありげな大きな家が立ち並び、格子戸が美しい。
杉玉を吊るした酒屋もあり、昔、金剛山に登拝する人達の宿場町として栄えた
面影が残るところです。

さらに歩くこと30分。
長い松並木の参道を進み、ようやく葛城一言主神社に到着しました。
葛城山を背にした堂々たる社殿。
主神は「 善いことも 悪いことも遠慮なく一言で言い切る 」託宣、予言の神とされ、
願い事をすれば一言だけかなえて下さるというので
土地の人たちから「一言神(いちごんじ)さん」とよばれて親しまれています。

境内には樹齢1200年と云われる大銀杏がひときわ目を引きます
「乳銀杏」とも云われ、この木にお祈りすると、子供が授かり
お乳がよく出るともいわれる御神木です。

「 猶(なお)見たし 花に明行(あけゆく) 神の顔 」   芭蕉


一言主神には次のような伝説があります。
「 役行者が鬼神たちを集めて、葛城山と吉野の金峯山とをつなぐ岩橋を掛けさせたが、
一言主神は容貌が醜いのを恥じて昼は出ないで夜のみ働いた」
しかし芭蕉は「神の顔が醜いなどということはあるまい。
本当はこの花盛りの山々の夜明けにふさわしく、きっと美しいにちがいない。
そんな神様のお顔を是非一目拝見したいものだ」 と詠んだのです。

ほのぼのとする土地の神への挨拶句で境内に句碑が立てられています。

一言主神社を後にした後、千体石仏で知られる九品寺に向かいます。
高台から眺める大和三山が美しく、疲れも忘れて歩くこと3㎞。
ようやく最終訪問地、九品寺に到着。
堂々たる本堂、庭のあちこちに立つ石仏の多さには圧倒されながらゆっくりと
拝観させていただきました。
境内には木々の剪定をしている植木職人が二人だけ。
静寂(しじま)を破るかのように蜩(ひぐらし)の声が響いてきました。

空を見上げると夕焼け雲。
最寄りの御所駅まであと4㎞。
さぁ、もう一息と呟きながら、夕日に照り映える美しい葛城山を眺めつつ、
長い長い散策を終えました。

「 葛城の 山懐に 寝釈迦かな 」 阿波野青畝

  葛城山を寝釈迦に見立てて詠んだ雄大な句です。


 
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by uqrx74fd | 2013-10-11 07:54 | 万葉の旅

万葉集その四百四十四(葛城古道:高天原)

( 高鴨神社 奈良県御所市 )
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( 同上 )
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( 高天彦神社参道の老杉   )
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( 高天彦神社   同上 )
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( 高天原 後方白雲嶽 )
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( 高天原碑 )
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( 橋本院 )
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( 橋本院入口に立つ万葉歌碑 )
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奈良盆地の西南、大阪府と奈良県の境に連なる二上、葛城、金剛山の峰々は
古くは総称して葛城山(かつらきやま)とよばれていました。
その東側の山裾(奈良県側)を南北に辿る道が葛城古道で、古代豪族葛城氏や鴨氏の
本拠地とされています。
葛城氏は天皇家との結びつきが強く、その祖とされる襲津彦(そつひこ)の娘が
仁徳天皇の皇后、磐姫、万葉集最古の歌を詠んだといわれる女性です。

「 葛城の 襲津彦真弓(そつびこまゆみ) 新木(あらき)にも
   頼めや君が  我が名 告(の)りけむ 」
                             巻11-2639 作者未詳


 ( 葛城の襲津彦(そつびこ)の持ち弓、その新しい弓材が強いように
  あなた様は私を強く信じ切って下さった上で、私の名を他人に明かされたのでしょうか)

古代、恋人の名を他人に告げることは禁忌とされていました。
他人の口から人の名が発せられると、その人の魂が抜け出てしまい、
お互いの関係が消滅すると考えられていたのです。

この歌の作者は、自分の名を明かした男に、
「 なぜ人に教えたの.
  教えても私の気持ちが心変わりしないと強く信じておられたの。
  それとも、もうお互いの関係は終わっても良いという心づもりなので
  しょうか 」 と問い詰めています。

葛城襲津彦は大和朝廷の外交関係を担っていたと云われ、何度も新羅、百済に渡り
武勇の人としても知られていたらしく、彼が引く強弓が詠われています。

「新木」は新しい弓材と「荒木神社」(五條市)とを掛け、新しい木さながらの
「まっさらな嘘偽りがない強い自分の心」と「神にかけて」の意を含んでいるようです。

葛城氏が盆地の中央に本拠を構えながら海外に渡ることが出来たのは、和歌山、河内に
至る道路を整備し、さらに、吉野川、淀川を経て瀬戸内海、朝鮮半島へと結ぶ海路を
確保したことによるものと思われます。
その結果海外からの最新技術を導入して鉄を使った武器や農具を用いて
他の豪族を圧倒し、天皇家に匹敵する力を蓄えたのです。

「 葛城の 日暮れに匂ふ 花蜜柑 」 室谷幸子

近鉄、御所(ごせ)駅から新宮、五條行のバスに乗って約20分。
風の森という風雅な名前の停車場で下車します。
葛城古道散策約20㎞の出発点です。
このあたりは金剛山の麓で、吹きおろしの風が強く、近くに風神が祀られています。
左手の坂道を上ると眼前に金剛山(1125m)が迫り、辺りは一面の田園地帯です。

心地よい風に吹かれながら歩くこと約20分で最初の訪問地、高鴨神社に到着しました。
葛城氏より古い豪族、鴨氏の氏神で、京都の上賀茂、下賀茂神社をはじめ全国の
賀茂社の総本宮です。
赤い鳥居を潜り抜け、杉木立に囲まれた参道に続く石段の上に拝殿、その奥には
立派な檜皮葺の本殿があり、厳かな雰囲気を漂わせています。
参道の左手に広がる大きな池面に金剛山の山並みが影を落としていて美しい。

参拝を終えて高天彦神社に向かいます。
曲がりくねった坂道をしばらく進むと、やがて視界が開け、大和盆地が一望に。
大和三山、遠くに三輪山も。
ここからが胸突き八丁の上り坂。約40分位急坂が続きます。
息も絶え絶えになりながら、ようやく鬱蒼とした杉木立、その向こうに
鳥居が見えてきました。

 高天彦神社は葛城氏の祖神を祀り、祭神は高皇産霊神(タカミ ムスビノカミ)。
如何にも神さびた雰囲気の拝殿の背後にはご神体の白雲峰、別名高天山です。
この辺り一帯は建国神話の天孫降臨の舞台、高天原であると伝えられています。
高天原については九州日向の高千穂の峰をはじめ日本各地にいくつかありますが、
ここもその1つです。
高天彦神社から約10分のところに高野山真言宗橋本院があり、手前に「史跡高天原」の
石碑と次のような万葉歌の碑が立っています。

「 葛城の 髙間の草野(かやの) 早や知りて
     標(しめ)刺さましを 今ぞ悔(くや)しき 」   巻7-1337 作者未詳


( 葛城の髙間の草野、そこをいち早く見つけて、「ここは俺のものだ」と目印を
  立てておけばよかった。
  いつの間にか他人に刈られてしまったわい。悔しい! )

草野は屋根材の最高級品とされた茅(かや)の群生地のことで、当時このあたりに
生い茂っていたようです。
この歌は「草に寄す」に分類されているので、草野は若く美しい女性の譬えとされ、
標刺すは我が物にすること。
目を付けていた女性が、知らない間に他人と一緒になった悔しさを詠っています。

辺りを見渡すと金剛山中腹に広がる台地は見渡す限り一面の稲田。
水も空気も澄みきっていて、いかにも神話の世界にタイムスリップしたような
心地がします。
時が経つのも忘れて長閑なひとときを過ごした後、次の訪問地、極楽寺に
向かうことにしました。
   
   「 葛城の 神の鏡の 春田かな」 松本たかし
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by uqrx74fd | 2013-10-05 08:50 | 万葉の旅