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万葉集その四百五十二(山粧う)

( 奈良県庁屋上より 大仏殿)
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( 同上 若草山、御蓋山 後方春日山)
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( 衣水園より 後方 南大門、若草山)
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( 長谷寺本堂より )
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( 同上 )
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( 長谷寺五重塔 )
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( 長谷寺境内 )
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( 室生寺 )
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 「 しぐれ降る 野山は錦 今日は旅 」  筆者

秋晴れの中、紅葉便りに誘われ、「そうだ 奈良へ行こう!」と早朝、新幹線,
JRを乗り継いで奈良駅に到着したのが午前11時すぎ。
なんと青空が一転かき曇り時雨が降り出しました。

古都の紅葉狩りは県庁の屋上からスタート。
平日の勤務時間内なら外部の人にも無料で開放してくれている有難い役所です。

展望所に立って東を臨むと若草山、春日山、御蓋山、高円山が連なり、大仏殿
二月堂、南大門が甍を並べています。
南に目を転じると佐保丘陵、その昔、大伴一族が邸宅を構えていたところ。
西には大阪につながる生駒山、北の方角は遥かに三輪山、葛城金剛山。

ビル屋上の回廊を巡りながら奈良市内を360度パノラマ状に俯瞰できる
とっておきの場所なのです。

「 雁がねの 声聞くなへに  明日よりは
   春日の山は もみちそめけむ 」   巻10-2195 作者未詳


( 雁の鳴き声が聞こえるようになったなぁ。
  明日からは春日の山も色づきはじめることであろう )

「なへに」は「~につれて」
 
古代の人たちは秋になると草木が赤や黄色に変わる現象を時雨によって
「揉(も)みだされている」と感じ「もみつ」と言い習わしていました。
雁が音を聞きながら、「さぁ紅葉の季節がきたぞと」胸を膨らませている作者。

県庁の屋上から見える春日山はまさに紅葉が始まろうとしているかのように
うっすらと粧いはじめており、麓の正倉院、奈良公園付近は今が見ごろ。
銀杏や楓が錦を織りなしたように美しい。

「 十月(かむなづき) しぐれにあへる 黄葉(もみちば)の
     吹かば散りなむ 風のまにまに 」 
                              巻8-1590 大伴池主


( 十月の時雨に出逢って色づいたもみじ これと同じ山のもみじの葉は
  風が吹いたら 吹かれるままに散ってしまうことであろう )

旧暦の10月は現在の11月中旬。
晩秋から初冬にかけて急にパラパラと降っては止む小雨は奈良の風物詩。
時雨は万葉人にとって、木の葉を美しく色づかせるとともに折角の紅葉を
散らしてしまう雨でもありました。

 「 こもりくの泊瀬(はつせ)の山は 色づきぬ
      しぐれの雨は 降りにけらしも 」 
                   巻8-1593 大伴坂上郎女


( こもりくの 初瀬の山は見事に色づいてきました。
  時雨が早くもあの山々に降ったらしい )

「季節の移ろいに驚く風雅の心、流石に時代の新しさを感じさせる(伊藤博)」と
評されている1首。

「山々に囲まれた」という意味を持つ「こもりく(隠国)」の里 。
初瀬の紅葉は今年も見事な粧いを見せてくれました。

長谷寺の懸造(かけづくり)の舞台から眺める山々は時雨に濡れそぼち、
霧が立ち上っています。
春の桜、初夏の牡丹、秋の黄葉、冬は寒牡丹と温泉。
四季折々私たちを癒してくれる初瀬は万葉人の憧れの場所でもありました。
帰りの参道でつまみ食いした「よもぎ餅」の美味しかったこと。

「黄葉(もみちは)の 過ぎまく惜しみ 思ふどち
   遊ぶ今夜(こよひ)は 明けずもあらぬか 」 
                     巻8-1591 大伴家持(既出) 


( もみぢが散ってゆくのを惜しんで 気の逢うもの同士で遊ぶ今宵。
 このまま明けずにいてくれないものか )

燗酒をちびりちびりとやりながら親しいもの同士で語り合う楽しさ。
話題は男と女の恋物語です。

「 松の葉に 月はゆつりぬ 黄葉(もみぢば)の
   過ぐれや君が 逢はぬ夜の多き 」
               巻4-623 池辺王(いけへのおほきみ)


( の葉ごしに 月さま渡る。 
  おいでを待つうち ひと月経った。
  あの世へ行ったか 彼(か)の様の 
  こうも夜離(よがれ)は何とした。) 

万葉学者、橋本四郎氏の名訳。
作者は額田王の曾孫、なかなか洒脱な歌を詠む人物であったようです。

「松の葉」に「待つの端、すなわち、待ったあげく」を掛け 
「月はゆつりぬ」に天体の運行と暦月の推移
「黄葉過ぐ」に 訪れない相手の死に見立てており、

間遠くなった男への恨み節。
後世の

「こなた思うたらこれほど痩せた 
二重(ふたへ)回りが 三重(みへ)回る」 
                    河内の民謡
  回るのは帯
「 声はすれども姿は見えぬ 
              君は深山(みやま)のきりぎりす」
                和泉の民謡  
  キリギリスはコオロギの古称
などを思い出させるお座敷歌です。

深々と更けて行く秋の夜。
万葉人の宴会はまだまだ続いておりますが、我々はここでお別れです。

  「 山暮れて 紅葉の朱(あか)を 奪ひけり 」 蕪村
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by uqrx74fd | 2013-11-29 14:24 | 自然

万葉集その四百五十一(朝霧、山霧)

( 中央アルプス  千畳敷カール )
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( 同上 宝剣岳真下 )
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( 同上 )
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( 南アルプス )
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( 同上 )
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( 同上 )
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( 上高地 )
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( 同上 )
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霧 靄(もや)、霞。
いずれも地表や海面近くの空気が冷却され、その水蒸気が小さな水滴になって
浮遊している現象をいい、気象庁では1㎞先のものが見える時は「靄(もや)」
見えない時は「霧」とよび分けています。
「霞(かすみ)」は気象用語に関係なく、文学、詩歌の世界のものとされ、
古くは万葉集で「霞立つ」と詠われていますが「春の霞」「秋の霧」という
四季の美意識が定着するのは平安時代からです。

万葉集で詠われている霧は70余首、「山霧」「朝霧」「夕霧」「雨霧」
「夜霧」「霧隠(こも)り」「天つ霧」など多彩な表現がなされています。
季節は秋が圧倒的に多く、春のものは2首しかありません。
やはりなんとなく儚さと物寂しさを感じさせる霧は秋にふさわしいのでしょう。

「 九月(ながつき)の しぐれの雨の 山霧の
   いぶせき我(あ)が胸  誰(た)を見ば やまむ 」
                              巻10-2263 作者未詳


( 九月の時雨の雨が霧となって山を包み隠すように、うっとうしく
 晴れ晴れしない我が胸の思い。
この思いは一体どなたを見たら晴れるのでしょうか )

この歌には次のような表現もあるという注記がなされています。

「 十月(かむなづき) しぐれの雨降り 山霧の
    いぶせき我(あ)が胸  誰(た)を見ば やまむ 」
                        ( 巻10-2263 作者未詳 )


「いぶせき」は「心が晴れない」の意で、訪れない男を待ちわび、
「あなたのお顔をみれば晴れ晴れするのに どうして来て下さらないの」と嘆く女。
時雨、山霧が憂鬱な気分を引き立てている1首です。

「 我がゆゑに 言はれし妹は 高山の
   嶺(みね)の朝霧 過ぎにけむかも 」 
                   巻11-2455 柿本人麻呂歌集


( 私のせいでとやかく噂されたあの子、
 あの子は噂に悩むあまり 高山にかかる朝霧がまたまく間に消えて果てるように、
 私から遠のいてしまったのであろうか )

晴れた日の朝霧はあっという間に消えてしまいます。
深い仲になってしまった二人、それは禁断の恋だったのでしょうか。
周囲からあれやこれやと云われ、とうとう居たたまれなくなり朝霧のように
姿を消してしまった乙女。
「あの子は今頃どうしている、無事だろうか、可哀想なことをした」と
万感の思いがこもる作者。

「 我妹子(わぎもこ)に 恋ひすべながり 胸を熱み
     朝戸開くれば 見ゆる霧かも 」
                     巻12-3034  作者未詳


( あの子が恋しくてどうしょうもなく 胸が焼けて痛くなるほどに苦しい。
 悶々としているうちに とうとう朝を迎えてしまった。
 戸を開けると周り一面に霧が立ちこめていることよ )
 
古代の人は「嘆息は霧になる」と信じていたことが次の歌からも窺えます。

「 君が行く 海辺の宿に 霧立たば
     我(あ)が立ち嘆く 息と知りませ 」   
                    巻15-3580  遣新羅使人の妻 (既出)


恋に悶えて寝もやらぬ一夜を過ごした男。
辺り一面に立ちこめる霧は自分自身の嘆きだと詠っているのです。
「恋ひすべながり」は「恋すべ無くあり」で「恋してしまってどうしょうもない」の意 

「 暁(あかとき)の 朝霧隠(ごも)り かへらばに
    何しか恋の 色に出でにける 」  
                      巻12-3035 作者未詳


(  夜明け前の暗がりに朝霧が立ちこめ、何も見えない。
  そのように包み隠したつもりなのに、一体どうしたことか!
  私の恋心が面に出てしまい相手に知られてまったようだ )

「かへらばに」は「自分の思惑と反対に」の意で
 「 心に秘め、隠しおおせていると思っていた恋が、相手に悟られ、
   世間の噂にもなってしまった。
   困ったなぁ。」と嘆きながらも内心喜んでいる男。
 相手は人妻? あるいは 手が届かない高貴な美女? 

 
「 霧にほふ おもき戸障子の うちにねむる 」 石橋辰之助

霧が立ち上るさまは「香のゆくり」のように見えることから
「霧匂ふ」「霧の香」ともよばれます。
 美しくも優雅な言葉です。

霧匂ふ上高地の朝。
日が差すとともに立ち流れてゆく。
夕霧こもる南アルプス。
ところどころに紅葉が斑に浮かび幻想的な世界を醸し出してくれました。

「山霧の 梢に透る 朝日かな 」 召波
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by uqrx74fd | 2013-11-23 22:55 | 自然

万葉集その四百五十 (万葉のオフィーリア)

( 柿本人麻呂 JR和歌山線 五條駅で)
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( シェイクスピアの肖像 パナマ切手  yahoo画像検索より) 
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( 夏目漱石  yahoo画像検索より)
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( オフィーリア  ジョン・エヴァレット・ミレイ  yahoo画像検索より)
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(  出雲乙女 森脇正人  万葉日本画の世界図録より 奈良県立万葉文化館刊)
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( 草枕絵巻  山本丘人  yahoo画像検索より)
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(  ビル・エバンス アンダーカレント   レコードジャケット 学友i・n君のイチオシ)
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1600年に上演されたシェイクスピアの不朽の名作、悲劇「ハムレット」。
数々の場面のなかでも、ヒロイン、オフィーリア入水のくだりは今もなお多くの
人々の紅涙を誘い続けています。
絶世の美女が仰向けになって歌いながら流され、やがて沈んでいく。
世の人々はその悲しい出来事に同情の涙を浮かべながらも一種のロマンを感じるのです。

ところが驚くべきことに、信じられないことでありますが、それよりも900年も前に
我が柿本人麻呂が同じシーンを詠っているのです。
まさか、まさか、シェイクスピアが万葉集を読んでいたのではありますまいねぇ。
まずはハムレットの場面から。

『 妃:           「- - レイアーティーズ、オフィーリアが溺れて。」
  レイアーティーズ:  「 溺れて!  そりゃ、どこで?」
  妃 :          「 小川のふちに柳の木が、白い葉裏を流れにうつして、
                 斜めにひっそり立っている。
                - オフィーリアはきれいな花環をつくり、その花の冠を、
                 しだれた枝にかけようとしてよじのぼった折も折、
                 意地悪く枝はぽきりと折れ、花環もろとも流れの上に。

                 すそがひろがり、まるで人魚のように川面をただよい
                 ながら、祈りの歌を口ずさんでいたという。
                   -
                 ああ、それもつかの間、ふくらんだすそはたちまち水を吸い、
                 美しい歌声をもぎとるように、あの憐(あわ)れな
                 牲(いけに)えを、川底の泥のなかにひきずりこんでしまって。
                 それきり、あとは何も。 」
レイアーティーズ:      「ああ。そのまま溺れて?」
妃 :              「溺れて、ええ、溺れて」
                             (シェイクスピア ハムレット 福田恒存訳) 』

続いて人麻呂の登場です。

「 八雲さす 出雲の子らが 黒髪は
      吉野の川の 沖になづさふ 」  巻3-430 柿本人麻呂


( 盛んに湧き立つ雲のように若々しく美しい出雲の乙女。
 その乙女のつややかな黒髪が吉野の川の波のまにまに漂っている )

この歌は出雲から宮中に召された采女が禁忌の恋に悩んで入水を遂げたのを
作者が憐れんで詠ったものと推定されています。
作者は吉野山で火葬の煙が流れるのをを見ながら

「 山の際(ま)ゆ 出雲の子らは 霧なれや
    吉野の山の 嶺にたなびく 」巻3-429 柿本人麻呂


( 山あいから 霧がたなびいている。
  あれは出雲の子を焼いた煙が霧になったものなのだろうか )

と詠い、入水した時の乙女の様子を幻視しているのです。

古代の宮中の女性は地に着くほどの長い黒髪を持っていました。
その髪が玉藻のようにゆらゆら揺れている。
山と川を対比させ、幻想的な場面を詠った短い物語風の2首です。

以下は青木生子氏の解説です。

『 幻想がなんと美しく詠われていることか。
  おとめの長い黒髪が沖の川波にゆらぎ漂っている印象がさながら一枚の絵のように
  脳裏にやきついて離れない。
  それはこの人麻呂の歌を初めて私が知ったときの経験である。
  「ハムレット」のオフェリヤのイメージとこれがあまりにぴったり重なりあった
  ときめきだといったらよいだろうか。――

  たぶんオフェリヤの絵を何かの画集で見たはずである。
  だが私の場合は、夏目漱石の「草枕」の中から一層馴染みな映像を結んでいると
  いったほうが正しいらしい。
  それにここには万葉の歌とつながる糸の手ごたえが何やらありそうな
  気がするのである。 』         ( 万葉集の美と心 講談社学術文庫より)

ここで、若き頃イギリスに留学していた夏目漱石の登場です。
彼はオフィーリヤの絵を見て強烈な印象を受けましたが、なぜこのような場面が
描かれたか納得しないまま「草枕」を書き始めました。

『 余は湯槽のふちに仰向けの頭を支えて、
  透き徹(とお)る湯のなかの軽(かろ)き体を、
  出来るだけ抵抗力なきあたりへ漂わして見た。
  ふわり、ふわりと魂がくらげのように浮いている。

  世の中もこんな気になれば楽なものだ。
  分別の錠前を開けて、執着の栓張(しんばり)をはずす。
  どうともせよと、温泉(ゆ)の中で温泉(ゆ)と同化してしまう。
  流れるものほど生きるには苦は入らぬ。- -
  - なるほどこの調子で考えると土左衛門(どざえもん)は風流である。
  - -
  余が平生から苦にしていた、ミレ-のオフェリヤも、こう観察すると大分美しくなる。
  なんであんな不愉快な所を択(えら)んだものかと今まで不審に思っていたが、
  あれはやはり画になるのだ。
  水に浮かんだまま、あるいは水に沈んだまま、あるいは沈んだり浮かんだり
  したまま、ただそのままの姿で苦なしに流れる有様は美的に相違ない。
  それで両岸に色々な草花をあしらって、水の色と流れて行く人の顔の色と、
  衣服の色に、落ち着いた調和をとったなら、きっと絵になるに相違ない。 』
                               ( 夏目漱石 草枕 岩波文庫より)

シィエイクスピア、柿本人麻呂、夏目漱石。
それぞれの名文や歌をこのようにつないでみると、東西古今の大文学者と歌人がお互いに
楽しげに語り合っている様子を垣間見るような心地がいたします。
これも優れた文学を読む楽しみの一つなのでしょう。

「 恋河に 沈むにつけて 思ふかな
     我が身も石に  なるにやあるらむ 」    藤原頼保 
          

            恋河:恋心に深く沈む心を川の深さにたとえたもの。

 追記:
    以下は草枕の続きです。
    「長良の乙女」「ささだ男」「ささべ男」については
    万葉集遊楽その二十四 (漱石の草枕) をご参照下さい。

『 すやすやと寝入る。
  夢に。
  長良の乙女が振袖を着て、青馬(あお)に乗って、峠を越すと、いきなり、ささだ男と、
  ささべ男が飛びだして両方から引っ張る。
  女が急にオフェリヤになって、柳の枝へ上(のぼ)って、河の中を流れながら
  うつくしい声で歌をうたう。
  救ってやろうと思って、長い竿を持って向島を追っかけて行く。
  女は苦しい様子もなく、笑いながら、うたいながら、行末(ゆくえ)も知らず
  流れを下る。余は竿をかついで、おいおいと呼ぶ。 
  そこで目が覚めた。
  腋の下から汗が出ている。 』 
                            ( 夏目漱石 草枕  岩波文庫より)
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by uqrx74fd | 2013-11-15 09:40 | 生活

万葉集その四百四十九( 水葱: なぎ)

( 水葱: なぎ  現代名  ミズアオイ : コナギ説もあり  明日香稲渕への道で)
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( 同上 )
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( 同上 春日大社神苑万葉植物園 )
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( ホテイアオイ  畝傍御陵前の近くで )
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( 同上)
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( 同上 )
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( 同上 後方 畝傍山 右の森は元薬師寺跡  蓮の後方にホテイアオイ畑)
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水葱(ナギ)は田、沼、湿地などに生えるミズアオイ科の1年草で、8月から9月にかけて
紫色の可憐な花を咲かせます。
古くは染料にも用いられていましたが、今は絶滅危惧種に指定されている植物です。

「ナギ」はミズアオイの古名とされ、「水葱」の字を当てているのは、水中に生える
野菜の葱(ねぎ)の意で人々はその若葉を茹でて食用にしていました。

万葉集での水葱は4首。そのうち3首は「小水葱」(こなぎ)と表記され いずれも恋の歌です。

「 春霞 春日の里の 植ゑ小水葱(こなぎ)
    苗(なへ)なりと言ひし 枝(え)はさしにけむ 」 
                        巻3-407 大伴駿河麻呂


( 春日の里に植えられた可愛い水葱、いつぞやか、あの水葱は
  まだ苗だと言っておられましたが、もう枝も伸びて大きくなったことでしょうね )

作者は大伴坂上郎女に娘の二嬢(おといらつめ)を娶りたいと思い、小水葱を
娘に譬えて「幼かったお嬢さんはもう成長して大人びてこられたことでしょうね」と
暗に求婚をしたようです。
二嬢は大伴家持の妻、大嬢(おほおとめ)の妹にあたり、駿河麻呂と家持は
また従兄弟。
この求婚が成立したかどうか不明です。(多分不成立)

「植ゑ小水葱」は 食用に栽培されている水葱の意で「小」は愛称。
 

「 上つ毛野(かみつけの)  伊香保の沼に 植ゑ小水葱
    かく恋ひむとや  種求めけむ 」  巻14-3415 作者未詳(東歌)


( 上野の伊香保の沼に植えられたかわいい小水葱
  軽い気持ちで関係を持ったのに、こんなに恋煩いになるとは思わなかったよ)

「上つ毛野 」地名 現在の群馬県
「伊香保の沼」は榛名湖。
「種求めけむ」とは意味深長な表現ですが、文字通りと受け取っておきましょう。
「遊びのつもりだったのが本気になってしまったわい」と惚気ているのか、
相手の女から「子供が出来た」と結婚を迫られて困っているのか分かりませんが、
東歌らしい素朴な詠いぶりで民謡とも。

「 苗代の 小水葱が花を 衣(きぬ)に摺(す)り
    なるる まにまに あぜか愛(かな)しけ 」
                    巻14-3576 作者未詳(東歌)


( 苗代に交って咲く小水葱の花 そんな花でも着物に摺りつけ、
 着慣れるにつれて 肌合いがよくなり手放しがたくなるものだなぁ )

田舎の女と関係を重ねるうちに情が移った男。
「あぜか愛(かな)しけ」は「なぜか涙がでるくらい愛おしくなってしまった」の
意を含み、薄青紫色の花は初々しい女性を想像させます。

苗代に小水葱を植えると、稲の栄養分を吸い取ってしまうので禁忌と
されているそうです。
とすれば、関係を持ってはならない女性を暗示しているのかもしれません。
伊藤博氏は宴席での座興の歌とも解説されていますが天真爛漫な1首です。

「 夜が明けて 釣人のゐし 水葱(なぎ)の花 」 志賀青研

古代のコナギは現在のものより小さく、常に葉より低い位置でつつましく
咲いていたそうですが、今のミズアオイの花は大型で、葉より高く伸びあがって
咲いています。

また、同じミズアオイ科の植物にアメリカ原産のホテイアオイという植物があります。
池や溝などに浮遊して生え、葉柄の下部が膨らんでいるので布袋さんの腹に
似ているところからその名があるそうです。

近鉄畝傍御陵前から香具山に向かって歩いて10分位のところに本薬師寺跡と
伝えられている場所があります。
奈良の薬師寺が平城京に移る前の前身とされているところで、
今は狭い場所に礎石が残るのみですが、すぐ横にホテイアオイの群生池があり
うねび北小学校2年生の生徒が育てているそうです。
毎年見事な花を咲かせ、畝傍山を背景にした古代ハスとのコラボレーションは
素晴らしい光景を現出してくれています。

「 布袋草 咲き流さるる 風少し 」 鈴木半風子

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by uqrx74fd | 2013-11-08 18:21 | 植物

万葉集その四百四十八 (大伴旅人の萩)

(明日香石舞台近辺の萩 奈良)
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( 元興寺境内の萩  奈良)
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( 白毫寺の萩  奈良 )
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( 白毫寺への道で 奈良)
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( 宋林寺にて  東京谷中)
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( 同上 )
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「もっと光を!」という人生最後の言葉を残したのはゲーテですが、わが大伴旅人は
「萩の花は咲いているだろうか?」と云いながらその生涯を終えたそうです。

727年、旅人は妻子と共に長年慣れ親しんだ奈良の都を離れ大宰府に転任しました。
表向きは栄転の帥(そち:長官)とはいえ63歳、そろそろ老境にかかろうとする
時期です。
天皇に近侍する旅人を遠ざけたい藤原氏の策謀とも云われていますが、
淡々として命を受けたた旅人は着任後、民政を治めるかたわら山上憶良らとともに
筑紫歌壇ともよばれる詩歌の世界を形成しその活躍ぶりは都でも
評判になっていたようです。
然しながら、華々しい作歌活動にもかかわらず望郷の念やみがたく、

「 わが盛り またをちめやも ほとほとに
     奈良の都を 見ずか なりなむ 」  
                        巻3-331 大伴旅人

( 私の若き盛りの時代はまた戻ってくるだろうか。
  いやそんなことは考えられない。
  ひよっとしたら、奈良の都 あの都を二度と見ないままに終わって
  しまうのではあるまいか )

と、本心とも思えるような歌も詠っています。

「をちめやも」の「をつ」は「変若」と書き、「若返る」の意
「ほとほとに」 もしかしたら

そのような心境の中、旅人を何かと励まし続けていた糟糠の妻、大伴郎女が
翌年3月下旬頃、突然病に臥し看病の甲斐なく先立ってしまいました。
長旅の疲労と心労が重なったのでしょうか。
旅人の悲嘆は察するにあまりあります。

そして半年後、ようやく気持ちも落ち着いてきた秋深まりゆく頃、
広大な邸に鹿が迷い込んできました。
「 ミュゥ-ン ミュ-ン 」と妻呼ぶ声が静寂(しじま)を破って響き渡る。
深く心に染み入るような声音です。

「 我が岡に さ雄鹿 来鳴く 初萩の
    花妻とひに 来鳴く さ雄鹿 」
                   巻8-1541 大伴旅人 (既出)


( 我家の丘に雄鹿が来て鳴いているなぁ。
  萩の初花を自分の花妻だと慕って鳴いているのだろうよ。)

「花妻」、この美しい言葉は旅人の造語とされています。
文字通り「花の如く美しい妻」の意ですが、鹿は殊のほか萩を好んだことから
「萩は鹿の花妻」と詠ったのです。

雄鹿は萩の開花に合わせるように鳴き始め、花が満開の時に最も激しく鳴き、
なんとなく侘しげな声で鳴く頃は花が散るときです。

古代の原野は萩が見渡す限りうねるように咲き乱れていたことでしょう。
雄鹿が胸で萩をかき分けながらゆっくりと進み、やがて花の中に埋没してゆく。
作者はその姿に亡くなったばかりの妻の面影を重ねているのです。

「 我が岡の 秋萩の花 風をいたみ
    散るべくなりぬ  見む人もがも 」   
                   巻8-1542 大伴旅人


( 我がの丘に咲く萩、 その萩は風に揺れて散りそうになっている。
  咲き散るこの花を共に見て惜しむ人がいてくれればよいのになぁ )

3年後の730年、ようやく念願が叶い大納言に昇進して帰京しますが、
懐かしの我が家に戻っても愛する妻はいない。
旅人は とうとう、病の床に臥してしまいました。

「 さすすみの 栗栖(くるす)の小野の 萩の花
    散らむ時にし 行(ゆ)きて手向けむ 」 
                        巻6-970 大伴旅人 


( 栗栖の小野の萩の花、その花が散る頃には、きっと出かけて行って
  神祭りしょう )

「栗栖(くるす)の小野」は明日香の地とされていますが所在は不明です。
「さすすみの」は栗栖の枕詞  指す墨(印をつける墨)で大工道具の墨縄の意
墨縄を「くり寄せる」、あるいは墨黒の「くろ」(黒) で「栗栖」(くるす)に
掛かるとも。

明日香は旅人の出生地、30歳まで過ごした思い出の場所です。
秋の花が咲き乱れている山野を走りまわり、馬を駆った日々。
そこには小さな祠(ほこら)があり、神祭りの思い出も蘇ってきたのでしょう。
念願の奈良に戻ったものの、已む無く病床に臥さざるをえなくなった旅人が
思い浮かべるのは懐かしい故郷でした。

「 何とか元気になって明日香に行きたい。
  そしてあの祠の神に長寿を祈りたい 」

そのような切ない想いも空しく731年の秋、旅人は奈良の佐保邸で永眠します。
大宰府から帰京してわずか1年足らず。
享年67歳でした。

「 かくのみに ありけるものを 萩の花
      咲きてありやと 問ひし君はも 」
                     巻3-455 余明軍(よのみゃうぐん)


( こんなにも 儚(はかな)く亡くなられるお命であったのに
 「萩の花は咲いているか」と私にお尋ねになった旅人様は、あぁ。 )

作者は百済王孫系の人物で、長年旅人に付き添った従者。
いまわの言葉を書き取り、5首の挽歌を奉げた中の1首です。

伊藤博氏は次のような心がこもった弔辞を献呈されており(万葉集釋註)
人格者であった大伴旅人の生涯を余すことなく語っておられます。

『 「萩の花咲きてありや」は旅人が臨終のまぎわに放った注目すべき言葉。
  清楚な野の花「萩」に関心を払いながら旅人がこの世を去ったのは、
  いかにも旅人らしく味わいが深い。
  淡々とおおらかな生涯を送った人でなければ、死に際してこういう言葉は
  吐けないであろう。
  詠っては、うるおいがあってこせこせせず、自然にしみいるような
  旅人特有の調べとも、この言葉は調和している。
  旅人は、眠るように、流れるように、悠々と人生を閉じたにちがいない。』

   「 萩散りぬ 祭りも過ぎぬ 立仏 」  一茶
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by uqrx74fd | 2013-11-02 08:26 | 生活