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万葉集その四百六十一 (梅の初花)

( 「むめ一輪 一りんほどの あたたかさ」  嵐雪  小石川植物園にて )
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( 「梅白し まことに白く 新しく 」  星野立子    同上 )
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( 蕾も膨らんできました   同上 )
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(  寒紅梅  小石川植物園  )
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( 「扇流し」という梅だそうです  同上 )
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「探梅」という冬の季語があります。
長谷川櫂氏によると
『 まだ冬のうちに、春を待ちかねて野山へ早咲きの梅を探しに行くこと。
冬枯れのなかに春の兆しを探る。
果たして梅の花に出会えれば結構なことだが、出会えなくても文句はない。
その心馳せが肝腎である。』(季節の言葉 小学館) のだそうです。

 去る1月24日のことです。
ポカポカ陽気に誘われて小石川植物園を訪ねました。
まだ一面の冬景色。
訪れる人も少なく閑散としています。

桜並木の蕾の膨らみも、まだまだ。
松や杉、そして橿の林を通り抜けると百日紅(さるすべり)。
薄茶色の裸の巨木が所狭しと立ち並ぶ姿はいかにも寒そうです。

さて、さて、一輪の梅でも咲いていないかと丘の上から日本庭園を見渡すと、
ある一角に華やかな色。
わぉぅ! 
白と紅の梅が数本花をつけているではありませんか。
今年初めてみる梅の花です。
近づくと馥郁とした香りが漂ってきました。

 
万葉集で探梅という言葉は見えませんが、次の歌は初花を詠ったものです。

「 沫雪(あわゆき)の このころ継ぎて かく降らば
   梅の初花 散りか過ぎなむ 」 
                     巻8-1651 大伴坂上郎女


( もう春なのに淡雪がここ数日降り続いていますね。
 折角咲いた梅の初花。
 この雪が花を散らさなければよいのですが )

「初花」は万葉集にだけ出てくる言葉です。
待ちに待った花が咲いたのに、散らそうとする雪が恨めしい。
一日でも長く咲き続けて欲しいと願う作者は夜の梅を見ていたのでしょうか。
隣にいたとおぼしき女性が次のように応えています。

「 梅の花 折りも折らずも 見つれども
    今夜(こよひ)の花に なほ及(し)かずけり 」
                 巻8-1652 他田 広津娘子(をさたの ひろつ をとめ)


( 今まで梅の花を眺めたり、手折って賞(め)で愛(いと)おしんで参りましたが、
今宵の初花の美しさに及ぶものはございませんでしたわ。)

作者の経歴は不明ですが大伴坂上郎女と親しい間柄であったようです。
雪洞(ぼんぼり)の淡い光の中で、くっきりと浮かび上がる雪中梅。
幻想的な場面が想像される一首です。

「 探梅や 枝の先なる 梅の花 」    高野素十

小石川植物園には多くの梅が植えられていますが花を付けているのはまだ数本のみです。
早咲き種の梅なのでしょうか。
でも、隣りの木もその隣も蕾は大きく膨らんでおり、間もなく一斉に花開き
芳しい香りを漂わせてくれることでしょう。

三寒四温の日が続く今日この頃。
梅の初花が「もう春ですよ」と告げてくれました。
間もなく2月4日、立春です。

  「早梅に 一人立ち見る 静心」  星野立子
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by uqrx74fd | 2014-01-31 08:27 | 植物

万葉集その四百六十(結び松)

( 旧芝離宮庭園の松 )
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( 浜離宮庭園 )
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( 同上 )
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( 旧芝離宮庭園の松 )
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( 同上 )
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( 皇居東御苑の一本松 )
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744年の正月11日、現在の暦で2月中旬頃でしょうか。
日頃親交ある貴族の子弟たちが集まり、活道岡(いくじがおか)に立つ一本松の下で
新年を祝う宴を催しました。
場所は平城京から遷されたばかりの恭仁京(くにきょう)近辺の小高い丘の上で
現在の京都府木津川市加茂町あたりとされています。
安積王(聖武天皇皇子)の宮もあったと伝えられ、山々に囲まれた平野の中央を
木津川が流れる風光明媚なところです。

将来を嘱望されている前途洋々たる若者たち。
まずは神の依り代である松に向かい
「新年を賀すとともに、老松にあやかり各々末永く長寿清栄であれ」と祈りを奉げます。

雲一つない青空。
春風が吹き渡ってゆき松籟が清らかな調べを奏でています。
一献また一献。
杯を重ねながら宴が盛り上がった頃合いをみて座の一人が詠いだしました。

「 一つ松 幾代か経(へ)ぬる 吹く風の
    音の清きは 年深みかも 」   
                   巻6-1042 市原王 (既出)


( 一本松よ お前は幾代もの長い歳月を経てきたのだろうなぁ。
 風が爽やかに吹き、こんなにも清らかな音を響かせているのは
 お前さんが逞しく生き抜いてきたことを寿いでいるようだねぇ。)

作者は天智天皇の玄孫(やしゃご)で、松を擬人化して話しかけています。
悠久の時の流れの中での心地よいひととき。
気品と透明感にあふれ、平安時代に好まれた松風の美感を先取りした名歌で、
万葉集中松籟が登場するのはこの一首のみです。

彼らが主と仰ぐ安積王は将来天皇にと嘱望されていましたが、病弱がちだった故、
王の無事長久を祈る気持ちも籠っていたのでしょう。

同席していた大伴家持も続きます。

「 たまきはる 命は知らず 松が枝を
    結ぶ心は 長くとぞ思ふ 」 
                  巻6-1043 大伴家持


( 人間の寿命というものは分からないものです。
  我らがこうして松の枝を結ぶのも、互いの命長かれと願ってのことですね )

「たまきはる」の「たま」は「魂」で生命力、霊力、
「きはる」は、磨り減る、尽きるの意とされています。

古代の人達は「たましひ」は「体の胸のあたりにある丸い形のもの」と考え
「 人間の生命は年の初めから次第に磨り減ってその年の終わりに尽き、
冬至の頃の鎮魂(タマフリ)によって生命が再生し新しい年を迎える。」と
信じていたようです。

「松が枝を結ぶ」は、枝と枝とを紐などで結び合わせて無事、安全を祈る
おまじない的行為で、結ぶ紐は自分の魂の分身であると考えられていました。

家持は各々の長寿を祈りつつ、
「 この松のごとく長寿は保ちえないとしても、お互いを結ぶ
友情の絆は不変でありたい。」 と願ったのです。

「紐を結ぶ」という行為は、「御神籤を神木に結ぶ」「慶弔の袋を紐(水引)で結ぶ」、
「組み紐」、さらに「印刷された贈答用の水引き付熨斗紙で包む」等、
形を変えながら今もなお受け継がれています。

「 相生の松とはならじ 幾世かけて
         君と二人は 一本の松 」    服部躬治

  
「相生の松」とは雄株、雌株が寄り添って生えていて1本の松のように
見えるものをいいます。
謡曲「高砂」では「高砂の松と住吉の松は離れていても相生の松」と詠われ、
夫婦仲が良く、めでたいものの譬えとされていますが
「 でも、私は幾世かけても別々ではなく一本松、すなわち同体になりたい 」
と願う作者です。 

「 すなほなる 松の幹など 心地よう
            春青みゆく 山にたつなり 」     岡 稲里


         「すなほなる」は「素直なる」で「癖がなくすくっと」
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by uqrx74fd | 2014-01-24 07:29 | 植物

万葉集その四百五十九(松は緑)

( 養善寺 影向の松 .天然記念物  東京江戸川区)
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( 同上 )
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( 同上 )
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( 旧芝離宮庭園 東京)
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( 浜離宮庭園 )
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( 銀閣寺 京都 )
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( 浜離宮庭園 東京)
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( 六義園 東京 )
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( 同上 )
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 松は四季を通じて瑞々しい緑の葉を保ち、その美しい枝振りと立ち姿は清々しい
品格を感じさせることから影向(ようごう)の松とよばれてきました。

影向とは神仏を迎える依り代のことで、正月の門松もその名残の一つです。

山野や庭園の景観に美しさを添えると共に、防砂風林、建築材料、松明、
医薬品(樹脂から膏薬、咳止め)、 燃料(とりわけ高温を必要とする瓦、陶器、
砂鉄の精錬に必須)など、生活になくてはならない有用の材とされてきました。

万葉集では神々しい松、松原、願掛けの結び松、「待つ」という言葉に掛けた
恋の松など77首も詠われ、当時の人々の生活と密接に結びついていたことが窺われます。

「 茂岡に 神(かむ)さび立ちて 栄えたる
    千代松の木の 年の知らなく 」
                    巻6-990 紀 鹿人(きのかひと) (既出)


( ここ茂岡(奈良県桜井市)に、立派な松が神々しく立ち茂っております。
 この木は一千年もの年を経た木なのでしょうか?
 私には想像もつかないような長い歳月です。)

大伴坂上郎女の実弟、大伴稲公(いねきみ)宅で催された宴席での歌で、
邸宅の立派な松を誉めると共に主人の繁栄を讃えています。

「茂る(茂岡)、神さび、栄え、千代松、無限(年の知らなく)」と、
これ以上めでたい言葉を取り揃えることができないと思われる祝い歌です。

「 わが命を 長門の島の 小松原
    幾代を経てか 神さびわたる 」 
                     巻15-3621 作者未詳


( わが命長かれと祈る その長門の島の小松原よ。
  いったいどれだけの年月を過ごしてこのような神々しい姿をし続けているのか )

736年新羅に派遣された官人の航海中の歌で、途中停泊した長門の島は
広島県呉市南の「倉橋島」といわれています。
宴席で詠われた松賛歌ですが、
「これから外洋へと向かう困難な船旅をどうかお守りください」と
心から祈る気持ちが「わが命を」に込められているようです。

「八千種(やちくさ)の 花はうつろふ 常盤なる
     松のさ枝を 我れは結ばな 」  
                  巻20-4501 大伴家持


( 折々の花はとりどりに美しいけれども、やがて色褪せてしまう。
 我らは永久(とわ)に変わらぬ松を結んで、主人(あるじ)の
  ご繁栄と御長寿をお祈りいたしましょう )

758年、中臣清麻磨宅で宴を催した時の歌です。
「松のさ枝」の「さ」は神聖を意味し、枝に白い紐でも結びつけたのでしょうか。

家持は数多くの花々を好んで詠う花の歌人であり八千種(八千草)も彼の造語です。
ところがこの歌は主人をはじめ同席の人が梅の花を讃えているにも関わらず
「花は移ろふ=枯れる」ので「私は常盤の松に祈りを奉げる」と詠っているのです。
一座の興をそぎかねない詠いぶり。
これは一体どうした心境の変化なのでしょうか。

当時の政界は藤原氏全盛、大伴一族は衰亡の一途を辿るばかりでした。
そのような背景から察すると、家持は主人の長寿を寿ぐと共に、神武以来
天皇と共に国づくりに携わった名門大伴家の長久繁栄を祈る気持ち切なるものが
あったものと思われます。

余談ながら「八千種(八千草)」は往年の宝塚大スターで今も活躍中の
八千草 薫さんの芸名にもなっています。
1300年を経た今、花のような美しい女優の名に使われているとは家持さんも
さぞ、びっくり仰天でしょう。

    「 かはら焼く 松のにほひや 春の雨 」 酒井抱一

我国全国各地至るところで美しい松は見られますが、とりわけ東京都江戸川区の
善養寺境内に植栽されている樹齢600年「影向の松」(天然記念物) は南北に28mも
伸びている巨大な這い松で面積では我国で一二を争うとされています。

この名刹が広く知られるようになったのは、1979年頃に香川県さぬき市真覚寺の
「岡野松」と日本一争いが起き、見かねた大相撲の立行司木村庄之助が仲裁に入り、
「双方引き分け」と裁き、さらに地元出身の相撲協会理事長、春日野親方(元横綱栃錦)も
「双方東西の横綱に推挙する」と庄之助の裁きを支持して決着を見たことから
一躍注目を浴びることになりました。

JR小岩駅からバスで約10分、江戸川病院前で下車し約200mばかり歩くと善養寺。
広い境内に巨大な松が横に広がり、太く逞しい幹がしっかりと根を張っていました。
素晴らしい生命力。
まさに「影向の松」に恥じない威容を誇り、人々に限りなき力を与えてくれています。

     「 老松の 賑ひ立てる 緑かな」   富安風生

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by uqrx74fd | 2014-01-17 07:32 | 植物

万葉集その四百五十八(春菜摘む)

( セリ 奈良万葉植物園 )
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( ナズナ 向島百花園 )
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( ハコベラ  同上 )
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( ゴギョウ  同上 )
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( ホトケノザ  同上 )
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( スズナ  同上 )
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( スズシロ  正歴寺の近くの出店で 奈良)
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( ワラビとカタクリ  森野旧薬園 奈良 )
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( ヨメナの花  浄瑠璃寺 京都 )
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( スミレ 山の辺の道 奈良 )
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「 明日よりは 春菜(はるな)摘まむと 標(し)めし野に 
             昨日も今日も 雪は降リつつ 」  
                     巻8-1427   山部赤人(既出)


( 明日から春菜を摘もうと野原に「標(し)め縄」を張り巡らせて楽しみにしていたのに。
  昨日も今日も雪ばかり。) 

      
標め縄: 自分の領分を示す縄   
春菜; はるな、わかな、両方の訓みあり

「春はもう、そこまで来ているはずなのになぁ」とため息をつきながら
一日千秋の思いで待ち続ける春菜摘み。
新鮮な食糧を長期保存する術がなかった古代の人たちは、秋に収穫した野菜を
塩漬けにしたり、乾燥させて水で戻すなどして一冬を凌いでいました。
雪が長引くと貯蔵食も底をついてしまうという切迫感。
「あぁ、新鮮な野菜が食べたい!」
人々か心からそう思ったことでしょう。

そして水が温んでくると

「 (正月) 七日は 雪間の若菜 青やかに摘み出でつつ--」  (枕草子第3段)

と晴れやかな気持ちで野に繰り出し、雪間から萌え出てきた生命力旺盛な若菜を摘んで
食べることにより、その生気が自分達の身に浸透し厄災や万病を取り除いてくれる
ものと信じていたのです。

「 春日野に 煙立つ見ゆ 娘子(をとめ)らし
   春野の うはぎ摘みて煮らしも 」 
                  巻10-1879  作者未詳(既出)


「うはぎ」は 嫁菜(よめな)で秋に紫色の野菊のような花を咲かせます。
野で煮炊きするのは、成人になった女性に母親や年上の女が食べることが出来る
野草を教える行事でもあったようです。

「 難波辺(なにはへ)に 人の行ければ 後(おく)れ居て
    春菜摘む子を 見るが悲しさ 」 
                巻8-1442 丹比屋主 真人(たぢひのやぬしのまひと)


( 難波の方へ夫が出掛けているので、ひとり後に残って春菜を摘んでいる子
 その寂しそうな様子を見ると、いとおしくてならないよ。 )

賑やかに語らいながら菜摘を楽しんでいる女性の中で一人集団から離れている
若妻がいたのでしょうか。
夫は防人として任地に旅立ち何時帰るとも分からない。
作者は知人なのかそれとも人妻に恋をしてしまった?のか。

「 川上に洗ふ若菜の 流れ来て
    妹があたりの 瀬にこそ寄らめ 」  巻11-2838 作者未詳


(この川上で洗っている若菜、これが流れて行ってあの子の住む家のそばの川の瀬に
寄ってくれればよいのになぁ )

思う女に寄り添いたい男、自身を若菜に譬えています。
川で乙女が若菜を洗っている。
その一葉が洩れて みるみる流れ去ってゆく。
これが自分で、下流に住む彼女の家に行きつけばよいのにと願う純情な男

「 春山の 咲きのををりに 春菜摘む
   妹が白紐 見らくしよしも 」  
                   巻8-1421 尾張 連(おはりのむらじ)


( 春山の花の咲き乱れているあたりで春菜を摘んでいる子、その子のくっきりした
 白紐を見るのはなかなかいい気持だ )

春は盛り、花は山桜と思われます。
満開の桜を背景に野原で青菜を摘む乙女。
一面緑萌える中で、色華やかな衣装をまとい長い白紐で腰を結んだ恋人が
歌を詠いながら菜を摘んでいる。
突然、春風が野を吹き抜け、青空を舞う紐。
「 人間に焦点をすえながら春山の躍動を讃えた」(伊藤博) 一首です。

「咲きのををりに」は 「花が枝も撓むほどに咲いている辺りに」の意で 
「ををり」撓み曲がる。

春菜や若菜は春の野菜の総称ですが、当時の人たちはどのような草を摘んで
食べていたのでしょうか。
歌に出てくるのは、せり、うはぎ(ヨメナ)、みら(ニラ) 野蒜(のびる)、よもぎ、
すみれ、たで、茅(ちがや)、カタクリ、わらび、など。
栽培種では青菜 (蕪、大根の総称、葉を食べたのでその名がある)。
歌にないもので当時の木簡などで確認されているのは 蕗、土筆、ワサビなど。
ほとんど現在でも食されているものばかりです。

 「 紫を 俤(おもかげ)にして 嫁菜かな 」  松根 東洋城

「春の七草」が文献で初めて確認されるのは南北朝時代、四辻善成が「河海抄」で
七種の草を選んだのが最初とされ、その後、歌道師範家として名高い冷泉家に
次のような歌が伝えられました。

「 せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ 
     すずな すずしろ 春の七草 」


また、平安時代の七種(ななくさ)粥は
「米 粟(あわ) 黍(きび) 稗(ひえ) 篁子(みの=水田に生える野草の実) 小豆 胡麻」
など七種類の穀類などで炊かれ、正月15日(小正月)に食し、のちに小豆粥として
継承され、正月7日の朝に食べる七草粥の姿になるのは鎌倉時代からだそうです。

   「 七草に さらに嫁菜を 加へけり 」 高濱虚子

( ご参考 )

芹(せり)    一つのところで競り合って生えるので「せり」
薺(なずな)    ぺんぺん草ともいう 
         果実の形が三角形で三味線の撥に似ており
         又、茎を口にくわえて引張って弾くとペンペンと音がする
繁縷(はこべら)  茎が長く連なって箆(へら)のように繁殖する
御形(ごぎょう)  母子草ともいう。茎の端に小さな頭花が球状に集まって
         咲くので子が母にまつわりつく様子を例えた。 
         御形は人形のこと。餅に入れ母子餅と称し
         後に蓬(よもぎ)に変わり現在の草餅となる
仏の座(ほとけのざ) 田平子(たびらこ)ともいい仏の座布団(蓮華)のような
          形をしている
菘(すずな)    蕪  根が球の形をしているので「かぶ」という かぶは頭のこと
清白(すずしろ)  大根 菘の代わり(菘代)ともいう 

ご参照

万葉集遊楽  40 芹―春の七草
同     94 蔓菜 (あをな) 
同     196 若菜摘み (嫁菜) 
同     264  蓬(よもぎ)
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by uqrx74fd | 2014-01-10 08:06 | 生活

万葉集その四百五十七(新年 馬の歌)

( 北海道静内 当歳馬:0歳  学友 m.i さん提供)
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( 高天彦神社の絵馬  奈良:葛城古道 )
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( 神田明神表門の内側から 四方神馬で守られている )
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( 天翔ける神馬  神田明神 )
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( 神田明神年賀状 神馬あかり)
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( 干支の年賀切手 すべて馬の文字 )
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( お年賀の羊羹 )
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( 鶴岡八幡宮の絵馬 鎌倉 )
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( 浅草仲見世通り 正面は浅草寺 )
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「 しんしんと 雪降るかなたに たたずめる
     馬の眼(まなこ)は またたきにけり 」 斎藤茂吉
 

2014年の干支は午(うま)。
午と云う字は物を搗(つ)く「きね」を描いた象形文字で杵の原字とされ、
「上下に交差する」という意味を持っているそうです。

今年も激動の時代になるのでしょうか。

十二干支辞典によると、午年生まれの人は
「 陽気、失敗してもクヨクヨせず、心機一転する性格なので、
  確実な仕事に専念努力すれば予想以上の成功が得られ、
  晩年初期に良運が訪れる。」
とあります。

動物は馬が充てられていますが
「馬に馬鹿なし、人に馬鹿あり」と云われているくらい賢い動物で、
「馬鹿」というのは当て字。
両動物の名誉にかけて申し添えておきますと、
その語源は梵語「慕何:もか:痴の意」あるいは「摩訶羅:まから: 無知」が
転じたもので僧の隠語(大言海)とか。

「 水鳥の鴨の羽色の 青馬の
      今日(けふ)見る人は 限りなしといふ 」
                       巻20-4494 大伴家持


(水鳥の鴨の羽のような青、 その目出度い青馬を今日見る人は
 命限りなしといいます )

古代、正月7日に青馬節会(あおうまのせちえ)という行事が行われていました。
天皇が庭前に引廻される馬をご覧になり、その後、群臣に宴を賜うという賀会です。

この歌は作者が「天皇の前で披露するつもりで予め用意していたが、
当日急に仁王経を講ずる法会(仁王会)が行われることになり、
前日の6日に内裏で青馬抜きの宴に変更されたため、奏上の機会がなかった」 と注記されています。
仁王会とは天下泰平、万民福利を祈願する重要な法会で、やむを得ない仕儀では
ありましたが意気込んでいた家持はがっかりしたことでしょう。

鴨の雄は鶏頭部が緑、翼も緑色になるものがあり、青を起こす序。
青馬は白に黒色が混じった葦毛の馬で、白馬ともよばれていましたが
「白は秋で蔭、青は春を示す陽の言葉なので青といった」(沢瀉久孝 万葉集注釈)という説もあります。

「 龍(たつ)の馬(ま)も 今も得てしか あをによし
       奈良の都に 行きて来むため 」 
                     巻5-806 大伴旅人(既出)

( 龍の馬でもすぐに手に入れたい。 
  奈良の都にすっ飛ばしてあなたに逢って帰って来るために )

作者は都に住む親しい女性に
「 お互いに遠く離れているが、お目にかかれる日が1日も早いことを願う」
という気持ちを込めて贈った歌です。

相手は丹生女王(にふのおほきみ)とも推定されていますが、出自は不明。
万葉集に龍馬という言葉が出てくるのはこの歌と次の歌のみですが、
漢籍からの知識なのでしょうか。
今にでも飛び立っていきたい気持ちを躍動的に表現しています。

「 龍の馬を 我(あ)れは 求めむ あをによし
       奈良の都に 来(こ)む人のたに 」 
                        巻5-808 作者未詳


( あなたのおっしゃる龍の馬 その馬を私はきっと探し出しましょう。
  奈良の都に飛んできたいとおっしゃるあなたのために )

打てば響くような返歌で相当親しい間柄であることが窺われます。
「たに」は「ために」で宣命に使用例があり余程教養ある女性なのでしょう。

本年は日本にとって大切な年。
龍馬のように大きく飛躍したいものです。

「 古き牧 たてがみ振りて あらはるる
        駿馬ありやと 松にむかひぬ 」   窪田空穂

                         「牧」は「馬域」の意で牧場
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by uqrx74fd | 2014-01-03 07:44 | 動物