<   2014年 03月 ( 4 )   > この月の画像一覧

万葉集その四百六十九(三椏:みつまた)

( 奈良万葉植物園 )
b0162728_903665.jpg

( 東慶寺 北鎌倉 )
b0162728_901031.jpg

( 同上)
b0162728_856746.jpg

( 皇居 北の丸公園 )
b0162728_855532.jpg

( 同上)
b0162728_8553926.jpg

( 青梅で )
b0162728_855234.jpg

( 山辺の道  奈良 )
b0162728_855975.jpg

( 同上 )
b0162728_8545656.jpg

三椏はじんちょうげ科の落葉低木で枝が三つに分かれていることから古くは
「三枝(さきくさ」とよばれていました。
12月早々、小さな蜂の巣のような蕾を生じますが、そのまま越冬し、
早春に黄や赤色の小花を開いて、ほのかな芳香を漂わせます。
茎の繊維がよく発達するので楮(こうぞ)や雁皮(がんぴ)と共に古くから和紙の優良な
原材料とされ明治時代以降、紙幣に多く使われてきました。
百円紙幣が発行されていた頃は全国各地で盛んに栽培され春に華麗な景観を
誇っていましたが、硬貨が多くなるにつれて需要が落ち込み、現在は岡山、
徳島、高知、愛媛、島根、鳥取、山口県などに産地が限られているようです。

万葉集では2首。
いずれも序詞か枕詞として詠まれています。

「 春されば まずさきくさの 幸(さき)くあらば
   後にも逢はむ な恋ひそ我妹(わぎも)」   
                        巻10-1895 柿本人麻呂歌集(既出)

( 春になるとまず咲く三枝(さきくさ)。
 その言葉のように幸く無事であったら必ずまた会えるでしょう。
 だから、そんなに恋焦がれて苦しまないで下さい。
 いとしい人よ )

作者はこれから長い旅に出かけるようです。
当時の旅は野宿、食料持参が原則。
山道で迷って狼や熊に襲われたり、食が尽きて行き倒れる人も多く、
無事生還の保証がありません。

「まず さきくさの」は「まず先に咲く」と「三枝(さきくさ)」が掛けられており、
さらに「さきくさ(三枝)」「幸くあらば」と同音を重ねている技巧の歌です。

「三枝=三椏」は当時から春を告げる花であると共に幸いをもたらすものと
されていたのでしょう。
なお、「な恋ひそ」は「な」と「そ」で禁止を表しますが、ここでは
「恋焦がれて悩まないで」と優しくいたわっています。

「 三椏の 花の盛りの 里へ嫁(ゆ)く 」  住田祐嗣

次の歌は可愛い盛りの古日(ふるひ)という晩年に生まれた一人っ子を亡くした知人を
慰めるため、作者が本人に成り代わって詠んだ長歌の一部です。
訓み下し文は「 」訳文は( ) 内 左右に記しております。

「 - 夕(ゆうへ)になれば いざ寝よと      (夕方になると さぁ寝ようと)
    手をたづさわり                 ( 手にまとわりつき )
    父母も うへはなさかり            (父さん母さん、そばを離れないでね と)
    さきくさの 中にを寝むと           (ボクはまん中に寝るよと)
    愛(うつく)しく しが語らえば         ( 可愛らしくもその子がいうので )
    いつしかも 人となり出でて- -」     ( 早く一人前になって欲しいと- )

             巻5-904 山上憶良


「うへは なはなさかり」 「うえ」は目に見えるところ、
「な離なさかり」「な」は禁止用語で「離れないで」
「しが 語らえば」の「しが」は「その子が」

親子三人、子を真中にして川の字に寝る様子を「三枝(さきくさ)の」という枕詞を
用いて表現しています。

この歌を詠んだ時、憶良は病中にあり、起きることも困難な状態であったようです。
親しい友人のために渾身の力を振り絞って奉げた哀悼歌。
自分の子供を亡くしたような切々たる気持ちが伝わり作者の優しい人柄が偲ばれます。

「 鮎止めの 滝に三椏 浸り咲く 」 本多静江

古代の「さきくさ」が現在の何にあたるのかについて長い間、論争がありました。
ヤマユリ、ジンチョウゲ、ミツバ、ツリガネニンジン、イカリソウ、松、檜、等々。

手掛かりは歌の、「枝が三つにわかれている」、「春に真っ先に咲く花」、「めでたい植物」。

長い論争の末、ようやく「三椏」に絞られたものの、中国原産のこの植物が当時
渡来していたという記録がないことが最大のネックとして残ります。

610年、高句麗の僧 曇微(どんちょう)が我国に最新の製紙技術をもたらして以来
和紙の需要は急増し、100年後の奈良時代には生産地が20か国に及んでいました。
原料の雁皮も早くから渡来して植樹されていたので、中国で一緒に使われていた
同種(ジンジョウゲ科)の三椏が使用されていなかったとは考えにくく、
記録に残らなかったのは植物の識別名が明確でなかった当時、和紙全体を斐紙(ひし)と
総称されたためと推定されることに落ち着き、現在では古代の三枝は
三椏であるとする説が大半となっています。

     「 海棠の 寺に三椏 いそと咲く 」  安達智恵子
[PR]

by uqrx74fd | 2014-03-28 08:58 | 植物

万葉集その四百六十八(春霞)

( 霞む葛城金剛山脈 山辺の道から)
b0162728_89363.jpg

( 春日野の朝  後方 春日山 奈良市 )
b0162728_892471.jpg

( 菜の花畑  後方に霞む二上山  山辺の道から )
b0162728_89109.jpg

( 梅 後方に三輪山  山の辺の道から )
b0162728_88555.jpg

(  畝傍山 耳成山 後方金剛葛城山脈 山の辺の道から )
b0162728_883477.jpg

( 畝傍山  香具山の麓で )
b0162728_881436.jpg

( 早春の山辺の道   後方二上山)
b0162728_875869.jpg

( 若草山焼きと朧月)
b0162728_873866.jpg

( 春日山から顔を出した月 )
b0162728_87173.jpg

立春を過ぎると歌の世界では今まで霧とよばれていたものが春霞という優雅な言葉に変身します。
しかも夜は朧(おぼろ)とよぶ念の入りようで、季節の移り変わりを観察し
美しい日本語を造り出す昔の人の繊細さには、ただただ驚かされるばかりです。
そもそも現代の人で立つ霧に春を感じる人は一体何人いるでしょうか。

「 うぐひすの 春になるらし 春日山
     霞たなびく 夜目に見れども 」 
                  巻10-1845 作者未詳

( もう、鶯の鳴く季節になったらしいなぁ。
    春日山にもう霞がたなびいているのが夜目にもはっきりとわかるよ )

鶯の初音と霞。
聴覚と視覚で春到来を感じ取った一首です。

暮れなずむ夕べ。
夜の帳が降りようとする頃、妙なる調べが聞こえてきた。
ふと春日山の方角をみると青白い朧が棚引いている。
幻想的な風景です。

「 雪見れば いまだ冬なり しかすがに
   春霞立ち 梅は散りつつ 」
                     巻10-1862 作者未詳 

(  雪が降り、まだ冬の寒さ。
  でも あたりは霞が立ち
  梅の花がもう散りはじめている。
  春が来ているのは間違いないのだなぁ )

予期しない春の雪。
梅の花びらも流れている。
雪か梅か、見まごうばかり。
山見れば残雪の中に棚引く霞
白一色の世界。
寒さの中で春の訪れをしみじみと実感している作者です。

「 春霞 立つ春日野を 行(ゆ)き返り 
     我れは相見む いや年のはに 」
                 巻10-1881 作者未詳  


( 春霞が立ちこめる春日野 この野を行きつ戻りつして
 われらは共に眺めよう。
 来る年も来る年も いついつまでも )

「いや 年のはに」 「いや」は「ますます」
             「年のはに」は 「毎年」

以下は自由意訳です

「 春日野で酒盛りやろうや 」と
  年来の親しい友が集まった

  広い野原の向こうには
  春日、御蓋、高円山
  棚引く霞は紫の帳 

  鹿も顔出し興を添え、
  歌えや踊れ おらが友。
  杯重ね また一献

  黄昏こめる春日野に
  お寺の鐘が鳴り響く。
  盡きることなき語り合い
  楽しきかな、愉快かな

  残り少ない人生を
  共に長生きいたしましょう 
  変わることなき友情は
  生きる元気の飯の種  」     (筆者)
 

「 風鐸の 霞むとみゆる 塔庇(とうひさし) 」  飯田蛇笏  

[PR]

by uqrx74fd | 2014-03-21 08:09 | 自然

万葉集その四百六十七(酒ほがひ)

(万葉列車 JR奈良駅で)
b0162728_831461.jpg

( 長谷寺への参道の途中で  奈良 )
b0162728_82581.jpg

( 吉野宮滝への道の途中で  奈良)
b0162728_824255.jpg

( 明治神宮で )
b0162728_822149.jpg

( 讃酒 大伴旅人  吉井東人作  県立奈良万葉文化館蔵 )
b0162728_82239.jpg


「 わがが胸の 鼓(つづみ)のひびき たうたらたり
       たうたらたり 酔へば楽しき 」    吉井勇 「酒ほがひ」より


「酒祝」「酒寿」。
いずれも「酒ほがひ」と訓み「酒を賛える」意とされています。
「たふたらり」は祝詞や謡曲「翁」にも見られる囃言葉ですが、この歌は
「た」を一字追加して「たうたらたり」としたことにより「酔うた、酔うたぞ」と
美酒にに陶酔している様が彷彿されます。
作者は万葉きっての大酒飲み、大伴旅人の影響を受けたのでしょうか。

 「 あな醜(みにく) 賢(さか)しらをすと 酒飲まぬ
        人をよく見ば 猿にかも似む 」
                           巻3-344 大伴旅人(既出)

( あぁ、みっともない。
 酒も飲まずに賢そうにしている奴の顔をよ-く見たら
 ほらほら、猿に似ているぞ )

酒好きな上司が催す度々の酒宴。
「あぁ、迷惑だなぁ」と感じている酒嫌いの部下。
「まぁ、付き合えよ」と無理やり陪席させられたものの、素面(しらふ)で
理屈ばかりこねて周りを白けさせることおびただしい。
そんな人物を揶揄、風刺したものと思われますが、それは酒飲みの勝手な理屈。

永井路子さんは
『 なんですって!
  イケル口でない私としては、聞きずてにならぬ一言だ。
  じゃ、私は猿似人(さるにひと)だっていうの? 
  シツレイな!
  しかし怒る気になれないのは、彼の酒好きが あまりにも徹底しているからだ。』 

と苦笑しながらも楽しそう。(よみがえる万葉人 読売新聞社より)

「 博(ばく)うたず うま酒酌まず 汝等(なじら)みな
    日をいただけど 愚かなるかな 」      吉井 勇 酒ほがひ


( 刻苦勉励、学問、社業に身を入れ出世してもそれが何ほどのことがあろう。
  日頃の行いも真面目一筋。
  酒も飲まず、博打もせず、日々賢しらに人生を重ねる愚かなる君よ。)

旅人の歌を本歌取りしたような詠いっぷりです。
対する正岡子規は皮肉たっぷり。

「 世の人は さかしらをすと 酒飲みぬ
    あ(我)れは柿食ひて 猿にかも似る 」  正岡子規

 まぁ、こうやって酒飲みも、下戸もワイワイやりながら楽しんでいるのですね。

「酒を賛める歌13首」を詠んだ大伴旅人は当時、大宰府の帥(そち:長官)として
都から遠く離れた鄙の地にありました。
藤原氏の策謀で天皇から遠ざけられたともいわれています。
後ろ盾と期待した長屋王が謀反というあらぬ疑いで自刃に追い込まれ、
孤立無援の大伴一族は衰退の一途。
寄る年波と衰弱、堪えがたいまでの奈良への望郷、加えて同伴した妻の急死。

このような環境の中で詠われた讃酒の歌。
それは、寂しさや苦しさを酒で一時紛らわすといった女々しい気持ちというより
「よ-し、それならば世俗を離れた世界で徹底的に生きよう」
と開き直った心境が感じられるのです。

「 黙居(もだを)りて 賢しらするは 酒飲みて
    酔ひ泣きするに なほ及(し)かずけり 」 
                       巻3-350 大伴旅人

( 黙りこくって分別くさく振る舞うなんてつまらない。
  悲しい時は、酒を飲んで酔い泣きするにかぎるよ )

旅人が残りの人生のすべてをかけたのは酒、歌、女。
酔い泣きするほどに痛飲を楽しみ、人生を謳歌しょうと腹を決めた旅人に
新たな作品が生まれはじめました。
中國詩文や伝説を下地にしたもの、花鳥風月の世界、画期的な歌会梅花の宴、等々。
後世、筑紫文壇とよばれる文藝の世界を築き上げていったのです。

次の歌は夢の中で出会った梅の精に話しかけられたという幻想的な一首です。

「 梅の花 夢(いめ)に語らく いたづらに
     我(あ)れを散らすな  酒に浮かべこそ 」 巻5-852 大伴旅人

( 梅の花が夢の中で私にこう語ったのです。
  「 私を空しく散らさないで下さい。 
    どうかあなたさまがお飲みになる酒杯の上に浮かべて下さいね」と )

文学の世界に陶酔している作者。
梅の花を女性に置き換えるとさらに濃艶なものになります。
同じ酒の歌ながら なんという明るさなのでしょうか。

なお、この歌は同番号の
「 梅の花 夢(いめ)に語らく みやびたる
       花と我(あ)れ思(も)ふ 酒に浮かべこそ 」
の別歌として付記されているものです。

63歳の旅人。
人生50年の時代では既に後期高齢者の仲間入りでしょうが、益々意気盛んです。
女性関係も抜かりなく、歌に秀でた若くて美しい女性を友(愛人?)として
優雅な生活を送り、3年後に目出度く念願の都に栄転することになります。

「 老の頬に 紅潮(くれなひ さ)すや 濁り酒 」  高濱虚子
[PR]

by uqrx74fd | 2014-03-13 08:03 | 生活

万葉集その四百六十六(梅紀行:山の辺の道)

( 海柘榴市:つばいち観音 奈良県桜井市 )
b0162728_16371539.jpg

( 玄賓庵 ;:げんぴんあん )
b0162728_163718.jpg

( 梅林に人影もなし )
b0162728_16363942.jpg

( たたなづく青垣の下を行く )
b0162728_16361226.jpg

( 蜜柑畑の中の一本の梅 )
b0162728_16355430.jpg

( 山茱萸 椿、梅、蜜柑 )
b0162728_16352815.jpg

( 川の上の白梅紅梅 )
b0162728_1635115.jpg

( 梅畑が少ない山辺の道 )
b0162728_16343784.jpg

( 間もなく石上神宮 農家の板壁が美しい )
b0162728_16341615.jpg

ひな祭りも過ぎ水が温む頃になると各地から梅便りが続々と届きはじめます。
梅の名所は数多(あまた)あり、それぞれに心惹かれるものがありますが、
見頃ともなれば観光バスを連ねて大勢の方が押し寄せるので、なかなか落ち着いて
愛でることができません。

人里離れたところでひっそりと咲く梅もよし。
野山や道端に立つ老木の風情も捨てがたい。
というわけで山の辺の道(奈良)を辿ることにしました。

JR桜井駅で下車し徒歩20分。
その昔、海外の使節が訪れたり、歌垣が行われて賑わったと伝えられる海柘榴市(つばいち)。
ここから天理に向かって約16㎞の観梅散策を始めます。

まだ肌寒いせいか人影がほとんど見当たりません。
路傍に「海柘榴市観音道」の石標があり、民家の間をぬって進むと奥に小さなお堂が
ひっそりと佇んでいました。
格子窓を通して拝するお堂の中には1500年代のものと伝えられる二体の小さな石仏が
安置されています。
「お客さん どちらからお見えですか」 と突然の呼びかけ。
後ろを振り向くと庭を掃除していた地元の管理人の方です。
親切にも「もしよろしければ鍵を開けますから中にお入りになりますか」
と聞いて下さいました。
何という幸運! 
何十年もこの地を訪れているのにお堂の中に入るのは初めてなのです。
喜び勇んで入堂させて戴くと、外からは暗くてよく見えなかった二体の仏様が
柔和なお顔で迎えて下さいました。
前の衝立には

「 ありがたや われらのねがひ かなやなる
        名も つば市の ここのみほとけ 」
と書かれています。

今は失われた「海柘榴市」という名を唯一残したみ仏なのです。
「かなやなる」はこの辺りの地名が金屋であることに由来します。
撮影の許可も戴き、管理人の方に幾重もお礼を申し上げ、
いよいよ梅探しの道を歩みます。

平等寺、大神神社へと進んでゆきますがなかなか梅に出合えません。
歩くこと20分、ようやく玄賓庵(げんぴんあん)の前の山林に数本、満開の花。
桜井駅から歩くこと約5㎞の地点でした。

「 馬並(な)めて 多賀の山辺を 白袴(しろたへ)に
     にほはしたるは 梅の花かも 」
                     巻10-1859 作者未詳

( 馬を勢揃いして手綱を手繰りながら、やってきた多賀の山辺を
      真っ白に染めているのは梅の花なのだろうか )

こちらは馬ならぬテクテク歩き。
多賀は京都府綴喜郡と推定されていますが多賀を「奈良の山辺」に置き換えると
今の雰囲気にピッタリの歌です。

脇道から急坂を上ると、5分ばかりで檜原神社。
目の前に桃と梅畑が広がっています。
桃にはまだ早いけれど梅は満開。
風が吹くと花びらが舞い上がり、まるで雪のようです。

「 春の野に 霧立ちわたり 降る雪と
     人の見るまで 梅の花散る 」 
              巻5-839  田氏真上(でんじのまかみ) (既出)

( 「 あれは春の野に霧が立ちこめて、真っ白に降る雪なのか」
    と皆が見まごうほどに、この野原に梅の花が散っていますよ。 )

紅梅の渡来は平安時代からとされているので万葉人の梅は白一色。
そのためか雪との取り合わせも多く詠われています。

檜原神社を過ぎると、遠くに山々が重なり「たたなづく青垣」。
細い山道を下ると農家の大きな家並みが続きます。

道脇の清流がさやさやと遠くの田畑に向かって流れ下り、庭先から散った梅の花びらを
運んでゆきました。

約1㎞ばかり歩き、標識に従って右に曲がると三輪山を背景にした野道へと導かれ、
周りの景色が一変します。
長閑な田園風景。
景行天皇陵、長岳寺へと向かう道の左側には金剛葛城山脈が霞んで見えます。

畑や山麓に梅が多くなり、何処からか鶯の鳴き声が聞こえてきました。
「ホーホケキョ」
声の方向に目を向けますが姿が見えません。
鶯は意外にも人にあまり近づかないようです。

「 春されば 木末(こぬれ)隠(がく)りて うぐひすぞ
    鳴きて去(い)ぬなる 梅が下枝(しづえ)に 」

        巻5-827 山氏若麻呂(さんじのわかまろ)

( 春がやってくると鶯が梢に隠れながら鳴きわたってゆく。
  梅の下枝あたりにでも飛び去ったのだろうか )

程なく長岳寺に到着。
躑躅と杜若(かきつばた)が有名な花の寺ですが、山門の前で梅が迎えてくれました。
早春の梅散策を十分に堪能した半日。
近くの蕎麦屋さんで一服した後、天理へと向かいます。

「 この道を われらが往くや 探梅行 」  高濱虚子
[PR]

by uqrx74fd | 2014-03-06 16:36 | 万葉の旅