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万葉集その四百七十三 (雲梯の杜:うなてのもり)

( 河俣神社=雲梯の杜 奈良県橿原市 )
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( 同上 )
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( 河俣神社から畝傍山をのぞむ)
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( 曽我川沿いの桜並木 )
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( 川に映える桜 )
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( 川に棲む鯉 )
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( 春爛漫 後方河俣神社 )
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( 金剛葛城山脈 )
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近鉄南大阪線、橿原神宮駅から2つ目の坊城駅。
ここから曽我川沿いに北に向かって2㎞ばかり歩くと、こんもりと茂った森の中に
河俣神社という小さな社(やしろ)があります。
入口に立つ石標は新しいものですが、社歴は古代に遡(さかのぼ)る雲梯の杜(うなてのもり)とされ、
祭神は事代主神(ことしろ ぬしのかみ)。
明日香に皇居があった時代、西方の守護神として出雲から移られたそうです。

この辺り一帯は奈良県橿原市雲梯町という地名で雲梯は元、宇奈堤(うなて)と書かれ、
川堤や水路を築いたことによるものとされていますが、古代、鷲が棲むような鬱蒼とした森の中に
巨木があったので、それが雲に掛かる梯子(はしご)のように見えたのかもしれません。

「 真鳥(まとり)棲(す)む 雲梯(うなて)の杜の 菅(すが)の根を
    衣(きぬ)にかき付け 着せむ子もがも 」
                            巻7-1344 作者未詳

( 鷲の棲む雲梯の杜の長い菅(すげ)の根、
 その根を衣に摺りつけて着せてくれる可愛い子がいたらいいのになぁ。)

神域の菅の根を採ることは禁忌、神罰が下る行為です。
作者はそんな危険を冒してでも自分のために衣を染めてくれる女性、
すなわち、親や世間の反対に屈せず自分と一緒になってくれる子が
いたらなぁと願っています。
心に想う女性がいて、何かの理由で結婚に反対されているのでしょうか。

真鳥(まとり)とは鷲のことで「真」と云う言葉に「神聖な」という意味が含まれ、
いかにも恐ろしい神様がおわしますという感じを漂わせています。

「 思はぬを 思ふと言はば 真鳥棲む 
       雲梯の杜の 神し知らさむ 」 
                    巻12-3100 作者未詳


( 貴方を本心からお慕いしていないのに「好きだ」などと言おうものなら、
 恐ろしい鷲の棲む雲梯の杜の神様が見通して厳罰を下されることでしょう )

「 嘘をついたら神罰を受けるでしょうから、決してそのようなことはいたしません。
私は本心からあなたが好きなのです。」

と男が神前で女性に誓ったものと思われますが、歌垣などで詠われた民謡だったかも。

「 ま菅(すが)よし 曽我の川原(かはら)に 鳴く千鳥
      間なしわが背子 我(あ)が恋ふらくは 」 
                               巻12-3087 作者未詳


( 菅(すが)が多く生えている曽我(そが)の川原、
 その川原で絶え間なく鳴いている千鳥のように、
 私の貴方に対する恋心はやむこともなく燃え上がっています。 )

菅(すが)は「すげ」ともよばれるカヤツリ草科の多年草で蓑や笠などの材料になる
生活に欠かせない植物です。
マスガ、「間なし(マナシ」)と「マ」を重ね、さらにスガ、ソガ、アガと「ガ」を
繰り返して軽快なリズムを奏でています。

河俣神社は「装束の宮」ともよばれています。
というのは、その昔、近くの畝傍山で祭祀の土器をつくるのに適した良質の
埴土(はに)を産しており、その土を求めて住吉神社から畝傍山に埴使(はにつかい)が
派遣されていましたが、途中、雲梯の社に立ち寄り、曽我川で水垢離(みずごり)するなど
精進潔斎し装束を改めてから山に向かったという故事によるものです。

現在の曽我川両岸は数キロにわたる美しい桜並木。
川には無数の鯉が悠々と泳ぎ、亀たちが舞い落ちた花びらを啄(ついば)んでいます。
見わたす限り桜、桜、桜 。
にもかかわらず、釣人二人のほか人影が全く見当りません。
世間に知られていない場所のせいなのでしょうが、花見客皆無というのも
不思議なことです。
雑踏を予想していただけに、何千本という桜を独り占めできるなど、まるで
夢の世界に迷い込んだよう。

川堤周辺は住宅が立ち並んでいますが、5分も歩くと広々とした田園。
真中に畝傍山がぽつんと聳え立ち、遠くに金剛葛城連山が臨まれます。
青空に浮かぶ雲も美しい。
畑でただ一人草むしりをしている農夫。
春爛漫、長閑なひとときを過ごした後、大和三山に向かって歩き出しました。

  「 畝傍山 香久山つなぐ 桜かな 」  筆者
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by uqrx74fd | 2014-04-25 06:53 | 万葉の旅

万葉集その四百七十二(桜、すみれ、乙女)

( ニオイスミレ  学友N.Fさん提供)
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( 桜の木の洞に咲いたスミレ  新宿御苑で)
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( 長谷寺  奈良 )
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( 同上 )
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( 大美和の杜から大和三山をのぞむ  山辺の道  )
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(  大美和の杜  満開の桜)
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( 同上 後方、三輪山)
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( 石庭に埋め込まれた桜の花びら  玄賓庵 山辺の道)
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( 万葉の春 上村松篁  絵葉書 )
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747年頃のことです。
越中国司 大伴家持が生死をさまよう大病を患いました。
慣れない北国の寒さで風邪をこじらせ肺炎になったのではないかと推察されています。
床に臥すこと約2カ月、ようやく起き上れるまでに回復しましたが、いまだに
外出は困難な状態。
それでも手紙を書く気力が出てきたのか、年来の友、大伴池主に見舞いの礼状を
書きはじめ、何通ものやり取りをするうちに、お互いに作文作歌に熱中し、
とうとう漢文交じりの膨大なものになってしまいました。
二人は歌を通じた心友といった関係。
家持も心を許して真情を吐露することができたのでしょう。

以下池主の歌のごく一部ですが、
「 一日も早く回復され、美しい春の景色を共に愛でに行きましょう 」
と手を尽くして励ましている部分です。
先ずは訳文から

( 訳文 )

( ― 里の人が 私に教えてくれるには
   山辺に 桜の花が咲き散り
   貌鳥(かほどり)がひきもきらずに 鳴き立てているということです。

  その春の野で すみれを摘みましょうと
   真っ白な袖を折り返し
   色鮮やかな赤裳の裾を引きながら
   乙女たちは
   思い乱れつつ
   あなたのお出ましを心待ちに 待ち焦がれているというのです

  そう聞くと心が切なくなるでしょう。
  さぁ 早く一緒に見にゆきましょう
  その事は、しっかと お約束しましたぞ。 ) 

                           巻17-3973 大伴池主

( 訓み下し文 )              ( 右 語句解釈)

「 - 里人の 我(あ)れに告ぐらく 
    山びには 桜花散り            「山び」: 山辺

   貌鳥(かほどり)の 間なくしば鳴く    「貌鳥(かほどり)」:  
                             カッコウ、カワセミなど諸説あるも定まらず。
                             「カオ」と鳴く鳥の総称ともされる。
  春の野の すみれを摘むと
  白栲(しろたへ)の 袖折り返(かへ)し   
                            「袖折り返し」: 袖口が汚れないように折り返し

  紅の 赤裳(あかも)裾引(すそび)き 
  娘子(をとめ)らは 思ひ乱れて 

  君待つと うら恋(ごひ)すなり    「うら恋」: 心の中で秘かに恋焦がれること
 
  心ぐし いざ見にゆかな     
                        「心ぐし」: (乙女らが待っていると聞くと) 心が切なくなる

   ことは たなゆひ 」 
                           「こと(事)はたなゆひ」 : 
                           「指切りげんまん 約束ですぞ」の意で
                           約束をしたときの慣用句らしい。

                               巻17-3973  大伴池主
 
 
 長かった北国の冬が去り、待望の春到来。
 桜咲き、散る山辺、
 絶え間なく、しきりに鳴く貌鳥(かほどり)、
 野原一面のスミレ、
 美しい乙女の艶(あで)やかな衣装。
 浮き浮きとした気持ちが感じられる一節で、「春の野のすみれ摘む」は

 山辺赤人の「 春の野に すみれ摘みにと 来し我れぞ
             野をなつかしみ 一夜寝にける 」 巻8の1424  
を踏まえたものです。
女性の赤い裳裾は男心をそそり、幻想的な世界を想像させています。
今にでもすぐに飛び立ちたい!
池主もその効果を十分意識して家持を奮い立たせたものと思われます。

持つべきは友。
この見舞いを受けた家持は、ほどなく全快。
早速、うら若き乙女と共に行く春を楽しんだことでしょう。

 「 桜花 ちりしく野べの つぼすみれ
     色うちはへて 摘(つみ)なむも をし 」 田安宗武

               色うちはえて :色うち映えて
               をし:惜しい 
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by uqrx74fd | 2014-04-18 06:59 | 生活

万葉集その四百七十一(すみれ)

( 山の辺の道で   奈良)
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( 森野旧薬園で   奈良 )
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( 奈良万葉植物園で)
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( 山の辺の道 長岳寺付近で  奈良 )
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( 筆者自庭で )
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( 同上 )
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(  紫の絨毯 レンゲ 飛鳥で  奈良)
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( 紫の絨毯2 カタクリ  森野旧薬園  奈良 )
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「春の小川は さらさら行くよ
 岸のすみれや れんげの花に
 すがた優しく 色美しく
 咲いているねと ささやきながら」
           ( 春の小川  高野辰之作詞 岡野貞一作曲 より)


春到来とともに全国どこにでも見られた この麗らかな風景も今では身近に
お目にかかれないものになってしまいました。
我国では50種類、変種も含めると100種以上のスミレの仲間がいるというのに、
一体どこに咲いているのだろう? と思いながらよくよく観察すると意外にも
身近な公園や庭の片隅につつましく咲いていたのです。

一体誰が種まきをしたの?
実は、蟻さんの仕業なのだそうです。
というのは、スミレの種子の表面に甘い物資がコ-ティングされており、
それを好む蟻があちらこちらに運んで舐めたあとに棄てた種が発芽して
花が咲いた、と、いう次第。
雑草に混じって咲くスミレの強靭な生命力にも驚かされますが
蟻が好む甘さを一体どのようにして作り出したのでしょうか?
小さな自然界の不思議な営みです。

遠い、遠い昔。
スミレに埋もれながら朝まで寝てしまった粋な御仁がいました。
紫の絨毯を敷きつめたような野原。
持参した瓢(ふくべ)を取り出し、盃を重ねること一杯、また一杯。
やがて日が西に落ち、月が皓皓とあたりを照らす。
たふたうふたらり たふたらり
心地よい陶酔と暖かい空気が眠りを誘い、
いつしか大の字になって-。
いいですねぇ。

「 春の野に すみれ摘みにと 来し我れぞ
       野をなつかしみ 一夜寝にける 」
              巻8の1424   山部赤人 (既出)  


( すみれを摘もうと出かけたところ、ついつい夢中になり、
  とうとうこの野原で野宿してしまったわい )

何かの目的でスミレを摘んでいたところ面白くなり、気が付いたら
一夜過ごしてしまった。
野宿ではなく民家で泊めてもらったのかも知れませんが、いずれにしても
そのまま素直に鑑賞すれば長閑(のどかな)な叙景の歌となるはずが、
学問の世界とは難しいものです。

「一体何の目的でそんなに大量にすみれを摘む必要があったのか?」

ということを江戸時代以来、侃々諤々と議論されているのです。

1つに観賞用
   これは大量に必要ではありますまい。
2つは染料用
   現実的だが色が褪せやすく他に良い植物がいくらでもある
   そもそも宮廷歌人の赤人が日暮れまで採取する必要があるのか?
3つ目、食用
   花も葉も生食でもよし茹でてもよし。 
   現実味があるが、保存がきかないものを山ほど摘んでどうする?
4にスミレは女性の比喩
   まぁ、これはあるかもしれない。
5は薬用。
   乾燥し煎じて用い、創傷の解熱解毒、便秘などに効ありとする。

極め付きは、木下武司氏 (薬学博士 帝京大学教授)の「万葉植物文化誌 八坂書房」
に見える傑作。

「 赤人の名は赤ら顔からつけられたあだ名であろう。
  想像するに、赤人の病症には典型的な熱証 ― ほてり、があり
  血小板が少なく出血が止まりにくいとか、高血圧などの慢性疾患に
  悩んでいたのではないかと推察できる。
  これを治すにはスミレの性味は[寒]であるからぴったしと適合する。
  赤人が野宿までして採取したスミレは自ずからの病を治すための薬であり
  おそらく乾燥して長期保存して使用したと考えられ、
  当時の民間に伝承されていた療法であったのではないか。 」

の一文には驚愕しました。
何しろ赤人と云う名前は赤ら顔の故のあだ名であると断定し、
さらに病名まで想定されているのですから。

果たしてその診断が当たっているかどうか、赤人さんに聞いてみたいものです。
「 そんなの関係ねぇ。 美しい女性と一緒だったんだ。」と
仰せになるかもしれませんぞ。

斉藤茂吉はこの歌を大いに評価し

「 可憐な菫の花の咲きつづく野を連想すべきであり、
  またここに恋人などの関係があるにしても奥に潜(ひそ)める方が
  鑑賞の常道のようである」(万葉秀歌 岩波文庫) と

ロマンティックな情景を頭に描いておられますが、木下博士の文章を読んだら
あんぐりと口を開け、絶句されることでありましょう。

「 むらさきに 菫の花はひらくなり
    人を思へば  春はあけぼの 」     
                      宮 柊二(しゅうじ)


   ご参照: 万葉集遊楽その五十五 「すみれ摘み」
        同 その二百九    「すみれの花咲く頃」
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by uqrx74fd | 2014-04-11 07:02 | 植物

万葉集その四百七十(あをによし 奈良)

( 大極殿  平城宮跡 )
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(  同上 )
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( 朱雀門  同上 )
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( 高御座:たかみくら 大極殿内部  同上 )
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( 咲く花にほふ 大仏殿 )
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( 春日大社の青丹 )
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( 氷室神社の枝垂桜 )
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( 東大寺湯屋の近くで )
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( 二月堂 )
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「 あをによし 奈良の都は 咲く花の
   にほふがごとく 今盛りなり 」 
              巻3-328 小野 老(おゆ) (既出) 
 

この著名な歌は奈良で詠われたものではなく、叙勲の為に都へ赴いた作者が大宰府に
帰任し祝宴が設けられた折、豪華絢爛たる首都の様子を列席の人たちに語ったものです。

作者が得意げに報告している都は、大極殿、朱雀門に代表される瓦葺の大屋根、
丹塗りの太い柱に白壁といった豪壮かつ美しい建物や緑に彩られた連子格子。
さらに、幅74mにもおよぶ朱雀大路を中心に碁盤目のように整然と区画された
街の様子なのでしょう。

「咲く花」は一般的には花の総称とされますが、この歌にはやはり桜が相応しく、
満開の花が照り映える中、微かな芳香さえ漂っているイメージを醸し出している
ように思われます。

枕詞「あをによし」の「あをに」は「青丹」で彩色に用いられる土。
「よ」「し」は本来、文章の語句の切れ目で語勢を加え、語調を整えて余情を添える
間頭助詞ですが、原文表記の半数が「吉(よし)」とされていることから
「青や丹が吉(よ)い」の意を含むものとされています。
従って「あをによし 奈良」は「良質の青丹土の産地として名高い奈良」の意を含み、
青緑や朱色で彩られた華やかな都の様子を彷彿させています。

四方を山々に囲まれた奈良の都。
目を野山に転ずれば次のような風景が見られたようです。

「- 奈良の都は かぎろひの 春にしなれば
春日山 御笠の野辺(のへ)に
桜花 木(こ)の暗(くれ) 隠(がく)り  
貌鳥(かほどり)は 間なくしば鳴く - -
山見れば 山を見が欲し 
里見れば 里も住みよし - 」 
            巻6-1047  田辺福麻呂(たのべのさきまろ)歌集


( 奈良の都は 陽炎の燃える春ともなると 
 春日山の麓 御笠の野辺で
 桜の花の木陰に隠れて 
 貌鳥(かほどり)が絶え間なく鳴きたてる。- -

 山を見れば見飽きることがないし、
 里を見れば里も住み心地が良い- )

この歌は春秋対になっており、そのあとに、

「 露が冷たく置く秋ともなると、
  生駒山の飛び火が岳で、
  萩の枝をからませ散らして
  雄鹿が妻を呼び求めて 声高く鳴く 」と詠われ、

花咲き、鳥や鹿が鳴く美しい自然の移り変わりを人々が謳歌していた様が
窺われます。
貌鳥(かほどり)は「カッコウ」「カワセミ」など諸説あり定まっておりませんが
この歌には美しいカワセミを登場させたいところです。

「 あをによし 奈良の大道(おほち)は 行(ゆ)きよけど
      この山道は 行(ゆ)き悪(あ)し かりけり 」
                        巻15-3728 中臣宅守(やかもり)


( あをによし奈良、あの都大路は行きやすいけれど、
 遠い国へのこの山道はなんとまぁ、行きづらいことか )

740年、勅勘の身となって越前の国府武生に配流された作者。
罪を得た原因は不明ですが政治事件に巻き込まれたものと想像されています。

東宮に所属する女官と結婚したばかりの宅守。
悲しみにくれながらトボトボと山道を越えてゆきます。
険しい急坂の上、岩がゴロゴロ。
あの華やかな都大路と比べて何という違いなのだろう。
場所は畿内と北の国との境、逢阪山あたりにさしかかったあたり。
故郷を見納めつつ若妻との別れを悲しんだ1首です。

「 あをによし 奈良の都は 古りぬれど
    もとほととぎす 鳴かずあらなくに 」
                    巻17-3919 大伴家持

( ここ青土の奈良の都は、いまやもの古りてしまった。
 でも、昔馴染みのほととぎす、この鳥だけは鳴きたてないまま
 飛び去ったりしないでやってきてくれるのに。
 人の心はあてにならないものよ )

都が平城京から山背(やましろ)の国(京都)、恭仁京に遷された後、
休暇を賜った作者が奈良の邸宅に戻った時の歌です。
荒れ果てて、誰も見向きもしなくなった旧都。
ホトトギズでさえ戻って鳴いてくれているのに、と嘆きながら、
過ぎにし華やかな日々を懐かしんでいる作者。

「 あをによし 奈良の都に たなびける
     天の白雲 見れど飽かぬかも 」
               巻15-3602 作者未詳

新羅に派遣された官人が故郷を懐かしんで口ずさんだ歌ですが、
どの場所でも通用する1首です。

都に住んでいた人たちは遠くへ旅したり、遷都になった後でも
美しい奈良の自然と建物を懐かしみ「あをによし 奈良」と詠い続けました。
一つの場所でこれほど多く枕詞を使われた例は他にありません。(27例)
万葉人にとっての奈良は心の故郷だったのでしょう。

    「 青丹よし 奈良の都の 連子窓 」  筆者
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by uqrx74fd | 2014-04-05 20:29 | 生活