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万葉集その四百八十六(真土山:まつちやま)

( 真土山  和歌山県橋本市 )
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(  神代の渡り   同上 ) 
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( あさもよし 紀伊人(きひと)羨(とも)しも 真土山 行き来(く)と見らむ 紀伊人羨しも )
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( 橡(つるばみ)の衣(きぬ)解き洗ひ真土山 本(もと)つ人には なほ及(し)かずけり )
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( 案内板 )
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( 大賀蓮 )
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( 同上 )
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( 白栲(しろたへ)の にほふ真土の山川に 我が馬なずむ 家恋ふらしも ) 画面クリック拡大出来ます
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真土山は大和と紀伊の県境にある標高わずか122mの小山です。
何の変哲もない何処にでもある丘といってもよい存在ですが、何と!万葉集で
八首も詠われているのです。
一体この山の何が古代人の気持ちを引きつけたのでしょうか?

当時、都から紀伊に向かう人々は巨勢路(現在の吉野口)から五条へ向かった後
この山を目印にして進みました。
昔は見晴らしがよく、かなり遠くからでも見通せたようです。

四方を山々に囲まれて暮らす大和の人々にとって黒潮の紀伊は憧れの世界。
コバルトブル-の海、南国の花々、新鮮な魚介、疲れを癒してくれる温泉。
そうです。
この山は夢の世界への入口だったのです。
長い徒歩の旅を重ねて、ようやくここまで辿り着いた人たちは、
「あぁ、ここからが紀伊の国なのだ」と胸を弾ませたことでしょう。

「 あさもよし 紀伊人(きひと) 羨(とも)しも 真土山
    行(ゆ)き来(く)と見らむ 紀伊人(きひと) 羨(とも)しも」
              巻1-55  調首 淡海 (つきのおびと あふみ) 


( 麻裳(あさも)の国 紀伊の人々は羨ましいなぁ。
 この真土山を 行き来するたびにいつも見ることができる
 紀伊の人が羨ましいなぁ )

この歌は、701年持統太政天皇と孫の文武天皇が紀伊国、牟婁(むろ)の湯(白浜湯崎温泉)
に行幸された折に詠われたもので、作者は天武天皇若き頃からの従者、壬申の乱の
功臣です。
「あさも(麻裳)よし」は紀伊が麻の産地として知られていたことによる枕詞。
二度繰り返される「羨しも」が心地よいリズムを奏で、喜びが溢れているようです。
国境の峠で地霊を讃え旅の安全を祈るのが当時の習いでもあったので、
土地褒めの心も含まれているのでしょう。

「 白栲(しろたへ)に にほふ真土の 山川(やまがわ)に
       我(あ)が馬なづむ 家恋ふらしも 」        巻7-1192 作者未詳

( 白栲の布のように照り映える真土山。
  その山脇を流れる川の前で馬が行き悩んでいる。
  家に残してきた妻子たちが私を案じているらしいなぁ )

当時、旅の途中で馬が行きなずむと、
「家人らがこちらを心配している」しるしと信じられていました。
紀伊に行くには目の前の川を渡らなければならず、流れが急だったのかも知れませんが、
家族の思いが馬の足を止めさせるとは面白い発想です。
作者も望郷の想いにかられたことでしょう。

なお、「山」は「真土山」と「山川」を掛けています。

「 あさもよし 紀伊(き)へ行く君が 真土山
   越ゆらむ今日ぞ 雨な降りそね 」
                       巻9-1680 柿本人麻呂歌集
 

( 紀伊の国に向けて旅立たれたあの方が真土山を越えるのは今日あたり
 なのでしょうか。
 どうか、雨など降りませんように )

こちらは留守を預かる妻が夫を想い、旅の安全を祈ったもの。
毎日毎日、夫の旅先の方角に向かって祈りを奉げている様子が目に浮かび
細やかな愛情が感じられる一首です。

「真土山 夕越え行(ゆ)きて 廬前(いほさき)の
    角太川原(すみだかわら)に ひとりかも寝む 」 
                               巻3-298 弁基


( 真土山を夕方に越えて行って 廬前(いほさき)の角太川原(すみだかわら)で
 たった一人で野宿することになるのだろうか )

「 廬前(いほさき)の角太川原(すみだがわら) 」はJR和歌山線隅田(すだ)付近を
流れる紀の川原あたりとされています。
夕暮れ迫る頃、真土山近くを歩いている作者。
荒涼と広がる川原、寂寥とした雰囲気が漂い、狼や猿などが出没しそうな野宿は
さぞ心細かったことでしょう。
なお、弁基という人物は後年還俗して、春日老(かすがのおゆ)を名のっています。

「 橡(つるばみ)の 衣(きぬ) 解き洗ひ 真土山
    本(もと)つ人には なほ及(し)かずけり 」
                         巻12-3009 作者未詳


( 橡染めの地味な着物を解いて洗い、また打つという名の亦打山(まつちやま)
 その打ち直した古着のような馴染みの女房(もとつ人)に、どの女も及ばなかったわい)

橡(つるばみ)は団栗の古名。
主として檪(クヌギ)の実をいい、これで染めた薄黒色の衣は庶民の普段着とされていました。

この歌の真土山は原文に「亦打山」とあり、固い繊維の着物や、汚れた衣を
解きほぐして洗い、砧(きぬた)で何度も打つ作業をしていたので「亦(また)打つ」と
いう文字を使ったもので、「橡の衣解き洗い」までが「真土山」を起こす序となっています。

「またうつ」の「ま」と「つ」の音感を真土山(まつちやま)に響かせ、
古衣→古女房を連想させている機知ある歌。

浮気を重ねて女性遍歴をした男。
「やっぱり本妻がよろしい」とは何とも勝手な惚気です。

  「 紀州路は 雨に色冴え 蓮にほふ 」 筆者

JR和歌山線五条駅から車で約15分。
広い国道脇に「万葉の里 まつち(真土)」と表示された大きな案内板が立っています。
ここから曲がりくねった急坂を20分ばかり登ると丘の頂上。
突然眼下に、こじんまりとした真土山と蓮池が現れました。
さながら古代にタイムスリップしたようです。

脇道の石段を150mばかり下ると昔の国境、落合川。
川幅が狭くなったところに「神代の渡り」とよばれている岩場があります。
畳半分位の巨石を跨いで対岸に着くと、ここからは紀伊の国。
真土山頂上への細い道が続いています。

「神代の渡り」は石と石との間に少し大きい隙間があり雨で増水すると渡るのは怖そうです。
持統女帝は輿に乗ったままでしょうが、担ぐ人は大変だったことでしょう。
 馬が行きなずむのも分かるような気がします。

この辺りは犬養孝氏が故地保全に尽力され、立派な万葉歌碑がいくつも建てられています。
人影は全く見えず、古き時代のままの佇まい。

折からの風が大賀蓮のほのかな香りを漂わせていました。

「 匂ひきて 葉揺れに割るる 花蓮(はなはちす) 」  石原八束












 
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by uqrx74fd | 2014-07-25 06:30 | 万葉の旅

万葉集その四百八十五 (月夜の船出)

( 春日なる三笠の山に いでし月かも )
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( 古代の船  海の博物館 )
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( 霧の立つ  北野治男 星を頼りに波濤を越えて  奈良万葉文化館収蔵 )
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( 日本丸 )
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( 同上 )
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( 日本丸の天井絵 )
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( 海王丸 後方日本丸  帆船日本丸記念財団刊 日本丸より)
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( 日本丸  同上 )
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( 海王丸  同上 )
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日本書紀、続日本紀によると我国は646年から779年までの130余年の間に新羅へ
27回の使者を遣わし、相互の交流に努めながら新しい文物や技術を採り入れていたそうです。

当時の新羅は唐からもたらされる文明を背景にした先進国。
四方を海に囲まれた我国にとっては貴重な情報源であり、新羅も唐との関係が
悪化した場合に備えて後盾を確保するという思惑もあったのでしょう。

難波津を出航した使者は瀬戸内海の沿岸を辿って九州に出、壱岐、対馬から
目的地を目指しましたが、何しろ木造帆船の上、海図は不完全、航海術も未熟。
潮の流れや風向きを読む水主(かこ)の手腕に頼らざるをえません。
昼は経験と勘を頼りにし、漆黒の闇の夜は船首に篝火を掲げて潮の流れと追い風に乗り、
星の位置で方向を確認しながら進んで行くのです。
よほどの胆力の持ち主ならいざ知らず、初めて夜船を経験する人達は恐怖で
身もよだつような心持だったことでしょう。

次の3首の歌は736年、遣新羅使が瀬戸内海を経て長門に停泊した後、九州に向けて
出航する際に詠われたもので、長門は現在の広島県呉市南の倉橋島とされています。

「 月読みの 光を清み 夕なぎに
   水手(かこ)の声呼び 浦み漕ぐかも 」  巻15-3622 作者未詳


( 月の光が清らかなので 夕なぎの中 水子たちが声かけあって
 浦伝いを漕ぎ進めている
 さぁ、出発だ )

月光の中、夕凪の海に乗って船が走り始めている
声を掛け合いながら忙しそうに動き回る水手。
月夜の船出の幻想的な場面が彷彿され、歌の詠み手もまだ風情を愛でる気持ちの
余裕があったことが窺われます。

「 山の端(は)に 月傾(かたぶ)けば 漁(いざ)りする
   海人の燈火(ともしび)  沖になづさふ 」 
                       巻15-3623 作者未詳


( 山の端に月が傾いてゆくと 魚を捕る海人の漁火が
  沖の波間にちらちらと 漂っているのが見えるなぁ )

月が山の端に傾いてゆくにつれて、光が次第に乏しくなってゆく。
皓皓とした光の中で今まで目立たなかった漁火が、ちらちらと浮きだってくる。
暗闇の中で次第に心細くなってきた作者。
中西進氏は
『「なずさふ」は本来「難渋する」の意だが、たゆとう波浪の中で漁火のゆらめきが
 明滅しつつ見えていると表現した点価値がある。』と評されています。 (鑑賞日本古典文学 万葉集)

「 我のみや 夜船は漕ぐと 思へれば
     沖辺(おきへ)の方に 楫(かぢ)の音すなり 」 
                       巻15-3624 作者未詳


( 夜船を漕いでいるのは我々だけかと思っていたら
 沖の辺りでも櫓を漕ぐ音がしているよ )

心細さが募ってくる中、闇に包まれた辺り一帯櫓を漕ぐ音
ほっと一安心する心持。

この3首の連作は
清らかな月の光を浴びながら岸を離れて行く船。
漆黒の闇の中を点滅する漁火。
遠くから聞こえてくる楫音。
視覚と聴覚を交えて時間と情景の推移を美しく詠い、旅行く者の旅情と
哀感を感じさせる秀歌です。

それにしても何故危険を冒してでも夜に出航したのでしょうか。
当時、夜は神の世界であり、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈するものと
畏れられていました。
そうしたタブーを破っての船出について直木孝次郎氏はその著「夜の船出」で
「 瀬戸内海は季節により船出に適した陸からの順風が夜にしか吹かない時期が
あったためだろう」
とされていますが専門家の間では侃々諤々の議論がなされています。
ともあれ生還率50%と推定される危険な外洋の船旅を厭わず、貪欲なまでに
我国の向上を目指した古代の政治家。
その努力と勇気が建国の礎になったことは疑うべくもありません。

「 真帆(まほ)片帆 瀬戸に重なる 月夜哉 」 正岡子規

7月21日は海の日。
行き交う船を眺めながら古き時代に思いを馳せるのも楽しいことです。
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by uqrx74fd | 2014-07-18 07:27 | 生活

万葉集その四百八十四 ( 天の川伝説 )

( 平塚七夕祭り )
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( 同上 )
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( 同上)
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( 短冊に願いをこめて )
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( 可愛いい牽牛、織女 )
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( 歌舞伎 )
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( 切り絵 )
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( 竹取物語 )
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( 猿蟹合戦 )
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( ゆるキャラもあります )
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夏の夜に繰り広げられる壮大なロマンス-天の川伝説は中国伝来のものでありますが、
銀河にまつわる神話は世界各地でも多く伝えられています。
例えばフインランドでは
「 昔、ズラミスとサラミという相愛の夫婦がいた。
  ところが死後別々の星になってしまった。
  二人は再会しょうと天上界のかすかな光の靄(もや)を集め、千年もかけて
  天の橋を完成し、両端から渡ってシリウス星のところで出会い、
  永遠に星空の中で添い遂げているのです 」 と。

また、ギリシヤ神話は
『 女神ヘラの乳房を赤児のヘラクレスが強く吸ったので、
ヘラが赤児を引き離すと乳がほとばしって「ガラクシアス」(乳の川)ができた。
天文学上は銀河、英語ではミルキィーウエイ(milky way) とよばれる 』とか。

天の川を天の道とみる国々もあります。

エジプト神話は悪神セトに追われた女神イシスが逃げる時に落としていった「麦の穂の道」 
北欧神話は戦死した勇者が神々の住む天国へ向かう「馬車の道」
スウェーデンは冬の夜に亡魂が行く「冬の道」、
フィンランドでは亡霊が鳥となって飛ぶ「鳥の道」、
アメリカ・インディアンは「魂の道」  等々。

翻って我国で万葉集に詠われている天の川は132首もありますが、
それは遠い遠い星の国のお話ではなく、自分たちの恋を天の川に託して詠う
現実の世界の物語なのです。

「 天の川 瀬を早みかも ぬばたまの
   夜は更けにつつ  逢はぬ彦星 」
                   巻10-2076 作者未詳


( 夜がもう更けてゆくというのに、彦星(牽牛)はまだ織女に逢えないでいるらしい。
  天の川の川瀬の流れが早いためだろうか  )

天の川に雲がかかり彦星(牽牛)が見えないのでしょうか。
詠う作者の恋人も今日は必ず訪れるはずなのにいまだに姿が見えない。
雨で川の水かさが増え、流れが早くなっているので渡る船が行きなずんで
いるのだろうか。
あぁ、夜も更けてゆく。
天の川を仰ぎながら溜息をついている女。

「 天の川 楫(かじ)の音聞こゆ 彦星と
           織女(たなばたつめ)と 今夜(こよひ)逢ふらしも 」
                           巻10-2029  柿本人麻呂歌集


( 天の川に櫓を漕ぐ音が聞こえる。
 彦星と織姫が 今宵いよいよ逢って共寝するのであるらしい )

雲が晴れて牽牛が見えるようになった。
やっぱり牽牛と織女は今夜逢うんだ。 よかった!

地上の世界でも楫漕ぐ音が聞こえてきた。
「 私の恋しい人も間もなく」と胸を弾ませる女。

「 天の川 相向き立ちて 我(あ)が恋ひし
    君来ますなり 紐解き設(ま)けな 」 
                      巻8-1518 山上憶良(既出)


( 天の川、この川に向かい立ってお待ちしていました。
 ようやく、愛しいあの方がお出でになったようです。
 さぁ、さぁ、衣の紐を解いてお待ちしましょう。 )

この歌は万葉集で年代がはっきりしている最初の七夕歌とされています。
「 紐解き設けな 」とは、なんと直截な!
天上の物語を一気に現実ものとして詠う憶良です。

「 一年(ひととせ)に 七日(なぬか)の夜のみ 逢ふ人の
    恋も過ぎねば 夜は更けゆくも 」
                      巻10-2031  柿本人麻呂歌集


( 1年のうち逢えるのは7月7日の1夜だけ。
  待ち続けた恋の苦しさもまだ晴れないうちに
  夜はいたずらに更けてゆく )

ようやく逢えた二人。
恋の時間はあっという間に過ぎてゆきます。
時よ止まれ!

「 明日よりは 我が玉床を うち掃(はら)ひ
    君と寐寝(いね)ずて ひとりかも寝む 」
                        巻10-2050 作者未詳


( 明日からはこの私たちの寝床を払い清めたとしても
 あなたと共寝することができずに 
ひとり寂しく寝ることになるのだろうか )

別れの時がきました。
あぁ、また一人寝の寂しさを味わうことになるのかと女を抱きしめる男。
もう天の川も眼中にありません。
ただただ少しでも長く一緒にいたい二人です。

諸外国の夢の伝説に比べ我が七夕物語は正しく現実の世界。
だからこそ万葉人は思いの丈を心ゆくまで吐露することが出来たのでしょう。

「 きらめきて 銀河に流れ ある如し 」  高濱年尾
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by uqrx74fd | 2014-07-11 06:34 | 生活

万葉集その四百八十三(古代蓮)

(大賀蓮   千葉公園)
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( 同上 )
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( 古代蓮 藤原京で   )
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( 同上  後方 畝傍山 )
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( 同上  後方 天の香具山 )
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( 藤原京手前 本薬師寺跡近くで 後方ミズアオイの群生 )
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( 万葉人が好んだ水滴  )
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(  田んぼの中で咲く蓮 )
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( 花、蕾、花後と3つ揃った  昭和記念公園 東京 )
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( 深大寺で  東京 )
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我国で蓮が文献に登場するのは古事記の次の話の中の歌謡とされています。

『 その昔、雄略天皇が大和の初瀬川で洗濯していた美しい乙女に出会い、
 「そのうちに召し出すから嫁がずにおれ」と云って帰り、そのまま忘れてしまった。
純情な娘は今か今かと待ち続けとうとう80歳に。
すっかり老い衰えた女はその一途な心だけは知って欲しいと宮中に参上したところ
天皇は
「そなたが志を守り我が言葉を待ち続けて、いたずらに身の盛りの年ごろを
 過ごしてしまったというのは誠に愛しく申し訳ないことだ。
 我が心の中では抱き合いたいと思ってもお互いこの年ではのう」と
謝ったところ老女は涙を流して

「 日下江(くさかえ)の 入江の蓮(はちす) 花蓮(はなはちす)
      身の盛り人 羨(とも)しきろかも 」


( 日下江の入江、その入り江に咲く蓮よ
  花の咲いた蓮に似た 女身の盛りの人たちは なんと美しいこと
  あの人たちが羨ましいことでございます )

と詠ったというのです。
なんとも長閑なお話。花蓮は美人の代名詞だったのですね。

蓮はインド原産とされていますが我国でも2万年前の化石が出土しており自生説も
あります。
昭和26年、大賀一郎博士が千葉市検見川の泥炭層から3個の蓮の実を発見され、
分析調査の結果2千年前のものと分かり大ニユースとなりました。
さらに大変な苦労の末、一つの実を発芽させて生育することに成功し、遂に
美しい紅色大輪の花を咲かせたのです。
まさに奇跡としか言いようがない快挙でした。
「大賀ハス」と命名されたこの蓮は、その後株分けをしながら日本各地で
繁殖を続けていますが、その驚異的な生命力には驚かされます。

なお、大賀博士は他種との交配を避けるため新潟県十日市山奥の「二つ屋弁天池」にも
移植され、今なお発見当時の純粋な種を保っているそうです。

万葉集での蓮は4首。
不思議なことに花の美しさを讃えた歌は1首もありません。

「 ひさかたの雨も降らぬか 蓮葉(はちすば)に
    溜まれる水の 玉に似たる見む 」  巻16-3837 (既出)
                          右兵衛府の官人(禁中の警備や行事を司る役人)


( 空から雨でも降ってこないものかなぁ。
 蓮の葉に溜まった水が玉のように光るのが見たいものです。) 

蓮の葉に溜まった水滴はキラキラと光り得も言われぬ美しさです。
この歌の後に註があり、
「 或る役所で酒席がふるまわれ、御馳走はすべて蓮の葉に盛られていた。
  飲めや歌えの宴たけなわになり、周りから洒落歌が上手な作者に蓮を
  折りこんだ歌を詠めと囃したてた。
  そこですぐさまこの歌を披露したという 」

とすれば、この歌は単に玉のような水滴を詠ったのではなく、
「溜まれる水」は美女の真珠のような涙を暗示していると思われます。
「男ゆえに泣く女が見たいなぁ」というわけです。
それぞれの人の前に蓮の葉があり、各々が
「 あぁ、そんな優しくて美しい女性が横に居てくれたらなぁ」と思ったことでしょう。

「 蓮葉(はちすば)は かくこそあるもの 意吉麻呂(おきまろ)が
   家にあるものは 芋(うも)の葉にあらし 」

           巻16-3826 長忌寸(ながのいみき)意吉麻呂 (既出)


( これが本物の蓮の葉なのですなぁ。なんと豪華なことよ! それに比べて
 わが家にあるのは似ているようでもやっぱり里芋の葉ですわい。)

作者は愉快な歌、戯れ歌を即興的に詠むのを得意としていました。
宴席で大皿の代わりに蓮の大きな葉に盛られた豪華なご馳走を褒める気持も込めて
大げさに驚いてみせ、我家の小さな芋の葉を卑下してみせたものですが、
蓮と里芋の葉の形が似ているところにこの歌の面白みがあります。

古代、蓮の花は高貴な美女の象徴とされていました。
宴席には主人の妻妃などが接待に出ていたかもしれません。
もしそうだとすれば「イモ」は「妹」を連想させ「素晴らしい女性ばかりですね。
それに比べて我が家の妹(イモ)は野暮ったくて何とも見栄えがしないことです」と
落胆したふりをして満場をどっと沸かせたのでしょう。
奈良時代の貴族達の華やかな歓楽の一幕です。

蓮は開花するときに「ポン」と音がすると言われていますが、色々な実験の結果、
確認出来ないようです。
早朝の4時頃から咲き始め午後には花を閉じ開花後4日目には散り落ちますが、
花が一番美しく、香りがよいのは開花2日目の朝7時~9時頃までと言われています。

蓮は原産地とされるインドで古今を通じ最も清らかで美しく豊かでかつ神聖な植物として
尊ばれてきました。
釈迦が妙法蓮華経を説き始め、衆生救済の妙法を蓮華に例えられると人々は
蓮の花を仏前に供え、その実を数珠にしてひたすら念じるようになります。

わが国でも万葉時代に恋の歌の仲立ちをつとめた蓮は平安時代から次第に
仏教色が強くなってきたことが枕草子からも窺えます。

「 蓮の浮葉の らうたげにて 長閑(のどか)に澄める池の面(おもて)に 
  大きなると小(ち)ひさきと 広ごり ただよひて歩りく。
  いとおかし。
 - 妙法蓮華のたとへにも 花は仏に奉り、実は珠数(ずず)に貫き念仏して
  往生極楽の縁とすればよ。
  また、花無き頃 緑なる池の水に、紅に咲きたるも いとおかし 」
                                     ( 枕草子54段 草は )


( 蓮の浮いている葉がかわいらしげで、静かに澄んだ池の面に大きなのと小さいのとが
 広がってただよって動くのが、大そう面白い。-
 妙法蓮華経の教えの中にも、花は仏に奉り、実は数珠に貫いて、念仏を唱えて
 極楽往生を遂げる因縁ともするならば、結構なことです。
 また、一般の花がない頃に、青い池の上に紅に花が美しく咲いたのも大変趣があります)

   「 明け方や 水も動かず 蓮匂ふ 」  大魯

早起きして大賀ハスの発祥地とされる千葉公園へ。
大輪の紅の花。
一陣の爽やかな風が芳しい香りを漂わせてくれました。
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by uqrx74fd | 2014-07-04 06:58 | 植物