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万葉集その四百九十五(こほろぎ鳴くも)

( フアーブルの昆虫記 )
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( 向島百花園 虫ききの会案内ポスター)
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( こおろぎ  向島百花園 )
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( 鈴虫  同上 )
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(  竹細工 こおろぎとキリギリス )
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( 案山子  虫たちの演奏会  明日香稲渕案山子祭り 奈良)
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古代、秋に鳴く虫はすべて蟋蟀(こおろぎ)とよばれており、スズムシ、マツムシ、クツワムシなどと区別し、
鳴く音を聞き分けるようになったのは平安時代からと いわれています。                       いわば、万葉人は虫の演奏をシンフォニーとして聴きなし、王朝人はソナタを鑑賞していたとでも
いえましょうか。

万葉集での蟋蟀は7首。                                         
いずれもその美しい演奏に耳を傾けながら行く秋の夜長を楽しんでいるものばかりです。

「 秋風の 寒く吹くなへ 我がやどの
         浅茅がもとに こほろぎ鳴くも 」    
                    巻10-2158 作者未詳

( 秋風が寒く感じる位に吹くおりしも、我家の庭の浅茅の根元で
  こおろぎが鳴いていますよ )

「なへ」 ~するにつれて 二つの事象が併行して進さまをいう

なんとなく肌寒い気配。
ふと気が付くと虫たちが盛んに鳴いている。
深まりゆく秋をしみじみと感じている作者。
調べよく、爽やかな涼気が漂う一首です。

「 夕月夜(ゆうづくよ) 心もしのに 白露の
     置くこの庭に こほろぎ鳴くも 」 
                           巻8の1552 湯原王(ゆはらのおほきみ:既出)

( 月の出ている夕暮れ、心が萎れてしまうばかりに蟋蟀が鳴いています。
    白露の置くこの庭で  )

作者は天智天皇の玄孫(やしゃご)で、父、志貴皇子と共に気品のある秀歌を多く
残しています。

「心もしのに」は「心も萎れてしまうばかりに」の意。

月夜の中、蟋蟀の演奏がバイオリンのように響く。
高く、低く、長く。
心に滲み入るような哀感。

月、白露、こおろぎと代表的な秋の情景を配し、作者の心情を見事に歌い上げた秀歌で、
その繊細な感覚は古今集の時代を先取りしているようです。

「 こほろぎの 我(あ)が床の辺(へ)に 鳴きつつもとな
    起き居つつ 君に恋ふるに 寐寝(いね)かてなくに 」

                巻10-2310 作者未詳 (旋頭歌577.577を基調とする)

( こおろぎが私の寝床あたりでむやみやたらに鳴いている。
  私はあの方に恋焦がれて眠れず、起き上がって座ったままでいるのに )

「鳴きつつもとな」:「もとな」(元無) は 「むやみに」
「起き居つつ」 起きて床の上に座っているさま

「寐寝(いね)かてなくに」  「かて」は~することが出来る であるが後に「なくに」という否定語があるので 
「寝ることが出来ない」の意となる

ある男性に恋焦がれている女。
恋苦しさに何度も寝返りをうち、とうとう起き上って居ずまいを正して座った。
庭で鳴いていた蟋蟀の鳴き声が一段と高くなっている。
床の下にまで潜っているのだろうか。
もぉう! むやみやたらに楽しげに鳴いて!
私は苦しくって寝られないというのに!

コオロギの鳴き音は3種類あるそうです。 
                                
「コロコロコロコロ」  ひとり鳴き                                  
「コロコロリ・・・コロコロリ」  切ない響き、雄の求愛                        
「キリキリキリッ 」  縄張り争いの喧嘩鳴き

この女性が聴いたのは切ない求愛の鳴き声だったのでしょうか。

最後に三好達治氏のユーモラスな詩をどうぞ。

『 新聞紙に音をたてて
  葡萄のやうな腹の 蟋蟀が一匹とびだした
  あすはクリスマス
  この独りの夜を
 「 愕かすじゃないか 魔法使いじゃあるまいね
   そんなに向こう見ずに私の膝にとび乗って 」
 「 ごめんなさい 何しろ寒くって ・ ・ ・ 」 』
                                       (蟋蟀より) 

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by uqrx74fd | 2014-09-26 16:26 | 動物

万葉集その四百九十四  (女郎花)

( オミナエシ  山辺の道で 奈良県 )
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( 同上 )
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( 同上 )
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( 向島百花園で   東京都)
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( 神代植物公園で  東京都 )
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( 同上 )
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( 同上 )
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秋の気配が漂いはじめると全国各地の野に黄色の可憐な姿をあらわすオミナエシ。
万葉集の原文では「佳人部為」「美人部師」「姫部志」「娘部志」などと書かれ、
いずれも「オミナエシ」と訓みますが、古の人たちはこの花を見て優雅で奥ゆかしい
女性を想像したのでしょうか。

オミナエシの語源については2説あり、その一は
『 「をみなへし」はその黄色い小花が「蒸した粟飯(あわめし)」のように見える。
  古代の女性は粟を主食にしていたため粟飯を「をんなめし」とよんでいた。
  その「をんなめし」が花の名前に転訛した。
  つまり「をみな」=「をんな」 「へし」=「めし」 』

いま一つは
『 「へし」に「押し倒す、圧倒する」の意の、漢字「押」があてられていることから
  「美女も圧倒するほど美しい」 』 の意。

大言海では後者の説を採用しています。

「 我が里に 今咲く花の をみなへし
    堪(あ)へぬ心に なほ恋ひにけり 」
                       巻10-2279 作者未詳

( 我が里で今を盛りと咲くおみなえし、
 その女郎花に恋をしてしまった。
 所詮叶わぬ恋、諦めようと堪えていたが
 恋心はますます募るばかり
 あぁ、美しい女郎花よ )

美人で評判の乙女に恋した男
でも高根の花なのでしょうか。
とても無理、無理、
諦めようと思ったのに
ますます募るやるせなさ。

746年の9月上旬頃、大伴家持は越中国司に転任しました。
早速、歓迎の宴が催されることになり、客人の一人が手土産に女郎花を
持参したところ花好きな家持は大いに喜び、お礼の歌を詠いました。

「 秋の田の 穂向き見がてり 我が背子が
    ふさ手折り来(け)る をみなへしかも 」 
                     巻17-3943 大伴家持

( 秋の田の 垂穂(たりほ)の様子を見廻りかたがた あなたさまが
 どっさり手折ってきてくださったのですね。 この女郎花は。 )

「穂向き見てがり」 : 稲穂の靡き具合を見廻りながら、
「ふさ」(房) :     量が多いさま たくさん

女の立場で詠うことで恋人を待つような想いで客人を待ちかねていたという
強い気持ちを込めると共に、稲の出来栄えを見廻る官人の労をねぎらう心配りを
みせています。

主人が女の立場で詠ってきたので、客も「君」と応じ次のように返しました。

「 をみなへし 咲きたる野辺(のへ)を 行(ゆ)き廻(めぐ)り 
     君を思ひ出 た廻(もとほ)り来(き)ぬ 」
                                巻17-3944 大伴池主

( 女郎花の咲き乱れている野辺、その野辺を行きめぐっているうちに
 あなた様を思い出し、回り道をしてきてしまいました )

恋人同士のようなやり取り。
終生歌友として心許した二人です。
なお、「遠い道のりを廻り道しながら来ました」〈た廻(もとほ)り来ぬ〉というのは、
いささか変な表現ですが「どうしてもお会いしたかった」ことを示す挨拶の型だそうです。

「 花の色は 蒸せる粟(あは)のごとし
  俗(しょく)呼ばうて 女郎(じょろう)となす
  名を聞きて戯(たはぶ)れに 偕老を契らむとすれば
  恐るらくは 衰翁(すいをう)が首(かうべ)の  霜に似たるを悪(にく)まむことを 」

              ( 源 順:みなもとの したがふ  和漢朗詠集 秋 女郎花 )

( 花の色は 蒸した粟のようで 
 俗に女郎花とよんでいます
 わたしは女郎という名を聞いて 戯れに愛をささやき 
 夫婦の契りを交わしたいと思ってみたものの
 恐らく白髪頭の老衰した爺さんとではいやだと
 嫌われることでありましょうよ )

偕老(かいろう) 共に睦まじく一緒に暮らす意

万葉集で色々な漢字をあてられていたオミナエシは平安時代から「女郎花」に
統一されました。
源順の漢詩の女郎は芸妓の意味に使われていますが、女郎はもともと
大伴家持と交渉があった笠女郎(いらつめ),紀女郎、中臣女郎などにみられる如く
由緒ある家柄、身分の高い女性の尊称とされていました。

女郎花のイメージが変わったのは次の歌からです。

「 名にめでて 折れるばかりぞ 女郎花
     われ落ちにきと 人に語るな 」 
                          僧正遍照 (古今和歌集秋上)

( 女郎花という名前に引かれて花を折り取っただけのことですよ。
  女犯戒を破ったなんて噂を立てないで下さい。
  おみなへしさん )

女郎花を採ろうとして落馬したとお思いきや、女郎をものにしようとした堕落を
掛けた洒落。
万葉時代の楚々としたイメージの「をみなへし」は僧をも堕落させる妖しくも
美しい女に変化してしまいました。

慎ましやかで優しく、しっとりした美しさの中に秋草らしく一抹の寂しさを
たたえている女郎花は、晩秋、地上に出ている部分が枯れても、
地中の根元の太い茎で冬を越す強靭な生命力の持主。
美しさ、たおやかさの中に強い芯を秘めた我国の女性を象徴する花なのです。

    「 女の香 放ちてその名 をみなへし」 稲垣きくの
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by uqrx74fd | 2014-09-19 06:24 | 植物

万葉集その四百九十三 (月読み:つくよみ)

( 春日山の月  奈良市 )
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( 同上 :  古都の空 紫にして 月白し  高濱虚子 )
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( 仲秋の名月 )
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( スーパームーン 2014.9.9 )
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(  観月賛仏会  唐招提寺  奈良市 )
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「月読み」とは元々、古事記や日本書紀に登場する夜を支配する神、月読命(つくよみのみこと)を
指すものとされています。
古代の人は刻々と形を変え一定の期間を置いてまた復活する月に生命の永遠性を感じ、
神と崇めていました。
「読む」は「数える」を意味し、月の形で日数を数えることにより時の推移と
潮の満ち欠けを把握していたことによります。

万葉集での「月読み」は7首。
単なる月として詠われていますが、わざわざ「月読み」としたのは、畏敬の気持ちと共に
歌の初句に用いると調べが良くなり、後に続く光を導きやすいこともあったようです。

「 月読みの 光を清み 神島の
        磯みの浦ゆ 船出す我れは 」
                      巻15-3599 作者未詳(遣新羅使人)

( お月様の光が清らかなので、それを頼りに神島の岩の多い入江から
  船出をするのだ。 われらは )

新羅へ派遣された使人が難波津を出航し、瀬戸内海、鞆の浦を経て
九州に向かう時の歌。
神島は福山市西部にあり、風待ちの寄港地であったようです。
夜の船出を詠った珍しい例ですが、この辺りは季節風が吹き昼は逆風のため
順風の夜を待って出航したものと思われます。

「月(つく)読みの 光に来ませ あしひきの 
             山きへなりて 遠からなくに」
                        巻4の670 湯原王 (既出)

 (  ねぇ、月の光をたよりにお出かけくださいませよ。
    貴方様のお住まいと私の家は、山が隔てていて遠いというわけではありませんのよ )

「山きへなりて」 「山き」の「き」は刻みの意で断絶を表すか(橋本四郎)
「へなる」  隔てとなる。

宴席の余興で作者が男の訪れを誘う女の立場で詠ったもの。
当時の妻問いは月の光を頼りに行くのが習いでした。

続いて男の立場での返歌。

「 月読の 光は清く 照らせれど
            惑へる心 思ひあへなくに 」   巻4-671 作者未詳

( なるほど、お月様の光は清らかにそそいでいますが、私のあなたを想う気持ちは
 千々に乱れる心の闇。
 先が見えなくなって、踏ん切りがつきかねているのです )

「 惑へる心 」  恋に分別をなくした私の心 
「思ひあえなくに」 思いを定めかねている 「あふ」は 「~出来る」で反語を伴う

「あなたを想うあまり心が乱れ、先が見えなくなっているのです」と
前歌の月の光に対して心の闇を配したもの。

この歌は作者未詳となっていますが、興に乗って湯原王が一人二役を
演じたのかもしれません、
楽しそうな月見の宴が目に浮かぶような一幕です。

「 月(つく)読みの 光を待ちて 帰りませ 
                 山路は栗の いがの多きに 」  良寛

湯原王の歌を本歌取りしたもの。

良寛の家に風雅の友でもあり、有力な後援者でもあった阿部定珍(さだよし)と
話し込んでいるうちに日が暮れてしまい、慌てて帰ろうとする定珍を引きとめ、
また、帰路を気遣かった歌です。
本が買えない良寛は人から借り、要点を書きとめ、その恐るべき記憶力で
心にかなった歌や表現をたちまち暗記し自由自在に使ったといわれています。

(注: 本歌取りとは和歌、連歌などを意識的に先人の作の用語などを取り入れて作る事。
    背後にある古歌(本歌)と二重写しになって余情を高める効果がある。)

「 天(あめ)にいます 月読壮士(つくよみをとこ) 賄(まい)はせむ
   今夜(こよひ)の長さ 五百夜(いほよ) 継ぎこそ 」 
                                    巻6-985 湯原王

( 天にまします月読壮士さま 贈り物ならいくらでもいたしましょう。
      どうか今宵の長さを五百夜分も繋ぎあわせて下さいませ )

宴席で女の立場で詠ったもの。
美しい月、今夜限りではなく五百夜までも見たいものですと楽しげに詠う作者。
「月読壮士(つくよみをとこ)」に男神の名残が見られます。

作者は歌の名手、志貴皇子(天智天皇の皇子)の子。
ロマンあふれる秀歌を19首も残していますが、平安朝の歌を先取りしたような
優美な調べのものばかりです。

今年の仲秋の名月は9月8日。
翌9日はスーパームーン、月が一番大きく見える日です。
全国各地で古式豊かな月見の宴が行われたことでしょう。

「 名月や 只美しく 澄みわたる 」    三浦樗良(ちょら) 江戸中期

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by uqrx74fd | 2014-09-12 06:38 | 自然

万葉集その四百九十二 (秋津)

( アキアカネ  学友 M.I さん提供 )
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(  同上 )
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( 吉野離宮跡  後方 象山:きさやま  奈良県 )
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( 宮滝遺跡関連図    画面をクリックすると拡大できます ) )
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( 宮滝  奈良県 吉野 )
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( 吉野川  後方 象山 )
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( 蜻蛉:せいれい の滝  奈良県 吉野   学友 Nさん提供 )
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(  同上   学友Nさん提供  )
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(  同上     筆者撮影  )
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「秋津」はもともと蜻蛉(トンボ)を意味し、その語源は「秋に多くいづる」が縮まったものとされています。
古代、田の収穫前に多く群れ飛ぶのは豊作のしるし。
聖霊として大切にされた蜻蛉はやがて豊かな実りを表す大地「蜻蛉島(あきづしま)大和の国」と詠われ、
のちに日本国全体を象徴する「秋津島」へと変化してゆきます。

日本書紀によると神武天皇が国見をしながら
「蜻蛉(あきづ)の臀呫(となめ)の如くにあるかな」と言われたそうです。
「臀呫」とは「とんぼ」の雄雌が尾をくわえ合い、輪を作って交尾をする様子を
いいますが、蜻蛉の大群を見ながら国土の豊穣を予祝されたのでしょう。

万葉集では「秋津島」「秋津野」「あきづの宮」などと詠われ、動物そのものを
詠ったものは1首もありませんが、蜻蛉の羽を女性の薄い衣類に見立てたものがあります。 

「  あきづ羽(は)の 袖振る 妹を  玉櫛笥(たまくしげ) 
    奥に思ふを 見たまへ 我(あ)が君 」    
                               巻3-376 湯原王(既出)

( 我が君よ、 向こうに蜻蛉の翅のような薄い衣の袖を翻しながら
  舞っている美女がおりますでしょう。
  実はあの舞姫は私のとっておきの想い者なのですよ。
  ゆっくり ご覧になって舞を楽しんで下さい )

この歌は宴席での即興歌で、深窓の美女を主賓のために特別に舞わせて
歓待の意を表わしたものです。
「君」とよばれた人物は越前国守、石上乙麻呂 (いそのかみ おとまろ) とも。
玉櫛笥(たまくしげ)は美しい化粧箱のことですが、ここでは奥に掛かる枕詞に使われています。
大切に奥にしまっている箱と心の奥深くで女性を想う意を掛けたものです。

「 み吉野の 秋津の小野に 刈る草(かや)の
     思ひ乱れて 寝(ぬ)る夜しぞ多き 」 
                      巻 12-3065  作者未詳

(  み吉野の秋津の小野で刈った萱が乱れるように、私の心も思い乱れて
  独り寝る夜が幾晩も続いていることよ )
  「秋津の小野」は吉野の宮滝付近で萱の産地だったようです。

その昔、雄略天皇がこの地で狩猟されたときのことです。
自ら獲物を射ようとしたところ、突然大きなアブ(虻)が飛んできて天皇の肘を噛みました。
すると、何処からともなく蜻蛉が現れてその虻を噛み殺したので、
天皇が大いに褒めたたえ、これよりこの地を蜻蛉野(あきつの)とよぶ様に仰せられたといいます。

この故事の名に因んだ「蜻蛉(せいれい)の滝」という名所があり、
現在の奈良県吉野郡川上村、この辺り一帯が万葉集で詠われた「秋津の小野」とされています。

滝は高さ50m、岸壁の黒さと水しぶきの対比が美しく、飛沫は太陽に映じて虹を
つくることから虹光(にじっこう)ともよばれ、写真家が狙う穴場だそうです。

「 ほろほろと 山吹散るか 滝の音 」  芭蕉

吉野紀行でこの地を訪れた折の句。 
轟轟と響く滝の音、盛りを過ぎた山吹が風を待たずにほろほろと散っている。

山本健吉氏は次のように解説されています。

『 滝の音の強さ、大きさに対して、山吹の花を、その弱さ、細みにおいて捉え
それが「ほろほろと」であった。
芭蕉は音だけを描き、散る山吹の細みを書き添えることで滝の存在感を浮かび出させた』
                                      ( 花鳥一歳 文芸春秋社)

私たちが訪れた時は,残念ながら虹を見ることが出来ませんでしたが、
轟轟と鳴り響きながら落下する滝の音に身も心も洗わるような清々しさを感じたことでした。

  「 とどまれば あたりにふゆる 蜻蛉かな 」  中村汀女

「ふゆる」は「増える」
赤蜻蛉でしょうか。
歩を止めて、ふと上を見ると青空の下に群れ集まっている。
このような風景も少なくなってきた日本の秋。
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by uqrx74fd | 2014-09-05 06:31 | 万葉の旅