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万葉集その五百八 (松原)

( 天橋立の松並木 )
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( エメラルド色の海が美しい  天橋立 )
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( 白い帆も浮かぶ  同上 )
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( 白砂青松    同上 )
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 ( 松の根元の紅葉も美しい  同上 )
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 (  海面すれすれの松ヶ枝  同上 )
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 (  かくれんぼ  同上 )
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( 朽ち折れた松の大木から若い木が  同上 )
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( 上から見ると龍が上るように見えるので飛龍観というそうな 案内ポスター 同上 )
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( 三保の松原 )
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( 三保の松原  歌川広重 )
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「松原遠く 見ゆるところ 
 白帆の影は 浮かぶ
 干網 浜に 高くして
 鴎は低く 波に飛ぶ
 見よ 昼の海 見よ 昼の海 」    (海 作詞作曲者未詳)

「松原」は元来「松が多く生えているところ」の意ですが、その言葉から
連想されるのは海辺の松林。
古くから防風、防砂林として日本各地で盛んに植栽され、年を経るごとに形を整えて
海岸線に連なる白砂青松となり我国独特の美観を生み出しました。

万葉集での松は長寿を象徴するもの、松籟、枝振りの美しさなど様々な形で詠われ
77首も見えますが、「松原」は旅先でのものが多いせいか、美しい景観より
旅愁を慰め、故郷を偲ぶよすがとして詠われています。
「松」が「待つ」という言葉と音が通じることから「恋人や妻との再会を待つ」
あるいは、遠くから見ると松が人の形に見えることにもよるのでしょうか。

「 わが背子を 我(あ)が松原よ 見わたせば
     海人娘子(あまをとめ)ども 玉藻刈る見ゆ 」
                     巻17-3890 三野連石守( みのの むらじ いそもり )

( 「 わが背子を私がしきりに待つ 」という、その名の松原から見渡すと、
  今しも海人娘子たちが美しい藻を刈っているのが見えるよ )

「我が松原よ」の原文は「安我松原」。
地名と「我が」を掛け、「よ」は「より」。
さらに「松原」に「松」と「待つ」を掛けるという複雑な構成。
「 私の愛しい人を私が待つという安我松原から」の意。

天平2年11月 大伴旅人は大宰府長官の任務を終え都へ戻ることになりました。
旅人は陸路をゆっくり楽しみながら歩き、側近の家来たちは海路で戻ることに
なったようです。
恐らく大きな荷物などを船に運び込んだのでしょう。
この歌は航路出発点となる大宰府の外港(荒津)からの景色を詠ったものです。
緑美しい海藻を刈る海人娘子を眺めながら、懐かしい故郷で待つ妻に想いを馳せる作者。
長い鄙勤(ひなづとめ)を終え、都への転勤に胸が躍り喜びが溢れているようです。

「 海人娘子(あまをとめ) 漁り火焚く火の おぼほしく
    角(つの)の松原 思ほゆるかも 」 
                              巻17-3899 作者未詳

( 海女のおとめが焚く漁火のように、ぼんやりと角の松原が思われて
 ならないことよ )

「おぼほしく」 ぼんやりと

風に吹かれてゆらゆら揺れている漁火を眺めているうちに、炎の中から幻想の如く
妻の面影が浮かび上がってきた。
「もうすぐ逢える!」と胸を躍らせている男。

前歌と同じ船旅で詠われたもので、角(つの)は西宮市松原町津門(つと)の海岸。
「角の松原」を「自分を待つ妻」に譬えています。
「 当時、この地は妻に見せたい景勝の地として詠われていたらしく、それが妻を
さすようになった(伊藤博)」 のだそうです。

「 朝なぎに 真楫(まかぢ)漕ぎ出て 見つつ来し
    御津(みつ)の松原 波越しに見ゆ 」 
                    巻7-1185 柿本人麻呂歌集

( 朝凪の海に 左右の櫂を貫おろして舟を漕ぎだしてゆくと、ずっと見続けていた
 御津の松原が波越に見え隠れするようになった。)

真楫(まかじ)は船の両舷に下した櫂(かい)。
御津の松原は難波の御津を中心としたあたり一帯の松原とされ、瀬戸内海を経て
九州に向かう旅と思われます。
次第に遠ざかってゆく松原を眺めながら物思いに耽る作者。

「しばらく この美しい松原ともお別れだなぁ」と、
これからの船旅の楽しさよりも故郷を離れ行く寂しさ、心細さを
感じているようです。


「 廬原(いほはら)の 清見の崎の 三保の浦の
    ゆたけき見つつ 物思ひもなし 」  
                         巻3-296 田口益人

( 廬原の清見の崎の三保の浦 そのゆったりとした海原を見ていると
  晴れ晴れとした気持ちで 何の物思いもないことだ )

708年、上野守に任命された作者が赴任の途中、駿河三保の浦で詠ったもので、
庵原は現在の静岡県庵原(いはら)郡と清水市(現静岡市)の一部とされています。
風光明媚な景色によって心が癒され、赴任にあたっての不安や悩みが消えた
ようですが、万葉集で詠われた唯一の三保の浦です。

現在の三保の松原は総延長7㎞、約3万本余の松が生い茂り、世界遺産の一部に
指定されていますが、古代人も駿河湾を挟んで望む富士山や伊豆半島の眺めに
大きな感銘を受けたことでありましょう。
当時富士山は活火山、火柱が上がり、もうもうと煙を噴き上げていたかもしれません。

「 虹立ちて 三保の松原 日当たれり 」     京極杞陽

松の木に魅かれて天橋立を訪問しました。
京都から城崎温泉行の特急で約2時間、我国唯一外洋に面さない湾内の砂州です。
文字通りの白砂青松、一帯の松は8000本とか。

好天に恵まれ3.6㎞続く松並木を散策すること往復7㎞強。
道の両側は海と云う珍しい散歩道で、海上を歩いているような気分です。
この道は上空から見ると龍が天に上るように見えるので飛龍観とよばれているそうな。

エメラルド色の美しい海。
白い帆を目いっぱいに広げて走る船。
晩秋なのに潮風が暖かい。

海面すれすれにまで枝を伸ばす老松が寄せる波に打たれている。
他では見られない独特の風景です。
松に絡みつく蔦の紅葉も美しく、湧水があるのも珍しい。

流石、日本三景の一つ。
万葉の歌が見えないのが残念でした。

「 人おして 廻旋橋の ひらくとき
                    くろ雲うごく  天の橋立  」  与謝野晶子

           廻旋橋(かいせんばし): 船が通る度、人力で橋を回転させます。
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by uqrx74fd | 2014-12-25 16:03 | 自然

万葉集その五百七 (万葉イルミ)

( 鹿の親子  春日大社神苑 万葉植物園 奈良市 )
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( 青の世界  同上 )
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( 御所車    同上 )
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( お花畑 ?  同上 )
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( 稲架:はさ   同上)
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( 大宮びと あるいは 彦星と織女?  同上 )
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( 飛火野のよう   同上 )
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( 藤   同上 )
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( 藤棚  同上 )
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(  中央は奈良のマスコットキャラクター せんとくん )
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我国最古の万葉植物園「春日大社神苑」は昭和7年、昭和天皇の御下賜金によって
開園され、約9000坪の敷地に300種余の草木が植栽されています。

山野の植物になるべく人的な手を加えず、自然のままに生かすという考えのもと、
万葉園、五穀の里、椿園、藤の園と4つのテーマーによってエリアが分けられ、
四季折々の植物の生態を鑑賞することが出来ますが、なんといっても見どころは
200本、20種類の藤。
巨大な木に蔓が絡み合い、高い梢の上から見事な房を風に靡かせている様は
遠い古を思い起こさせます。

春日大社は古代藤原家の氏神であり、神域とされる御蓋山周辺には野生の藤が多く
存在していました。
藤原一族は家紋でもある藤を代々大切に保護したので、社の内外いたるところに
驚くほど多くの老巨木が残され、花の季節になると圧倒的な存在感を誇っています。

さて、その植物園で今年から奇想天外な試みが始まりました。
客足が少なくなる夏と冬にLED(発光ダイオード)100万個を使用して
夜の万葉イルミネーションの世界を現出させようというのです。

早速、夜の帳が降りるころに参上。
まず春日大社、一の鳥居から進みます。
漆黒の闇の中、植物園への道筋をしめす二条の光が鮮やかです。
歩くこと10分足らずで会場に到着。
まずは奈良のシンボル、鹿さんが出迎えてくれました。

「 夜を長み 寐(い)の寝(ね)らえぬに あしひきの
      山彦響(とよ)め さを鹿鳴くも 」 
                         巻15-3680 作者未詳

( 秋の夜長なのに 寝もやらずにいる折も折、山を響かせて妻呼ぶ雄鹿が
 鳴き立てているよ )

こちらの鹿さんは親子4頭。
鳴きもせず静かにイルミの草を食んでいます。
園内に10頭おかれているとか。

広大な敷地一面色鮮やかな幻想の世界に驚嘆しながら歩いてゆくと
やがて刈り上げられた稲穂が架けられていました。
こちらは本物。
粳米(うるちまい)ですが現代の稲穂に比べてかなり長い。
まわりに光の玉が輝いています。

古代の人達は干した稲穂で蘰(かづら:頭飾り)を作りその生命力を
身に付けようとしていました。

「 我が蒔ける 早稲田(わさだ)の穂立 作りたる
   かづらぞ見つつ 偲はせ我が背 」 
                       巻8-1624 大伴大嬢(おほいらつめ)

( 私が蒔いた早稲田の穂立、立ち揃ったその稲穂でこしらえた蘰です。
  これをご覧になりながら私のことを偲んでくださいませね )

作者は大伴坂上郎女の娘で17歳位、従兄妹の家持と婚約中。
花嫁修業のため明日香、耳成山の麓,竹田の庄へ母の稲の収穫作業の手伝いに
行っていたようです。
当時の貴族は使用人に手伝わせながら自らも農作業に携わっていたことを窺わせる
一首で、作者は自ら蒔いた稲を刈り取り、その穂を干して蘰に編み家持に贈ったもの。
「鬘を私と思って下さいね」と甘えています。

少し高台を上ってゆくと光の衣装で飾られた男と女の人形。
後背から星がきらめきながら流れ落ちてゆきます。
このきらびやかな衣装から想像できるのは都大路を歩く大宮人と女官。
そして天の川。

「 ももしきの 大宮人は さはにあれど
     心に乗りて 思ほゆる妹 」  巻4-691 大伴家持

( 大宮仕えの女官はたくさんいるけれども、私の心にしっかり乗りかかっている人
     それはあなたですよ )

名も知らない高貴な美人女官に憧れた作者の青春時代の恋歌です。
その女性は想像上の人かもしれません。

「織女(たなばた)の 五百機(いほはた)立てて 織る布の
    秋さり衣 誰(た)れか取り見む 」
                               巻10-2034 作者未詳

( 織姫がたくさんの機(はた)を据えて織っている布、
   その布で仕立てる初秋の着物はいったいどなたが取り上げて見るのでしょうか)

「秋さり衣」は秋になって着る着物、
ここでは七夕の夜牽牛が初めて袖を通す晴れ着のことです。
1年ぶりに出会い、後朝の別れに着せて帰らせたいという思いで
織っているのでしょう。

「 彦星以外に着る人はいないんだ。
  早く行ってやればよいのに。
  だがなぁ、天の定めでままならずかぁ」

と詠っているところをみると、七夕前の歌でしょうか。
天を仰ぎながらやきもきしている地上の男です。

光の世界を巡りながら見えてきたのは豪華絢爛の藤の棚。
足許には蓄光石が撒かれており、道もキラキラ光ります。

「 藤波の 花は盛りになりにけり
     奈良の都を 思ほすや君 」 
                  巻3-330 大伴四綱 (既出)

( ここ大宰府では藤の花が真っ盛りになりました。
 奈良の都、 あの都の藤が懐かしく思われませんか あなた様 )

大宰府長官 大伴旅人宅での歌。
盛りの藤を見ながら、故郷の藤を思い出し望郷の念に駆られた一首です。

こちらは晩秋イルミの藤、皓々と輝いています。
藤棚の下を行きつ戻りつしながらその美しさに嘆声しきり。

遠くを見渡すと赤白の世界。
お花畑のイメージなのでしょうか。
広大な敷地一面、光で彩られている万葉夢の世界でありました。

    「 万灯籠 うしろの闇に 鹿うごく 」 西脇妙子
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by uqrx74fd | 2014-12-18 17:32 | 生活

万葉集その五百六 (吉城川:よしきがわ)

( 吉城川  奈良公園 東大寺南大門前 )
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( 同上 )
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( 左 依水園 中央 吉城川 右 吉城園 )
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( 吉城園 )
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(  同上 )
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(  同上 )
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( 依水園 後方 若草山 東大寺南大門 )
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( 依水園 吉城川から流れる水 )
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( 氷室神社の枝垂桜 )
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吉城川は御蓋山(みかさやま)の上流、水屋峰を源とし隣の若草山との間から
東大寺南大門前を経て佐保川にいたる川で、古くは宜寸川(よしきがわ)と書かれました。

平城京の時代、水屋峰は気温が低く厚い氷が張ったので、冬の間に切り出して
幾重もの藁や草に包んで氷室に貯蔵し、夏に宮中に献上、大宮人たちはこの氷で
オンザロックを飲んでいたという記録も残ります。
中世になると氷室は氷室神社として現在の奈良国立博物館の近くに移され、
毎年5月1日、古式ゆかしい献氷祭がおこなわれています。
また、社前の巨大な枝垂桜の枝振りも見事です。

吉城川は水量が少ないため川底の岩が露出しているところが多く、公園で遊ぶ鹿の
水飲み場になっており、また、川の両岸に多くの楓が植えられているので紅葉撮影の
穴場でもあります。

万葉集での吉城川は1首のみ、それも恋歌です。

 
「 我妹子(わぎもこ)に 衣春日の(ころもかすがの) 宜寸川(よしきがわ)
            よしもあらぬか 妹が目を見む 」 
                                       巻12-3011 作者未詳

( いとしい子に 衣を貸すという春日の宜寸川(よしきがわ)
 その名のように何かよい方法がないだろうか。
 あの子に逢いたくてしょうがないんだ。)

「衣 貸す」と「かすが(春日)」の「かす」、「吉城川」の「よし」と「よしもあらぬか」の「よし」が
二重に懸けられている言葉遊びです。

「よしもあらぬか」は「縁(よし)もあらぬか」で「手掛かりがないだろうか」の意。
 
「衣貸す」は共寝の時にお互いの衣を交換して敷いて寝ることをいい、
「 逢って寝たい、なにかいい方法がないだろうか 」と悩む男です。

東大寺の近くに吉城園、依水園(国の名勝)という美しい日本庭園があり
両園の間を吉城川が流れています。
吉城園は周辺一帯地下水脈が豊富に流れ込んでいるため庭全面が苔に覆われており、
秋深まる頃、緑苔に赤、黄葉が散り敷くさまは、えも言われぬ美しさ。
茶室もあり一服戴きながら、はらはらと風に流れる紅葉を眺めると
別世界の感があります。

依水園は川の流れを庭園に引き込んでいるため
「吉城川の水に依って作られた庭園」即ち「依水園」の名があると云われ、
東大寺南大門、若草山を借景とした景観は見事。
( 名については杜甫の漢詩「名園依緑水」によるという説もあり)

とりわけ巨大なドウダンツツジの燃えるような赤色が映えている様は素晴らしく、
奈良には珍しい池泉回遊式庭園です。

古びた建物の中で庭園を眺めながら「むぎとろ」を戴くのもよし。

    「依水園の 紅葉の中の とろろ茶屋 」 近藤正
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by uqrx74fd | 2014-12-11 22:45 | 自然

万葉集その五百五 (泊瀬川:はつせがは)

( 泊瀬川 春は桜並木が美しい  対岸は昔 海石榴市があったといわれる)
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( 泊瀬川の上流 長谷寺への参道の脇を流れている )
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( 長谷寺 奈良県 )
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( 同上 )
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( 同上 )
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( 同上 )」
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( 同上 )
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( 紅葉が美しい長谷寺 )
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( 長谷路の民家 )
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(  名物 よもぎ餅  出来立ての熱々が美味しい  長谷寺の前で )
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泊瀬川は長谷寺の東北奥、小夫(おうぶ)、白木を源流とし、三輪山の麓では
三輪川、海柘榴市あたりで大和川とよばれ、やがて淀川に合流する一級河川です。

現在は水量も少なく水も澄んでいるとは言えませんが、古代は遣隋使、遣唐使船が
着岸したり、藤原京造営の資材運搬に利用されるなど重要な水路とされ、川幅は
今の2倍以上あったと思われます。

沿岸は伊勢街道。
長谷寺、伊勢参りの旅人が賑わう宿場町で、海柘榴市とよばれた市が立ち、
若い男女が集まって歌垣が行われるなど殷賑を極めていました。
旅行く人達は泊瀬川のほとりで疲れた体を癒しながら、滔々と流れる川を眺め、
初瀬の山を分け入り、四季折々の風景を楽しんだことでしょう。

万葉集で泊瀬という地名が登場するのは30余首。
多くの人たちを魅了した「こもりくの泊瀬」と「泊瀬川」です。


「 石(いは)走り たぎち流るる 泊瀬川
    絶ゆることなく またも来て見む 」 
                     巻6-991 紀 鹿人( きの かひと)

( 岩に激してほとばしり流れる泊瀬川 、この川の流れが絶えないように
 私もまた絶えることなくこの地の川を見にこよう )

「 岩にあたって砕け散る川波
  あぁ! 何と清々しいことよ
  幾度でも来て見たいものだ 」

と詠う作者は大伴家持と親しかった紀郎女の父。
大伴氏の私領 跡見(とみ)の庄を訪ねた帰りに三輪山麓、海石榴市あたりで
詠ったものです。
庄には大伴坂上郎女と弟稲公(いなきみ)住んでいたらしく、大伴、紀家の親密な
関係が窺われます。

「 泊瀬川 流るる水脈(みを)の 瀬を早み
     ゐで越す波の 音の清けく 」 
                          巻7-1108 作者未詳

( 泊瀬川の 渦巻き流れる川の瀬が早いので
 堰(せき)を越えてほとばしる波、その波音が清らかに聞こえてくる )

「ゐで」川の流れを堰き止める堤
「瀬を早み」は瀬が早いので

清流、泊瀬川に鮎が棲んでいたらしく鵜飼も行われていたようです。
土手に桜なども植えられ、周囲の山々の彩りも美しかったことでしょう。

「 泊瀬川(はつせがは) 早み早瀬を むすび上げて
   飽かずや妹と 問ひし君はも 」 
                          巻11-2706 作者未詳

( 泊瀬川のほとばしる早瀬の水 その水を手に掬(すく)い上げて
 飲ませてくれながら 
 「お前さん おいしいだろう 十分に満足したかい」と
 尋ねて下さったあの人。
 今ごろどうなさっているのでしょう )

「泊瀬川(はつせがわ)」、早み(はやみ)、「早瀬」(はやせ) と「ハ」を3回重ねる
軽快なリズムは清冽な流れを思い起こさせます。

「むすび上げて」の「結ぶ」は両手で水をすくうことですが、二人の肉体関係をも
暗示しているように感じるのは深読みか。

川を眺めながら、かっての情景を思い浮かべ恋人の手のぬくもりを感じている。
愛する人は今何処。
男は遠くを旅しているのか。
あるいは過ぎ去りし若き頃の楽しい初恋の思い出なのでしょうか。
作者未詳歌ながら味わい深い一首です。

初瀬川に掛かる馬井手橋の中央に佇むと左手に三輪山、中央に忍坂山(おさかやま:外鎌山)、
右手に音羽山。
振り返ると遥か彼方に二上山と金剛葛城山脈。
古の華やかな時代の様子を瞼に浮かべながら長谷寺へと向かいました。

  「 時雨降る またも来て見む 泊瀬川 」 筆者
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by uqrx74fd | 2014-12-04 19:38 | 自然