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万葉集その五百二十一 〈花咲かば〉

( 山の辺の道  奈良県 )
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( 同上  桜、梅、椿、菜の花など咲き乱れている )
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( 同上 桃と桜 )
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(  同上 )
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( 大美和の杜  山辺の道 )
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( 同上 大和三山 左から香久山、畝傍山、耳成山 )
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( 甘樫の丘  飛鳥  )
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( 又兵衛桜  奈良県  )
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( 長谷寺   奈良県 )
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(  三春滝桜  福島県  )
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彼岸の中日を過ぎると桜の開花が待ちどうしくなり、「今年の花見は何処へ行こうかなぁ」
と、浮き浮き、そわそわいたします。
国民総花見という風雅にして、いささか騒がしいお祭り騒ぎは世界広しと言えども
我国だけのものでありましょう。

古代稲作農民生活において山から田の神を迎える季節に咲くサクラは稲の神として
信仰の対象とされていました。
花が多く咲き、散るのが遅ければ豊作のしるし。
「サ」は田の神、稲の神、「クラ」は神座を表すゆえにその名があるそうですが、
崇められた桜が、楽しみ愛でられるようになったのは何時の頃からなのでしょうか?

今を遡ること1600年、履中天皇の時代、秋の船上での宴の最中に
時ならぬ桜の花びらが風に吹かれ来て酒杯に浮かんだという故事(日本書記)が
記録に残る花見の始まりと伝えられていますが、この櫻は十月桜だったのか?
あるいは創作?
よしんば創作としても桜の文学の始まりであり、4世紀頃に我が国民の桜好きの遺伝子が
植えつけられ、花見の文化が芽生えたとでもいえましょう。

「 今日(けふ)のため と思ひて標(し)めし あしひきの
       峰(を)の上の桜 かく咲きにけり 」
                 巻19-4151 大伴家持

( 今日の宴のためにと思って私が特に押さえておいた山の峰の桜、
 その桜がこんなに見事に咲きましたよ )

作者は自分で山に登り花見にふさわしい木に目印を付け、開花したのを確かめ、
親しい人たちに「さぁさぁお花見に」とお誘いをしたようです。
用意万端を整え、得意満面の笑みを浮かべている様子が目に浮かびます。

それにしても、万葉時代に早くも場所取り習慣があった?

「 春日にある 御蓋(みかさ)の山に 月も出でぬかも
     佐紀山に 咲ける桜の 花の見ゆべく 」 
                       巻 10-1887 作者未詳 (既出)
                         旋頭歌(577 577を基調とする歌体)

( 三笠山から月が早く出てくれないかなぁ。
  西の佐紀山はもう桜が満開だよ。
  夜桜と洒落てみたいものだね )

朧月と桜。
三笠山は奈良東方の山、月が上ると西の佐紀山全山の夜桜が輝きます。
豪華かつ妖艶なまでの美しい光景。
万葉人の素晴らしい美意識です。

「 足代(あて)過ぎて 糸鹿(いとか)の山の 桜花
     散らずもあらなむ 帰り来るまで 」
                             巻7-1212 作者未詳

( 足代を通り過ぎてさしかかった糸鹿の山
      この山の桜花よ 私が帰ってくるまで散らないでくれよ )

「足代」は和歌山県有田市 糸鹿の山はその地の東南の山 

作者は何らかの用事で紀伊方面に向う途中、見事な山桜に出会ったようです。
「 帰りは仕事を終えてゆっくり愛でるから、それまで散るなよ」と
願いつつ足を進めているように思えますが、ひよっとしたらこの櫻は美しい女性かも?
そのように想像した方が楽しいですね。

「 花咲かば 告げよと云ひし 山守の 
      来る音すなり  馬に鞍おけ 」     源頼政


( 桜の花が咲いたら真っ先に知らせよと申し付けていたあの山守の来る足音がする。
  おのおのがた鞍の用意をいたせ。)

我こそ花見の一番乗り。
はやる心を見事に歌い上げた傑作で、まだ雪深い頃から山守に
「 咲いたらすぐさま知らせよ」と命じておいた作者。

開花宣言でわっと人が集まるのは昔も今も同じようです。

この歌は多くの人に愛唱され、謡曲にも採り入れられています。

「 花咲かば 告げんといひし 山里の
  告げんといひし 山里の 
  使いは来たり 馬に鞍 
  鞍馬の山の うづ桜
  手折り 枝折をしるべにて
  奥も迷わじ咲き続く 
  木陰に並みいて 
  いざいざ 花をながめん- 」              謡曲「鞍馬天狗」


     注:  「うづ桜」 八重のサトサクラの一種で京都鞍馬山に咲く桜の総称。
          「うづ」は雲珠(うんじゅ)とよばれる馬具の飾り。
          桜花の形が雲珠と似ており、地名の鞍馬との縁で
          「うづ桜」とよばれるようになった。

ここまで誘われてはじっとしている訳には参りません。
それでは、いざいざ、古の都へ花見に参るといたしましょうか。

   「 謡本 静かにとぢぬ 朝桜 」 田畑比古
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by uqrx74fd | 2015-03-26 16:39 | 生活

万葉集その五百二十 (春柳 )

( 柳が芽吹きました  東京国立博物館  2015,3,6撮影)
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(  梅から柳へ    同上 )
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(  東大寺三月堂前 )
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(  奈良ホテルの近くで )
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( しだれ柳と枝垂れ桜   氷室神社  奈良国立博物館の近く )
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( 東大寺大仏殿前 )
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( 同上 )
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( 朱雀門  平城京跡 )
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( 皇居前の大柳 )
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柳は中国から渡来したヤナギ科の植物で遣唐使がもたらしたものとされています。
世界で400種、我国でも約40種あるそうですが、専門家といえども全ての種を
見ただけで正確に特定することは難しいようです。

我国で多いのはシダレヤナギ。
早春、梅が芳しい香りを漂わせ、やがて散りはじめる頃になると、今まで固く
閉じていた芽が一斉に開き、清々しい浅緑色の枝を風に靡かせます。

万葉集での柳は36首(別途川楊4首)、そのうち梅と共に詠われているのが16首もあり、
両々相まって春をもたらす景物として愛でられていました。

「 春雨に 萌えし柳か 梅の花
   ともに後れぬ 常の物かも 」 
                      巻17-3903  大伴書持(ふみもち)


( この柳は春雨に誘われて萌え出たものか。
 それとも梅の花が咲き揃うにつれて遅れじと萌え出すいつもの柳なのか )

梅に誘われたように芽吹いた柳。
春雨は花の開花を促すものと考えられていましたが、作者は
「いや、これはきっと梅に誘われて萌えだしたに違いない」と詠っています。
待ちに待った春到来の喜び。

「 朝な朝な 我が見る柳 うぐひすの
     来居(きい)て鳴くべく 茂(しげ)に早やなれ 」 
                           巻10-1850 作者未詳


( 来る朝ごとに私が見ている柳よ、
 鶯が飛んできて枝に止まって鳴けるように
 一日も早く大きな茂みになれよ )

青々とした芽が少し頭を出したばかりなのでしょう。
鶯の囀りを心待ちにしている作者。
梅や竹との取り合わせは多く見られますが、柳に鶯が止まるのかなぁ?

「 ももしきの 大宮人の かづらける
     しだり柳は 見れど飽かぬかも 」
                          巻10-1852 作者未詳

     〈 大宮びとが蘰(かずら)にしているしだれ柳。
       見ても見ても飽かないことよ 〉

平城京の大通りで風に靡く柳並木の下を颯爽と闊歩するきらびやかな大宮人。

古代の人達は柳の若々しい生気を身に受けるため、細い枝を丸く輪にして
頭に巻いたり、載せたりして長寿と幸いを祈りました。
作者が眺めている柳はもう大きくなり青々としているのでしょう。

「 柳こそ 伐(き)れば生えすれ 人の世の
    恋に死なむを いかにせよとぞ 」
                           巻14-3491  作者未詳


( 柳なら伐ってもまた生えもいたしましょう。
 でもこの私は生身、あなたに恋い焦がれ死にそうになっているのに
 どうしろとおっしゃるのですか )

片想いの苦しさを訴える女。(男説もあり)

「 柳は何度でも再生出来るのに、人は死んだら終わり。
  さぁさぁ、どうしてくれますの 」
と云う調子で迫られたら怖いですね。

柳はその生命力の強さから神霊が宿ると信じられて寺社、屋敷の外側に植えられ
悪霊を追い払う守護神とされました。
池の周りや田の近くに植えられているのは長く伸びる根で堤防を強化することも
兼ねているとか。

柳は様々な用途があり、枝を切り取って苗代の水口に挿して豊作を祈願し、
正月の雑煮に柳箸や餅花の飾りに。
弓矢を作って山の神に供え、丈夫な柳行李にも変身します。
行李になるのはコリヤナギという種類です。
特筆されるのはセイヨウシロヤナギ。

紀元前400年頃、ヒポクラテスは病人の熱や痛みを軽減するためにヤナギの樹皮を用い、
また、分娩時の痛みを和らげるために柳葉を使用していたという驚くべき記録が
残っているそうです。

それから長い年月を経て19世紀にヤナギの木からサルチル酸が分離され、
遂に1897年、ドイツのバイエル社、フェリックス・ホフマンが副作用が少ない
アセチルサリチル酸、世界で初めて人工合成された医薬品「アスピリン」を
誕生させました。

今やあらゆる病気の消炎、解熱、鎮痛や抗血小板作用に不可欠な医薬品となっており、
人類に対する貢献度は目覚ましいものがあります。

アスピリンのルーツとなった柳のエキス。
その生命力恐るべしです。

  「 みわたせば 柳桜をこきまぜて
         都ぞ春の 錦なりける 」   素性   古今和歌集 



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by uqrx74fd | 2015-03-19 17:11 | 植物

万葉集その五百十九 (狐)

( キタキツネ丹頂鶴の餌を狙う  学友M.I さん提供 )
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( キタキツネ  同上 )
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( ギンギツネ  同上 )
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( 蔵王キタキツネ村         yahoo画像検索 )
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( 鳥獣戯画  高山寺 京都 )
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( 歌舞伎稲荷大明神  歌舞伎座正面右脇 )
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( 同上 )
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( 狐の嫁入り          yahoo画像検索 )
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(  同上 )
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「遠ざかる 狐の声の あはれにも
   谷にしみいる 山彦となる 」       土屋文明

キツネは肉食目犬科の動物で古くは「キツ」とよばれていました。
ヨーロッパ、アジア、北アメリカに多くの種類が分布し、わが国でも北海道には
キタキツネ、本州、四国、九州にホンドギツネが生息しています。
縄文後期から弥生時代にかけて稲作が盛んになると、ネズミやモグラが田の土手に
穴をあけて水を抜いたり穀物を食い荒らしたりするので、これらを捕食する狐は
益獣として大切にされていました。
そのことは、田を守る神の使いとして後の稲荷信仰に結びついてゆきます。

万葉集に登場する狐は1首のみですが、我国詩歌史上重要な歌です。

今から約1300年前のある夜、官人たちが大勢集まって宴会を楽しんでいました。
酒盛りも佳境に入った真夜中の12時ころ、山から人里に下りてきたのでしょうか、
突然、「コン」! と狐の鳴き声が聞こえてきました。

そこで一同、歌の名手とされていた意吉麻呂(おきまろ)に
「 食器類、雑器、狐の声、河の橋 」を詠みこんで、何でもよいから歌を作れ」と
囃したところ彼は即座に詠い出しました。

「 さし鍋に 湯沸(わ)かせ 子ども 櫟津(いちひつ)の
     檜橋(ひばし)より来(こ)む  狐に浴(あ)むさむ 」

                巻16-3824 長 忌寸 意吉麻呂(ながの いみき おきまろ)

(  さし鍋で 湯を沸かせよ ご一同。
  檪津の檜橋を渡って コムコムと鳴きながらやって来る狐めに
  湯を浴びせてやるのだ )

「さし鍋」  注ぎ口のある鍋で食器、古代、撰具(せんぐ)とよばれた。
「子ども」  周囲の人に対する呼びかけ
「檪津(いちひつ)」 狐の渡ってきた橋のある場所の名。
中に「櫃(ひつ)の音が含まれ雑器を詠みこんでいる
「檪津(いちひつ)」の場所は奈良県天理市櫟本あたり

「来む」 狐の鳴き声「コム(コン)」が隠されている
「檜橋」 檜造りの立派な橋、

「 狐め! 人間様のための檜の立派な橋を大威張りで渡ってくるとはけしからん。
  湯でもぶっかけてやろうではないか? 皆の衆 」とおどけた即興歌です。

この歌は「物名歌(ぶつめいか)」すなわち指定された物の名前を歌に詠みこんで
楽しむ遊びの先駆けで、平安時代に盛んに行われるようになります。
大岡信氏はこの歌を大いに評価され

『 日本の詩は、きわめて早い段階において、いわゆる言葉遊びに関してだけでも
  すでに一流の域に達していたのだということを忘れてはならない 』と
述べておられます。  ( 私の万葉集 講談社現代新書 )

「  ここに来て 狐を見るは 楽しかり
      狐の香(か)こそ 日本古代の香(か) 」     斎藤茂吉


  獣はそれぞれに独特の体臭をもち、互いに嗅ぎ合いますが、
  狐の体臭から古代日本をとらえたユニークな一首です。

さて、稲荷神社です。
現在全国の神社は約8万社と言われていますがそのうち3万2千社が稲荷神社と
その系統だそうです。
実に40%。 
何故、稲荷信仰がかくも多く、そして、どのようにして狐と結びついたのでしょうか?

稲荷は元々稲生り(イナリ)または稲成に「稲荷」の字があてられた稲の神様です。
その主神は宇迦之御霊神(うがの みたま)、別名、御撰津神(みけつ の かみ)と
いいましたが、誤って「三狐神(みけつのかみ)」と書かれたため、狐は神様の化身、
後には神そのものになってしまったといわれています。
御撰(みけつ)とは食物の意です。

さらに「山城国風土記」逸文によると

「 渡来の豪族秦氏(はたし)の先祖である伊呂具 秦君(いろぐの はたのきみ)という
人物が富裕に驕って餅を的にして弓矢を射ったところ、その餅は白い鳥に化して
山頂に飛び去った。
そして、その場所に稲が生ったので「稲生り」という神名になった。
それを知った伊呂具はその場所に行き過去の過ちを悔い、神社の木を
根ごと抜いて屋敷に植えそれを祀り氏神とした」
その故事が稲荷神社のはじまりと伝えられています。

その後、食物、農業の神様として全国に広まり、さらに商業、漁業、屋敷の
守護神ともなり現在に至っていますが、面白いことに、江戸時代に芝居の神にも
なり、芝居小屋の楽屋裏に稲荷明神の祭壇が置かれ、現在の歌舞伎座の正面脇にも
稲荷大明神が鎮座まします。

3万2千の稲荷神社の総本社は京都の伏見稲荷大社で白狐がシンボル。
神前に稲荷寿司を供えるのは米俵を模したもので、肉食の狐が油揚げを
好むわけではないそうです

「秋の火や 山は狐の 嫁入り雨 」 小林一茶


都が平安京に遷されると、この地を地盤にしていた秦氏の力はさらに強くなり、
東寺建造の際に稲荷山から木材を提供したことで稲荷神は東寺の守護神と
みなされるようになります。
東寺では真言密教における茶枳尼天(だきにてん:インドの悪神ダーキニー)と
習合させたため、真言宗が全国に広まると狐は祟り神の側面も持つようになり、
狐は人を化かすという迷信が生まれ、狐火、狐の嫁入りなどが登場します。
一茶の句の嫁入り雨とは天気雨のことで、狐火は農作物に不可欠なリン類の
発光と考えられているそうです。

なお、現在、新潟県東蒲郡郡、三重県四日市など各地で観光イベントとして
狐の嫁入り行列が行われています。

「 銀の尾の 冬毛の狐 あゆみいる
   遥かなる野を おもふ風の夜 」  小島ゆかり


    銀狐と黒狐の毛で作られた襟巻は高級品で寒い所に棲むものほど優良な毛の
    持主とされています。
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by uqrx74fd | 2015-03-12 20:26 | 動物

万葉集その五百十八 (ネコヤナギ)

( ネコヤナギ 市川市万葉植物園 )
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( 赤い爪のよう  同上 )
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( 飛び出したものの寒そう  赤い帽子と襟巻みたい  同上)
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( ピンク色が映える  同上 )
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( 暖かそう、 猫の尾のよう  月ヶ瀬梅林  奈良県 )
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( 梅と一緒に咲きました  青梅市 )
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( 花芽が飛び出した  千葉県成東 )
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早春、水辺で光沢のある銀白色の絹毛が密生した花穂をふくらませるネコヤナギは
猫の尾に似ているところからその名があり、古くは川楊(かはやなぎ)とよばれていました。
「楊」は木の枝が立っていることを意味し「柳」と書くと枝が下へ垂れている「しだれ柳」。
この使い分けは厳密に区分されているわけではありませんが、共にヤナギ科の落葉低木です。

芽は赤く、暖かくなるにつれて先端が割れて白銀色の花穂が顔をだすと
まるで赤い帽子をかぶっているように見えて微笑ましく、
「ようやく春が来ました」と呟いているようです。

「 山の際(ま)の 雪は消(け)ずあるを みなぎらふ
    川の沿(そ)ひには 萌えにけるかも 」 
                                巻10-1849 作者未詳

( 山あいの雪はまだ消え残っているのに
     水があふれ流れている川のそばで 川楊が早々と芽を吹き出しましたよ)

この歌は「柳を詠む」と題されている4首のうちの1首。
「川の沿い」と詠まれているので川楊と確認できます。

「みなぎらふ」は「漲(みなぎる)の継続体で、山の雪が融けて水かさが満々と
なって流れている様子を詠っており
「 雪が融けて 川となって 山を下り 谷を走る」(おヽ牧場はみどり)を
口遊(くちづさ)みたくなるような早春の浮き浮きした雰囲気を醸し出している一首です。

「 霰(あられ)降り 遠江(とほつあふみ)の 吾跡川楊(あとかはやなぎ)
     刈れども またも生ふといふ 吾跡川楊 」
                            巻7-1293 柿本人麻呂歌集 (既出)

( 霰が降る中で吾跡川の川楊よ。
  刈っても刈ってもあとからすぐすぐ生えてくる吾跡川の楊よ )

この歌は旋頭歌といい五七七 五七七調の変則形。
楊の生長と再生力を詠いながら恋心がしきりに湧いて止められないことを
例えた歌ですが民謡のような明るい雰囲気を持っています。

「霰降り」はあられが板屋根などに打ちつけてトホトホと音を立てるというので
遠江に掛かる枕詞とされ、また、霰(あられ)の原文表示が「丸雪」、
これを「あられ」と訓ませる作者のユーモアセンスたっぷりの歌です。

なお、「遠江(とほつあふみ)」は都から遠い淡海(あはうみ)ということで浜名湖をさし、
逆に近い淡海、すなわち琵琶湖は近江と書き、あはうみ→あふみ→おうみ と
転訛しました。
吾跡川(あとかは)は浜名湖の北側を流れる現在の跡川です。

ネコヤナギの青々としていた枝は冬の厳しい寒さに耐えて鍛えられ、しなやかに、
そして、強靭になり臙脂色に変化します。
その樹皮を乾かしたものを煎じて飲むと扁桃炎や風邪、リウマチの発熱に効あるそうです。

柳はその旺盛な生命力から悪霊を追い払う植物とされ、昔から建物の外側に植えられて
きましたが、形を変えても人間を守ってくれているのですね。

新春を彩る活花としても欠くことが出来ないネコヤナギ。
これからも春告げ花として愛され詠い続けられることでしょう。

「 霧雨のこまかにかかる猫柳 
      つくづく見れば  春たけにけり 」 北原白秋

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by uqrx74fd | 2015-03-05 17:10 | 植物