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万葉集その五百二十五 ( 散る桜 )

( 寒緋桜の花筏   横浜 山手11番館の近くで )
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(  同上 )
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( 玄賓庵の砂庭に散り敷かれた桜の花びら  山の辺の道 奈良 )
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(  醍醐寺  京都 )
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(  同上 )
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(  同上 可憐なスミレが美しい )
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(  八重桜の絨毯   高千穂神社 佐倉市 )
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(  つつじの上に散った桜  同上 )
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( 千鳥ケ淵  東京 )
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(  同上 )
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(  同上 )
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「 空をゆく 一とかたまりの 花吹雪 」    高野素十

数年前のことです。
石仏で有名な般若寺を参拝した後、奈良坂から佐保丘陵を横切るような形で
佐保路、平城京跡へ向かいました。
丘の麓に佐保川が流れ、遠い昔、大伴旅人の邸宅があったと伝えられているところです。

好天に恵まれ、紺碧の空。
杉木立が続く細い道を通り抜けるとやがて桜並木。
山桜の大木が「にほふがごとく 今盛りなり」と咲き誇っています。
あまりの見事さにしばし立ち止まって見上げていると、突然一陣の強い風が吹き起こり、
花びらが舞い上がりました。

あっという間もなく次から次へと散ってゆく。
まるで雪が降りそそいでいるような花吹雪です。
時折、地面に届きそうになった花びらが下からの風にあおられて再び舞い上がり
思いきり高く飛んでゆく。
驚き、その美しさに感動し、ただただ呆然と見惚れるのみでした。

満開の桜は見事だが、舞い落ちながら散り敷く桜はさらに美しい。
西行は昼間のこのような光景を夢にまで見て次のように詠っています。

  「 春風の 花を散らすと 見る夢は
         さめても胸の さわぐなりけり 」     西行   山家集

私が歩いてきた佐保丘陵は昔、桜の名所であったらしく万葉集に次のような歌が
残されています。
    
「 阿保山の 桜の花は 今日(けふ)もかも
     散り乱(まが)ふらむ  見る人なしに 」 
                         巻10-1867 作者未詳

( 阿保山の桜の花は 今日もまたいたずらに散り乱れているだろうか。
 見る人もいないままに )

作者は昨日見た桜の花びらの乱舞が目に焼き付いていたのでしょうか。

「 散る桜の美しさを愛でる人がいないのは惜しいなぁ。
  自分も見たかったのに今日行けないのが残念だ 」

阿保山は奈良市の西北の丘稜、在原業平ゆかりの不退寺の裏山とされていますが、
その近くに光明皇后が晩年住んでいたとされる法華寺や磐姫皇后の御陵もあり
少し足をのばすと平城京跡です。

「 花びらの 山を動かす さくらかな 」   酒井抱一


満開の花、風が吹くたびにひらひら散るはなびら。 
山全体が揺れ動くような酔い心地。

散る桜を愛でる万葉人。
そこには後世に見られる命のはかなさを詠う無常観は微塵もみられません
古代の人にとって精一杯咲き、散るべき時に散る桜は命の再生と農作物の豊穣を
予祝するめでたきものでした。

以下は栗田勇さんのお話です。

『 どんな花でも散りますが、なぜ散る桜なのか。
  満開で強風の時でさえも1枚の花びらが散らないのに、突然わずかな風に
  舞い上がって桜吹雪になっている。
  とことんまで咲ききって、ある時期が来たら一瞬にして、一斉に思い切って散ってゆく。

  こうした生ききって身を捨てるという散り際のよさが、日本人にはこたえられないのではないでしょうか。
  そこに人生を重ねて見るんですね。
  静かに散るのではなく、花吹雪となって散るという生き生きとした
  エネルギーさえも桜から感じられるのです。

  散ると言っても、衰えてボタンと落ちるのではないのです。
  むしろ散ることによって、次の生命が春になったらまた姿をあらわす、
  私は生命の交代という深い意味でのエロティシズムの極地のようなものが
  そこに見えるのではないかといいう気がします。 』

                                     ( 花を旅する 岩波新書 )

    「花吹雪 浴びてしづかに 昂奮し」 神田敏子
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by uqrx74fd | 2015-04-23 21:06 | 植物

万葉集その五百二十四 (奈良の飛鳥散歩)

( 浮見堂から奈良ホテルを臨む  ホテル左手の小山に瑜伽神社(ゆうがじんじゃ)がある)
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( 浮見堂  奈良公園 )
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( 春日野の朝  後方は御蓋山:みかさやま   浮見堂のすぐ近く )
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(  瑜伽神社:ゆうがじんじゃ  飛鳥から遷された)
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(  同上 )
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(  元興寺  飛鳥から移建  元法興寺、飛鳥寺 )
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(  元興寺極楽房   屋根瓦は我が国最古のものとされている )
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(  元興寺の石仏  秋は境内に萩、桔梗が咲き乱れる )
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(  元興寺の門前町として栄えた奈良町 )
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( 同上 庚申堂 )
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(  昔のたたずまいを残す奈良町 )
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春日大社参道、一の鳥居から本殿に向かう途中、右側の小高い丘を登ると
池の中に立つ優雅な建物、浮見堂が真下に現れます。
東に春日山、御蓋山、高円山、西に小高い林に囲まれた奈良ホテル。
春は桜、夏、百日紅、秋、紅葉が映え奈良公園の中でも特に美しい場所です。

その浮見堂の池端を辿りながら高台に続く坂道を歩いてゆくと、やがて
奈良十六景に選ばれている桜と紅葉の名所、瑜伽山(ゆうがやま)の頂上へ。
歩いて10分足らず、山とはいえない丘の上ですが見晴らしがよいところです。

「 春はまた 花に訪ひこむ 瑜伽(ゆうが)の山
    けふの もみじの かへさ惜しみて 」   
                            藤原良材(よしき) (江戸時代の奈良奉行)

訪ひこむ:訪ひ来む:訪ねよう
かへさ:帰さ:帰るのは

( 今日の瑜伽の山の紅葉は格別に見事なことだなぁ。
  何時までも見ていたいものだ。
  帰るのは惜しいが、日も暮れてきた。
  春にまた桜を見にこよう )

夕日に映える紅葉の美しさに立ち去りかねている作者。
当時は春秋の行楽地であったらしく、打ち揃っての酒宴も催されたことでしょう。

この山の中腹あたりに朱の色も鮮やかな瑜伽神社(ゆうがじんじゃ)が鎮座まします。
上古、飛鳥京の鎮守として祀られていたのを平城遷都とともに遷された社で、
祭神は宇迦御魂大神(うがの みたまの おほかみ)、万物の豊穣をもたらす神様です。

  「 大屋根の 甍美し 元興寺 」 筆者
  
710年、都が藤原京から平城京に遷されたのに伴い、明日香の寺々も続々と
移建されました。
百済大寺(のち大安寺)、山階寺:やましなてら(のち興福寺)、飛鳥寺(のち元興寺)、
薬師寺等々。
中でも元興寺は593年に飛鳥の地で蘇我馬子が創建、もと法興寺(のち飛鳥寺)と
いわれた寺で718年に平城京に移設される際、解体して資材をそのまま使用し、
東西220m、南北400mの大伽藍を誇っていたそうです。

高い建物がまだなかった時代、瑜伽山から大和三山や三輪山が臨まれ、
眼下に大寺院群。
さながら飛鳥の都がそのまま再現されたように見えたことでしょう。
人々はこのような景観を「奈良(平城)の飛鳥」とよんだのです。

「 故郷(ふるさと)の 明日香はあれど あをによし
    奈良の明日香を 見らくしよしも 」
                   巻6-992 大伴坂上郎女 元興寺の里を詠む歌一首(既出)

( 飛鳥寺が立つ故郷の明日香は思い出深くよいところであるが
      奈良の新しい都の飛鳥寺(元興寺)あたりを見るのもよいものだ。)

作者は飛鳥から移され、今は元興寺とよばれる寺やその周辺を見るにつけ
故郷を懐かしく思い出していたようです。
再利用された大屋根の甍を見上げるたびに飛鳥寺のたたずまい、美しい野山や川が
脳裏に蘇ってきたことでしょう。

坂上郎女の歌は瑜伽神社の本殿の脇の歌碑に刻まれ、今もなお遥か彼方の
飛鳥を偲んでいるようです。(現存の飛鳥寺は当時のものが一部残されたもの)

瑜伽神社の石段を下り、奈良ホテルの脇道から奈良町界隈に出ます。
ここは平安時代、元興寺の門前町として栄えたところで、現在も
伝統の墨、筆、麻、漢方薬、酒、和菓子などを扱う格子造りの店の古い街並みが
残されており、庚申さんとよばれるお猿さんの厄除けのお守りが家々の軒下に
ぶら下がっています。
このお猿さんは厄災の身代わりになってくれることから「身代わり猿」あるいは
願い事をかなえてくれることから「願い猿」ともよばれているとか。

近年は若者向けのカフエや土産物屋なども多くなり、なかなかの賑わい。
その中の一角に元興寺がありますが大部分は火事などで焼失し、
今は極楽房とよばれる仮本堂のほか少しの建物を残すのみです。
幸い瓦は創建当時のものがそのまま残っており、その重厚なたたずまいは往古の
面影を偲ばせてくれています。

「 白玉は 人に知らえず 知らずともよし
  知らずとも 我れし知れらば
  知らずともよし」
                     巻6-1018 元興寺の僧 
                      (旋頭歌:577、577を基調とする) 既出

( 白玉、すなわち自分の真価を人は知らない。
  しかし知らなくてもよい。 
  人が知らなくても自分さえ知っていたらそれでよい。 )

 この歌の前書きに「738年、元興寺の僧が自身を嘆いた歌」とあります。

 朝廷の手厚い保護を受けた元興寺。
 数ある名刹のなかでもエリートの集まりです。
 この歌を詠んだ僧は博識で修行も十分受けた人物ながら一癖もふた癖もあったので
 上層部から認められず、もやもやした気持だったのでしょうか。
 「知られなくてもよい」といいながら、諦めても諦め切れない無念さ。
 情実が入り込むはずがない実力主義の寺といえども、
 現実には「えこひいき」があり、要領のよい僧が取り立てられていたことが伺われ、
 現在でも通用しそうな一首です。

 墨の老舗「古梅園」まで ぶら歩きすると奈良町界隈の散策は御終い。
 あたりは夕闇が漂いはじめ、今宵は朧月夜です。
 さてさて、まず近くのお好み焼き屋さんで渇いた喉をビールでうるおし、
 腹ごしらえしてから夜桜を楽しむことに致しましょうか。

   「 奈良町の 墨屋にゆれる 魔除け猿 」  筆者
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by uqrx74fd | 2015-04-17 06:39 | 万葉の旅

万葉集その五百二十三 花紀行 (曽我川、藤原京跡)

( 曽我川の桜  今日は雨  奈良県橿原市 ) 
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(  同上   晴れた日に )
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(  にほふがごとく今盛りなり  同上 )
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(  河俣神社から畝傍山を臨む  同上 )
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( 藤原京跡の近くから耳成山を臨む 奈良県 )
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(  桜と菜の花が美しい  同上 )
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(  左から香久山、畝傍山、耳成山  大美和の杜から  山の辺の道 )
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( 左 耳成山 右 香久山  甘樫の丘  飛鳥 )
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( 河俣神社  曽我川沿い )
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(  金剛葛城山脈  曽我川の近くから )
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近鉄南大阪線、橿原神宮から2つ目、坊城駅で下車、ここから北に向かうと
僅か5分足らずで曽我川の前に出ます。
両岸は約2㎞以上続く美しい桜並木。
この辺りは昔、雲梯(うなて)の杜とよばれ、万葉集で「鷲が棲む」と詠われていた
ところですが、今はその面影はなく、住宅が立ち並ぶ中こんもりと茂った木立に
囲まれた河俣神社にその名残をとどめているのみです。

このようなところへわざわざ花見?
実は、観光客は勿論のこと地元の奈良の人にもほとんど知られていない
絶好の穴場なのです。

川沿いの桜並木は全国各地で多く見られますが、どこもかしこも人、人、ひと。
ところがここは、不思議にも人がほとんどいなく、たまに釣りする人を見かけるのみ。
存分に美しい風景を堪能できます。

延々と桜が続く道端には菜の花、れんげ、すみれ、タンポポが咲き乱れ、
川には大きな鯉や亀が悠々を泳いでいる。
遠くに金剛葛城連山、近くは畝傍山。
まるで桃源郷に迷い込んだような気分になります。

今日はあいにくの雨。
時折強風が吹き過ぎますが、桜はしなるように揺れるだけで花びらはほとんど散りません。
まだ、満開になったばかりなのでしょう。
あぁ、美しい!!

この桜が吹雪となって舞い上がる瞬間を想像すると心が躍りますが、まだまだ
楽しませて欲しいと願う心境は万葉人も同じだったようです。

「 春雨は いたくな降りそ 桜花
    いまだ見なくに 散らまく惜しも 」
                         巻10-1870 作者未詳


( 春雨よ ひどくは降るな
 桜の花をまだよく見ていないのに、散らしてしまうのは惜しいのでな )

眼前に流れる曽我川も万葉集で1首、恋の歌が詠われています。

「 ま菅(すが)よし 曽我の川原(かはら)に 鳴く千鳥
      間なし わが背子 我(あ)が恋ふらくは 」 
                        巻12-3087 作者未詳(既出)


( 菅(すが)が多く生えている曽我(そが)の川原、
  その川原で絶え間なく鳴いている千鳥のように、
  私の貴方に対する恋心はやむこともなく燃え上がっています )

菅(すが)は「すげ」ともよばれるカヤツリ草科の多年草で蓑や笠などの材料になる
生活に欠かせない植物です。
マスガ、「間なし(マナシ)」と「マ」を重ね、さらにスガ、ソガ、アガと「ガ」を
繰り返して軽快なリズムを奏でています。

当時、曽我川に桜並木はなく、菅が生い茂る川原だったのですね。
美しい乙女が畝傍山を眺め、千鳥の鳴き声を聴きながらうっとりとしている姿が
目に浮かぶようです。

「 畝傍山 香久山つなぐ 桜かな 」  筆者

桜並木の下をゆっくりと通り過ぎながら藤原京跡の方へ。
春雨を身に受けている桜は心なしか頭を垂れているように見え、
これもまた風情があります。

藤原宮跡から眺める大和三山は靄(もや)で煙っており、いかにも春らしい。
香久山に咲く桜が白く見え

「 春過ぎて 夏来(きた)るらし 白袴(しろたへ)の
      衣干したり 天の香久山 」    
                          巻1-28  持統天皇(既出)

の歌を思い起こさせます。
持統女帝もこの辺りから香具山をご覧になっていたのでしょうか。

目を転じて畝傍山、耳成山を眺めると、まず思い浮かべるのは
有名な大和三山妻争いの歌です。

「 香具山は 畝傍惜(を)しと 耳成と 相争ひき
  神代より かくにあるらし
  いにしへも  しかにあれこそ
  うつせみも 妻を 争ふらしき 」 
                  巻1-13 中大兄皇子(後の天智天皇 既出)

( 香久山は畝傍を手放すのが惜しいと耳成と争った。
どうやら神代の頃からこんなふうであったらしい。
だからこそ、今の世の人も妻をとりあって争うのであろう。)

三つの山を恋争いに見立てるとは!
ロマンティックな古代の皇子よ。

藤原京跡地後方の桜並木を通り抜けると一面に広がる菜の花畑。
桜、菜の花のピンクと黄色の競演が素晴らしく、遠くに霞む耳成山も美しい。

大和三山は、それぞれほぼ正三角形頂点の位置にあり神様が創造された芸術品、
しかも、見る角度により形が違います。

小林秀雄は 「 大和三山が美しい。
それはどのような歴史の設計図をもってしても
要約出来ぬ美しさのようにみえる 」   ( 蘇我馬子の墓)

と語っていますが、言葉もなく、ただただ見惚れるばかりでした。

「 ふり返り 見て花の道 花の中 」 稲畑汀子


  ご参照    万葉集遊楽 473 「雲梯(うなて)の杜」
           同   386 「大和三山妻争い」
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by uqrx74fd | 2015-04-10 06:45 | 万葉の旅

万葉集その五百二十二 (恋桜)

(千鳥ヶ淵  東京 )
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( 新宿御苑  同上 )
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(  同上 )
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( 高千穂神社   千葉県佐倉市  万葉時代、桜とつつじは美しい乙女に譬えられた)
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( 飛鳥  奈良県 )
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( 大美和の杜  同上 )
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(  二月堂参道の脇で  同上 )
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(  氷室神社  同上 )
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( 醍醐寺  京都 )
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万葉集で「恋」は原文でしばしば「孤悲」という字があてられており、
「 好きな人と離れていて、独り悲しむ気持 」を表したものとされています。

逢い引きは男が女のもとに通うという暗黙のルールがあった時代、
離れて暮らす二人の意思疎通をはかる手段は歌のやりとりしかなく、
それも人に託さなければなりません。

返事を待つだけでも もどかしいのに、男の訪れが間遠くなると
「心変わりしたのかしら?」「 好きな女が他に出来た?」と不安がよぎり一人
悶々とすることになります。
ましてや遠国へ旅立った男を待つ女性は、ただただ「孤悲」するのみだったことでしょう。

万葉集に
「 その昔、妻子ある男が美貌の女性に惚れて結ばれ、愛し合いながらも
桜の盛りと共に泣く泣く別れて遠くへ行った」
という美しくも哀しい孤悲の歌があります。

男の名は石川大夫(いしかはの まへつきみ)、都から播磨守として派遣された
エリート官人です。
当時、地方勤務は単身赴任が習い、しかも役所は早朝から昼までという気楽なもの。
娯楽が少ない時代、読書か散歩、魚釣りなどで日中を過ごすにしても、
男盛りのことゆえ夜の無聊をもてあますのはいたし方ありません。

退屈な日が続いたある日、待ちに待った花見の宴が催されました。
胸を弾ませながら出席してみると、嬉しや! 
数人の美女がいるではありませんか。

賑やかな歌舞音曲を楽しむこと暫時。
隣に座った女性との会話が弾み、男はたちまち心引かれます。
相手は遊行女婦とよばれていた貴族や、高級官吏の席に侍る教養ある美貌の女性です。

一夜の軽い気持ちが、ねんごろになり逢瀬を重ねるにつれ、とうとう互いに
深く愛するようになってしまいました。

さぁ、大変!
妻子持ちと知りつつ男に魅かれた女。
「もし、彼が都に戻ることがあったらどうしょう」と不安が頭によぎりますが、
ともかくも幸せ一杯の日々を送る二人は夫婦同然となってしまいました。

時は巡りいつしか5年後の桜の季節に。
突然、男の許に都への転勤命令が届きました。
兵部大輔! 栄転です。
一生、地方暮しと思っていたのに「まさか!」と驚き、呆然自失する二人。

然しながら宮仕えの身ゆえ拒否する訳にはまいりません。
女は健気にも「かねてからこの日が来るものと覚悟していました」と涙ながらに
身を引く決心をいたします。

いよいよ、あす出立という日、二人は最後の契りを結び別れを惜しみました。

「 絶等寸(たゆらき)の 山の峰(を)の上(へ)の 桜花
           咲かむ春へは 君を偲(しの)はむ 」
                          巻9-1776 播磨娘子(はりまの をとめ)

( 絶等寸(たゆらき)の山の峰あたりの桜花。
これからは、その花が咲く頃、いつもいつもあの桜をあなたと思って
偲ぶことになりましょう。 )

絶等寸(たゆらき)の山は所在不明ですが、兵庫県姫路市東方の丘陵か。
「咲かむ春へは」は「咲かむ春べは」の訓もあり「桜咲く春になると」の意。

共に過ごした楽しい日々の思い出。
再び逢うことが叶わない今生の別れ。
満開の桜を遠くに見やりながら詠う娘子(をとめ)の切々たる想いが胸を打ちます。

そして後朝の別れの時がきました。
娘子は乱れた髪を整え、身繕いをしながら詠います。

「 君なくは なぞ身 装(よそ)はむ 櫛笥(くしげ)なる
        黄楊(つげ)の小櫛も 取らむとも思はず 」
                         巻9-1777 同上(既出)

( あなた様がいらっしゃらなくて 何でこの身を飾りましょうか。
     櫛笥の中の黄楊の小櫛さえ、これからは手にとろうとは思いません )

「櫛笥」: 女性の化粧箱

「 あなたがおられたからこそ、私は少しでも美しくなろうと一生懸命
身づくろいしたのです。
それなのに、もう明日からいらっしゃらないのですね。
もう何をする気力もありませんわ」と

訴える心情がいじらしく、男も身を切られるような思いだったことでしょう。
ほのかな色気が漂い「もう一度抱きたい!」と思わせるような殺し文句です。

この女性に対する男の歌が残されていないのが残念!
何も言わずに、ただ、ただ抱きしめながら肯くのみだったのでしょうか。

いよいよ出立。
花道を振り返り、振り返り、泣き崩れる女を見やる男。

桜の花びらが空を舞う。
地に散り敷いた花絨毯を踏みしめながら、ゆっくり、ゆっくりと歩む。

突如、愛する女が手向けに奏でる琴の音が。
名曲「越天楽」。
天にも届けと鳴り響く。

男はやがて曲がり角にさしかかり、妙なる調べを背にして
静かに消えてゆきました。

春爛漫、万葉歌舞伎「播磨娘子(おとめ)」の一幕でございます。

         「 山ざとの 人美しや 遅ざくら 」 維駒
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by uqrx74fd | 2015-04-04 20:31 | 心象