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万葉集その五百四十七 (山藍:やまあい)

( 山藍 奈良万葉植物園   花芽から白い小花が咲く )
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( 山藍染めの製作工程 西川康行著 万葉植物の技と心 求龍堂 )
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( 同上  藤色に染め上る )
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( 巫女の神事の時の衣装  白い衣に染められた山藍の模様  どんど焼き 奈良春日大社)
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( 同上  大神神社  )
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( 唐橋幻想  本稿の万葉歌をイメージ  堀 泰明 奈良万葉文化館所収 )
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(  小忌衣:おみごろも  yahoo画像検索  )
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( 徳島藍染   同上 )
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山藍はトウダイ草科の多年草で我国最古の染料とされています。
山地の木陰に群生し、3月から4月にかけて白緑色の小さな花を咲かせ、葉は常緑。
古代の人はその葉や根をすりつぶして出た汁を直接衣類に摺りつけて染めていました。

この植物は藍という名前がついているにもかかわらず、濃紺のインディゴという
色素を含まないため、淡い青緑や薄紫色にしか染まらなかったようですが
青々と茂る葉から染められた上品な色は神聖かつ目出度いものとされ、
白衣に花や鳥の模様を摺りつけた神事用の衣服、とりわけ天皇の大嘗会に
着用する小忌衣(おみごろも)に用いられ現代にまで脈々と継続されています。
 
次の歌は万葉集で唯一山藍。
若い女性も山藍染めの衣服を着ていたことを示すものです。

まずは訳文から

「 ここ 片足羽川(かたしは がわ)の 
 赤い丹塗りの大橋
 この橋の上を 紅に染めた美しい裳裾を長く引き
 山藍染めの薄青い着物を着て
 ただ一人渡って行く子

あの子は若々しい夫がいる身なのか
それとも橿の実のように 独り夜を過ごす身なのか。
妻問いに行きたい可愛い子だけれど
どこのお人か知りたいが その家が分からないことよ 」 
                               巻9-1742 高橋虫麻呂

「 しなでる 片足羽川(かたしはがわ)の 
  さ丹塗りの 大橋の上ゆ
  紅の 赤裳裾引き(あかもすそびき)き 
  山藍(やまあい)もち 摺れる衣(きぬ)着て
  ただひとり い渡らす子は
  若草の 夫(つま)かあるらむ
  橿(かし)の実の  ひとりか寝(ぬ)らむ
  問(と)はまくの 欲しき我妹(わぎも)が  家の知らなく 」
 
                                巻9-1742   高橋虫麻呂

語句解釈

「しなでる」 (級照る) 片足羽川の枕詞
               片のつく地名にかかる
               級(しな)とは坂、階段の意で
               重なるように日が照る、あるいは
               葛(くず:かたともいう)の葉が層をなして重なり日に照るの意とも。

「片足羽川」   大和川が竜田から河内へ流れ出たあたりの川

「橿の実の」   「ひとり」の枕詞 
           橿の実は一つの殻に実が一つしか入っていないことによる

裳裾は腰から下を被う衣服で現在の巻きスカートのようなもの。
紅の赤裳裾を引く女性の姿は当時の男性にとって官能をそそる魅力あるものでした。

朱塗りの大橋の上を一人行く美女に淡い憧れの情をよせる作者。
恐らく夕暮れのひとときなのでしょう。
茜色の夕焼け、朱色の橋、紅色の裳裾に山藍染の衣。

想像するだけでも色彩感豊かな情景が目に浮かびます。
ロマンティックな雰囲気の中にも作者の孤愁が漂う虫麻呂独特の世界です。

反歌

「 大橋の 頭(つめ)に家あらば ま悲しく
              ひとり行く子に やど貸さましを 」 
                                  巻9-1743 高橋虫麻呂


( 大橋のたもとに私の家があったら 
  わびしげに行くあの子に 宿を貸してあげたいのだがなぁ )

   「 頭(つめ) 」 端(つま)と同根の言葉。 ここでは「橋のたもと」

   「 ま悲しく 」  「わびしそうに」の意であるが 悲しは「愛(かな)し」で
             「いとおしい」気持ちが含まれる。

当時河内は渡来人が多く住む先進文化の地で、丹塗りの大橋が掛かるところは高級住宅街。
麗しき女性は上流階級の子女だったのでしょうか。
家の所在が分かれば求婚をしたいという作者の気持ちが籠ります。

「 石根山(いわねやま) やま藍(ゐ)にすれる 小忌衣(をみごろも)
      袂(たもと)ゆたかに 立つぞうれしき 」
            大江匡房(おおえまさふさ)  新千載和歌集

( 石根山で採った山藍で摺り染めた小忌衣
 そのあでやかな袂のように 満を持して皇位にお立ちになるめでたさよ )

石根山は滋賀県甲賀郡の岩根山

鳥羽天皇の大嘗会の席上での賀歌
大嘗会は天皇即位後初めて新穀を神に奉げる一代一回の極めて重要な祭りごとです。

「小忌衣」(おみごろも)とは白布に山藍の汁で草木や小鳥などの文様を描いて
摺りつけた狩衣に似た衣装で、現在、京都の石清水八幡宮で採れる山藍が
用いられ、京都の葵祭、奈良の春日大社の衣装にも使われているそうです。

「 ゆふだすき 千歳(ちとせ)をかけて あしびきの
   山藍の色は かはらざりけり 」   
                                賀歌 新古今和歌集


( 神事に奉仕するときに木綿襷(ゆふたすき)をかけて着る山藍摺りの衣の色は
 千歳にわたって変わらないなぁ )

神事の長さを詠うことによって、その神に守られている天皇を慶祝する意味を
籠めています。
染色法も摺り染めから、乾燥したものを搗き出して銅塩などの媒染剤を
用いたりして安定したものになっていたようです。

一方、純粋な藍染めは4~5世紀にかけて中国からタデ科のタデが渡来しており
その美しい色は多くの人々を魅了し、播磨、京都、摂津、和歌山ほか
各地で盛んに生産され、税としても貢納されました。

奈良時代には既に高度な染色技術が確立しており、衣服、料紙、経典など
様々なものに用いられ、正倉院御物にも色鮮やかな作品が残されています。

藍染が最盛期を迎えるのは木綿が安価に供給されるようになった江戸時代からで
特に徳島の阿波藍は全国の生産量の三分の一を占めたと云われています。

明治維新以降安価で色鮮やかなインド藍が輸入されるようになると
タデ藍の生産は大打撃をうけ、さらに1897年に始まったドイツのバイエル社による
合成インジゴの生産により、タデ、インド藍による染色は共に壊滅的な打撃を
受けました。

今日、安全志向が高まる中、再び天然染料が注目され、技術保存の努力もなされて、
徐々に生産復活の兆しが見えるようです。

    「 ふるさとや 今も名残の 藍植うる 」  清水良艸(りょうそう)
























 
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by uqrx74fd | 2015-09-26 21:09 | 植物

万葉集その五百四十六 (故郷:ふるさと)

( キバナコスモス咲く  耳成山  藤原京跡より )
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( オミナエシ咲く  畝傍山   同上 )
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( ススキの穂靡く  香久山  同上 )
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(  柿実る 飛鳥川  飛鳥 )
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( 野菊、コスモス咲く農家   同上 )
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( 彼岸花咲く棚田   後方多武峰)
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(  同上   )
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(  甘樫の丘   飛鳥  ここから両親が晩年を過ごした家が見える 筆者第二の故郷)
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(  このような遊びもよくしました   東大寺の近くで )
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( 運動会は公園で   奈良公会堂前の広場 )
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( 鹿がよく家の中に入ってきました  奈良公園 )
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(  大仏池  筆者の故郷 ここから5~6分のところに住んでいました) 
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「故郷」(ふるさと)。
なんと心に優しく響く言葉なのでしょうか。

心に思い浮かべるは母なる大地。
それは、
たたなずく青垣。
清流で泳ぐメダカや小鮒。
暗闇に飛び交う蛍がかもしだす幻想の世界。
オニヤンマや赤トンボがスイスイ飛び、蝶が舞う。

悪さして叱ってくれた父母の思い出。
そして、甘くてほろ苦い初恋の味。

新明解語源辞典によると
「故郷:ふるさと」
『 生まれ育った土地、昔馴染みの土地。
  「ふる」は時間がたつの意の「ふる(経)」、
  「さと」は家々が多く集まったところ。
万葉集には仮名書きの例はないが、「古郷」「故郷」を「ふるさと」と訓み、
なにか事のあったところ、馴れ親しんできたところ、
一族が住んできたところ等の意味に用いられた。』  とあります。

「 心ゆも 我(あ)は思はずき またさらに
          わが故郷(ふるさと)に 帰り来(こ)むとは 」
                            巻4-609 笠郎女

                     
( またもや私が昔住んでいた里に帰ってこようなどとは
  ついぞ思ってもみませんでした。 )

大伴家持を熱愛し、片思いに終わった作者が心の痛みに堪えかねて故郷に
戻ったものの、未練を断ち切れず、家持に贈った歌です。
傷心の彼女にとって心を癒す場所は、故郷しかなかったのでしょう。

私たちが折につけ歌うのは「うさぎ追いし かの山 」。
そこには日本人の郷愁がいっぱい詰め込まれているからなのでしょうか。

この歌をなぞりながら、万葉人は故郷をどのように詠ったのか
辿ってみたいと思います。
まずは一番です。

「 うさぎ追いし かの山
  小鮒つりし かの川 
  夢はいまもめぐりて  
  忘れがたき 故郷 」
             ( 故郷:ふるさと  高野辰之 作詞   岡野貞一 作曲)

続いて万葉人の「忘れがたき故郷」です。

「 清き瀬に 千鳥妻呼び 山の際(ま)に
         霞立つらむ   神(かむ)なびの里 」
                             巻7-1125 作者未詳


( 今ごろあの神なびの里、明日香は 
  清らかな川瀬で千鳥が妻を呼び立てて鳴き
  山あいには霞が立ちこめているであろうなぁ。 
  あぁ 懐かしい。)

詞書に「故郷を思ふ」とあり後に続く歌が明日香川なので、
この場所は飛鳥と判断できます。

「 浅茅原 つばらつばらに 物思(ものも)へば
     古りにし里し 思ほゆるかも 」 
                      巻3-333 大伴旅人(既出)


( 心ゆくまま物思いに耽っていると、昔住んでいた明日香、
 あの浅茅が一面に広がっていた我が故郷が懐かしく思われることよ )

都から遠く離れた九州大宰府に長官として赴任している旅人。
生まれ育った香具山に近い故郷を懐かしく思い出しながら、
茅(ちがや)の穂が野原一面に靡いている光景を思い浮かべています。

浅茅原は『あさぢ「はら」』、『つ「ばら」』と「はら」の同音を
繰り返し、リズムよく流れるような一首。

「つばらつばら」は「心ゆくままにしみじみと」
「古りにし里」は新都「奈良」に対する古き里、すなわち「明日香」。

さて「故郷」の二番。

「いかにいます父母
   つつがなしや 友がき
  雨に風につけても
   思いいずる 故郷 」
            友がき: 友垣 交わりを「垣根を結ぶ」に例えたもの。朋友。

同じように「いかにいます父母」と詠う万葉人。

「 父母が 頭(かしら)かき撫で 幸くあれて
     言ひし言葉(けとば)ぜ 忘れかねつる 」 
              巻20-4346 丈部稲麻呂(はせつかべの いなまろ) 駿河国防人

( 父さん、母さんが おれの頭をなでながら 達者でなと言ったあの言葉が
      忘れられないよ )

「 旅行(ゆ)きに  行くと知らずて 母父(あもしし)に
     言申(こともを)さずて  今ぞ悔しけ 」
                    巻20-4376 川上臣老(おみおゆ) 下野国防人 (栃木)

( こんな長旅に出るとも知らず、母さんや父さんに ろくに物も言わないで来て
  今になって悔やまれてならない )

「 高山の 嶺行くししの 友を多み
         袖振らず来ぬ  忘ると思ふな 」 
                              巻11-2493 作者未詳


(高山の嶺を群れてゆく猪のように、仲間がいっぱいいたので
 別れる時は袖も振らずにきてしまったが
 お前さんのことを忘れたとは思うなよ )

「 周りに仲間がいっぱいいたので、照れくさくて手も振れなかった。
  でもお前のことは1日たりとも忘れたことはなかったのだよ。」
  と恋人を思い出しながら心の中でつぶやく男。

さて、さて、いざ故郷に帰ろう

 「 こころざしを 果たして
   いつの日にか 帰らん
   山は青き 故郷
   川は清き 故郷  」 

「 わが命も 常にあらぬか 昔見し
    象(きさ)の小川を 行きて見むため 」  
                          巻3-332 大伴旅人(既出)

( あぁ、いついつまでも命を長らえたいものだ。
  昔見た象の小川へもう一度行って、あの清らかな流れを見るために )

人生50年の時代にあって旅人は当時65歳。
既に高齢の身、何としても生まれ育った明日香や、吉野を再び見たいと
執念を燃やしています。

象の小川は吉野山系の青根ヶ峰や水分神社の山あいに水源をもち、
喜佐谷の杉木立の中を流れる渓流。
宮滝で吉野川に流れこみます。

「 年月も いまだ経(へ)なくに 明日香川
           瀬々ゆ渡しし 石橋もなし 」
                       巻7-1126 作者未詳


( 年月はまだそれほど経っていないのに。
 明日香川のあちこちの川瀬に渡しておいた
 飛び石ももうなくなっているよ )

でも青い山々、清らかな川の流れは変わっていなかった。
暖かく迎えてくれた、わが故郷。

このように辿ってゆくと1300年前も今も人々の故郷に対する想い、心情は
全く同じといえましょう。

然しながら、故郷への思いは人さまざま。
暖かく迎えてくれる時ばかりではなく、冷たい仕打ちを
受けたこともありましょう。

石川県金沢、犀川の近くで生まれた室生犀星は21歳の時文人たらんと上京し
貧困のどん底の中で、喰い詰めると金沢に戻りましたが、周囲はその
落ちぶれた様子に冷ややかであったようです。

以下は「小景異情 その二」からです。

「 ふるさとは遠きにありて思ふもの
   そして悲しくうたふもの
   よしや
   うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても
   帰るところにあるまじや

   ひとり都の ゆふぐれに
   ふるさとおもひ 涙ぐむ
   そのこころもて
   遠きみやこに かへらばや
   遠きみやこに かへらばや  」
                     [小景異情‐その二] より

大岡信氏の解説です。

「 有名な詩句だが、これは遠方にあって故郷を思う詩ではない。
  上京した犀星が、志を得ず、郷里金沢との間を往復していた苦闘時代、
  帰郷した折に作った詩である。
  故郷は孤立無援の青年には懐かしく忘れがたい。
  それだけに、そこが冷ややかである時は胸にこたえて悲しい。
  その愛憎の複雑な思いを、感傷と反抗心をこめて歌っているのである。」

石川啄木も「煙」という歌集で

「 石をもて 追はるるごとく ふるさとを 
                 出でし かなしみ  消ゆる時なし 」


と詠っていますが、それでも故郷を想う気持ちは終生変わらなかったようです。

「 ふるさとに 入りて まず心痛むかな
          道広くなり 橋もあたらし  」

「 ほたる狩り  川にゆかむと いふ我を
        山路にさそふ  人にてありき 」

「ふるさとの  山に向ひて   言ふことなし
        ふるさとの山は ありがたきかな   」 「煙より」
   
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by uqrx74fd | 2015-09-17 15:15 | 生活

万葉集その五百四十五 (草の露白し)

( 草の露白し  学友 N.F さん提供 )
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( 露草 山の辺の道 奈良 )
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( 萩    同上  )
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(  薔薇  自宅 )
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( 桔梗  山の辺の道  奈良 )
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( 高砂百合   自宅近くで )
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(  馬酔木   正倉院 )
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(  駒ヶ岳 千畳敷カールで )
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(  芙蓉   自宅近くで )
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( 海棠桜   自宅 )
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( ミヤマオダマキ  礼文島 北海道 )
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( ヒオウギズイセン   自宅  )
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( ハマナス  知床  北海道 )
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季節には太陽暦の1年を4等分した春夏秋冬のほか24等分した二十四節季
72等分した七十二候があります。
「草の露白し」は七十二候の一つで、現在の9月7日~11日頃に
あたるそうです。  (二十四節季の白露は9月8日)

厳しかった夏の暑さが和らぎ、朝夕の涼しさが際立つころ、草に降りた露は
光を浴びて、さながらダイヤモンドのように美しく光り輝きます。
俳人、川端茅舎はこのような光景を凝縮し、

「 金剛の 露ひとつぶや 石の上 」    (川端茅舎)

と、大粒の露が石の上で燦然と光り輝いているさまを詠みました。
もろさの象徴、消えるべきものの代表である露に金剛(ダイヤモンド)の
強さを見出した意表をつく名句です。

万葉人も露の美しさを愛で、
「まるで真珠のようだ、糸につなぎたい」と優雅に詠っています。

「 我が宿の 尾花が上の白露を 
              消(け)たずて玉に 貫くものにもが 」 
                            巻8-1572 大伴家持


( 我が家の庭の尾花の上の白露 この見事な白露を
 消さずに 玉として通せたらよいのに )

消たずて : 消さないで
貫くものにもが:「もが」は実現不可能なことへの願望

「 秋萩に 置ける白露 朝な朝な
        玉としぞ見る 置ける白露 」 
                         巻10-2168 作者未詳


( 秋萩に置いている白露 その白露を毎朝毎朝玉だと思って見てしまう。 
その美しい白露を。)
古代の人達は露や時雨は紅葉を促すものと考えていました。
秋の深まりと共に大地が急速に冷え、日中の寒暖差が大きくなるほど色鮮やかな紅葉。
間もなく紅葉狩りの季節が近づいてまいります。

「 九月(ながつき)の 白露負ひて あしひきの
              山の もみたむ 見まくしもよし」 
                       巻10-2200 作者未詳



( 9月の白露を浴びて 山々が一面に色づく。
 その様をもうすぐ見ることができるなぁ。
 心楽しく待ちどうしいことよ )

白露負ひて: 一面に露浴びて
もみたむ:揉むように色づく 
見まくしもよし: 「しも」は強調 見ようの意を強めたもの

「 白露に 鏡のごとき 御空かな 」 川端茅舎

露は晴天の風のない夜に多く、早朝に目覚めて外に出ると、草一面の露。

「 朝戸開けて 物思ふ時に白露の
           置ける秋萩 見えつつもとな 」
                          巻8-1579  文忌寸馬養(あやのいみき うまかひ)


( 朝起きて戸をあけ 物思いに耽っているときに
  白露の置いている秋萩 その あはれな風情が目について
  しかたがありません )

見えつつもとな: 露を置いた萩を見ると物思いがつのるばかりなので
見まいとするが、あまりの美しさについつい見てしまうの意

対馬からの遠来の客を迎えて橘諸兄邸での宴席での歌。

恋煩いなのか、床の中でぼんやりと物思いに耽っている。
思い切って起き、戸を開けるとひんやりとした空気が心地よく入ってきた。
庭の秋萩は満開、夜の冷気を存分に吸った美しい白玉がキラキラと輝いている。
「露はすぐ消えるので儚い、我が恋も」と一瞬頭をよぎるが、あまりの美しさに
見惚れてしまい、「これではますます物思いが募るなぁ」と呟く作者。

日が上るとあっという間に消える儚い命は恋の歌の絶好の材料です。

「夕(ゆうへ)置きて 朝(あした)は消(け)ぬる白露の
               消ぬべき恋も 我(あ)れはするかも 」
                          巻12-3039  作者未詳


( 夕方に置いて朝には消えてしまう白露
 そんなはかない白露のように 私は身も消え果ててしまいそうな
 切ない恋をしています )

「 夕月夜(ゆうづくよ) 心もしのに 白露の
     置くこの庭に こおろぎ鳴くも 」 
                         巻8の1552 湯原王(既出)


作者の湯原王(ゆはらのおおきみ)は天智天皇の曾孫、父は志貴皇子。
親子共に気品のある秀歌を多く残しています。

「心もしのに」とは心も萎れてしまうばかりにの意。
心情の世界と夕月夜、白露、こおろぎ、という自然の景とを融合させ
染み入るような寂寥感をうちだしています。

佐々木信綱氏は
「 情緒細やかにして玲瓏たる歌調、風韻豊かな作である。
  作者の感じた秋のあわれは千年の時の隔たりを超えて今日の読者の
  胸臆(きょうおく)にもそっくりそのまま流れて沁みこむ思いがする」

と絶賛されている万葉屈指の名歌です。

万葉集での露は115余首。
白露のほか暁露(あかときつゆ)、朝露、夕露、露霜、露の白玉、露の風、
など様々な表現で詠われていますが、いつ、どこでも見られるありきたりの
小さな自然現象にもかかわらず、その中に美を見出した古代の人達の
繊細な感覚にはただただ驚くばかりです。
その伝統は今なお引き継がれ、露は秋の季語として欠かせない存在に
なっております。

「 芋の露 連山影を 正しうす 」 飯田蛇笏

里芋の葉に露が宿り、その一粒一粒に山々が影を宿している。
小さい中の大きな世界。
作者一代の名句です。
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by uqrx74fd | 2015-09-10 22:21 | 自然

万葉集その五百四十四 (滝のほとりで)

( オシンコシンの滝  北海道 知床 )
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(  同上 )
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( 蜻蛉:せいれいの滝  奈良県吉野 )
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( 吉野山から宮滝への山道  奈良県 )
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( 西行ゆかりの石清水   奈良県吉野 )
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( 石清水  京都 天龍寺 )
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( 石清水からの遣り水  京都 祇王寺 )
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(  湧水   同上 )
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(  忍野八海  山梨県 )
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(  歌垣  奈良万葉文化会館 )
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( 天皇の菅笠:御菅蓋:おかんがい  大嘗祭の折 御所内の移動で用いられる
                         侍従が後ろから差し掛ける  京都御所 )
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昔々、「押垂小野(おしたれ おの)」とよばれる小さな村がありました。
所在は不明ですが九州の一田舎だったようです。

山懐の滝から美しい水が流れ落ちて川に注ぎ、夏は冷たく、冬は暖かい。
湧水もあり、手ですくって飲むと、それはもう天の雫かと思われるような美味さ、
酒が造れるほどの良質な水です。
周囲に緑豊かな木々。
季節の草花が美しく咲き、村人たちは四季折々祭りや祝い事がある都度、
川のほとりに集まり、歌えや踊れやの楽しいひとときを過ごしていました。

ある日のことです。
日頃から憎からず思っている男と女が出会いました。
男は次のように詠います。(まずは訳文からです)

男: 
   ( ここ押垂小野(おしたれおの)から湧きだす水は
    格別に美味い酒を造る水
    生ぬるくなく
    ひんやりと冷たく 心にしみて爽やかだ
    その、しみる心は お前さんへの想い。
    どうかな、人気のないところで逢いたいものだなぁ。)     巻16-3875
 
「 こと酒を 押垂小野(おしたれ おの) ゆ
  出づる水  ぬるくは出でず
  寒水(さむみず)の 心もけやに 思ほゆる
  音の少なき 道に逢はぬかも 」    
                              巻16-3875 前半 作者未詳


「こと酒」:  殊酒で格別に美味い酒
「清酒(すみさけ)は圧して搾り垂れるものであるから
押垂に掛かる枕詞に用いられた。」 (松岡静雄)

「押垂小野」:  所在不明なるも滝がある場所と思われる
          歌の前後の関係から九州の一田舎と推定(伊藤博)
「心も けやに」:  (冷たい水のように) 心も爽やかに感じられる
「音の少なき」: 人声の少ない  人気がない

女:
  ( 人気の少ない道で お逢いしたいのは私も同じ。
    でも、愛のしるしとして お前さんの色美しい菅小笠と
    私の首にかけている大切な七連の玉飾りと
    とり替えっこいたしましょうよ。
    それから後、誰もいないところでお逢いいたしましょうか )   巻16-3875

「 少なきよ 道に逢はさば 
   色げせる 菅笠小笠(すがかさ をがさ)
   我がうなげる 玉の七つ緒
   取り替へも 申(まを)さむものを
   少なき  道に逢はぬかも 」  
                      巻16-3875 後半 作者未詳


色げせる:  色を付けている
我がうなげる: 私の首にかけている 「うな」は頸
玉の七つ緒 : 玉をつけた幾条もの緒 首飾り

さてさて、この掛け合いは何を意味するのでしょうか。
人気のない所で逢いたいのは、お互いに愛を交わしたいから。
当時は野原での共寝は珍しいことではありませんが、
そうかと云って人目があると困る。

しかし、女が詠う
「男の色華やかな菅小笠と自分の七連の玉を交換してからね」が
良く分からない。
お互い大切なものを交換し、浮気ではなく結婚の約束の証とする?
あるいは、男の色菅小笠は他の女を意味し、「その女と縁を切ってからね」と
やんわりはぐらかした?

いずれとも解釈できますが、伊藤博氏は
「この歌は酒宴の席の出し物で、男女身振りおかしく掛け合い寸劇を演じたのではないか」
と推定されています。

実景でも差し支えないように思われるこの長歌は、小さな田舎村の
青春の恋の一コマであると共に、「美味い酒、清酒は 佳き水から」という
酒造りの基本的な知識を地方の庶民が既に知っていたことを教えてくれている
貴重な資料でもあるのです。

「 緑わく 夏山蔭の 泉かな 」      蓼太(りょうた) 江戸中期の俳人
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by uqrx74fd | 2015-09-03 17:09 | 生活