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万葉集その五百六十 (十両:ヤブコウジ)

( 十両:ヤブコウジ 市川万葉植物園  千葉県 )
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(  同  六義園  東京都 )
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( ツルヤブコウジ 横に伸びる珍しい品種  奈良万葉植物園 )
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( 千両 黄色、赤色  皇居東御苑 )
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( 万両  市川万葉植物園  )
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( 手前 十両:ヤブコウジ 左:千両  右:百両  後方:万両  浜離宮庭園 )
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( 手前右  十両 
     左  一両:アリトウシ:蟻も通さない細かい刺があるのでその名があるが
        お金が年中あり通しでめでたいとされている 
  中央:百両 後方左:千両   同右:万両     六義園 )
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( 同上説明文  画面をクリックすると拡大出来ます)
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( 龍の髭  奈良万葉植物園  )
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「 鶺鴒(せきれい)の 来鳴くこのごろ 藪柑子
    はや色づきぬ 冬のかまへに 」    伊藤左千夫


十両の正式名は藪柑子(やぶこうじ)、古くは山橘とよばれ、高さ10㎝~30㎝の
常緑小低木です。
夏に白または淡緑色の小花を咲かせたのち青い実をつけ、晩秋霜下りる頃
鮮やかな赤色に熟します。
藪の中で自生し、葉の形が蜜柑に似ているのでその名があるそうですが、
鮮やかな紅色、丸々とした可愛い実はサクランボのよう。

同じヤブコウジ科で葉の下に実が付く万両、百両。
葉の上に実が付くセンリョウ科の千両。
メギ科の南天。
ともに花の乏しい冬を彩り、生花にも無くてはならない存在です。

万葉集での山橘5首、いずれも美しい色の実を愛でたものばかりで、
花を詠ったものはありません。
5mm程度の小花ゆえ、目立たなかったのでしょうか。

「 消(け)残りの 雪にあへ照る あしひきの
     山橘を つとに摘み来(こ)な 」  
                        巻20-4471 大伴家持


( 幸い消えずに残っている白い雪に映えて、ひとしお赤々と照る山橘、
 その実を土産にするため、採りに行こう )

家持難波出張の折の歌。
眼前の残雪に映える山橘を見ながら、帰途、山中の藪で美しい実を
付けているさまを想像し、奈良の都で留守番をしている妻への土産にしたいと
思っています。
赤と白の対比が鮮やかに印象に残る一首。

「あへ照る」: 雪と山橘が互いに照り映えているさま
「つと」: 藁に包んだ土産品

「 あしひきの 山橘の 色に出でて
     我(あ)は恋ひなむを 人目(ひとめ)難(かた)みすな 」
                                   巻11-2767 作者未詳


( 山の木陰の山橘の真っ赤な実のように、私の恋心はあたりかまわず
 顔に出してしまいそうだ。
 なのに、あなたは人目を気にするなんて!
 周りのことなんか気にしないでくれ 。)

「色に出でて」 山橘の赤い実のように人目につく。
「人目 難(かた)みすな」 人目に立つのを難儀に思ったりするな

 恋は秘密にと云うのが古代の流儀。
 なのに、もう我慢できないと訴える男。

「 あしひきの 山橘の 色に出(い)でよ
    語らひ継ぎて  逢ふこともあらむ 」
                           巻4-669 春日王


( 鮮やかな赤色の実をつけている山橘。
 その色のように いっそ気持ちを表に出して下さい。
 もう人目を忍ぶのはやめましょう。
 そうすればいつでも逢えるし、話もできるではありませんか。)

「なまじ人目をはばかり想いを秘めていては、いつ逢えるか分からないので
いっそのこと、思いのたけを出しましょうよ。
山橘は秋から冬にかけて青から鮮やかな赤色に変わるではありませんか。
我々もそのように変身しましょう」
と詠う作者は天智天皇の孫。

相手の女性の素性は不明ですが禁断の恋だった?

「 紫の糸をぞ 我が縒(よ)る あしひきの
    山橘を 貫(ぬ)かむと思ひて 」
                       巻7-1340 作者未詳(既出)


( 紫色の糸を私は今一生懸命に縒(よ)りあわせております。
  山橘の赤い実をこれに通そうと思って )

「山橘を貫く」は好きな相手と結ばれることをも暗示しています。
 小さな実に糸を通して薬玉を作り、惚れた相手と結ばれることを願う女心。
 赤い実が燃えさかる恋の炎を象徴しているようです。

山橘は群青色の山菅(龍の髭)と並べると色の対比が鮮やかな上、
厳寒の中を生き抜く逞しさをもつので、その生命力にあやかり、
髪飾りにしたり、祝い事のご祝儀に添えて用いられたそうです。

今年も数々の庭園や部屋の生花で新年の彩りをそえてくれることでしょう。

    「 遠き日の 小さき恋や 藪柑子 」 鈴木龍江
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by uqrx74fd | 2015-12-24 19:52 | 植物

万葉集その五百五十九 (光と影)

( 月影 皆既月食の日 2014,10,8撮影 )
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( 富士の水影  精進湖 )
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(  松影  浜離宮庭園 )
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(  同上 )
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(  雪の朝影 )
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(  光と影  陰翳礼讃の世界  明月院  北鎌倉 )
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( ガラスの人影  天龍寺 京都 )
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( 池面の影   湯河原万葉公園 )
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(  人の顔のような影   武蔵野 )
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絵画や写真の世界で光と蔭は重要な構成要素の一つとされていますが、
歌や文学での「かげ」も実に多様かつ微妙なニユーアンスを含む
使われ方がなされています。

広辞苑を紐解くと「かげ」: 影、蔭、陰 翳

1、日、月、灯火などの光  (主として影という字を使用)

2、光によってそのものの他にできるそのものの姿  (影)


        水や鏡の面にうつるものの形や色
        物体が光をさえぎったため、光源と反対側にできる暗い部分
        比喩的な用法 ( 離れずつきまとう、やせ細ったもの、薄くぼんやり見える、
                   ほのかに現れた好ましくない兆候 など)

3、物の姿  (影)

     見るかげもない  面影  肖像や模造品

4、物の後の暗い隠れたところ  (蔭 翳)

     物に遮られ覆われた背面、後方の場所
     他のものを覆うようにして及ぶその恩恵,庇護
     人目の届かない、 隠されたところ
            例:蔭ながら成功を祈る
     人目に隠れた暗い面 かげり
             例:彼の人生には翳りがある
     正式なものに対して略式に行う方法
              例:略祭 略式命令
5、下級女郎  (影)   

その他: 蔭間(かげま) -江戸時代の男娼 
影武者- 敵をあざむく身代わり、黒幕
等と説明されています。

万葉集では面影、磯影、松陰、朝影、夕影、月影などと使い分けられ、
月影は月光に照らされて出来る影ではなく月そのもののことです。

「 木(こ)の間より うつろふ月の 影を惜しみ
     立ち廻(もとほ)るに さ夜更けにけり 」
                               巻11-2821 作者未詳


( 木の間隠れに移って行く美しい月の光に見惚れて 
  あちらこちら歩き廻っているうちに
 すっかり夜が更けてしまったのです )

この歌は男が女に逢いに行き家の門前で
「 これほどまでに じらされても貴女を待つことになるのか。
  夜が更けてから昇ってきた月が傾くころになっているのに 」

と問いかけたのに対して

「月に見惚れていたのよ」と小馬鹿にしたように答えたものですが、
頭から逢う気がなかったのか、あるいは出たくても女の母親の監視が厳しくて
外に出られないのか?
返歌しているところから後者とも思われます。

「 燈火(ともしび)の 影にかがよふ うつせみの
     妹が笑(え)まひし  面影に見ゆ 」
                        巻11-2642 作者未詳(既出)


( 燈火の火影に揺れ輝いている、生き生きとしたあの子の笑顔、
 その顔がちらちらと目の前に浮かんでくる )

燈火のなかにいる女性の浮き立つような面影。
美しい情景をえがいた秀作です。

燈火(ともしび)は松脂(まつやに)に山吹の軸の芯を乾燥させて燈心とする
明かりで、「かがよふ」はちらちら揺れて輝く 
ここでの影は光と影が混然一体となっています。

うつせみ 生身の姿 妹の実在感を高めるための言葉

「 磯影の 見ゆる池水照るまでに
     咲ける馬酔木の 散らまく惜しも 」
                   巻20-4513 甘南備 伊香真人(かむなびいかごのまひと)



( 磯の影がくっきり映っている池の水 その水も照り輝くばかりに
  咲き誇る馬酔木の花が散ってしまうのは惜しまれてなりません)

中臣清麻呂(なかとみのきよまろ)邸での宴の歌。
池面に映える情景は、波のゆらめきとあいまって美しい幻想の世界を
作り出します。

「 白鳥の 鷺坂山の松陰に
     宿りて行(ゆ)かな 夜も更けゆくを 」 
                            巻9-1687 作者未詳


( 白鳥の鷺坂山の松、この人待ち顔の松の木陰で一夜の宿をとっていこう。
  夜も更けていくことだろうし。 )

「松」に「待つ」をかけ家で待つ妻を連想しているようです。

 鷺坂山 京都府城陽市、大和から近江へ通じる山道
 白鳥は枕詞、土地褒めと望郷の念

物体が光をさえぎったため、光源と反対側に出来る暗い部分の松陰。

「 朝影に 我(あ)が身はなりぬ 韓衣(からころも)
      裾(すそ)のあはずて 久しくなれば 」 
                            巻11-2619 作者未詳


( 私は韓衣の裾が合わないように、まるで朝日に映る影法師のような、
  ひょろ長い身になってしまった。
  随分長い間、愛しい人に逢わないまま日が経っているので
  恋しくて恋しくて。)

男、女不明ながら男の心情か?
韓衣 大陸風の衣装 丸襟(まるえり)で裾が膝丈よりやや長く、
その左右を合わせず着用した。

太陽が照ると道に細長い自分の影が出来る。
まるで恋焦がれたひよろひよろの影法師のよう。

「 我妹子(わぎもこ)が 笑(え)まひ 眉引(まよび)き 面影に
      かかりてもとな  思ほゆるかも 」
                         巻12-2900 作者未詳


( あの子の笑顔や眉、その可愛らしさが目の前にちらついて
  むやみやたらと愛しくてならない )

もとな: 元無で むやみやたらに、無性に
面影: 恋人の姿を瞼に思い浮かべる

翳と云う字はあまり使われていませんが、谷崎潤一郎に「陰翳礼讃」という
著書があり、和室の障子や床の間の美しさを褒めたたえた一文があります。

「 もし日本座敷を一つの墨絵に喩えるなら、障子は墨色の最も淡い部分であり
  床の間は最も濃い部分である。

  私は数奇を凝らした日本座敷の床の間を見るたびに、いかに日本人が
  陰翳の秘密を理解し、光と蔭の使い分けに巧妙であるかに感嘆する。

  なぜなら、そこにはこれという特別なしつらえがあるのではない。
  要するにただ清楚な木材と清楚な壁とを以て一つの凹んだ空間を仕切り、
  そこに引き入られた光線が凹みの此処彼処へ朦朧たる隈を生むようにする。

  にもかかわらず、われらは落懸(おとしがけ)のうしろや、花活の周囲や、
  違い棚の下などを填(う)めている闇を眺めて、それが何でもない蔭であることを
  知りながらも、そこの空気だけがシーンと沈みきっているような、
  永劫不変の閑寂がその暗がりを領しているような感銘を受ける。
    -―
  われらの祖先の天才は、虚無の空間を任意に遮断して、自ずから生ずる
  陰翳の世界に、いかなる壁画や装飾にも優る幽玄味を持たせたのである。」
                                          (中公文庫より一部抜粋)


 「 新畳(あらだたみ) 敷きならしたる 月かげに 」 
                         岡田野水(おかだ やすい: 江戸時代の俳人)
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by uqrx74fd | 2015-12-17 17:36 | 自然

万葉集その五百五十八 (万葉人のトイレ)

( 藤原京のトイレ  飛鳥、藤原京展   画面をクリックすると拡大できます)
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( 平城京のトイレ   国立歴史民俗博物館 )
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( 三内丸山遺跡   青森県 )
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( 同上内部 )
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( 万葉人の宴  奈良万葉植物園内のレリーフ )
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( 6世紀中ごろの東国の村  国立歴史民俗博物館 )
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( 枳殻:カラタチ 小石川植物園 )
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( 同上  花は開いたが刺も大きい )
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(  同上  )
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 1992年、藤原京の邸宅跡からトイレ遺構が発掘されました。
我国初、古代貴族の食生活を知る上で重要な手掛かりとなる画期的成果とされるものです。

その堆積物を分析した結果、古代人は澱粉質食品、魚介、肉、油脂、淡色野菜、
果実、緑黄色野菜、カルシュウムなどの基礎食品群をまんべんなく摂食し、
刺身、焼肉、焼魚 干物、おひたし、あえもの、サラダ、旬の果物、
さらに香辛料なども使った、なかなかのグルメ食生活をおくっていたことも解明されています。

発掘されたトイレは邸宅の外を流れる溝から水を引き入れ、排泄物を
また外の溝に流すという水洗方式で、下水道が整備されていたことが窺われますが。
一般庶民は家の隅で穴を掘り、外出先では川や道路の排水溝や野畑で用を
足していたと思われます。

トイレのことを「厠」といいますが、その語源は
 川屋(かわや)説   川の上に設備を作り不浄をそのまま流す
 側屋(かわや)説   家の傍らに設ける意

の2説あり、万葉集に川屋説を裏付ける、それも滑稽極まる歌が残されています。

「 香塗れる 塔にな寄りそ 川隈(かはくま)の
       屎鮒(くそぶな)食(は)める いたき女奴 」
            巻16-3828  長忌寸 意吉麻呂(ながのいみき おきまろ)

( 香を塗り込めた清らかな塔に近寄るなよ。
      川の隅に集まる屎鮒など食って、ひどく臭くて汚い女奴よ。)

この歌は「香、塔、厠(かわや)、屎(くそ)、鮒、奴」を歌に詠みこめと
宴会で囃され、即座に作ったもの。

高貴,清浄な塔と不浄な屎、それを食う鮒とまたそれを食う奴婢の女。
女を卑下したわけではなく、その対比を面白おかしく詠ったのです。

当時は川の流れを利用し、その隅で用を足すことが多く、
川の隅に便所をしつらえて、足したものが川に落ちるようにしていました。
それを鮒が食べたので屎鮒というわけです。
香は香木、練香、粉香、香油などをさし、塔の中で香の匂いが漂っていたのでしょう。

「いたき女奴」は「ひどくよごれている奴婢」の意で、寺などで使役されている
身分の低い女。

「 からたちの 茨(うばら)刈り除(そ)け 倉立てむ
    屎(くそ)遠くまれ 櫛(くし)つくる刀自(とじ) 」
                    巻16-3832  忌部首(いむべのおびと) 既出


( 櫛作りのおばさんよ、俺様はこれからカラタチの茨を取り除いて、
  そこに倉を建てようと思っているんだよ。
  だからさぁ、屎は遠くでやってくれよな 。)

まぁなんと!
「屎(くそ)を遠くでやれ」と上品らしからざる言葉が飛び出してきました。

この歌も倉つくりに従事している下級官人が夜の宴会で数種の物の名前を歌に
詠みこめと催促され「カラタチ」「茨」「倉」「屎」「櫛」を詠みこんだのです。

指名された人は即座にひらめく機知とアッと驚かせる意外性が要求されます。
とはいえ、宴席の人々もさすがに「屎」には驚き、呆れたことでしょう。
当時、外で作業中に尿意を催したときは、辺りかまわず穴を掘って
用を足していたのですかねぇ。

「屎遠くまれ」の「まれ」は排泄を意味する「まる」の命令形、
「刀自(とじ)」は一家の主婦の尊称ですがここではわざと敬語を使って
相手をからかっています。
さらに、カラタチの「ラ」うばらの「ラ」、くらの「ラ」と「ラ音」を続け、
「ク」の音も クラ、クソ、クシと揃えたもの。

即興でこのような歌を詠めるのは並大抵の才能ではありません。
清らかな白い花を咲かせるカラタチに鋭い刺。
「カラタチの刺に白い尻を刺されるなよ」と女性をからかったとも思える歌です。


「 からたちの 花が咲いたよ
     白い白い 花が咲いたよ
     からたちの とげはいたいよ
     青い青い とげだよ   」     (からたちの花)  北原白秋作詞


最後に谷崎潤一郎著 「陰翳礼讃」 (中公文庫)からです。

『 私は京都や奈良の寺院へ行って、昔風の、うすぐらい、そうしてしかも
  掃除の行き届いた厠へ案内される毎に、つくづく日本建築の有難味を感じる。
  茶の間もいいにはいいけれども、日本の厠は実に精神が安まるように出来ている。
  それらは必ず母屋(おもや)から離れて、青葉の匂や苔の匂のしてくるような
  植え込みの陰に設けてあり、廊下を伝わって行くのであるが、
  そのうすぐらい光線にうづくまって、ほんのり明るい障子の反射を受けながら
  瞑想に耽り、また窓外の庭のけしきを眺める気持ちは何とも云えない。 』

  「 瞑想の ひらめき多し 風呂厠 (ふろ かわや)  」  筆者



















 
   
   
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by uqrx74fd | 2015-12-11 06:35 | 生活

万葉集その五百五十七 (君という言葉)

( 君が袖振る  奈良線の万葉列車 )
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( 君のためなら火にも   春日大社どんど焼き  奈良 )
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(  水にも    宇治川 京都 )
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( 月を見て心焼く   若草山焼き  奈良 )
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( 雲に君を想う   後方 金剛葛城山脈  奈良 )
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( 鬼火 上村松篁 絵葉書 :井上靖 額田女王 中大兄皇子が額田王に鬼火を見たと語る場面)
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万葉集で愛しい人を呼ぶ場合「妹、背(子)、君、児」の4つの言葉が用いられていますが、
詩人、萩原朔太郎によると「それぞれに意味があり、万葉人はそれを使い分けていた」
と、次のように述べています。

『 「妹」と「背もしくは背子」は互いに情交関係があり、夫婦もしくは
  それに近い親密の間に呼び交わされる。
  今の口語では、「お前」「あなた」とよぶ場合の親しい言語である。
  勿論実際の関係はそうでなくとも、そうした情愛の気分を出す場合に用いられる。

  次に「君」は崇拝尊敬の意味を持っている場合、即ち未だに深い情交がなく、
  相手の前に跪(ひざま)づいて恋を訴え、遠く崇拝賛美の情熱を送っている場合であって、
  これは情痴関係に入らない前の、純粋に騎士的なプラトニック・ラブの言語である。
  もしくは また、そうした愛情を表現する場合に使用される。
  今の口語でこれに適合する言語がない。

  口語の「あなた」には「君」のような崇拝感も親愛感もない。
  口語の「あなた」は細君が良人を呼ぶときだけの「愛情語」である。

  最後に「児」は愛人を子供のように嘗めつける可愛ゆさの表出である。』

               ( 萩原朔太郎 恋愛名歌集抄 新学社 近代浪漫派文庫所収
                   注:一部現代仮名遣に変更 )
                  
万葉集に見える「君」は約800余首、「主君、父母、配偶者、親族、恋人、友人」など
自分が敬愛する人に親愛をこめて呼び掛けていますが、そのうち、男女の恋の歌の
「君」を数首ピックアップしてみましょう。

「 相思はず 君はいませど 片恋に
     我れはぞ 恋ふる 君が姿に 」 
                         巻12-2933  作者未詳


( あなたさまは私のことなど何とも思わずにいらっしゃるかもしれませんが
 私はただただあなたに恋焦がれております。
 遠くからお姿を見ながら 片恋に苦しんで- 。 )

崇拝、尊敬、いまだ情交なく、相手にひざまずいて恋を訴え、遠く崇拝賛美の
情熱を送っている。
なるほど、朔太郎さんの指摘はこのような歌だろうか。

「 今は我(あ)は 死なむよ 我が背 恋すれば
     一夜一日(ひとよ ひとひ)も 安けくもなし 」 
                           巻12-2936 作者未詳


( もう私は死んでしまいそう。
 あなたに恋焦がれていると 一夜一日とて心が安まることがありません)

これは情交関係がありそうだなぁ。
心も体も燃えていますねぇ。

「 我が命の 衰へゆけば 白栲(しろたへ)の
    袖になれにし 君をしぞ思ふ 」 
                       巻12-2952 作者未詳


( 私の命がしだいに衰えるにつけて 交わした袖がよれよれによれるように
 昔馴れ親しんだ我が君のことばかり思っております )

年が衰えていくにつれ、若き日における愛しい男のぬくもりのある関係が
しみじみと偲ばれる。 
生別したのか死別したのかはっきりしませんが、死別なら寂しい境地が
一層深まるような情味豊かな歌。

「 春日山 朝立つ雲の 居ぬ日なく
   見まく欲しき 君にあるかも 」
                   巻4-584 大伴坂上 大嬢(おほいらつめ)


( 春日山に毎朝決まってかかる雲のように いつもおそばで見ていたいあなた)

大伴家持に贈った歌ですが、作者はまだ10歳程度、
母親、坂上郎女が代作したようですが、これはまさにプラトニック。

「 今さらに 何を思はむ うち靡き
     心は君に 寄りにしものを 」 
                       巻4-505 安倍女郎(あへの いらつめ)


( 今さら何をくよくよ思い悩むことがありましょうか。
  私の心はすっかりあなたにうち靡き、寄りそっておりますのに )

作者はどのような人物なのか全く不明ですが、大岡信氏は

『 中堅官僚の妻でなんらかの窮地に陥った夫が
  「お前はおれと別れてもいいんだよ」と
  云うようなことを言ったときに答えた歌ではないか 』
 と推定されています。  
                      (私の万葉集1 講談社現代新書)

さらに郎女は

「 我が背子は 物な思ひそ 事しあらば
     火にも水にも 我がなけなくに 」 
                       巻4-506 安倍女郎


( あなたさま! 御心配なさいますな。
 いざとなったら、たとえ火の中であろうと水の中であろうと
 飛び込む覚悟の、この私がいない訳ではありませんのに。)

ここまで叱咤激励されれば勇気百倍。
それにしても「あなたのためなら、たとえ火の中、水の中」という
殺し文句を万葉女性が使っていたとは驚き。
その一途な愛情は現在に通じ、心をうちます。

万葉集で君と詠われている愛の歌は数えきれないほどありますが、
「亡き夫を偲ぶ」「火にも水にも」の歌には濃厚な肉体関係が感じられ、
萩原朔太郎がいうプラトニックラブはごく一部にすぎないように思われます。
古代の恋愛は歌垣などがあり予想以上に開放的だったのです。

「 阿波の鳴門に身は沈むとも 
             君の言(こと)なら背くまい 」    河内民謡


  ( たとえ鳴門の渦潮に巻かれて沈もうと、
    惚れたあなたの仰せには背きませぬ )
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by uqrx74fd | 2015-12-04 06:00 | 心象