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万葉集その五百六十五 (おもてなし)

( 満開の桜を前にしての一服  最高のおもてなし  長谷寺 奈良)
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( お膳をお持ちしました   国立歴史博物館 佐倉市 )
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( 遊楽メニユー  鰻  野田岩  麻布 )
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( すし乃池  谷中 )
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( 大天もり  まつや  神田 )
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( ひれかつ  蓬莱屋  御徒町 )
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( 親子丼  玉ひで  人形町 )
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( 釜めし 志津香  奈良 )
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( お好み焼き  おかる 奈良 )
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(  茶粥  御蓋荘  奈良 )
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( わらび餅  二月堂 龍美堂 奈良 )
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( 粟ぜんざい 桜湯  竹むら  神田 )
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( つばらつばら  鶴屋吉信  京都 )
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東京オリンピック招致プレゼンで注目を浴び、一躍流行語になった「おもてなし」。
その語源は「お」と「もて」と「なす」に分解して考察するそうです。

「お」は美化語。
「もて」は「もて騒ぐ」「もて扱う」「もて隠す」などのように
動詞に付属して強調されるときに使われる接頭語で、漢語「以」の訓読「もちて」が
変化して「もて」となったもの。(日本国語大辞典:小学館)

「なす」は「成す」で (モノを)「そのように扱う、そのようにする」。

従って、「もてなす」は 元々「取扱うことを強調する場合に使う言葉」、
今流でいえば 「 やっておいたぞ!」「 処置しておいたぞ!」といった
ところでしょうか。
乾 善彦教授(関西大学国文学)によると、現在のように接待に関して用いられる
ようになったのは中世以降とされています。

「モノ」には目に見える物体と見えない事象があり、「おもてなし」の神髄は
「表裏なく」「見返りを求めず」「物心両面で」遠来のお客に心を尽くすこと、
現在のお遍路さんの接待にその精神がみられるとでもいえましょうか。

万葉集で「もてなす」という言葉はみえませんが「おもてなし」の心は
古代の人々にも十分理解され、日常生活に溶け込んでいたことが
次の歌のやり取りからも窺われます。

751年 正月3日(現在の2月3日頃) のことです。
越中の官人、内蔵介縄麻呂(くらのすけ つなまろ)という人物の館で
酒宴が催されました。
ところが当日は予想だにしなかった大雪。
それでも大伴家持以下招待客は、なんとか辿りつくことができ、
全員揃ったところで宴が始まりました。

まずは来賓の挨拶です。

「 降る雪を 腰になづみて 参り来(こ)し
    験(しるし)もあるか 年の初めに 」      巻19―4230 大伴家持

( 本日はお招きいただき誠に有難うございました。
  思わぬ大雪。
  腰までどっぷり浸かり難儀いたしましたが、何はともあれと参上させて戴きました。
  お目にかかれて嬉しゅうございます。
  それにしても年の初めに雪が降るとは、誠に縁起が良いことでございますね )

当時、雪は豊作のしるし、幸先が良いものとされていました。
主人を寿ぐ一首で心遣いをみせた作者。

迎える主人はあっと驚く趣向を披露します。
庭に降り積った雪で大きな岩を造り、無数の造花の撫子を植えて歓待したのです。
まさに雪中花、家持が殊の外撫子を好んでいたことを知った上での
さりげないおもてなしです。

「 なでしこは 秋咲くものを 君が家の
       雪の巌に 咲きにけるかも 」   
                           巻19-4231  久米広縄


( 撫子は秋に咲くものなのに、これはこれは、驚きましたなぁ。
 あなた様のお家では雪の岩に花が咲いていたのですね 。)

「 秋から雪の降る今まで咲き続けていたのですね。」と主人の趣向に驚き、
感謝しつつ家の繁栄を寿いだ歌。

来客に喜んでもらえ、苦労した甲斐があったと主人もにんまりしたことでしょう。

「 雪の山斎(しま) 巌に植ゑたる なでしこは
      千代に咲かぬか  君がかざしに 」
              巻19-4232 蒲生娘子(かまふの をとめ) 遊行女婦(うかれめ)

( 雪の積もった美しい園に植えてある撫子。
  いつまでも枯れないで 千代八千代に咲いてくれないものでしょうか。 
  あなた様の挿頭(かざし)にするために )

主人は文藝の嗜みがある遊行女婦(うかれめ)を待機させ席に侍らせたようです。
座を華やかにと心配りした主人の粋な計らいです。
前の2首の意を受け、「あなた様の挿頭(かざし)したい」つまり撫子を自分に
譬え、「私がご主人さまの頭を飾りたいものです」と艶なる取り持ちで
座を賑やかにしています。

遊行女婦とは後年の遊女と異なり、高貴な人と対等に渡り合える高い教養の持主。
主人と客をたてた機転ある一首です。

宴はたけなわとなり気が付くと夜が明け始めています。
時を告げる鶏、一同「もう帰らねば」とそわそわ。
周りの気配を感じた主人が、相手から「そろそろお暇を」と言いださない前に
機先を制した心遣いの言葉をかけます。

「 うち羽振(はぶ)き 鶏(とり)は鳴くとも かくばかり
    降り敷く雪に 君いまさめやも 」 
                 巻19-4233 内蔵伊美吉縄麻呂(くらのいみきのつなまろ:主人)


( 鶏が羽ばたいて時を告げて鳴こうとも これほどまでに降り積もった雪の中を
 皆さん、どうやってお帰りになるのですか。
 さぁさぁ 遠慮しないで腰を落ち着けて下さい。
 飲み直し致しましょうや )

やれやれと浮かした腰をまた戻し、家持が感謝の意を。

「 鳴く鶏は いやしき鳴けど 降る雪の
     千重(ちへ)に積めこそ 我が立ちかてね 」 
                                巻19-4234 大伴家持


( 鶏が朝を告げてしきりに鳴き立てており、私共はそろそろお暇しなければ
 ならないと思っておりましたが- -。
 実は内心ではこの積り具合では帰れますまいと困惑いたしておりました。
 ご配慮有難うございます。
 ではお言葉に甘えまして )

迎える主人も招かれた客人もお互いに心遣いをしながら楽しい時を過ごす。
造花の撫子は茶室の掛け軸にでも相当するものでしようか。
我国の繊細な「お・も・て・な・し」の心は古代からずっと育まれていたのです。

 「 呑明(のみあ) けて 花生(はないけ)にせん 二升墫 」 芭蕉

   尾張の人から酒一樽,木曽うど、茶を贈られた時の吟詠。
   多くの門人が集まっての句会。
   斗酒なお辞せずの浮き浮きした気分が漂う一句。
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by uqrx74fd | 2016-01-29 06:51 | 生活

万葉集その五百六十四 (み雪降りたり)

( 万葉人にとって松と雪は繁栄のしるし )
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( 大雪の日 )
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( 筑波山の雪 )
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( 同 紅梅白梅)
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( 同 紅梅 )
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( 老桜の雪 )
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(  桜の蕾も寒そう )
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( 笹雪 )
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( サザンカ:山茶花 )
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(  樹氷 朝になるとキラキラ光るでしょう )
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山々に囲まれた盆地の大和国原。
冬は厳寒にもかかわらず、雪は滅多に降りません。
それでも万葉集で150首余の雪歌が登場するのです。
なぜ、こんなにも多く詠われたのでしょうか?

古の人々は土地の精霊が豊年のしるしとして雪を降らせるのだと考え、
雪を稲の花の象徴だと信じていました。
大雪ともなれば大豊作。
農耕に関係のない都人にとっても五穀豊穣は国土繁栄の吉兆、み雪と崇め
天皇以下こぞって寿いだのです。

「 池の辺(へ)の 松の末葉(うらば)に 降る雪は
        五百重(いほへ)降りしけ 明日さへも見む 」
                        巻8-1650  作者未詳

( 池のほとりの松の枝先の葉に降る雪よ、幾重々々にも降り積もれ。
 明日も重ねて見ように )

聖武天皇が平城京、西の池で催された豊明(とよのあかり:宮中の宴会)で
安倍虫麻呂(大伴坂上郎女の従弟)が、古歌として披露したもの。
常緑の松に降り敷く雪は国土と天皇の繁栄を寿ぐにふさわしく、
宴席も賑々しく華やかなものになったことでしょう。

「 大殿の この廻(もとほ)りの 
  雪な踏みそね
  しばしばも 降らぬ雪ぞ
  山のみに 降りし雪ぞ
  ゆめ寄るな 人や 
  な踏みそね 雪は 」   
                      巻19-4227 三方沙弥(みかたのさみ)

( 大殿の この周りの
 雪を 踏み荒らすなよ
 めったに降らない雪なのだ
 山だけに降った雪なのだ
 ゆめ近寄るなよ
 そこの人 踏むなよ 雪を )     巻19-2227 

この歌は藤原不比等の子、藤原房前が降る雪を見ながら、歌を詠めと
臣下に命じ、作者が応じたもの。
大殿は天皇をさすのが習いなので、非公式の宴席での戯れ歌と思われます。

山でしか降らないものだと思っていた雪が降っている。
「ワァーイ!雪やコンコン 」と子供のように大はしゃぎ。
飛び跳ねるような調子が面白く、お上も笑い転げられたことでありましょう。


「 夜を寒み 朝戸を開き 出(い)で見れば
     庭も はだらに み雪降りたり 」
                     巻10-2318 作者未詳


( 夜通し寒かったので、朝、戸を開けて外へ出て見ると
 なんと、庭中うっすらと雪が降り積もっているではないか )

自然現象の中で唯一「み」という接頭美称語で飾られている雪。
万葉人の雪に対する思いが好ましいものであったことが窺われる一首です。

夜中に寒さを感じ、早朝、戸を開けて見ると庭一面白くなっている。
「 おぉ! 雪だ。」と歓声を上げる作者。
「はだら」は「うっすら積もる」

「 梅の花 枝にか散ると 見るまでに
    風に乱れて 雪ぞ降り来る 」 
                    巻8-1647 忌部黒麻呂(いむべの くろまろ)


( 梅の花が枝に散りかかるのかと,見まごうばかりに
  風に吹き乱れて雪が降ってくるよ )

万葉時代、花と云えば梅。 
それも白梅です。
寒さ厳しい中、庭の梅の木を眺めながら開花を待ち望んでいる。
折から一陣の風と共に、雪が流れこんできた。
一瞬、梅の花びらかと錯覚した作者。

古くから信仰の対象とされた雪は次第に冬の美を讃える文学、詩的なもの
変化してゆき、平安時代以降、数えきれないほどの歌が詠い継がれて
ゆくようになりました。

山本健吉氏は
「 雪の信仰が古くからあって日本人は雪をよろこび 雪見などといって
  それを観賞する態度が導き出されてくる。
 雪は今でも私たちを童心にかえらせる何物かがある。
 雪は思郷、回想をさそう種である 」と述べておられます。
                           ( ことばの歳時記 文芸春秋社より)

「 故郷は いかにふりつむ けふならん
    奈良の飛鳥の 寺の初雪 」       上田秋成

             ふりつむ: 降り積む 
                 けふ:今日

















                                    
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by uqrx74fd | 2016-01-22 06:51 | 自然

万葉集その五百六十三 (鷹狩)

( 鷹狩の埴輪 鏡神社 奈良新薬師寺の隣)
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( 獲物を狙う鷹  浜離宮庭園 東京 )
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( 諏訪流放鷹術を披露する鷹匠の行進 浜離宮庭園 )
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( 動く鷹をなだめながら  同上 )
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( こちらの鷹は泰然自若  同上 )
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( 放鷹前の瞑想  同上 )
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( ますは師匠から  同上 )
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(  同上 )
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( 向こう側の鷹匠の腕を目指して水平に飛ぶ鷹  同上 )
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( 見事に腕に止まりました  広げた翼が美しい )
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( 美人鷹匠が目の前に来てくれ色々な質問に答えてくれました 鷹は微動だにしません) 
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( 同上 )
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( 同上 )
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 「 鷹舞うて 音なき後山 ただ聳ゆ 」 飯田蛇笏

鷹狩は放鷹(ほうよう)、鷹野(たかの)ともいわれ、飼い馴らしたイヌワシ、オオタカ、
ハイタカ、ハヤブサなどを放って、鳥類や兎、狐などを捕えさせる狩猟をいいます。

その歴史は古く、紀元前3000~2000年頃中央アジア、モンゴル高原に発祥したと
想定され、中國では紀元前680年、我国は鷹狩を表現した古墳時代の埴輪が
発掘されているので太古に渡来していたと思われますが、文献での記録は
仁徳天皇の時代(355年)、鷹を調教する鷹飼部(たかかいべ)が置かれたという
日本書記の記述が最古のものとされています。

鷹狩は広大な狩場、高度な飼育技術をもつ鷹匠が必要とされるので、
天皇、皇族、貴族、地方の豪族の権力の象徴とされていましたが、
時代の推移と共に武士達も鍛錬をかねて行うようになりました。

狩をするときは飛んでいる鷹の位置を知るために尾羽に小さな鈴をつけ、
獲物を見つけて飛び立つと「リンリンリンリンリーン」と涼やかな音が
空を渡ってゆきます。

「 都武賀野(つむがの)に 鈴が音(おと) 聞こゆ
     可牟思太(かむしだ)の 殿の中ちし 鳥猟(とがり)すらしも 」
                  巻14-3438  作者未詳

( 都武賀野(つむがの)で 鈴の音が響いているのが聞こえる。
 可牟思太(かむしだ)のお館の 次男坊様が鷹狩をなさっているらしい。) 

「都武賀野(つむがの)、可牟思太(かむしだ)」: 東国の一地方なるも所在不明。
「鈴が音」: 鷹の尾羽につけた小鈴の音 
        もともとは草むらの中の鷹の位置を知るために付けたもの
「殿」:    土地の豪族の立派な邸宅、 
「中ち」 :  次男坊  自由闊達、凛々しい若者を想像させる

この歌から地方豪族も鷹狩を楽しんでいたことが窺われ、鳥猟(とがり)と
云われていたようです。

何かの作業をしている娘のもとに涼やかな鈴の音が響いてきた。
「 あぁ、若殿が狩りをなさっている 」
颯爽と馬を駆けさせている姿を思い浮かべながらうっとりと聞き惚れている。
娘は以前、若様をどこかで見かけたのでしょうか。
ほのかな恋心を抱いているのかもしれません。

万葉集での鷹狩は7首、そのうち大伴家持が6首、時の越中国守は
大の鷹好きでした。
まずは家持の長歌の訳文から。

「- 秋ともなれば 萩の花が咲き匂う石瀬野(いはのせ)に
  馬を駆って出で立ち 
  あちらこちらに 鳥を追いたて
  獲物に向かって放つ鷹の 鈴の音もさわやかだ。 

  空のかなたを仰ぎ見ながら 
  悶々としていた心のうちを晴らして
  心嬉しく 思い思いしながら  
  その夜は枕をつけて寝る 

  妻屋の中に 止まり木を作って
  そこに大事にすえて 飼っている
  この真白斑(ましらふ)の鷹よ  」     
                               巻19-4154(一部) 大伴家持
訓み下し文 

  「 - 秋づけば 萩咲きにほふ 石瀬野(いはせの)に 
     馬だき行きて 
     をちこちに  鳥踏み立て 
     白塗(しらぬり)の  小鈴もゆらに あはせ遣り
     振り放(さ)け見つつ 
     いきどほる  心のうちを 思ひ延べ
     嬉しびながら  枕付(まくらづ)く
     妻屋のうちに  鳥座(とぐら)結ひ
     据えてぞ我が飼ふ  真白斑(ましらふ)の鷹 」
                               巻19-4154(一部) 大伴家持
一行ずつ読み解いてゆきます。

 - 秋づけば 萩咲きにほふ 石瀬野(いはせの)に 

        (石瀬野(いはのせ):高岡市庄川左岸石瀬(いしぜ)一帯)

  馬だき行きて 
             ( 馬の手綱を操って)

 をちこちに  鳥踏み立て 
            ( あちらこちらに 鳥を追い立てて )

 白塗(しらぬり)の  小鈴もゆらに あはせ遣り

         ( ゆらに:さわやかに 
           あはせ遣り:獲物をめがけて手に据えた鷹を飛びたたせて )

  振り放(さ)け見つつ 
              ( 大空の彼方を仰ぎみながら)

 いきどほる  心のうちを 思ひ延べ

              (胸につかえていた鬱屈を晴らし)

  嬉しびながら  枕付(まくらづ)く

             ( 心楽しく 枕をつけて寝る )

   妻屋のうちに  鳥座(とぐら)結ひ

            ( 寝室に 鳥を止まらせる台を作り )

  据えてぞ我が飼ふ  真白斑(ましらふ)の鷹 」

   ( 据えて飼う 尾羽に斑(まだら)が入った白鷹よ )

                               巻19-4154(一部) 大伴家持

反歌

 「 矢形尾(やかたを)の 真白の鷹を やどに据ゑ
     掻き撫で見つつ 飼はくしよしも )  
                           巻19-4155 大伴家持(既出)

( 矢のような形をした尾をもつ白い鷹を家の中で飼い、
     いつも優しくかき撫でて 大切にしている私の鷹。
     実に可愛いなぁ )

作者は心の中に鬱屈するものがあり、気晴らしに鷹を空中に放したところ
心が晴れたと詠っていますが、都から遠く離れた越中の地に単身赴任し
最愛の妻、坂上大嬢と長らく逢えなかったこと、大伴家に衰退の兆しが見え、
出世街道から外れてゆく寂しさなどが重なっていたのかも知れません。
それにしてもいささか異常と思われるくらいの鷹への執着ぶりです。

「 夢よりも 現(うつつ)の鷹ぞ 頼母(たのも)しき 」 芭蕉

天皇、貴族のものとされていた鷹狩は、戦国時代から近世にかけて武家の間で流行し
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、家光などが特に好み、慶長年間(1596~1615)には
鷹匠が116名もいたそうです。
1716年、8代吉宗の時代には江戸近郊594村という広大な地域を公儀の鷹場とし
慶応2年(1866)の廃止まで続きました。
徳川時代の鷹狩は民情視察、治安維持などの目的もあったようです。

現在一般公開されている浜離宮庭園はもと将軍家の御鷹場だったといわれ、
毎年正月2~3日、この地で「放鷹術」が公開されています。
技を披露されるのは信州諏訪大社ゆかりの諏訪流の方々。
江戸将軍家お抱え鷹匠の流れを継承し、宮内省鷹匠でもあった16代花見薫氏に
敬意を表して昭和初期の鷹匠衣装を正装とされているとのこと。

大観衆が見守る中、7人の鷹匠の紹介をかねて行進開始。
何と!若い女性が5人。
しかも美人揃いにはびっくり仰天しました!!
各々、手さばきも見事に鷹を放ち、鳩を捕えさせたり、高所から急降下させて
獲物を獲る術は、古の鷹狩を彷彿させ新春にふさわしい華やかな行事でありました。

   「 鷹据うる 人に逢ひけり 原の中 」 正岡子規
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by uqrx74fd | 2016-01-14 07:28 | 生活

万葉集その五百六十二 (玉箒:たまばはき)

( 玉箒:たまばはき  現代名 コウヤボウキ  この枝を束ねて箒を作る  奈良万葉植物園)
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( 同上 )
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( コウヤボウキの花  秋9~10月に咲く   かんな屑のような花穂が可愛い 同上)
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( 玉箒   正倉院、複製が東京国立博物館に収蔵されている )
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玉箒はキク科の落葉低木で、葉が落ちた後の枝を束ねて箒にし、ガラス玉の
飾りを付けたことからその名があります。
元々、蚕の床を払う用具とされていましたが、次第に華美になり装飾品になったようです。

現在名はコウヤボウキ。
その昔、高野山で竹を植えることを禁じていたので、この植物の枝を
箒にしたことから命名されたとか。
何故、竹を植えることが禁じられたかというと、竹は筍が育ち、色々な用具の
材料になることから、人間の欲望を生じさせるものとされ、戒律が厳しかった
空海の寺ならではのことです。

万葉集では2首登場し、一首は新春を寿ぐ下賜品、残りは単なる箒として
詠われています。

「 初春の 初子(はつね)の今日の 玉箒(たまばはき)
   手に取るからに  揺らく玉の緒 」 
                          巻20-4493 大伴家持 (既出)


( 初春の初子の今日、お上から玉箒を賜りました。
  手に取ると玉がゆらゆらと揺れ妙なる音を立てます。 
  何とめでたい佳き日でしょか )

玉の緒とは玉を通した紐。
古代、玉は命、魂とされ、緒に貫くことにより生命の永続を願ったのです。

華やかに「初春の」「初子(はつね)の」「今日の」と「の」で繋いだ
流れるようなリズムが快く響き、玉がかすかに触れ合う音、「たまゆら(玉響)」が
いまにも聞こえてきそうな新春にふさわしい名歌です。

この歌の詞書によると次のようなことが記されています。
『 758年正月3日の最初の子の日に宮中で孝謙天皇主催の農耕、養蚕を
勧奨する行事が催され、農耕の具である辛鋤(からすき:鋤)と
蚕の床を払う玉箒が神前に供えられ、その年の収穫の豊かならんことを祈られた。
その後、伺候している王族や官僚たちに「玉箒」を下賜され、
宴席で「自分たちの技量に応じそれぞれ自由に歌をつくって披露せよ」と命じられた。
しかしながら、(家持は行事を司る部署であったためか忙しく)、その折の歌を
手に入れることが出来なかった 』

なお、この日に使われた「玉箒」(子日 目利箒:ねのひの めとき の ほうき)は
東大寺から皇室に献上され現在、正倉院に、また、その複製品が
東京国立博物館に収められています。

根元を金糸で束ねた美麗なもので当時の華やかな宴会の様子が偲ばれますが、
色とりどりに飾られた瑠璃(ガラス)は、ほとんど脱落して2~3個の残すのみです。

「 玉掃(たまばはき) 刈り来(こ) 鎌麻呂 むろの木と
     棗(なつめ)が本(もと)と かき掃(は)かむため 」 巻16-3830 
                            長忌寸 意吉麻呂(ながのいむきの おきまろ)


( 鎌麻呂よ 箒にする玉掃を刈ってこい。
 むろの木と棗(なつめ)の木の根元を掃除するために )

「 玉掃 鎌、むろの木 棗(なつめ) 」を詠めといわれ、
  清掃を主題にまとめた宴席での歌。

「棗」は「そう」とも訓み「掃」「早」を懸け「掃除のために早く刈ってこい」
さらに、「刈り」(カリ)、「来」(コ) 、鎌麻呂(カママロ)と「カ」行を重ねた
機知ある一首です。

「むろの木」はヒノキ科ビャクシン属の針葉樹で「実が多くつく」
すなわち「実群(み むろ)」の意からその名があるといわれています。

葉は硬質。鋭く尖っていて、触ると痛いので、昔の人は鼠の通り穴に置いて
その出没を防いだことから「ネズミサシ」、「ネズ」の別名があり、
漢方ではその実を杜松子(としょうじつ)といい利尿、リュウマチに薬効ありと
されています。

更に棗(なつめ)の枝にも棘があり、そのような歌を即座に思い浮かべることが
出来る作者は大変な才能の持主。
宴席の人気者だったことでしょう。

「 玉ばはき 星を見るにも 君が代は
         ちりおさまりて  いやさかへなん 」 
                               権僧正公朝


( あなた様の代は これから 星のように輝き、
 玉箒で払いのけた塵が散りおさまるごとく
 大いに栄えることでございましょう。)

      新しい年が皆様にとって良い年でありますように
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by uqrx74fd | 2016-01-08 06:17 | 植物

万葉集その五百六十一 (新年の歌:申)

( 謹賀新年 本年もよろしくお願い申し上げます )
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( 本年の干支は申  上高地明神池への途中で )
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( 干支文字切手 )
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( 三番叟手拭  大野屋製:銀座   三番叟:さんばそう については本文で説明)
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( 三番叟 扇子  三越本店ショウウインドウ )
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( 一刀彫  奈良 )
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( 三番叟 奈良の骨董品店で )
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( 猿面  京都物産館:八重洲口 )
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( 三番叟香合  赤膚焼  尾西楽斉作  月刊ならら表紙より )
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( 奈良町庚申堂 )
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( 同 軒先に猿の魔除けを吊す家々 )
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( お年賀 虎屋羊羹 )
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「 新(あらた)しき 年の初めは いや年に
     雪踏み平(なら)し 常にかくにもが 」 
                        巻19-4229 大伴家持


( 新しい年の初めは 来る年も来る年も 雪を踏みならして
  いつもこのように賑々しくありたいものです。)

751年正月 越中国守の新年賀宴での歌。
その日1mもの大雪が積ったと詞書にあり、
「 人々は雪を踏みならして目出度い新年を祝ってくれる、
このめでたさがずっと続いて欲しいものです」
と挨拶したもの。
当時大雪は豊作の瑞兆とされており、天下泰平、実り豊かな新年を祝う喜びが
あふれている一首。

なお、「新(あらた)しき年の初め」や「初春」(はつはる)は、天平の終わり頃に成立した
慣用表現で、1月1日から7日までをいい、現在も綿々と受け継がれている
由緒ある言葉です。

本年は申年。
申は正式には「しん」と訓み、元々稲妻を表した象形文字とされていますが、
後に「伸」の原字になり、「草木が伸び切り、果実が成熟して固くなってゆく」
状態を表すとされています。

動物の猿が当てられている理由は全く不明ですが、「さる」は病や不幸が
「去る」に通じるので神社などで祀られて魔除けとされたり、
能楽で3番目に演じられる三番叟(さんばそう)が猿楽に由来し五穀豊穣を寿ぐ
神事的な内容であるため猿の飾り物が多く作られています。

奈良の猿沢池からほど近いところに「ならまち」とよばれる古い街並みを残す
一角があり、中心部に青面金剛像を祀る庚申堂、その前面に猿の石像が
置かれています。
青面金剛は文武天皇の時代(697~707年)、悪疫が流行したときに町を守った神様、
猿はその使者とされ、猿のぬいぐるみを家々の軒先に吊るし魔除けとしています。
厄災を代わりに引き受けてくれるので「身代わり猿」ともよばれ、
大きいものは大人、小さなものは子供、家族の数だけ吊るしているそうです。
町中吊るし猿が溢れているところは日本広しといえどもこの町だけでありましょう。

「 あな醜(みにく) 賢(さか)しらをすと 酒飲まぬ
    人をよく見ば  猿にかも似む 」   
                             巻3-344  大伴旅人(既出)

( あぁ、見られたものじゃないよ。
 わけ知り顔して「俺は酒を飲まないんだ」という奴をよくよく見ると
 まるで小賢しい猿そっくりではないか )

万葉集唯一の猿の歌です。
旅人が何故酒飲まぬ人を猿に喩えたのかよく分かりませんが、
宴席をいつも辞退する部下に猿面がいたのかも。

「十二支の話題辞典」によると 申年生まれの人は

「 機敏にして進取の気性に富んでいて、若くして異色の出世をする人がいる。
  研究意欲が旺盛で、世話好きで、味方もあるが口舌が災いして敵を作ることも。
  軽率に人を信用して失敗することもあるが生来、怜悧な素質だから、晩年は安泰」 とか。 
                                 ( 加藤廸男著 東京堂出版 ) 

 「 七草や 女夫(めをと)女夫(めをと)に 孫女夫(まごめをと) 」 

                                志太 野坡(やば)
 
「 正月になると息子、娘夫婦、それに孫夫婦が各地から集まり、
  一族再会を喜びあう。
  七草のように別々に住む夫婦たちが、七草粥のように一緒にまじりあって
  お互いの息災を祝っている 」という情景。

 まことに、ほのぼのとした雰囲気が感じられ、七草粥の暖かい湯気まで
 漂ってきそうです。

「  千歳(ちとせ)に余る しるしとて
           君が代を経る 春の松が枝 」  和泉民謡

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by uqrx74fd | 2016-01-01 00:00 | 生活