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万葉集その五百七十八(夏の恋歌1)

( ホトトギス: 学友m.iさんの甥御c.y氏提供 「今日も鳥日和 極私的野鳥図鑑 」)
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( ササユリ   大神神社ゆりの園 奈良 )
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(  同上 )
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( 卯の花 :ウツギ     小石川植物園  東京)
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( 花橘    奈良万葉植物園 )
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( 露草    同上 )
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万葉人は四季折々の景物を歌に詠み込み、胸に溢れる恋心を美しく彩りました。
詠んだ歌は相手に贈られたか、自分自身の心の奥に秘めていたか、
定かではありませんが、その感性の豊かさと多彩さには驚くばかり。
もし、そんな歌を贈られたら、たちまちその魅力に引き込まれそうに
なることでしょう。

万葉集20巻中、巻8,10には春夏秋冬の相聞として区分されている歌群があります。
以下はその中からの一部。
夏相聞のホトトギス、姫百合、卯の花、花橘、夏草の露の歌です。

「 暇(いとま)なみ 来まさむ君に ほととぎず
     我(あ)れかく恋ふと 行(ゆ)きて告げこそ 」 
                         巻8-1489 大伴坂上郎女


( 「暇がないから」といってちっともお見えにならないあの方。
 ホトトギスよ、私がこんなにも恋焦がれてお待ちしていると、
 あの人のところへ飛んで行ってお伝えしておくれ )
 
古代ホトトギスは恋の使いとされていました。
「 キョツキョ キョキョキョ 」あるいは「ピピピピ」と絹を裂くような
鋭い声で鳴く。
作者はその鳴き声を「カッコウ(かく恋ふ)」と聴きなしたのでしょうか。
ホトトギスはカッコウ科の鳥なのです。
お相手は残念ながらわかりませんが、恋の達人の万葉マダム。
きっと素敵な方だったことでしょう。

「 夏の野の 茂みに咲ける 姫百合の
          知らえぬ恋は 苦しきものぞ 」 
                   巻8-1500 大伴坂上郎女(既出)

( 夏の野の草むらにひっそりと咲いている姫百合。
 こんなにも可憐で美しいのに誰も気が付きません。
 私の恋も姫百合と同じ、あの方に知ってもらえないのです。
 もう、切なくて、苦しくて。 )

人に知られないように心の奥底にしまっている片恋。
恋の達人、郎女にもこのような可憐な時代があったのです。

姫百合は小さな百合の意で「姫」に「秘め」が掛けられています。
万葉女流歌人額田王と双璧をなすと称される片鱗を窺わせる一首。

大伴旅人の異母妹である作者は13歳にして天武天皇の子、穂積皇子に嫁ぎ、
幼妻として可愛がられましたが、2年で死別、その後藤原家の御曹司、麻呂と
2年の相聞往来を経て、異母兄、宿奈麻呂(すくなまろ)と結婚。
これまた2年で25歳の時に死別するという数奇な運命を辿りました。
その後、長い独身生活の間に様々な恋を経験し、やがて大伴家の家政を
取り仕切る刀自(とじ)になり、甥の家持に歌や恋の手ほどきをするようになったのです。

「 ほととぎす 鳴く峰(を)の上の 卯の花の
           憂きことあれや 君が来まさぬ 」 
                巻8-1501 小治田広耳(をはりだ ひろみみ)


( 時鳥が鳴く山の頂に咲いている卯の花。
 その名のように私を憂く、いとわしい気持ちがあるからか
 あの方は一向にお見えになりませんのよ )

恋の使い鳥、ホトトギスと卯の花の取り合わせ。
卯の花の「う」と「憂」(うとましい)を掛けています。
女の立場で詠っているので、宴席での戯れ歌かもしれません。

「卯の花の 匂う 垣根に
 時鳥 早もきなきて
 忍び音もらす 夏は来ぬ 」 佐々木信綱
や、竹久夢二の絵を思い出させるような一首です。

「 五月(さつき)の 花橘を 君がため
    玉にこそ貫け 散らまく惜しみ 」
                    巻8-1502 大伴坂上郎女


( 五月の橘の花 その花をあなたのために糸に通して薬玉にこしらえました。
 散らせてしまうのが惜しいので )

花橘を糸に通して歌を添えたもの。
気にいっていただけたでしょうか?との気持ちを含みます。
薬効ありとされていた橘、糸で繋いで輪にし、私だと思って
身につけて欲しいと願う作者。

「 夏草の 露別け衣 着(つ)けなくに
         我が衣手の 干(ふ)る時もなき 」 
                     巻10-1994 作者未詳


( 夏草の露を踏み分けて濡れた着物。
 そんな着物を着たおぼえもないのに、どうして私の着物の袖は
 乾く間もないのでしょうか )

「夏草の露別け衣」は作者の造語、
「女の家に通う男が夏草の夜露を踏み分けて行くために濡れる衣」の意と思われます。
「自分はそんな衣を着たおぼえがないのに、どうしてこんなに袖が濡れるのでしょう。
 あなたがおいでにならないので涙が乾く暇もありません 」と
訴える女です。

  「 待てど 暮らせど
    来ぬひとを
    宵待草の やるせなさ
    こよいは 月も
    出ぬそうな  」    竹久夢二作詞

  「 暮れて 河原に 
    星一つ
    宵待草の  花の露
    更けては  風も
    泣くそうな 」        西条八十 二番補作


   万葉集その578 (夏の恋歌1) 完

                次回の更新は5月6日の予定です。


  
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by uqrx74fd | 2016-04-29 07:09 | 心象

万葉集その五百七十七(竹は木か草か?)

( 竹の秋と藤   山の辺の道  奈良 )
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( 京都嵯峨野の竹林 )
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( ムクロジの木の幹を突き破って生え出た驚異的な生命力の竹  奈良公園 )
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( 脱皮して竹になる  皇居東御苑 )
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( 美しい竹の色    同上 )
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( 六義園の竹垣と門   東京 )
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( 披雲閣の竹垣  玉藻公園  高松城跡 )
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( 京都祇王寺の入り口 )
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( 掬月亭の竹垣  高松栗林公園 )
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( 京都嵯峨野の竹垣と竹籠 )」
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( 池波正太郎が愛した筍料理 刺身、煮物、付け焼き、木の芽和え、など、包丁好みより  )
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「 木にもあらず 草にもあらぬ 竹のよの
     はしにわが身は 成りぬべらなり 」  
                           高津皇女(桓武天皇皇女) 古今和歌集


( 木でもなく草でもない竹の、その節(よ)と節(よ)の間(はし)のように
  私は中空のどっちつかずの状態の身になってしまいそうだ )

恋に焦がれて身も心もうつろな作者ですが、この歌は、紀元300年頃の中国の人、
戴凱之(たいがいし)の「竹譜」に見える
「竹は剛ならず,柔ならず、草にあらず、木にあらず」に拠っているそうです。

「竹は木か草か」という議論は古くからあり、今でも続いています。
草説が多いようですが、その理由として竹は、

1、生えた根が伸びて次々に芽を出し繁殖する。
2、節は空洞。
3、花は60~120年に1回しか咲かないが、咲くとすべて枯れ果てる。
4、年輪がない。 
5、成長が異常に早く、マダケで1日121㎝、モウソウチクで119㎝の記録がある。

など、木にはない特性を持つことがあげられています。

竹の歴史は古く、縄文晩期(前1000~前300)の竹製品が亀ヶ岡遺跡(つがる市)や
是川遺跡(八戸市)から出土されており、それも、笊(ざる)、籠、
籃胎漆器(らんたいしっき:竹を編み漆を塗った器)など、高度な加工品。
身近なところから得られ、しかも加工しやすいため色々な生活用品が作られたと
思われますが、早くも漆塗り製品が作られていたとは驚きです。

なお、現在どこにでも見られる孟宗竹は1763年頃の江戸時代、中国からの渡来と
されているので古代の竹はマダケと笹と思われます。

筍も古くから食されていました。
奈良時代の平城京木簡に筍を大量に購入して代金を支払ったとの記録があり、
廣野卓氏は「薬効を目的として焼いて食べたらしいが、ワカメと和えて食した」
とも推定されており(食の万葉集、中公新書)、今も昔も変わらぬ季節の食物として
好まれていたことが窺われます。

万葉集では、竹、笹、篠なども含めて四十首近く詠われ、群竹、竹垣、竹葉、
竹玉(神事用)、細竹、小竹、植え竹など多彩な表現がなされています。

「 我がやどの いささ群竹(むらたけ) 吹く風の
   音のかそけき この夕(ゆふへ)かも 」
                               巻19-4291 大伴家持(既出)


753年4月(旧暦)の初めに詠まれた三連首のうちの一。

庭の一隅のわずかな竹林に一陣の風が吹き渡ってゆく。
作者の研ぎ澄まされた神経に微かに聴こえてくる風の音。
それは揺れる竹の葉であるとともに家持の心の揺らぎ。
誰もが浮き浮きとした気分の麗(うら)らかな春日であるにもかかわらず、
晴れやらぬ気持で一人孤独を感じている。

「まさにこの歌はバイオリンの細かい旋律を聞くみたい。
震えるような心」(犬養孝)とも評されている万葉屈指の名歌です。

さらに大岡信氏は

「 何ともとらえどころのない気分そのものを制作のモチーフしたもので
万葉集の他の作者たちの歌とは極めて異質な出来栄えを示しているばかりではなく
平安朝の和歌とも画然と異なるところのある作。
このような歌は、近代人のものの感じ方、はっきりいえば、感傷に大きな価値を
見出すようになった近代以降の感受性のありかたに、意外なほど近親性をもって
いるものだと云える」
              と述べておられます。(私の万葉集5 講談社)

「 あらたまの 寸戸(きへ)が竹垣 編目ゆも
    妹し見えなば 我(あ)れ恋ひめやも 」 
                             巻11-2530 作者未詳


「寸戸(きへ)が竹垣」は 特殊な形をした家の周囲を囲んでいる竹垣。

( 寸戸(きへ)の竹垣、このわずかな編み目からでも お前の姿を
 一目見ることが出来たら、俺はこんなに恋焦がれたりするもんか)

男が女性の家を訪ねたが女は家に閉じ籠って顔を見せない。
せめて一目だけでもと家の周りをうろつく。
女性は母親から交際を禁じられ、強く叱責されたのでしょうか。
うろうろしながら、家の中を覗き込んでいる男の様子を想像すると、
いささか微笑を禁じ得ない一首です。

「 大和には 聞こえも行くか 大我野(おほがの)の
    竹葉刈り敷き 廬(いほ)りせりとは 」 
                          巻9-1677 作者未詳


( ここ大我野の竹の葉を刈り敷いて 私が廬に籠っているということを
 いとしい人が待つ大和に噂で聞こえていったかな )

701年持統、文武天皇が紀伊の牟婁(むろ)温泉に行幸された時、
供奉した作者が帰路で詠ったもの。

大我野は和歌山と奈良の間にある地名。
「 あと1日でいよいよ妻に逢える。
私がここまで来ていることを風の便りに聞いてくれただろうか 」
とそわそわしている男です。

「 妹らがり 我が通い道(ぢ)の 小竹(しの)すすき
      我(わ)れし通はば 靡け小篠原 」 
                            巻7-1121 作者未詳


( あの子のもとにいつも通っている道に生い茂っている篠竹や薄よ。
私が通るときは地面に伏して靡け、靡け。)

愛する女の許に通う時はいつも夜。
道をふさぐ篠竹や芒に足をとられて転ぶこともあったことでしょう。
心がはやり、靡け、靡け、道を広げろと願う男。

「妹らがり」は「妹が在り」で愛しい子の許へ 
「妹ら」の「ら」は親愛を示す

「 我が背子を いづち行かめと さき竹の
   そがひに寝しく  今し悔しも 」 
                       巻7-1412 作者未詳


( 私の愛しい人、あの人にかぎって何処へも行くはずがないと思っていた。
 それなのに、急にいなくなって。
 今となっては割き竹のように背中を向けて寝たことが、悔やまれてなりません。)

夫婦喧嘩をして、すねて背を向けて寝た直後に夫がいなくなった。
防人として旅立ったのか、腹を立てて家出をしたのか、それとも急死?
涙にくれながら共に過ごした日を思い出し、もっと優しくしてあげればよかったと
悔やむ女。

さき竹は割れて二つになった竹。
それにしても万葉人は面白い表現をするものです。

   「 竹の子や 藪の中から 酒買ひに 」     泉鏡花

いよいよ待ちに待った筍の季節。
以下は 池波正太郎の「包丁ごよみ」(新潮文庫)からです。

『 京都の南郊、乙訓(おとくに)は、見事な竹藪で有名だ。
 その乙訓の長岡天神の池畔に「錦水亭」という筍料理専門の料理屋があって、
  むかしは、食べさせるだけでなく,泊めてもくれた。
  池のほとりに、大小の離れ屋がたちならび、ここに泊まると、別世界へ
  来た思いがした。
  掘りたての筍を、吸い物,炊き合わせ、刺身、木の芽和え、でんがく、天麩羅。
  すべて筍料理だが、その旨いことは、私の友人の言葉ではないが
  「おはなしにならない」のであった。
  掘りたての筍が、こんなに、やわらかくて旨いものだと知ったのは
  むかし、錦水亭に泊まってからだ。
  いまも私は、筍が大好きである。 』 

筍と云う字は「竹」と「旬」から成り、一旬は10日すなわち竹の早い成長を
表す文字だそうです。
朝露が残る掘りたての筍は、えぐ味がないので、ゆでてアク抜きする必要がなく、
刺身にしてもよし、カツオの出汁で煮てもこれが同じ筍かと思うくらい美味い。
さぁ、さぁ、旬の香りと味を楽しみましょう。

     「 松風に 筍飯を さましけり 」   長谷川かな女



              万葉集577(竹は木か草か?) 完

    
       
       次回の更新は4月29日です
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by uqrx74fd | 2016-04-21 21:18 | 植物

万葉集その五百七十六 (常盤)

( 常盤なるもの 日の出 精進湖より)
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( 落日の生駒山   奈良 )
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( 皆既日食 )
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( 渦巻銀河  宇宙博で )
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( 満月)
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( 母なる海   ハワイで)
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( 父なる山 三島で)
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( さざれ石: 小石、細かい石が集まった隙間に炭酸カルシウム、水酸化鉄が入り込み
         固まったもの。学術名 石灰質角礫岩 前の説明文 橿原考古学研究所)
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( 宮滝の巨岩  奈良吉野)
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( 常盤の松  善養寺  東京小岩 )
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( あれ見よ かしこの常盤の杜は 心の故郷 我らが母校 
             早稲田大学校歌3番  大隈庭園にその面影を残す)
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( 石山寺縁起 大岡信ことば館  三島  画面をクリックすると拡大できます)
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「ときわ」の語源は「とこいわ」とされ「とこ」は常、「いわ」は「岩」で
「岩のように不変、永久に」という祝福の気持ちがこめられた言葉です。

「とこ」から派生したものに「常夏」「とこ葉(常緑)」「とこしえ」などがあり
古くは常盤国、常盤御前、現在では鉄道路線や駅、船、学校、会社名、
神社(水戸黄門を祀る)、姓名(常盤貴子、常盤新平など)、常磐津、はては
饅頭、泡盛の銘柄などにいたるまで、ありとあらゆる分野で幅広く
用いられており、この言葉がいかに万人に好まれているかを窺わせています。

万葉集では宴席での寿ぎ歌、不変と移ろうものとの対比による詠嘆として
「常盤なす」「常盤にいませ」「常盤なる」など4首見えます。

「 吉野川 巌と栢(かや)と 常盤なす
   我れは通はむ  万代(よろづよ)までに 」
                         巻7-1134 作者未詳


( 吉野川の巌と山に根を張る栢の木が変わることがないように
  我々もこれから変わることなく、いついつまでもこの地に通おう )

古代、吉野は都の人たちにとって憧れの地でした。
山あり清流あり、花咲く木々、そして鮎や山女魚、松茸、栗、山菜,筍などのご馳走。
天皇の行幸42回、特に持統天皇は妃時代も含めると34回も訪れた聖地です。

念願かなって吉野を訪れた作者は、仲間たちと川のほとりで飲めや歌えやの宴会。
「何度でも訪れたい素晴らしい地だ」と褒めそやしています。

なお歌の結句「万代までに」の原文が「万世左右二」となっており、平安時代、
源順(みなもとのしたごう)が「 よろづよ までに 」と訓み解くのに
四苦八苦した逸話が残されています。(掲載写真参照)

「 春草は 後(のち)はうつろふ 巌なす
     常盤にいませ 貴(たふと)き我(あ)が君 」 
                      巻6-988 市原王(既出)

( 春草はどんなに茂ってものちには枯れて変わり果ててしまいます。
 わが貴き父よ! どうか巌のように、いつまでも変わらず
 お元気でいて下さい)

「君」は自分が敬愛する人(主人、父母、配偶者、友人、知人)をいい、
作者が宴席で 父、安貴王の健在を寿いだもの。
春草と巌を対比させ、調べは荘重。
安貴王は天智天皇の曾孫、親愛と深い愛情が感じられる一首です。

「 八千種(やちくさ)の 花はうつろふ 常盤なる
     松のさ枝を 我れは結ばな 」 
                      巻20-4501 大伴家持(既出)


( 折々の花はとりどりに美しいけれどやがて色褪せてしまいます。
 我らは永久に変わらぬ、このお庭の松を結んで ご主人の長寿とご繁栄を
 お祈りいたしましょう。)

758年 作者と親しかった中臣清麻呂宅での宴の折の歌。
「松が枝を結ぶ」は、枝と枝とを紐などで結び合わせて無事、安全を祈る
おまじない的行為で、結ぶ紐は自分の魂の分身であると考えられていました。

家持は主人と友人の繁栄と長寿を祈りつつ、
「 この松のごとく長寿は保ちえないとしても、お互いを結ぶ
友情の絆は不変でありたい」と願っていたように思われます。

なお、「紐を結ぶ」という行為は、「御神籤を神木に結ぶ」「慶弔の袋を紐(水引)で結ぶ」、
「組み紐」、さらに「印刷された贈答用の水引き付熨斗紙で包む」等、
形を変えながら今もなお受け継がれています。

「 常盤なす 石室(いはや)や今も ありけれど
       住みける人ぞ 常なかりける 」
                      巻3-308  博通法師(伝未詳)

( 石室は常盤のように昔と変わらず今もあり続けているけれども
 ここに住んでいた人は常住不変ではなかったなぁ )

作者が紀伊を訪れ、伝説の人、久米の若子(わくご:若者)が住んでいたという
三穂の石室を見た時の感慨のようですが、どのような伝説であったかは不明です。
ただ、「万葉の歌 和歌山 村瀬憲夫著 保育社」によると

『 都から難をのがれて紀伊国にいらっしゃった久米の若子は人目、人言を避けて
  三穂の岩屋にひっそり住んでいらっしゃった。
  そこで三穂の女性と契りを結び、やがて都へ帰って栄達する。
  ところが三穂の女性は(源氏物語の)明石の君と筋書きが違い、ひっそりと
  この地で果てた。
  こう考えると、久米の若子は日本書紀にある
  「またの名は来目稚子(わくご)とある「弘計王(をけのみこ)」
  すなわち「顕宗天皇(けんぞうてんのう)という説がもっともふさわしい。

  父が雄略天皇に殺されたとき、兄の憶計王(おけのみこ)とともに難を逃れて
  播磨の国に行き、そこで志自牟(しじむ)という家に身を隠し、
  馬飼い、牛飼いの仕事をして世を過ごす。
  その後、清寧天皇(せいねいてんのう)の世に発見され、互いに譲り合いながらも
  弟の弘計王(をけのみこ)が位につくのである。

  もちろん紀伊国とは関係のない話だが、こと伝説となるとあちらこちら駆け巡る。
  弘計王すなわち久米稚子が、紀伊国の三穂の岩屋に隠れ住んでいたという
  伝説が残っていたかもしれないのである。』 と
  想像たくましく述べておられます。

また、伊藤博氏は
「 和歌山県日高郡美浜町の神社の裏手の崖を下りたあたりに巨大な石窟があり
巨岩も沢山転がっている。
このあたりが詠われた地ではないか」とも。

「常盤」で忘れられないのは「トキワ荘」。(東京都豊島区東長崎)
手塚治虫、寺田ヒロオ、藤子不二雄、石森正太郎、赤塚不二夫、園山俊夫など
錚々たる漫画家が若き頃住み、お互いに切磋琢磨していたと言われる木造アパートです。
1982年、老朽化のため残念ながら取り壊されましたが、今なお伝説の地として
記憶に新しく、小説、映画化されました。

 「 牛若の 目がさめますと 常盤言い 」 江戸川柳

          ( 強引にくどき寄る清盛、 避ける常盤御前 )

             万葉集576 (常盤) 完


    次回の更新は4月22日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2016-04-15 07:13 | 生活

万葉集その五百七十五 (瀬戸の縄海苔)

( 瀬戸内海の朝  小豆島で )
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( 干潮になると島々が陸続きになる 夜明けから渡るカップルも )
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( 陸続きになった海岸を歩く  ここはエンジェルロードとよぶそうな)
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( 浅瀬で靡く縄海苔  現在名はウミゾウメン)
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(  ウミゾウメン )
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( 同上 )
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(  海藻と貝  )
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( 海底で宝石のように輝く貝 )
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( ツルモ  牧野富太郎博士は縄海苔はツルモとされている   植物図鑑より )
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( 能登土産の海ぞうめん )
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縄海苔とは波の荒い磯に付く細長いひも状の海藻で、現在名はウミゾウメンが通説と
されていますが、砂や泥質の海底に立つ長い糸状のツルモとする説(牧野富太郎)もあります。

ウミゾウメンはベニモズク科の紅藻類で長さ10~20cm、
ツルモはツルモ科の褐藻類で90㎝~3,6mもあり海でゆらゆら揺れている姿は
長いロープが垂れ下がっているようです。

古代の人にとって海藻は食用として身近な存在だったと思われますが、
縄海苔はウミゾウメン、ツルモの区別なく、紐状の藻の総称だったかもしれません。

万葉集では4首登場しますが、すべて恋の歌。
どんな対象でも愛する人に結び付ける万葉人の恋の材料の豊かさ、
発想のユニークさには毎度のことながら驚かされます。

「 海原(うなはら)の 沖つ縄海苔 うち靡き
        心もしのに 思ほゆるかも」 
                             巻11-2779 作者未詳


( 青海原の水底に生えている縄海苔が揺れ靡いているように
  私は、ただただ、あの人に惚れぬいています。
  もう、心が折れて死んでしまいそう。)

海底から長く伸びている紐糸状の海藻がゆらゆら揺れている。
この縄海苔のように自身の気持ちもあなた様に靡いて一時も忘れることがありません。
このままでは焦がれ死にしそうですと詠う乙女。

「 わたつみの 沖に生ひたる 縄海苔の
     名はかって告(の)らじ 恋は死ぬとも 」 
                         巻12-3080 作者未詳


( 大海原の底深くに根生えている縄海苔の名のように
 あなたの名(な)は決して口に出して他人に洩らしません。
 たとえ焦がれ死ぬようなことがありましても。)

恋は秘密にというのが当時のしきたり。
相手の名前を口に出すと、想いは成就しないと信じられていました。
死んでもあの人のことは誰にも言うまいと必死に耐える純情な娘です。

「 わたつみの 沖つ縄海苔 来る時と
    妹が待つらむ  月は経(へ)につつ 」 
                      巻15-3663 作者未詳


( 海の神が統べ給う海底の縄海苔
 その縄海苔を手繰るように もう帰ってくる頃だと、あの子が待っているはずの
 約束の月日はどんどん過ぎ去ってしまった。)

736年遣新羅使が都を離れて筑紫に到着した時、月を遠くにみはるかし
故郷を思い慕った歌。

縄海苔はある時期になると着床から遊離して岸に流れついていたようです。
作者は妻に「縄海苔が流れ着く頃に家へ帰るからな」と云って出かけたのでしょう。
ところが途中で遭難し、新羅どころか、まだ博多湾。
何時帰ることが出来るか分からない状態でした。
「あぁ、今ごろ首を長くして待っているだろうなぁ」と
故郷の方角に向かいながら嘆く男です。

  「 海原に 靡く縄海苔  恋心  」 筆者

縄海苔はミネラル類( 鉄、カリウム、カルシユウム、ヨード)やビタミンAが多く
含まれ、万葉人の健康を支えていたと思われますが、現在でも輪島などで
名産品として販売されています。

 「 海藻の にほひ香し  波風に
        病と闘う  友をしぞ思ふ 」    筆者

( 60年来の学友の急病。
 栄養たっぷりの海藻を召して回復を。)

小豆島の土庄港(とのしょうこう)近くにエンジェルロード、天使の散歩道と
よばれている場所があります。
干潮になると今まで海を隔てて離れていた小さな島々が陸続きになるのです。
美しい砂浜を歩くと今まで海に沈んでいた海藻や貝が砂浜に現れ、
その中にウミゾウメンも混じっていました。
「 おぁ! 万葉の縄海苔見つけた、あったぞ! 」と小躍り。
まさに天使の贈り物でした。

海は底まで見えるほど澄み切っており、浅瀬で陽の光を受けた海藻が
ゆらゆら揺れる中、貝が宝石のように光り輝き、幻想的な雰囲気を
醸し出していました。
瀬戸内海の自然の美しさを目の当たりにし、万葉人もきっとこのような
風景の中で詠ったのだろうと思ったことでした。

  「 あらうれし 瀬戸で縄海苔  見つけたり 」 筆者


             万葉集575(瀬戸の縄海苔) 完

   
   次回の更新は4月15日です。

  
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by uqrx74fd | 2016-04-08 00:00 | 植物

万葉集その五百七十四 ( 虫麻呂の桜 )

( 花の寺 長谷寺  奈良 )
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(  同上  白木蓮と桜 )
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(  同上  境内満開の桜 ) 
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(  同上 白木蓮、サンシュ、桜の競演 )
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(  二月堂参道     奈良 )
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( 桃と桜  山辺の道  奈良 )
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( 川俣神社 曽我川    奈良 )
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( 大美和の杜  後方は三輪山  山辺の道  奈良 )
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( 玄賓庵  波状の砂庭に散り落ちた桜の花びら  山辺の道 奈良 )
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( 花筏  千鳥ヶ淵  東京 )
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( まるで花吹雪のよう  千鳥ヶ淵  )
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(  京都御所御苑の枝垂れ桜 )
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( 新宿御苑  東京 )
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高橋虫麻呂は浦島伝説や筑波山の歌垣、胸元広く腰が締まった美女、
ホトトギスの托卵など36首(うち34首は虫麻呂歌集)の歌を残していますが、
その大半が地名と美しい女性が登場し、読む人を引き付けてやまない魅力を
もつものばかりです。
にもかかわらず、その経歴は全く不明。
歌から推測できるのは、藤原宇合(うまかい)の庇護を受けて共に東国、近畿を
巡り歩き、各地の伝説や言い伝えを歌に詠み、常陸国風土記を編纂したと
推定されることのみです。

宇合は時の権力者、藤原不比等の子であり、光明皇后の異母兄妹。
虫麻呂は経済的な心配何一つ無く、伸び伸びと活動できたと思われ、
その歌風は色彩的かつ幻想的で独特の美の世界を作り上げているロマンチシスト、
そして美しい女性に対する憧れが強かったにもかかわらず自身の恋の歌を
詠わない孤愁の人でした。

次の歌は桜、それも花吹雪が川に舞い落ちる美しさを詠ったものといえば、
虫麻呂はいかに現代的な感覚の歌人であったことが窺いしれましょう。
まずは長歌の訳文からです。

( 訳文:巻9-1751 高橋虫麻呂 長歌)

 「島山を行き巡って流れる   
  川沿いの 岡辺の道を通って
  私が越えてきたのは ほんの昨日のことであったが
  たった一晩旅宿りしただけなのに
  もう、峰の上の桜の花は 
  滝の早瀬を ひらひらと散っては流れている

  わが君が帰り道に ご覧になるその日までは
  山おろしの風など 吹かせ給うなと
  馬にうち乗りながら せっせと越え行き、
  その名も高い風の神 龍田の杜に 
   風を鎮めるお祭りをいたしましょう 」
                               巻9-1751 高橋虫麻呂
( 訓み下し文 )

「 島山を い行(ゆ)き廻(めぐ)れる 
 川沿ひの 岡辺(おかへ)の道ゆ
 昨日(きのふ)こそ 我が越え来(こ)しか 
  一夜(ひとよ)のみ 寝たりしからに

  峰(を)の上の  桜の花は
  滝の瀬ゆ  散らひて流る

  君が見む その日までに
  山おろしの 風な吹きそと

  打ち越えて 
  名に負へる杜に 風祭りせな 」    巻9-1751 高橋虫麻呂(一部既出)


   (語句解説)

       島山: 「島」は水に面した美しい所。
             ここでは大和川が龍田山の裾を巡っている川べりの山、
             今は芝山とよばれるあたり

       山おろしの風: 山から吹き下ろしてくる激しい風

       名に負える社: 風を祀る神として知られた龍田神社

       風祭りせな:  風の神を祀って祈願しよう
                 当時、台風、風害を防ぐ官祭として4月、7月に
                 豊穣祈願祭がおこなわれていた。

この歌は726年、藤原宇合が難波宮造営の責任者に任命されたのに従い、
大和と難波を往復した時の歌です。
虫麻呂は急用ができたのか、一足先に大和へ戻る途中、龍田山の芝山辺りで
満開の桜が風に吹かれ花吹雪となっている光景に出合いました。
はらはらと舞い落ちる花びらは、川一面に散り敷き、花筏となって流れています。
あまりの見事さに虫麻呂は

「 櫻よ、龍田山の風の神様にお願いに行きますから
  もうこれ以上散らさないで下さい。
  わが主、宇合様が帰りにご覧になるまで 」と祈ったのです。

中西進氏は「 激流に もまれる花びらの美の発見者は虫麻呂だった」と
述べておられる( 旅に棲む 高橋虫麻呂論 中公文庫 )異色の長歌です。

続いて反歌です。

「 い行(ゆ)き逢ひの 坂のふもとに 咲きををる
    桜の花を 見せむ子もがも 」    
                             巻9-1752 高橋虫麻呂


( 国境の聖なる行き逢いの坂の麓に 枝もたわわに咲く桜の花。
 この美しい花を見せてあげられる 乙女でもいればよいのになぁ。 ) 
 
「咲きををる」:茂りたわむ
「い行き逢いの坂」とは隣国の神同士が両側から登りつめて、境界をきめたという
伝承をもつ神聖な坂とされ、ここは大和と河内の境をなす龍田越えの坂。
ここも桜が満開だったのでしょう。

美しい女性に対する憧れが強かった虫麻呂は、帰りの一人旅の気安さからか、
理想の美女を瞼に描きながら詠っています。

さて、この歌のどういうところが虫麻呂風なのか?
犬養孝氏は詳細に解説されていますが要約すると以下の通りです。

 1、虫麻呂の歌はほとんど土地名が出てくるがここでも冒頭に場所が示され、
   しかも、行ったことがない魅力を感じたところを描く。

 2、 花が散り落ちて流れる美に陶酔。

 3、 「 君が見む その日までには」は宇合に対する社交辞令で
    心は花の散り際の美しさによせる耽美の気持ち。
    狙いは櫻だけにある。

  4、 「風祭り」すなわち稲の豊作を祈る行事を、桜が散らないように祈る
      祭祀に利用している。
      つまり都会人の感覚で美の為の神に転用した。
     神を畏れ敬っていた昔の時代には見ることが出来ない感覚。

  5、 反歌に「見せたい児」が出てくる。
     「恋人に値する可愛い女性がいればなぁ」と詠い、
     桜に女性を添え、美を求めてやまない虫麻呂。
                               ( 高橋虫麻呂の世界: 世界思想社 )

じっくり味わうと奥深いですね。

     「 櫻花 何が不足で 散りいそぐ 」   一茶


       万葉集その574(虫麻呂の櫻 )  完

       次回の更新は4月8日です。
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by uqrx74fd | 2016-04-01 00:00 | 植物