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万葉集その五百九十五 (萩の恋歌)

( 萩のトンネル  向島百花園  東京 )
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( ミヤギノハギ )
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( ヤマハギ  万葉時代に詠われた萩 )
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( シロハギ )
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(  ダルマハギ )
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( マルバハギ )
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( ムラサキセンダイハギ )
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( 萩の新芽  4月上旬 )
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( 萩の実 )
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( 牡鹿 雌鹿  奈良公園 )
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その昔、大和に都があった頃、野にも山にも萩が溢れるほど咲き乱れ、
鹿がその間を胸でかき分けながら歩いていたそうです。
そのような様子を万葉人は「萩は鹿の花妻」「鹿の妻恋」と、
自らの妻や恋人と重ねて詠いました。

「 わが岡に さ雄鹿来鳴く 初萩の
       花妻とひに 来鳴く さ雄鹿 」 
                        巻8-1541 大伴旅人(既出)


     ( 我家近くの丘に雄鹿が来て鳴いているなぁ。
      萩の初花を自分の花妻だと慕って鳴いているのだろうよ。)

「花妻」!
なんと美しい言葉でしょうか。
この旅人の感性豊かな造語は1300年を経て、今なお使い続けられているのです。

一説によると「さ雄鹿」の「さ」は神聖を意味し、
「萩を聖処女、鹿を神と見たてたもの」とする解釈もあります。
国文学者、森朝男氏は、
「 萩に神の依代、花妻は巫女的なものを想定。
つまり初萩は訪れる神を待ち迎える聖処女、
訪なう鹿は神に擬せられる」と述べておられます。

然しながら、果たして旅人にそこまでの意図があったかどうか。
この時期、作者は最愛の妻を亡くしたばかりでした。

咲き誇る萩を眺めながら瞼を閉じると美しくも懐かしい面影が目に浮かぶ。
折から妻を求めて泣く鹿の悲しげな声。
それは己自身の叫びでもある。
「おーい、お前、今どこにいるのだ!」

やがて鹿は花の中に埋没して消えてゆく。
もう追ってもどうにもならない。
そんな心情を詠ったように思えてならないのです。

「 秋萩の 散りゆく見れば おほほしみ
    妻恋(つまごひ)すらし さを鹿鳴くも 」 
                         巻10-2150 作者未詳

( 秋萩が散ってゆくのを見て雄鹿がしきりに鳴いている。
  妻を恋しがって気がふさいでいるのだろうよ。)

この歌も萩を鹿の妻とみて「妻恋」と詠っています。
萩が散るので鹿が意気消沈し、恋しがってしきりに鳴いている。

作者は萩の落花を見ているとき、鹿の鳴き声が聞こえてきたので
自分自身も妻が恋しくなったのでしょうか。
しみじみとした感傷が感じられる一首です。

おほほしみ:心中晴れやらず、ぼんやりしたさまをいう形容詞

「 秋萩の 上に置きたる 白露の
    消(け)かも しなまし 恋ひつつあらずは 」
                     巻10-2254 作者未詳

( 秋萩の上に置いている白露がやがて消えるように
  私なんか消えうせてしまった方がましなのではないかしら。
  こんなに恋焦がれ続けてなんかいないで )

現代風にいえば
「もう死にたいくらいあの方が好き 
でも、相手は一向に靡いてくれない。
いっそのこと,露のように消えてしまいたい 」
といったところでしょうか。

万葉集で詠われている萩は142首。
そのうち「露」と取り合わせたものが34首もあります。

萩の花や枝葉に置かれた宝石のように美しく光る白露に美を見出した
万葉人の繊細な観察眼と日本的な美意識です。

なお、露を  「置く」と詠まれたものは花の最盛期、
         「競ふ」は花芽か咲きかけの直前。
                ( 開花を促す露、いやよいやよと恥じらう萩。
                  その様子を「競う」と表現。)
         「負ふ」は露の重みを背負う意で晩秋の萩を散らすもの。

 と使い分けられており、細やかな神経にも感心させられます。

「 わがやどに 咲きし秋萩 散りすぎて
                 実になるまでに 君に逢はぬかも 」 
                           10-2286 作者未詳

( 我が家の庭に咲いた秋萩、その萩が散り果てて実を結ぶようになってしまった。
 そんなにも長い間、私はあの方にお逢いしていないのですよ。
一体私のことをどう思っているのでしょうか。 )

萩は実を結んだのに私たちの仲は結ばれないと嘆く女。
今まで頻繁に通ってくれていたのに、心変わりして他の女に情を移したのか。
ただただ待ち続ける純情な乙女です。

万葉集で詠われている萩は植物中でトップ。(142首)
貴族に人気があった梅の119首を大きく引き離しています。
万葉人はなぜかくも萩を好んだのか?

切っても切ってもすぐに芽生えるその強い生命力にあやかり長寿、繁栄祈る。
紫の高貴、白の清純な色。
更に実用。
というのは、
萩の葉は乾燥させて茶葉に、実は食用、根は婦人薬(めまい、のぼせ)、
樹皮は縄、小枝は垣根、屋根葺き、箒、筆(手に持つ部分)、
さらに馬牛などの家畜の飼料など、多岐にわたって利用され、
万葉人の生活に密着した有用の植物だったのです。

 「 ほろほろと 秋風こぼす 萩がもと 」  召波(しょうは:江戸中期)


            万葉集595(萩の恋歌)完

            次回の更新は9月2日です。
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by uqrx74fd | 2016-08-25 19:30 | 心象

万葉集その五百九十四 (海神:わたつみ)

( わたつみ    ハワイ )
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(  城ケ島  神奈川県三浦半島 )
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(  同上 )
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(  稚内  後方 利尻富士 )
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(  千枚田と能登の海 )
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(  能登の海 )
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(   安房鴨川  )
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(  住吉神社  全国2300余ある住吉神社の総本社 )
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(  同上 本殿  折しも結婚式が行われていた )
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海神という言葉は「わた」「つ」「み」の三つから成るそうです。

新明解語源辞典によると

「わた」: 「渡る」の意で上古における海の彼方は他界と考えた
       あるいは他界、遠処を示す「ヲト(ヲチ)」が「ワタ」に転訛した。
「つ」は助詞、天つ空 山つ神と同様「の」と同じ
「み」は祇(み)で神霊を意味する

とあります。
つまり、海の果ては人間の住む世界ではなく、神がおわすところと
考えられており、次第に海そのものも意味するようになったのです。

万葉集での「海神」は、清音「わたつみ」と訓まれ、
「海の神」「海」両方の使い分けがなされています。


「 潮満たば いかにせむとか 海神(わたつみ)の
      神が手渡る 海人娘子(あまをとめ)ども 」 
                             巻7-1216 作者未詳

( 潮が満ちてきたら、いったいどうするつもりなのか。
 海神の支配する恐ろしい難所を泳いでいる海人の娘子らは )

和歌山市の南部、雑賀野(さいかの)というところから海を見下ろしながら
旅行中の官人が詠ったもの。

穏(おだや)かな海面。
海女達が海に潜って鮑や白玉(真珠)を採っている。
一度潜るとなかなか浮き上がってこない。
このような光景を初めて見る都人は、驚嘆しつつも海が荒れたら
どうするのだろうかと、他所ながら心配しています。

海女は巧みな者で30m以上も潜り、波間に顔を出したとき鋭く息をします。
その音が笛のように聞こえるので磯笛とよばれるそうな。

「 海神の いづれの神を 祈らばか
    行くさも来(く)さも 船の早けむ 」 
                      巻9-1784 作者未詳


( 海を支配する神のどの神様に祈りを捧げたならば
 行きも帰りも、御船がすいすいと海を渡れるのでしょうか )

遣唐使が出発するにあたって贈られた歌ですが、作者、年代不明。
当時の航海は海図も十分でなく、嵐に遭遇する危険も多い命懸けの渡航でした。
遣唐使は出発の際、海の神、住吉神社に祈願するのが当時の習いでしたが
作者はどの神様にお願いしたのでしょうか。

「行くさも来(く)さも」: 行き帰り
「さ」は移動の途中であることを示す接頭語

「 わたつみの 沖の玉藻の 靡き寝む
    早(はや)来ませ君 待たば苦しも 」 
                        巻12-3079 作者未詳

( 大海原の底にくねり靡く玉藻のように
 あなたに寄り添って寝たい。
 あなた、早く来て抱いて!
 これ以上待つのは苦しくって苦しくって。)

ここでの「わたつみ」は「海」の意。
「靡き寝む」は体をくねらせ髪を振り乱して抱き合う様を想像させ官能的。
「女子の歌にしては珍しくあらわだが、緊迫感が正直に出ていてよい」
とは粋な伊藤博氏の評です。(万葉集釋注6)

「 わたつみの わが身越す浪 立ち返り
     海人のすむてふ うらみつるかな 」
              古今和歌集 詠み人知らず

( 大海の波が私の身の丈を越すほどに、打ち寄せてきては返すように
 私も何度も何度も激しくあの方が住んでいるというあたりに
 思いやってお恨みしております。)

平安時代になると「わたつみ」は海の意が多くなり、「わたつうみ」とも
詠われています。

愛する人が訪れなくなった。
目の前の海は大波が立ち、寄せては返す。
恋人の住む方角を眺めながら

「 あなたどうしたの。こんなに私が恋焦がれているのに。
  もし心変わりしたのなら、お恨みいたしますことよ。」
と呟く女。
潮騒の音が聞こえてくるような恋歌です。

立ち返り  寄せては返す波 何度もの意を掛ける
海人    海辺の労働者と自分の男を掛ける
うらみつる  漁師が海を見る(浦見)と恨みを掛ける

「 年は今 立ちかへるらん わだつみの
           波のほの上に  日はいでにけり 」 太田水穂

              波のほ:波の穂  波がしら

         万葉集594 「 海神:わたつみ 」  完

         ご参照   万葉集331 「きけ わだつみのこえ」  

         次回の更新は8月26日です。
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by uqrx74fd | 2016-08-18 15:36 | 自然

万葉集その五百九十三(麻いろいろ2)

( 亜麻の花   学友M.I さん提供 )
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( 亜麻の原種   小石川植物園 )
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(  奈良の麻専門店 おかい: 以下の写真は同店のご厚意で撮影させていただきました)
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(  麻の繊維   おかい提供 )
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(  近世の織機   同 )
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(  麻布    同  )
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(  古代の手拭   同  )
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(   麻のスカーフ   同 )
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(   着物地     同  )
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(   同     奈良町センター )
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古代、麻にかかわる仕事はすべて女性の役割とされていました。
種蒔き、刈取りまたは抜き取り、皮むき、蒸し、晒し、糸にして布を織る。
根気がいる重労働です。
しかも、軽くて美しい上物は生活の糧として売り、自分たちは分厚な重い衣を着る。
そのような苦しい生活にもかかわらず、万葉の女性は恋をしながら、楽しく
作業の様子を詠うのです。

「 千(ちぢ)の名に 人は云ふとも 織り継がむ
     わが機物(はたもの)の 白き麻衣(あさごろも) 」 
                           巻7-1298 作者未詳

( あれこれと世間の人が噂を立てようとも、私は機にかけた白い衣を
 織り続けましょう。)

「白い麻衣」に「初々しい若者」を「織り継がむ」に「思い続けよう」の
意がこもり、世間が色々噂を立てようとも、私はあの人を一途に愛し続けようと
決心する乙女。

「千(ちぢ)の名」:「千にもおよぶ浮名が立てられようとも」
「白き麻衣」: 麻を晒して白くしたもの

「 娘子(をとめ)らが 績(う)み麻(を)の たたり 打ち麻(そ)懸け
    うむ時なしに 恋ひわたるかも 」 
                          巻12-2990 作者未詳

( 娘たちの麻紡ぎのたたり、そのたたりで打った麻を掛けて
  糸を績(う)み続ける私。
  それと同じようにあの方を倦(う)むことなく、焦がれ続けております。)

「たたり」: 糸紡ぎの緒を掛ける道具で、台付の柱を3本立て、その柱の
頭が三角形になるように置いて糸を巻きつける。

「績み麻」: 麻の繊維を紡いで作った糸。 績(うみ)と「倦み」を掛けている
「打ち麻(そ)」:木づちで打って柔らかくした麻の繊維

「 麻の葉の きりこみ深く 涼徹す 」  大野林火(りんか)

人々は麻で衣類のみならず掛布団や寝間着などの寝具も作りました。

「 庭に立つ 麻手小衾(あさでこむすま) 今夜(こよひ)だに
         夫(つま)寄(よ)しこそね 麻手小衾(あさでこぶすま) 」
                           巻14-3454 作者未詳

( 庭畑に茂り立つ麻 その麻で作った夜着よ、
 せめて今夜だけでも愛する夫をここに呼び寄せておくれ。
 麻の夜着よ )

当時、寝具に男の来訪を呼び寄せる力があったと信じられていました。
男は遠方を旅しているのでしょうか。
壁に掛かった男の夜着には夫の霊魂が宿っている。
その方に向かって熱心に祈る健気な女です。

「麻手小衾」(あさでこぶすま) 麻で作った寝具。
言葉を二度繰り返すことによって霊力を得たいとの心がこもります。 

「 今年行(ゆ)く 新島守(にひしまもり)が 麻衣(あさごろも)
    肩のまよひは 誰(たれ)か取り見む 」
                             巻7-1265  作者未詳

(  今年出かけてゆく新しい島守の 麻の衣
  その衣の肩のほつれは いったい誰が繕ってやるのであろうか)

島守は諸国の軍団の兵士から選ばれ、筑紫、壱岐、対馬の辺境の
守備にあたった防人。
愛しい人、または子供を防人に送りだす妻か母が気づかって詠んだもの。

「衣の肩のほつれを繕う人もいないのに、さぞ不便なことだろう。
 私が傍に居てあげられたらいいのに 」

「まよひ」生地が薄くなってほつれること

「 白露に 紫映える 亜麻の花 」  筆者

麻の歴史を画期的に変えたのは亜麻。
中東原産のアマ科の一年草で、我国には江戸時代、元禄の頃に渡来したと
いわれています。
当初、小石川御薬園で薬種として種子を採るために栽培されましたが、
中国から容易に輸入出来たので定着せず、本格的な栽培は明治の北海道開拓時代、
榎本武揚によってなされ、繊維用として第2次大戦頃にピークに達しました。

戦後、化学繊維の台頭で没落しましたが、近年、栽培適地の北海道で
多年草の園芸種の亜麻の花の美しさに人気が高まり、札幌市の麻生町、
苗穂、当別町では亜麻を生かした街づくりが行われ、
多彩な行事が開催されています。

なお、亜麻の茎の繊維は大麻、苧麻より上質かつ強靭で柔らかく、
リンネル(リネン:薄地織物)の製品ほか、高級衣料や女性の高級下着
(ランジェリ-)にも使われています。
また、成熟した種子から亜麻仁油が得られ、食用に供されるほか、
油絵具の材料としても用いられている有用の植物です。

因みに亜麻色とは「黄みを帯びた茶色」。
金髪とは少しイメージが違い、栗毛に近いそうな。

「 亜麻の花 ふるればもろく 散りにけり 」  角川照子

ご参考
 「本麻奈良晒 」
   近世奈良を中心として生産された麻織物。
  室町時代寺院の注文により生産されていたが、慶長16年(1611)徳川家康の
  上意により、大久保長安が奈良の具足師、岩井与左衛門に書状を与えて
  保護し、幕府の御用品と認めたので全国的に知られた。
  以後、享保年間まで30~40万疋の生産を続け、奈良隋一の産業となった。
  宝暦4年(1754)刊行の「日本山海名物図会 」には
  「 麻の最上は南都なり。 
    近国よりその品数々出れども、染めて色よく、着て身にまとわらず、
    汗をはじく故に世に奈良晒として重宝するなり 」
 と評価された。
現在、奈良晒を営む者は僅かになったが、旧来の伝統を守り伝えている。

  ( 本麻奈良晒織元 株式会社 岡井麻布商店
               麻布 おかい )  提供の説明書要約

     
           万葉集593 (麻いろいろ2 ) 完


           次回の更新は8月19日です。
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by uqrx74fd | 2016-08-12 07:12 | 植物

万葉集その五百九十二 (麻いろいろ1)

( 亜麻の花  学友m.i さん提供 )
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( 苧麻:ちょま カラムシともいう   奈良万葉植物園 )
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( 大麻  新北海道の花より  学友m.i さん提供 )
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( 亜麻  小石川植物園  我国で初めて栽培されたのは小石川御薬園 )
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( 麻のれん、繊維   麻専門店 おかい(岡井)  奈良市 )
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( 復元機織具 弥生時代  橿原考古学研究所  奈良 )
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( 機織具を使って麻を織る女性   同上 )
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( 麻のレース  吉田蚊帳店  奈良町 )
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(  麻の蚊帳  奈良町資料館 )
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( 麻のタペストリー  奈良町センター )
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縄文時代晩期、古代の人達は麻、苧麻(ちょま)、藤、楮、三椏、葛、芭蕉布などの
内皮を利用して衣類や袋、縄、網などの生活用品を作っていました。
とりわけ麻、苧麻は栽培が容易で短期間に大量に収穫でき、しかも質の良い
靭皮を採る作業も比較的簡単なので広く使用され、奈良時代になると
持統天皇が苧麻の栽培を推奨する詔を出されています。(692年)
やがて、亜麻、黄麻(こうま:ジュート)、サイザル麻などが渡来すると、
それら麻類を一括して麻と呼ぶようになり元来の麻は大麻と呼んで区別しました。
大麻とは大きく成長する麻の意です。

万葉集に登場する麻は二十八首、種蒔き、刈り取り、布作り、晒し、
機織りなどすべての生産工程が歌に詠まれています。

「 夏麻(なつそ)引(び)く 海上潟(うなかみがた)の 沖つ洲に
     鳥は すだけど 君の音もせず 」  
                               巻7-1176 作者未詳

( 海上潟の沖の砂州に鳥が群がって騒いでいるけれども
 あなたからは一向に音沙汰もありません。
 いったいどうなさったのでしょうか。 )

「夏麻(なつそ)引く」は「海上潟」の枕詞 
夏の麻を引いて衣に績(う)む、あるいは夏の麻を引き抜く畝(うね)の意で
「ウ」の音を冠する地名「ウナカミ」「ウナヒ」に掛かる。

「海上潟(うなかみがた)」 千葉県銚子市海上郡地方の海岸の千潟

ここでの麻は「引く=引き抜く」とあるのでアサ科の1年草の大麻、
雌雄異株です。
名の由来は茎が青みを帯びた皮の繊維であることから青麻(あおそ)とよばれて
いたものが「あさ(麻)」に転訛したとされています。
原産地は中央アジアから西アジア。
日本では弥生時代の栽培とみられています。

春に播種し、品質を高めるため密植する。(さもないと枝分かれして品質が落ちる)
夏に草丈2~3mで抜き取り蒸して皮を剥いで繊維を採ります。
開花は夏。秋に果実となった苧実(おのみ:麻美)は七味唐辛子の薬味の一つ。
食用油、工業油も採れます。(毒性のないものの栽培は免許制)

成熟した雌株の葉から分泌する樹脂をハシーシュ、栽培種の花序からのをガンジャ、
野生種の花序や葉からのをマリファナと云うそうです。(禁制品:昭和23年大麻取締法)

「 庭に立つ 麻手(あさで) 刈り干し 布 曝(さら)す
    東女(あづまおみな)を 忘れたまふな 」 
                         巻4-521 常陸娘子(既出)

( 庭に生い立つ麻 それを手で刈り取り、干し、布に織って晒す私。
 この東女をどうぞ忘れないで下さいね ) 

この歌は藤原宇合(うまかい:藤原不比等の第三子)が常陸守の任を離れて帰京する際
親しかった女性が詠ったもの。
麻に関わる作業過程が次々と重ねられ、忙しく立ち働く東国女性の姿が想像されます。
たった31文字で麻にかかわる作業と恋歌を重ねた驚異的な手腕。
相当な教養の持主だったのでしょう。

ここでの麻は苧麻(ちょま)。
一年草の大麻は引き抜きますが多年草の苧麻は刈り取る。
翌年に同じ株から新しい茎が成長し、同じ作業が数年に及びます。

苧麻は真苧(まお)、カラムシ、ラミーともよばれるイラクサ科の草木で
春に根分けして植え、夏に茎を刈り、皮を剥いで中の繊維を採ります。
粗繊維を灰汁に漬けて水で晒すと美しい光沢がある糸や布に。

苧麻(一般にはカラムシとよばれる)から作られる越後布は古くから良品として
知られ、朝廷にも貢納されて正倉院に収蔵されています。

中世、越後の国は日本一の苧麻の産地で上杉謙信と執政、直江兼続は
衣類の原料として京都などに積極的に売り出し、江戸時代初期、技術改良を重ねて
高級苧麻布を生み出しました。
中でも新潟県、魚沼地方の越後上布、小千谷縮(おぢやちぢみ)は名高く、
元禄年間に将軍家の御用縮、武家の式服、諸大名は麻裃(かみしも)に
用いられ、金持ちの商人もこぞって買い求めたようです。
現在、国の重要無形文化財に指定されている「小千谷縮・越後上布」の原料である
苧麻は本州唯一の産地、福島県会津地方の昭和村で栽培されています。

江戸時代、魚沼出身の鈴木牧之(ぼくし:1770~1842)はその著
「北越雪譜:ほくえつせっぷ」(岩波文庫)で次のように記しています。

「 雪中に糸となし、雪中に織り、雪水に洒(そそ)ぎ、雪上に晒(さら)す、
  雪ありて縮あり、されば越後縮は雪と人と気力相半(あいなかば)して
  名産の名あり。
  魚沼郡(うをぬまこほり)の雪は縮の親といふべし。」

縮布の「雪晒し」は、太陽の紫外線が作り出すオゾンによる漂白作業で、
縮に独特の風合いを与えましたが、雪中での作業の連続は過酷を極め、
極めて忍耐力が必要とされたようです。

川端康成は小説「雪国」で縮の記述の多くを同著に拠り、主人公(島村)は
自分の着る麻の縮を「古着屋で漁って夏衣にし」毎年晒して着る人物で、
次のように書いています。

『 自分の縮を島村は今でも「雪晒し」に出す。
  誰が肌につけたかもしれない古着を、毎年産地へ晒しに送るなど
  厄介だけれども、昔の雪ごもりの丹精を思ふと、やはりその織子の土地で
  ほんたうの晒し方をしてやりたいのだった。

  深い雪の上に晒した白麻に朝日が照って、雪か布かが紅(くれなゐ)に
  染まるありさまを考えるだけでも、夏のよごれが取れそうだし、
  我が身をさらされるやうに気持ちよかった。』 
                                   (川端康成 雪国 新潮社)

   「 苧(からむし)の 露白々と 結びけり 」 奥園操子

  
            万葉集592(麻いろいろ1) 完




           次回の更新は8月12日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2016-08-04 19:15 | 植物