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万葉集その六百八 (朝露)

( 彼岸花に置かれた露  学友N.F さん提供 )
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( キス ミー ? いやいや サザンカの花びらでした  自宅 )
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( ヤマハゼ  室生寺  奈良 )
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(  南天   自宅 )
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(  柚子   同上 )
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(  薔薇   同上 )
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(  薔薇の露は甘い  棲みついたカエル君  同上 )
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(  露草  山辺の道  奈良 )
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「露」は「梅雨」「汁(つゆ)」などに関係する語で元々は「湿っている」ことに
由来するそうですが、歌の世界では秋の季語とされ様々な使い方がされています。

古歌では朝露、夕露、白露の表現が多く、露の消えやすさに人生のはかなさを譬え、
つのる思いの強さゆえにこぼれる涙を「思いの露」といい、
悲しみのためにあふれる涙は「心の露」、言葉の美しさを「言葉の露」、
情愛のうるおいは「情けの露」、縁のうすいことを「縁(ゆかり)の露」などと
言い慣わし、日本人好みの題材として数えきれないほど詠われています。

万葉集での露は115余首。
その中から早朝、草葉に降り置き、美しく輝く朝露を。

「 朝露に にほひそめたる 秋山に
    しぐれな降りそ ありわたるがね 」
                    巻10-2179 柿本人麻呂歌集

( 朝露に濡れて色づきはじめた秋の山に
      時雨よ降らないでおくれ。
      この見事な風情がいついつまで続くように )

「ありわたるがね」 長く続いて欲しい
「あり」 存続をしめす接頭語的用法 「がね」 希望的推測をしめす終助詞

当時、秋の露は紅葉を促すものと考えられていました。
折角美しく映えているのに、冷たい時雨を降らせて枯らすなと詠う作者です。

次の歌は
「白い露がどのようにして木の葉を様々な色に染め上げるのだろうか」
と戯れています。

「 白露の 色はひとつを いかにして
      秋の木(こ)の葉を ちぢにそむらむ 」
                            ( 藤原敏行 古今和歌集 )

( 白露の色は一色であるのに、どのようにして秋の木の葉を
 千々の色に染めるのだろうか )

「 朝露に 咲きすさびたる 月草の
    日(ひ)くたつなへに  消(け)ぬべく 思ほゆ 」 
                           巻10-2281 作者未詳(既出)

( 朝露をあびて咲き誇る露草が 日が傾くと共に萎むように
 日が暮れてゆくにつれて 私の心もしおれて消え入るばかりです )

咲きすさびたる : すさぶ: ほしいままに咲きほこっている
日くたつなへに :くたつ:最盛期を過ぎる 衰える

男が「今夜行くよ」と云っていたのに夜が更けても来ない。
期待に胸をふくらませていたのに、時間の経過と共に萎んでゆく。

月草は露草、朝咲き夕べに萎む儚い運命は露と同じ。

竹久夢二の「宵待草」

「 待てど 暮らせど 来ぬ人を
  宵待草の やるせなさ
  こよひは 月も 出ぬそうな 」   

を思い出させる一首です。

 「 朝露の 消(け)やすき我(あ)が身 老いぬとも
     またをちかへり  君をし待たむ 」 
                            巻11-2689 作者未詳

( 朝露のように今にも消え入りそうなこの身、そんな私の命だけれど
      どんなに老いさらばえようと、また若返ってあなたをお持ちしましょう。)

男から疎まれて振られた女、なにくそ、どんなに老いさらばえようと
必ず彼の気持ちを引き戻してみせると自ら励ましているような歌。
男にとって有りがた迷惑な話?

「 かにかくに 物は思はじ 朝露の
     我(あ)が身ひとつは 君がまにまに 」
                       巻11-2691 作者未詳

( あれやこれやと もう思い悩んだりいたしません。
  朝露のようなはかないこの身のすべては、あなたのお心のまま 。)

さまざまに悩んだ末、決心した女。
もうどうにでもして!
とは云ったものの相手の反応は鈍い?

「 かく恋ひむ ものと知りせば 夕(ゆふへ)置きて
    朝(あした)は消(け)ぬる 露にならましを 」 
                         巻12-3038 作者未詳

( これほど恋焦がれるものと知っていたら、いっそのこと
  夕方に置いて朝方に消えてしまう露であればよかった )

こんなに苦しむのであればいっそのこと露のように
消えてしまった方がましだ。
命を懸けた本気の恋とは楽しく、そして苦しいもの。
それでも諦めない万葉人。

露は晴天の風のない夜、急速に地面が冷えると多くなるそうです。
月の光を浴びながらキラキラ光る玉は正に月の雫。
日本語って美しいですね。

余談ながら「露払い」の由来を。
「露払い」とは「先触れや先導すること」をいいますが、
元々は宮中で蹴鞠(けまり)の会がある時、競技者が出る前に、道具を管理する者が
まず蹴って鞠(まり)にかかっている露を払い落したことに由来するそうです。

室町時代になると、遊芸など最初に演ずることに使われ、
さらに相撲で横綱土俵入りの前駆を勤める力士をいうようになったのは
御承知の通り。
相撲の露払いの起源は古代の蹴鞠にありです。

   「 朝露の ふるればこぼる 楽しさに 」    稲畑汀子




                万葉集608 (朝露)   完

               次回の更新は12月2日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2016-11-24 19:40 | 自然

万葉集その六百七 (十月時雨)

( 時雨のあと ドウダンツツジが美しい 依水園  後方東大寺南大門  奈良 )
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(  奈良公園 南大門の近くで )
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( 吉城園   奈良 )
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( 室生寺で   奈良 )
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( 長谷寺   奈良 )
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(  晴れた日の二月堂   奈良 )
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(  正倉院 この辺りは銀杏が多い 奈良 )
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(  大仏池  紅葉が池に映える  奈良 )
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(  浄瑠璃寺  京都 )
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( 大神神社の酒祭り(11月14日)の準備 杉玉は200㎏とか  月刊なららより )
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(  酒屋向けの「三輪明神 しるしの杉玉 」  大神神社で  奈良 )
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「時雨」。
秋の終わりから冬にかけて、日が射しているにもかかわらず突然雨が
パラパラと降り出して直ぐ止む。
あるいは山から山へと移り降ってゆく。

これは、西北の季節風が山に当たって吹き上がり、冷却して雲となって
雨を降らせるために生ずる現象だそうですが、特に京都のような地形で
多くみられるようです。

現在は冬の季語とされていますが、万葉人にはそのような認識はなく、
「九月(ながつき)の時雨」は黄葉を促すもの、
「十月(かむなづき)の時雨」は木々の落葉を早めるものと感じていました。
( 陰暦の9~10月は現行太陽暦の10~11月 )

「 九月(ながつき)の しぐれの雨に 濡れ通り
        春日の山は 色づきにけり 」 
                       巻10-2180 作者未詳

( 長月の時雨の雨に濡れ通って、春日の山はすっかり色づいてきた )

「濡れ通り」とは時雨が木々を隅々まで濡れ徹(とお)らせての意。

「 調子が一気に徹(とお)り、うるおい、響きがある。
現代語訳に置き換える無力さを感じさせ、
繰り返し吟唱するにしくはない」(伊藤博) と評価されている秀歌です。

「 十月(かむなづき)  しぐれにあへる 黄葉(もみちば)の
             吹かば散りなむ  風のまにまに 」 
                             巻8-1590 大伴池主

( 十月の時雨に出会って色づいたもみじ、これと同じ山のもみじは
  風が吹いたら吹かれるままに、散ってしまうことでしょう。)


738年 橘奈良麻呂(左大臣諸兄の子)邸宅での宴歌で
日頃親しくしていた人々11人集まり黄葉を詠ったもの。
全山、赤、黄色に染まった美しい彩りを愛でながら盃を傾けています。

旧交を温め、会話も弾んでいる最中(さなか)、突然、一陣の風にあおられて
木々の葉が舞う。
パラパラと軽く降る雨。
濡れた黄葉は一段と色鮮やかです。
そして、何事もなかったように再び晴れ間が。

そのような情景を思い浮かべさせる一首、作者は大伴家持の歌友です。

「 十月(かむなづき) しぐれの常か わが背子が
         やどの黄葉(もみちば)  散りぬべく見ゆ 」
                             巻19-4259 大伴家持

( 十月:かむなづき、この時雨の雨の習いなのか あなた様の庭のもみじは
  一段と美しく色づいて、今にも散りそうに見えます。
  いつまでもそのままでありたいものですね。)

751年 紀 飯麻呂(きの いひまろ)宅の宴での歌。
「我が背子」は主人、紀麻呂を親しみをこめて呼んだもの。

庭の紅葉の見事さを讃え、一家の繁栄を寿いだ一首。
あえて散りそうな黄葉を詠うことにより、今の盛りを大切に
楽しもうという心を含めたようです。

作者は恭仁京から奈良に戻り、少納言に昇進したばかり。
意気軒昂の時期です。

次の二首は問答とされ男女の掛け合いです。


「 十月(かむなづき) しぐれの雨に 濡れつつか
          君が行くらむ 宿か借(か)るらむ 」 
                          巻12-3213 作者未詳(女)

( もう十月、あの方は今頃冷たいしぐれの雨に濡れながら旅を続けて
 おられるのでしょうか、それとも、どこかで宿を借りておられるのでしょうか。)

初冬の雨に旅先の夫を案じる妻

「 十月(かみなづき) 雨間(あまま)も置かず 降りにせば
          いづれの里の 宿か借らまし 」 
                     巻12-3214 作者未詳(男)

( この寒い十月というのに 晴れ間もなしに 雨が降り続いたら
  一体どこの村里の宿を借りたらよいのであろうか。 )

泊めてくれそうな心当たりもない異郷の広野を旅してゆく不安。
時雨は雨間があるのが普通なのに、ひっきりなしに降る。
これから先、どうすればよいのか、心細くなる男。

十月(かみなづき)は現在「神無月:かんなづき」と書かれますが、
日本中の神々が出雲大社に集まり不在になるとの言い伝えによります。
ただし、出雲だけは神様がおられるので「神有月」と呼ぶそうな。

尤も語源は諸説あり、雷が無くなるので「雷無月(かみなし月)」、
あるいは、新酒が出来るので「醸成月:かもなしつき」が訛ったとも。
後者は、酒好きな人が命名したのでしょう。

   「 あらうれし 杉玉緑 三輪の里 」    筆者

   酒の神様、大神神社の杉の葉で作られた杉玉は新酒入荷の合図。
   全国の酒屋、飲み屋の軒先に掛けられます。
   本殿に飾られる杉玉は200㎏の重さだとか。

         万葉集697 (十月時雨 )完

      次回の更新は11月25日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2016-11-19 17:27 | 自然

万葉集その六百六 (アケビ)

( ミツバアケビの花  向島百花園  )
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(    同上:拡大  )
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( ミツバアケビの実    同上 )
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(  枯れた実  東京都薬用植物園 )
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(  アケビの花   同上 )
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(  アケビの実   同上 )
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( 通信販売カタログ  産地は山形が圧倒的なシエァを占める )
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 アケビは本州、四国、九州に分布するアケビ科つる性の落葉樹で4~5月、
薄紫色の花を咲かせ、秋には10㎝位の楕円形の実を付けます。
完熟すると紫色の果皮がパクッと割れて白く柔らかい美味な果肉が現れるので
「開け実」とよばれていたものが「アケビ」に転訛したそうな。

古くは「狭野方(さのかた)」とよばれていた(土居文明 万葉集私注)ようですが、
植物名ではあるが未詳、あるいは地名とする説(少数)もあります。

「さのかた」が「アケビ」とされる根拠は万葉集で「葛葉(くずは)がた」と
詠われている例があり、「かた」は「蔓(つる)」の意と推測されること(伊藤博)と
「さの」は「さね」つまり「実」と解釈されたと思われるので
本稿は土居説に従います。

万葉集の「さのかた」(アケビ)は二首のみ、共に恋の歌です。

「 さのかたは 実にならずとも 花のみに
         咲きて見えこそ 恋のなぐさに 」 
                    巻10-1928  作者未詳

( さのかたは、実にならなくてもせめて花だけ咲いて見せておくれ
 この苦しい思いのせめてもの慰めに )

  「咲きて見えこそ」:「こそ」は「~してほしい」で「咲いて見せてほしい」
  「恋のなぐさに」: 「恋心を慰めるよすがとして」

男が「さのかた」を女に譬えて、結婚する気はなくとも
せめて交際だけでもして欲しいと口説いています。

本心は体の関係も持ちたいと思っている?
ところが口説かれた女性は人妻。
不倫は厳禁の時代。
女は次のような歌を返します。


「 さのかたは 実になりにしを 今さらに
         春雨降りて  花咲かめやも 」 
                    巻10-1929  作者未詳

( さのかたは とっくに実になっておりますのに 今さら春雨が降って
  花が咲くなどということがありましょうか )

「 春雨降りで」: 当時、春雨は花の開花を促すものと考えられており、
           ここでは男から誘いを受けている状態を譬えています。

「 花咲かめやも」: 「めやも」は反語。
             「あなた様と関係をもつということなどありましょうか」の意

自らを「さのかた」に譬えて、すでに人妻である(実になりし)ことを匂わせながら
相手の求めをはぐらかしています。
取りようによっては靡いてもよいとも思われそうな返事です。
相手をからかっている?
あるいは内心、一時の浮気ならと思っているのか。


「 心ぐく なりて見て居り 藪のなか
        通草(あけび)の花を 掌(て)の上におきて 」  島木赤彦

アケビは漢字で「通草」「木通」と書かれます。
蔓を煎じて飲むと利尿に効ありとされるので「小水が通じる草、木」の意とか。

この歌の作者、島木赤彦は「万葉集の鑑賞及び其の批評」という歌論書を書き、
斎藤茂吉の「万葉秀歌」と常に比較されているアララギ派の巨匠です。

「心ぐく」は「気分が晴れない」の意で万葉集に精通していた作者は
大伴家持が多用していたのを知っていて用いたのでしょうか。

「 心ぐく 思ほゆるかも 春霞
    たなびくときに 言(こと)の通えば 」 
                     巻4-789 大伴家持

( 申し訳けなさに心が晴れずもやもやした気持ちです。
      春霞がたなびくこの季節に、しきりにお便りいただくものですから )

藤原久須麻呂という人物から、まだ3才になるかならないかの家持の娘と
婚約したいとの申し出があり、困惑し、婉曲に断ったにもかかわらず
再三催促してきたのに応えたもの。
昔とはいえ、えらい気の早い男がいたものです。

「 通草(あけび)の実 ふたつに割れて そのなかの
            乳色なすを われは惜しめり 」        斎藤茂吉

山の中で実もたわわに垂れ下がっている通草。
野趣があり美味。
季節になると店頭にも出回ります。
春の若菜はおひたしや、乾燥させてお茶にしてもよし。
また、蔓は椅子や寝台、鞄やバスケット,菓子器などに加工されています。

「 瀧風に 吹きあらわれし 通草(あけび)かな 」     増田手古奈


           万葉集606 (アケビ) 完


        次回の更新は11月20(日)の予定です
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by uqrx74fd | 2016-11-10 19:16 | 植物

万葉集その六百五 (雲によせて)

( 夏と秋が行き交うころ )
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( 流れる )
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( ツバメ ? )
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( 大鵬 上の部分はE.T? )
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( 結ぶ )
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( 怪鳥 )
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( 夕焼け雲 )
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( いわし雲 )
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( 巻向山 弓月が嶽 手前は井沢池  山辺の道  奈良 )
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「 庭にたちいで ただひとり
  秋海棠の 花を分け
  空ながむれば 行く雲の
  更に秘密を 開くかな 」    
              ( 島崎藤村 雲のゆくへ) より

コバルトブル-の秋の空。
その中に浮かぶ雲は、風に流されながら様々な形に変え、
あっという間に移動してゆきます。

人の顔、動物、乗り物、怪獣、等々。
古代の人々はそのような雲を眺めながら、そこに霊魂が宿っていると信じ、
朝に夕に雲を見ながら、思う人を偲ぶよすがとしたのです。

さぁさぁ、早速、万葉人の秘密を開いてみましょう。

「 朽網山(くたみやま) 夕居る雲の 薄れゆかば
    我(あ)れは恋ひなむ  君が目を欲(ほ)り 」 
                           巻11-2674 作者未詳

( 朽網山に夕方かかっている雲が薄れて見えなくなったら
 私はひたすら恋しくなるでしょうね。
 あの方のお顔が見たくなって。 )

愛しい人は朽網山を越えて遠くに旅立っていったのでしょうか。
夕居る雲は山にかかった雲がしばらく動かない状態をいいます。
暮れゆく空、あなたと思って眺めていた雲もやがて消えてしまう。
また明日までお別れね。
毎日、毎日旅の安全を祈る心優しい女性です。

朽網山(くたみやま)は 大分県竹田市の久住山(1787m)。

「 君が着る 御笠の山に 居る雲の
    立てば継がるる 恋をするかも 」
                 巻11-2675  作者未詳

( あの方がかぶる笠、その御笠の山にかかる雲がまた湧き出るように
     あとからあとから燃え立つ切ない恋をしています )

「立てば継がるる」は雲がむくむく湧き上がるように次から次へとの意。

愛する人への思いが込み上がり、抑えようもないこの気持ち。
春日山前方の御蓋山(奈良)を毎日眺めながら、愛する人の面影を
目に浮かべている可憐な乙女です。

「 ひさかたの 天飛ぶ雲に ありてしか
                  君を相見む おつる日なしに 」 
                           巻11-2676 作者未詳

( 天空を飛び通う雲になりたい!
 そうしたら思うままにあの方に逢える。
 1日たりとも欠ける日なしに。)

私は雲になりたい。
何とロマンティックな女性なのでしょう。
まだ男を知らない純情な夢見る女性でしょうか。

「おつる日なし」は「欠ける日なし」つまり「毎日逢える」

「 夕されば み山を去らぬ 布雲(にのくも)の
    あぜか絶えむと 言ひし子ろばも 」 
                      巻14-3513 作者未詳

( 夕方になると、いつもあのお山について離れない雲
  その途切れない雲のように 
  「何であなたとの仲が絶えたりしましょうか」
  と云っていたあの子は。あぁ。 )

布雲(にのくも):「ぬのくも」の東国訛りで晒し布のように長くて切れ目がない雲
「あなたとの仲が切れるはずがない」と云っていた女性がもういない。
亡くなったのか、遠くの地へ行ってしまったのか、
あるいは、心変わりしたのか?

伊藤博氏は次のように評されています。

「 調べ高く 哀感が深くこもって東歌の中では文学性が高い歌の一つ。
  山をみ山とよび、横に棚引く雲を布雲ととらえたところ、
  東国人の土のにおいも出ている 」( 万葉集釋注7)

最後に雲を詠った万葉屈指の名作を。

「  あしひきの 山川の瀬の 鳴るなへに
     弓月が嶽に 雲立ち渡る 」 
                   巻7-1088 柿本人麻呂歌集(既出)

轟々と響き渡る川音を耳にしながら、山雲が湧き立つさまを
じっと見ている作者。(人麻呂と確信されている)

「 一気呵成、鳴り響く声調の中に山水の緊張関係がさらに深められ
  躍動する自然の力は神秘でさえある。
  弓月の山水はこうして永遠の命を確立した。
  万葉集の中でも、もっともすぐれた歌の一つといってよかろう 」
                            ( 伊藤博 万葉集釋注4)

山の辺の道、檜原神社を下ったところに井寺池があります。
ここから弓月が嶽、三輪山が臨まれ、川端康成氏揮毫の碑、

「 大和は 国のまほろば 
  たたなづく 青かき
  山ごもれる
  大和し うるはし 」 

また、麓の村の入口、小さなせせらぎが流れるところに上記人麻呂の歌碑が
建てられています。
この場所は昔、川幅も大きく鬱蒼とした森に囲まれていたのでしょうか。

目を閉じて川音に耳を澄ませていると、遥か昔の世界に引き込まれて
ゆくようです。

「 高根に登り まなじりを
  きはめて望み 眺むれば
  わがゆくさきの 山河は
  目にもほがらに 見ゆるかな
  みそらを凌ぐ 雲の峯
  砕けて遠く 青に入る 」
                    (島崎藤村 高山に登りて遠く望むの歌)

      きはめて望み : 果てまで見渡して




          万葉集605 (雲によせて) 完

          次回の更新は11月11日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2016-11-03 19:51 | 自然