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万葉集その六百十七 ( 落葉道とカワセミ )

( 落葉散り敷く道  国立科学博物館付属自然教育園 2017,1,25 撮影 )
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( 巨大な松   同上 )
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( コナラの林    同上 )
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( ハンの木    同上 )
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( ヤマコウバシの木  葉は枯れても落ちない   同上 )
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(  カワセミ   同上 )
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( オケラ     同上 )
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(  オケラの花  9月24日撮影   同上)
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( エゾアジサイ  まるでドライフラワーのよう  同上 )
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(  アシ、ヒメガマズミ、ススキ  同上 )
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( ヒメガマズミの幾何学模様  同上 )
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( ひょうたん池   秋の紅葉が美しい  同上 )
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( ひょうたん池幻想    同上 )
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本年4回目の植物園ブラ歩き、今回は国立科学博物館付属自然教育園です。
お目当ては分厚い絨毯のような落葉の散歩道とカワセミ。
JR目黒駅から徒歩10分足らず、交通至便、都会のど真ん中。
園の説明書きによると

「 この地は縄文中期に人が住みつき、奈良時代は武蔵国府の管轄、
広大な原野で平安時代にはムラサキの栽培も広範囲に行われていた。
室町時代には豪族が居を構え、江戸時代は増上寺の領地。
1644年徳川光圀の兄 高松藩主、松平讃岐守の下屋敷になり、
明治は陸海軍の火薬庫。
1917年、宮内省帝室林野局の管理となり白金御料地とよばれ、一部朝香邸に。
1949年、天然記念物および史跡に指定され、国立自然教育園として広く
一般に公開されるようになった。 」 そうです。

敷地面積約6万坪、環境保全のため1回300人までに入場制限されているので
ゆったりとした気分で散策できます。
入口から眺めると、松、椎、檪(いちい)、橿等の巨木が鬱蒼と立ち並んでおり、
木々の手前には季節の花々の植え込みもなされています。
奥に水鳥が生息する沼、水生植物が生い茂る湿原地などもあり、
まるで明治時代の武蔵野を歩いているようです。

 太古の時代、海の底にあった武蔵野は悠久の年を経て地上に出現し、
激しい風雨によって山の岩肌が崩れ落ちて砂礫の層を形成していきます。
周囲には盛んに火を噴く日光、浅間、八ヶ岳、富士、箱根などの活火山。
その降灰が関東平野一面を埋め尽くしていきました。

やがて、地型が安定すると、羊歯類などの植物が繁茂して原始林が出現。
谷間からこんこんと湧き出る水は川や池そして沼地を造り、
その周りに色々な動物や人間が集まり住んで、高度な縄文文化が
形づくられていったと推定されています。

然しながら、豊かな原始林は度々の大火で焼失し、奈良、平安時代には
すでに一面見渡す限りの荒野となり、ススキや萱(かや)が生い茂っていたそうです。

奈良時代の武蔵国は、現在の東京都、埼玉県、神奈川県の横浜市、川崎市を含む
広大な地でムザシ(武蔵)とよばれており、万葉集にも登場しています。

「 武蔵野の 草葉もろ向き かもかくも
      君がまにまに 我(あ)は寄りにしを 」 
                           巻14-3377 作者未詳

(  武蔵野の草葉があちら、こちらへと風にまかせて靡くように
  私はあなた様のおっしゃるまま、自分としてはどうかと思われることでさえ
  ただただ、お言葉に従ってまいりましたのに、どうして今になって
  冷たくなさいますの )

心変わりをした男に恨みを込めながらも、自身の変わらぬ思いを込めている女。
一途に愛を捧げている心情をひたむきに詠っています。

「 わが背子を あどかも云はむ 武蔵野の
                  うけらが花の 時なきものを 」
                            巻14-3379 作者未詳

( あぁ、あの人に この私の想いを何といったらよいのか。
 武蔵野のおけらに花時がないのと同じように、
 私も時を定めずいつも想っているのに。)

「あどかも」は東国の方言で「どのように」。

地味ながらも長く咲き続ける「おけらの花」
その花のようにひっそりと男を慕い続けている女。
想いを男に言い表せないもどかしさ。
東国の可憐な女性の秘めたる恋心です。

「うけら」は現在「朮(おけら)」とよばれ、北海道を除く本州、四国、九州の
日当たりのよい山野に自生しているキク科の多年草です。
春に摘まれる若芽は「山で美味いものは、“ウケラ”に“トトキ”(ツリガネニンジン)」といわれているように、
おいしい山菜の代表格とされています。

秋になるとアザミのような白や淡紅色の小さな花を釣鐘型の総苞(そうほう)の上に
咲かせ、枯れてもドライフラワーのように長く残るので花期がはっきりしない植物です。
ウケラはかってムラサキとともに武蔵野を代表する草花でしたが、今はどちらも
幻の花となってしまいました。

   「 はっきりと 翡翠色に 飛びにけり 」    中村草田男

巨木が立ち並ぶエリアを過ぎ、コナラ(小楢)の林へ。
葉はすべて落として冬木立になっていますが、青空にシルエットが映えて美しい。
沼の近くにくると、美しい鳥が飛び過ぎていきました。
カワセミです。
昨年、子雛が生まれ子育てに忙しかったようですが、今はもう大きくなった?
一羽しか見かけないのでよく分かりませんが、美しい羽を輝かせながら
枝から枝へと飛びまわっています。

「 貎鳥(かほとり)の 間なく しば鳴く 春の野の
        草根の繁き 恋もするかも 」 
                       巻10-1898 作者未詳

( 貎鳥がしきりに鳴いている春の野。その野には草がびっしりと深く茂っています。
  私もその草のように深く、そして貌鳥の鳴き声のように絶え間なくあなたを
  恋い慕い続けております)

男性を慕っている女性の歌と思われ、鋭い声でしきりに鳴く貌鳥によせて
恋人への想いを訴えています。

「貎鳥(カホトリ)」は万葉集に登場する鳥の中でも種類を特定するのが極めて
難解なものとされていますが、万葉学者で動物に詳しい、東 光治氏は

『 「貎鳥(カホトリ)」とはその鳴き声によって名付けられたともいわれ、
  恐らく最初はカッコウに対して呼ばれたらしいが、
  後に美しい姿の鳥、即ち、「カヲヨドリ」までもカホドリと呼ぶようになり
  カワセミや雉などもカホドリの仲間入りをした。
  そのため、とうとう何を指したのか不可解な鳥名となった』
  と述べられています。(万葉動物考)

郭公、アオバト、カハカラス、トラツグミ、ヒバリ、フクロウ、キジ、ヨタカオシドリ、
など諸説あり定まっておりませんが、ここでは翡翠説に従いました。

かわせみ(翡翠)はヒスイ、ショウビンともよばれています。
その名の由来はその鳴き声が蝉に似ているところからきているといわれ、
「虫の蝉」と区別して「川の蝉」というわけです。

雄を「翡」、雌は「翠」といい、背中は光沢のあるコバルトブル-、
腹面がオレンジ、嘴は赤(雌)の美しい鳥で別名「空飛ぶ宝石」。

翡翠(ヒスイ)はこの鳥の羽色から名付けられたもので、鉱物の名前を鳥に
あてたのではなかったのです。

「 鶯の けはひ興りて 鳴きにけり 」   中村草田男 

上を見上げるとハンの木の赤茶色が青空に映えて美しい。
突然、ウグイスの鳴き声が聞こえてきました。
竹藪辺りでしょうが姿は見えません。

「 うち靡く 春ともしるく うぐひすは
    植木の木間(こま)を 鳴きわたるらむ 」 
                          巻20-4495 大伴家持

( 草木一面に靡く待ちに待った春がはっきりやってきたと分かるように
 鶯よ、この植木の木の間を鳴きわたっておくれ )

朝廷での賀式で披露しようと用意していたが、何らかの事情で叶わず
そのままにしておいた1首との詞書があります。

「 足音を つつみて落葉 あつく敷く 」  長谷川 素逝

水鳥の沼を過ぎると、落葉の散歩道が約100m続いています。
ふかふかした絨毯を歩いているようで気持ちいい。
道の両側から舞い落ちてきた葉を積るに任せてしつらえた天然もの。
ところどころに木影が落ちて、まだら模様を作り美しい。

 「 大いなる 蒲(がま)の穂わたの 通るなり 」    高野素十

やがて水生植物の群生地。
葦(あし:別名ヨシ)、ガマ、岸辺の枯れススキとともに独特の
風景を形づくっており、まるで日本画の世界。

凍った池に、折れ曲がった葦やガマが重なり、幾何学形のよう。

「 葦辺(あしへ)行く 鴨の羽音(はおと)の 音のみに
    聞きつつもとな 恋ひわたるかも 」 
                        巻12-3090  作者未詳

( 葦のあたりを飛びわたる鴨の羽音のように、噂だけを 
     ただ、いたずらに聞くばかりで私は空しくあの人のことを
     慕い続けております )

彼が私を好いてくれているという噂は一向に聞かない。
こんなに慕っているのに片想いなのか?と嘆く女。

鴨は見かけませんでしたが、シロサギが餌を探しながら歩いていました。

   「 武蔵野の 青笹匂(にほ)ふ 茅の輪かな 」  鎌須礼子

武蔵野が雑木林になったのは江戸時代からだそうです。
農家が薪炭用の材木を植林して10年~20年毎に伐採し、さらにその切り株から出る
新芽を育てて繁茂させました。
樹種は薪炭に適した櫟(くぬぎ)、コナラ、欅、エゴ、などが多く、
整然と一定の間隔を残して植えられたので、明治時代には美しい雑木林になり、
また観賞用に梅、櫻、竹、松などが加えられたと伝えられています。
また道端には美しい花々が咲き乱れており、その光景に魅かれて移り住む人も
多かったそうな。

わが国経済が高度成長期にさしかかると、武蔵野周辺は開発のため見るも
無残な姿になり、御料地や官有地として保護されたものが、かろうじて残りました。
もし、自然教育園も民有地であったなら、白金という一等地だけに、今ごろは
高級邸宅やマンションが林立していたことでしょう。

  「 あらうれし 白金台に 武蔵野あり 」   筆者



          万葉集617 (落葉道とカワセミ) 完


          次回の更新は2月3日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-01-26 20:22 | 自然

万葉集その六百十六 (梅.椿.寒桜)

( 寒桜  小石川植物園  2017.1.13日撮影:以下同じ)
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( 同  青空に映えて美しい )
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(  ヤブツバキ        同上 )
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(  白ヤブツバキ      同上 )
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(  赤ヤブツバキ     同上 )
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(  フラグラントピンク  珍しい椿の名前です  同上 )
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(  白梅は満開    同上 )
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(  紅梅はちらほら    同上 )
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(  雪月花   梅の名前です )
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(  扇流し    これも梅の名前です )
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 「 地下鉄も 初日浴びゆく 小石川 」      福島 胖(はん)

本年3回目の植物園ブラ歩き、今回は小石川植物園(東京大学付属)です。
お目当ては寒櫻の大木と梅、椿。
地下鉄丸ノ内線、茗荷谷駅下車、桜並木で有名な播磨坂を下り、
徒歩20分ばかりで植物園の入口。
抜けるような青空、気温も16℃でそう寒くない。
にもかかわらず、人一人見当らず閑散としています。

約49000坪もある大庭園を独歩するなど、初めての経験。
こりや、のんびりと歩けるわい。
いつもは絶滅の恐れがある薬園保存のコーナーをゆっくり見て回りますが、
まだ冬眠中なので寒桜のある場所へ直行。

蕾ばかりの桜並木が途切れたところで1本の寒桜がでんと構え、
今が盛りと華やかに咲き誇っています。
数ある植物園でもこれだけの大木は珍しく、大きく広がった花枝は
青空に映えて美しい。
よく見ると蕾がまだまだ一杯。
あと1週間位は咲き続けていそうだが、誰も見に来ないのは勿体ないなぁ。

「 妹が手を 取りて引き攀(よ)じ ふさ手折り
     我がかざすべく 花咲けるかも 」 
                        巻9-1683 柿本人麻呂歌集

( あの子の手を取って引き寄せるというではないが、
  握って引き寄せ手折って私が翳(かざし)にするのに
 おあつらえ向きの桜が咲き誇っていますよ。)

作者が舎人皇子に宴席で奉った歌。

「 まるで美しい女性を自分のものにしたくなるような見事な桜が
  咲いていますね。」

と男の立場で女に誘いかける。
対する女は

「 春山は 散り過ぎぬとも 三輪山は
   いまだふふめり 君待ちかてに 」 
                         巻9-1684 柿本人麻呂歌集

( 春山の花はどこもかしこも散り果ててしまっていますが、
 三輪山の花だけはいまだ蕾のまま。
 あなたさまを待ちあぐねて。 )

一途にあなたをお待ちしていましたと応えた寸劇のような戯れ歌。
舎人皇子は天武天皇の皇子、人麻呂は歌の先生だったのでしょうか。

「簪(かざし)にする」とは花や柳などの木の枝を手折って髪飾りにしたり、
着物に挿して、その生命力を身に付けるという古代のお呪いです。

     「 寒桜 一本とても 大樹なり 」  筆者

寒桜を堪能したところで、裸の百日紅の大木群を経て針葉樹林へ。
木陰に紅白のヤブツバキが所狭しと咲いている。

「 あしひきの 山椿咲く 八つ峰(を)越え
      鹿(しし)待つ君が  斎(いは)ひ妻かも 」 
                               巻7-1262 作者未詳

( 山椿の咲く峰々を越えて鹿狩りしているあの方。
 わたしは、その帰りをただただ待っている巫女のような女か。)

斎(いは)ひ妻とは精進潔斎して男の無事を祈っている女。
鹿を他の女に譬え、他の女を追い掛けてばかりいる男を
恨めしいと感じているのかもしれません。

   「 仰向きに 椿の下を 通りけり 」 池内たけし

右に左にヤブツバキを愛でながら、日本庭園へ。

徳川5代将軍綱吉の幼時の居邸、白山御殿と蜷川能登守の屋敷跡とに
残された庭園が往時の姿をとどめていると伝えられている遠州派の名園。
その一角に100株ばかりの梅園があります。
そのうち5本の早咲き種が満開。

梅の木のもとでようやく可愛い子供連れの母親に出会いました。
花の下で楽しく笑い転げている親子。
お互いに「こんにちは」と声をかける。

「 ふふめりと 言ひし梅が枝 今朝降りし
    淡雪にあひて  咲きぬらむかも 」 
                         巻8-1436 大伴村上

( 蕾がふくらんでいるとあの人が云ってきた梅、
 その梅は 今朝降った淡雪に出会って 
 きっともう咲いていることだろう )

雪は梅の開花を促すものと信じられていました。
「ふふめり」とはふっくら膨らみ始めるの意。
乙女を連想させる美しい日本語です。

  「 紅梅の 咲きて幼児 頬赤し 」  筆者

日本庭園を通り過ぎると鷺が棲んでいる小さな池。
今日は池端で気持ちよさそうに日向ぼっこをしています。
飛んだところでシャッターを切ろうと待ち構えていましたが、
余程居心地がいいのか全く動きません。
諦めて雑木林の方に向かって歩く。
メタセコイアの巨木群、そして榛(はん)の木。
榛はハリの木ともいい前年の秋に生じた蕾がそのまま冬を越す生命力が強い木です。

これで広大な植物園巡りは終わり。
近くのお茶屋の甘酒で乾いた喉を潤す。
あぁ、美味い。
約2時間半の気持ちよい散策でした。

  「 園の茶屋 甘酒美味し 冬木立 」  筆者

 ( 甘酒は暑い最中にフウフウ云いながら飲むと美味しいので
   夏の季語とされていますが冬も美味いのだから、まぁいいか。)


     万葉集616( 梅.椿.寒桜 )  完



     次回の更新は1月27日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-01-19 18:14 | 植物

万葉集その六百十五 ( 梅よ春よ )

( 初梅 六義園 東京  2017,1,4 )
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( 皇居東御苑  2017,1,7 )
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( 白梅、紅梅  皇居東御苑 )
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(  紅梅   同上 )
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(  メジロも飛んできました  同上 )
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(  椿も花開く  同上 )
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(  月ヶ瀬梅林  奈良 )
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(  山の辺の道  奈良 )
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( 梅と菜の花      浜離宮庭園 )
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(  曽我梅林 )
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今年の1月4日のことです。
暖かい日ざしを浴びて東京は駒込、六義園へ探梅に行きました。
「 花はなくてもよいが、せめて1輪なりとも」という心馳せ。
正月三ケ日明けの今日は人出も少なく、のんびりとした雰囲気です。

和歌の浦(和歌山)を模したといわれる回遊庭園を半分ばかり廻ったところが
お目当ての白梅。
「 おぉ! 咲いていました! 」  

 「 梅一輪 一輪ほどの あたたかさ 」 服部嵐雪

の句のとおり、ぽかぽか陽気に誘われて数輪の花が
芳しい香りを漂わせていたのです。

「 まぁ きれい!」 お隣にいた上品な奥様の嘆声。

一生懸命スマホで写真を撮っておられるが、距離が少し遠いせいか
なかなかうまく写らないようだ。
「 だめだわ 」と呟きながら
「よい香りですね 」と話しかけられる。

お話を聞くと暖かいので「もしやと思って出かけてきた」とのこと。
はやる気持ちはいずこも同じ。
「 数輪咲いていたのですから、これでよしとしないとね 」
とお互いに云い合いながら右と左へ。

さて、こちらは万葉人。

「 雪寒み 咲きには咲かぬ 梅の花
   よしこのころは かくてもあるがね 」 
                     巻10-2329 作者未詳

( 雪を寒がって いっこうに咲き揃おうとしない梅の花よ。
     それならまぁ、いましばらくこのままそっとしておくのもよかろう )

開花を今か今かと待ちわびる作者。
梅が寒くてすねているように感じ、まるで聞き分けのない幼児、
あるいは若い乙女に呼びかけているような感じが面白い。

「 白梅のあと 紅梅の 深空(みそら)あり 」 飯田龍太

時は1月7日、快晴、場所は皇居東御苑です。
日記を見ると昨年は2月1日に満開。
暖かい日が続くので、もしやと思いながら訪れる。

やはりというか、白梅3本、紅梅1本が八分咲き。
枯木が多い中ここだけ明るく照り輝いています。

周囲の人たちも歓声を上げ、海外からの客人も大喜びです。
今年は春の訪れが早いかもしれません。

さてまた万葉人です。

「 梅の花 咲けるがなかに ふふめるは
     恋か隠(こも)れる 雪を待つとか 」 
                    巻19-4283 茨田 王(まむたの おほきみ)

( 梅の花、この花が咲いている中に、まだ蕾のままのものがあるのは、
 恋する人が訪れてから咲こうと思っているのでしょうか。
 それとも、雪を待っているのでしょうか。)

753年 治部少輔 石上宅嗣宅で行われた正月の賀宴での歌。
当時、雪は梅の開花を促し、また落花をも誘うと認識されていました。

作者は、主人がまだ満開でないのは雪が降らないからだろうかと
気遣っているので、

「 花が咲いている中で蕾もありすばらしい。
  きっと雪を待っているのでしょうね 」 と応えたもの。

「 梅の花 咲ける岡辺(おかへ)に 家居れば
      乏(とも)しくもあらず  うぐいすの声 」 
                         巻10-1820 作者未詳

( 梅の花が咲いている岡のほとりに家を構えて住んでいると、
 鶯の声がふんだんに聞こえてくるよ。)

乏(とも)しくもあらず: 「乏し」は「求む」の形容詞形 
「あとをつけて行きたい」が原義。
ここでは「少ない」の意だが「あらず」と
否定が続くので「ふんだんに」

満開の梅を眺めながら、一献また一献。
ときおり 「ホーホケキョ 」と鳴く鶯の声。
麗(うらら)かな春の一日です。

  「 梅つばき 早咲きほめむ 保美(ほび)の里 」 芭蕉

 ( 昔、ある上皇が褒めたのでこの地を「保美(愛知県)」というらしい。
  私も梅、椿が早く咲く温暖な当地を称えましょう )

「保美の里」を「御所の里」に入れ替えると、
まさに筆者の心境でありました。


           万葉集615 (梅よ春よ )   完


           次回の更新は1月20日の予定です。

  
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by uqrx74fd | 2017-01-12 10:50 | 植物

万葉集その六百十四 (春菜摘む乙女)

( 万葉人の春菜    カタクリ  弘前城公園 )
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(  同上 )
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( スミレも食用でした   森野旧薬園  奈良 )
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( ニラ  山の辺の道  奈良 )
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(  同上 )
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(  ヨメナ  山の辺の道 同上 )
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(  同上 )
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( ヨモギ  同上 )
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( テレビでも放映されたヨモギ餅つき  奈良 猿沢池の近くで )
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( ヨモギ餅  長谷寺前で  奈良 )
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( ワラビ   山辺の道 )
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長い冬が過ぎ水ぬるむ頃、はだら雪が残る大地を割って顔を出す春菜は
若菜ともいいます。
早春の新芽はアクやエグ味が少なく美味。
乙女たちは暖かくなると一斉に野山に繰り出し、おしゃべりをし、歌いながら
春のピクニックを楽しみました。
摘んだ春菜はヨメナ、ヨモギ、ニラ、スミレ、カタクリ、ワラビ等々。

羹(あつもの:おひたし、汁)にして食べ、その旺盛な生命力を身に付け
健康と長寿を祈るのです。

「 國栖(くにす)らが 春菜摘むらむ 司馬(しま)の野の
     しばし君を 思ふこのころ 」 
                         巻10-1919 作者未詳

( 國栖たちが春の若菜を摘むという司馬の野。
  その野の名のように、しばしばあなたのことを思うこのごろです )

國栖ら: 奈良県吉野郡吉野町の吉野川の上流、國栖(くず)付近に住んでいた人びと。
      春の遅い山奥の住人と考えられていた
      性質が純朴で山の果実を食し、山菜など土地の産物を献上したという。

司馬の野:國栖付近なるも所在不明  「しま」の音から「しばし」を導く

 日本書紀によると

『 289年応神天皇が吉野に行幸されたとき、国栖人は酒を献上し、
歌舞を奏して歓迎した。
その地は京より東南で、山を隔てて吉野川のほとりにある。
峰は高く谷深く道は険しい。
人々は純朴で日頃は木の実を採って食べ、また、蛙を煮て上等の
食物としている 』とあり、
天皇に奉納された歌舞は、手で口を打って音を出しながら歌の拍子をとり
上を向いて笑う独特の所作をするものであったそうです。

それは、のちに「国栖奏」(くずそう)とよばれ、今もなお受け継がれています。

「 春草の 繁(しげ)き我(あ)が恋 大海(おおうみ)の
    辺に行く波の 千重(ちへ)に 積りぬ 」 
                          巻10-1920 作者未詳

( 春草が茂るように しきりにつのる私の恋
  その恋心は 大海の岸辺に寄せる波のように
  幾重にも積ってしまった )

「 おほほしく 君を相みて 菅(すが)の根の
   長き春日を 恋ひわたるかも 」 
                       巻10-1921  作者未詳

( おぼろげにあのかたをお見かけしたばっかりに、
  私は菅(すげ)の根のような この長い春の1日を ひたすら恋い焦がれながら
  過ごしています )

この三首の歌は、純情な乙女が道で見かけた男に一目惚れしたように
思われます。

春菜摘みをしながら凛々しい若者の面影を追い、大海(ここでは吉野川か)の
ほとりに佇み、波が幾重にも重なり合いながら流れているさまと、
自ら気持ちを重ねあわせる。
花咲く野をひねもす散策しながら、傍らの菅の地面深く張る根に、長い春日を想い、
終日の恋焦がれの歓びを詠う。

初恋のやるせなさと喜びが感じられる歌群です。

庶民の行事であった春菜摘みは次第に上流階級の人々の間に普及して儀礼化され
平安時代になると朝廷の行事となり、醍醐天皇延喜年間(901~914)には、
正月最初の子の日(のち七日)に天皇に若菜を奉る公式儀式に制定されます。

民間で羹(あつもの:汁物)として食べられていた若菜は、その後、
七種粥(ななくさがゆ)としてその心意が伝えられ、今もなお新春七日の行事として
脈々と受け継がれているのです。

  「 母許(ははがり)や 春七草の 籠下げて 」     星野 立子

                    (母がり:母のもとへ )




        万葉集614(春菜摘む乙女) 完


       次回の更新は1月13日の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-01-05 18:12 | 生活

万葉集その六百十三 ( 新年の歌: 酉 )

明けましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いします。
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( 今年は鶏の年と声高に   尾長鶏  石上神宮  奈良 )
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(  色、姿とも美しく神鳥にふさわしい   同上 )
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(  この堂々たる風格   同上 )
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( 木にもいっぱい止まっています  同上 )
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(  矮鶏:チャボ  同上 )
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(  烏骨鶏 :うこっけい 卵は高級品  同上 )
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(  深大寺で  東京 )
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( 山の辺の道で  奈良 )
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(  千駄木で  東京 )
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( 酉の字は口の細い壺を表した象形文字 )
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「 昨日(きのふ)こそ 年は果てしか 春霞
      春日の山に 早や立ちにけり 」 
                          巻10-1843 作者未詳

( つい昨日、年は暮れたばかりだというのに。
 春日の山に春霞が早くも棚引きはじめたことよ。 )

「年が果て」1年が終わって、今日は新年。
ふと春日山をみると霞が棚引いている。
文字通り春山に春到来の二重の歓び。
「さぁ、気持ちも新たにして今年も頑張るぞ」と
気力みなぎる万葉人です。

「 今し いま年の来ると ひむがしの 
     八百(やほ)うづ潮に 茜(あかね)かがよふ 」    斎藤茂吉

新年到来と同時に海上を茜色に染めながら昇る太陽。
海も空も赤一色、荘厳かつ雄大な光景。

「 庭の面(も)を ゆきかふ鶏の しだり尾に
     ふれてはうごく 花すみれかな 」      落合直文

本年は酉(とり)年。
酉という字は酒を成熟させるための口の細い壺を表した
象形文字とされています。

何故、鶏と結び付けられたかは全く不明ですが、
酒が成熟して「壺から溢れんばかり」の豊穣と、鶏(とり)の「音」から
「とり込む」を連想させるので、家運隆盛、商売繁盛の目出度い年です。

年の瀬に各地で立てられる酉の市。
縁起物で飾られた賑やかな「熊手」は冬の風物詩。
中でも浅草の鷲神社(おおとりじんじゃ)は由緒あり、

   「 春を待つ ことのはじめや  酉の市 」  其角

などと詠まれています。

鶏は今から7000年前、東南アジアの赤色野鶏(セキショクヤケイ)が
家畜化されたもので、中國、朝鮮を経て我国に伝わりました。

我国文献での初出は古事記。
天の岩戸にこもられた太陽神、天照大神に洞窟から出てもらうため
「常世の長鳴鶏を集めて鳴かせ」とあり、鶏が祭祀ないし神事で
大きな役割を果たしたことを窺わせています。

良く響く声で時刻を正確に告げた鶏は、人に良く慣れた上、
卵を産むので家でも大切に飼われました。

「にわとり」とよばれるのは「庭で飼われた鶏」の意で、
古名「かけ」は鳴き声(カケコッコ-)によるもの。
また雄略天皇7年(462)に闘鶏の記録もみえます。

万葉集での鶏は16首、すべて鳴く鶏として詠われています。

「 遠妻と 手枕(たまくら)交(か)へて 寝たる夜は
      鶏がね な鳴き  明けば明けぬとも 」 
                          巻10-2021 作者未詳

( いつも遠くに離れている妻。
 やっと手枕を交わして一緒に寝ることが出来た。
 鶏よ! 朝が来たと そう鳴きたてるな。
 帰り支度する時間だが、えぇーい、かまうものか。
 お前! もう一度寝ようよ。 )

「鶏がね」: 雁がね と同じ使用法

「な鳴き」 鳴くな ( な:否定の命令形 「な○○そ」 と使われることが多い)

「明けば 明けぬとも 」: 夜が明ければ明けてしまおうと かまうものか。
                 通い婚の時代、男は夜になってから訪れ、
                 夜明け前に帰るのが習い。

「 寝遅れて 初鶏聞くや 拍子ぬけ 」 内藤鳴雪

酉年生まれの人は、
「 鋭い観察力、決断力、行動力、社交性があり、
さらに親切面倒見が良いので出世する人が多いとされていますが、
多才のため八方美人的に事に当たる傾向があり、移り気にご用心」

だそうです。

「 初鶏や 大仏前の 古き家 」  松瀬青々

           (元旦の朝に聞く鶏の声は特別に「初鶏」といわれ新年の季語 )


    万葉集613 (新年の歌: 酉) 完



    次回の更新は1月6日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-01-01 00:00 | 生活