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万葉集その六百二十五 (早春の奈良)

( 八房梅: ピンクが美しい  奈良万葉植物園 )
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( 杏子:アンズ  同上 )
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( 夜の梅  奈良公園 )
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( 名残の梅  飛鳥 )
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( ミツマタ   奈良万葉植物園 )
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(  お水取の大松明  東大寺二月堂 )
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(  同上 )
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(  同上 )
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(  豪快に飛び散る火花  同上 )
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(  同上 )
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今日は3月14日。
桜には早く、梅はそろそろ散り始めという時期です。
それでも、「せめて早春の空気なりとも」と思いながら古都奈良へやって参りました。

まずは、万葉植物園へ直行。
どんな花が咲いているかなぁと様子見です。
ミツマタの蕾が大きく膨らみ花が四つ五つ。
嬉しいことに梅、杏子が私の訪れを待ちうけてくれていたように今が盛りと満開。
赤白桃色のコラボレーションが美しく、この一角だけ春爛漫です。

「 御園生(みそのふ)の 百木(ももき)の梅の 散る花し
     天(あめ)に飛びあがり 雪と降りけむ 」 
                        巻17-3906 大伴書持(ふみもち) :家持弟

( 「天から流れくる雪」とはきっとお庭の百木(ももき)の梅の散る花
  その花びらが天空に舞い上がって雪となって降ったものなので
  ございましょう 。)

この歌は父、大伴旅人の

「 我が園に 梅の花散る ひさかたの
          天(あめ)より雪の 流れ来るかも」 
                         巻5-822  大伴旅人
に唱和したもの。
    風に吹かれて梅の花びらが舞い散り、雪かと見まごう。
    この世のものとは思えない幻想的な世界です。

   百木(ももき):沢山の梅の木

日が落ち気温は5℃位か、風が強く真冬のように寒い。
夕闇の中、御蓋山麓の宿に向かって急ぎ足。
途中に梅林があり、スポットライトを受けて美しく、夜になったらまた
撮影に来ようと場所を記憶する。

「 ぬばたまの その夜の梅を た忘れて
       折らず来(き)にけり 思ひしものを 」 
                      巻3-392   大伴百代(ももよ)

( あの夜見た時 これはと当りを付けておいた梅だったのに
 ついついうっかりして手折らずにきてしまった。
 心の中では折ろうと思ったのになぁ。 )

作者は梅を女性に譬えているようです。
いつか口説き落そうとして目をつけていたのに、
ついついそのままにしてしまった。
素晴らしい女性だったのに残念なことをしたわいと悔やむ作者。
宴席での戯れだったかもしれません。

「 如月(きさらぎ)を  奈良いにしへの 御ほとけに
         浄(きよ)き閼伽井(あかゐ)を 汲む夜にぞあふ 」     中村憲吉

宿に入るとご主人が
「今夜 お水取り行かれますか。
もしご希望なら食事早めにお出ししますが」と
尋ねて下さり、
「あぁ、そうだ、今日は御松明の最終日」と思い出し、喜び勇んで出向く。

午後6時半から約1時間。
10本の大松明が天にも届けと炎を上げ、火の粉が豪快に飛び散る。
燃え盛る巨大な炎がお堂の庇(ひさし)に届きそうになり周囲のどよめきが夜空に響く。
圧巻の火祭りです。
  
「 お松明 燃えて星空 なかりけり 」   開田 華羽

今日でお坊様がたの14日にわたる厳しい修行が終わります。
752年の大仏開眼以来1266回絶えることなく続けられている伝統行事。
これからも絶ゆることなく、続けられることでありましょう。

最後の松明が消えると、辺りは暗闇と静寂に包まれ、大観客が警官の誘導で
整然と坂を下る。
余韻冷めやらぬ中、奈良公園を通って夜の梅を撮影し宿へ。
早春の古都の清々しい一日でした。

   「 水取や  提灯借りる 東大寺 」  塚本虚明


ご参考:

「 お水取とは 」


「 お水取は東大寺二月堂で行われる仏教行事で、正式には修二会(しゅにえ)といい、
  目的は、仏の前で罪過を懺悔すること(悔過(けか))。
  心身を清めた僧(練行衆:れんぎょうしゅう)が十一面観音の前で宝号を唱え、
  荒行によって懺悔し、あわせて天下安穏などを祈願する。

  現在3月1日から14日間にわたっておこなわれ、
  3月13日の午前2時を期して、二月堂のほとりの良弁杉の下にある
  閼伽井屋(あかいや)のお香水を汲み取り、本堂に運ぶ儀式が行われる。

  この夜、井戸の中には遠く若狭の国から地下水道を抜けて送られた聖水が
  湛えられていると信じられており、この水を1年間の仏事に供するため
  壺に汲み取っておくのである。

  籠りの僧が大松明を振りかざしつつ石段を駆けのぼり、二月堂の回廊に
  これを打ち据える行は壮観で、庇をこがすばかりの炎から堂下の
  群衆に火の粉が舞い散る。
  お水取りが済むと、奈良に春が本格的に到来すると云われている。

  なお、若狭国から聖水が送られる由来は、昔、遠敷(おこう)という若狭の神様が
  魚を採っていて、二月堂の参集に遅れたお詫びとして、二月堂のほとりに
  清水を湧き出させ、観音様に奉ったとの言い伝えによる。
 
以下は白洲正子さんの一文からです。

『 奈良のお水取は、毎年3月12日の夜半に行われるが、2月堂の修二会(しゅにえ)は
  15日の未明までつづいており、二週間にわたる烈しい行法を終えた練行衆は、
  沓(くつ)の音も軽々と、高い石段を駆けおりてくる。

  ほっとした気分が、お堂の内外(うちそと)にみなぎり、
  東の空には曙光(しょこう)のきざしが現れる。 
  まだ夢を見ているような大和の野べには、薄紫の霞がただよい、
  常夜灯は眠たげにまたたきつつ、次第に光を失って行く。、、、、

  華やかなお水取の行事もさることながら、なにもかも終わった後の、
  このひとときほど美しく、静かに感じる瞬間はない。

  「お水取が済むと春が来る」というのはほんとうのことなのだ。
  さすがに外は寒いけれども、夜明けとともに山にも野にも春の気配が
  しのびよって来る。』 

                  ( 「古都奈良の春色」 新潮文庫 「金平糖の味」に収録)

     
       万葉集625 ( 早春の奈良 ) 完




     次回の更新は3月31日の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-03-23 16:25 | 万葉の旅

万葉集その六百二十四 ( 柳の道)

( 柳と梅  東京国立博物館内の庭園 )
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( 東大寺三月堂前の柳の新芽 )
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( 東大寺大仏殿前 )
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( 荒池前の柳  奈良ホテルの対岸 )
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( 平城宮跡 朱雀門 )
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( 朱雀大路復元工事完成予想図 柳の街路樹 )
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( 二条大路復元工事 完成予想図 同上 後方若草山 )
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( 氷室神社  桜のころ  奈良国立博物館前 )
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( 興福寺五重塔  柳の蕾はまだ固い )
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(  猿沢池 後方の建物は老舗のうどん屋 )
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「平安京へ続く 柳の並木道」
2017年2月22日付、読売新聞朝刊の見出しです。

記事によると、
『 古代の幹線道路「山陰道」が通った鳥取市の青谷横木遺跡で、
平安時代(9世紀後半~10世紀頃) に植えられた街路樹とみられる柳の根が見つかり
鳥取県埋蔵文化財センターが21日発表した。

「続日本紀」など古代の街路樹に関する記述があるが、存在を裏付ける遺構が
 確認されたのは初めて。

 根は2015年8~9月の発掘調査で、古代山陰道の遺構(幅7m)に沿った
長さ20mの区画2か所の盛り土から出土。
3~5㎝大の黒ずんだ根が密集した直径約10㎝の株が計18本あり
0.5~2m間隔で1列に植えられていた。

成分分析の結果、樹木は柳で、植えられたのは盛り土が造成された時期と
一致すると判明。
往来する人の日よけとして活用された可能性が高いという。』

「 浅緑 染め懸(か)けたりと 見るまでに
   春の柳は 萌えにけるかも 」 
                      巻10-1846 作者未詳

( 浅緑色に糸を染めて木に懸けたと見まごうほどに
 春の柳は青々と芽を吹き出しましたよ。)

柳の種類は多く世界で約400種といわれていますが、我国で多いのは
シダレヤナギです。
早春、梅が芳しい香りを漂わせ、やがて散りはじめる頃になると、
今まで固く閉じていた芽が一斉に開き、瑞々しい浅緑色の枝を風に靡かせます。

中國原産の柳を我国にもたらしたのは遣唐使。
成長が早く、生命力が強いので悪霊を追い払う守護神として寺社や屋敷の外側に、
また、根が長く伸びるので池の周りや田の近くに植えて堤防を強化したりなど、
奈良時代には都をはじめ東国に至るまで盛んに植えられました。

万葉集には36首登場。

次の歌は平城京朱雀門に通じる街路樹の柳を詠ったものです。

「 ももしきの 大宮人の かづらける
     しだり柳は 見れど飽かぬかも 」
                  巻10-1852 作者未詳

( 大宮びとが蘰(かずら)にしているしだれ柳。
      見ても見ても飽かないことよ )

平城京の大通りで風に靡く柳並木の下を颯爽と闊歩するきらびやかな大宮人。
古代の人達は柳の若々しい生気を身に受けるため、細い枝を丸く輪にして
頭に巻いたり、載せたりして長寿と幸いを祈りました。

平城京は東西約4,2㎞、南北約4,8㎞の本格的な計画都市。
大路、小路とも碁盤目に整然と区画され、メインストリートの朱雀大路は3,8㎞、
道幅は75mという巨大なもので、路の両端に柳の街路樹を植えて国家的な儀式、
パレード、海外使節一行を迎える場としての美観を整えていただけに
さぞ壮観だったことでしょう。

柳が芽吹くと恋の季節。
次の歌は柳に寄せたものです。

「 春されば しだり柳の とををにも
     心は妹に 乗りにけるかも 」 
                       巻10-1896 柿本人麻呂歌集

( 春になると しだれ柳がしなってくるように
 心がしなうほどどかっとあの子は俺の心に乗りかかってしまったよ。)

とををにも: 細長いものが撓(たわ)みしなうさま
心に乗る: 相手が自分の心に乗りかかって消えやらぬ

心に焼き付いて離れないのは柳腰の佳人なのでしょうか。

街道にも延々と柳道が続いていました。

「 うらもなく 我が行く道に 青柳の
      萌(は)りて立てれば   物思ひ出(で)づも 」 
                              巻14-3443 作者未詳

( 無心に我らが辿って行く、その道に傍らに青柳が芽吹いて立っているので
 ふと物思いにふけってしまった。)

うらもなく : 故郷を振り切って旅人に徹しながら前向きに歩いてゆく気持ち

作者は商用で旅をしているのか、防人として都をめざしているのか。
妻子がいる故郷を断腸の思いで振り切って旅立ったが途中で柳が芽吹いているのを見て
望郷の念にかられたようです。

都から離れた東国にも柳が。

「 わが門(かづ)の 五本柳(いつもとやなぎ) いつもいつも
    母(おも)が恋すす  業(な)りましつしも 」
                    巻20-4386  矢作部 真長(やはぎべの まなが)
                                         結城国(茨城県)の防人

( 我が家の門口に立つ五本柳(いつもとやなぎ) 
その名のようにいつもいつも 母さんはこの俺のことを想いながら
働いていることだろうなぁ )

五本柳(いつもとやなぎ): 家の前に何本も植えてある柳。
生命力が強い柳は繁栄を予祝して家の前に植えられ、風よけにもされていたのでしょう。

栗田勇氏によると
「柳は生命力が強すぎるので家の中に植えるのはいささか恐ろしい。
よって家中はご遠慮願って外に植え、悪霊を追い払って戴くようになった」
( 花のある暮らし 岩波新書)
という面白い解説をされていますが、言われてみれば屋敷の中の柳は
ほとんど見ませんね。

    恋すす: 継続を表す: 恋しながら、ここでは「俺のことを想いながら」
    業(な)り: 農作業をする

「 昼の夢 ひとりたのしむ 柳かな 」 千代女

都に街路樹が植えられたのは759年から。
東大寺の僧普照(ふしょう)の献策により、朝廷は畿内七道諸国の駅路に
果樹並木を植え始めました。
当時、防人や諸国からの税 (調、庸) を都に運搬する人々がその往還に
大変な苦労を重ねており、それらの人々の辛苦を救うためといわれています。
普照は遣唐使に従って渡唐し、20年間かの地で学び754年に帰国するときに
鑑真を日本に招いたといわれる人物です。

 「 君ゆくや 柳みどりに 道長し 」 蕪村

平安京の柳の道は
「木陰を作る実用性とともに、都につながる道という格式高い空間を
意識したもの」( 近江俊秀 文化財調査官) だそうですが、
 柳は旅立ちや別れを象徴する木でもありました。



万葉集624(柳の道) 完

次回の更新は3月24日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-03-18 18:26 | 植物

万葉集その六百二十三 (ちんちん千鳥)

( ケリ 学友の甥御C.Yさん提供 「 今日も鳥日和 (極私的野鳥図鑑) 」
今日も鳥日和(極私的野鳥図鑑)

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( タイゼン 同上 )
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( ハジロコチドリ  同上 )
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( メダイチドリ   同上 )
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( 佐保川  万葉時代チドリ、カワズが多数棲息 川幅も5倍位広かった? 奈良)
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( 吉野川  同上  )
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「 ちんちん千鳥の啼く夜さは  
  啼く夜さは
  硝子戸(がらすど)しめても  まだ寒い
  まだ寒い

  ちんちん千鳥の啼く声は  
  啼く声は
  燈(あかり)を消しても まだ消えぬ
  まだ消えぬ

  ちんちん千鳥 親ないか
  親ないか
  夜風に吹かれて 川の上
  川の上    」 

               ( ちんちん千鳥  北原白秋作詞 近衛秀麿作曲)


幼い頃歌った懐かしい童謡。
澄み切った冬の空気に響きわたるような哀感ただよう曲です。

  「 わたし呼(よぶ) 女の声や 小夜ちどり 」  蕪村

絶え間なく鳴き続けるちんちん千鳥。
それは高く細く透き通るような声。
「ちんちん」とは風鈴あるいは鈴のような音を暗示しているのでしょうか。

鈴は神社の巫女さんが祭礼の時に振っているように、魂を高め、
鎮める道具とされています。
古の人たちはそのようなチドリの声を耳にすると、何とも言えない
うら悲しい気持ちになったり、懐旧の念に駆られて寒い夜を過ごしたのです。

「 さ夜中に 友よぶ千鳥 物思(ものも)ふと
      わびをる時に 鳴きつつもとな 」 
                   巻4-618 大神郎女(おほみわの いらつめ)

( 真夜中につれあいを求めて呼ぶ千鳥よ。
     物思いに沈んでしよげ返っているときに、むやみやたらと鳴いたりして。 )

大伴家持に贈った一首。
作者は奈良の三輪山付近出身の女性と思われますが詳細は未詳です。

家持に恋焦がれ何度も歌を送ったが全く反応なし。
「私にそんなに魅力がないのかしら」と思いに沈んでいる時、
恋人を呼んでいるらしい千鳥の声が響いてきた。

 澄み切った調べが夜空に高く響く。
「こんな鳴き声を聴くとますます寂しくなるではないか」
と溜息をつく作者です。

伊藤博氏によると「鳴きつつもとな」とは
『 環境の状況と作者の心情とのあいだに生ずるやりきれない違和感を
述べる表現として結句に用いられる。

相手の反応がないことを嘆いている自分なのに、
千鳥には応える友がいるらしいことが
「鳴きつつもとな」なのである。』 (万葉集釋注2)

「 夜ぐたちに 寝覚めてをれば 川瀬尋(と)め
    心もしのに 鳴く千鳥かも 」 
                        巻19-4146 大伴家持

( 夜中過ぎに眠れずにいると 川の浅瀬伝いにきて 
    我が心がうち萎れるばかりに鳴く千鳥よ。 )

「 夜ぐたちに」: 夜中を過ぎたころ。「くたち」は「盛りを過ぎる」の意

「 寝覚めてをれば」: 寝床に入っているが眠れないで目をさましていること

「 川瀬尋(と)め」: 川瀬は家持の居館近くを流れる射水川(富山)の浅瀬
             「尋(と)め」:追い求める。ここでは浅瀬伝いにきて

「心もしのに」 : 心が萎えてしまうほどに 

家持の都の留守宅は奈良の佐保川のほとり。
千鳥と河鹿(かじか)がよく鳴くことで知られていました。
真夜中に千鳥の哀しげな声を聴き、都に置いてきた妻が急に懐かしく
思い出したことでしょう。

あぁ、早く都に帰りたい!

「 夜ぐたちて 鳴く川千鳥 うべしこそ
     昔の人も 偲(しの)ひ来にけれ 」 
                       巻19-4147 大伴家持

( 夜中過ぎになって鳴く千鳥。
 昔の人もこの声の切なさに心惹かれてきたのは
 なるほど もっともなことだなぁ。 )

うべしこそ:なるほど、なるほど尤もなことだ。

家持は「昔の人」に人麻呂を意識しているようです。
人麻呂の千鳥の歌といえば

「 近江(あふみ)の海 夕波千鳥 汝(な)が鳴けば
    心もしのに いにしへ 思ほゆ 」   
                          巻3-266 柿本人麻呂

( 近江の海の夕波千鳥よ、お前たちが哀しそうに鳴くのを聞いていると
 心もうつろに萎えて、ひたすら昔のことが思われてならない )

心も萎えてしまうほどに昔が思われるのは天智天皇の近江朝。
あの華やかなりし都は壬申の乱で滅亡し今や荒れ果てた廃墟になっていたのです。

「夕暮れの波間を鳴きながら群れ飛ぶ千鳥」を、たった4文字に凝縮した「夕波千鳥」。
美しくも哀しさを感じさせる名歌中の名歌です。

    「 夕千鳥 波にまぎれし 如くなり 」 高濱年尾




       万葉集623(ちんちん千鳥)完


       次回の更新は3月19日の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-03-09 21:00 | 動物

万葉集その六百二十二 (千鳥)

( イカルチドリ 学友の甥御 C.Y さん提供 「今日も鳥日和(極私的野鳥図鑑)」
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( コチドリ  同上 )
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( シロチドリ  同上 )
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( 蛙の仲間たち  動物図鑑  万葉人は河鹿:カジカの声を楽しんだ )
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「千鳥」とは元々数多くの鳥の意で群を作って飛ぶところから、その名がある、
あるいは鳥が「チ、チ」と鳴くと聞きなし、「チ+トリ」になったともいわれています。

その種類は多く、チドリ科、シギ科、カモメ科、ウミスズメ科など19科、
約390種類の水鳥、海鳥が含まれており、学術的には鷸(シギ)千鳥目に
総括されていますが、数が多すぎ素人が一瞬で見分けるのは難しいようです。

歌の世界ではチドリ科のうち大型のケリ類を除いたものをいい、コチドリ、
イカルチドリ、シロチドリの3種が日本で繁殖しています。
(コチドリは夏鳥として渡来)

「ピォ ピォ ビユ-、ビュ-」 と鳴くのはコチドリ
「ピォ ピオ 」は イカルチドリ
「ククリ ククリ」は メダイチドリ 、オオメダイチドリ
「ピヨイ ピヨイ ピピピ 」が 白チドリ

その特異な声は哀調を感じさせる上、水辺をチョコチョコと走り廻る姿が
愛らしく、古くから無数の歌や俳句に詠まれてきました。
現在は冬の季語とされていますが、万葉集では26首、季節に関係なく
詠われています。

「 千鳥鳴く み吉野の川の 川音の
     やむ時なしに 思ほゆる君 」
                    巻6-915 車持千年(くるまもちの ちとせ)

(  千鳥鳴く吉野川の川音のように、一時とてやむときもなく
   あの方のことが思われます。)

723年、持統天皇吉野離宮行幸の折の歌。

この歌の前の長歌で
「 朝霧が立ち、河鹿が鳴く美しい吉野を自分一人で眺めるのは残念だ。
  都に残してきたあの人にもこの素晴らしい光景を見せたいものだ」

と詠った後の或る本による反歌。

異境を旅する時はまず土地褒めをするのが当時の習い。
女帝に従ってきた女官も多くいたので女性の立場で詠ったものと思われます。

きらびやかな衣装をまとった都人。
風光明媚な吉野。
男も女も、都に残してきた愛する人を思い出しながら、千鳥の声に
聴き惚れていたことでしょう。

次の2首は問答とされる二人の掛け合いの歌です。

「 佐保川に 鳴くなる千鳥 何しかも
    川原(かはら)を偲(しの)ひ  いや川上(かはのぼ)る 」
                         巻7-1251  作者未詳
( 佐保川で鳴いている千鳥よ。
 なんでそんなに川原を愛しんで、ずんずん川を上ってくるのか )

「 人こそは おほにも言はめ 我がここだ
          偲(しの)ふ川原を 標(しめ)結ふな ゆめ 」
                    巻7-1252  作者未詳

( 人々は平凡な景色だというかもしれません。
 だけど、私がこんなに愛しんでいる場所ですから
 勝手に標を張って締め出すようなことはしないで下さいな )

「おほにも」: 「凡(おほ)にも」で「いい加減に」
「ここだ」: こんなにも甚だしく
「標結ふ」:立ち入り禁止の標識 女を独占したい男の立場で用いることが多い

ある人が千鳥に向かって問いかけ、千鳥の立場で答える形になっています。

伊藤博氏は
『 ただ、これだけでは意味をなさないので、千鳥を男、川原を愛する女に譬え、
ある第3者が「お前何であんなつまらぬ女に惚れて通っているのだ」

とからかったところ

「 つまらぬ女かも知れないが、俺にとっては愛しい人。
  無用な邪魔立てはするなよ。
  もしかしたら油断させて横取りする気ではあるまいな 」
  と答えたものらしい。』

とされています。

この解説がないと、理解が難しい問答歌です。

「 我が門(かど)の 榎(え)の実もり食(は)む 百千鳥(ももちどり)
         千鳥は来れど 君ぞ来まさぬ 」   
                                  巻16-3872 作者未詳

( 我が家の門口の榎の実を もぐもぐと食べ尽くす群鳥、
  群鳥はいっぱいやってくるけれど、私が待つ肝心の君は
  一向においでにならないわ。)

榎はエノ木科の落葉高木、赤黒い小さな実を求めてムクドリが群れて
食するそうですが、ここでの百千鳥は群れをなした鳥。

この歌は筑前国の謡ものらしく
「もり食む」に貪欲な、「百千鳥」に多くの男達を寓し

「 女好きな男たちは私の体を求めて、うようよやって来るけれど
肝心なあなたは来ない。
  そんなに邪険にしていると他の男と一緒になってしまうよ 」
とからかっているように思われます。
周りが囃しながら歌う宴席での定番だったのでしょう。

   「 入り乱れ 入り乱れつつ 百千鳥 」 正岡子規

万葉人の造語、百千鳥は一体何の鳥か諸説ありましたが、現在では
種類も様々な小鳥が野山で鳴き交わす様子を言う四季の季語です。

「 佐保川の 清き川原(かわら)に 鳴く千鳥
     かわづと二つ 忘れかねつも 」       巻7-1123 作者未詳

( 佐保川の清らかな川原で鳴く千鳥と河鹿。忘れようにも忘れられないなぁ。
 早く旅を終えて家に帰りたいよ )

佐保川は春日山に発し、奈良市を西南に流れる川で千鳥と河鹿が名物と
されていました。
清流に鈴を転がすように鳴く「かじか」。
河鹿と書きますが実は蛙の一種です。

晩春から雄のみが雌を求めて「フィフィフィフィフィフィ、フィーフィー」と
鳴き出し初秋には鳴きやみます。
古代の人達は千鳥と河鹿の美しい二重奏を楽しんでいたのです。
優雅ですねぇ。

佐保川の千鳥も河鹿も今は姿を消し、狭くなった川の土手は桜並木に
なっています。
川べりに座ってせせらぎの音を聴いていると、往時の様子が
目に浮かんでくるようです。

余談ながら、酒に酔った人の足取りを千鳥足と云いますが、これは千鳥類などが
蟹などを捕えるため歩行中頻繁に向きを変え、踏み跡がジグザグになるようすに
由来するそうな。

     「 酔ひ足りて 心閑(しづ)かや 遠千鳥 」 日野草城 



     万葉集622 (千鳥) 完


     次回の更新は3月10日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-03-02 20:26 | 動物