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万葉集その六百四十七 (空蝉:うつせみ)

( ただ今羽化中   孫の観察記録より )
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( ようやく終わり疲れました 羽が美しい  同上 )
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( しばらく経つと アブラゼミ本来の姿に  同上 )
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( ヒグラシ )
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万葉集その六百四十七 (空蝉:うつせみ)

「うつせみ」とは、もともと「現(うつ)し臣」(古事記) が「現(うつ)そ身」となり、
さらに「現せ身」に転じたもので、万葉時代には生きている人間、あるいは人の世、
現世の意に用いられています。

万葉集に46例、「空蝉」「虚蝉」などと表記されていますが、
平安時代にみられる魂の抜けた状態、儚いという意味合いでの使用例は
少ないようです。

「 うつせみの 人目を繁(しげ)み 石橋の
       間近き君に 恋ひわたるかも 」 
                              巻4-597 作者未詳

( 世間の人目が多いので、それを憚って、飛び石の間ほどの近くにおられる
 あなたさまに、逢う事も出来ず、ただただお慕いし続けている私 。)

ここでの「うつせみ」は「人」の枕詞。
現世という原義が響いており、世間の意。
石橋は石の飛び石。間隔が短いので、間近に掛かる枕詞として用いられています。

「 燈火(ともしび)の 影にかがよふ うつせみの
    妹が笑(ゑ)まひし 面影に見ゆ 」 
                       巻11-2642 作者未詳

( 燈火の火影に揺れ輝いている、生き生きしたあの子の笑顔。
 その顔がちらちらと目の前に浮かんでくるよ。)

燈火の中にいる女性の浮き立つような印象を与える秀歌。
これから女の許へ行こうとしているのか、思わずにこりと笑う男の顔が
目に浮かぶような1首。

かがよふ: ちらちらと揺れて輝く

「 うつせみは 数なき身なり 山川の
   さやけきを見つつ 道を尋ねな 」 
                          巻20-4468 大伴家持

( 生きてこの世にある人間というものは、いくばくのない儚い命を持つ身なのだ。
 山川の澄みきった地に入り込んで悟りの道を辿って行きたいものだ。)

756年5月、聖武天皇崩御、後ろ盾を失った作者は一族に心を引き締めるよう
諭す歌をつくり、その後体調を崩したのか「病に臥して無常を悲しみ道を修めたい」
と思って作った歌とあります。

ここで仏教的無常観が登場し、平安時代になると盛んに詠われます。

「 うつせみの 世にも似たるか 花咲くと
      見し間にかつ 散りにけり 」 
                            古今和歌集  これたか の みこ

( このはかない世に似ているなぁ。桜の花は。
 咲くと見た瞬間、その一方でもう散っているよ )

僧正遍照に贈った歌とあり、「うつせみの世は儚いと」いう表現が
定着してゆきます。

次の歌は光源氏が人妻である空蝉の寝室に忍び込もうとしたら、
それを察した彼女は薄い衣を残して去っていた。
その薄衣を持ち帰った源氏が懐紙に綴ったものです。

「 空蝉の 身をかへてける 木のもとに
     なほ人がらの  なつかしきかな 」            光源氏

( 抜け殻を残した人よ 身の内の人柄をこそ抱きたかったのに )

ここでの空蝉は、蝉の抜け殻のことで、彼女の残した薄衣をそれに例えました。

「 あなたは蝉が姿を変えるように、抜け殻を残して私の前から去ってしまった。
  その木の下で、私はなお、あなたの人柄を懐かしく思っていることだよ。
  私はあなたの容貌や、身分や人妻という立場やそんなほかの条件に
  惹かれたのではないのです。
  - とことん謙虚で、ひかえめで、奥ゆかしいそんな人柄に魅力を感じたのですよ。」

                              ( 俵 万智 愛する源氏物語 文芸春秋社)

「 うつせみの 鳴く音(ね)やよそに もりの露
     ほしあへぬ袖を 人の問ふまで 」   
                               寂連法師 新古今和歌集

( 森で蝉が鳴くように、ままならぬ恋に泣く私の声が よそに洩れたのであろうか。
 涙の露を干しきれない袖を どうしたのかと人が問うまでに )

うつせみ:蝉
もり:森と漏るを掛ける

うつせみ=蝉とした珍しい例です。
寂しげな声を出すヒグラシでしょうか。

「 いつしかも 日がしずみゆき うつせみの
              われも おのづから きはまるらしも 」 
                             斎藤茂吉最後の歌(昭和27年) つきかげ

万葉集に造詣が深い作者。
「うつせみ」は先祖帰りして「現世」に。


   「 空蝉の すがれる庵の はしらかな 」 川端茅舎


              万葉集647(空蝉:うつせみ) 完


              次回の更新は9月1日の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-08-24 16:10 | 心象

万葉集その六百四十六 (鶏頭)


(鶏頭 とさか状の冠の下の扁平な部分が花)

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( 同上 )
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 (丸い鶏頭)
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( 色とりどりの鶏頭  飛鳥 奈良 )
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 ( 鶏頭咲く飛鳥 )
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万葉集その六百四十六 ( 鶏頭 )

鶏頭(けいとう)はインドや熱帯アジア原産のヒユ科の1年草で、
花穂の頂が鶏の赤い

トサカ状になるためその名があります。
このトサカ状のものを花と見がちですが、そうではなく、トサカ冠の下の
扁平になった部分にびっしり付いているのが小花で、
よくよく観察しないと、
見過ごしそう。
古くは韓藍(からあい)、すなわち韓(から:中国)から渡来した藍(染料)
よばれ、
万葉集に4首。
すべて庭で栽培されている花として詠われています。

「 秋さらば 移しもせむと 我が蒔きし

        韓藍(からあゐ)の花を 誰()れか摘みけむ 」

71362  作者未詳

( 秋になったら移し染めにでもしょうと、私が蒔いておいた鶏頭の花。

その大事な花を一体誰が摘み取ってしまったのだろう。)

韓藍の花すなわち鶏頭は直播にして育て、秋に花汁を染料にしましたが、
ここでは自分の娘の譬え。

「移す」とは花を衣に直接摺りつけて染めることを言いますが、

結婚する、共寝するという意味にも用いられます。
大切に大切に育ててきたわが娘。

いずれ、頃合いをみはからって立派な男と結婚させようとしていたのに、

どこの誰が手をつけてしまったのだろうと嘆く母親。

あるいは、この子と結婚しょうと目を付けていたが、他人がさっさと

奪ってしまったと悔しがる男とも解釈できます。

「 隠(こも)りには 恋ひて死ぬとも み園生(そのふ)

     韓藍(からあゐ)の花 色に出でめやも 」  

112784 作者未詳

( あなたさまへの想いを心のうちに押し隠したまま苦しさに耐えましょう。

仮に焦がれ死にしましょうとも、庭に咲く鶏頭の花のように、

はっきり顔に出したりいたしません。 )

男が結婚をもう少し待ってくれ、他の人には内緒にして欲しいと云った。

むきになって応じたのは、惚れた女性の弱みか。

それでも、心の片隅のどこかで

「あなたほんとに大丈夫、心変わりしない」

という危惧が感じられる一首です。

「 恋ふる日の 日長(けなが)くしあれば 我が園の

    韓藍の花の  色に出でにけり  」 

102278  作者未詳

( あの方に恋してから、もうどのくらい日にちが経ったことだろう。

 我家に咲く鶏頭の花の鮮やかな色のように、とうとう私の気持ちを
表に出してしまった。)

こちらは余り長く待たされたので、とうとう口にも態度にも出してしまった。
相談した相手は母親なのでしょうか。

万葉集の鶏頭はすべて恋の歌。

属名「ケロシア」(ギリシャ語)は「燃える」の意。 

その鮮烈な赤色は恋するものにとってこの上もない表現材料だったのでしょう。

「 鶏頭の 十四五本も ありぬべし」 正岡子規

子規は病床から萩が枯れるのを見、迫りくる初冬の寒気を感じながら

塊となって咲いている鶏頭の野性の力強い姿に自らを励ましつつ、芭蕉の名句
「 鶏頭や 雁の来るとき 尚あかし」 芭蕉 

 

「なお」(赤し)の優雅さに対して、(十四五本)「も」と力強さで勝負した?


   万葉集646 (鶏頭)完

次回の更新は8月25日(金)の予定です。


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by uqrx74fd | 2017-08-17 06:28 | 植物

万葉集その六百四十五 (秋立つ)

( 夏と秋が行き交ふ空 )
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( 蟋蟀:コオロギ 向島百花園 )
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( かわづ=カジカ 吉野川 )
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(  残暑お見舞い  朝顔の氷漬け   上野 )
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( 沖縄ビードロ  川崎大師 風鈴市 )
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( 福島 喜多方  同上 )
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( 京都  同上 )
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(  佐賀 伊万里 同上 )
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万葉集その六百四十五 (秋立つ)
 
立秋(8月7日)を過ぎたとはいえ、まだまだ衰えを見せない うだるような暑さ。
寝苦しい夜が続き、「早く秋が来ないかなぁ」と溜息をつく。

そんな時、早朝、起きがけに窓を開けると涼しい風がさっと吹き入り
頬を撫でてくれた。
「あぁ、今までの風とは違う」
やはり、秋は近くまで来ているのです。

古今和歌集では、このような気持ちを次のように詠っています。

「 夏と秋と 行きかふ空の かよひぢは
           かたへすずしき  風や吹くらむ 」 
                   凡河内躬恒 ( おおし こうちの みつね) 古今和歌集

( 夏と秋が入れ違って往来する空の通路は
 片側だけが涼しい秋風が吹いているのであろうか )

「 片側の道から夏が過ぎ去り、その反対側から涼しい秋風が吹きはじめて
  すれ違ってゆくのだろうかと想像(大岡信) 」 し、

「 秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 
        風の音にぞ 驚かれぬる 」     藤原敏行  古今和歌集

               「驚かれぬる」:「はっと気がつく」

と続きます。

あまりにも有名なこの歌は1100年前の立秋の日に作られ、
今や多くの日本人がこの歌を心の中で口ずさみながら秋を感じ、
立秋といえば「風の音」と云われるまでになりました。

このように風をめぐる歌を文芸の世界にまで高めた萌芽は
既に万葉時代も多く見られます。

「 初秋風 涼しき夕(ゆうへ) 解かむとぞ
      紐は結びし 妹に逢はむため 」   
                     巻20-4306 大伴家持

( 涼しい初秋風が吹く来年の七夕に再び逢い、着物の紐を解こうと
誓いながらお互いに結びあったのだったなぁ。
 ようやく一年が経ちその日がやってきたよ )

難波に単身赴任中の作者が天の川を仰いで詠んだ一首です。
当時の人々は別れの際にお互いの衣服の紐をしっかり結び合っておけば
再び思う人に逢えると信じていました。
牽牛の待ちに待った喜びを詠ったものですが、
作者自身も妻にまもなく逢えるという気持も込めているのでしょう。

「初秋風」は大伴家持の造語、万葉集中この一例のみ。
古代の七夕は8月7日、「初」という言葉に立秋の意を含ませています。
こちらは「音」ではなく肌で感じた気配です。


「 萩の花 咲きたる野辺(のへ)に ひぐらしの
    鳴くなるなへに  秋の風吹く 」  
                         巻10-2231  作者未詳

( 萩の花が一面に咲いている野辺に ひぐらしの声が聞こえてきた。
 おぉ、秋風が吹いてきたなぁ。
 なんとも清々しいことよ。)

萩、蜩、秋風。
爽やかな秋到来の一首です。

「 庭草に 村雨降りて こほろぎの
       鳴く声聞けば 秋づきにけり 」 
                     巻10-2160 作者未詳

( 庭草に村雨が降り注いでいる折り、こおろぎが鳴いている。
 あぁ、秋らしくなったなぁ。)

「村雨」は「ひとしきり降ってさっと通り過ぎるにわか雨」

なんというセンスある万葉人の美しい造語。
白露の草陰ですだく蟋蟀の涼しげな音(ね)が聞こえてきそうです。

「 神(かむ)なびの 山下響(とよ)み 行(ゆ)く水に
    かわづ鳴くなり 秋と言はむとや 」 
                          巻10-2162 作者未詳

( 神なびの山下も鳴り響くほどに流れゆく川の中で、河鹿がしきりに
    鳴いている。 
    河鹿はもう秋だと云おうとしているのか。)

    神なび:  神のこもるところ。
           ここでは明日香のミハ山(橘寺南東)
    川は飛鳥川。

かわづは蛙の一種です。
清流で雄のみ「フィフィフィフィフィフィ、フィーフィー」と
鈴を転がすように鳴き、雌を求めます。
河鹿と書き、当時「かわづ」といえばすべて河鹿蛙のことでしたが、
平安初期から他の種類の蛙と混同し始めいつの間にか蛙全般を
指すようになりました。

風の音、虫の音、河鹿、秋の花々を愛でながら、
ゆったりと時の移り変わりを楽しむ。
まさに日本的感性の萌芽をここに見る万葉人の歌の数々です。

「 横雲の ちぎれて飛ぶや 今朝の秋 」  立花北枝(江戸前期)

                  今朝の秋=立秋


          万葉集645 (秋立つ)完

        次回の更新は8月18日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-08-10 15:38 | 自然

万葉集その六百四十四 ( 海 )

( 江の島 )
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( 三浦海岸 )
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( 安房鴨川 )
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( 小豆島 )
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( 二十四の瞳の教室から   小豆島 )
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( 懐かしの映画 二十四の瞳 )
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( 天橋立 )
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(  海王丸 )
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万葉集その六百四十四 (海)

夏本番、海山の季節です。
人々は涼を求めて海水浴や山登りに繰り出しますが、残念ながら
大和は美しき群山(むらやま)あれど、海には縁なき国。
ところが驚くなかれ、万葉人は海の歌を300首以上も詠っているのです。

一体、彼らはどこで詠ったのか?
天皇がたびたび行幸された伊勢、遣唐使が立ち寄った対馬、難波宮近くの住吉、
防人の航路である瀬戸内海から九州、それに能登や若狭等々。
行幸や防人、遣唐使、遣新羅使などは一度に多くの人が海路を利用するので
必然的に歌も多くなりますが、官人の公用も多かったのでしょう。

人々は全国いたるところで海を見て感動し、海人の姿を楽しみ、潮騒を聞き
時には恐れおののきながら旅を続けていたのです。

「大海に 島もあらなくに 海原(うなはら)の
     たゆたふ波に 立てる白雲 」 
                          巻7-1089  伊勢の従駕(おほみとも)

( ここ大海原には島影一つないのに、海上のたゆたう波の上に
 白雲が立ちわたっている。
 なんという美しい光景だろう。)

作者は天皇の行幸にお供し、生まれて初めて海を見たようです。
今まで雲は山の上にしか立たないと信じていた。
ところが水平線の彼方に雲がむくむくわきあがっている。
エェーッ! 島もないのに雲が! 

自然の神秘に驚嘆しながらも船上で少し心細さも感じている。
子どものような素直さが微笑ましい秀歌です。

「 大海(おほうみ)の 水底(みなそこ)響(とよ)み 立つ波の
      寄せむと思へる 磯のさやけさ 」
                           巻7-1201 作者未詳

( 大海原の水底までとどろかせながら立つ波。
 磯に打ち寄せようとしているさまの、なんと清々しいことか 。)

寄せる波が岩にあたって砕け散る。
海鳴りがごうごうと響き渡り、また波が引いてゆく。
波濤や真砂の白さが目に染みる。
あぁ、なんと清々しいことよ。

「 黒牛の海 紅にほふ ももしきの
        大宮人し あさりすらしも 」 
                    巻7-1218 藤原卿

( 黒牛の海が紅に照り映えている。
     大宮に仕える女官たちが、浜辺で漁り(すなどり)しているらしいなぁ。)

作者は藤原一族の高官。(不比等か:伊藤博)
701年持統太政天皇、文武天皇紀伊行幸の折の歌。
黒牛の海は和歌県海南市黒江、黒と赤の対比に興趣を感じた一首です。

都から大勢の美しい女官がお供してきたのでしょう。
自由な時間を与えられて、磯で貝などを漁りながら楽しい時間を過ごしている。

波がおし寄せて来ると大きな声をあげて飛び跳ね、
赤い裳裾(もすそ:スカートのようなもの)の割れ目から、
白い素足が見え、男の官能をくすぐる。
作者が目を細めて眺めている光景が浮かんでくるようです。

「 伊勢の海の 磯もとどろに 寄する波
     畏(かしこ)き人に  恋ひわたるかも 」
                        巻4-600  笠 郎女

( 伊勢の海の磯をとどろかせて打ち寄せる波。
 その波のように畏れ多い方に、私は恋い続けているのです。)

作者は大伴家持に一方的に恋をして、24通の恋文を送りました。
家格が高い相手では成就の見込みがないと思っていたのか「畏き人」と詠っています。
家持の反応は全くなし。
一方的な片恋に終わりましたが、その情熱的な恋歌は私たちを引き付けて
やみません。

「 静けくも 岸には波は 寄せけるか
        これの屋(や)通し 聞きつつ居れば 」 
                         巻7-1237 作者未詳

( この旅寝の襖(ふすま)越しに耳を澄ませて聞いていると、
    潮騒が聞こえてくる。
    今夜の波は、なんと静かにうちよせているのだろう。)

持統天皇伊勢行幸の折、お供した人の作。
賑やかな宴会が終わり、部屋でくつろいでいると、波音が聞こえてくる。
あぁ、今宵は静かだなぁ。
昼間はあんなに大きな音が鳴り響いていたのに。

それにしても都に残してきた妻は今頃どうしていることだろう。

大和から伊勢までは近いといっても徒歩の長旅。
そろそろ郷愁を感じはじめた作者です。

    「 古(いにしえ)の 海を渡りし 名僧の
               肩に止りて 行きし蝶あり 」   石田 比呂志

以下は長谷川櫂氏の解説です。

 「 空海も最澄も中国に留学して仏教を学んだ。
   1200年前のことである。
   その人の肩にとまって1羽の蝶が海を渡っていったという。
   何と軽やかな空想だろうか。
   蝶は未知の国への憧れのようでもあり、その人の英知の輝きの
   ようでもある。」

                    ( 四季のうた―詩歌のくに 中公新書より)


              万葉集644(海)完


        次回の更新は8月11日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-08-03 16:28 | 自然