万葉集その五(万葉人はお酒がなによりもお好き)

「ワインは人と人との心を結び、楽しさを倍加する酒、
ウヰスキーは人を孤独にする酒 」 (木村尚三郎) 
なれば 「日本酒はワイワイ酒か」(永井路子)


さあ、さあ、ご一緒に飲みましょう。

729年、大宰府長官大伴旅人は山上憶良ら5人と酒盛りをしていた時のお話です。
ひとしきり酔いがまわりはじめたころ、旅人がまず詠います。

  「 験(しるし)なき ものを思はずは 一杯(ひとつき)の

      濁れる酒を 飲むべくあるらし 」  

               巻3-338 大伴旅人


    ( この人生、くよくよ甲斐のない物思いなどにふけるより
      一杯の濁り酒を飲んだ方がよっぽどましだよ )

      (験): 効能、効き目  (思はずは): 思わないでいっそのこと

  「 なかなかに 人とあらずは 酒壷(さかつほ)に

     なりにてしかも 酒に染み(しみ)なむ 」  

                     巻3-343 大伴旅人


( なまじっか分別くさい人間として生きているよりいっそ
  酒壷になってしまいたいなぁ。
  そうしたら何時も酒びたりになっていられように )

 (なかなかに): なまじっか (なりにてしかも):いっそのことなってしまいたい

色々な歌のやり取りのなか、宴は盛り上がっていきます。
そのとき山上憶良は突然立ち上がり詠いました。

  「憶良(おくら)らは 今は罷(まか)らむ 子泣くらむ

     それその母も 我(わ)を 待つらむぞ 」  

     巻3-337 山上憶良
 

 ( 憶良めは、そろそろ失礼いたします。家では子供が泣いていましょう、
   多分その子の母も 私の帰りを待っていますので )

    (今は罷らむ): 貴人のもとを退出する意 
     (その母)  : 直接妻と云わないところに笑いがこもります

  当時憶良は70歳近くでマイホームパパだったようです。
  宴席の途中から退席するのはなかなかタイミングが難しいものですが
  一同をどっと沸かせるような逃げ口上を置き土産にして去りました。


男ばかりではなく女性にも酒豪だったと思わせる歌もあります。

   「酒杯(さかづき)に 梅の花浮かべ 思ふどち

     飲みてののちは 散りぬともよし 」 

          巻8-1656 大伴坂上郎女
 

( 酒杯に梅の花を浮かべて心の通じ合うもの同士が飲みあった後は、
  梅の花など散ってもかまいませんわ。 )

  (思うどち): 心の通じあうもの同士 、作者は大伴旅人の異母妹

 この歌は、親しいもの同士の宴会での主人としての歓迎の挨拶で
 「さぁ、今宵は宴を尽くして飲み明かしましょう」というのが本意です。

当時は禁酒令が出ていましたが、2~3人の親しいもの同士なら良いとの
お上のお達しがあったそうです。 女性同士の徹夜酒だったのでしょうか?

  「世の中に たのしみ多し 然れども
      酒なしにして なにのたのしみ 」 若山牧水
   

 昔も今もこの酒好きな人々です!
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# by uqrx74fd | 2009-03-08 09:44 | 生活

万葉集その四(鳥のとりどり)

爽やかな初夏が到来すると山野の鳥も楽しげに歌い出します。

万葉人は心の様子を何かと鳥に託して恋の場面を語りました。
今回はその中からホトトギス、雉、燕 鴨に因んだ歌をご紹介します。

 「 わが衣(きぬ)を 君に着せよと ほととぎす

       我れをうながす 袖に来居(きゐ)つつ 」 

         10-1961 作者不詳
 

( 私の衣をあなたに着せなさいと ホトトギスが私の袖にとまりながら
 しきりに催促していますよ。
 如何ですか? 私の肌着を着てくれませんか?)

古代、人が身につけた着物はその人の魂(命)が宿ると信じられていました。

この歌は、ホトトギスの鳴き声を「キヌ キミニ キセヨ」と男が勝手に解釈し、
それに事寄せて女を口説いているところに面白みがあります。

なお「衣」は「コロモ」と読む場合は上着、「キヌ」と読む場合は肌着とされています。


 「 春の野に あさる雉(きぎし)の 妻恋ひに

   己(おの)があたりを 人に知れつつ ) 

      8-1446 大伴家持


 ( 春の野で餌をあさっていた雉がどうしたのだろう。急に声高に鳴き出したりして。
   妻恋しくなってしまったのかしら。それにしてもあんなに鳴いたら猟師に
   居場所を知られて捕らえられてしまうのになぁ )

雉は「ケーン ケーン」と鳴くといわれていますが、これは春の交尾期に多い
雄のラブコールです。

家持には前年世を去った、父、旅人を恋ふる気持もあったのでしょうか。

なお、雉は気性が激しく「きはげし」が略されて「きぎし」さらに「きじ」と
なったそうです。  (昭和22年国鳥に指定)
 
  「 水鳥の鴨の羽色(はいろ)の 春山の

     おほつかなくも 思ほゆるかも 」 

              8-1451 笠郎女


( 木々の芽吹きがまだ始まらない早春の山はまるで茶色がかった
  鴨の羽色のようです。
  あなたの気持といったらまるでその春山のよう。
  霞のようにぼんやりとして、掴みどころがなくて。もどかしくてたまりませんわ。)
   
大伴家持に一目惚れして29首ものラブレターを出したのに「全く返事も来ない」と
じれったい思いをしている郎女の片思い。

なお、鴨の雄は緑色の鮮やかな色をしていますが、ここでは下の句との関係から
雌の茶褐色の羽色をさしているものと思われます。

 「おほつかなくも」: 対象がぼんやりして実体がはっきりしないさま

温かい日差しを浴びながら水の上で寝ている鴨を「浮寝鳥」といいます。
優雅な言葉ですね。
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# by uqrx74fd | 2009-03-08 09:43 | 動物

万葉集その三(花のメドレー)

春から初夏にかけてのこの頃、自然は昔と変わらぬ花々を咲かせ楽しませてくれます。
万葉人も心を躍らせながら花を愛で、多くの歌を詠い、春を謳歌したことでしょう。
今回は桜、藤、杜若、躑躅のメドレーです。

 「 あをによし 奈良の都は 咲く花の

      にほふが如く 今盛りなり 」     

   巻3-328 小野老(おゆ)


この著名な歌は作者が叙勲のために赴いた奈良から大宰府に帰り、その豪華絢爛たる
都の様子を満開の花々に例えて宴席で詠ったもので、天平文化の最高潮を讃えるに
ふさわしい一首です。

宴席に連なる人たちも都への郷愁がさらに募ったことでしょう。

「あをに」 :青土で顔料、奈良は青土の産地として知られ、奈良の枕詞となる。
「にほふ」: 色が照り映えること、原文が「薫」なので芳香の意も含む。
    
  「 藤波の花は 盛りになりにけり

           奈良の都を 思ほすや君 」  

          巻3-330 大伴四綱
 

 ( 藤の花が真っ盛りですねぇ。あなたさまも藤の花が咲いている奈良の都を
  私同様さぞ懐かしく思っておられることでしょう )
 
 作者が満開の藤を眺めながら大伴旅人(君)に話しかけた歌です。
 紫や白色の花房が連なるさまを波に見立て「藤波」とした万葉人のセンスのよさ。
          
 「 かきつはた 衣(きぬ)に摺(す)り付け ますらをの

     着襲ひ(きそひ) 猟(かり)する 月は来にけり 」 

            巻17-3921 大伴家持


( 今年も杜若の花が咲き始めましたが。相変わらず綺麗な色ですねぇ。
  この花を着物に摺り付けて染め、ますらを達が薬狩りする時がきましたよ。
 それぞれどのような衣装でやってくるのかを待ちどうしいことです )

(かきつはた) =杜若 その花を衣服や紙を染めるのに用いた
(摺りつけ): 花を布に摺り付けて染色したり、カキツバタペインティングをした
(着襲う) :衣服の上に重ねて着る(重ね着) 猟のときの伊達で粋な出で立ち

(猟): 5月5日に薬玉に入れる薬草を取るための薬猟
(薬玉):薬を入れる丸い入れ物

(月) :  お月様の月ではなく今月、来月の月 または時
              
  「 山越えて 遠津(とほつ)の 浜の 岩つつじ

     我が来るまでに 含(ふふ)みてあり待て 」   

            巻7-1188 作者未詳


( 山を越えて遠くまで行くというわけではないが、遠津の浜の岩躑躅よ
  私が帰ってくるまで、蕾のままでずっと 待っていておくれ )

岩躑躅を土地の若い娘と見立て、娘が他人のものにならず初心(うぶ)なままで
嫁がないで待っていて欲しいという男の気持ちを詠んだものです。

(あり待て) : そのまま今の状態で待て
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# by uqrx74fd | 2009-03-08 09:42 | 植物

万葉集その二(万葉老人乙女を口説く)

満ちては欠け、欠けては満ちることを繰り返す月。
万葉人はその月を永遠なる存在と認め、月には若返りの水があると信じていました。

そしてその水を「変若(おちみず)」とよび「おち」は「復(お)ち」で復活を意味します。

 さて、万葉老人が乙女(遊女説もあり)を口説きます。口説かれた乙女曰く

 「我が袂(たもと) まかむと思はむ 丈夫(ますらを)は

   変若水求め 白髪(しらか) 生(お)ひにたり」 

        巻4-627 作者未詳
 

 ( 私の腕(かいな)を枕にして寝たいなどと思うあなたの頭には、
   白髪が生えていますよ。  
   あちらの方はほんとに大丈夫なの?
   若返りの水でも探してこられたほうがよろしいのでは? )

     「袂」: 手首  「まかむ」: 枕にする
     「丈夫」: 男らしい男、ここでは老人を皮肉っている 「求め」:求めよ 
 
男も黙って引き下がるわけにはいかない。そこで返した歌

「白髪生ふる ことは思わず 変若水は

  かにもかくにも 求めて行(ゆ)かむ」 

    巻4-628  佐伯赤麻呂


(白髪が生えているなどということは意に介していません。だけど あなたが
折角薦めて下さることですから、若返り水だけはとにかく探しにいく事にします。
私が変若水を飲んでピンピンして帰ってきたら万事OKなのですね?)

 「かにもかくにも」: ともかくも

さて件の乙女の返歌。


「何すとか 使ひの来つる 君をこそ 

    かにもかくにも 待ちかてにすれ」 

   巻4-629 (大伴四綱が女になり代わって)


( どうして使いなんぞお寄越しになりましたの? じれったい。
何はさておきあなたのお出でをこそ今や遅しと待ちかねておりますのにーー)

あんなことを申しましたが、白髪はあってもあなたは立派な「ますらお」
まさか若返りの水なんて必要ないでしょうに。

早くおいでになってあなたご自身の
お力でお試し下さいな。(相手は能力を欠くことを承知の上でのからかい)

 「何すとか」: 何をしょうと思ってか 「かにもかくにも」 何をさておいても
 「かてにす」: ~しがたく思う 待ちがたく思う=待ちかねる

からかわれた老人もさるもの

 「 初花の 散るべきものを 人言(ひとごと)の
 
    繁きによりて よどむころかも」  

      巻4-630 佐伯赤麻呂


 ( 初めて咲いた花が散るように あなたのような若くて美しい乙女は 
   すぐにでも人のものになりそうで気が気でないけれど、
  世間の噂がうるさいので、通って行くのをためらっているのです )

  「 白髪男と若い乙女との取り合わせは世間の口がうるさいので」と、
 わざと躊躇して見せたもの。

 「おどけながら尻尾を巻いて下がっているが相手が遊女なら初花は
  強烈なしっぺ返しとなる 」(伊藤博)

「初花」 :男を知らぬ若い女の比喩 
「散るべきものを」 :人のものになること 「よどむ」 通うのをためらっている
 
以上四首は大宮人が宴席で互いに男女役を演じながらの戯れ歌でした。
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# by uqrx74fd | 2009-03-08 09:41 | 心象

万葉集その一(日本の美しさを詠うー国見)

「国見」とは春の初めに天皇が聖なる山に登り、
国土を俯瞰(ふかん)しながら、そのにぎわいを褒めることにより
豊かな秋の実りを予祝する農耕儀礼で、
元々は民間の気楽な行事であったものが次第に儀礼化され、
国の儀式になったものとされています。

今から約千三百年前のことです。
早春の晴れた日、天皇は山の頂に立ち、厳かに、力強く、朗々と
詠い出されました。

「 大和には 群山(むらやま)あれど 
  とりよろふ 天(あめ)の香具山

  登り立ち 国見をすれば 
  国原は けぶり立ち立つ 
  海原(うなはら)は かまめ立ち立つ

  うまし国ぞ 蜻蛉島(あきづ しま) 大和の国は 」 

          巻1-2 舒明天皇

「意訳」

( 大和には多くの山々があるけれども、その中でも
  木々も豊かに生い茂り、美しく装っている香具山。
  また、神話の時代に天から舞い降りたと伝えられる天の香具山。

 その頂に登り立って国見をすると、
 国土には盛んに炊煙の煙が立っている。
 民の竈(かまど)は豊かなようだ。

 海原(広い池)には、かもめ(ゆりかもめ)が盛んに飛んでいる。
 海の幸も豊かなのであろう。

 この上もなく美しい国よ。
 豊穣をもたらすという蜻蛉が盛んに飛び交う
 わが日本の国よ  ) 

『 「国原はけぶり立ち立つ 海原はかまめ立ちたつ」の対句は
その土と水とがとも生気に満ちて躍っていることを述べた表現で、
このように、国土の原核であり農耕に必須の媒材である「土」と「水」とが
充実しているということは、国土の繁栄、一年(ひととせ)の
五穀豊穣が確約されたことを意味する。

だから一首はただちに「うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は」と
高らかな賛美のもとに結ばれる。

この歌の冒頭の大和は天皇が立つ大和(奈良)であるが、
後の大和は映像を大きく広げて国全体を意味する
ヤマト(日本)に変貌している。 』     (伊藤 博)

さらに「国原」「海原」の対句は、自然の情景をそのままに詠っており、
叙景歌の萌芽が既に芽生えてることをも示しています。

かくして、この歌は国土の美しさを褒め称えたものであると同時に、
我国文学の幕開けの歌でもあったのです。
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# by uqrx74fd | 2009-03-08 09:40 | 自然