万葉集その二十二(秋の香)

秋の香りと言えば松茸。
今や国産ものは匂いだけで辛抱しなければならない程高価で
縁遠くなってしまいました。

茸の歴史は古く縄文時代後期(4000年前)まで遡ります。

古代人はキノコの毒の有無を判別する知識を苦い経験によって蓄え、
万葉時代に松茸は既に大いに食され又好まれてました。

焼いて醤(ひしお―醤油の原型)を付けたり、塩をふったり、また現在で云う
松茸飯や吸い物にしてその香りと歯ごたえを味わったものと思われます。

 「 高松の この峰も狭(せ)に 笠立てて

      満ち盛(さか)りたる 秋の香のよさ 」 

           巻10の2233 作者不詳


高松は奈良の高円山(たかまどやま)。
全山に足の踏み場のない程にびっしりと生い並ぶ松茸。
その松茸が今を盛りとかぐわしい芳香を放っている様子を
詠ったもので、今日では想像も出来ない光景です。

(高円山の峰も狭しとばかりに、まぁ見事に茸の傘が立ったことよ。
 眺めもさることながらこの香りの良さ。早く食べたいものだなぁ)

江戸時代でもまだ松茸は健在で

「 松茸の 山かきわくる 匂ひかな」 支考 

などと詠まれています。

昭和初期でも松茸飯は大衆食でした。

「 取り敢えず 松茸飯を焚くとせん 」 虚子

草間時彦の「食べ物俳句館」によると

「この句が作られたのは昭和9年。
その頃松茸飯は一膳飯屋の食べ物だったのである。

だから虚子の句も不意の来客で何もないし、銭も乏しい。
八百屋で松茸を買ってきて松茸飯。
それに豆腐の味噌汁、大根の漬物。
そんなところで.....。というのがこの句の取り敢えずなのである」

と解説されています。

 古き良き時代のお話です。

その後 松茸は昭和28年頃を境に急速に日本の山々から
姿を消してしまったようであります。
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# by uqrx74fd | 2009-03-08 10:01 | 植物

万葉集その二十一(河鹿:かじか)

清流に鈴を転がすように鳴く「かじか」。河鹿と書きますが実は蛙の一種です。
雄のみが「フィフィフィフィフィフィ、フィーフィー」と鳴き雌を求めます。


古代の人達もこの美しい声を楽しみながら詠いました。
当時「かはづ」といえばすべて河鹿蛙のことで、平安初期から他の種類の蛙と
混同し始めいつの間にか蛙全般を指すようになりました。

「 神(かむ)なびの 山下響(とよ)み 行く水の

 かはづ鳴くなり 秋と言はむとや 」 
               巻10の2162 作者未詳


河鹿は晩春から鳴き出して初秋には鳴きやみます。
「神なび」とは神の籠るところで奈良の三輪山、川は飛鳥川と推定されています。

( 神なびの山下も鳴り響くほどに流れ行く水の中で河鹿がしきりに鳴いている。
 もう秋だと言おうとしているのかなぁ )

 「上(かみ)つ瀬に かはづ妻呼ぶ 夕されば

  衣手(ころもで)寒み 妻まかむとか 」 

               巻10の2165作者未詳
 

万葉人も河鹿がなくのは雄だけと知っていたようです。
作者はただ1人いる淋しさを河鹿に託して詠っています。
「まかむ」は枕にする意で共寝の事です。

( 上の瀬で河鹿がしきりに妻を呼んでいる。
  夕方になると衣の袖のあたりが寒いので
  妻と共寝しょうというのであろうか )

「 佐保川の清き川原(かわら)に鳴く千鳥

    かわづと二つ忘れかねつも 」 

         巻7の1123 作者未詳


( 佐保川の清らかな川原で鳴く千鳥と河鹿。忘れようにも忘れられないなぁ。
  早く旅を終えて家に帰りたいよ )

佐保川は春日山に発し、奈良市を西南に流れる川で千鳥と河鹿が名物と
されていました。

今は千鳥も河鹿も姿を消し、桜並木と柳が往時をしのばせてくれています。
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# by uqrx74fd | 2009-03-08 10:00 | 動物

万葉集その二十(蜩:ひぐらし)

 「 また蜩のなく頃となった。

      かな かな、 かな かな。

      どこかに いい国があるんだ。」

          山村暮鳥 詩集「雲」より


 夏と秋が行き交う頃、蜩蝉が高く美しい声で鳴き始めます。
 そしてこの厳しい残暑の最中でも、野山の萩は健気に咲き乱れています。

「 萩の花 咲きたる野辺(のへ)に ひぐらしの

  鳴くなるなへに 秋の風吹く」 

           巻10の2231 作者不詳


 ( 野辺は萩の花が一面に咲いているよ。あぁ蜩の声が聴こえてくる。
  おおーぅ秋風が吹き抜けていく。ひんやりとして気持ちがよいなぁ)

  「なへに」は同時に進行する様を表します。


 次は「蜩は夜明けや日暮れに時を決めて鳴きます。
 しかし私は片思いのため一日中鳴いているのです」
 というユニークな歌。


 「 ひぐらしは 時にと鳴けども 片恋に

    たわや女(め)我は 時わかず泣く 」 

        巻10の1982 作者不詳

 男はずっと訪れて来ない。今夜も来る当てはないのでしょう。
 毎日泣き続けてきた女のある日の夕方の感慨を詠ったもので
 しんみりとした可愛い女性の歌です。

 746年、大伴家持は越中国守として着任しました。
 妻を残しての単身赴任です。
 望郷の思いにふけっていた頃、着任の挨拶と歓迎を兼ね国守の館で 
 宴席が設けられました。
 越中の役人である部下が次のような歌を詠んで家持を慰めます。

「 ひぐらしの 鳴きぬる時は をみなえし

 咲きたる野辺(のへ)を 行きつつ見べし」

 巻17の3951 秦忌寸八千島「はだのいみきやちしま」


 何の変哲もない歌のようですが、「おみなえし」に「おみな」「女」を掛けている
 のが分かると意味が一変します。

 「都も良いでしょうが、越の国の女も悪くないですよ」と言っているのです。
  やりますね。万葉人の役人も。

 (ひぐらしの鳴いているこのような淋しい時には女郎花が咲き乱れる野辺を
 そぞろ歩きしながらその美しい花(女)をじっくり愛でるのがよろしいですよ、
 大伴さん。)

 この宴以来、父、大伴旅人の筑紫歌壇に対する家持の越中歌壇ともいうべき
 風雅な営みが繰り広げられていくのです。


 注: 山村暮鳥(やまむら ぼちょう) 18841924 群馬生まれ
 「三人の処女」「風は草木にささやいた」「雲」等の詩集がある

  10の1982のたわや女の歌は色々な読み方があり定まっておりません。

 「ひぐらしは 時と鳴けども恋ふるにし たわやめ我は時わかず泣く」

 「ひぐらしは 時と鳴けども恋ひしくに たわやめ我は定まらず泣く」

 この稿は「伊藤 博」の解釈に従いました。
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# by uqrx74fd | 2009-03-08 09:59 | 動物

万葉集その十九(立てる白雲)

雲といえば ヘルマン・ヘッセの郷愁(ペーター・カーメンチント)

 「 広い世の中に私よりも雲をよく知っていて、
   私以上に雲を愛している男がいたら、その男を見せてもらいたい!

   あるいは、世の中に雲よりも美しいものがあったら、それを見せてもらいたい!
   あぁ、雲よ! 美しく浮かび漂う休むことのない雲よ! 」 
                               郷愁 (佐藤晃一訳)


 万葉人も雲を見て恋人を想い、又自然の美しさを詠いました。
 今回は山の雲、海の雲のお話です。

 「 あしひきの 山川の瀬の 鳴るなへに

         弓月(ゆずき)が嶽に 雲立ちわたる 」 

   巻7の1088 柿本人麻呂歌集(人麻呂作と推定)


 (さらさらと流れる川音を聞きながら歩いていると、急に波音が大きくなった。
  ふと上を見ると雲がぐんぐん大きくなり動いていく。)

 まさに驟雨が襲い掛からんとする状態。
 鳴り響く声調の中に山水の緊張関係は更に深められ、
 躍動するその自然の力は神秘的ですらあります。
 その堂々とした力感と格調の高さは万葉の名歌中の名歌とされています。

 「鳴るなへに」とは鳴るとともにという意味で、聴覚から視覚へ移りまた
 視覚から聴覚へと動的な変化を見事に表現しています。

「 大海(おおうみ)に 島もあらなくに 海原(うなはら)の

     たゆたふ波に 立てる白雲 」 

               巻7の1089 作者未詳


 692年か702年、持統天皇伊勢行幸の時、お供の人が作った歌で、
 初めて海を見たときの驚きと感動を詠ったもの。

 大和人にとって雲は、島や山の上に立つものとばかりと思っていたようです。

 ( 見晴らすかぎりコバルトブルーの海、波がゆらゆら絶え間なく揺れ動いている。
  見渡しても見渡しても島一つないなぁ。
  おおっ!むくむくと入道雲が立っているよ、なんと素晴らしいのだろう! 海と雲よ!)

 海も青、空も青、その海上の一画に真っ白な雲を生き生きと踊り出させた歌で
 「お供の人でこのような調べをなす人がいたとは誠に尊敬すべき事である」
 と齊藤茂吉も絶賛しています。

 そして初めて海に感動した万葉人は海を彼女の土産にしたいと詠うのです。

「 伊勢の海の 沖つ白波 花にもが

    包みて妹が 家づとにせむ 」 

   巻3306 安貴王(あきのおおきみ)


 (波が花ならいいのになぁ。包んで彼女のお土産にするのに)


 注: あしひきの; 山に掛かる枕詞 山々が重なるさま
    弓月が嶽: 奈良県三輪にある巻向山の一番高いところ。
            神木とされた欅が多く自生していた。
            川は巻向川で禊のための神聖な川とされていた。
    家づと:    家包み(いえつつみ)の意で土産
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# by uqrx74fd | 2009-03-08 09:58 | 自然

万葉集その十八(秋の風吹く)


暦では8月の初めはもはや秋。今年の立秋は8月7日です。
この日以降の暑さが残暑となります。
今回は風の音にちなむお話です。まずは古今和歌集の歌より。


「 秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 

   風の音にぞ 驚かれぬる 」 藤原敏行
 

あまりにも有名なこの歌は1100年前の立秋の日に作られました。
多くの日本人がこの歌を心の中で口ずさみながら秋を感じ、
立秋といえば「風の音」と云われるまでになったのです。

結句「驚かれぬる」は「はっと気がつく」という意味で
秋の季節感をまず最初に人々に告げ、知らせたのは風だったと
いうわけです。

時の移り変わりを目ではなく「風という気配」によって知るという発見は
後世の歌人に多大な影響を与えました。

この感覚はまさに日本人独特のものといってよく、
外国の人々には極めて難解なセンスでありましょう。

このように風をめぐる歌を文芸の世界にまで高めた萌芽は既に
万葉時代にありました。


 「 君待つと 我が恋おれば わが屋戸(やど)の

     簾(すだれ)動かし 秋の風吹く 」 

        額田王 巻4の448


 「 風をだに 恋ふるは羨(とも)し 風をだに

     来(こ)むとし待たば 何か嘆かむ 」

      鏡王女(かがみのおおきみ) 巻4の489


 額田王と鏡王女の秋の風をめぐっての恋の歌です。

 最初の歌は額田王が大津宮で天智天皇を思って詠んだ歌

 ( 天皇を恋しく思って恋焦がれて待っている。
  少しの音でもはっとするくらい緊張しています。
  すると簾がカサッと動いて風がスゥーと吹き渡っていく。
  待ち人いまだ来たらず。あとはただ静寂あるのみ。)


 人を待つという微妙な女心のゆらぎを素直に詠んだ名歌であります。


 さて2つ目の歌は鏡王女の歌です。

 ( あぁ秋の風、その風の音にさえ恋心をゆさぶられるとは羨ましいこと。
   風にさえ胸をときめかして、もしやお出でになるかと待つことが
   出来るなら何を嘆くことがありましょうか)

 どうにもならない自分のわびしい気持ちを詠っています。


 鏡王女は天智天皇に愛されていましたが後に藤原鎌足の正室になりました。
 この歌は藤原鎌足が亡くなった後の気持ちを詠んだ歌と推測されています。


 額田王の歌は初期万葉のものとしては優美、繊細、可憐な女心を詠っており
 研究者の間では中国の漢詩にも同様の趣旨の歌があり、後世の別人の作では
 ないかと疑問に感じている人もいます。

 いずれはともあれこの歌は後世に多大な影響を与え、以降、秋風の歌が盛んに
 詠まれるようになったのです。



 注: 額田王 鏡王のむすめ。天武天皇との間に十市皇女を生む

    鏡王女  鏡王のむすめ。額田王の姉ともされるが定かではない。
          一説には舒明天皇の皇女とも。
          夫、藤原鎌足が病のとき奈良、興福寺の建立を発願し、
          以降興福寺は藤原家の氏寺となる。


 
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# by uqrx74fd | 2009-03-08 09:57 | 自然