万葉集その六百四十九 (綿の花)

( 綿の花  奈良万葉植物園)
b0162728_16223618.jpg

(  同上 )
b0162728_16222387.jpg

( 綿の実   同上 )
b0162728_1622995.jpg

( 生花の綿 北鎌倉 去来庵  当店のビーフシチューは絶品です )
b0162728_16215477.jpg

万葉集その六百四十九 (綿の花)

綿は東インド、エジプトを原産地とするアオイ科の1年生草本で、草丈60㎝~1m。
茎は直立、まばらに枝分かれして、秋に浅黄色の5弁の美しい花を咲かせます。
花後、球形の果実を結び、やがて3つに割れて白い綿毛をもった種子を
宿しますが寒気に弱く、渡来当時は栽培に苦労したようです。

人々はこの綿毛を紡いで織物の材料や、布団、衣類の中入りなどに利用し、
実から絞った油を食用、石鹸の材料にしました。

「 しらぬい 筑紫の綿は 身に付けて
    いまだ着ねど 暖けく見ゆ 」  
                     巻3-336 沙彌満誓(さみ まんぜい)

( 筑紫産の綿はまだ肌身に着けてきたことはありませんが、
 いかにも暖かそうで見事なものです )

この歌は宴席でのもので皆が奈良の都への望郷の思いを詠っている時に
「筑紫も捨てたものではないですよ」と詠ったようです。
一説によると作者は筑紫の女性と懇ろになり、既に子も産ませていたので
「筑紫の綿」は女性の肌を暗示して、「まだ着たことがないと」白々しく
とぼけたところ、周知の皆はどっと笑ったという解釈もなされています。

古代の綿は殆ど絹から加工した真綿とされていますが九州は早くから
大陸文化がもたらされており朝鮮半島経由で到来した綿花が栽培されて
いたのではないかと思われ、それを裏付ける文献として、
「続日本紀」平城京、称徳天皇の769年の記述に
「 筑紫から毎年大量に綿花や綿織物が都に送られた」とあり、
又、千葉県で奈良時代の遺跡から立派な綿の種子が発見されていることによります。

「 山高み 白木綿花(しらゆふばな)に 落ちたぎつ
     滝の河内(かふち)のは 見れど飽かぬかも 」 
                            巻6-909  笠 金村

( 山が高いので、白く清い木綿花となってほとばしり落ちる滝、
 この滝の渦巻く河内は見ても見ても見飽きることがない。)

「 泊瀬女(はつせめ)の 作る木綿花(ゆふばな) み吉野の
        滝の水沫(みなわ)に 咲きにけらずや 」
                           巻6-912  笠 金村

( 泊瀬女が作る木綿花、あの神聖な花が、今、み吉野の滝の水沫となって
 咲いているではありませんか。)

上記2首は723年 元正天皇吉野行幸の折の賛歌の一部です。

『 白木綿花(しらきゆうばな)は綿の実が裂けて中から真っ白な綿毛が
  種子を包んでパッとはじけ出しているさま。
 「泊瀬女が造る」は「泊瀬女が耕作する」 (豊田八十代 万葉学者) 』

ことであり、当時九州以外の土地でも綿の栽培が行われていたことを
窺わせています。

「 伎倍人(きへひと)の まだら衾(ぶすま)に 綿さはだ
      入りなましもの  妹が小床(をどこ)に 」 
                          巻14-3354 作者未詳

(  伎倍人(きへひと)の まだら模様の布団に綿がたっぷり。
   そうだ、そうだ あの子の床の中にどっぷりともぐりこみたいものだ。)

伎倍人(きへひと) : 渡来した機織り職人 遠州(浜松)あたりに住んでいたらしい

まだら衾:    まだらに染めた掛布団

綿さはだ: 綿が沢山入っている

入りなましも: 入ることができたらいいのに

ここでの綿は絹の真綿か。

綿に関する公式文献は、
『 「日本後紀」桓武天皇平安京時代799年7月
  崑崙(こんろん)人( 南ベトナムからインドネシア)が三河国(愛知県)に
  漂着した折、綿の種子を所持していたので、時の政府が丁重に譲り受け、
  直ちに日本各地で試験的に栽培させた』
とされています。

従来、この記録をもって綿の到来は平安時代からとの説が多かったのですが、
政府がこのような敏速な対応が出来たのは、奈良時代に既に綿栽培の経験があり、
何らかの失敗で種子が失われていたこと、更に前述の「続日本紀」の記述、
並びに豊田八十代、西川康行氏らの万葉植物学者の熱心な研究により
奈良時代には綿が既に栽培されていたことが認められつつあります。

万葉時代、貴重品であった綿は次第に普及し

   「 広々と 続く平原 綿の花 」 高濱虚子

と詠われているように各地で栽培されていましたが、今はほとんど
見かけなくなってしまいました。

   「 朝露は 雨の兆しと 綿摘まず 」  斎木涛花



                  万葉集649 (綿の花)完

               次回の更新は9月15日(金)の予定です。
[PR]

# by uqrx74fd | 2017-09-07 16:30 | 植物

万葉集その六百四十八 (四季の歌)

( 春  桜の花びらの中で咲くスミレ )
b0162728_19415713.jpg

( 夏  海   銚子 )
b0162728_19414295.jpg

( 夏  恋の花  ササユリ )
b0162728_19412288.jpg

( 秋  フジバカマ )
b0162728_1941116.jpg

( 秋  カワラナデシコ )
b0162728_19405648.jpg

( 冬  鶴の親子  学友M.I さん提供 )
b0162728_19404540.jpg

( 尾形光琳 群鶴図屏風のCG 東京国立博物館 )
b0162728_19402760.jpg

万葉集その六百四十八 (四季の歌)

1972年(昭和47年)、「四季の歌」(荒木とよひさ 作詞 作曲)が
芹 洋子さんのレコード発売に伴って大流行し、歌声喫茶、コンサ-トなど、
到るところで歌われました。
現在60~70歳位の人にとって懐かしいメロディーと歌詞です。
今回は四季の歌とそれに合う万葉歌のコラボを試みたいと思います。

「 春を愛する人は 心清き人
  すみれの 花のような 
  僕の友だち  」  
                   ( 四季の歌 1番 荒木とよひさ 作詞 作曲 )

万葉歌は何と言ってもこの歌です。

 「 春の野に すみれ摘みにと 来し我れぞ
       野をなつかしみ 一夜寝にける 」 
                           巻8-1424 山部赤人

( すみれ摘みにやってきたけれどなんと春の景色の美しいこと
  つい見とれているうちにとうとう一夜をあかしてしまいましたよ )

  山部赤人は心清き人だったのでしょう。
 「 春の野にすみれを摘みにやってきた。
  摘んでいるうちにすみれが綺麗なぁ、可愛いいなぁと夢中になり
  ふと気が付いてみたら日が暮れてしまっていたが、なお立ち去りがたく
  とうとう一晩すみれのもとで過ごしてしまった」というのです。

  「野をなつかしみ」というのは「見惚れてあまりそこから離れたくない」の意

「 夏を愛する人は 心強き人
  岩を砕く 波のような
  僕の父親 」        (四季の歌 2番)

岩を砕く波は

「 大海(おほうみ)の 磯もと揺(ゆす)り立つ波の
         寄せむと思へる  浜の清けく 」        
                           万葉集 巻7-1239 作者未詳

( 大海源の岩礁を揺さぶるように、あたって砕ける波が
 打ち寄せようとしている浜辺のなんと清らかなことか )

さて、「僕の父親」ですが、万葉集での父母は約90首。
通い婚の為、母親が家庭を仕切っていたので母父という表記や母のみの歌が多く、
父親単独のものはほとんどありません。

次の歌は駿河国の若者が防人として九州に赴任する途中、
優しい両親を懐かしんで詠ったものです。

「 父母が 頭(かしら)掻き撫で 幸くあれて
            云ひし言葉(けとば)ぜ 忘れかねつる 」 
                    巻20-4346 丈部 稲麻呂( はせつかべの いなまろ)

( 父さん、母さんが俺の頭をなでながら、
  「 気を付けて行くんだよ。達者でな。」 
  と云ってくれた言葉が何時までも忘れられないよ。)

当時、大伴家持が難波で防人の指揮を執っており、その際収録したものです。

 「 秋を愛する人は 心深き人
   愛を語る ハイネのような
   僕の恋人 」  
                           ( 四季の歌 3番 )

ハイネの愛の詩は多くありますが、下記の歌は可愛いですね。

「 おまえの瞳をみていると
  なやみも痛みも消えてゆく

  おまえの口にキスすると
  けろりと元気になれるのだ

  おまえの胸によりそうと
  天国へでもいったよう

  あなた好きよ といわれると
  もう泣かずにゃあ いられない 」 
                    ( ハイネ おまえの瞳を 井上正蔵訳) 

さて万葉歌は恋の達人、大伴坂上郎女の登場です
 
「 恋ひ恋ひて 逢へる時だに うるはしき
     言(こと)尽くしてよ 長くと思はば 」 
                          巻4-661 大伴坂上郎女

( なかなか逢えぬあたたゆえ
  せめて逢う夜は 夜もすがら
  愛の言葉を浴びたいの
  二人の仲が いつまでも
  続けと あなたも思うなら )      永井路子訳 


「 冬を愛する人は 心広き人
  根雪をとかす 大地のような
  僕の母親    」 
                     ( 四季の歌4番)

母親の情愛を詠った万葉歌は何と言ってもこの歌です。

「 旅人の 宿りせむ野に 霜降らば
     我(あ)が子 羽(は)ぐくめ 天(あめ)の鶴群(たずむら) 」
                      巻9-1791 遣唐使随員の母

( 旅の途中あの子の宿りするところに霜が降ったら、
    どうか空飛ぶ鶴の群れよ、私の息子をその暖かい羽で包んでやっておくれ) 

733年、多治比広成(たじひのひろなり)を大使とする遣唐使一行の船が難波を出港。
渡唐の船はしばしば難破し確実な生還は期しがたいものでした。
船にはこの歌の作者の最愛の一人息子が乗っていました。
母は神に供物を捧げ大切な息子の無事を心を込めて祈ったのです。

古代、大和から難波への一帯は湿原地になっており、多くの鶴が棲息していました。
万葉人たちは旅の行き来に鶴が子供を可愛がる情景を幾度も見ていたのでしょう。
当時は船旅でも陸に上がり野宿をするのが習い。
母親は一人息子が寒い野を行く場面を想像し、鶴が子をいつくしみ、
抱きかかえるように「我が子羽ぐくめ」と空行く鶴群(たずむら)に手を合わせて
頼んだ母親の慈愛あふれる歌です。

伊藤博氏は次のような温かい解説をされています。

「 母親としてまた女としてなしうる神祭りに精魂を傾けることで子の幸を
  祈るだけでは足らず、天の鶴群に呼びかけて鎮護を願っているところが痛ましい。

  <我が子 羽ぐくめ 天の鶴群> には我が身を鶴になして常に子の周辺に
  いたいという母親の身の切るような愛情がにじみ出ている。
  こういう歌を読むと子は母親にとって永遠の胎児であり
  分化を許さないその心情は解説の言葉を寄せ付けないことを痛感せざるを得ない」 
                       (万葉集釋註五より) 

   「 春夏秋冬愛して 僕らは生きている
               太陽の光浴びて 明日の世界へ 」     四季の歌5番



           万葉集648(四季の歌) 完

           次回の更新は9月8日 (金)の予定です。
[PR]

# by uqrx74fd | 2017-09-01 00:00 | 自然

万葉集その六百四十七 (空蝉:うつせみ)

( ただ今羽化中   孫の観察記録より )
b0162728_1623018.jpg

( ようやく終わり疲れました 羽が美しい  同上 )
b0162728_1621271.jpg

( しばらく経つと アブラゼミ本来の姿に  同上 )
b0162728_1615160.jpg

( ヒグラシ )
b0162728_1613262.jpg

万葉集その六百四十七 (空蝉:うつせみ)

「うつせみ」とは、もともと「現(うつ)し臣」(古事記) が「現(うつ)そ身」となり、
さらに「現せ身」に転じたもので、万葉時代には生きている人間、あるいは人の世、
現世の意に用いられています。

万葉集に46例、「空蝉」「虚蝉」などと表記されていますが、
平安時代にみられる魂の抜けた状態、儚いという意味合いでの使用例は
少ないようです。

「 うつせみの 人目を繁(しげ)み 石橋の
       間近き君に 恋ひわたるかも 」 
                              巻4-597 作者未詳

( 世間の人目が多いので、それを憚って、飛び石の間ほどの近くにおられる
 あなたさまに、逢う事も出来ず、ただただお慕いし続けている私 。)

ここでの「うつせみ」は「人」の枕詞。
現世という原義が響いており、世間の意。
石橋は石の飛び石。間隔が短いので、間近に掛かる枕詞として用いられています。

「 燈火(ともしび)の 影にかがよふ うつせみの
    妹が笑(ゑ)まひし 面影に見ゆ 」 
                       巻11-2642 作者未詳

( 燈火の火影に揺れ輝いている、生き生きしたあの子の笑顔。
 その顔がちらちらと目の前に浮かんでくるよ。)

燈火の中にいる女性の浮き立つような印象を与える秀歌。
これから女の許へ行こうとしているのか、思わずにこりと笑う男の顔が
目に浮かぶような1首。

かがよふ: ちらちらと揺れて輝く

「 うつせみは 数なき身なり 山川の
   さやけきを見つつ 道を尋ねな 」 
                          巻20-4468 大伴家持

( 生きてこの世にある人間というものは、いくばくのない儚い命を持つ身なのだ。
 山川の澄みきった地に入り込んで悟りの道を辿って行きたいものだ。)

756年5月、聖武天皇崩御、後ろ盾を失った作者は一族に心を引き締めるよう
諭す歌をつくり、その後体調を崩したのか「病に臥して無常を悲しみ道を修めたい」
と思って作った歌とあります。

ここで仏教的無常観が登場し、平安時代になると盛んに詠われます。

「 うつせみの 世にも似たるか 花咲くと
      見し間にかつ 散りにけり 」 
                            古今和歌集  これたか の みこ

( このはかない世に似ているなぁ。桜の花は。
 咲くと見た瞬間、その一方でもう散っているよ )

僧正遍照に贈った歌とあり、「うつせみの世は儚いと」いう表現が
定着してゆきます。

次の歌は光源氏が人妻である空蝉の寝室に忍び込もうとしたら、
それを察した彼女は薄い衣を残して去っていた。
その薄衣を持ち帰った源氏が懐紙に綴ったものです。

「 空蝉の 身をかへてける 木のもとに
     なほ人がらの  なつかしきかな 」            光源氏

( 抜け殻を残した人よ 身の内の人柄をこそ抱きたかったのに )

ここでの空蝉は、蝉の抜け殻のことで、彼女の残した薄衣をそれに例えました。

「 あなたは蝉が姿を変えるように、抜け殻を残して私の前から去ってしまった。
  その木の下で、私はなお、あなたの人柄を懐かしく思っていることだよ。
  私はあなたの容貌や、身分や人妻という立場やそんなほかの条件に
  惹かれたのではないのです。
  - とことん謙虚で、ひかえめで、奥ゆかしいそんな人柄に魅力を感じたのですよ。」

                              ( 俵 万智 愛する源氏物語 文芸春秋社)

「 うつせみの 鳴く音(ね)やよそに もりの露
     ほしあへぬ袖を 人の問ふまで 」   
                               寂連法師 新古今和歌集

( 森で蝉が鳴くように、ままならぬ恋に泣く私の声が よそに洩れたのであろうか。
 涙の露を干しきれない袖を どうしたのかと人が問うまでに )

うつせみ:蝉
もり:森と漏るを掛ける

うつせみ=蝉とした珍しい例です。
寂しげな声を出すヒグラシでしょうか。

「 いつしかも 日がしずみゆき うつせみの
              われも おのづから きはまるらしも 」 
                             斎藤茂吉最後の歌(昭和27年) つきかげ

万葉集に造詣が深い作者。
「うつせみ」は先祖帰りして「現世」に。


   「 空蝉の すがれる庵の はしらかな 」 川端茅舎


              万葉集647(空蝉:うつせみ) 完


              次回の更新は9月1日の予定です。
[PR]

# by uqrx74fd | 2017-08-24 16:10 | 心象

万葉集その六百四十六 (鶏頭)


(鶏頭 とさか状の冠の下の扁平な部分が花)

b0162728_06261023.jpg
( 同上 )
b0162728_06263905.jpg
 (丸い鶏頭)
b0162728_06265628.jpg
( 色とりどりの鶏頭  飛鳥 奈良 )
b0162728_06271892.jpg
 ( 鶏頭咲く飛鳥 )
b0162728_06274476.jpg
万葉集その六百四十六 ( 鶏頭 )

鶏頭(けいとう)はインドや熱帯アジア原産のヒユ科の1年草で、
花穂の頂が鶏の赤い

トサカ状になるためその名があります。
このトサカ状のものを花と見がちですが、そうではなく、トサカ冠の下の
扁平になった部分にびっしり付いているのが小花で、
よくよく観察しないと、
見過ごしそう。
古くは韓藍(からあい)、すなわち韓(から:中国)から渡来した藍(染料)
よばれ、
万葉集に4首。
すべて庭で栽培されている花として詠われています。

「 秋さらば 移しもせむと 我が蒔きし

        韓藍(からあゐ)の花を 誰()れか摘みけむ 」

71362  作者未詳

( 秋になったら移し染めにでもしょうと、私が蒔いておいた鶏頭の花。

その大事な花を一体誰が摘み取ってしまったのだろう。)

韓藍の花すなわち鶏頭は直播にして育て、秋に花汁を染料にしましたが、
ここでは自分の娘の譬え。

「移す」とは花を衣に直接摺りつけて染めることを言いますが、

結婚する、共寝するという意味にも用いられます。
大切に大切に育ててきたわが娘。

いずれ、頃合いをみはからって立派な男と結婚させようとしていたのに、

どこの誰が手をつけてしまったのだろうと嘆く母親。

あるいは、この子と結婚しょうと目を付けていたが、他人がさっさと

奪ってしまったと悔しがる男とも解釈できます。

「 隠(こも)りには 恋ひて死ぬとも み園生(そのふ)

     韓藍(からあゐ)の花 色に出でめやも 」  

112784 作者未詳

( あなたさまへの想いを心のうちに押し隠したまま苦しさに耐えましょう。

仮に焦がれ死にしましょうとも、庭に咲く鶏頭の花のように、

はっきり顔に出したりいたしません。 )

男が結婚をもう少し待ってくれ、他の人には内緒にして欲しいと云った。

むきになって応じたのは、惚れた女性の弱みか。

それでも、心の片隅のどこかで

「あなたほんとに大丈夫、心変わりしない」

という危惧が感じられる一首です。

「 恋ふる日の 日長(けなが)くしあれば 我が園の

    韓藍の花の  色に出でにけり  」 

102278  作者未詳

( あの方に恋してから、もうどのくらい日にちが経ったことだろう。

 我家に咲く鶏頭の花の鮮やかな色のように、とうとう私の気持ちを
表に出してしまった。)

こちらは余り長く待たされたので、とうとう口にも態度にも出してしまった。
相談した相手は母親なのでしょうか。

万葉集の鶏頭はすべて恋の歌。

属名「ケロシア」(ギリシャ語)は「燃える」の意。 

その鮮烈な赤色は恋するものにとってこの上もない表現材料だったのでしょう。

「 鶏頭の 十四五本も ありぬべし」 正岡子規

子規は病床から萩が枯れるのを見、迫りくる初冬の寒気を感じながら

塊となって咲いている鶏頭の野性の力強い姿に自らを励ましつつ、芭蕉の名句
「 鶏頭や 雁の来るとき 尚あかし」 芭蕉 

 

「なお」(赤し)の優雅さに対して、(十四五本)「も」と力強さで勝負した?


   万葉集646 (鶏頭)完

次回の更新は8月25日(金)の予定です。


[PR]

# by uqrx74fd | 2017-08-17 06:28 | 植物

万葉集その六百四十五 (秋立つ)

( 夏と秋が行き交ふ空 )
b0162728_15371742.jpg

( 蟋蟀:コオロギ 向島百花園 )
b0162728_1537269.jpg

( かわづ=カジカ 吉野川 )
b0162728_15363950.jpg

(  残暑お見舞い  朝顔の氷漬け   上野 )
b0162728_15363072.jpg

( 沖縄ビードロ  川崎大師 風鈴市 )
b0162728_15361618.jpg

( 福島 喜多方  同上 )
b0162728_1536485.jpg

( 京都  同上 )
b0162728_1535489.jpg

(  佐賀 伊万里 同上 )
b0162728_15353430.jpg

万葉集その六百四十五 (秋立つ)
 
立秋(8月7日)を過ぎたとはいえ、まだまだ衰えを見せない うだるような暑さ。
寝苦しい夜が続き、「早く秋が来ないかなぁ」と溜息をつく。

そんな時、早朝、起きがけに窓を開けると涼しい風がさっと吹き入り
頬を撫でてくれた。
「あぁ、今までの風とは違う」
やはり、秋は近くまで来ているのです。

古今和歌集では、このような気持ちを次のように詠っています。

「 夏と秋と 行きかふ空の かよひぢは
           かたへすずしき  風や吹くらむ 」 
                   凡河内躬恒 ( おおし こうちの みつね) 古今和歌集

( 夏と秋が入れ違って往来する空の通路は
 片側だけが涼しい秋風が吹いているのであろうか )

「 片側の道から夏が過ぎ去り、その反対側から涼しい秋風が吹きはじめて
  すれ違ってゆくのだろうかと想像(大岡信) 」 し、

「 秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 
        風の音にぞ 驚かれぬる 」     藤原敏行  古今和歌集

               「驚かれぬる」:「はっと気がつく」

と続きます。

あまりにも有名なこの歌は1100年前の立秋の日に作られ、
今や多くの日本人がこの歌を心の中で口ずさみながら秋を感じ、
立秋といえば「風の音」と云われるまでになりました。

このように風をめぐる歌を文芸の世界にまで高めた萌芽は
既に万葉時代も多く見られます。

「 初秋風 涼しき夕(ゆうへ) 解かむとぞ
      紐は結びし 妹に逢はむため 」   
                     巻20-4306 大伴家持

( 涼しい初秋風が吹く来年の七夕に再び逢い、着物の紐を解こうと
誓いながらお互いに結びあったのだったなぁ。
 ようやく一年が経ちその日がやってきたよ )

難波に単身赴任中の作者が天の川を仰いで詠んだ一首です。
当時の人々は別れの際にお互いの衣服の紐をしっかり結び合っておけば
再び思う人に逢えると信じていました。
牽牛の待ちに待った喜びを詠ったものですが、
作者自身も妻にまもなく逢えるという気持も込めているのでしょう。

「初秋風」は大伴家持の造語、万葉集中この一例のみ。
古代の七夕は8月7日、「初」という言葉に立秋の意を含ませています。
こちらは「音」ではなく肌で感じた気配です。


「 萩の花 咲きたる野辺(のへ)に ひぐらしの
    鳴くなるなへに  秋の風吹く 」  
                         巻10-2231  作者未詳

( 萩の花が一面に咲いている野辺に ひぐらしの声が聞こえてきた。
 おぉ、秋風が吹いてきたなぁ。
 なんとも清々しいことよ。)

萩、蜩、秋風。
爽やかな秋到来の一首です。

「 庭草に 村雨降りて こほろぎの
       鳴く声聞けば 秋づきにけり 」 
                     巻10-2160 作者未詳

( 庭草に村雨が降り注いでいる折り、こおろぎが鳴いている。
 あぁ、秋らしくなったなぁ。)

「村雨」は「ひとしきり降ってさっと通り過ぎるにわか雨」

なんというセンスある万葉人の美しい造語。
白露の草陰ですだく蟋蟀の涼しげな音(ね)が聞こえてきそうです。

「 神(かむ)なびの 山下響(とよ)み 行(ゆ)く水に
    かわづ鳴くなり 秋と言はむとや 」 
                          巻10-2162 作者未詳

( 神なびの山下も鳴り響くほどに流れゆく川の中で、河鹿がしきりに
    鳴いている。 
    河鹿はもう秋だと云おうとしているのか。)

    神なび:  神のこもるところ。
           ここでは明日香のミハ山(橘寺南東)
    川は飛鳥川。

かわづは蛙の一種です。
清流で雄のみ「フィフィフィフィフィフィ、フィーフィー」と
鈴を転がすように鳴き、雌を求めます。
河鹿と書き、当時「かわづ」といえばすべて河鹿蛙のことでしたが、
平安初期から他の種類の蛙と混同し始めいつの間にか蛙全般を
指すようになりました。

風の音、虫の音、河鹿、秋の花々を愛でながら、
ゆったりと時の移り変わりを楽しむ。
まさに日本的感性の萌芽をここに見る万葉人の歌の数々です。

「 横雲の ちぎれて飛ぶや 今朝の秋 」  立花北枝(江戸前期)

                  今朝の秋=立秋


          万葉集645 (秋立つ)完

        次回の更新は8月18日(金)の予定です。
[PR]

# by uqrx74fd | 2017-08-10 15:38 | 自然