万葉集その六百二十四 ( 柳の道)

( 柳と梅  東京国立博物館内の庭園 )
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( 東大寺三月堂前の柳の新芽 )
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( 東大寺大仏殿前 )
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( 荒池前の柳  奈良ホテルの対岸 )
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( 平城宮跡 朱雀門 )
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( 朱雀大路復元工事完成予想図 柳の街路樹 )
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( 二条大路復元工事 完成予想図 同上 後方若草山 )
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( 氷室神社  桜のころ  奈良国立博物館前 )
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( 興福寺五重塔  柳の蕾はまだ固い )
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(  猿沢池 後方の建物は老舗のうどん屋 )
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「平安京へ続く 柳の並木道」
2017年2月22日付、読売新聞朝刊の見出しです。

記事によると、
『 古代の幹線道路「山陰道」が通った鳥取市の青谷横木遺跡で、
平安時代(9世紀後半~10世紀頃) に植えられた街路樹とみられる柳の根が見つかり
鳥取県埋蔵文化財センターが21日発表した。

「続日本紀」など古代の街路樹に関する記述があるが、存在を裏付ける遺構が
 確認されたのは初めて。

 根は2015年8~9月の発掘調査で、古代山陰道の遺構(幅7m)に沿った
長さ20mの区画2か所の盛り土から出土。
3~5㎝大の黒ずんだ根が密集した直径約10㎝の株が計18本あり
0.5~2m間隔で1列に植えられていた。

成分分析の結果、樹木は柳で、植えられたのは盛り土が造成された時期と
一致すると判明。
往来する人の日よけとして活用された可能性が高いという。』

「 浅緑 染め懸(か)けたりと 見るまでに
   春の柳は 萌えにけるかも 」 
                      巻10-1846 作者未詳

( 浅緑色に糸を染めて木に懸けたと見まごうほどに
 春の柳は青々と芽を吹き出しましたよ。)

柳の種類は多く世界で約400種といわれていますが、我国で多いのは
シダレヤナギです。
早春、梅が芳しい香りを漂わせ、やがて散りはじめる頃になると、
今まで固く閉じていた芽が一斉に開き、瑞々しい浅緑色の枝を風に靡かせます。

中國原産の柳を我国にもたらしたのは遣唐使。
成長が早く、生命力が強いので悪霊を追い払う守護神として寺社や屋敷の外側に、
また、根が長く伸びるので池の周りや田の近くに植えて堤防を強化したりなど、
奈良時代には都をはじめ東国に至るまで盛んに植えられました。

万葉集には36首登場。

次の歌は平城京朱雀門に通じる街路樹の柳を詠ったものです。

「 ももしきの 大宮人の かづらける
     しだり柳は 見れど飽かぬかも 」
                  巻10-1852 作者未詳

( 大宮びとが蘰(かずら)にしているしだれ柳。
      見ても見ても飽かないことよ )

平城京の大通りで風に靡く柳並木の下を颯爽と闊歩するきらびやかな大宮人。
古代の人達は柳の若々しい生気を身に受けるため、細い枝を丸く輪にして
頭に巻いたり、載せたりして長寿と幸いを祈りました。

平城京は東西約4,2㎞、南北約4,8㎞の本格的な計画都市。
大路、小路とも碁盤目に整然と区画され、メインストリートの朱雀大路は3,8㎞、
道幅は75mという巨大なもので、路の両端に柳の街路樹を植えて国家的な儀式、
パレード、海外使節一行を迎える場としての美観を整えていただけに
さぞ壮観だったことでしょう。

柳が芽吹くと恋の季節。
次の歌は柳に寄せたものです。

「 春されば しだり柳の とををにも
     心は妹に 乗りにけるかも 」 
                       巻10-1896 柿本人麻呂歌集

( 春になると しだれ柳がしなってくるように
 心がしなうほどどかっとあの子は俺の心に乗りかかってしまったよ。)

とををにも: 細長いものが撓(たわ)みしなうさま
心に乗る: 相手が自分の心に乗りかかって消えやらぬ

心に焼き付いて離れないのは柳腰の佳人なのでしょうか。

街道にも延々と柳道が続いていました。

「 うらもなく 我が行く道に 青柳の
      萌(は)りて立てれば   物思ひ出(で)づも 」 
                              巻14-3443 作者未詳

( 無心に我らが辿って行く、その道に傍らに青柳が芽吹いて立っているので
 ふと物思いにふけってしまった。)

うらもなく : 故郷を振り切って旅人に徹しながら前向きに歩いてゆく気持ち

作者は商用で旅をしているのか、防人として都をめざしているのか。
妻子がいる故郷を断腸の思いで振り切って旅立ったが途中で柳が芽吹いているのを見て
望郷の念にかられたようです。

都から離れた東国にも柳が。

「 わが門(かづ)の 五本柳(いつもとやなぎ) いつもいつも
    母(おも)が恋すす  業(な)りましつしも 」
                    巻20-4386  矢作部 真長(やはぎべの まなが)
                                         結城国(茨城県)の防人

( 我が家の門口に立つ五本柳(いつもとやなぎ) 
その名のようにいつもいつも 母さんはこの俺のことを想いながら
働いていることだろうなぁ )

五本柳(いつもとやなぎ): 家の前に何本も植えてある柳。
生命力が強い柳は繁栄を予祝して家の前に植えられ、風よけにもされていたのでしょう。

栗田勇氏によると
「柳は生命力が強すぎるので家の中に植えるのはいささか恐ろしい。
よって家中はご遠慮願って外に植え、悪霊を追い払って戴くようになった」
( 花のある暮らし 岩波新書)
という面白い解説をされていますが、言われてみれば屋敷の中の柳は
ほとんど見ませんね。

    恋すす: 継続を表す: 恋しながら、ここでは「俺のことを想いながら」
    業(な)り: 農作業をする

「 昼の夢 ひとりたのしむ 柳かな 」 千代女

都に街路樹が植えられたのは759年から。
東大寺の僧普照(ふしょう)の献策により、朝廷は畿内七道諸国の駅路に
果樹並木を植え始めました。
当時、防人や諸国からの税 (調、庸) を都に運搬する人々がその往還に
大変な苦労を重ねており、それらの人々の辛苦を救うためといわれています。
普照は遣唐使に従って渡唐し、20年間かの地で学び754年に帰国するときに
鑑真を日本に招いたといわれる人物です。

 「 君ゆくや 柳みどりに 道長し 」 蕪村

平安京の柳の道は
「木陰を作る実用性とともに、都につながる道という格式高い空間を
意識したもの」( 近江俊秀 文化財調査官) だそうですが、
 柳は旅立ちや別れを象徴する木でもありました。



万葉集624(柳の道) 完

次回の更新は3月24日(金)の予定です。
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# by uqrx74fd | 2017-03-18 18:26 | 植物

万葉集その六百二十三 (ちんちん千鳥)

( ケリ 学友の甥御C.Yさん提供 「 今日も鳥日和 (極私的野鳥図鑑) 」
今日も鳥日和(極私的野鳥図鑑)

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( タイゼン 同上 )
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( ハジロコチドリ  同上 )
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( メダイチドリ   同上 )
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( 佐保川  万葉時代チドリ、カワズが多数棲息 川幅も5倍位広かった? 奈良)
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( 吉野川  同上  )
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「 ちんちん千鳥の啼く夜さは  
  啼く夜さは
  硝子戸(がらすど)しめても  まだ寒い
  まだ寒い

  ちんちん千鳥の啼く声は  
  啼く声は
  燈(あかり)を消しても まだ消えぬ
  まだ消えぬ

  ちんちん千鳥 親ないか
  親ないか
  夜風に吹かれて 川の上
  川の上    」 

               ( ちんちん千鳥  北原白秋作詞 近衛秀麿作曲)


幼い頃歌った懐かしい童謡。
澄み切った冬の空気に響きわたるような哀感ただよう曲です。

  「 わたし呼(よぶ) 女の声や 小夜ちどり 」  蕪村

絶え間なく鳴き続けるちんちん千鳥。
それは高く細く透き通るような声。
「ちんちん」とは風鈴あるいは鈴のような音を暗示しているのでしょうか。

鈴は神社の巫女さんが祭礼の時に振っているように、魂を高め、
鎮める道具とされています。
古の人たちはそのようなチドリの声を耳にすると、何とも言えない
うら悲しい気持ちになったり、懐旧の念に駆られて寒い夜を過ごしたのです。

「 さ夜中に 友よぶ千鳥 物思(ものも)ふと
      わびをる時に 鳴きつつもとな 」 
                   巻4-618 大神郎女(おほみわの いらつめ)

( 真夜中につれあいを求めて呼ぶ千鳥よ。
     物思いに沈んでしよげ返っているときに、むやみやたらと鳴いたりして。 )

大伴家持に贈った一首。
作者は奈良の三輪山付近出身の女性と思われますが詳細は未詳です。

家持に恋焦がれ何度も歌を送ったが全く反応なし。
「私にそんなに魅力がないのかしら」と思いに沈んでいる時、
恋人を呼んでいるらしい千鳥の声が響いてきた。

 澄み切った調べが夜空に高く響く。
「こんな鳴き声を聴くとますます寂しくなるではないか」
と溜息をつく作者です。

伊藤博氏によると「鳴きつつもとな」とは
『 環境の状況と作者の心情とのあいだに生ずるやりきれない違和感を
述べる表現として結句に用いられる。

相手の反応がないことを嘆いている自分なのに、
千鳥には応える友がいるらしいことが
「鳴きつつもとな」なのである。』 (万葉集釋注2)

「 夜ぐたちに 寝覚めてをれば 川瀬尋(と)め
    心もしのに 鳴く千鳥かも 」 
                        巻19-4146 大伴家持

( 夜中過ぎに眠れずにいると 川の浅瀬伝いにきて 
    我が心がうち萎れるばかりに鳴く千鳥よ。 )

「 夜ぐたちに」: 夜中を過ぎたころ。「くたち」は「盛りを過ぎる」の意

「 寝覚めてをれば」: 寝床に入っているが眠れないで目をさましていること

「 川瀬尋(と)め」: 川瀬は家持の居館近くを流れる射水川(富山)の浅瀬
             「尋(と)め」:追い求める。ここでは浅瀬伝いにきて

「心もしのに」 : 心が萎えてしまうほどに 

家持の都の留守宅は奈良の佐保川のほとり。
千鳥と河鹿(かじか)がよく鳴くことで知られていました。
真夜中に千鳥の哀しげな声を聴き、都に置いてきた妻が急に懐かしく
思い出したことでしょう。

あぁ、早く都に帰りたい!

「 夜ぐたちて 鳴く川千鳥 うべしこそ
     昔の人も 偲(しの)ひ来にけれ 」 
                       巻19-4147 大伴家持

( 夜中過ぎになって鳴く千鳥。
 昔の人もこの声の切なさに心惹かれてきたのは
 なるほど もっともなことだなぁ。 )

うべしこそ:なるほど、なるほど尤もなことだ。

家持は「昔の人」に人麻呂を意識しているようです。
人麻呂の千鳥の歌といえば

「 近江(あふみ)の海 夕波千鳥 汝(な)が鳴けば
    心もしのに いにしへ 思ほゆ 」   
                          巻3-266 柿本人麻呂

( 近江の海の夕波千鳥よ、お前たちが哀しそうに鳴くのを聞いていると
 心もうつろに萎えて、ひたすら昔のことが思われてならない )

心も萎えてしまうほどに昔が思われるのは天智天皇の近江朝。
あの華やかなりし都は壬申の乱で滅亡し今や荒れ果てた廃墟になっていたのです。

「夕暮れの波間を鳴きながら群れ飛ぶ千鳥」を、たった4文字に凝縮した「夕波千鳥」。
美しくも哀しさを感じさせる名歌中の名歌です。

    「 夕千鳥 波にまぎれし 如くなり 」 高濱年尾




       万葉集623(ちんちん千鳥)完


       次回の更新は3月19日の予定です。
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# by uqrx74fd | 2017-03-09 21:00 | 動物

万葉集その六百二十二 (千鳥)

( イカルチドリ 学友の甥御 C.Y さん提供 「今日も鳥日和(極私的野鳥図鑑)」
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( コチドリ  同上 )
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( シロチドリ  同上 )
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( 蛙の仲間たち  動物図鑑  万葉人は河鹿:カジカの声を楽しんだ )
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「千鳥」とは元々数多くの鳥の意で群を作って飛ぶところから、その名がある、
あるいは鳥が「チ、チ」と鳴くと聞きなし、「チ+トリ」になったともいわれています。

その種類は多く、チドリ科、シギ科、カモメ科、ウミスズメ科など19科、
約390種類の水鳥、海鳥が含まれており、学術的には鷸(シギ)千鳥目に
総括されていますが、数が多すぎ素人が一瞬で見分けるのは難しいようです。

歌の世界ではチドリ科のうち大型のケリ類を除いたものをいい、コチドリ、
イカルチドリ、シロチドリの3種が日本で繁殖しています。
(コチドリは夏鳥として渡来)

「ピォ ピォ ビユ-、ビュ-」 と鳴くのはコチドリ
「ピォ ピオ 」は イカルチドリ
「ククリ ククリ」は メダイチドリ 、オオメダイチドリ
「ピヨイ ピヨイ ピピピ 」が 白チドリ

その特異な声は哀調を感じさせる上、水辺をチョコチョコと走り廻る姿が
愛らしく、古くから無数の歌や俳句に詠まれてきました。
現在は冬の季語とされていますが、万葉集では26首、季節に関係なく
詠われています。

「 千鳥鳴く み吉野の川の 川音の
     やむ時なしに 思ほゆる君 」
                    巻6-915 車持千年(くるまもちの ちとせ)

(  千鳥鳴く吉野川の川音のように、一時とてやむときもなく
   あの方のことが思われます。)

723年、持統天皇吉野離宮行幸の折の歌。

この歌の前の長歌で
「 朝霧が立ち、河鹿が鳴く美しい吉野を自分一人で眺めるのは残念だ。
  都に残してきたあの人にもこの素晴らしい光景を見せたいものだ」

と詠った後の或る本による反歌。

異境を旅する時はまず土地褒めをするのが当時の習い。
女帝に従ってきた女官も多くいたので女性の立場で詠ったものと思われます。

きらびやかな衣装をまとった都人。
風光明媚な吉野。
男も女も、都に残してきた愛する人を思い出しながら、千鳥の声に
聴き惚れていたことでしょう。

次の2首は問答とされる二人の掛け合いの歌です。

「 佐保川に 鳴くなる千鳥 何しかも
    川原(かはら)を偲(しの)ひ  いや川上(かはのぼ)る 」
                         巻7-1251  作者未詳
( 佐保川で鳴いている千鳥よ。
 なんでそんなに川原を愛しんで、ずんずん川を上ってくるのか )

「 人こそは おほにも言はめ 我がここだ
          偲(しの)ふ川原を 標(しめ)結ふな ゆめ 」
                    巻7-1252  作者未詳

( 人々は平凡な景色だというかもしれません。
 だけど、私がこんなに愛しんでいる場所ですから
 勝手に標を張って締め出すようなことはしないで下さいな )

「おほにも」: 「凡(おほ)にも」で「いい加減に」
「ここだ」: こんなにも甚だしく
「標結ふ」:立ち入り禁止の標識 女を独占したい男の立場で用いることが多い

ある人が千鳥に向かって問いかけ、千鳥の立場で答える形になっています。

伊藤博氏は
『 ただ、これだけでは意味をなさないので、千鳥を男、川原を愛する女に譬え、
ある第3者が「お前何であんなつまらぬ女に惚れて通っているのだ」

とからかったところ

「 つまらぬ女かも知れないが、俺にとっては愛しい人。
  無用な邪魔立てはするなよ。
  もしかしたら油断させて横取りする気ではあるまいな 」
  と答えたものらしい。』

とされています。

この解説がないと、理解が難しい問答歌です。

「 我が門(かど)の 榎(え)の実もり食(は)む 百千鳥(ももちどり)
         千鳥は来れど 君ぞ来まさぬ 」   
                                  巻16-3872 作者未詳

( 我が家の門口の榎の実を もぐもぐと食べ尽くす群鳥、
  群鳥はいっぱいやってくるけれど、私が待つ肝心の君は
  一向においでにならないわ。)

榎はエノ木科の落葉高木、赤黒い小さな実を求めてムクドリが群れて
食するそうですが、ここでの百千鳥は群れをなした鳥。

この歌は筑前国の謡ものらしく
「もり食む」に貪欲な、「百千鳥」に多くの男達を寓し

「 女好きな男たちは私の体を求めて、うようよやって来るけれど
肝心なあなたは来ない。
  そんなに邪険にしていると他の男と一緒になってしまうよ 」
とからかっているように思われます。
周りが囃しながら歌う宴席での定番だったのでしょう。

   「 入り乱れ 入り乱れつつ 百千鳥 」 正岡子規

万葉人の造語、百千鳥は一体何の鳥か諸説ありましたが、現在では
種類も様々な小鳥が野山で鳴き交わす様子を言う四季の季語です。

「 佐保川の 清き川原(かわら)に 鳴く千鳥
     かわづと二つ 忘れかねつも 」       巻7-1123 作者未詳

( 佐保川の清らかな川原で鳴く千鳥と河鹿。忘れようにも忘れられないなぁ。
 早く旅を終えて家に帰りたいよ )

佐保川は春日山に発し、奈良市を西南に流れる川で千鳥と河鹿が名物と
されていました。
清流に鈴を転がすように鳴く「かじか」。
河鹿と書きますが実は蛙の一種です。

晩春から雄のみが雌を求めて「フィフィフィフィフィフィ、フィーフィー」と
鳴き出し初秋には鳴きやみます。
古代の人達は千鳥と河鹿の美しい二重奏を楽しんでいたのです。
優雅ですねぇ。

佐保川の千鳥も河鹿も今は姿を消し、狭くなった川の土手は桜並木に
なっています。
川べりに座ってせせらぎの音を聴いていると、往時の様子が
目に浮かんでくるようです。

余談ながら、酒に酔った人の足取りを千鳥足と云いますが、これは千鳥類などが
蟹などを捕えるため歩行中頻繁に向きを変え、踏み跡がジグザグになるようすに
由来するそうな。

     「 酔ひ足りて 心閑(しづ)かや 遠千鳥 」 日野草城 



     万葉集622 (千鳥) 完


     次回の更新は3月10日(金)の予定です。
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# by uqrx74fd | 2017-03-02 20:26 | 動物

万葉集その六百二十一 ( ノックが合図よ )

( 東国の村 6世紀中頃  国立歴史民俗博物館 )
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( 東国豪族の館   同上 )
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( 平城京庶民の住宅  同上 )
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( 房総の村  千葉県 )
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( 古い町並み:民家  五条  奈良 )
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(  酒屋  同上 )
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( 床屋  奈良 今井町 )
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( 酒屋   同上 )
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( 郵便局   同上 )
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( 薬屋   奈良町 )
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 昔、通い婚の時代、男は夜が更けてから月の光をたよりに女の許に行き
家族が寝静まった頃合いを見て家に忍び入りました。
勿論、女の家は用心の為入口には閂(かんぬき)が掛けられていたのでしょうが、
お互いに予め合図を決めておき本人を確認してから家に招きいれたのです
広い家ならまだしも1間しかない部屋で雑魚寝している時は
どうしていたのでしょうかね。
夏なら外でということもありましょうが、寒い冬は藁のある物置小屋へ
行ったかもしれません。

 それはともかく、次の歌は女が男を招き入れる時の合図の打ち合わせです。

「 奥山の 真木(まき)の板戸を とどと押(し)て
     我が開かむに 入り来て寝(な)さね 」 
                    巻14-3467 作者未詳

( 奥山に茂る真木で作った板戸、この板戸を私が軽くたたいて
  ごとごと押して開けたなら、さっと中に入ってきて、一緒に寝てね。)

「とどと」は翻訳不可能ですが、強いて言えば「トントン」か。

 男は「何日何時頃行くよと」予め連絡し、そのころ外で待機している。
 女は家族が寝静まったのを確認し、トントンと戸を叩いて合図しながら
 そっと戸を開け、招き入れる。

「真木の板戸」は立派な木で作られた板戸、恐らく檜や杉などで
作られていたのでしょうから、かなり大きな家だったのでしょう。
照明もなく真っ暗な家の中を、そろりそろりと通り、女の部屋へ。
あとは久しぶりの逢瀬を堪能し、家族が目覚める前に男は家を出て帰る。

このように上手くいかない場合もありました。

「 奥山の 真木の板戸を 押し開き
   しゑや出(い)で来(こ)ね 後(のち)は何せむ 」 
                               巻11-2519 作者未詳

( こんな奥山の真木の板戸なんか、どんと押し開けて、もういい加減に
 出てきてくれよ。 
 ええーい、あとはどうなったってかまうものか。)

どうやら合図が通じなかったみたいです。
いくら待っても戸が開きません。
とうとう「シエー」という言葉が出てきました。

1300年後、漫画家、赤塚不二夫が多用した「おそまつ君」の決まり文句。
調べて見たら、同氏は漫画「万葉集」を書いており、そこに「シエー」という言葉が
使われていました。
                    ( 赤塚不二夫の漫画古典入門  万葉集 学研 p121)

さて、呼べども門は開かれず。
男はとうとう諦めて外で寝てしまいました。

「 奥山の 真木の板戸を 音早み
    妹があたりの 霜の上に寝ぬ 」 
                     巻11-2616 作者未詳

( あの子の家の真木の板戸は 激しい音をたててきしむので、
 開けるに開けられず、とうとう近くの霜の上で寝てしまったよ。)

合図なしで戸を開けようとしたのか、約束の日を勘違いしたのか。
中から戸が開かないので、閂が掛かっていないのを幸い、戸を開けようとした。
ところが立てつけが悪かったのか、引けども動きません。
無理に開けようとしたら「ギシギシ」と大きな音が鳴る。
これ以上大きな音をたてると「家族が目を覚ます」 と躊躇する。
女がなんとか出てきてくれないかと、じっと外で立ち尽くす。
何時まで待っても、反応なし。

寒い中、諦めてさっさと帰ればよいものを、ひよっとしたらと思いつつ
とうとうウトウトしてしまった。
なんとも面白味とペーソスを感じさせる歌です。

「 こなた思へば 千里も1里 
    逢わず戻れば 1里が千里 」   (山城国歌)


「よばい」という言葉があり、「夜這い」即ち「夜、恋人のもとへ忍んで行く」
あるいは「寝とりたい相手の寝所へ忍び入る」という良からぬ連想をさせるものして
用いられています。
しかしながら、その原義は「相手を呼び続ける」という意の「呼ばふ」が
「呼ばひ」に変化したもので、万葉仮名では「よばひ」に「結婚」という字が
当てられている例があり「呼び続ける」意の中に「求婚する」という気持が
含まれていることが窺われます。

「 こもりくの 泊瀬(はつせ)の国に 
  さよばひに(左結婚丹)  我(わ)が来(きた)れば
  たな曇り 雪は降り来(く)  さ曇り 雨は降り来(く)
  野(の)つ鳥 雉(きぎし)は響(とよ)む   家つ鳥 鶏(かけ)も鳴く
  さ夜は明け この夜は明けぬ   
  入りてかつ寝む この戸開かせ 」
                     巻13-3310  作者未詳

( 山々の奥深いこの初瀬の国に 妻どいにやってくると
 急に曇って雪が降ってくるし さらに雨も降ってきた。
 野の鳥、雉は鳴き騒ぎ  家の鳥、鶏も鳴き立てる。
 夜は白みはじめ とうとう夜が明けてしまった。
 だけど中に入って寝るだけは寝よう。 
 さぁ、戸を開けてくだされ。 )

初瀬(奈良桜井市)は古来特別な聖地とされ国とよばれていました。
遠方から妻問いに来た男が途中悪天気に遭遇し、雪を避け雨がやむのを
待っているうちに空が白みはじめた。
妻問いは月が出ている夜に訪れ、明け方の暗いうちに帰るというのが
当時の暗黙のルール。
男はそのルールに反して強引に迫ったのです。

「 隣から 戸をたたかれる 新所帯 」 (江戸川柳 柳墫)

( 新婚早々、派手な夫婦の睦事。
 うるさいと隣の家から戸をたたく。
 長屋での生活だったのでしょう。)




       万葉集621(ノックが合図よ ) 完

      次回の更新は3月3日(金)の予定です。
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# by uqrx74fd | 2017-02-23 19:56 | 生活

万葉集その六百二十 (月夜の梅)

( 月ヶ瀬梅林  奈良 )
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( 同上 )
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( 雪の梅  高千穂神社  佐倉市 )
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( 同上 )
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( 梅燈籠   春日大社  奈良 )
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(  月明り  福王寺 法林   奈良万葉文化館収蔵 )
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(  我が宿の梅   郷倉 和子  同上 )
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昔々、通い婚の時代、男は女の家族が寝静まった頃合いに訪れ、
夜明け前に帰るというのが習いでした。
しかも、月夜が原則。( 中には型破りな男もいましたが-。)
何故なら、漆黒の闇夜は魑魅魍魎の異界で妖怪が出現し危害を加える。
それを月の神様が守ってくれると信じられていたからです。

しかも山道は狭い上、熊や猪が出没し危険がいっぱい。
いくら恋しくてもひと月に僅かしか会うことができません。

女は待ちに待った日が来ると、まず天気を確かめ、今日は月夜だと確信したら
恋人の好きな料理や酒を用意して、今か今かと胸をわくわくさせながら
男の来訪を待っていたのです。

ましてや梅が満開、馥郁と香りを漂わせている季節は、ロマンティックなこと
この上もなし。
煌々と輝く月の光を浴びながら、心ゆくまで睦みあっていたことでしょう。

「 ひさかたの 月夜(つくよ)を清み 梅の花
     心開けて 我が思へる君 」 
                          巻8-1661 紀郎女(小鹿)

( 月夜が清らかなので 梅の花が開くように晴々とした気持ちで
  お慕いしているあなた様を、今か今かとお待ちしております。)
 
梅の初花開く月明かりの夜。
男は必ず来るとわくわくさせながら待つ作者。
待つことに喜びを感じている珍しい歌です。

「 闇ならば うべも来まさじ 梅の花
    咲ける月夜(つくよ)に 出(い)でまさじとや」 
                        巻8-1452 紀郎女(小鹿)

( 闇夜ならばお出でにならないのはごもっともですが、
 月が煌々と輝き、梅の花が満開だというのに お出ましにならないと
 おっしゃるのですか )

作者は大伴家持と親しかった かなり年上の人妻(夫は安貴王)です。

特別な関係ではなく歌のやり取りをして楽しむ知友?で、
戯れて遊びにいらっしゃいと誘っていますが、前の歌と共に
ひよっとしたら本気?と思わせるような詠いぶりです。

「 我がやどに 咲きたる梅を 月夜(つくよ)よみ
    宵々(よひよひ)見せむ  君をこそ待て 」 
                            巻10-2349 作者未詳

( 我が家の庭先に咲いている梅、この梅を月のよいこのごろなので
 夜毎にお見せしたいと思い、あなたをひたすらお待ちいたしておりますのに、
一向にお見えになりませんね。)

梅も良し、月も良し、酒も用意してお持ちしているのに。
待っても待ってもまだ来ない。
「一体どうしたの、あなた」 と気をもむ乙女。

「優しい情緒にあふれた温雅な作、歌品も低くない(佐佐木信綱)」一首。

月夜に梅、眼(まなこ)を閉じると幻想的な光景が浮かんでまいります。

「 誰(た)が園の 梅の花ぞも ひさかたの
        清き月夜(つくよ)に ここだ散りくる 」 
                          巻10-2325 作者未詳

( どこのどなたの園の梅の花だろうか。
清らかに澄みきった月夜に、こんなにもひらひらと散ってくるのは )

月に誘われて外へ出かけた。
煌々と輝く満月。
折から一陣の風が吹き、梅の花びらが、芳しい香りとともに舞い降りてくる。
暗闇の中の雪かと見まがうほどに美しい。
このような見事な花を散らせているのは、一体どなたのお宅なのだろうか?
ひよっとしたら麗人が住んでいるかもしれないなぁ。

次は、我国文藝史上画期的な一首、「雪月花」を詠ったものです。

「 雪の上に 照れる月夜(つくよ)に 梅の花
     折りて贈らむ はしき子もがも 」 
                            巻18-4134 大伴家持

( 雪の上に照り映えている月の美しいこんな夜に梅の花を手折って贈ってやれる
  可愛い娘でもいればなぁ ) 
 
はしき:「愛し」き

雪の白、これを照らす月光、さらに白梅とすべて白一色の美につつまれた
庭を眺めながら美しい女性を心に思い描いており、まさに夢の世界。
家持の美的感覚には驚くべきものがあります。

「 琴詩酒(きししゅ)の友 皆 我を抛(なげう)ち
  雪月花の時 最も君を憶(おも)ふ 」   
                             白居易( 白楽天)
                             (殷協律(いんきょうりつ)に寄す)より

( 琴や詩や酒を楽しんだ友はみな分散して消息も聞かなくなってしまった。
 雪の朝、月の夜、花の時になると君達のことが思い出されてならない)

「雪月花」という言葉は上記の中国の白楽天の詩に見えますが、家持は
 白楽天が生まれる前から「雪月花」に美を見出していたのです。

「 春の夜の 闇はあやなし 梅の花
                 色こそ見えね  香やは隠るる」 
                            詠み人知らず  (古今和歌集)

( 春の夜の闇はわけがわからないことをしているよ。
たしかに真っ暗闇で梅の花の色こそ見えなくなってしまうが、
その素晴らしい香りだけは隠れようもないじゃないか。 )

「夜の闇が意地悪して梅の花を見せまいとしているが、無駄なことだ。
だって香りまで隠しようがないではないか。」
と茶化しています。

因みに 有名な「とらや」の羊羹「夜の梅」はこの歌に由来するそうな。
店の説明書きによると
「 切り口の小豆を夜の闇に咲く梅に見立てて、この菓銘がつけられました。
とらやを代表する小倉羊羹です」とのこと。

       「 しらうめの 枯木に戻る 月夜哉(かな) 」   蕪村

以下は長谷川櫂氏の解説です。

「 花盛りの白梅が月の光を浴びている。
  その白い花がことごとく月光に消えうせ、花が咲く前の枯木に
  戻ってしまったかのように見えるというのだ。
  目の前にあるのは満開の白梅であるのに、月光の作用によって枯木に見える。
  その妖(あや)しさ、鋭利にして濃厚な凄味がある」

                                  (花の歳時記 ちくま新書)


                万葉集620 月夜の梅 完



                次回の更新は2月24日の予定です。
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# by uqrx74fd | 2017-02-16 17:46 | 植物