万葉集その六百三十六 (田植は神事)

( 春日大社本殿から御田植神事の会場へ   奈良 )
b0162728_16253721.jpg

( 巫女が勢ぞろいする中神主がゆっくり歩む  同上 )
b0162728_16251937.jpg

( 笛と打ちものの楽奏に合わせて舞を奉納   同上 )
b0162728_16245987.jpg

( 巫女の舞   同上 )
b0162728_16244627.jpg

( 春日山からの湧水に向かって祈る  同上 )
b0162728_16242594.jpg

(  苗やり  同上 )
b0162728_16241060.jpg

(  御田植祭のイラスト  月刊 ならら )
b0162728_16235484.jpg

(  住吉大社の御田植祭  大阪 )
b0162728_16233891.jpg

(  大神神社:おおみわじんじゃ の御田植祭  奈良 )
b0162728_16232289.jpg

(  菅原天満宮の御田植祭    奈良  )
b0162728_1623595.jpg

( 田植が終わったあと  安達太良山麓 )
b0162728_16224642.jpg

万葉集その六百三十六 (田植は神事) 

日本列島の田植は3月末頃から始まり、6月中旬まで続きます。
沖縄、九州は同じ畑で年2回栽培、収穫する2期作や、麦、小麦など2種類の
作物を収穫する2毛作を行うところがある関係で早い時期から始まり、
中には8月まで続くところもあるようです。

北海道、東北は5月、関東は6月が多いようですが、必ずしも南から北へと
順次移るわけではなく、気温や品種により各地域毎にその都度判断されており、
ばらつきがあります。

古代の田植は、先ず田の神を迎えて豊作を祈願する儀式を行うのが習いでした。
早乙女(田植する女性)が巫女になり、屋根の上に菖蒲や蓬(よもぎ)を葺(ふ)いて
邪気を払い、家の中には香り高い草を積んでその上に座り、
一夜お籠りをして身を清める。
やがて夜が明けると、乙女たちは早々と紺の着物に紺の手甲脚絆、菅笠に
赤いたすきという出で立ちで田植に向かったのです。

「 青柳の 枝(えだ)伐(き)り下ろし 齊種(ゆたね)蒔き
   ゆゆしき君に 恋ひわたるかも 」  
                           巻15-3603 作者未詳

( そろそろ田植の時期です。
  青柳の枝を伐り取って田に挿し、ゆ種を蒔いて神様に豊作をお祈りいたします。
  そのような神様のように恐れ多く、近づきがたい身分違いのあなた様に
  恋をしてしまって- - 、毎日々々焦がれ続けている私。 )

奈良時代の水稲耕作は、直接籾種を蒔く直播式から苗代で育てた苗を移植する田植式へ
移行する過渡期にあたり、二通りの方法が行われていました。

「ゆ種」とは「神が宿る神聖な種籾」という意味で、ここでは直播式と思われ、
苗代の中央や水口(田の水の取り入れ口)に生命力の強い青柳やツツジの枝を挿して
苗の順調な発育を祈ります。

この風習は現在でも続けられており、ウツギの枝、地竹の細いものなども
用いられているそうです。

「 人の植うる 田は植ゑまさず 今さらに
     国別れして 我(あ)れは  いかにせむ 」 
                    巻15-3746  狭野弟上娘子(さの おとかみの をとめ)

( 世間の人はみな二人一緒に田植をなさるというのに
 新婚早々、あなたは別の国へ旅立ってしまわれたのですね。
 別居することになってしまった今、私はこれから一体どのようにして
 生きて行けばよいのでしょうか。 )

当時の官人は、都で暮しつつ農耕の状況に応じて郊外にある庄(たどころ)で
農作に従事していました。
農繁期の5月、8月には田仮(でんけ)という15日の休暇が与えられ
夫は妻の労働を助ける習慣がありましたが、作者の夫、中臣宅守は新婚早々、
罪を得て配流の身になってしまったのです。(740年)、

罪は何によるものかは定かではなく、一説に政争に巻き込まれた讒言によるもの
ともいわれていますが、二人の悲しみは如何ばかりであったことでしょう。

本来なら一緒に田植え作業が出来たはずなのに!
一人寂しく作業を営むにつけても別離の悲しみが込みあげてくる新妻。

なお、ここでの田植は苗代で育てた苗を移植したようです。

「 我妹子(わぎもこ)が 赤裳(あかも)ひづちて 植えし田を
     刈りて収めむ 倉無(くらなし)の浜 」
                         巻9-1710  伝 柿本人麻呂

( 可愛いあの子が 赤裳を泥まみれにして植えた田であるのに
 その収穫を刈りとって収めようにも 収めきれる倉がないという
 この倉無の浜よ )

「倉無の浜」という珍しい地名に興を覚えての歌。
収めようにも収めきれる倉がないの意で、それほど稲の豊かに稔る地だと
機知を込めた、土地褒めの通過儀礼。
古代、異郷を旅する時、その土地の神様に敬意を表して祟(たた)りなきよう
歌を奉納して祈ったのです。

人麻呂は九州まで旅をしたのでしょうか。
「万葉集地名歌総覧」(樋口和也著 近代文芸社)によると

「 倉無の浜は大分県中津市竜王町の浜。
  現在、闇無浜(くらなしのはま)神社とよばれる社ある」 そうです。

   「 雨乞に 曇る国司の なみだ哉 」   蕪村

古代、水不足による旱魃は人々の生死に関わる重大事であり、
雨乞いは国司(国守)の大切な仕事の一つとされていました。

749年越中の国で6月(陰暦)下旬から1ヶ月近く雨が降らず
秋の収穫が心配されはじめます。
7月もまもなく終わろうとする頃、空の彼方に雨雲の気配が見られたので
国守、大伴家持は雨乞いの歌を詠って天に祈りました。

「 -  雨降らず 日の重なれば 
  植ゑし田も 蒔きし畑も 
  朝ごとに凋(しぼ)み 枯れゆく 
  そを見れば 心を痛み 
  みどり子の 乳乞ふごとく 
  天つ水  仰(あふ)ぎてぞ 待つ - 
  との曇りあひて 雨も賜はね 」 
                      巻18-4122 大伴家持 (長歌の一部)

「との曇りあひて」: 四方から雲が広がって一面の曇り空になる
          との:一面に
(訳文)

( 雨が降らない日が重なり、
 苗を植えた田も、種を蒔いた畑も
 朝ごとに萎んで枯れてゆく。
 それを見ると、心が痛んで
 幼子が乳を求めるように
 天を振り仰いで恵みの雨を待っている。- -
 どうか一面にかき曇って 雨をお与え下さい )

幸運にも祈祷三日後、家持は雨に恵まれ面目を果たしました。
祈祷には天文学や気象学の知識も必要とされ、国守の仕事も楽ではありません。

もし雨が降らなければ、この人は神に見放されたのだと、部下や領民から
冷たい眼で見られるだけに、必死の思いだったことと思われます。

 「早乙女の 重なり下りし 植田かな」     高濱虚子

田植や雨乞いにかかわる神事は現在もなお各地で継承され、神社の
重要な祭事となっています。
中でも春日大社(奈良)の田植神事は、田の中ではなく、神社の境内の一角で
宮司や巫女たちが笛や打ちものに合わせて舞を奉納する優雅な催しです。

「 早乙女に 早苗さみどり やさしけれ 」    池内友次郎



           万葉集636(田植は神事)完

           次回の更新は6月16日(金)の予定です
[PR]

# by uqrx74fd | 2017-06-08 16:26 | 生活

万葉集その六百三十五 (香魚:あゆ)

( 鮎釣る人   木津川  奈良 )
b0162728_1626429.jpg

( 鮎の川上がり    同上 )
b0162728_16254382.jpg

( 今宵の肴     自宅 )
b0162728_16252977.jpg

( 鮎の塩焼き   吉野 )
b0162728_16251129.jpg

( 蓼:タデの花 葉をすりつぶし酢を加えたものが蓼酢 ) 
b0162728_16245875.jpg

( 鮎の宿  つたや  京都 奥嵯峨 )
b0162728_16244336.jpg

( 同   平野屋     同上 )
b0162728_16242766.jpg

( 鮎菓子  奈良の老舗 鶴屋徳満 )
b0162728_1624982.jpg


万葉集その六百三十五( 香魚:あゆ )

「アユ」は その清楚な姿から川魚の王とされ、「鮎」「年魚」「香魚」とも書かれます。
古代、魚を釣って吉凶を占うことがよく行われていたらしく、伝説によると
神功皇后が征韓の成否を占うため、釣り糸を垂らしたところ立派な魚が釣れたので
大いに喜ばれ、その魚を鮎と名付けた、つまり「魚」+「占」(うらない)。

「年魚」と書かれるのは、秋に川で生まれて一冬海で過ごし、桜の季節と共に
再び清流を遡上して晩秋、産卵をして一生を終える1年限りの儚い命ゆえ。

「香魚」は石に付いた珪藻を食べながら成長し、一種独特の香気を持つため。
などと説明されています。

関東地方の鮎釣りの解禁は六月。
この日を待ちかねていた釣り人は、一斉に清流に向かいます。
然しながら、この時期の鮎はまだ小さく、しかも脂が少ない上、香りも立たず、
あまり美味くない。
というのは餌になる岩苔が雨に流されて栄養源を失った魚はガリガリに
痩せているのです。
旬は土用入りから2週間前後、通の人はこの時期の料理を楽しみます。

万葉集に見える鮎は16首。
そのうち作者名未詳ながら大伴旅人と思われる物語風の連作が11首。
ピチピチとした美女との会話を楽しむ幻想のお話。
そして、4首は鵜飼を好んだ家持。
大半が大伴親子作ですが、残念ながら食としての鮎は詠われていません。

「 年のはに  鮎し走らば  辟田川(さきたがわ)
      鵜(う)八つ潜(かづ)けて  川瀬尋ねむ 」 
                         巻19-4158 大伴家持

( 来る年ごとに、鮎が走って飛び跳ねるようになったら
 辟田川(さきたがわ)、この川に鵜を幾羽も潜らせて
 鮎を追いつつ川の瀬を辿って行こう。)

「年のは」毎年
「辟田川(さきたがわ)」所在未詳なるも、高岡市伏木近くの川と思われる。
「八つ」数が多いこと

家持はスポーツとして鵜飼を楽しんだようです。
鮎が棲んでいそうな流れの速い川に入り徒歩で進む。
背中に松明、腰に魚籠(びく)。
片手で鵜をさばきながら流れに逆らって歩く。
しかも徹夜ともなれば相当な運動量です。
もっとも、本職の鵜使いに手伝わせたようですが。

「 松浦川(まつらがわ) 川の瀬光り 鮎釣ると
       立たせる妹が 裳の裾濡れぬ 」  
                            巻5-855 大伴旅人

( 松浦川の川瀬がきらめき、鮎を釣ろうとして立っているあなた。
  ほらほら、裳の裾が、濡れていますよ。)

鮎釣りに興じている美しい乙女。
燃えるような紅の裳裾から白い素足がチラチラと見えている。
健康な色気を感じさせる幻想的な一首です。
              (作者未詳となっているが実際は大伴旅人作)

「 春されば 我家(わぎえ)の里の 川門(かわと)には
            鮎子さ走る 君待ちがてに 」 
                           巻5-859 大伴旅人

( 春になると我家の里の渡り瀬では若鮎が跳ね回っています。
  あなた様を待ちあぐんで )

上記2首は「序」と十一首の短歌群からなる空想の歌物語の一部で
肥前松浦の玉島川のほとりで遊んだ時のもの。
旅人は玉島川を美しい乙女ばかりが住む神仙境に仕立てています。

玉島川はその昔、神功皇后が鮎を釣ったと伝えられる伝説の地。
それ以来、この地の女性は玉島川で鮎を釣り、男が釣っても
掛からなくなったそうな。

『 松浦川の川瀬に赤い裳裾を濡らして立っている美しい乙女たち、
  彼女達はあたかも川を自由に泳ぎまわる若鮎の化身のよう。
  「若い雌の鮎が雄の鮎を待ちかねていますよ」 と
  彼女たちは積極的に男たちに誘いかけています

勿論、男たちも拒む気持ちはありません。

  「さぁさぁ喜んで釣り上げられましょう」  』

清流のほとりで、そんな想像をしながら、しばし俗世を離れて
幻想の世界に遊んだ旅人です。

  「 鮎釣るや 奔流に岩さかのぼる 」      秋元不死男

鮎の塩焼きによく合うのは「たで酢」。
「蓼」は青タデという柳のような葉をもつ草で、これをすり鉢ですって
酢に加えますが、古代の人も同じような味わい方をしていたことが
次の歌から窺われます。

「 わが宿の 穂蓼古幹(ほたで ふるから) 摘み生(おほ)し
     実になるまでに 君をし待たむ 」 
                            巻11-2759 作者未詳

( 我家の庭の穂蓼の古い茎、その実を摘んで蒔いて育てる。
 そしてまた実が結ぶようになるまで、私はずっとあなたを待ち続けます。)

男は旅に出るのでしょうか。
結婚出来るまでいつまでも待ち続けると願う純情な乙女です。

穂蓼古幹(ほたでふるから): 穂の出た蓼(たで)の古い茎
                   蓼は水辺に自生する1年生草本。
                   秋に穂を出す。
                    葉に辛味があり摘み取って食用とした

以下は「食の万葉集」からです。(廣野卓著 中公新書)

『 現在は蓼の若芽を刺身にそえたり、蓼酢が鮎の塩焼きに不可欠な
  香味料になっているがこの歌では秋になって実を摘んでいる。
  実は香味料になり、根は漢方薬として利用されている。
  「延喜大膳式」によるとタデを4月から9月まで採集すると定めて、
  その計算単位を「把」とするので、実だけではなく
  葉も利用していたようである。』

藤原宮跡や平城京跡から発掘された木簡から「年魚」「鮎」「醤(脾塩:ひしほ)鮎」
「酢年魚」「煮干鮎」などの記述が見え、また、各地の風土記にも
(鮎)「有昧(うま)し」とあり、鮎は様々な料理にされて万葉人の舌を
満足させていたようです。

また、鮎の内臓の塩辛「あゆのうるか」も古来から好まれていたらしく、
木簡にみえる「醤鮎(ひしおあゆ)」もその一種だったかもしれません。

  「 又やたぐひ 長良(ながら)の川の 鮎なます 」 芭蕉 (笈日記)

ある一夜、招かれて長良川名物の鵜飼を初めて見物したときの句。

金華山の木陰に席が設けられていて鵜飼で獲れた鮎を鱠(なます:刺身)にして
出され、「それは それは他に比べようもないほど美味しかった」と
感嘆している作者。

「長良」に「たぐひ なから(長良)ん」つまり、「たぐひなからん美味」と
地名の「長良(なから)」を掛けた即興句です。

「 めづらしや しづく なほある 串の鮎 」    飯田蛇笏

以下は池波正太郎氏の一文から

『 魚の塩焼きといえば、何といっても鮎だろう。(中略)
  魚を食べるのが下手な私だが、気心の知れた相手との食膳ならば、
  鮎を両手に取ってむしゃむしゃとかぶりついてしまう。

  鮎はサケと同類の硬骨魚だそうな。
  清らかな川水に成育するにつれ、水中の石に付着する珪藻(けいそう)や
  藍藻(らんそう:石垢)を餌とするので、それがため、魚肉は一種特別の
  香気を帯びる。

  その香気。
  淡白の味わい。
  たおやかな姿態。
  淡い黄色もふくまれている白い腹の美しさを見ていて
  「 あぁ、処女を抱きたくなった、、、」
  突如けしからぬことを叫んだ男が、私の友だちの中にいる。

  いまは鮪でさえも養殖しょうという世の中になってしまったけれども
  鮎だけは「夏来る」の詩情を保ちつづけている。  』

                   (味と映画の歳時記 新潮文庫から)

   「 鮎の香や 膳の上なる 千曲川 」   松根東洋城 

                   千曲川を他の川名に置き換えても通用する一句。


           万葉集635 (香魚:あゆ)  完


            次回の更新は6月9日(金)の予定です。
[PR]

# by uqrx74fd | 2017-06-01 16:26 | 動物

万葉集その六百三十四 (雉のほろろ)

(雉のペア 左 雄 右 雌 )
b0162728_22295115.jpg

( 雄は繁殖期になると しきりに羽ばたきして鳴く : 雉のほろろ)
b0162728_22301214.jpg

( 雌は卵を産むと動かず じっと守り続ける )
b0162728_22303257.jpg

( 雉の卵は通常6~12個位 )
b0162728_22311483.jpg

( 巣を狙うカラスを撃退する雄 )
b0162728_22313674.jpg

( 生まれたばかりの雛 )
b0162728_22315315.jpg

( 雉は赤いものを敵とみなす習性があり郵便配達車も襲う。 
 車を止めると配達員の足に噛みつく      NHK放映 )
b0162728_2232896.jpg


万葉集その六百三十四 (雉のほろろ)

1948年国鳥に指定された雉(きじ)は奈良時代「きぎし」とよばれ、
平安時代以降は音の響きがよいのか「きぎす」と詠われることが多くなります。

「きじ」は「きぎし」が短縮されたもので、「きぎ」は鳴き声、
「す」は鳥を表す接尾語とか。(大言海)

春の繁殖期になると、雄は「ケーンケーン」と勇ましく、
雌は「チョン チョン」と可憐、慎ましやかに鳴きます。

雄は闘争心が強く、他の雉が縄張りに入ろうとすると鋭い爪で蹴りあげ、
嘴(くちばし)で喉元を狙って食いちぎろうとして追い払い、我が領域で
複数の雌雉と関係を持つ艶福家でもあります。

一方雌は卵を産むと(通常6~12個)、野火事があっても、外敵が来ても
じっと動かず、覆いかぶさり己を犠牲にして雛を守り続ける母親の鏡です。


「 春の野に あさる雉(きぎし)の 妻恋ひに
    おのがあたりを 人に知れつつ 」  
                       巻8-1446 大伴家持

( 春の野で餌をあさる雉が、妻恋しさにしきりに鳴きたてている。
自分の居所を人に知られてしまい、危険なのになぁ。)

雉の肉は美味、人に知られると捕えられる羽目になるだろうよと
同情している作者。
若き頃の多感な時代に詠われた一首で、前年に父、旅人を亡くし、
雄雉の妻呼ぶ声に春愁を感じているようです。

雉は隠れても頭隠して尻隠さず、しかも「雉も鳴かずば撃たれまい」の
諺の如く、よく鳴くので猟師にとっては見つけやすい獲物でした。

特に、繁殖期になると、しきりに羽ばたきをしながら大きな声で鳴くので
歌や文学の世界では「雉のほろろ」と表現されるようになります。
「ほろろ」とは「ほろほろ」の略です。

のちに「取りつくすべもない」という意味の「けんもほろろ」という言葉が
生れましたが、その由来は不明。
一説によると、「つっけんどん」の「けん」と、雉の鳴き声の「けん」を
掛けたものかとありますが、いささかこじ付けの無理筋か。

「 あしひきの 八つ峰(を)の雉(きぎし) 鳴き響(とよ)む
     朝明(あさけ)の霞 見れば悲しも 」 
                            巻19-4149  大伴家持

( あちらこちらの峰々にいる雉が鳴きたて、夜明けの空に響いてくる。
 それに今朝は一面に霞が棚引いているなぁ。
 雉の鳴き声を聞きながら、この霞を見ていると、やたらと悲しい思いに
 かきたてられることだ。)

眠れぬままに迎えた明け方、折しも激しく鳴きたてる雉の声。
晴れぬ気持ちに覆いかぶせるような霞。
越中に赴任中の作者は都が恋しくなっていたのでしょうか。
あるいは朝廷における大伴家の勢力が衰退しつつある現状に寂しさを感じて
いたのかも知れません。

 「 きぎす鳴く 声もおぼろに聞こゆなり
       霞こめたる 野辺の通い路 」      樋口一葉

最近の雉はゴルフ場にも、街にも出没し人を全く怖がりません。
先日、赤いバイクに乗った郵便配達員が襲われている様子を放映されていましたが
赤色のものは敵とみなす習性があるそうです。
郵便配達中突然、雉が現れ足を食いつかれた人はさぞびっくり仰天した
ことでしょう。

  「 群青の すじひいて 雉 翔(かけ)りけり 」    上村占魚


雉は古来、食肉として珍重され婚礼の祝い膳にも供されていたそうです。
平城京の市でも売られており、「雉」「雉腊(きたい)」と書かれた木簡も
出土しているので人々は「生きた雉」や「干し肉」を市で購入していたことが
窺われます。
中世末には美味三鳥として雉、鶴、雁があげられており、江戸時代には
焼き鳥にされたものが非常に好まれたそうです。

以下はある友人の言です。

『 「焼け野の雉、夜の鶴」 そんな意味からすると、
  焼いてはいけませんなあ-。
  ましてや食うなんて・・・
  ところが人間はそれを「やる」
  美味いもんねぇ。アハハ。 』 

「 焼け野の雉(きぎす) 夜の鶴 」

とは雉は野が火事になっても逃げずに卵を守り、
鶴は羽を広げて子鳥を寒さから守るところから生まれた諺です。


 「 刻々と 雉子(きぎす)歩む ただ青の中 」  中村草田男



      万葉集634(雉のほろろ)完


次回の更新は 6月2日(金)の予定です。
[PR]

# by uqrx74fd | 2017-05-25 22:33 | 動物

万葉集その六百三十三 (泊瀬の皇子たち)

( 長谷寺本坊大玄関   奈良 )
b0162728_18113491.jpg

( 白牡丹   長谷寺 )
b0162728_18115142.jpg

( 赤牡丹   同上 )
b0162728_1812690.jpg

( 黄牡丹   同上 )
b0162728_18122075.jpg

( 緋牡丹   同上 )
b0162728_18123492.jpg

( 美しき新緑  同上 )
b0162728_1812541.jpg

( 本堂から  同上 )
b0162728_18135697.jpg

( 五重塔遠景   同上 )
b0162728_18142610.jpg

( 本堂遠景    同上 )
b0162728_18144263.jpg

( 日本一美しいといわれる登廊  同上 )
b0162728_18145912.jpg

( 仁王門:山門   同上 )
b0162728_1815202.jpg

万葉集その六百三十三 (泊瀬の皇子たち)

昔々ある日、皇族の子弟達が泊瀬(はつせ)に集まり宴会を催しました。
場所は都人憧れの地、長谷寺(奈良)近辺。
山々に囲まれ、清流が爽やかな音を響かせている風光明媚な川べりで、
獲れたての鮎や新鮮な山菜を肴に、飲めや歌えやの賑やかな宴。
久しぶりの親しい仲間同士の酒席なので話も大いに弾みます。
「あぁ、酒も肴も美味い!」

席も盛り上がってきた頃合いを見計らって、侍(はべ)っていた一人が立ち上がり
「さぁ、さぁ、余興ですよ」と弓削皇子(天智天皇の子)に歌を1首
献上しました。

皇子が恋に悩んでいるという設定です

「 神(かむ)なびの 神依(よ)せ板に する杉の
     思ひも過ぎず 恋の繁きに 」 
                       巻9-1773 柿本人麻呂歌集

 ( 神なびの 神依せの板に用いる杉。
  その「すぎ」の名のように、私は貴女と何としても結ばれたいという想いを
  断ち切る(過ぎる)ことが出来ないのです。
  あぁ、この恋の苦しみよ )

神が宿るとされる「杉(すぎ)」と「思い過(すぎ)る」とを掛けた言葉遊び。

「(思ひ)過ぎる」は即ち「忘れる」、「諦める」。
「二人の間に越えることが出来ない障害があり、あれこれ思い悩んでいます」
と詠っています。

「神なび」: 神の辺(べ)で神のこもるところ、ここでは神聖な三輪山か。
「神よせ板」:神の降臨を仰ぐために叩いて音を立てる板。

それを受けて別の陪席人が舎人皇子(とねりみこ:天武天皇の皇子)に
2首奉ります。
1首目は女性の返事、2首目は恋の結末。
弓削皇子が悩んでいる様子を見て、愛する女が返事を返す。
そしてその結果は? という寸劇風に仕立てあげたのです。

「 たらちねの 母の命(みこと)の 言(こと)にあらば
    年の緒(を)長く  頼め過ぎむや 」 
                          巻9-1774 柿本人麻呂歌集

( 「恋の成就を妨げている」というあなたのお言葉が、
  もし、私のお母様ことであったなら、そのまま何年もずるずると
  結婚を当てにさせたまま放っておくことなどありえましょうか。
  決してそのようなことはいたしません )

「 愛しているのは私も同じ。
二人の仲を隔てているのは母親の反対。
でも、許しさえ得られれば、すぐにでも結婚出来ましょう。
私が必ず母親を説得致してみせます 」 と

固く誓う清純な乙女。

「母の命(みこと)」: 子の結婚に強い発言力を持つ母親を恐れ
畏(かしこ)んで敬称「命(みこと)」をつけたもの

「言にあれば」: 母の許しさえ得られたならば
「頼め過ぎむや」: 気を持たせたままにしておく

そして、懸命の説得が功を奏して、二人の仲がめでたく認められ、
男が喜び勇んで女性の許に通って行きます。

「 泊瀬川 夕渡り来て 我妹子(わぎもこ)が
    家のかな門(と)に 近づきにけり 」 
                      巻9-1775 柿本人麻呂歌集

( 泊瀬川を夕方に渡ってきて、愛しい人の家に近づいてきた
  あぁ、ついに、彼女に逢えるのか。 )


「 かな門(と)」: 道の曲がり角に面している戸口
           「かな」は曲がっているさま。
           扉や柱を金具で止めたり飾ったりしている立派な門。
           女性が上流階級であることを暗示。

この歌について伊藤博氏は次のように解説されています。(万葉集釋注5)

『 人麻呂の歌に多い、訳文を与えることを強く拒否するような歌である。
  一夕の感動は、本文を何度も朗誦して味わうにしくはない。
  そして、一首を孤立して味わっても、男の心の高鳴りは
  充分聞こえて来るけれども、三首一連の物語的構成の中に置いて味わえば、
  なおさら光彩を放つことが知られよう。
  「家のかな門に近づけり」― その向こうに何があるか。
  すべて万人の理解のうちにある。
  歌は余情を限りなく残して、終わるべきところで終わっている。』

この歌が評価されているのは、宴会での即興歌にもかかわらず二人の作者が
ピタリと息を合わせて物語風に仕立てたこと。
1首目で何故悩んでいるのかと周囲に疑問をもたせ、2首目で相思相愛であること
母親の反対が障害となっていること、そして、3首目で
めでたし、めでたしと結ぶ。
特に、結末に余韻を持たせて読者の想像の世界に誘ったことなどでしょうか。

さらに深読みすれば、最初に歌を奉られた弓削皇子は天武系全盛のにあって
唯一の天智系で壬申の乱で敗れた側。
何かにつけて肩身が狭い思いをしていました。

それを承知している心優しい天武系の皇子たちは
「やがて貴方もきっと日の目を見る時が参りますよ」と励まし、
思いやったようにも感じます。

  「 此の寺の ぼたんや 旅の拾い物 」  几董(きとう:江戸時代中期)

五月の長谷寺は全山牡丹で埋め尽くされています。
山門から上を見上げると、そこには日本一美しいといわれている
三百九十九段の登廊(のぼりろう)。
低い石段の左右に約7千株を越すと云われる色とりどりの牡丹が真っ盛り。
赤、黄、ピンク、紫、白、この豪華絢爛にして雄大な牡丹園は
もと薬草園だったらしく、移植されたのは元禄時代からと伝えられています。

余談ながら長谷寺の参道に沿って民家の裏側に流れているのが初瀬川。
今は川幅が狭く見栄えしませんが、昔は滔々と流れる大川であったようです。

人々は川床で洗濯物や野菜を洗い、上流に堰(せき)を作って清流を
生活用水として引き込み、田畑を潤しました。
初瀬川は人々の生活にとって不可欠な存在だったのです。

その川は山々の間の長い谷を縫って流れていたので、やがて
「長谷川」という名前が生まれ、次第に人の苗字になって
全国に広がっていたそうな。

生活に不可欠な水の恵みに対する感謝の念から生まれた「長谷川」。
その苗字のルーツは「泊瀬川にあり」です。

「 凛として 牡丹動かず 真昼中 」 正岡子規



万葉集633 (泊瀬の皇子たち) 完

次回の更新は5月26日(金)の予定です。
[PR]

# by uqrx74fd | 2017-05-18 18:15 | 生活

万葉集その六百三十二 (つつじ 今盛りなり )

( 藤万葉  東京大学付属 小石川植物園 )
b0162728_2282896.jpg

( 飛鳥川   同上 )
b0162728_2281699.jpg

( 尾引絞    同上 )
b0162728_2275637.jpg

( 白琉球    同上 )
b0162728_2274460.jpg

( ケラマツツジ  絶滅危機種   同上 )
b0162728_2273110.jpg

( ジングウツツジ   絶滅危機種  同上 )
b0162728_2271796.jpg

( サキシマツツジ      同上 )
b0162728_226586.jpg

( ヤエヤマツツジ     同上 )
b0162728_2264159.jpg

( トウゴクミツバツツジ   同上 )
b0162728_2262568.jpg

( 千重大紫     同上 )
b0162728_2261097.jpg


万葉集その六百三十二 (つつじ 今盛りなり)

 桜が散り爽やかな気候になると、野山を美しく彩る主役は「つつじ」。
早咲きのミツバツツジは3月から既に咲き始めており、4月アカヤシオ、
5月はヤマツツジ、ミヤマキリシマ、オオムラサキ、クルメツツジと
華やかな競演を繰り広げ、6月のサツキで締めくくります。

「つつじ」の語源は次々と咲く「続き咲き」が訛ったもの、あるいは
花が筒状であることから「つつ」と呼ばれ、次第に「つつじ」に
なったとも云われています。

江戸時代、盆栽の流行で多くの品種が生み出されましたが、それらを
すべてひっくるめた総称が「つつじ」。
現在300~350種類もあるといわれる個々の花にすべて名前が
付けられていますが、一目見て言い当てるのは素人には難しいようです。

万葉集では白つつじ(3首)、岩つつじ(2首)、丹つつじ(1首)、「つつじ」(3首)、と
9首詠われていますが、現在の どの「つつじ」に当たるのかは
特定されていません。

ただ、専門家の間では「ヤマツツジ」とする説が多く、
「つつじ花 にほえ娘子(おとめ)」と詠われているイメージには、
大ぶりな紅白の花を幾重にも咲かせる野性のものがふさわしいようです。

次の歌は男と女の掛け合いで、「問答」といわれていますが、
類似の長歌が、「巻13-3309 柿本人麻呂歌集」にあり、作者は人麻呂の歌に
触発されて、寸劇風のものに仕立て直したとも考えられています。

( 人麻呂歌集13-3309については 万葉集遊楽その369 
         「 つつじ花 にほえ乙女 」 をご参照下さい。)

( 問答 男 )

「 物思はず 道行(ゆ)く行くも
  青山を ふりさけ見れば
  つつじ花  にほえ娘子(をとめ)
  桜花  栄え娘子(をとめ)

  汝(な)れをぞも  我れに寄すといふ
  我れをもぞ   汝れに寄すといふ

  荒山も 人し寄すれば
  寄そるとぞ いふ
  汝(な)が心 ゆめ  」   
                      巻13-3305  作者未詳
(訳文)


( 何の物思いもせずに 道を辿りながら
 青々と茂る山を 振り仰いで見ると
 目に入るのは 色美しい つつじ花
 その花のように  においやかな乙女よ
 咲き誇っている 桜花
 その花のように  照り輝く乙女よ

 そんなお前さんを  世間では
 私といい仲だと  噂しているそうだ
 こんな私を お前さんといい仲だと 噂しているそうだ

 荒山だって 人が引き寄せれば 
 寄せられるものという。
 お前さん ゆめゆめ油断するなよ )   13-3305

「物思はず」 : 無心に 

「道行く行くも」:  道を行きながら

「寄す」 :   心を寄せていると人が噂する

「荒山」: びくともしない山

「寄そる」: 動いて寄せられる

「汝が心ゆめ」: 心を引き締めて用心せよ

なお、「匂う」という動詞は今日、嗅覚に関する語として用いられていますが、元々は
内面の奥に隠れているものが何かに触発されて表面に美しく映え出たさまを云いました。

(反歌) 男

「 いかにして 恋やむものぞ 天地の
     神を祈れど  我れや思ひ増す 」 
                         巻13-3306 作者未詳


( どのようにしたら この苦しみは収まるものなのであろうか。
 天地の神々に祈っているけれども、 わたしの思いは
 いよいよつのるばかり。)

「用心しないと、噂通り俺のような荒々しい男といい仲になってしまうぞ。
 始めは何ともなかっても、噂が機縁となって一緒になってしまうことなど
 よくあることだ。 」

と半ば脅かすような口調で口説いていますが、本心は惚れて惚れて
メロメロなのです。

(それに対する女の答え)

「 しかれこそ 年の八年(やとせ)を 
  切り髪の   よち子を過ぎ 
  橘の ほつ枝を過ぎて
  この川の 下にも長く  
  汝が心待て 」  
                   巻13-3307 作者未詳


( だからこそ この私は 長の年月を 
 そう、あの切り髪の年頃を過ごして
 橘の上枝(うわえだ)より 背丈が伸びた今の今まで、
 この川底、 そんな心の奥底まで 長い間
 お前さんの心がこっちに向くのを 待っていたのですよ。
 それなのに、なんという云い草。)

「年の八年」: 長い間

「切り髪」 肩のあたりで切りそろえる少女の髪型

「よち子」 原文「吾同子」 自分と同じ年頃の若い子
 
「ほつ枝」 秀(ほ)つ枝 枝振りがよい 

「過ぎて」  背丈が枝を超え

(反歌)

「 天地の 神をも我は 祈りてき
    恋といふものは かってやまずけり 」  
                            巻13-3308  作者未詳

( 天地の神々にまで 私は私でお祈りいたしました。
 でも 恋と云うものはきっぱりと止みはしませんでしたよ )

 「 かってやまず 」: 少しも止まない

「 何をいまさらこんなことをおっしゃるの。
  私は小さい頃からあんたの気持ちがこちらに向くのを待っていたのだよ。
  あなたの気持ちなどとっくに承知。
  それをご用心なんて、よくも白々しいことを 」

とやり返す女。

お互い相思相愛。めでたし、めでたし。
宴席での掛け合い歌だったのかもしれません。

「 分け行けば 躑躅の花粉 袖にあり 」 高濱虚子

「ツツジ」は漢字で「躑躅」と書き、極めて難解な文字です。
植物の名前に何故動物の「足」編なのか?

その由来は
「 羊この葉を食せば躑躅(てきちょく)として斃(たお)る。 
ゆえに名づく」(和名抄)
からきていると言われております。

躑躅(てきちょく)とは「あがく、あしずりする」という意味で、
「羊がこの花を食べると、あがいて倒れてしまう」
だから皆が有毒だと認識しやすいように躑躅(てきちょく)=躑躅(ツツジ)と
したわけです。

ただ、ツツジはレンゲツツジ以外は無毒なので、当初は同じツツジ科の馬酔木(有毒)に
躑躅があてられ、次第にツツジ類全般を「躑躅」とするようになったとも。

余談ながら、五月は別名を「さつき(皐月)」といいますが、これは
つつじの「さつき」とは無関係です。

皐月(さつき) の「さ」は「神聖」なものと「田」の意があり、
「さ開き」 は「田の植え始め」 「さ上(の)ぼり」は「田植の終わり」。
「さつき」は「田植をする月」 のこととされています。

「 紫の 映山紅(つつじ)となりぬ 夕月夜 」 泉鏡花


「映山紅」と書いて「つつじ」と読む珍しい例。
文字通り山に映える一面の赤。
その美しさに見惚れていると、やがて月が出て
紅色の花が、紫に変わる。
スケールが大きく、鏡花の世界である艶めかしい色気さえ
感じさせるような一首です。


         万葉集631 (つつじ 今盛りなり) 完


    次回の更新は5月19日(金曜日)の予定、(通常に戻ります)
[PR]

# by uqrx74fd | 2017-05-08 22:08 | 植物