万葉集その六百二十二 (千鳥)

( イカルチドリ 学友の甥御 C.Y さん提供 「今日も鳥日和(極私的野鳥図鑑)」
b0162728_20252885.jpg

( コチドリ  同上 )
b0162728_20251735.jpg

( シロチドリ  同上 )
b0162728_2025685.jpg

( 蛙の仲間たち  動物図鑑  万葉人は河鹿:カジカの声を楽しんだ )
b0162728_20245138.jpg

「千鳥」とは元々数多くの鳥の意で群を作って飛ぶところから、その名がある、
あるいは鳥が「チ、チ」と鳴くと聞きなし、「チ+トリ」になったともいわれています。

その種類は多く、チドリ科、シギ科、カモメ科、ウミスズメ科など19科、
約390種類の水鳥、海鳥が含まれており、学術的には鷸(シギ)千鳥目に
総括されていますが、数が多すぎ素人が一瞬で見分けるのは難しいようです。

歌の世界ではチドリ科のうち大型のケリ類を除いたものをいい、コチドリ、
イカルチドリ、シロチドリの3種が日本で繁殖しています。
(コチドリは夏鳥として渡来)

「ピォ ピォ ビユ-、ビュ-」 と鳴くのはコチドリ
「ピォ ピオ 」は イカルチドリ
「ククリ ククリ」は メダイチドリ 、オオメダイチドリ
「ピヨイ ピヨイ ピピピ 」が 白チドリ

その特異な声は哀調を感じさせる上、水辺をチョコチョコと走り廻る姿が
愛らしく、古くから無数の歌や俳句に詠まれてきました。
現在は冬の季語とされていますが、万葉集では26首、季節に関係なく
詠われています。

「 千鳥鳴く み吉野の川の 川音の
     やむ時なしに 思ほゆる君 」
                    巻6-915 車持千年(くるまもちの ちとせ)

(  千鳥鳴く吉野川の川音のように、一時とてやむときもなく
   あの方のことが思われます。)

723年、持統天皇吉野離宮行幸の折の歌。

この歌の前の長歌で
「 朝霧が立ち、河鹿が鳴く美しい吉野を自分一人で眺めるのは残念だ。
  都に残してきたあの人にもこの素晴らしい光景を見せたいものだ」

と詠った後の或る本による反歌。

異境を旅する時はまず土地褒めをするのが当時の習い。
女帝に従ってきた女官も多くいたので女性の立場で詠ったものと思われます。

きらびやかな衣装をまとった都人。
風光明媚な吉野。
男も女も、都に残してきた愛する人を思い出しながら、千鳥の声に
聴き惚れていたことでしょう。

次の2首は問答とされる二人の掛け合いの歌です。

「 佐保川に 鳴くなる千鳥 何しかも
    川原(かはら)を偲(しの)ひ  いや川上(かはのぼ)る 」
                         巻7-1251  作者未詳
( 佐保川で鳴いている千鳥よ。
 なんでそんなに川原を愛しんで、ずんずん川を上ってくるのか )

「 人こそは おほにも言はめ 我がここだ
          偲(しの)ふ川原を 標(しめ)結ふな ゆめ 」
                    巻7-1252  作者未詳

( 人々は平凡な景色だというかもしれません。
 だけど、私がこんなに愛しんでいる場所ですから
 勝手に標を張って締め出すようなことはしないで下さいな )

「おほにも」: 「凡(おほ)にも」で「いい加減に」
「ここだ」: こんなにも甚だしく
「標結ふ」:立ち入り禁止の標識 女を独占したい男の立場で用いることが多い

ある人が千鳥に向かって問いかけ、千鳥の立場で答える形になっています。

伊藤博氏は
『 ただ、これだけでは意味をなさないので、千鳥を男、川原を愛する女に譬え、
ある第3者が「お前何であんなつまらぬ女に惚れて通っているのだ」

とからかったところ

「 つまらぬ女かも知れないが、俺にとっては愛しい人。
  無用な邪魔立てはするなよ。
  もしかしたら油断させて横取りする気ではあるまいな 」
  と答えたものらしい。』

とされています。

この解説がないと、理解が難しい問答歌です。

「 我が門(かど)の 榎(え)の実もり食(は)む 百千鳥(ももちどり)
         千鳥は来れど 君ぞ来まさぬ 」   
                                  巻16-3872 作者未詳

( 我が家の門口の榎の実を もぐもぐと食べ尽くす群鳥、
  群鳥はいっぱいやってくるけれど、私が待つ肝心の君は
  一向においでにならないわ。)

榎はエノ木科の落葉高木、赤黒い小さな実を求めてムクドリが群れて
食するそうですが、ここでの百千鳥は群れをなした鳥。

この歌は筑前国の謡ものらしく
「もり食む」に貪欲な、「百千鳥」に多くの男達を寓し

「 女好きな男たちは私の体を求めて、うようよやって来るけれど
肝心なあなたは来ない。
  そんなに邪険にしていると他の男と一緒になってしまうよ 」
とからかっているように思われます。
周りが囃しながら歌う宴席での定番だったのでしょう。

   「 入り乱れ 入り乱れつつ 百千鳥 」 正岡子規

万葉人の造語、百千鳥は一体何の鳥か諸説ありましたが、現在では
種類も様々な小鳥が野山で鳴き交わす様子を言う四季の季語です。

「 佐保川の 清き川原(かわら)に 鳴く千鳥
     かわづと二つ 忘れかねつも 」       巻7-1123 作者未詳

( 佐保川の清らかな川原で鳴く千鳥と河鹿。忘れようにも忘れられないなぁ。
 早く旅を終えて家に帰りたいよ )

佐保川は春日山に発し、奈良市を西南に流れる川で千鳥と河鹿が名物と
されていました。
清流に鈴を転がすように鳴く「かじか」。
河鹿と書きますが実は蛙の一種です。

晩春から雄のみが雌を求めて「フィフィフィフィフィフィ、フィーフィー」と
鳴き出し初秋には鳴きやみます。
古代の人達は千鳥と河鹿の美しい二重奏を楽しんでいたのです。
優雅ですねぇ。

佐保川の千鳥も河鹿も今は姿を消し、狭くなった川の土手は桜並木に
なっています。
川べりに座ってせせらぎの音を聴いていると、往時の様子が
目に浮かんでくるようです。

余談ながら、酒に酔った人の足取りを千鳥足と云いますが、これは千鳥類などが
蟹などを捕えるため歩行中頻繁に向きを変え、踏み跡がジグザグになるようすに
由来するそうな。

     「 酔ひ足りて 心閑(しづ)かや 遠千鳥 」 日野草城 



     万葉集622 (千鳥) 完


     次回の更新は3月10日(金)の予定です。
[PR]

# by uqrx74fd | 2017-03-02 20:26 | 動物

万葉集その六百二十一 ( ノックが合図よ )

( 東国の村 6世紀中頃  国立歴史民俗博物館 )
b0162728_19551698.jpg

( 東国豪族の館   同上 )
b0162728_1955034.jpg

( 平城京庶民の住宅  同上 )
b0162728_19544593.jpg

( 房総の村  千葉県 )
b0162728_1954283.jpg

( 古い町並み:民家  五条  奈良 )
b0162728_1954387.jpg

(  酒屋  同上 )
b0162728_19534796.jpg

( 床屋  奈良 今井町 )
b0162728_19533289.jpg

( 酒屋   同上 )
b0162728_19531474.jpg

( 郵便局   同上 )
b0162728_19525878.jpg

( 薬屋   奈良町 )
b0162728_19524117.jpg


 昔、通い婚の時代、男は夜が更けてから月の光をたよりに女の許に行き
家族が寝静まった頃合いを見て家に忍び入りました。
勿論、女の家は用心の為入口には閂(かんぬき)が掛けられていたのでしょうが、
お互いに予め合図を決めておき本人を確認してから家に招きいれたのです
広い家ならまだしも1間しかない部屋で雑魚寝している時は
どうしていたのでしょうかね。
夏なら外でということもありましょうが、寒い冬は藁のある物置小屋へ
行ったかもしれません。

 それはともかく、次の歌は女が男を招き入れる時の合図の打ち合わせです。

「 奥山の 真木(まき)の板戸を とどと押(し)て
     我が開かむに 入り来て寝(な)さね 」 
                    巻14-3467 作者未詳

( 奥山に茂る真木で作った板戸、この板戸を私が軽くたたいて
  ごとごと押して開けたなら、さっと中に入ってきて、一緒に寝てね。)

「とどと」は翻訳不可能ですが、強いて言えば「トントン」か。

 男は「何日何時頃行くよと」予め連絡し、そのころ外で待機している。
 女は家族が寝静まったのを確認し、トントンと戸を叩いて合図しながら
 そっと戸を開け、招き入れる。

「真木の板戸」は立派な木で作られた板戸、恐らく檜や杉などで
作られていたのでしょうから、かなり大きな家だったのでしょう。
照明もなく真っ暗な家の中を、そろりそろりと通り、女の部屋へ。
あとは久しぶりの逢瀬を堪能し、家族が目覚める前に男は家を出て帰る。

このように上手くいかない場合もありました。

「 奥山の 真木の板戸を 押し開き
   しゑや出(い)で来(こ)ね 後(のち)は何せむ 」 
                               巻11-2519 作者未詳

( こんな奥山の真木の板戸なんか、どんと押し開けて、もういい加減に
 出てきてくれよ。 
 ええーい、あとはどうなったってかまうものか。)

どうやら合図が通じなかったみたいです。
いくら待っても戸が開きません。
とうとう「シエー」という言葉が出てきました。

1300年後、漫画家、赤塚不二夫が多用した「おそまつ君」の決まり文句。
調べて見たら、同氏は漫画「万葉集」を書いており、そこに「シエー」という言葉が
使われていました。
                    ( 赤塚不二夫の漫画古典入門  万葉集 学研 p121)

さて、呼べども門は開かれず。
男はとうとう諦めて外で寝てしまいました。

「 奥山の 真木の板戸を 音早み
    妹があたりの 霜の上に寝ぬ 」 
                     巻11-2616 作者未詳

( あの子の家の真木の板戸は 激しい音をたててきしむので、
 開けるに開けられず、とうとう近くの霜の上で寝てしまったよ。)

合図なしで戸を開けようとしたのか、約束の日を勘違いしたのか。
中から戸が開かないので、閂が掛かっていないのを幸い、戸を開けようとした。
ところが立てつけが悪かったのか、引けども動きません。
無理に開けようとしたら「ギシギシ」と大きな音が鳴る。
これ以上大きな音をたてると「家族が目を覚ます」 と躊躇する。
女がなんとか出てきてくれないかと、じっと外で立ち尽くす。
何時まで待っても、反応なし。

寒い中、諦めてさっさと帰ればよいものを、ひよっとしたらと思いつつ
とうとうウトウトしてしまった。
なんとも面白味とペーソスを感じさせる歌です。

「 こなた思へば 千里も1里 
    逢わず戻れば 1里が千里 」   (山城国歌)


「よばい」という言葉があり、「夜這い」即ち「夜、恋人のもとへ忍んで行く」
あるいは「寝とりたい相手の寝所へ忍び入る」という良からぬ連想をさせるものして
用いられています。
しかしながら、その原義は「相手を呼び続ける」という意の「呼ばふ」が
「呼ばひ」に変化したもので、万葉仮名では「よばひ」に「結婚」という字が
当てられている例があり「呼び続ける」意の中に「求婚する」という気持が
含まれていることが窺われます。

「 こもりくの 泊瀬(はつせ)の国に 
  さよばひに(左結婚丹)  我(わ)が来(きた)れば
  たな曇り 雪は降り来(く)  さ曇り 雨は降り来(く)
  野(の)つ鳥 雉(きぎし)は響(とよ)む   家つ鳥 鶏(かけ)も鳴く
  さ夜は明け この夜は明けぬ   
  入りてかつ寝む この戸開かせ 」
                     巻13-3310  作者未詳

( 山々の奥深いこの初瀬の国に 妻どいにやってくると
 急に曇って雪が降ってくるし さらに雨も降ってきた。
 野の鳥、雉は鳴き騒ぎ  家の鳥、鶏も鳴き立てる。
 夜は白みはじめ とうとう夜が明けてしまった。
 だけど中に入って寝るだけは寝よう。 
 さぁ、戸を開けてくだされ。 )

初瀬(奈良桜井市)は古来特別な聖地とされ国とよばれていました。
遠方から妻問いに来た男が途中悪天気に遭遇し、雪を避け雨がやむのを
待っているうちに空が白みはじめた。
妻問いは月が出ている夜に訪れ、明け方の暗いうちに帰るというのが
当時の暗黙のルール。
男はそのルールに反して強引に迫ったのです。

「 隣から 戸をたたかれる 新所帯 」 (江戸川柳 柳墫)

( 新婚早々、派手な夫婦の睦事。
 うるさいと隣の家から戸をたたく。
 長屋での生活だったのでしょう。)




       万葉集621(ノックが合図よ ) 完

      次回の更新は3月3日(金)の予定です。
[PR]

# by uqrx74fd | 2017-02-23 19:56 | 生活

万葉集その六百二十 (月夜の梅)

( 月ヶ瀬梅林  奈良 )
b0162728_17461935.jpg

( 同上 )
b0162728_1745574.jpg

( 雪の梅  高千穂神社  佐倉市 )
b0162728_17453946.jpg

( 同上 )
b0162728_17452674.jpg

( 梅燈籠   春日大社  奈良 )
b0162728_1745997.jpg

(  月明り  福王寺 法林   奈良万葉文化館収蔵 )
b0162728_17445486.jpg

(  我が宿の梅   郷倉 和子  同上 )
b0162728_17443683.jpg

昔々、通い婚の時代、男は女の家族が寝静まった頃合いに訪れ、
夜明け前に帰るというのが習いでした。
しかも、月夜が原則。( 中には型破りな男もいましたが-。)
何故なら、漆黒の闇夜は魑魅魍魎の異界で妖怪が出現し危害を加える。
それを月の神様が守ってくれると信じられていたからです。

しかも山道は狭い上、熊や猪が出没し危険がいっぱい。
いくら恋しくてもひと月に僅かしか会うことができません。

女は待ちに待った日が来ると、まず天気を確かめ、今日は月夜だと確信したら
恋人の好きな料理や酒を用意して、今か今かと胸をわくわくさせながら
男の来訪を待っていたのです。

ましてや梅が満開、馥郁と香りを漂わせている季節は、ロマンティックなこと
この上もなし。
煌々と輝く月の光を浴びながら、心ゆくまで睦みあっていたことでしょう。

「 ひさかたの 月夜(つくよ)を清み 梅の花
     心開けて 我が思へる君 」 
                          巻8-1661 紀郎女(小鹿)

( 月夜が清らかなので 梅の花が開くように晴々とした気持ちで
  お慕いしているあなた様を、今か今かとお待ちしております。)
 
梅の初花開く月明かりの夜。
男は必ず来るとわくわくさせながら待つ作者。
待つことに喜びを感じている珍しい歌です。

「 闇ならば うべも来まさじ 梅の花
    咲ける月夜(つくよ)に 出(い)でまさじとや」 
                        巻8-1452 紀郎女(小鹿)

( 闇夜ならばお出でにならないのはごもっともですが、
 月が煌々と輝き、梅の花が満開だというのに お出ましにならないと
 おっしゃるのですか )

作者は大伴家持と親しかった かなり年上の人妻(夫は安貴王)です。

特別な関係ではなく歌のやり取りをして楽しむ知友?で、
戯れて遊びにいらっしゃいと誘っていますが、前の歌と共に
ひよっとしたら本気?と思わせるような詠いぶりです。

「 我がやどに 咲きたる梅を 月夜(つくよ)よみ
    宵々(よひよひ)見せむ  君をこそ待て 」 
                            巻10-2349 作者未詳

( 我が家の庭先に咲いている梅、この梅を月のよいこのごろなので
 夜毎にお見せしたいと思い、あなたをひたすらお待ちいたしておりますのに、
一向にお見えになりませんね。)

梅も良し、月も良し、酒も用意してお持ちしているのに。
待っても待ってもまだ来ない。
「一体どうしたの、あなた」 と気をもむ乙女。

「優しい情緒にあふれた温雅な作、歌品も低くない(佐佐木信綱)」一首。

月夜に梅、眼(まなこ)を閉じると幻想的な光景が浮かんでまいります。

「 誰(た)が園の 梅の花ぞも ひさかたの
        清き月夜(つくよ)に ここだ散りくる 」 
                          巻10-2325 作者未詳

( どこのどなたの園の梅の花だろうか。
清らかに澄みきった月夜に、こんなにもひらひらと散ってくるのは )

月に誘われて外へ出かけた。
煌々と輝く満月。
折から一陣の風が吹き、梅の花びらが、芳しい香りとともに舞い降りてくる。
暗闇の中の雪かと見まがうほどに美しい。
このような見事な花を散らせているのは、一体どなたのお宅なのだろうか?
ひよっとしたら麗人が住んでいるかもしれないなぁ。

次は、我国文藝史上画期的な一首、「雪月花」を詠ったものです。

「 雪の上に 照れる月夜(つくよ)に 梅の花
     折りて贈らむ はしき子もがも 」 
                            巻18-4134 大伴家持

( 雪の上に照り映えている月の美しいこんな夜に梅の花を手折って贈ってやれる
  可愛い娘でもいればなぁ ) 
 
はしき:「愛し」き

雪の白、これを照らす月光、さらに白梅とすべて白一色の美につつまれた
庭を眺めながら美しい女性を心に思い描いており、まさに夢の世界。
家持の美的感覚には驚くべきものがあります。

「 琴詩酒(きししゅ)の友 皆 我を抛(なげう)ち
  雪月花の時 最も君を憶(おも)ふ 」   
                             白居易( 白楽天)
                             (殷協律(いんきょうりつ)に寄す)より

( 琴や詩や酒を楽しんだ友はみな分散して消息も聞かなくなってしまった。
 雪の朝、月の夜、花の時になると君達のことが思い出されてならない)

「雪月花」という言葉は上記の中国の白楽天の詩に見えますが、家持は
 白楽天が生まれる前から「雪月花」に美を見出していたのです。

「 春の夜の 闇はあやなし 梅の花
                 色こそ見えね  香やは隠るる」 
                            詠み人知らず  (古今和歌集)

( 春の夜の闇はわけがわからないことをしているよ。
たしかに真っ暗闇で梅の花の色こそ見えなくなってしまうが、
その素晴らしい香りだけは隠れようもないじゃないか。 )

「夜の闇が意地悪して梅の花を見せまいとしているが、無駄なことだ。
だって香りまで隠しようがないではないか。」
と茶化しています。

因みに 有名な「とらや」の羊羹「夜の梅」はこの歌に由来するそうな。
店の説明書きによると
「 切り口の小豆を夜の闇に咲く梅に見立てて、この菓銘がつけられました。
とらやを代表する小倉羊羹です」とのこと。

       「 しらうめの 枯木に戻る 月夜哉(かな) 」   蕪村

以下は長谷川櫂氏の解説です。

「 花盛りの白梅が月の光を浴びている。
  その白い花がことごとく月光に消えうせ、花が咲く前の枯木に
  戻ってしまったかのように見えるというのだ。
  目の前にあるのは満開の白梅であるのに、月光の作用によって枯木に見える。
  その妖(あや)しさ、鋭利にして濃厚な凄味がある」

                                  (花の歳時記 ちくま新書)


                万葉集620 月夜の梅 完



                次回の更新は2月24日の予定です。
[PR]

# by uqrx74fd | 2017-02-16 17:46 | 植物

万葉集その六百十九 (眉美人)

(月齢2,2日の三日月  学友M.I さん提供 )
b0162728_19574451.jpg

( 樹下美人図 一部   正倉院宝物 )
b0162728_19573335.jpg

( 技芸面 奈良町 藤岡家住宅で)
b0162728_1957205.jpg

(  難波ひと 一部  長谷川 青澄:せいちょう  奈良万葉文化館収蔵 )
b0162728_1957185.jpg

( 梅花粧  一部   鎌倉秀雄   同上 )
b0162728_19564522.jpg

( 額田女王  上村松篁  )
b0162728_19562938.jpg

( 広目天  国宝 東大寺戒壇堂 )
b0162728_19561564.jpg

( 阿修羅像  国宝  興福寺 )
b0162728_1955587.jpg

「眉」と云う字は目の上に波の形を書いた象形文字で、細くて美しいまゆ毛を
表すそうです。

漢字辞典を紐解くと

「眉山」(びざん) 美人の眉、また顔かたちの美しいさま

「眉壽」(びじゅ) 眉が長く伸びるまで長生きする人、長寿の人

「眉黛」(びたい) まゆずみで描いた眉、美人のたとえ

「眉斧」(びふ)  美人の眉、
           美貌のために身をうしなうことになるので
           斧(ふ:命を絶つもの)という

「眉目秀麗」 すぐれ秀でている人  ( 眉秀でたる若人ともいう:筆者注)

「柳眉」   柳の葉のように細く美しい眉、美人の眉

「三日月眉」  三日月形の眉、眉の上下が細い

など、いずれも女性は美人、男性はイケメンを意味する言葉ばかりです。

万葉人は三日月や柳葉の形をした眉の持主を美人と称え、可愛い女性が
眉を掻くしぐさをして(一種のおまじない)恋人の訪れを待つ様子を
楽しそうに詠っています。

「 思はぬに 至(いた)らば妹が 嬉しみと
   笑(え)まむ 眉引き(まよびき) 思ほゆるかも 」  
                         巻11-2546 作者未詳

( 思いかけないところへひよっこり俺が行ったら
 あの子が喜んでにっこり微笑む、その眉のさまがありありと浮かんでくるよ。)

「 不意に訪ねたらびっくりするだろうな。
きっとにっこり笑って喜んでくれるだろう。
あの可愛い眉を引き伸ばしながら。」

道を歩きながらにやにや笑っている男の顔が目に浮かんでくるような一首です。

嬉しみと:「まぁ嬉しい」と

「 月立ちて ただ三日月の 眉根(まよね)掻き
     日長(けなが)く恋ひし 君に逢へるかも 」
                   巻6-993 大伴坂上郎女

( 月が替わって、ほんの三日月のような細い眉を掻きながら
 長く待ち焦がれていたあなた様にとうとうお逢い出来ました。)

「月が替わって」とはお月さまが見えなくなってほんの少し姿を現した時期をいい
眉毛のような細い三日月だったのでしょう。

当時、眉根を掻くと、恋人に逢えるという俗信があり、

「 あなたが恋しい、お逢いしたいと眉根を掻いたら
  その効き目があって、やっとお見えになりました。」と

 まだ幼い娘、大嬢(おほいらつめ)に替わって詠ったもの。

 坂上郎女は大伴旅人の異母妹で家持の叔母、大嬢は家持の許嫁でした。

「 振りさけて 三日月見れば 一目見し
    人の眉引き 思ほゆるかも 」 
                            巻6-994 大伴家持

( 遠く振り仰いで三日月を見ますと、一目見たあの人が
 思われてなりません。)

当時、家持は16歳。
叔母、坂上郎女は恋と歌の先生。
おそらく「三日月」という題と上記の歌を示して、一首詠んでみなさいと
促されたのでしょう。

さすが万葉屈指の恋の達人マダムの指導の賜物、この年にして
堂々たる返歌。
はやくも天賦の才の片りんを見せています。
度々逢っていたのにもかかわらず、一目惚れの歌にして叔母との恋歌仕立てに
仕上げました。
そして、家持長じて恋の遍歴。
女性の容貌を桃のような紅、眉を青柳の葉に譬えた美しい歌を作りました。

「 桃の花 紅色(くれなひいろ)に にほひたる 
  面輪のうちに 青柳の 細き眉根(まよね)を
  笑み曲がり - - 」   
                  巻19-4192 (長歌の一部)  大伴家持

( 桃の花、その紅色に輝いている面の中で
 ひときわ目立つ青柳のような細い眉、
 その眉がゆがむほどに笑みこぼれて- )

妻、大伴大嬢(おほいらつめ)や他の美人を意識しながら詠ったものです。

「 びるばくしゃ まゆね よせたる まざなしを
    まなこ に み つつ あきの の を ゆく 」           会津八一

   「びるばくしゃ」(昆楼博叉)  東大寺戒壇堂 国宝 広目天

怒った様子を「眉を上げる」と云います。
しかし、この仏様の眉は上がっているが決して怒ってはいない。
右手に筆を、左手に巻物を持ち、まざなしは深い。
物思いに耽けりながら、静かに遠くを見つめている。
その名の通り、広く、多くの人々を守っているかのようです。

仏像で忘れられないのは興福寺の国宝「阿修羅像」。
長谷部 日出男氏は次のような説を唱えられています。

『 天平のスカーレット・オハラ。
モデルは若き頃の光明皇后。 (筆者注:聖武天皇皇后)
古代インドでは天上の神々に戦いを挑む悪神とされ、改心して仏法の守護神に
なってからも、荒々しい闘争心の権化であるはずなのに、
ここでは清純な信仰心の化身のように表現されている。』
                      ( 阿修羅像の真実 一部要約  文春新書)。

憂いを含み、優しさあふれる眉。
この眉こそ、この仏像の最大の魅力です。
 
人物や仏様の絵を描くとき
眉の表現の仕方で人相が一変します。
古の人たちも仏様を造る時、その性質を十分にわきまえ、眉の表現に
細心の注意をはらったことでしょう。

ここでちょっと脱線。

『 ところで、いま・・・。
  浪人姿に変装している木村忠吾と、さし向いで酒を飲んでいる五十男は
  めったに見られぬ顔貌をしていた。
  中肉中背の姿にも、尋常な目鼻立ちにも異常はないのだが、眉だけが
  普通でない。
  濃い眉と眉との間にも、もじゃもじゃと毛が生えているのだ。
  つまり、眉毛と眉毛がつながっている。
  二つの眉毛が一すじになって見える。
  忠吾は「一本眉の客」とひそかによんでいた。』

                  (池波正太郎 鬼平犯科帳13(一本眉より)  文春文庫

この男の正体は盗賊「清州の甚五郎」。
面白いですよ。

       「 水煙に 三日月かかる 興福寺 」    河本遊子



    万葉集619 (眉美人)完


  次回の更新は2月17日です。
[PR]

# by uqrx74fd | 2017-02-09 19:59 | 生活

万葉集その六百十八 (三日月)

( 月齢1.8日の三日月   学友M.I さん提供 )
b0162728_17484548.jpg

(  少し太った?三日月と星     )
b0162728_17483348.jpg

( 夕焼けと月 )
b0162728_17481794.jpg

( 若草山焼きと朧月  奈良 )
b0162728_1748612.jpg

( 月の船  上田勝也画伯  奈良万葉文化館収蔵 )
b0162728_17475337.jpg

( 月の船   藤代清二展で  )
b0162728_17474088.jpg

天空の太陽、月、地球が一直線に並んだ時を「朔(さく:新月)」といい、
太陽光を反射して光る月面は地球から見えなくなります。

それから3日後、夕方太陽が沈んだ直後、西の空に月の西部分だけが
細く輝いて現れ、古代の人達はそれを「三日月」、「初月」、あるいは
美女の描く細い眉への連想から「眉月」とよびました。

朔(さく)から7日目は上弦の月、15日目は望月(満月)、23日目、下弦の月、
そして30日目に再び朔。
その公転周期は平均して29日12時間44分2,9秒とされています。

夜ごとに満ち欠けしながら形を変え、それを周期的に繰り返す月は、
人間に時を測る術を教えて大陰暦が生まれ、農耕の時節を教える重要な指針として
人々の生活に不可欠なものとなったのです。

月は太陽と共に重要な神とされ、日本神話では太陽神、天照大神の弟であり、
月読命(つくよみのみこと)とよばれています。

万葉集で登場する月は141首。
そのうち三日月は8首、それ以外に白真弓、月の船、月人壮士(おとこ)と
表現されているものもあります。

「 山の端(は)を 追ふ三日月の はつはつに
   妹をぞ見つる 恋しきまでに 」 
                      巻11-2461  作者未詳

( 山の端に向かって今にも隠れようとしている三日月のように、
     ほんのちらっとだけあの子を見ただけなのに、
     こんなに恋しくなってしまうとはなぁ。)

  「はつはつに」 : ほんのわずかに



「 三日月の さやにも見えず 雲隠(がく)り
   見まくぞ欲しき うたて このころ 」 
                        巻11-2464  作者未詳

( 三日月がはっきりと見えないままに 隠れてしまうように
あの子の姿を心ゆくまで見ることが出来ないので、逢いたくてたまらない。
この頃、妙に胸がうずいて。 )

「うたて」: なんだか不思議に

「 天の原 振り放(さ)け見れば 白真弓
        張りて懸けたり 夜道はよけむ 」 
                   巻3-289 間人宿 大浦(はしひとの すくね おほうら)

( 天つ空を遠く振り仰いで見ると、引き絞った白真弓のような月がかかっている。
 この分だと夜道はさぞ歩きやすいであろう )

題詞に初月(みかづき)の歌とあり、三日月を弓に見立てたもの。

古代人は満ちては欠け、欠けては満ちる月を命の再生の象徴とみなし、
月の光には夜の世界を跋扈する悪魔や悪霊を追い払う呪力があると信じていました。

天空から明るい光を照らしてくれる三日月は危険な夜道を急ぐ人にとって、
弓で魔物を射てくれる頼もしい守護神であったことでしょう。

なお、白真弓は木の皮を削って白くした立派な(真)弓という意味ですが、
真弓=檀(まゆみ)、梓弓、槻(つき=けやき)弓など材料の木を表すこともあります。

「張りて懸けたり 」 : 弓の弦を引いて空に架けて


 「 天(あめ)の海に 雲の波立ち 月の舟
          星の林に 漕ぎ隠るみゆ 」    
                             巻 7-1068 柿本人麻呂歌集

天を海に、雲をその海に立つ波にたとえ、月の船がそこを滑って銀河が輝く
 星の中に漕ぎ隠れて行くさまを詠んだ名歌。

 天土(あめつち)は古代の人たちにとって信仰心の表現や恋心の誓いに
 詠われることが多かったのですが、この歌は純然たる天体の光景に
想像力の翼を広げた叙景歌です。

「 天の海に 月の舟浮け 桂楫(かつらかじ)
                   懸けて漕ぐ見ゆ 月人壮士 」  
                                 巻10-2223 作者未詳

( 天の海に月の船を浮かべ、月の若者が桂で作った楫をとりつけて
  漕いでいるよ。)


「奈良県立万葉文化館」に人麻呂歌集(7-1068)にちなんだ素晴らしい絵が
展示されています。
上田勝也画伯(1944生 東京芸大大学院終了 日展会員)の作品です。

そこには 星が輝く天空の中、雲の間に人間の背丈よりやや大きい
三日月が浮かび、 眼のさめるような貴公子が手に勺を持ち、
ゆったりと月にもたれて座っている。

 上田画伯は

「 この歌に最初に出会った時、すぐ情景が目に浮かび
   イメージがどんどん膨らんでいきました。
   当時の天空へのロマンが1200年余も後の私を現代の感覚と少しも変わらぬ
   時代を超えた新鮮さで幻想の世界へ誘ってくれました。」 

述べられています。

それにしても、万葉人の豊かな想像力、そして美しい世界よ。

      「 三日月に 必ず近き 星一つ 」  素堂

                    星は金星でしょうか。



              万葉集618 (三日月)   完


              次回の更新は2月10日の予定です。
[PR]

# by uqrx74fd | 2017-02-02 17:50 | 自然