万葉集その六百九十八 (浜風)

( 瀬戸内海の朝 )
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( 稚内から利尻富士を臨む )
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( 安房鴨川  千葉県)
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( 江の島 )
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万葉集その六百九十八(浜風)  

万葉集で詠われている風は180首余、そのうち秋風が圧倒的に多く50首。
他は朝風、神風、春風、東風、港風、湖風、川風、横風、沖つ風、南風、
松風、浜風、比良山風、伊香保風、佐保風、明日香風などさまざまな風が
登場します。

「浜風」は「浜に吹く風、浜から吹き寄せる海風」という気象用語のほか、
大相撲年寄名跡、船名、JRの列車名などにも見られるのは、
爽やかな語感が好まれたのでしょうか。

万葉集の「浜風」は4首。
いずれも旅愁を感じさせる歌ばかりです。

「 淡路の 野島の崎の 浜風に
        妹が結びし 紐吹き返す 」 
                     巻3-251 柿本人麻呂

( 淡路の野島の崎、船から港に降り立てば、
 心地よい浜風が吹いてきた。
 その浜風が旅立ちの時に航海の安全を祈って愛しい妻が
 結んでくれた着物の紐を、はたはたと吹きひるがえしている。)
 
瀬戸内海を旅した時に詠った8連作の中の1首です。

難波から西に向けての旅の途中、淡路島の野島での歌。
大阪湾と播磨灘の境、明石海峡の早い潮流を通り過ぎて最初の船泊。
ようやく最初の難関を無事通過することが出来たという安堵と共に、
故郷大和から遥かに遠ざかってしまった寂寥感を感じている作者。

ふと、折から風が吹き抜け、妻が結んでくれた旅衣の紐がひるがえった。
当時の旅、とりわけ船旅は危険がいっぱい。
妻が自分の魂を込めて結んでくれた紐。
あぁ、妻のお守りのお蔭でやっと無事に着いた。

それにしても今ごろ、どうしているだろうか。
まだまだ旅が続くが、無事を祈ってくれよ。と呟く。

古の人にとって浜風は単なる潮風ではなく、魂を運ぶ使者なのです。

  「 我妹子(わぎもこ)を 早見浜風 大和なる
           我れ松椿 吹かずあるなゆめ 」  
                      巻1-73  長皇子

( 我が妻を早く見たいと思うその名の早見浜風よ、
 大和で私を待っている松や椿、そいつを吹き忘れるでないぞ。
  決して 。)

作者は天武天皇皇子。
文武天皇難波行幸の折の宴席での歌です。

 早見に「早く(妻)を見たい」 
 松に「待つ」、
 椿の「つば」に「妻」をかけています。

 ゆめ:決して
 早見浜風:大阪住吉あたり(早見)を吹く浜風

作者は言葉遊びが好きだったらしく、技巧をこらしながら
望郷の思いを述べています。
大和から難波までそう離れていないのに、古代は徒歩の旅。
険しい山々も越えなくてはなりません。

「 浜風よ 私を待つ妻に伝えてくれ。
  もう少しの辛抱だと 」

「あさりすと 磯に棲む鶴(たづ) 明けされば
         浜風寒み  己妻(おのづま)呼ぶも 」 
                            巻7-1198 作者未詳

( 餌をあさろうと 磯に居ついている鶴。
 その鶴も明け方になると 浜風が冷たいので
 自分の妻を呼び求めて鳴いているよ )

当時は全国いたるところで鶴が見られたようです。
妻呼ぶ声に自分自身の気持ちを重ねている作者。
しみじみとした寂寥感、旅愁を感じさせる1首です。

古代の人達が詠った浜風は今日我々が感じるニユーアンスとは
かなり違っていたようです。

海が無い奈良の都の人たちにとって、海風に吹かれるのは遠く離れた旅先。
特に、難波から九州、新羅、唐への長い船旅は生還を期し難い決死行。
愛する家族に再び会いまみえることが出来るかどうか?
そのような気持ちが風を詠む歌にも滲み出たのでしょう。

 「 浜風や 球(たま)は流れて 右左(みぎひだり) 」  筆者

今風の「浜風」といえば「甲子園球場」
それは、海から吹き上がり球場のライトからレフトに流れる風。
ライト方向に高く上がった打球が押し戻されたり、
レフト方向に舞い上がった打球が風に乗ってスタンドイン。
選手泣かせの気まぐれ風は夏に多く、100年来の甲子園名物なのです。

さぁ、今日も熱闘甲子園を観戦するとしましょうか。

 「 浜風や 球(たま)見失い 泣く球児 」  筆者



        万葉集698 (浜風) 完


        次回の更新は8月24日(金)の予定です。
 
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# by uqrx74fd | 2018-08-16 18:17 | 自然

万葉集その六百九十七 (雲の峰)

( 美幌峠  北海道網走郡 )
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( 雲の峰  山辺の道 奈良 )
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(  南アルプス連峰 )
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( 三輪山:正面  巻向山 :左側 )
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万葉集その六百九十七(雲の峰)

 「雲の峰 立つに崩るる こと早し 」   稲畑汀子

「雲の峰」という語の由来は中国の陶淵明の詩「四時(しいじ)」にみえる
「夏雲奇峰多し」によるものとされています。

日ざしの強いときの上昇気流によって生じる積乱雲のことで、またの名は入道雲。
夏歌の格好の景観ですが、古のやんごとなき堂上貴族にとって、
むくつけき雲は興を引かなかったのか、歌語として定着したのは
元禄時代以降だそうです。

万葉人はそのような雲を「立てる白雲」と詠いました。

「 はしたての 倉橋山に 立てる白雲
    見まく欲(ほ)り 我がするなへに  立てる白雲 」  
                           巻7-1282 柿本人麻呂歌集

( 倉橋山に むくむくと湧きたっている白雲よ 。
見たいと思っていたときに
 ちょうど立ち昇った雲よ。
 懐かしいあの人を偲ばせる白雲よ。)

はしたて: 梯子のことで高床式の倉に上る階段、倉にかかる枕詞
倉橋山: 奈良県桜井市の音羽山か。山の辺の道から臨める。

この歌は旋頭歌といい五七七.五七七を基本形とし、
もとは問答の掛け合いに由来します。

かって愛した女性との思い出の場所。
その面影を雲に見たいと思いつつ空を眺めていたら、
雲が湧き上がってきたと感動しています。

古代の人にとっての雲は、大切な人を偲ぶよすが。
旅に出ては故郷の方角に向かって「雲よ俺は元気だと伝えてくれ」と祈り、
恋人と離れている乙女は、毎日雲に向かって「あなた」と
呼びかけていたのです。

「 穴師川(あなしがわ) 川波立ちぬ 巻向の
     弓月が岳に   雲立ちわたる 」  
                  巻7-1087 柿本人麻呂歌集

( 穴師の川に、今しも川波が立っている。
 巻向の弓月が岳に雲が湧き起っているらしい)

「 あしひきの 山川の瀬の 鳴るなへに
      弓月が岳に 雲立ちわたる 」 
                       巻7-1088 柿本人麻呂歌集

( 山川の瀬音が高鳴るとともに、 弓月が岳に雲が立ちわたっている)

川音を聞きながら歩いていると、一陣の風が吹きわたり急に波音が高くなった。
ふと上を見ると雲がぐんぐん大きくなり動いていく。
まさに驟雨が襲い掛からんとする状態。

「鳴るなへに」とは鳴るとともにという意味で、聴覚から視覚へ移り
また視覚から聴覚へと動的な変化を見事に表現しており、
その堂々とした力感と格調の高さは万葉名歌中の名歌。
作者は人麻呂と、ほぼ断定されています。

以下は伊藤博氏の解説です。

「 山と川が呼応して動き出した一瞬の緊張を荘重な響きの中に託した
  見事な歌である。
  響き渡る川音を耳にしながら、山雲の湧き立つのを見ている。
  作者は穴師の川をさかのぼって、弓月が岳に近く迫っているのであろう。
  一気呵成、鳴り響く声調の中に山水の緊張関係は更に深められ、
  躍動する自然の力は神秘でさえある。
   弓月の山水はこうして永遠の命を確立した。」 (万葉集釋注4)

 「 あをによし 奈良の都にたなびける
        天の白雲 見れど飽かぬかも 」  
                           巻15-3602 作者未詳

( きらびやかな奈良の都に棚引いている天の白雲
 この雲は見ても見ても見飽きることがありませんね )

遣新羅使人が旅の途中で古歌として披露したもの。
海原の彼方に湧きあがっている雲を眺めながら、懐かしい故郷を思い出す。
瞼に浮かぶ赤や緑の色彩鮮やかな都の大極殿や朱雀門
青空に棚引く白雲。
色彩感にあふれ、しみじみとした郷愁を感じさせる1首です。

 「 雲の峰 いくつ崩れて 月の山 」  芭蕉

「 奥の細道の旅の途中、月山(がっさん:山形県)に登り、頂上の小屋で泊まる。
日が暮れると、炎天にそびえていた、いくつもの雲の峰がみな崩れ果てて、
今、芭蕉たちのいる月山をほのかな月の光が照らしている。」
                              ( 長谷川櫂 季節の言葉 小学館より )

            月の山:月山と月が照らす山を掛けている



          万葉集697. 雲の峰 完


       次回の更新は8月17日(金)の予定です。
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# by uqrx74fd | 2018-08-09 18:12 | 自然

万葉集その六百九十六 (立秋の七夕)

( 仙台七夕は8月に開催される )
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( 古式豊かな模様  同上 )
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(  斬新な模様も  同上 )
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( 月の船  上田勝也  奈良万葉文化館蔵 我が国では牽牛が織姫のもとへ)
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( 月の船 藤代清二 中国伝説では織姫が牽牛のもとへ )
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   万葉集その六百九十六 (立秋の七夕)

我国の7月7日、七夕節会の記録は持統天皇の691年が最古とされています。
現在の8月上旬、立秋の頃、天皇列席のもと公卿以下が参列して宴を賜り、
朝服を下される宮廷儀礼でした。

さらに734年、聖武天皇の時代になると、7月7日に相撲を奉納し、
その夕方、文人に七夕の歌を詠ませる行事が定着し、相撲と七夕の節会を
同じ日に行ない、五穀豊穣、国土繁栄を祈ったのです。

一方、民間では古くから夏秋の行き会いの時期に水辺に掛け作りにした棚の上で
遠来のまれびと神の訪れを待って機(ハタ)を織るタナバタツメの習俗がありました。
「タナバタツメ」とはタナ(横板)を付けたハタ(機)で布を織る女(ツメ)の意です。

偶然にも中国には女子が機織り等の手芸で巧みになる事を祈る
乞巧奠(きこうでん)という古来の行事がありました。
さらに7月7日の夜、織姫星が天の川を渡って牽牛星に逢うという
空想豊かな恋物語を遣唐使(山上憶良?)が帰国後、伝えたところ、
このロマンティクな伝説は、たちまち人々の心をとらえ、かつ魅了しました。

そして我国古来の「タナバタツメ」に中国伝来の七夕という字を当て
「タナバタ」とよんだのです。

万葉集で「天の川」を詠ったものは130首余もありますが、
中國の物語と違うところは2つ。

我国では通い婚の風習があったため、牽牛が織姫のもとに通う。
( 中国では織姫が牽牛のもとに通う )

いま一つは、空想の物語を現実の自分の身に置き換えて詠う、
そう、柿本人麻呂、山上憶良らが天上の物語を一気に庶民のものとしたのです。

「 天地(あめつち)と 別れし時ゆ 己(おの)が妻
          しかぞ離(か)れてあり  秋待つ我は  」 
                        巻10-2005 柿本人麻呂歌集

( 天と地と別れたはるか遠い時代からずっと
 わが妻とこのように別れ別れに暮らしていながら
 ひたすら秋が来るのを待っているのだ。この私は。)

 当時は男性が女性のもとに通うのが習い。
 しかも、月が出ている間に訪れ、夜が明けぬ間に帰る。
 そう頻繁に通えるものではありません

「 渡り守  舟早(はや)渡せ 一年(ひととせ)に
         ふたたび通ふ 君にあらなくに 」
                  巻10-2077  作者未詳

( 渡し守よ 舟を早く岸に着けて下さいな。
 1年のうちに2度も通ってこられる方ではないのですから。)

今か今かと待ち続ける織姫は現実の私。
祈るような気持ちで詠っています。

「 天の川 相向き立ちて 我(あ)が恋ひし
        君来ますなり  紐解き設(ま)けな 」 
                           巻8-1518 山上憶良

( 天の川、この川に向かい立ってお待ちしていました。
いよいよ、愛しいあの方がお出でになるらしい。
さぁ、衣の紐を解いてお待ちしましょう。 )

万葉集で年代がはっきりしている最初の七夕歌とされています。
この「紐解き設(ま)けな」で、天上の物語が一気に現実のものになりました。
7月7日は男が女を訪ね、相睦む日になったのです。

 「 恋ふる日は 日(け)長きものを 今夜(こよひ)だに
            ともしむべしや  逢ふべきものを 」
                巻10-2079  作者未詳

( 恋焦がれた日が随分長かったんだもの、せめて今宵だけは
 飽き足りない思いをさせないで。
 今夜は誰にも遠慮なく逢うことが出来る日なのだから 。)

        ともしむべし や: 「物足りなく思わせる」の意 「や」は反語

「 ただ今夜(こよひ)  逢ひたる子らに 言(こと)どひも
          いまだ せずして さ夜ぞ明けにける 」
                       巻10-2060  作者未詳 

( 年にたった一夜の今宵。
 やっと逢うことができた愛しい子と、まだ満足な言葉も
 交わさないうちに夜が明けてしまった。)

久しぶりにお互い心ゆくまで抱き合い話をする間もなかった。
無常にも夜明けが近づいてくる。
そして別れの時間です。                 

 「天(あめ)の海に 雲の波立ち 月の船
          星の林に  漕ぎ隠る見ゆ 」  
                    巻 7-1068  柿本人麻呂歌集

舟に乗って帰ってゆく愛しい人。
空を見上げると、煌々と輝く三日月。
あたかもあの人を乗せて行く舟のよう。
雲の波、きらめく星の林。

あぁ、次第に遠ざかって行く。
さようなら、また会う日まで。

 「 七夕や 逢えばくちびる のみとなる」  水原秋桜子

七夕行事は夏の7月7日に行う地方も多いですが、本来は初秋のもの。
季語も秋に分類されております。
立秋、この時期になると夜空が澄みはじめ星もさやかに見えるのです。
 
  「 星合(ほしあひ)の 夕べすずしき 天の川
              紅葉の橋を  わたる秋風 」 
                       藤原公経  新古今和歌集

( 七夕の夕べは涼しく、 天の川に架けられた もみじの橋を
    秋風が涼やかに吹きわたるよ )

古代、機織りの上達を願って行われた七夕行事は、次第に拡大解釈されて
様々な願い事を星に祈る行事に変わり、江戸時代、庶民の間に
手習いが広まると、色とりどりの短冊に願い事を書いて笹竹に飾るようになり
現在に至っています。

  「 七夕や 秋を定(さだむ)る 夜の初(はじめ)」 芭蕉

 今年の立秋は8月7日。
 間もなく朝夕涼しい風が吹きはじめることでしょう。


         万葉集696(立秋の七夕)  完


         

       次回の更新は8月10日(金)の予定です。
 
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# by uqrx74fd | 2018-08-02 11:09 | 生活

万葉集その六百九十五 (雷神)

( 一天にわかにかき曇り ゴジラ登場:右端  N.F さん提供 )
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( 雷電とは雷と稲妻  では稲妻とは?( 委細は本文で)
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( 風神雷神図屏風  俵屋宗達  東京国立美術館蔵 )
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( 暴風雨の中の遣唐使船  奈良万葉文化館 )
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  万葉集その六百九十五 (雷神)

雷は昔から地震と共に恐れられ、その被害も大きかったので
神の仕業と思われていました。
雷(いかづち)の語源は「厳(いか)つ霊(ち)」で「畏怖すべき神」。
俵屋宗達の「風神雷神図屏風」では鬼形で描かれています。

また雷の光は稲と結合して実を結ぶと信じられていたことから、
稲妻という言葉も生まれました。
雷が鳴り雷光が頻繁に光ると空中の窒素が分解されて地中の窒素肥料となり
地上の稲を妊娠させる。
つまり、稲妻は豊年のしるしなのです。
勿論、古の人達はそのような科学的根拠を知る由もありませんが、
その自然観察の正確さには ただただ驚嘆するばかりです。

古代の雷は「鳴る神」とよばれ、原文表記は雷神、鳴神、響神。
いずれも「なるかみ」と訓まれていますが、当時はそれほど恐ろしいと
感じていなかったのか枕詞や恋歌に登場します。

「 鳴る神の 音のみ聞きし 巻向(まきむく)の
    檜原の山を 今日(けふ)見つるかも 」 
                  巻7-1092 柿本人麻呂歌集

( 噂に鳴り響いていた巻向の檜原の山。
 ようやく念願かなって、今日この目ではっきりと見たよ )

人麻呂は巻向周辺で多くの歌を詠っており、この近くに妻が住んでいたためと
思われます。
この歌も格調の高く、人麻呂が詠ったものと推定され、
初めて巻向を見た人の立場になり、大いに感動した心を述べています。
巻向は山の辺の道、三輪山近くにあり、檜原神社は伊勢神宮の本家と
されている由緒ある社です。

「 鳴る神の 少し響(とよ)みて さし曇り
       雨も降らぬが 君を留めむ」 
                     巻11-2513 作者未詳

( 雷がちよっとだけ鳴って、空がかき曇って雨でも降ってくれないかなぁ。
 そしたらあなたをお引止めできるのに)

二人は逢い引きの最中。
まだまだ別れたくない女。
雷に事寄せて男に甘えています。
それに対して男は

「 鳴る神の 少し響(とよ)みて 降らずとも
      我(わ)は留まらむ  妹し留めば  」  
                      巻11-2514  作者未詳

( お前さんが 俺の袖を引っ張って胸に飛び込んでくれたら
 雷など鳴らなくても、ずっと一緒にいるさ。)

「 すがってこなければ帰っちゃうぞ 」と半ば体の関係を持ちたい
下心がある男。
伊藤博氏によれば、
「 雷雨などをもちだして不安や悲哀を述べるのは日本の歌の伝統 」
なのだそうです。

「 あまのはら 踏みとどろかし 鳴る神も
        おもふ仲をば 裂くるものかは 」  
                 読み人しらず 古今和歌集

( 広い大空を踏みとどろかせて鳴る雷とて、愛し合う我々二人の
 仲を離すことなど出来はしないよ )

どうやら抱き合っていた二人が突然轟いた雷の音に驚き、
ますます強く抱きしめた場面のようです。
すこし大げさでながらユーモラスな一首。

「 逢うことは 雲居はるかに 鳴る神の
     音に聞きつつ 恋ひわたるかな 」 
                         紀貫之 古今和歌集

(  あなたにお逢いすることは、遥か遠くに隔てられているため果たし得ず
  ただただ噂に聞くだけで恋い慕い続けていることです。)

雲居はるかは宮中奥深いの含意があり、相手は高貴な女性なのでしょう。
男女が逢うことは結ばれること、でも、ままならない忍ぶ恋。

  「遠雷を聞く」は「噂に聞く」の意。

古代の人達にとって「鳴る神」は恋を取り持つ神様だったようです。

 「 脳天に 雷火(らいか) くらひし その刹那 」   緒方句狂

以下は長谷川櫂著 「季節の言葉(小学館)」からです。

「 右大臣菅原道真は藤原氏の讒言(ざんげん)により大宰府に左遷され
悲しみと憤りのうちにそこで亡くなる。
その後、都では落雷が相次いだために、道真の怨霊が雷になって
たたりをなしているに違いないと信じられた。
ところが、都でかって道真の邸宅があった場所には一度も雷が落ちない。
そこが桑原というところであったので、後に「桑原、くわばら」と
唱えると、雷除けになるという言い伝えが生まれた。 」

「 鳴神や 暗くなりつつ 能最中(さなか)  」 松本たかし

      能狂言で「くわばら くわばら」は良く使われ、
      それと重ねあわせると味わい深くなる句です。


  万葉集695(雷神)完


 次回の更新は8月3日(金)の予定です。
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# by uqrx74fd | 2018-07-26 08:04 | 自然

万葉集その六百九十四 (伊豆と湯河原)

( 伊豆の海 城ケ島 )
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( 修善寺温泉 )
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( 映画 伊豆の踊子ポスター )
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( 富士山5合目 )
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万葉集その六百九十四 (伊豆と湯河原) 

古代の伊豆はもともと独立した国でしたが、大化の改新(645年)のとき、
駿河国に併合され、681年(天武10年)、再び1国としてたてられた
という歴史をもちます。

温暖な気候、風光明媚な海山の自然、新鮮な魚介類や山の恵み、
疲れを癒す温泉など人々が住むには申し分ない環境ながら、
都と直結する交通の要衝、東海道から外れていたためか、
万葉集に登場する歌は少なく、伊豆の海、伊豆の高嶺に寄せた恋歌
そして伊豆で作られた船を詠ったもののみです。

「 伊豆の海に 立つ白波の ありつつも
           継ぎなむものを 乱れしめめや 」 
                      巻14- 3360 作者未詳

( 伊豆の海に 立ちしきる白波のように 
     私は二人の仲を このままずっと長く続けていこうと思っているのに
     何であなたの心を乱したりなどいたしましょうか。)

男から「何でこんなことを言うのか、俺が嫌いになったのか」と
問われて応えたものと思われます。

今まで男から体を求められいつも応じていたのに、今日は拒否した。
あの人、他の女と浮気しているのかもしれない。
ちょっと気持ちを確かめてみようと拗ねてみせたのかも。

「 白波は強風にあおられて立ち騒ぐかと思えばたちまちにして消え、
また瞬時に現れ立つ。
伊豆乙女の恋心はとつおいつ揺れ動き、これまで幾度となく恋人から
離れ戻りしたようで何とも心もとない。」
                      (永井郁 万葉の道 日本教文社 )

ありつつも: 同じ動作を継続することを示す。 ここでは「ずっと」。
乱れしめめや: あなたの心を乱れさせるようなことをいたしましょうか。

「 伊豆の海に 立つ白雲の 絶えつつも
       継がむと思(も)へや 乱れそめけむ 」 
                             巻14-3360 同 (或る本)

( 伊豆の海に湧き立つ白雲のように、湧きあがっては消え
  湧いてはまた流れ去ってゆく。
  そのようにお互いの行き来が途絶えがちであっても、
  なお 二人の仲を続けようと思う気持ちが私にあるから、
  心が乱れはじめてしまったのでしょうか。)

そんな生易しい気持ちで恋したのではないのに、
あの人の訪れが途絶えがちなので気持ちが乱れる。
いっそのこと別れてしまった方が、どんなに楽になることか。
でも、どうしても忘れられない。

乱れそめけむ: 相手に逢いたいゆえ心が乱れるの意

次の歌は東国の方言交りで分かりにくいですが、歌意は面白い。

 「 ま愛(かな)しみ 寝(ぬ)らく 及(し)けらく さ鳴らくは
             伊豆の高嶺の 鳴沢(なるさは)なすよ 」
                     巻14-3358 作者未詳(或る本)

( かわいさのあまり 寝たのはしょっちゅう。
 それにつけても噂のとどろきは、伊豆の高嶺の鳴沢なみよ。)

    ま愛(かな)しみ : 可愛くて可愛くて仕方がない

    及(し)けらく: 繰り返すの意 ここでは何度も抱いた

    さ鳴くなくは: 噂が大きいのは

    伊豆の高嶺: 天城山、あるいは伊豆から見える富士山とも

伊藤博氏によると
「 鳴沢とは高く音を立てる渓谷をいう、富士山には西部の大沢など
  岩石が崩れ落ちる。
  その崩壊の音の凄まじさを世間の噂に譬えたもの。」(万葉集釋注)


  「 初旅の 伊豆湯ヶ島に あくがるる 」 矢島渚男

古代、伊豆で作られた船は材質が良く、難波の港でも見られたようです。

「 防人の 堀江漕ぎ出(づ)る 伊豆手船
      楫(かじ)取る間なく  恋は繁(しげ)けむ 」  
                               巻20-4336 大伴家持

( 防人が難波堀江から漕ぎ出してゆく伊豆手船、 
     その楫を漕ぐ手の休む間がないように、防人たちはひっきりなしに
     故郷の妻を恋しく思っていることであろう。)

東国各地から難波に集結した防人が、港から九州に出発するため、
次から次へと堀江から小舟に乗り、漕ぎ出している様子を見ながら、
「もう二度と逢えないかもしれない。
さぞかし望郷の念に駆られていることであろう 」

と、防人を監督する家持がその心中を思いやった1首です。

伊豆手船とは伊豆仕様の船のことで、当時、伊豆の他、能登、熊野、足柄での
造船が盛んだったことが知られています。
その造船方法は山で伐採した丸木をその場で刳りぬき、
刳り船として川に流し海辺で舷側などをつける作業をしていたそうです。

    楫(かじ)とる間もなく: ひっきりなしに

  「 湯河原や 山蟻走る 奥湯径(おくゆみち) 」 赤松薫子

風土記によると、道後(伊予国)、牟婁(むろ:紀伊国)、湯本、湯河原(伊豆国)、
有馬(摂津)などは、古代からすでに著名な湯治場として知られており、
それぞれ万葉集にも登場しています。

次の歌は万葉唯一「温泉が湧き出ている」と表現したもので、
もともとは民謡であったとも。

「 足柄(あしがり)の 土肥(とひ)の河内(かふち)に 出(い)づる湯の
        よにも たよらに 子ろが言はなくに 」  
                            巻14-3368 作者未詳

( ここ足柄の河内でお湯が勢いよく湧き出て、ゆらゆらと揺れています。
  私の心もあの湯と同じ。
  いつも不安で揺らいでいるのです。
  あの子は「迷っている」などと少しも言っていないのに、
  やっぱり心配だなぁ。)

よにも : 決して
たよらに: ゆらいで安定しないさま 

「足柄の土肥の河内」は現在の湯河原町(神奈川県)と伊豆の国境(静岡県境)を流れる
千歳川沿いの奥湯河原温泉とされています。
梅の産地であることから「小梅湯」(こごめゆ)ともよばれ、
「こごめ」には「子産め」という意味も含まれているとか。

なお、現在、伊豆に土肥という地名があり温泉と金山跡で知られていますが、
こちらは万葉歌とは関係なく、1611年、土肥金山開発中当地にある安楽寺境内の
坑口から温泉が湧出したのが土肥温泉の始まりで、この源泉は発見者の
間部(まぶ)彦平に因み「まぶ湯」と名づけられたそうな。

 「 滑(なめ)らなる 岩はだに触(ふ)りて  吾がひたる
        御湯は古りにし   玉湯とぞおもふ 」  中村憲吉


           万葉集694(伊豆と湯河原)  完



次回の更新は7月27日(金)の予定です。
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# by uqrx74fd | 2018-07-19 18:09 | 万葉の旅