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万葉集その七百三十三 (吉野賛歌)

( 蜻蛉の滝:せいれいのたき  奈良県吉野郡  N.Fさん提供 )
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( 奥千本  吉野 )
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( 宮滝   同上  この近くで吉野離宮が営まれた )
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( 象山:きさやま  象の形に見えるのでその名がある  )
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(鳥の声 川崎春彦 
   み吉野の 象山の際(ま)の 木末(こぬれ)には ここだも騒く 鳥の声かも  山辺赤人)
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(  奥千本より金峯山寺を臨む  )
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万葉集その七百三十三 (吉野賛歌)

   「 吉野山 下千本の 花がすみ 」  小林あや子

万葉集で「吉野」という地名がみえるのが70余首。
他の地を圧倒する多さ、しかも自然の美しさを讃えると共に
天皇の治世を寿ぐ歌ばかりです。
なぜ吉野は、かくも賛美されたのか?

天智天皇の末期、病重き天皇から譲位を打診された大海人皇子(のち天武)は
兄の言葉の裏に殺意を感じ、にわかに剃髪して僧となり、
妃、鵜野讃良(うののさらら:のち持統)を伴い近江を離れ吉野に隠棲。
そして、忍従苦節9か月の後、壬申の乱に勝利して天皇に即位しました。

以来、吉野は天武朝発祥の聖地と位置づけられ、飛鳥に都が置かれると
吉野川のほとり宮滝付近に離宮が営まれて、歴代天皇の行幸42回、
なかでも持統女帝は32回も訪れたのです。(女帝前後を含めると34回)

吉野は水が豊富に湧き出るほか、水銀、金銀を産する鉱山があり、
歴代天皇は水の神に五穀豊穣を祈り、かたわら鉱物発掘作業督励し、
さらに創建時代の精神に戻って良き国造りへの決意を新たにしたものと
思われます。
 
多くの官人や女性を従えた天皇の行幸。
数百人の人たちが、山々に囲まれた川のほとりの神仙境で賑やかな酒宴を催し、
美しい吉野と良き治世を讃えました。

次の長歌と短歌2首は、725年5月 (神亀2年)、聖武天皇行幸の折のもの。
2首の短歌はあまりにも有名すぎて、長歌が置き去りにされがちですが、
長短歌を同時に鑑賞することにより、作者の意図が鮮明になり、
歌も味わい深いものとなりましょう。

まずは訳文から

「 あまねく天下を支配される われらの大君が 
  高々とお造りになった吉野の宮
  この宮は 幾重にも重なる青い垣のような山々に囲まれ 
  川の流れの清らかな河内である
  春には 山に花が枝もたわわに咲き乱れ      
  秋ともなれば 川面一面に霧が立ち渡る
        
  その山が幾重にも重なるように 幾たびも   
  その川が絶えぬと同様、絶えることなく 
        
  大君に仕える大宮びとは いつの世にも 変わることなく
  ここ吉野に通うことでありましょう 」
                                  巻6-923 山部赤人

「訓み下し文」

「 やすみしし 我(わ)ご大君の 」 

          やすみしし: 「我ご(が)大君」の枕詞、
                 安らかに天下をお治めになる、あるいは八隅をくまなく治めるの意

          我ご大君:  聖武のみならず歴代の天皇

  「高知らす 吉野の宮は 」

          高知らす : 高々とお造りになった

 「 たたなづく 青垣隠(ごも)り 」

         たたなづく: 山がひしめき合って幾重にも重なる

         青垣隠り:青い垣根のように山々に囲まれ

 「 川なみの  清き河内(かふち)ぞ 」

         川なみ: 川の流れているさま

             河内: 川を中心とする山に囲まれた一帯の地

 「 春へは 花咲きををり 」
       
             花咲き ををり: 枝がたわむほどに花が咲き

 「 秋されば  霧立ちわたる 」

 
    「 その山は いやしくしくに 」

          いや しくしくに: しきりに重なる

  「 この川の 絶ゆることなく 」

   「ももしきの 大宮人は  常に通はむ  」

         ももしきの: 大宮人の枕詞 
                 多くの石や木で造られた宮の意

                             巻6-923 山部赤人

さて、この長歌は

「 やすみしし 我(わ)ご大君の 高知らす 吉野の宮は」の導入部のあと、
  交互に「山、川」を対比させ、
「ももしきの 大宮人は  常に通はむ 」 で結句。

一糸も乱れぬ構成で短歌に続きます。

長歌は四季を通じての山川の美しさを、短歌は朝の象山、夜の吉野川を
対比させています。

「 み吉野の 象山の際(ま)の 木末(こぬれ)には
    ここだも騒く  鳥の声かも 」 
                         巻6-924  山部赤人    

( み吉野の 象山の谷あいの梢で 
  こんなにもたくさんの鳥が 鳴き騒いでいる )


「み吉野」と大きく詠いだし、ついで「象山の際」にと場所を特定し、
「木末:こぬれ」と視覚上に焦点を絞り、ここで、にわかに
「聴覚」の世界に転じ、鳴き騒ぐ鳥の声に耳をすまして緊張を持続している。

「自然詠の絶唱としてたたえられるのに値する」(犬養孝)名歌です。

象山(きさやま)は奈良県吉野町宮滝の南正面にあり、
稜線が象の形に見えるところからその名があります。

「きさ」とはは象の古名で象牙の横断面に橒(キサ)すなわち木目に似た
文様が見えることに由来するそうです。
象の渡来は江戸時代とされていますが、万葉人は正倉院御物に描かれた絵や
象にまたがる普賢菩薩像を見てその姿形を知っていたのでしょう。

「 ぬばたまの  夜の更けゆけば  久木(ひさぎ)生ふる
        清き川原(かはら)に  千鳥しば鳴く 」 
                             巻6-925 山部赤人

( 夜が更けてゆくにつれて 久木の生い茂る清らかなこの河原で
     千鳥が鳴きたてている )  
    
「久木」は千鳥が寝ぐらとして好む「アカメガシワ」(落葉高木)。

深々(しんしん)と更けゆく夜。
静寂(しじま)の間から鳥の声が聞こえてくる。
耳をすますと玲瓏と響く川の音と千鳥の澄んだ声。

瞑想することしばし。

昼間に見た清々しい川原と緑鮮やかな木々。
そして飛び交う様々な鳥たちの姿が目に浮かぶ。
それはあたかも眼前でその情景を見ているようだ。

やがて口元から朗々とした調べが。
「 ぬばたまの 夜の更けゆけば 久木生ふる - -」
かくして1300年後に絶賛される名歌が誕生しました。
それは、心の集中から生まれた鮮やかな写生とも言える静寂の極致です。

間もなく平成時代の終わり、この賛歌の吉野を我が美しい日本、
そして脈々と続く皇位継承を寿ぐ歌と読み替えることも出来ましょう。

最後に
「山村暮鳥 日本」 から。

「 日本、うつくしい国だ
  葦(あし)の葉っぱの
  朝露が ぽたりと
  落ちて こぼれて ひとしづく
  それが
  この国となったのだ とも言ひたいやうな日本

  大海(たいかい)のうへに浮いてゐる
  かあいらしい日本
  うつくしい日本
  小さな国だ
  小さいけれど
  その強さは
  鋼鉄(はがね)のやうな精神である
  - -

  静かな国 日本
  小さな国 日本
  つよくあれ
  すこやかであれ
  奢(おご)るな
  日本よ、真実であれ
  馬鹿にされるな    」 
                      
   



           万葉集733(吉野賛歌)完

  

        次回の更新は4月26日(金)の予定です。

# by uqrx74fd | 2019-04-18 16:49 | 万葉の旅

万葉集その七百三十二 (カタクリ回想記)

( 本稿歓談の友人たちと訪れた森野旧薬園 
           :奈良県宇陀市大宇陀 江戸時代から続く我国唯一の薬草園)
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( 弘前城公園のカタクリ)
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( 同上)
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( 青梅市 東京都  吉野梅林への途中で )
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万葉集その七百三十二 (カタクリ回想記)

「 冬が去り大地を覆っていた雪が消えるとカタクリは
  いち早く地上に芽を出し可憐なオペラ色の花を咲かせます。
  晴れた日に朝日を受けて開き、花片を極端に反り返らせ、
  さながらイナバウァ-のようです。
  カタクリの命は短く、一ヶ月余り経つと花も葉も茎も跡形なく消え去り、
  次の春まで地下で眠りこけるので「春のプリマは眠り姫」と
  形容した人もいるそうです。」

この文章は2007年4月2日付の本ブログ
「堅香子の花:カタカゴはカタクリの古名」のイントロの部分の要約です。
ここから友人たちとの賑やかな放談が始まりました。

まず筆者(以下Y.S)の解説

『 カタクリをトリノオリンピック金メダルの荒川静香さんの十八番イナバウアーに
  譬えるのも唐突だけど、あとに続くオペラ色は水彩絵具の美しいピンク色と
  スケート曲トウーランドット、つまり歌劇のオペラと掛けたんだよ。 』

 すかさずオペラに凝り始めた「I.N」さん

『 最初に読んだとき 「これは何じゃと」思ったが、そうかぁ、
  そんなら後に続く「春のプリマは眠り姫」は「眠れる美女」とも
  関連するんだ。なぁるほど、納得、納得 』

とご機嫌。

「N.F」さんいわく

『 こういう仕掛けになっていたとは、気づきませんでしたねぇ。
  オペラ音痴の当方では、「春のプリマは眠り姫」と言われてもピンと来ません。
  N君が言うならわかるが、オマエがここまでオペラに強いとは知らなかったよ~。』

「Y.S」  『 エヘン! どうだい、恐れ入ったか、ハハハ。 』

続くは万葉歌です。

「 もののふの  八十娘子(やそおとめ)らが 汲み乱(まが)ふ
          寺井の上の 堅香子の花 」   
                             巻19-4143 大伴家持

    ( 泉のほとりへ美しい乙女たちが三々五々、水桶を携えて集まってきます。
     そのかたわらにカタクリの花が咲き乱れて-- 何と美しいことよ )

雪国は長い冬からようやく待望の春を迎え、その喜びに溢れんばかりです。
こんこんと湧く清泉、入り乱れる乙女、群生する美しい花。
乙女たちの笑い声や水の音まで聞こえてくるような気がいたします。

「N.Fさん」

『 この歌の「もののふ」はどんな役割を果たしているのでしょうか
 「もののふ」ときけば「武士」、広辞苑を引いてみたら、
 「上代、朝廷に仕えた官人」としかありません。

「Y.S」

『 「もののふの」は枕詞ですが、その意味を知って歌を味わうとさらに
  面白いものになります。
  仰せの通り「上代、朝廷に仕えた官人」が原義ですが
  古代の朝廷には職掌ごとに氏族が奉仕しており、
  それらの総称として「もののふ(物部)」 という言葉が用いられました。
   (武士のイメージとなるのは後代です)

  そこから「もののふ」=氏(ウジ)=「宇治」に掛かる枕詞となり、
  さらに朝廷に奉仕する氏族が多かったことから八十(やそ=数が多い意)にも
  掛かる枕詞となったものです。

  従って、この歌の「もののふの八十娘子:やそおとめ」を細かく意訳すると、
  「 数え切れない位の氏族の人たちがいるように、多くの美しい乙女が」
  となりますが、煩雑になりますので
  冒頭では「大勢の美しい乙女」さらに「カタクリの群生」を
  イメージさせる枕詞としてとらえて下さい。
 
次に自らオペラを演じ、絵も堪能な「T.S」さん

 『 "こんこんと湧く清泉、入り乱れる乙女、群生する美しい花。
   乙女たちの笑い声や水の音まで聞こえてくるような”<情景>を詠った歌、
  (家持が実際に見た光景を詠んだものなのでしょうが)
  あまりに美しくて、現実の景色というより、家持にとっての理想の
  桃源郷を詠ったような気がしました。

  水辺の美女は、洋の東西を問わず、芸術作品の対象になることが多いような
  気がしますが、どうでしょうか。

  片栗の花といえば、数年前に、絵のサークルで、津久井湖の桜を見に行く途中で
  立ち寄った花園(個人が一つの山にいろいろな花の草木を植えたところ)で、
  片栗の群落を見たことがあります。
  一本一本は、小さく可憐な花でも、数百本が集まるとまた別の味わいが出てきますね
。いずれも、美しいものですが、絵や写真で作品にするには難しかったです。 』  
   
「 Y.S 」

 『 おっしゃる通り、この歌の情景はあまりにも美しいので家持は
  咲き乱れるカタクリを眺めながら頭の中で美しい乙女を思い浮かべたのでは
  ないかという説もありますが、伊藤博氏は「実景として受け取った方が自然」と
  述べておられます。(万葉集釋注)

  可憐にして清楚、気品があるカタクリの花は、美しい乙女のイメージと
  重なりますね。
  万葉集に一首しかないのが残念です。

  なお、古代、コンコンと湧き出る水は聖水と考えられており、
  水辺で遊ぶ乙女は聖女か処女のような印象があり、絵や歌の題材として
  好まれたのではないでしょうか。

  この歌の「寺井の上の」は「寺の境内にある井戸のほとり(上)」の意で、
  神聖な場所を暗示しています。 』

「最後にN.Fさん」が総括

『 「 もののふの 八十娘子(やそおとめ)らが 汲み乱(まが)ふ
          寺井の上の 堅香子の花 」 
 
  もう春だもの、そうだ そうだ 片栗の花も咲く頃ですねぇ。
  花写真に取り組む機会を与えられたお陰で、無骨者のボクでも
  片栗の花姿を知るようになり、片栗とご縁が出来ました。

  でも、それより早く奥武蔵方面の春山を登山中に、
  「あそこに片栗が咲いている」と言って教えてくれたのは、
  一緒に登った弟でした。
   数株づつ、そこら一帯に群生していたのを思い出します。

  いまや、観光片栗の花となって、あちこちの山の斜面で栽培されるようになり、
  ここに謳われている自然の姿の堅香子を見る機会は、よほど幸運に恵まれないと
  ありませんね。

  そうそう、奥武蔵に自生の片栗の花が咲いている山があり、それを愛でるために
  女性たちがよく登っているそうです。

  万葉の時代は、観光というより食用として栽培されていたかも知れませんね。
  栽培している観光片栗園の親爺さんに尋ねましたら、種から蒔くと花が咲くまで
  7年も掛かるそうです。根っこが深く全部掘り出すのは至難と解説にありますが、
  なるほどと頷けます。
  いずれにしても、こういう光景は、誠に結構なものですなあ。
  若い女性の匂いが香ってきそうです。 』

楽しい会話はまだまだ続きましたが、この辺で。

 「 かたくりの 若芽摘まむと はだら雪
          片岡野辺に  けふ児等ぞ見ゆ 」  若山牧水



  古代からカタクリ(片栗)は葉も花も球根も大切な食料とされてきました。
  若芽、若葉はおひたし、味噌、胡麻、胡桃、豆腐和え、三杯酢、
  さらに鱗茎(球根)は天麩羅にして食べると美味。

  鱗茎(りんけい)は片栗粉にし、薬用として風邪、下痢、湿疹、切傷にも効ありとされ
  古くから重用されてきましたが、現在は原料不足と手数が掛かるため、
  ジヤガイモからとったものが片栗粉と称して売られています。

  なお、ユリ科多年草のカタクリの古名は「堅香子(かたかご)」。
  「堅」は「片」の意で、種から成長する過程で、まず片葉が生じ、
  数年以上(7年とも)を要してようやく両方の葉がそろうことによります。

  また「香子(かご)」は「鹿の子」、すなわち、鹿の斑点のような葉を持つことに由来し、
  当初「カタハカノコ」とよばれていたものが「カタカゴ」に変化した。

  さらに花の形がユリに似ているところから「片子百合」(カタコユリ)になり、
  真中の「コユ」が「ク」につまって「カタクリ」になったそうな。(諸説あり)

「 恋ほしめる われをみちびき カタカゴの
           花を見せしむ 春の谷道  」   窪田 章一郎




      万葉集732 (カタクリ回想記)完


    次回の更新は4月19日(金)の予定です。

# by uqrx74fd | 2019-04-11 15:57 | 植物

万葉集その七百三十一 (令和)

(橿原神宮 神武天皇を祀る  奈良 )
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( 同上  巫女の神祀り )
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(伊勢神宮  天照大神を祀る )
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( 京都御所  紫宸殿 )
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(  同上 )
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( 高御座 :たかみくら 即位の礼で用いられる  平城京跡大極殿 奈良 )
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万葉集その七百三十一 (令和)

2019年4月1日 新元号「令和」が公表されました。
出典は万葉集巻5 梅花の歌32首の序文。
漢籍ではなく我国の古典文学に拠る初めての快挙です。
この序は次の文から始まります。

「 天平2年(730年)の正月の13日に 帥老(そちろう:大宰府長官大伴旅人)が宅(いへ)に
  集まりて宴会(うたげ)を申(の)ぶ。

  時に、初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぐ。

  梅は鏡前(きょうぜん)の紛(ふん)を披(ひら)く、
  蘭は珮後(はいご)の香を薫(くゆ)らす。― ― 以下略 )

 ( 天平2年正月13日、大宰府長官(帥老)大伴旅人の邸宅に集まって
   宴会をくりひろげた。

   おりしも、初春の佳き月で、気は清く澄みわたり
   風はやわらかにそよいでいる。

   梅は佳人の鏡前の白粉(おしろい)のように咲いており、
   蘭は貴人の香り袋のように匂っている。)

この一節「時に初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぐ。」の
中の文字「令和」から採られた新元号。

「令」は「清らかで美しい」、あるいは神のお告げ、さらに「令室」「令息」など
相手の人の「妻、兄弟姉妹」を尊ぶ言葉としても用いられています。

また、「和」は「平和」「調和」さらに大和(日本国)を表わす素晴らしい組み合わせです。

この序文は作者名が明記されていませんが歌会の主催者大伴旅人とする説が有力。
天皇を尊敬してやまぬ旅人さんも感激、感涙の極みでありましょう。

「日本暦日原典」(内田正男著)によると天平2年1月13日は陽暦の2月4日、
つまり、この日は立春であったそうです。

旅人は、この春立つ日を期して宴を開きましたが、主客合わせて総勢32名、
一人一首づつ詠み合うという、後の歌合せや俳諧連歌の先駆をなす我国文藝史上
画期的な歌会とされ、さらに都で流行の漢詩に対し「やまと言葉」で
詠われたことも特筆されます。

なお、序文に「蘭:らん」という漢語が出ていますが わが国では「らに」とよばれ、
現在の「春蘭:シュンラン」。奈良時代に蘭が存在していることを裏付ける
貴重な資料でもあります。

それでは32首のうちの3首を。

「 正月(むつき)立ち 春の来(きた)らば かくしこそ
      梅を招(を)きつつ 楽しき終(を)へめ 」
                巻5-815 紀卿(きのまへつきみ)

( 正月になり春がやってきたなら、毎年このように梅の花を迎えて
  楽しみのかぎりを尽くそうではないか )

冒頭の挨拶歌で立春をふまえてのもの。

「我が園に 梅の花散る ひさかたの
       天(あめ)より 雪の流れ来るかも 」  
                    巻5-822 大伴旅人

( 我らの園に梅の花がしきりに散る。
     これは遥かな天から雪が流れてくるのであろうか )

当時、雪は瑞祥、五穀豊穣のしるしとされていました。
幻想の世界を文学にした名歌です。

「万代(よろづよ)に 年は来経(きふ)とも  梅の花
      絶ゆることなく 咲きわたるべし  」 
                  巻5-830 佐氏子 首(さじのこ おびと)

( 万代ののちまで 春の往来(ゆきき)があろうとも
     この園の梅の花は絶えることなく咲き続けることであろう。)

新元号は天皇陛下の退位に伴い5月1日午前0時から切り替わり、
平成は1989年1月8日からの30年4か月で幕を閉じます。

来る年も「清らかで美しく、人々が暖かく心を寄せ合う国」でありますよう。

「 一つ松 幾代か経(へ)ぬる 吹く風の
      音の清きは 年深みかも 」 
                       巻6-1042 市原王 

( 一本松よ おまえは幾代もの長い歳月を経てきたのだろうなぁ。
      風が爽やかに吹き、こんなにも清らかな音を響かせているのは
      お前が逞しく生き抜いてきたことを寿いでいるようだ。)


      万葉集731(令和) 完



  次回の更新は4月12日(金)の予定です。

# by uqrx74fd | 2019-04-01 19:38 | 生活

万葉集その七百三十 (花は桜)

( 吉高大桜  千葉県印旛村 )
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( 京都御所御苑 )
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( 千鳥ケ淵  東京 )
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( 浜離宮庭園  東京 )
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万葉集その七百三十(花は桜)

山本健吉氏によると

  『 花といえば桜だが、その時期によって
    「初花、花、残花、余花」という季語がある。
    「初花」は3月、「花」は 4月上中旬、
    「残花」4月中下旬 「余花」5月。

「初花」とはその春に初めて咲く花のことであり、彼岸桜は早く咲くが
その土地々々によって、必ずしも品種を限定していう必要はない。
暖かい伊豆や房州は花が非常に早い。
花を待つ心が深いから「初花」を賞美することも深い。

「残花」は春も末の頃に咲き残った桜の花である。
八重桜は一重桜よりも遅いが、これも必ずしも八重と限ったことではない。
「遅桜」という言葉もあるが、「残花」のほうがもっと寂しい語感がある。

「余花」は初夏になって、やや寒いところや高い山などに、
遅れて咲いている桜の花である。

「残花」と「余花」の区別は、それこそ俳諧上の約束であって
その語感を微妙に感じ分けた結果である 』
                          (日本の名随筆 花 作品社 より )

万葉人はそのような言葉の区別など知る由も無く、蕾の状態を「ふふむ」
「初花」を咲き初(そ)める、満開を「今は盛り」「咲きにほふ」
そして、「散りゆく」と名残惜しそうに詠っています。

「我が背子が 古き垣内(かきつ)の 桜花
      いまだふふめり 一目見に来(こ)ね 」 
                        巻18-4078 大伴家持

( 懐かしい貴方がおられた元の屋敷の桜の花。
     その花はまだ蕾のままです。
     間もなく咲きますので、一目見にお出で下さい。)

越中国司 家持が以前同じ職場で仕事し現在は越前赴任中の大伴池主宛に
送ったもの。
二人は歌を通して生涯堅い絆で結ばれていました。

「 春雨に 争ひかねて わがやどの
     桜の花は 咲きそめにけり 」 
                        巻10-1869 作者未詳

        ( 我が家の庭の桜は、春雨に逆らいかねて
          ようやく咲き始めました。)

当時、春雨は開花をうながすものと考えられていました。
「咲き初め」とは美しい言葉、蕾から初花への段階です。

「 見渡せば 春日の野辺に 霞立ち 
        咲きにほへるは 桜花かも 」 
                    巻10―1872 作者未詳

       ( 春日野に霞が一面に立つ中、輝くばかりに色美しく咲く桜は今真っ盛りです)

山野一面の桜。
春霞が立ち、桜か霞か判別しがたい。
朧桜とでもいうような景色でしょうか。

「 桜花 時に過ぎねど見る人の
       恋の盛りと 今は散るらむ 」 
                     巻10-1855 作者未詳

        ( 桜の花は、まだ花の時節が過ぎ去ったわけでもないのに
          見る人が惜しんでくれる今が盛りだと思って一斉に散るのであろうか。)

満開の桜が野山を覆い、埋め尽くす。
ところが、ある時点になり、一陣の風が吹くと一斉に散り始めます。
桜はまるで今こそが散りどきと悟っているかのように。
流れるような花吹雪、まさに夢見心地の境地です。

  「 吉野山 こずえの花を 見し日より
           心は身にも そはずなりにき 」  西行 

 桜の魅力に浮かれ出て、心がさまよい行くさまを詠った名歌です
 
西行がこよなく愛した桜。
ところが万葉集に吉野の桜歌が一首も見えません。
当時、山桜の木があったことは間違いなく、「春に花咲く」の歌を
桜とみなすことは出来ますがそれにしても不思議なことです。

吉野の桜史を紐解いてみますと、今から1300年前、
当時の山々には神が宿るとされていました。
のちに修験道の開祖「役君行者」(えのきみ おづぬ)が山深く分け入り、
千日の難行苦行の果てに憤怒の形相も恐ろしい蔵王権現を感得。
そして、その尊像こそ濁世の民衆を救うものだとして桜の木に刻み、
それを山上ヶ岳と吉野山に祀ったと伝えられています。

以来、吉野の桜は御神木とされ、信仰の対象として献木という行為が
延々と続けられました。
それが積りに積もって今日の3万本、日本一の桜の名所に。
吉野の桜は「花見」の為ではなく、信仰の対象として植えられたのです。


     「 花吹雪 浴びてしづかに 昂奮し」   神田敏子


         万葉集730(花は桜)完

     

      次回の更新は4月6日(金)の予定です。

# by uqrx74fd | 2019-03-28 15:39 | 植物

万葉集その七百二十九 (若返り)

( 養老の滝  岐阜県 )
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( 養老渓谷  千葉県 )
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( 薬井戸のご神水  狭井神社:三輪山登山口があり大神神社の摂社 奈良)
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( お水取りはお松明とも。元々は修行僧を先導するためのものだった。 奈良二月堂
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万葉集その七百二十九(若返り)

年を経ると共に老いを感じる日々。
目じりにしわが目立ち、皮膚はたるみ運動神経は衰え、呆けはじめる。
「あぁ!若返りたい」と思うのは今も昔も同じ。
万葉人は「若返り」のことを「変若(をつ)」と云っていました。

そして満ちては欠け、欠けては満つる月を見てその命が永遠のものであり、
そこには若返りの水、すなわち変若水(をちみず)が存在すると信じていたのです。
然しながら、月は余りにも遠くそれを得ることは不可能。
そこで、身近に手に入れることができる場所を各地に求め、
その結果「養老の滝」や「お水取り」など数々の聖水伝説が生まれました。

「 我妹子(わぎもこ)は 常世の国に 住みけらし
      昔見しより 若変(をち)ましにけり 」
                                巻4-650 大伴三依(みより)

( あなたは不老不死の理想郷である仙人の世界に住んでおられたのでしょうね。
  昔お目にかかった時よりずっと若返られましたよ )

大宰府勤務の作者が都に転任となり、旧知の大伴坂上郎女に
挨拶に出かけた時の歌。
天平を代表する美女、郎女も大げさな褒め言葉とは感じながら,
悪い気はしなかったことでしょう。
今でも「いつもお若いですね」と挨拶されると嬉しいことです。

次の歌は宴席での掛け合い。
ある男が心憎からず思っている娘子を口説いたところ、娘は

「 我がたもと まかむと思はむ ますらをは
       をち水求め 白髪(しらか)生ひにたり 」 
                         巻4-627 娘子(をとめ)

〈  私の腕(かいな)を枕に寝たいと思っておられる丈夫(ますらお)さま。
   若返りの水でもお探しにいかれたらいかが?
   御髪(おみぐし)が白くなっておりますよ 。〉

すかさず男が応える。


「 白髪生ふる ことは思わず をち水は
      かにもかくにも 求めて行(ゆ)かむ 」 
                       巻4-628 佐伯赤麻呂

〈 丈夫(ますらお)たるもの、白髪が生えていることなど何とも思っていませんが
  折角のお奨めですから、若返りの水を探しに行ってまいりましょう。
  でも、首尾よく見付けたら、そのときはあなたの腕(腕)を枕にして
  寝てもよいでしょうなぁ。〉

「をとめ」という言葉は「をつ(変若)」と「女(め)」からなる語で
「をつめ」が訛ったものとされています。
また、「をとめ」の漢字表記は「未通女」が多く、未婚のうら若い処女をいう
そうですが、万葉人もなかなか乙なことをやりますなぁ。

「 朝露の 消やすき我(あ)が身 老いぬとも
        またをちかへり 君をし待たむ 」 
                      巻11-2689 作者未詳

( 朝露のように 今にも消え入りそうな我が身。
そんな私の命ですが、どんなに老いさらばえようとも
また若返ってあなたをお待ちいたしましょう。)

男が急に心変わりして別れたいと云い出した。
いくら引きとめても良い返事がない。
ついに諦め、別れ際に泣く泣く詠う健気な女性です。

「 いにしへゆ 人の言ひける 老人(おいひと)の
        若変(をつ)といふ水ぞ  名に負ふ瀧の瀬 」  
                         巻6-1034 大伴東人(あづまひと)

( これが遠い昔から「老いた人を若返えらせる」と言い伝えられている聖水ですぞ。
 さすがに名にそむかぬ清々しい滝の瀬であることよ!)

740年、聖武天皇が美濃の国(現岐阜県)に行幸された時、お供した作者が
この地に伝わる美泉と養老の滝にまつわる故事を踏まえて詠ったものです。

その昔、この地に住む木こりが山奥で酒の匂いがする水を見つけた。
早速、家に持ち帰って老いた父親に飲ませたところ、
なんと! 白かった頭髪が黒くなり、顔つやも若々しくなった。
その話を聞いた元正天皇は、早速当地を訪れて水を浴びたところ、伝説通り
肌が滑らかになり、痛むところも直ったので大いに喜ばれ、勅を発して
元号を「養老」と改めたそうな。(717年)

若水を汲むのは元々立春の行事でした。
平安時代、霊水を管理する主水司(いもとりのつかさ)が前もって封じておいた
井戸から水を汲んで天皇の朝餉(あさげ)に奉っていましたが、次第に朝儀が廃れ、
元旦に汲む習慣に変わって民間に浸透していったようです。

「若水」という言葉には、邪気を払うと同時に、不老長寿への期待も
込められているのでしょう。

奈良のお水取りも3月14日に終わり、いよいよ春到来です。

「 如月(きさらぎ)を 奈良いにしへの 御ほとけに
          浄(きよ)き閼伽井(あかい)を  汲む夜にぞあふ 」 中村憲吉

           閼伽井:聖なる井戸に湧く聖水
ご参考

「 お水取り 」について

「 お水取りは東大寺二月堂で行われる仏教行事で、正式には修二会(しゅにえ)といい、
  目的は、仏の前で罪過を懺悔すること(悔過:けか)。
  心身を清めた僧11人(練行衆:れんぎょうしゅう)が十一面観音の前で宝号を唱え、
  荒行によって懺悔し、あわせて天下安穏などを祈願する。

  天平勝宝4年(752)に始まり今年(2019)で1268回、天災や戦火に見舞われたにも
  かかわらず1度も中断されたことがないので、「不退の行法」とよばれる。

  現在3月1日から14日間にわたっておこなわれ、
  3月13日の午前2時を期して、二月堂のほとりの良弁杉の下にある
  閼伽井屋(あかいや)のお香水を汲み取り、本堂に運ぶ儀式が行われる。

  この夜、井戸の中には遠く若狭の国から地下水道を抜けて送られた聖水が
  湛えられていると信じられており、この水を1年間の仏事に供するため
  壺に汲み取っておくのである。

  籠りの僧が大松明を振りかざしつつ石段を駆けのぼり、二月堂の回廊に
  これを打ち据える行は壮観で、庇(ひさし)を焦がさんばかりの炎から堂下の
  群衆に火の粉が舞い散り、浴びると無病息災で過ごせると信じられている。

  なお、若狭国から聖水が送られる由来は、昔、遠敷(おこう)という
  若狭の神様が魚を採っていて、二月堂の参集に遅れたお詫びとして、
  二月堂のほとりに清水を湧き出させ、観音様に奉ったとの言い伝えによる。 

  お水取りが済むと、奈良の春が本格的に到来すると云われている。 」

    「 飛ぶ如き 走りの行も お水取 」  粟津松彩子


           万葉集729(若返り) 完


        次回の更新は3月29日(金)の予定です。

# by uqrx74fd | 2019-03-21 17:46 | 生活