万葉集その六百八十九 (入梅)

( 傘さす子供   春日大社  奈良 )
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( 卯の花  歌の世界では 「卯の花腐:くた)し」 と詠われる   奈良万葉植物園)
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( フサフジウツギ  ウツギは卯の花の現代名  小石川東大植物園 )
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(  6月に咲いたカワラナデシコ   奈良明日香 ) 
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( 雨の露草  法華寺  奈良 )
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   万葉集その六百八十九 (入梅)

暦の上での入梅は立春から135日目。
梅の実が熟する頃です。
通常6月11,12日あたりから始まる約30日の長雨と予測されていますが、
今年は6月6日に近畿、東海、関東甲信越が梅雨の入り。

「梅の雨」という言葉は室町時代の本に見える(倉嶋 厚:季節しみじみ事典)そうですが、
歌語としてよく使われるようになったのは江戸時代。

   「 降る音や 耳も酸(す)ふなる 梅の雨 」  芭蕉

( 梅雨時の連日の雨音は、いいかげんに聞き飽きて、
  耳も酸っぱくなる感じである。
  「酸っぱいのも道理、梅の雨だもの。」
   という洒落 )

が早い例とされていますが、万葉時代この季節の雨は「卯の花腐(くた)し」と
詠われました。

「 卯の花を腐(くた)す長雨(ながめ)の 水始(みずはな)に
    寄る木屑(こつみ)なす 寄らむ子もがも」 
                                19―4217 大伴家持

( 卯の花を痛める長雨で水かさが多くなった川、その流れの先に木の屑が
  いっぱい集まっています。
  このような木屑のように私のところに美しい女性が
  集まってくれたらいいのになぁ。)

    水始(みずはな):  「はなみず」とも読み水量の増した流れの先端のこと。
                 ここでの「腐(くた)す」は「腐らす」ではなく「散らす」「だめにする」
                 の意です。

万葉人にとって、この時期の長雨は卯の花だけではなく、
撫子、花橘も散らし、ホトトギスを山にとどめておく恨めしい雨でした。

「 かくばかり 雨の降らくに ほととぎす
      卯の花山に なほか鳴くらむ 」  
                     巻10-1963 作者未詳

( こんなに雨が降っているのに、 ホトトギスは卯の花の咲く山辺で
 今もなお鳴きたてているのであろうか )

「 ホトトギスよ!
お前がいくら卯の花を好むかといっても、こんな雨が降る中、
いつまでも山の中にこもって鳴きたてていなくてもよいだろう。
早く里に下りてきて、ここで鳴いておくれよ 。」

と初音を待ちわびる作者です。

「 見わたせば 向ひの野辺の なでしこの
           散らまく惜しも 雨な降りそね  」
                  巻10-1970 作者未詳

( 見わたすと ま向かいの野辺に美しく咲いている。
  雨よ 降らないでくれ。
  こんな美しい花を散らすのが惜しいんだよ。)

撫子は花期が早く6~7月から咲き出します。
桔梗も然り。
秋の7草が一堂に会することは、もはや無理かもしれません。

「 雨間(あめま)明けて 国見もせむを 故郷の
       花橘は 散りにけむかも 」  
                         巻10-1971  作者未詳

( 雨の晴れ間を待って山野を眺めたいと思っているのに
 故郷の橘の花は 雨に打たれてもう散ってしまったことであろうか )

作者は旅に出て帰郷する途中のようです。
はるか彼方の故郷の方角を眺めながら、「懐かしい花橘よ、散らずに待っていておくれ。」
と願う作者。

「 卯の花腐(くた)し」は平安時代になると「五月雨」(さみだれ)と共に
詠われるようになります。

「 いとどしく 賤(しづ)の庵(いほり)の いぶせきに
       卯の花腐し  五月雨(さみだれ)ぞする 」 
                            藤原 基俊(もととし)

( ただでさえ鬱陶しいわび住いの庵なのに、五月雨が降り続き
  卯も花を傷めつけていることよ 。)

梅雨時の憂鬱を表現するため、花を次第に弱らせていく「卯の花腐し」と
「五月雨」をかさねあわせたもの。

「 五月雨に 物思ひおれば 時鳥
    夜深く鳴きて  何地(いづち)ゆくらむ 」 
                        紀友則 古今和歌集

( 五月雨の季節です。
物思いにふけってじっとしていると、ホトトギスの声が聞こえる。
こんなに夜更けに鳴いていったい何処へいくのであろうか。)

千々に思い乱れている恋する人。
「さ乱れ」と「五月雨(さみだれ)」 を掛けた技巧の歌です。

そして江戸時代にやっと梅雨が登場します。

 「 筍の 合羽(かっぱ)着て出る 入梅(ついり)かな 」 支考

筍(たけのこ)の皮を合羽に見立てた洒落。
この時期は筍がにょきにょきと伸びる季節です。

 「 五月雨を 集めてはやし 最上川 」  芭蕉

梅雨の語源は多湿を意味する「つゆ」とされ、湿っぽく感じますが、
五月雨の語感は強く爽やか。

そして現在。

「梅雨」は主に時候,雨期を、「卯の花腐し」「五月雨」は共に
雨そのものを詠うという繊細な表現がなされています。

以下はそれぞれの使用例です。

「 谷川に 卯の花腐し ほとばしる 」 高濱虚子

「 五月雨(さみだれ)は 今ふりやみて 青草の
      遠(とほ)の大野を 雲歩みゆく 」  太田水穂

「 これよりの 梅雨の憂き日の 一日目 」  稲畑汀子



       万葉集689 (入梅) 完


      次回の更新は6月22日(金)の予定です。
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# by uqrx74fd | 2018-06-14 17:50 | 自然

万葉集その六百八十八 (夏の白い花)

( 橘の花  山の辺の道  奈良 )
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( 紫草  東京都薬用植物園 )
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( ニワトコ: 古代名 山たづ  東大小石川植物園 )
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( エゴの木  古代名 山ぢさ   同上 )
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( シロバナヤエウツギ  古代名 卯の花  同上 )
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  万葉集その六百八十八 (夏の白い花)

藤、躑躅、牡丹、芍薬が過ぎ、今は花菖蒲、紫陽花、紅花、薔薇の季節。
山百合の蕾もふくらんできました。
野山を色とりどりに染める中、白い花々がひっそりと咲いているのも心洗われ、
清々しい気持ちにさせてくれます。

「 わがやどの 花橘を ほととぎす 
        来鳴き響(とよ)めて 本(もと)に散らしつ 」 
                                 巻8-1493  大伴村上

( 我家の庭の橘の花、美しく咲くその花を
     ホトトギスがやってきて鳴きたて、根元に散らしてしまった。)

作者は家持と古くから交流があったようですが、一族の系統は未詳。

橘は近畿地方以西の暖かい海岸線に近い山地に生育するミカン科の常緑高木で、
古くは蜜柑類の総称とされていました。
6月頃、5弁の白い花を咲かせ、秋には黄色の美しい実を付けますが、
古代の橘は我国固有のニホンタチバナと推定され、酸味が強くて食べられなかったので、
もっぱら観賞用として植栽されていたようです。

白い花、黄金色の実、常緑の葉。
橘は永遠の繁栄を人の世にもたらすものとして珍重され
「常世花」(とこよばな)ともよばれていました。

   「 駿河路や 花橘も 茶の匂ひ 」  芭蕉

次は根が赤く紫色の染料になるのでその名がある紫、
花は小さな小さな白色です。

「 韓人(からひと)の 衣(ころも)染むとふ 紫の
                  心に染みて 思ほゆるかも 」 
                   巻4-569 麻田陽春(あさだ やす)


( 韓人が衣を染めるという紫の色が染みつくように
 紫の衣を召されたお姿が私の心に染みついて
 あなた様のことばかり思われてなりません。)

730年、大宰府長官、大伴旅人が大納言に任ぜられ都に栄転することに
なった折の送別の宴での1首。
作者は旅人が高貴な身分に許される紫染めの衣を着用していたので、昇進のお祝いと
尊敬をこめて詠ったものと思われます。

紫草はムラサキ科の多年草で日当たりのよい草地に自生し、
初夏に五弁の白い花を咲かせます。
根が赤紫色をしているのでその名がありますが、古代から紫染めの重要な染料とされ
また乾燥させて皮膚病、解熱、火傷、などの薬用にも用いられていました。

古代の人の憧れであった紫草の栽培は19世紀中頃、石炭の副産物コールタールの
成分から誕生した化学染料の普及により急速に衰退し今や絶滅の危機に瀕しています。

次は「ニワトコ」(古代名 山たず)

ニワトコはスイカズラ科の落葉低木で、まだ寒さ厳しい2月、
多くの木々が冬籠りをしている最中(さなか)に緑も鮮やかな新芽を出し、
「もうそろそろ春だよ」と告げてくれる目出度い木です。
本州、四国、九州の山野に自生し、早春、暖かくなるとブロッコリーのような
蕾から淡いクリーム色の五弁の小花を房状に咲かせ、夏から秋にかけて
美しい赤色の球形の実をつけます。

「 君が行(ゆ)き 日(け)長くなりぬ 山たづの
     迎へを行(ゆ)かむ 待つには待たじ 」 
                            巻2-90 衣通王(そとほりの おほきみ)

( 恋しいあの方との別離以来、随分長い日にちが経ちました。
  もうこれ以上待てません。 
  今すぐにでもお迎えに上がりたいのです。)

この歌の題詞に
「古事記に曰く軽太子(かるのひつぎのみこ)、軽太郎女(かるのおほいらつめ)に姧(たは)く。
この故にその太子を伊予の湯に流す。
この時に衣通王(そとほりのおほきみ)恋慕(しのひ)に堪(あ)へずして
追ひ往(ゆ)く時に、歌ひて曰く」  とあります。

軽太子は 第19代允恭天皇の皇子 木梨軽皇子
軽太郎女(かるの おおいらつめ)は 皇子の同母妹で体が光り輝き
衣を通すほど美しかったので衣通王(そとほりのおほきみ)ともよばれていました。

その二人が「同母兄妹の結婚は厳禁」という掟を破ったので皇子は伊予に
流されたのです。
流罪が何時解けるか分からない皇子。
禁忌の恋といえども燃えさかった炎は簡単に消えそうにありません。
衣通姫はついに伊予まで行き皇子に逢おうとしているようです。

逢ったところでまた引き離されるだけなのに- -。

せめて異母兄妹であったなら許されもしたことでしょう。
このような悲恋が起きたのは兄妹別々に育てられたせいかも知れません。

なお、この歌は古事記、日本書紀の話を形を変えて転載されたもの。

「ニワトコ」という名前の由来は古事記の
「山たづといふは、今の造木(みやっこぎ)をいふ」の記述に由来し、
「ミヤッコギ」が「ミヤッコ」→「ミヤトコ」→「ニヤトコ」→「ニワトコ」に
転訛したものと推定されています。

  「 えごの花 一点白し  流れゆく 」 山口青邨

次はエゴの木、果皮にエグ味があるのでその名があり、
   古代「チサ」とよばれていました。

「 息の緒に 思へる我れを 山ぢさの
    花にか君が うつろひぬらむ 」 
                        巻7-1360 作者未詳

( 命がけで思っている私なのに あなたは山ぢさの花のよう。
  もう気持が変わったの? )

エゴノキの花は美しい純白。
然しながら盛りは短く、すぐに茶色に変色して萎んでしまう。
花のうつろいやすさにかけて男の心変わりを嘆いている可憐な乙女です。

「息の緒」とは、「苦しさのあまり死を思う状況の中で、僅かな生を意識した時に
用いられ、命の極限状態をあらわす言葉(伊藤博)」です。

「エゴノキ」は小川のほとりなどに多く自生しているエゴノキ科の落葉高木。
初夏になると小枝の先に5弁の白い花が塊になって下向きに咲き、花後、
ラグビーボールのような形をした小さい緑色の果実が無数に実り、熟すと
果皮がさけて褐色の堅い卵形の種子が落下します。

昔はその種から油をとり洗濯に使っていたので石鹸の木とも。
実が固く、遺跡が発掘されると良く出てくるそうです。
この果実や葉をすりつぶして採った樹液を川に流して
魚を獲る方法があり(現在は禁止)魚がふらふらになって浮かんでくるそうな。

最後に「夏は来ぬ」と歌われている卯の花。

「 卯の花の 咲く月立ちぬ ほととぎす
     来鳴き響(とよ)めよ  ふふみたりとも 」 
                            巻18-4066 大伴家持

( 卯の花咲く4月がついに来た。
     ホトトギスよ来て鳴きたてておくれ。
     花はまだ蕾のままであろうとも。)

月立ちぬ : 卯の花が咲く月がやってきた 
         ここでの4月は旧暦、現在の5月中旬
ふふみたりとも:「含む(ふふむ)」蕾のままの意

北は北海道か南は九州まで自生する卯の花。
今は空木(ウツギ)とよばれている落葉低木です。
木の中が空洞であるためその名があるといわれていますが、
材質が固いので古くから木釘や杖、槌などに加工されました。

折口信夫氏は
「 この花はその年の稲の豊凶を占う花で、山野に長く咲く年は豊作、
  長雨続きで花が少ないか、あるいは早く散るときは凶作と信じられた」(花と民俗)

と述べておられますが、卯の花の蕾が米に似ているからなのでしょうか。

「 卯の花の 匂う垣根に   
  ほととぎす 早も来鳴きて
  忍音もらす  夏は来ぬ    」  

                 「 夏は来ぬ より 佐々木信綱作詞 小山作之助作曲」



     万葉集688(夏の白い花) 完


     次回の更新は6月15日(金)の予定です。
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# by uqrx74fd | 2018-06-07 16:49 | 植物

万葉集その六百八十七 (花かつみ)

( 花かつみ  現代名 ノハナショウブ  奈良万葉植物園 )
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( 花ショウブ   潮来 )
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(  同上 )
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(  花ショウブの別名は早乙女花  花言葉は 優雅  潮来 )
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    万葉集その六百八十七(花かつみ)

花かつみはアヤメ科の多年草、ノハナショウブの古名で、
現在いたるところでみられる花ショウブの原種とされています。(諸説あり)

日当たりの良い草原や湿原に生え、紫の花弁の基部に黄色い模様、葉は剣形。
華麗な花が多いアヤメ科の中にあって飾り気なく、すらりと立つ姿に気品があり、
心惹かれる花の一つです。

ところが万葉集ではたった1首。
菖蒲(しょうぶ)12首、杜若7首も詠われているのにどうしたことか?

当時、何の花かよく知られていなかった、あるいはカキツバタと
混同されていたのかもしれません。

「 をみなへし 佐紀沢(さきさは)に生ふる 花かつみ
                 かっても知らぬ  恋もするかも 」 
                         巻4-675 中臣郎女

( おみなえしが咲くという佐紀沢に生い茂る花かつみではないが
 かって味わったこともない切ない恋をしてしまったことです。)

作者は伝未詳。
大伴家持に恋した歌5首の中の1。

「花かつみ」の季節にはじまった家持への思慕。
それは今まで経験したことがない激しい恋。
でもその気持ちは相手には伝わっていない。
私だけの心に秘めていつまでも慕い続けましょうと詠う純情な乙女です。

をみなえし:佐紀沢の枕詞 : 
       おみなえしが「咲く」と佐紀(さき)の同音に掛けた。

佐紀沢:  奈良平城京北辺にある水上池周辺の湿地帯
      大伴家が住む佐保に近く、貴公子家持の姿を見て憧れていた?

花かつみ : 花ショウブの原種、ノハナショウブ。 
         他に真菰(マコモ)、アシ、カタバミ説もあるが恋の歌には
         ノハナショウブが相応しい。

  「かつみ」と「かって」の同音を掛けている。

「 みちのくの あさかの沼の 花かつみ
        かつ見る人に 恋ひやわたらん 」 
                         よみ人しらず  古今和歌集

( 陸奥の安積の沼の 花かつみではないが
 一方で既に夫婦同然の関係なのに、他方では人の噂を慮(おもんばか)って
 自分の気持ちが他人に知られないよう心の奥底に秘めている日々。
 あぁ、これからもずっとこのような状態が続くのか。
 切ない切ない私の恋よ。)

     あさか(安積): 福島県安積郡日和田町

     「みちのくの あさかの沼の 花かつみ」: ここまでが「かつ」を導く序。

     「かつ」: 一方で。  「かつ消えかつ結びて」などと使われる

     「わたる」:継続、ここでは 「恋し続ける」

身も心も既に一体の関係。
晴れて結婚したい、堂々と人目はばからずに一緒に歩きたい。
でも、それは叶わぬ夢。
嘆きながらも半ば諦めの気持ちの作者。

二人の関係は不倫の恋、何らかの事情による周囲の反対、
あるいは聖職による禁断の恋なのでしょうか。


以下は2018年5月24日付、読売新聞「暦めくり」からです。
                      ( 編集委員 斎藤雄介氏 )

『 万葉集に「花かつみ」という謎の花がでてくる。
  その正体をめぐって、江戸時代から議論になってきた。

  「おくのほそ道」で福島の安積山(あさかやま)あたりにたどりついた芭蕉は
  「どの草が花かつみか」と地方の人に聞いてまわった。

   歌の世界では、花かつみは安積山の沼に生えているとされていたからである。
   安積山のふもとにあったという大きな沼で、芭蕉のころには
   田んぼになっていたという。

   でも、だれも花かつみを知らない。
   「かつみ、かつみ」と尋ね歩いて、日が暮れてしまった。

   幻の花、花かつみ。
   芭蕉もわからなかったその正体は、マコモであるというのが今の定説と
   なっている。
   しかしマコモの花は地味で、幻の花というほどの美しさがない。

   ノハナショウブこそ花かつみだという説もある。
   わたしは、こちらを信じたいと思う。
   芭蕉のあこがれにふさわしい花である 』   (以下省略)

       「 堀切や 菖蒲花咲く 百姓家 」  正岡子規

花ショウブは江戸時代、大々的に品種改良がなされ、その数二千以上に
達したといわれています。
江戸,肥後、伊勢系などいくつかの系統があり、その華やかさを競い合いながら
多くの人々を楽しませてきました。

湿地でも乾燥地でも栽培出来、花も大きく色も紅紫、紫、白、淡紅など様々。
模様も変化に富み、今日の菖蒲園で一番多く見られる品種です。


     「 はなびらの 垂れて静かや 花菖蒲 」    高濱虚子




             万葉集687( 花かつみ )  完


             次回の更新は6月8日(金)の予定です。
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# by uqrx74fd | 2018-05-31 17:30 | 植物

万葉集その六百八十六 (ちはやぶる)

( ちはやぶるは神に関係ある言葉  大神神社  奈良
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( 大神神社の巫女 )
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( 紅葉の名所 龍田川   奈良 ) 
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(  映画 ちはやふる  広瀬すず主演のポスター )
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万葉集その六百八十六 (ちはやぶる)

「ちはやぶる」は「いちはやぶる」の略とされ、いにしへの昔の言葉です。

その原義は「「いちはや」は「逸早や」で最速、最強。
「ぶる」は「荒ぶる」「大人ぶる」と同じく「さま(様)」の意。
したがって「ちはやぶる」は
「畏怖すべき霊力、活力に満ち、凶暴で荒々しいさま」のことで、
主に神や神社のある地名にかかる枕詞として使われ
「ちはやふる」と清音でいわれることもあります。

古代、神は山、川、海、坂、道などを領有する自然界の支配者であり、
また、熊、龍、虎、狼、蛇などにも神霊が宿り、怒らせると猛威を振るう
恐ろしい存在と考えられていました。
人々はその怒りを鎮めるために住む地区ごと、道の岐路、坂の上などに
神社や祠(ほこら)を設け、供え物をして祈ったのです。

やがて時代を経ると神には恐ろしい「荒魂:あらたま」ばかりではなく
敬虔に祈ると願い事をかなえてくれる「和魂:にぎたま」をも持つ
存在として崇めることになり現在に至っています。

万葉集での「ちはやぶる」は16例。
うち12例が神や神に関する枕詞として用いられています。

次の4首は道ならぬ恋をしてしまった男女の嘆きの歌です。

「 夜(よ)並べて 君を来ませと ちはやぶる
     神の社を 祷(の)まぬ日はなし 」  
                      巻11-2660 作者未詳(女)

( 毎晩続けて、あなたどうかいらして下さいと霊験あらたかな神の社に
 祈らぬ日など1日もありません。)

     祷の)む: 祈祷する


「 霊(たま)ぢはふ 神も我れをば 打棄(うつ)てこそ
      しえや命の 惜しけくもなし 」 
                     巻11-2661 作者未詳(女)

     ( 霊験あらたかなる神様、 今はもうこの私を見捨ててくださいまし。
       ええい!もうこんな命など惜しくありません 。)

       霊(たま)ぢはふ :神の枕詞 ちはやぶるよりも神の内面に目を向けた表現
       しえや: ええい、もう 
                赤塚不二夫の漫画「おそまつ君」の決め言葉「シエー」の原語

「 我妹子(わぎもこ)に またも逢はむと ちはやぶる
        神の社に 祷(の)まぬ日はなし 」 
                           巻11-2662 作者未詳(男)

   (いとしいあの子にもう一度逢わせて下さいと、霊験あらたかな
    神の社に祈らぬ日など1日もない。)

「  ちはやぶる 神の斎垣(いかき)も 越えぬべし
     今は我が名の 惜しけくもなし 」 
                           巻11-2663 作者未詳

      ( 霊験あらたかなる神の社の玉垣さえも越えてしまいそうだ。
        今となってはもう私の名前なんかちっとも惜しくない。)

       斎垣(いかき)は神域の周囲の垣根でこれを越えることは禁忌。
       当時、名を捨てることは命を絶つほど重要なこととされていました。

どうやら男は人妻に恋し、女も男に惚れてしまったようです。
結末がどうなったのか、続く歌がないので分かりませんが、
二人とも神の祟りをも恐れぬ決意をしている様子から結ばれたか?

「ちはやぶる」といえば今も昔も業平,百人一首で大人気の歌。

「 ちはやぶる 神代もきかず竜田川
           からくれなゐに  水くくるとは 」        
                           在原業平 古今和歌集、百人一首

( 神代にもまったく聞いたことがない不思議さであるよ。
      この竜田川にもみじが散り敷いて、水を真っ赤にくくり染めにするとは。)

詞書に「屏風の絵を題にしてよめる」とあるので実景を前にして
詠ったものではありませんが、創造主が川全体を美しい模様に
しているというスケールが大きい歌です。

      竜田川: 奈良県生駒郡を流れる川で古くから紅葉の名所
            川のほとりに竜田神社があり風の神が祀られている
            その神が紅葉を吹き散らされたのであろうかの意がこもる

         からくれない: 韓(から)の国から渡来した紅の意で鮮紅色
         水くくる: くくり染めの意。
                    布地のところどころを糸で括(くく)って染め残し作る
                     「しぼり染め」とよばれる染色法。
                      ここでは紅葉が川一面におおって流れるのではなく
                     一群一団に流れている様子をくくり染めのようだと詠っている。

最後に、この歌をもじった古典落語「千早振る」の一席をどうぞ。

岩田という物知り隠居がおり先生とよばれていた。
ある日、茶を飲んでいると、なじみの八五郎がたずねてくる。
なんでも、娘に小倉百人一首の
「 ちはやふる 神代もきかず竜田川 からくれないに 水くくるとは 」
の意味を聞かれて答えられなかったので隠居に教えを請いにきたという。

隠居もこの意味を知らなかったが、知らぬと言うのも沽券に係わると思い
即興で次のような解釈を披露する。

「 江戸時代人気大関の「竜田川」が吉原へ遊びに行った。
  その際「千早」という花魁にひとめぼれした。

  ところが千早は力士が嫌いであったため竜田川は振られてしまう。(千早振る)
  振られた竜田川は、それではと妹分の「神代」に云い寄るが、こちらも
  「姐さんが嫌なものは、わきちも嫌いでありんす」という事を聞かない。
   ( 神代も聞かず竜田川)

   そのことから成績不振になった竜田川は力士を廃業し、実家に戻って
   家業の豆腐屋を継いだ。

   それから数年後、竜田川の店に一人の女乞食が訪れ、
   「おからを分けてくれ」と物乞いをした。
   「よしよしわかった」と竜田川がその女をよく見ると、
   なんと零落した千早大夫のなれの果てではないか。

   激怒した竜田川は、おからを放りだし千早を思い切り突き飛ばした。
   千早は井戸のそばに倒れ込み、こうなったのも自分が悪いと
   井戸に飛び込み入水自殺を遂げた。」

   「おからくれない」(からくれない) に「入水」( 水くぐる )

それを聞いた八五郎は

   「 大関とあろうものが、失恋したくらいで廃業しますか 」
   「 いくらなんでも天下の花魁が乞食までおちぶれますか 」

など隠居の解説に首をひねったが、隠居はなんとかごまかして
八五郎を納得させた。

やれやれと思ったところ八五郎は
「 ちはやふる 神代もきかず竜田川 からくれなゐに  水くくる 」 
までは分かりましたが最後の「とは」って何ですか?と突っ込んだ。

隠居はとっさの機転で
『 千早は源氏名で、彼女の本名は「とわ」だった 』  

初代、桂文治作といわれている「千早振る」(別題 百人一首)の一席でした。

「 ちはやぶる 神代もきかぬ ご趣向を
            よく詠みえたり   在五中将 」 蜀山人

                  在五中将:在原業平(阿保親王の第五子)

辛口で知られる太田蜀山人も手放しで褒めた業平の「ちはやぶる」。

今や漫画や青春映画「ちはやふる」(学生のかるた俱楽部の物語)など大人気。
この言葉が1300年前に生れていることを知ったら若者たちは
さぞ驚くことでしょう。

 「 ちはやぶる 春日の野辺に こきまぜて
          花ともみゆる 都人かな 」 
                  凡河内躬恒(おおしこうちの みつね)



       万葉集686 (ちはやぶる)完

     次回の更新は6月1日(金)の予定です。
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# by uqrx74fd | 2018-05-24 15:56 | 心象

万葉集その六百八十五  (みどり児)

( 筆者1歳のころ  むかしは3歳までをみどり児といった )
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( 奈良時代の中流官吏の子供  奈良万葉文化館 )
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( 左 甘えっ子 岩崎ひひろ風  右 叱られて  作 筆者 )
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( みんなで渡ろう   六義園 東京 )
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万葉集その六百八拾四 (みどり児)

「みどり児」(みどりこ)は生まれたばかりの赤ちゃんや3歳くらいまでの
幼児をいいます。
「みどり」という言葉は本来、
「木々の新芽のように瑞々しく生命力に溢れている」の意とされ、
「瑞々」の「みず」から「みどり」に転訛し、後に色名になったものです。

702年施行の大宝律令に「男女を問わず3歳以下を緑となす」また
戸籍帖にも「緑児」「緑女」とあり、1300年も前からの由緒ある「みどり児」。

現在は「嬰児」と書かれることが多く末尾は濁音で「みどりご」と訓みます。

「嬰」という字は「貝の首飾りをつけた女の子」とする会意文字説と
「えんえんと泣く赤ん坊の泣き声」をあらわす「嚶:えい:なき声」と
同系の擬声語(漢字源)とする説があり、どちらとも定まっておりません。

 万葉集では9首登場していますが、まずは面白歌から。

「 みどり子の ためこそ乳母(おも)は 求むと言え
             乳(ち)飲めや君が  乳母(おも)求むらむ 」 
                        巻12-2925 作者未詳

(  乳母は赤子のためにこそ探し求めるものと云います。
  それなのにあなたはいい年をして私の様な乳母を求めるのですか。)

女が年下の男から求婚され、はねつけた歌のようです。
「 いい年をして私のお乳が欲しいの? 赤子でもないのに。」
からかいながらやんわりと拒絶。
自身を婆さんに見立てて相手を思いやっているユーモアたっぷりの一首です。

「 我が背子に 恋ふとにあらし みどり子の
      夜泣きをしつつ  寐寝(いね)かてなくは 」
                               巻12-2942 作者未詳


( いとしいあなたに心から恋焦がれてしまったみたい。
 まるで赤子のように夜泣きしながら、眠ろうにも眠れずにいる私 。)

好きになってしまった男の面影を目に浮かべながら夜ごとに
忍び音をもらす可愛い女。
ところが相手は「口先ばかり」のいい加減な男だったようです。
「 あぁ、口惜しい、長生きをしてとっちめてやりたい」
と後の歌にありますが、それでも憎みきれないいじらしい女心。

「 時はしも いつもあらむを 心痛く 
      い行く我妹(わぎも)か  みどり子を置きて 」
                       巻3-467  大伴家持

( 死ぬときはいつだってあろうに、よりによって今の今、
 私の心を痛ませて なぜ逝ってしまうのか。
 可愛いい幼子をあとに残して。)

736年ころ16歳の家持は「妾(しよう)」のもとに通っており、
二人の間に3歳ばかりの女の子がいました。
「妾」とは正妻に次ぐ妻の一人で当時の社会では公に認められた慣習ですが
この女性がいかなる人かは不明。

それにしても家持さん16歳にして子持ちとは驚き。

なお、この「おさな児」は後に美しい女性に成長し藤原家に嫁しています。

「 銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに
       勝れる宝 子に及(しか)めやも 」 
                              巻5-803  山上憶良

子に対する愛情を詠い今なお多くの人の胸を打つ名歌ですが、
現代の歌人も負けず劣らず切々たる心情を述べています。

「 あるときは 寝入らむとする 乳呑児の
     眼ひき鼻ひき  たはむれあそぶ 」            若山牧水


「 神の恵み 深く尊く授かりし
             子ゆえに親は  いのちのぶらく 」     伊藤左千夫

             いのち のぶらく : 命がのびるのだろう

「 神の手を いまだ離れぬ 幼児(おさなご)は
          うべも尊く 世に染まずけり 」         伊藤左千夫

「 幼児が 母に甘ゆる 笑み面(おも)の
         吾(あ)をも笑まして 言(こと)忘らすも 」      島木赤彦

多くの子供を抱え生活も決して楽ではない歌人たち。
それでも愛情たっぷり、明るく詠っています。
    
     「 万緑の 中や吾子の歯 生え初むる 」  中村草田男

              緑と白い歯の対比が鮮やかな名句。

最後に思い出の名歌です。

「 こんにちは 赤ちゃん 」

「 こんにちは 赤ちゃん あなたの笑顔
  こんにちは 赤ちゃん  あなたの泣き声
  
  その小さな手 つぶらな瞳
  はじめまして  私がママよ

  こんにちは 赤ちゃん あなたの生命(いのち)
  こんにちは  赤ちゃん あなたの未来に
  
  この幸福(しあわせ)が  パパの希望(のぞみ)よ
  はじめまして  わたしがママよ

  二人だけの 愛のしるし
  健やかに 美しく 育てと祈る

  こんにちは赤ちゃん お願いがあるの
  こんにちは 赤ちゃん 時々はパパと

  ほら二人だけの 静かな夜を
  つくってほしいの おやすみなさい

  おねがい赤ちゃん  おやすみ赤ちゃん
  わたしが ママよ    」

 ( 作詞 永 六輔  作曲 中村八大  歌 梓 みちよ)



万葉集 685 (みどり児)  完





     次回の更新は6月25日(金) の予定です。
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# by uqrx74fd | 2018-05-17 17:47 | 生活