2009年 03月 08日
万葉集その百九十四(ますらを)
さらに男の意である「を」がついたものとされています。
また、「出雲風土記」には霊力を持った雄々しい武勇の神、「ますら神」が登場しており、
万葉人は「勇ましく立派な男、武人」といったものへの賛美と憧れを込めて、
この言葉を用いていたようです。
「 丈夫(ますらを)の 弓末(ゆずゑ)振り起し 射つる矢を
後(のち)見む人は 語り継ぐがね 」 巻3-364 笠金村
( この矢は、「ますらを」が力一杯弓を引き絞って射たものだ。
射立てられた矢を見る人は後々まで語り継ぐよすがとなるだろう )
この歌は石上乙麻呂という人物が越前国守として赴任の途中、お供していた作者が
琵琶湖畔、塩津の国境の山で詠ったものです。
ますらをの矢にはその人の生命が籠っていると信じられており、乙麻呂は神木に矢を
射たてることにより、おのが命を神に捧げて旅の安全を祈念したのです。
万葉集には「ますらを」の用例が60余あり、その大半に「丈夫」(大丈夫の略)という
中国周代の官職名を表わす字が当てられています。
朝廷に仕える役人たるものは「雄々しく、強く、正しく、名誉を重んずる人間であれ」と
意識していたことが窺われる用例ですが、それも時代と共に変化がみられます。
「 唐国(からくに)に行(ゆ)き足(た)らはして帰り来む
ますら健男(たけを)に 御酒(みき)奉る 」
巻19-4262 多治比真人鷹主
( 遣唐使という大任を果たされ無事帰還されますよう御酒を捧げ乾杯!
頼もしき男丈夫のあなたのために )
750年に大伴古麻呂(家持の従兄弟)が遣唐副使を拝命した際、一族壮行会での歌。
「 入唐使という文官に対してわざわざ「健」(たけ)という語を添えている。
万葉後期のますらをが本来の剛毅武勇の意を次第に希薄化していったためこれを
強調する場合に「健」を補足する必要が生まれたか 」(伊藤博)
「 ますらをの聡(さと)き心も今はなし
恋の奴(やっこ)に我(あ)れは死ぬべし 」 巻12-2907 作者未詳
( 立派な男の分別心は今や消えうせた。恋の奴の手にかかって私は死にそうだ )
『 「ますらを心」と「恋心」が己の中で激しく葛藤しついに後者の勝利に帰する。
フランス中世の騎士たちの恋のロマンスや抒情性に思いよせてみたくなるような
文字どおり“ますらを”の恋 』(青木生子:万葉集の美と心) ではありますが
「ますらを」たりえない自嘲の気持が内面に込められた一首です。
「 ますらをは 御狩(みかり)に立たし 娘子(をとめ)らは
赤裳(あかも) 裾(すそ)引く 清き浜びを 」
巻6-1001 山部赤人
( ますらを達は御狩の場に踏み立たれ、娘子たちは赤い裳裾を引きながら
この清らかな浜辺を往き来しています。なんと優雅な光景であることよ。)
聖武天皇難波行幸の時(734年)にお供の人たちが潮干狩を楽しんでいる情景です。
ここでの「ますらを」は「娘子」(官女)と共に、遊猟、遊楽に身をやつす風流士、
雅やかな貴族文化の一員に変身を遂げています。
「われ男(お)の子 意気の子 名の子 つるぎの子
詩(うた)の子 恋の子 ああもだえの子 」 与謝野鉄幹
by uqrx74fd | 2009-03-08 12:54 | 心象