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万葉集その百二十三(雲三態)

「なんという神々しい雲であろう。
涅槃の天福におもむく途中、休息している白い清らかな雲の霊であろうか。
それともまた千年の昔、浦島の玉手箱から逃れ出た霧であろうか」
            小泉八雲 「夏の日の夢 ;田代三千稔訳より」


万葉人は雲を自分にとって大切な人の魂と考えていました。
雲を見て遠くに離れているいとしい人を想い、また亡くなった人を偲んだのです。

「 北山に たなびく雲の 青雲の
    星離れ行(ゆ)き 月を離れて 」巻2-161 持統皇后


 (北山にたなびく雲 その青い雲が あぁ星を離れて行き 
 月からも離れてしまって-)

686年、天武天皇が崩御されました。

「青雲」とは灰色がかった雲をいい、天武天皇を暗示しています。
「月」は皇后「星」は諸皇子たちとみなし、「天皇が皆を残して天空を離れてゆき
その御霊が神となって去り給う」という挽歌です。

中国では「天皇は常に北に座して南面する」という思想があります。
「北山」は天皇が天上界を治める方になり給うたことも暗示されているようです。

「 み空行(ゆ) 雲にもがな 今日(けふ)行きて
    妹に言どい 明日帰り来む 」 
                巻14-3510 作者未詳


( この私が天空を流れてゆく雲であったらなぁ。
 そうしたら今日にでも可愛いあの子のところへ行って話しをして、
 明日には帰ってこれるのに )

まるで石井桃子さんの「ノンちゃん雲に乗る」を思い出させるような歌です。
「ノンちゃんは熊手ですくわれ ふわっと雲の上におかれました。あぁやわらかい!」

夏の雲といえば むくむくと湧き立つような入道雲。
万葉人はこれを「立てる白雲」と表現しました。

「 はしたての 倉橋山に立てる白雲
  見まく欲(ほ)り 我がするなへに 立てる白雲 」 
   巻7-1282 人麻呂歌集


( 倉橋山に むくむくと湧きたっている白雲よ 。見たいと思っていたときに
 ちょうど立ち昇った雲よ。懐かしいあの人はどうしていることだろうか )

はしたて:梯子のことで高床式の倉に上る階段、倉にかかる枕詞

この歌は旋頭歌といい五七七.五七七を基本形とし、もとは問答の
掛け合いに由来します。
作者はかって恋する若者だった中年男と思われ、若き日の恋人の面影を
雲に見たいと思い出の場所に行ったら、丁度その時に雲が湧き上がってきたと
感動しています。

このむくむくと湧上る入道雲を「雲の峰」といい、また「太郎」という名を冠して
「坂東太郎」信濃太郎」「丹波太郎」などとも呼び習わされております。

「 ぐんぐんと 伸びゆく雲の峰のあり」   高濱虚子

by uqrx74fd | 2009-03-08 11:42 | 自然

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