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万葉集その四十七(東風吹く)

東風(こち)といえば菅原道真の

「東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 
     あるじなしとて 春を忘るな」  (拾遺集)


がすぐ思い出されます。
配所の筑紫へ下る時、道真は自邸の梅に詠みかけ、感じた梅は自ら筑紫に
飛んだと伝えられた「飛梅伝説」はいまなお健在です。

以来、東風は「春を告げる風」「凍てを解く風」「梅の花を咲かせる風」という
感じが固定され、春の季語ともなりました。

「東風」という言葉は古くから使われ、「朝東風(あさこち)」
「東風(あゆのかぜ)」とも詠われています。

「 朝東風に 井堰(ゐで)越す波の 外目(よそめ)にも
        逢はむものゆえ 滝もとどろに 」 
                巻11の2717 作者未詳


( 朝の東風が強く吹き波が高くなってきた。波が堰(せき)を越して
 滝のように流れでているよ。 
 あの人にはまだよそ目にも会ったこともないのに
 噂ばかりが滝もとどろくばかりに立ってしまって― ― )

「東風(あゆのかぜ) いたく吹くらし 奈呉の海人(あま)の
      釣りする小船(をぶね)  漕ぎ隠る見ゆ 」 
                 巻17の4017 大伴家持


( 東風(あゆのかぜ=越中の土地言葉) が激しく吹くらしい。
  奈呉(なご=地名)の海人たちが釣りする船が波間に
  ゆらゆらと見え隠れするよ)

この二首の歌から分るように東風は元来、春風駘蕩たる風ではなく
低気圧を伴う暴風となる危険な風ともされ、時化(しけ)東風という言葉もあります。

民俗学者によると、この言葉はもともと瀬戸内海沿岸を主として各地で用いられる
海上生活者の言葉で「鰆(さわら)東風」は鰆が獲れるころの風だそうです。

山本健吉さんは「東風」「あゆの風」について次のように述べておられます。

  以下「ことばの歳時記」(文芸春秋社)を要約

「 もともと風の名を必要とし風の方向、強弱、寒暖その他の性格を微細に言い分ける
  必要を持っているのは貴族でも農民でもなく船乗りや漁師たちなのである。
  貴族達が風流気からその名を口にしているのに対して彼らは生死を賭けた生活の知恵
  としてそれを口にするのである」

また「あゆの風(現在ではあいの風とも言われる)」については
『  能登の珠洲(すず)あたりで「あえのこと」と言われる古風な新嘗の祭が
  今も行われておりこの「あえ」に「饗」の字をあてている。
  田の神によってもたらされた珍味佳肴の「あえ」だが同様に
  「あゆ(あえ、あい)の風」とは沖から珍宝をもたらす風なのである。

   風によって浜辺に多くの魚介類や海藻類などの食物や木材その他の
   漂流物も吹き寄せるのである。
   船が港に寄ることも、それが財宝を落としてゆくもので寄り物の一種だった。
   だからその風は「いたく吹く風」であり強吹(こわふき)であるほど多くの珍宝をもたらす。
   そういう古い風の名がいまだに生きていて漁民たちの生活の中に使われているのである 』
さらに

『 万葉の無名の作家が詠んだ朝東風はまだ漁村の生活の匂いがどこかに
  漂っていたかもしれない。
  菅公が歌に用いたとき、この言葉にまつわりついていた漁村の潮の香や
  たくましい生活者の匂いはすでに発散されてしまって堂上貴族達の弱々しい
  美的生活の中に融けこんでしまった。

  常民の生活の必要が生み出した言葉が貴族達のただの風雅の言葉化してしまった。
  言葉がその持っている生活基盤から引き離されて文人墨客のもてあそびものになり
  風流韻事としてしか意味がなくなったときその言葉の生命はどうなるか。
  こういう言葉の運命と言うものを「東風」と言う言葉は私に考えさせてくれる。  』

と結んでおられます。

山本健吉氏のこの文章は今から30年位前に書かれたものですが、今なお、瑞々しい
新鮮さを保ちつつ、現代の文学界への警鐘を打ち鳴らし続けておられるように感じます。

by uqrx74fd | 2009-03-08 10:27 | 自然

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