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万葉集その十一(聖徳太子とマザーテレサ)

タイトルをご覧になった皆さんは
「えーっ 聖徳太子とマザーテレサ。何の関係あるの?」と
思われたことでしょう。

今回は二人の偉人の行為の共通性を指摘された
ユニーク且つ有益なお話をご紹介したいと思います。

まずは聖徳太子(以下皇太子)です。

日本書紀では次のように述べられています。
 (講談社学術文庫 宇治谷 孟訳)

 613年 (推古天皇21年) 皇太子は奈良県葛城郡あたりの
 片岡においでになった。
 その時飢えた者が道のほとりに倒れていた。

 名を尋ねられたが答えなかった。

 皇太子は食物を与えられた。又、自分の衣裳を脱いで
 飢えた者にかけてやり「安らかに眠れ」と言われた。そして
 「片岡で食に飢えて倒れている旅人はかわいそうだ。
 親なしで育ったわけでもあるまい。
 優しい恋人はいないのか。食に飢えて倒れている旅人はかわいそうだ。」 

 と詠われました。

 上野 誠 (文学博士 奈良大学助教授 万葉文化館古代学研究所副所長)は
 皇太子の行為を次のように分析されています。

 (万葉にみる男の裏切り女の嫉妬ーNHK出版生活人新書より要約抜粋)

 1、姓名を問う→相手の人格を尊重することにつながる

 2、食事を与える→食を与えることは福祉の原点である

 3、衣服を与える→自分の服を脱いで与えている点
   思いやりの心を表した行為と云えよう。
   単に衣服を物として供給する行為ではないのである。

 4、歌を与える→歌は相手の心に直接訴える行為である。
   歌とは人と人とをつなぐものであり、人の心を癒すものである。

 つまり皇太子は相手を敬う心を示し、生命の危機を救い、
 思いやりの心を示して最後に人の心を癒そうとしたのである。

 そして更に上野博士は続けられます。

 私は聖徳太子の歌を読むといつもマザーテレサの事を思い出す。
 マザーテレサはインドでキリスト教の布教活動を続けるかたわら
 「死を待つ人の家」という施設の運営を行っていた。

 その施設が行っている活動はカルカッタの路上生活者につかの間の
 安らぎを与える社会事業である。
 瀕死の状態で死を待つ家に担ぎこまれた人に対してシスターとボランティァは
 まず姓名を聞き次に宗教を聞く。
 そうすれば本人の望む宗教で葬式を行うことが出来るからである。

 マザーテレサは 
 「私達はその最後の瞬間に立会い、その人が生きたことの証人になる。
 そして死にいく人の意思を尊重して望む宗教によってお葬式を出すのである。
 そうすればこの町に星の数ほどいる路上生活者に生きる希望を与えることが出来る」
 と云っている。

 つまり 「死を待つ人の家」の活動は実は今生きている人に向けられた
 活動なのである。
 マザーテレサはこの活動によって「自分は世の中の誰からも相手にされていない」と
 思っている孤独な人々の魂を救済しょうとしたのである。

 以上が上野博士の解説であります。

 聖徳太子の行為と遺志はその後、孝謙天皇をはじめ歴代天皇の
 政治上の福祉事業につながっていきます。

 日本書紀の太子の歌は民衆の間で歌謡として歌い継がれ短歌形式で
 万葉集に残されました。

 「 家ならば 妹が手(て)まかむ 草枕

   旅に臥(こ)やせる この旅人(たびと) あはれ 」 

            巻3の415 聖徳太子


 ( 家にいたなら いつも 妻の腕(かいな)を枕にしているであろうに。
  草を枕に旅先で一人倒れ臥しておられるお方は、あぁ、いたわしい。)

 旅人は既に亡くなった形で詠まれています。
 

by uqrx74fd | 2009-03-08 09:50 | 心象

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