2009年 04月 27日
万葉集その二百十二(住吉の神様は現人神)
名門貴族、石上乙麻呂が不倫の罪で土佐に配流されました。
(いそのかみのおとまろ: 父は元左大臣 石上麻呂)
相手の女性は参議式部卿 藤原宇合(うまかい)の未亡人、久米連若売
( くめむらじの わかめ )。
この事件は宇合死後一年半経過しており、本来ならば罪に問わるはずがないもの
ですが生前から噂があり、何かと世間を騒がせていたようです。
ただ、事の真相は不明で人望ある乙麻呂の失脚を図ったという陰謀説もあります。
「 大君の 命(みこと)畏(かしこ)み さし並ぶ 国に出でます
はしきやし 我が背の君を
かけまくも ゆゆし畏し 住吉(すみのえ)の現人神
船舳(ふなのへ)に うしはきたまひ
着きたまはむ 島の崎々 寄りたまはむ 磯の崎々
荒き波 風にあはせず 障(つつ)みなく 病(やまひ)あらせず
速(すみや)けく 帰したまはね もとの国辺(くにへ)に 」
巻6-1020 1021 作者未詳
( 勅命をかしこんで承り、私の愛しい夫が海を隔てて並んでいる国(土佐)に
配流されます。
言葉にして申すのも憚(はばか)られ恐れ多いことでありますが
人となって姿を現し給う住吉の神様!
どうか船の舳先(へさき)に鎮座され、わが夫をお守り下さい。
これからの船旅で到着する島々、寄航する崎々で荒波にも暴風にも遭遇せず、
また不測の事故や病気にもなることがないよう。
そして一日も早くこの国へお帰へし下さいませ )
さし並ぶ:土佐と紀伊は同じ南海道に属しかつ海を隔てて並んでいるという意味。
四国へは和歌山市加太の港から出発したのでこのような表現となっている。
はしきやし:愛(はしき)やし、 かけまく:口に出す
うしはき: 「領(うしは)きで占有する。 ここでは鎮座するの意」
住吉の現人神:住吉の神は人の姿となって現れ舳先に立って航海を守るとされていた。
この真摯な祈りが届いたのでしょうか、
乙麻呂は2年後に赦免され、以降順調に累進を遂げたといわれております。
なお、この歌は第三者が歌物語風に仕立てたものと推定され、
歌番号が1020、1021となっているのは、当初「はしきやし 我が背の君を」までを
独立した短歌と見なされていた為とされています。
現在の住吉一帯は大規模な埋め立てにより昔の面影がありませんが、当時は
大社の前から遣唐使船などが出港し、わが国最古の国際港にして
シルクロードの玄関口でもありました。
住吉神社は海神である上筒之男(うわつつのお)、中筒之男(なかつつのお)、
底筒之男(そこつつのお)の三神と神功(じんぐう)皇后を合祀しており、
四座の神殿はすべて西の海の方向に向かって鎮座されています。
男神三神の名の真ん中の「筒」は星の古語「星(つづ)」で古代航海は夜空の星を
頼りにし星を神と崇めていたことによるものだそうです。
住吉の神は古代から現在にいたるまで「航海の守護神」
であると共に
「住吉に歌の神あり初詣」(大橋桜披子)
と詠まれているように「和歌の神」さらには
「田植の神」(住吉のお田植神事)としても知られております。
さて、その住吉の現人神が後年思わぬ人助けをなさいます。
昭和10年、一木喜徳郎、美濃部達吉の天皇機関説に端を発する
軍部による言論弾圧は日ごとに激しさを増していました。
(註:「天皇機関説」:国家の統治権は法人である国家に属し、
天皇はその最高機関であるとする憲法学説)
そのような時、作家の久米正雄が新聞に
満州国皇帝 溥儀(ふぎ)を「アラヒトガミ」と形容した記事を掲載し
不敬罪に問われそうになる事件が発生します。
『 久米は文学報国会の現職の事務局長なので不敬を問われて
辞任したとなればどこまで累が及ぶか分らない。
そのとき口を開いたのが折口信夫だった。
「 私どもの方から申しますとアラヒトガミという言葉は決して
カミゴイチニンだけを申し上げるのではございません。」
( 作者註:カミゴイチニンの「カミ」は「お上:天皇」)
このあと折口はアラヒトガミというのは生き神で今では天子さま(天皇:作者註)
お一人指すというのが普通だが古代においては違う。
神性を表す一つの言葉に過ぎない から固定的に天皇のみに
用いるわけではない。
住吉の神という例が万葉集にもある。と述べたのである。
事態はこの折口の発言により沈静化した。 』
(上野誠 魂の古代学より要約抜粋 新潮選書)
泣く子も黙る軍部を沈黙させた万葉集と住吉の神様恐るべしです。
ご参考 :
本稿関連作品: 「万葉集その百五十(現人神の登場)」
(カテゴリー:生活) を ご参照下さい。
by uqrx74fd | 2009-04-27 19:46 | 生活