2009年 05月 25日
万葉集その二百十六(棟:あふち)
ほのかなる夕(ゆふべ)ににほひ
幽(かすか)なる 想(おもひ)の空に
あくがれの影をなびかす 」
三木露風 ( 栴檀より )
「あふち」とは「センダン」の古名でセンダン科の落葉高木です。
初夏に紫色の小花を密集して咲かせ、周りに芳香を漂わせます。
花のあと1.5cm位の黄色い実をつけますが、古代では、その実を採り
「薬玉(くすだま)」の飾りつけの材料にしていました。
薬玉とは五月の節句の日に長寿を祈って飾る様々な香薬が入った匂い袋のことです。
「 玉に貫(ぬ)く 棟を家に植ゑたらば
山ほととぎす 離(か)れず来むかも 」
巻17-3910 大伴 書持(ふみもち)
( 糸に通して薬玉にする棟。
その棟を我家の庭に植えたならば、山のホトトギスが
頻繁に来て啼いてくれるだろうか )
作者は大伴家持の弟。 久邇京(くにきょう:京都に近い木津川の近くに営まれた都)で
朝廷に仕える家持に贈った歌です。
当時、大伴家は藤原氏に疎まれ、政治の中枢から遠ざけられつつありました。
「あふち」には「逢う」が掛けられており、書持はその鬱々とした心情を兄に会って
語りたかったのでしょうか?
「 妹が見し 棟の花は散りぬべし
我が泣く涙(なみた) いまだ干(ひ)なくに 」
巻5-798 山上憶良
( 愛しい人がかって見た棟の花はもう散ってしまいそうだ。
亡き人を偲んで流している私の涙がまだ乾かないというのに。)
728年、大宰府長官大伴旅人は最愛の妻に先立たれました。
この歌は作者が旅人の心中を察し、旅人の立場になって詠ったものです。
亡き妻は都にいた時に棟を愛し、大宰府の自宅の庭にも植えていたようです。
旅人は楚々とした上品な棟の花に妻の面影を見出していたのでしょう。
「散りゆくあふち」には再び「逢えない」悲しみを重ねています。
「 あふち咲く そともの木蔭 露落ちて
五月雨(さみだれ)晴るる 風渡るなり 」
新古今和歌集 藤原忠良
( 部屋の外で棟の花が房々と咲いています。
さきほどまで降っていた五月雨が止み、しきりに雫がしたたり落ちる中、
薫風が吹き渡りなんとも清々しいことです。 )
さみだれ(梅雨)には中休みがあり、その晴れ間のひとときの爽やかな一首です。
さて、「センダン」といえば「栴檀は双葉より香(かんば)し」という諺。
仏典「観仏三昧経(かんぶつさんまいきょう)」の
「センダンは双葉にならぬうちは香を発しないが、根芽が次第に成長しわずかに
木になろうとすると香気がまさに盛んになる」が出典とされています。
然しながら、ここでの「栴檀(せんだん)」はビヤクダン科の「白檀」のことで
棟とは全く別種のものです。
東南アジア原産、半寄生の常緑高木とされ、日本では自生しません。
インドでは古くから仏教儀礼の香木として使われ、サンスクリット語の「チャンダナ」が
漢音に訳されて「栴檀」になったものとされています。
「香」は日本にも早くから輸入され、671年に天智天皇が飛鳥寺に栴檀香、沈香を
奉納したと伝えられており(日本書紀)、特に聖武天皇時代に中国から渡来した
蘭奢待(らんじゃたい:正倉院宝物)は天下第一の名香として
つとに知られております。
註; 「蘭奢待」はその字の中に東大寺という名が隠されている雅名。
正式名は黄熟香(おうじゅくこう)といい沈香の中でも最良とされている伽羅。
聖武天皇が東大寺大仏に奉納。
「 きのふけふ棟に曇る山路かな 」 芭蕉
by uqrx74fd | 2009-05-25 21:04 | 植物