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万葉集その二百四十二(貝の色々)

「 底の浅い小鍋へ出汁(だし)を張り、浅蜊と白菜をざっと煮ては小皿へ取り、
  柚子をかけて食べる。
  小鍋ゆえ火の通りも早く、つぎ足す出汁もたちまちに熱くなる。
 これが小鍋だてのよいところだ。- - 
  湯豆腐に蛤を入れるという、当節としてはまことに贅沢な小鍋立てもある。

          ( 池波正太郎の食卓より 佐藤隆介ほか共著 新潮文庫 )


日本書紀によると『 景行天皇(71~130年?) が上総国に旅された折、安房の湊で
入江に棲む「覚賀鳥:かくかの鳥=ミサゴか?」の声が聞こえました。
その鳥の形を見たいと仰せられたので、近習が海の中に入ると、そこには沢山の蛤が!
早速、膾(なます)にして献じたところ、大変な美味で、天皇は大いに喜ばれた 』 との
記述があります。

ハマグリはこのように膾で食べたほか 「 汁椀に 大蛤の一つかな   内藤鳴雪 」
ということもよく見られたことでしょう。

万葉集にみられる貝はアワビ、蜆、巻貝、田螺、等ですが、単に貝と詠われているものも
あり、また、縄文時代の貝塚から蛤、牡蠣、浅利、青柳などの貝殻が多数出土している
ことから、万葉人たちの食卓にも豊富な貝類が供されていたものと想像されます。

「 妹がため 貝を拾(ひり)ふと 茅淳(ちぬ)の海に
    濡れにし袖は 干せど乾かず 」 巻7-1145 作者未詳


( 愛しい人のためにと貝を夢中で拾っているうちに衣の袖がすっかり濡れてしまったよ。
  干しても一向に乾かないなぁ。 )

「茅淳の海」は現在の堺市から岸和田にかけての住吉の浜続きの海岸で、
蛤やバカガイ、アサリなどが豊富に獲れたそうです。
愛する人に食べさせようと一生懸命、砂から貝を掘り出している様子が偲ばれる一首です。
    
「 堀江より 朝潮満ちに 寄る木屑(こつみ)
    貝にありせば つとにせましを 」 巻20-4396 大伴家持


( 堀江に朝の海波が満ち満ちて、木の屑がこちらに寄せられてきました
  これが美しい貝であったら家への土産にもしょうに )

堀江は大阪湾に通じる天満川(大川とも)付近とされています。
755年、作者は難波に単身赴任し、東国の防人達を迎える業務などに
忙殺されていました。

仕事がひと段落したところで、ふと都に残した妻を懐かしく思い出したのでしょう。
海から寄せくる木屑が花びらに見え、美しい桜貝を想像したのかもしれません。

「つと」は「包みもの」すなわち土産のことです。

「 手に取るが からに忘ると 海人(あま)の言ひし
   恋忘れ貝 言(こと)にしありけり 」 巻7-1197 作者未詳


( 手に取ればすぐさま憂いを忘れてしまうと海人が言った恋忘れ貝
 この貝はただ言葉だけのものにすぎなかったよ。
 なんの効き目もなく、恋はますます募るばかり )

からに: ただ~するだけで

古代、「辛いことを」忘れるために「忘れ草(カンゾウ)」を身につけたり、
庭に植えたりしましたが、海岸地方では「忘れ貝」なるものがあったようです。

「忘れ貝」とは特定の種類の名称ではなく、「海岸に打ち棄てられた二枚介が、
離ればなれの一片となり互いに対手の一片を忘れてしまったという意味で
名付けられたのではないか。( 東 光治 :万葉動物考) 」とされています。

作者は初めて海を見たのでしょうか。
「 折角身につけたのに、何の効き目もないではないか!いい加減な話だなぁ」と
苦笑している姿が目に見えるようです。

「 海人娘子(あまをとめ) 潜(かづ)き採(と)るといふ 忘れ貝
   よにも忘れじ 妹が姿は 」     巻12-3084 作者未詳


( 海人の娘が海に潜って採るという忘れ貝。その貝は恋を忘れさせるというが
 俺は決して忘れないぞ。あんな可愛い子の姿を忘れられるものか )

「よにも」は「わが生涯で」の意ですが、打ち消しの「じ」と呼応して
「決して」という意になります。

ここで詠われている「忘れ貝」は「海人が海に潜って採る」とあるので
「鮑(アワビ)」と思われます。
アワビは二枚の貝を持って生まれますが、生後十五日ほどで透き通った片方の稚貝を
捨ててしまうため「磯のあわびの片思い」といわれていました。

片思いにもかかわらず恋する人の面影を一途に思い浮かべている純情な若人です。

 「 貝拾ふ 子らも帰りぬ夕霞
         鶴飛びわたる住吉の方(かた)に 」 正岡子規

by uqrx74fd | 2009-11-23 17:06 | 動物

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