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万葉集その二百五十七(天平のマリリン・モンロー)

天平時代の歌人、高橋虫麻呂は朝廷の上司である藤原宇合(うまかい)に随行して
常陸国をはじめ東国を巡り、各地の色々な伝説を詠んでいます。

その中に驚く無かれ、風俗物語、しかも主役の女性はマリリン・モンローを
髣髴させるような肉感豊かな美女を登場させているのです。
その娘の名は珠名(たまな)、まずは歌、続いて意訳文をお読み下さい。

 ( 枕詞は〔括弧〕でくくっていますので読み飛ばし下さい。
   意訳は歌と行を合わせています)

『 〔しなが鳥〕安房に継ぎたる  
  〔梓弓〕 周淮(すゑ)の珠名(たまな)は
  胸別(むなわ)けの 広き我妹(わぎも) 

  腰細(こしぼそ)の  すがる娘子(をとめ)の   (※すがる:ジガ蜂)
  その姿(かほ)の  瑞正(きらきら)しきに
  花のごと 笑みて立てれば
  〔玉鉾の〕道ゆく人は
  おのが行く 道は行(ゆ)かずて
  召(よ)ばなくに  門(かど)に至りぬ

  〔さし並ぶ〕 隣の君は
   あらかじめ  己妻(おのづま) 離(か)れて
   乞はなくに 鍵さへ奉(まつ)る

   人皆の かく惑(まと)へれば 
   容艶(うちしな)ひ  寄りてぞ妹は
   たはれてありける 」          巻9-1738 高橋虫麻呂

「 かな門(と)にし 人の来立(きた)てば  夜中にも
         身はたな知らず 出(い)でてそ 逢ひける 」
                巻9-1739  同

(意訳文)

「 安房の国の隣の土地、上総の周淮(すえ:木更津市)というところに
  珠名(たまな)という名の娘がいました。

  その子のバストは豊満で、
  腰は蜂のようにきゅっとくびれています。

  おまけに容姿は輝くばかりに美しく
  花さながらの微笑を浮かべて立っているので
  道行く男たちはついつい振り返り
  方向転換して
  娘の家の門口まで勝手についてきてしまう始末です。

  さらに大変なのは隣のご主人
  糟糠の妻を前もって離別し
  珠名が頼みもしていないのに、家や蔵の鍵まで差し出してしまいました。

  男という男はみんなこのように娘の色香に惑わされているので
  珠名は益々いい気になってしなを作り、
  男たちにしなだれかかって淫欲のかぎりをつくしているのです。( 巻9-1738 )

  男が家の門にきて珠名を呼ぶと、夜中であろうと夢中になって
  なりふりかまわずに出ていっては男と会っていることです。 ( 巻9-1739 )


性的魅力十分な美女がウインクをするように微笑む。
吸い寄せられるように靡く男たち。
宝の詰まった蔵の鍵を差し出す男。
夜な夜な誘われ、嬉々として家を飛び出す娘。
まるで絵巻物を見るような生々しい描写です。

専門家の方々はこの歌をどのように受け取っておられるのでしょうか?
以下は要約の列記です。(敬称略)

伊藤博: 「躰の魅力を売り物にする極めて特異な女性像を描く。
      類のない東国の女性を人々に紹介する虫麻呂の得意満面の
      表情が見えてくるような歌」

犬養孝: 「まさに、この女性は悪女。
       頽廃の美の極致、人間の弱さを描いている」

中西進: 「美貌と豊満な肉体をもつ女の悲しさ、それによって誤またれる
       男と女の愚かしさ、人間の性(さが)がこの歌の主題である」

北山茂夫: 「女人をひたむきに好色風に描いた。
        ロマンティックな色合いさえある。
       都の歌の愛好家は彼の作品からローカル的な新鮮さを満喫して
       喜びを深くしたと思われる」

久松潜一: 「現実にありそうな女性。
        自己判断によって行動することができない弱い女の陥って行く運命。
       歌の感じから裕福な家の娘であるように思える。」

武田祐吉: 「新鮮な叙述。娼婦型の一娘子を取り扱ったもので、当時の世相の
        一面を描いている珍しい作品。文学作品の形を与えた 」

大岡 信: 「生々(せいせい)として淫奔な美女ぶりをうたった詩は、
        日本の詩歌の歴史において、もちろん画期的なものであり、
        その後もまず類例をみない。
        万葉集最盛期の長歌は厳かで人間離れしているところがあり
        詩歌は神と人間の中間にあった。
        ところが天平時代になると歌は人間的になり、生活感覚が
        匂いたってくるところがある。」

清川 妙 「描写は華やかで官能的。鮮度は抜群。モダンな悪女タイプ。
       “胸別けの広き我妹 腰細のすがる娘子”この描写は私の目を疑わせた。
        万葉集にこんないきいきした現代感覚の描写があるのか。
        このことばは今だって立派に通用するではないか。
        私は感激した。 」

このような歌が1300年前に詠まれ、残されているとは!
まさに万葉集は我国文学の宝庫です。
  
 「 早乙女を みてのめりこむ 村の久米 」

    「田植にうちこむ乙女のヒップの躍動振りをみて、村の久米仙が
     泥田の中へのめりこむ、
     世に久米仙の種はつきまじ - -」 
                        ( 興津 要 :微笑酔談 ペップ出版社 )

by uqrx74fd | 2010-03-07 20:22 | 生活

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