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万葉集その二百八十六(天皇のよばひ)

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             ( こもりくの初瀬  長谷寺からの眺望 筆者 )

「よばひ」は「夜這い」すなわち「夜、恋人のもとへ忍んで行く」あるいは
「寝とりたい相手の寝所へ忍び入る」という良からぬ連想をさせる言葉として
用いられています。
しかしながら、その原義は「相手を呼び続ける」という意の「呼ばふ」が「呼ばひ」に
変化したものです。
万葉仮名では「よばひ」に「結婚」という字が当てられている例があり、
「呼び続ける」意の中に「求婚する」という気持が含まれていることが窺われます。

「 こもりくの 泊瀬(はつせ)の国に さよばひに(左結婚丹) 我(わ)が来(きた)れば
  たな曇り 雪は降り来(く)  さ曇り 雨は降り来(く)
  野つ鳥 雉(きぎし)は響(とよ)む   家つ鳥 鶏(かけ)も鳴く
  さ夜は明け この夜は明けぬ   入りてかつ寝む この戸開かせ 」
                         巻13-3310  作者未詳


( 山々の奥深いこの初瀬の国に 妻どいにやってくると
 急に曇って雪が降ってくるし さらに雨も降ってきた。
 野の鳥、雉は鳴き騒ぎ  家の鳥、鶏も鳴き立てる。
 夜は白みはじめ とうとう夜が明けてしまった。
 だけど中に入って寝るだけは寝よう。 さぁ、戸を開けてくだされ )


初瀬(奈良桜井市)は古来特別な聖地とされ、国とよばれていました。
遠方から妻問いに来た男が途中悪天気に遭遇し、雪を避け、雨がやむのを
待っているうちに空が白みはじめたのです。
妻問いは月が出ている夜に訪れ、明け方の暗いうちに帰るというのが当時の暗黙のルール。
男はそのルールに反して強引に迫っています。
女は家の中から応えます。

「 こもりくの 泊瀬小国(はつせをぐに) よばひせす 我が天皇(すめろき)よ
  奥床に母は寐寝(いね)たり 外床(とどこ)に父は寐寝(いね)たり
  起き立たば 母知りぬべし  出(い)でて行(ゆ)かば 父知りぬべし
  ぬばたまの 夜は明けゆきぬ 
  ここだくも 思ふごとならぬ 隠(こも)り妻かも 」
               巻13-3312 作者未詳


( 山深いこの初瀬の国に 妻どいされる 天皇(すめろぎ)よ
 母さんは奥の床に寝ていますし 父さんは入口の床に寝ています
 体を起こしたら 母さんが気づいてしまうでしょう
 出ていったら 父さんが気づくでしょう
 そのように躊躇う(ためらう)うちに夜が明けてきました
 なんとまぁ こんなにも思うにまかせぬ隠り妻であること。この私は )

天皇(すめろき)は初瀬に縁が深い雄略天皇でしょうか。

「 戸を開けてくれ」との要求に「思うにまかせぬ籠り妻の嘆きに事寄せつつ
  やんわりと求婚を断った」(伊藤博)のです。
 ただし一旦は断るというのが当時の作法。
本気でないことが次の歌から分かります。

「 川の瀬の 石踏み渡り ぬばたまの
   黒馬来る夜は 常にあらぬかも 」 巻13-3313 作者未詳


( 黒馬に乗り、川の瀬の石を踏み渡ってお出でになる夜は
  毎晩あって欲しいものですわ)

どうやらこの一連の歌群は歌劇のセリフであったらしく、お祭りや宴会の席で
歌われたのでしょう。
それにしても「よばひする わが天皇よ」という表現。
大らかな万葉人です。

『 古代初瀬の谷の農村生活のいぶきを、また女の吐息すらもさながらに聞く思いである。
 - 大和中央平野部国中(くんなか)からひっこんで、三方を山に囲まれた渓谷は
文化からも隔絶され、異色ある古風な相聞歌が多く残され、この歌では求婚者が
「よばひせす 我が天皇(すめろき)よ」となって古代の英雄君主“はつせのすめろき”に
転化する過程を語っていておもしろい。
よきやすらぎの別天地「こもりくの初瀬」は国中の人々や伊勢東国往還の旅の人には
エキゾチシズムの心情をそそられたらしく「こもりく」の枕詞には、そのたたえ心が
宿されているようである。』 
                         (犬養孝 万葉の旅上(要約抜粋) 平凡社)

「 君にちかふ 阿蘇のけむりの絶ゆるとも
         万葉集の歌 ほろぶとも 」 吉井勇


ご参考: 2007、1、1 掲載文

万葉集その九十一(王者の求婚)    
       
新春第1回目の万葉集は「天皇のプロポーズ」の歌です。

「 籠(こ)もよ み籠(こ)持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串(ぶくし)持ち
  この岡に 菜摘ます子 家(いへ)告(の)らせ 名(な)告(の)らさね
  そらみつ 大和の国は おしなべて 我れこそ居(を)れ
  しきなべて 我れこそ居れ  我れこそは 告らめ 家をも名をも」
                      巻1-1 雄略天皇


早春の晴れた日の昼下がり 初瀬の丘(奈良県桜井市)の上で 数人の乙女たちが
竹籠と竹箆(へら)を持って若菜を摘んでいます。
おりしも大和の国の青年領主(当時まだ天皇という呼称はなかった)雄略が通りかかります。
周りを見渡すと、乙女たちの中でも際立って美しく高貴な女性が目に飛び込んできました。
雄略はたちまち一目惚れしてしまいます。

( おぉーい 娘さんよ! 立派な竹籠と竹べらを持って若菜を摘んでおられる娘さん!
 あなたはどこのお家のかたですか? お名前はなんとおっしゃるの? )

当時女性に名前を聞くことは求婚を意味します。
乙女は顔を赤らめ、胸を波うたせながら恥じらい、顔をふせて答えません。
女性が名前を教える事は求婚に対する承諾を意味します。
また、初めは拒絶することが当時のたしなみとされていました。

青年は重ねて声をかけます。

( 娘さん あなたが答えてくれないなら私の方から名告りましょう。
 私はこの大和の国一円を治めている領主の雄略というものです。
 さぁ、私の身分も名前も名告ったよ。今度はあなたが答える番ですよ。)

陽光がそそぐ丘の上、草は萌え、美しい花々が一面に咲き乱れています。
小鳥が天空を駆け巡り、楽しい囀りの声。
風は爽やかに吹き渡り、乙女たちは髪を靡かせながら舞うような姿で菜を摘み
籠の中に投げ入れています。
まさにオペラにでもしたい場面(佐々木信綱)です。

この歌はもともとは民謡風の歌謡でしたが、のちに天皇の歌として語り継がれ
宮廷でも舞踏を伴って演奏されたものではないかと推定されています。
「我れこそはヤマトの王である」と高らかに宣言し、子孫の繁栄と
五穀豊穣を予祝したいかにも万葉集冒頭にふさわしい歌といえましょう。
                                                    以上

by uqrx74fd | 2010-09-26 19:57 | 心象

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