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万葉集その三百二十二(浦島伝説)

浦島伝説が文献に登場するのは日本書紀の雄略天皇のくだり(478年)で
「 秋7月、丹波国、余社郡(よぎのこほり)の管川(つつがわ)の人、瑞江(みずのえ)の
  浦島子が舟に乗って釣をしているうちに大亀を捕え、その亀がたちまち女に変身した。
  その女に魅力を感じた浦島は妻となし、共に手を携えて蓬莱山(とこよのくに)に
  行き仙境を巡り観た。」の記述が初出とされ、続いて「丹後国風土記」逸文にも
  同様のものがみられます。

名文の誉れ高い高橋虫麻呂の浦島物語は次のような出だしから始まります。

「 春の日の 霞(かす)める時に 住吉(すみのえ)の 岸に出(い)で居て
  釣舟(つりぶね)の とをらふ見れば いにしへの ことぞ思ほゆる 」


「とをらふ」=「たわむ」ここでは釣り舟が波の間に上下して揺れ続けている意。

( 春霞がかかっている麗(うら)らかな日に、住吉(すみのえ)の岸に出て
  釣り舟がゆらゆら揺れているのを見ると おのずと昔のことが思われます )

この一節は導入部。
まず、遠くいにしえを回想する舞台装置に春の日の霞と釣り舟のたゆたいを持ち出し、
『 映画の画面でゆらゆらと画面をゆらしながら回想の世界に筋が運ばれてゆくのと
  同じ手法 』(中西進)を用いた心憎い演出です。

なお、現在伝えられているお伽話は京都丹後の国が舞台ですが、虫麻呂のは
摂津の住吉となっています。

「 水江(みずのえ)の 浦の島子が 鰹(かつを)釣り 鯛釣りほこり
  七日まで家にも来(こ)ずて 海境(うなさか)を 過ぎて漕ぎ行くに
  海神(わたつみ)の 神の女(をみな)に たまさかに い漕ぎ向かひ
  相(あひ)とぶらひ 言成りしかば かき結び 常世(とこよ)に至り 
  海神の 神の宮の 内のへの 妙なる殿(との)に たづさはり
  ふたり入り居(い)て 老いもせず 死にもせずに 長き世にありけるものを」


「たまさかに」:はからずも 
「相とぶらひ」:愛の言葉を交わしあい
「かき結び」:契りを結び

(水江(みずのえ)の浦の島子が、鰹(かつを)や鯛を釣っているうちに、大漁となって
調子づき、7日も家に帰らず、とうとう海の境を通り過ぎてしまった。
なおも漕いでゆくうちに、海神(わたつみ)の神の娘の漕ぐ舟とたまたま出逢い、
 一目見て二人はたちまち意気投合して求婚し合い、話がうまくまとまったので、
夫婦の契りを結んで常世(とこよ)の国まで一緒に赴いた。
そして、海神の神の宮の、奥にある、善美を尽くした宮殿に二人ともに住み、
老いもせず死ぬこともなく永遠に生きていたのに、 )

虫麻呂の話では、いじめられる亀や、鯛、ヒラメの踊りは登場しません。
大漁で釣り誇っているうちに時を忘れて無我の境地。
ふと気がつくと、そこは海と常世との境界。
そこへ現れた乙女は絶世の美女、海の神の娘です。
あっという間に意気投合して二人は結婚。
浦島も容姿端麗の美丈夫だったのでしょう。

「世間(よのなか)の 愚か人の 我妹子(わぎもこ)に 告(の)りて語らく
 しましくは 家に帰りて 父母に 事も告(の)らひ 
 明日のごと 我れは来なむと言ひければ 
 妹が言へらく 常世辺(とこよへ)に また帰り来て 今のごと
 逢はむとならば この櫛笥(くしげ) 開くなゆめと 
 そこらくに 堅(かた)めし言を 」


「しましくは」: しばらくの間
「櫛笥(くしげ)」: 櫛を入れる小箱。古代、櫛には霊魂がこもるとされた
「開くなゆめ」: (開けると呪力が失われるので) 決して開けないで下さい。

 ( この男、世にも愚かな人間よ。愛しい妻に告げて言うには、
  『ちょっとの間、家に帰って父母に事情も話し明日にでも帰ってこよう』と
   言ったので、妻は、
   『常世の国へまた帰ってきて、今のように私に逢おうと思うならば、
   この櫛箱を決して開けてはなりませぬ』 と、
   くれぐれも堅くいましめたのに、)

「なんと愚かな人間なのだろう」という作者のため息が聞こえてくるようです。


「 住吉(すみのえ)に 帰り来(きた)りて 家見れど 家も見かねて 
  里見れど 里も見かねて あやしみと そこに思はく 家ゆ出(い)でて
  三年(みとせ)の間に 垣(かき)もなく 家失(う)せめやと 
  この箱を 開きて見てば もとのごと 家はあらむと 」


( 住吉に帰りついても家は見当たらず、里も見当たらず、怪しいことだと
  不思議に思い、そこで思うに、
 「 家を出て三年、その間に、垣根もなくなり、家も失せる、そんなことが
  あり得ようか。 この箱を開いてみたら、元通り家もあるだろう」と )

あれだけ妻が固く戒めたのに浦島はとうとう箱を開けてしまうのです。

「玉櫛笥(たまくしげ) 少し開くに 白雲の箱より出でて
 常世辺(とこよへ)に たなびきぬれば 立ち走り 叫び袖振り 臥(こ)ひまろび
 足ずりしつつ たちまちに 心消失(こころけう)せぬ 
 若くありし 肌も皺(しわ)みぬ  黒くありし 髪も白(しら)けぬ ゆなゆなは 
 息さへ絶(た)えて 後(のち)つひに命死にける 」


「ゆなゆなは」後々、やがては

( 美しい櫛箱を少し開くと、白雲が箱から出て、常世の方へたなびいていったので、
 引き留めようと、立ち走り、叫びながら袖振りまわし、ころげ回り、地団駄を
 踏みながら、たちまち気を失った。
 若々しかった肌も皴ばみ、黒髪も白くなった。
 やがては息さえふっつりと絶え、後には死んでしまったのです。 )

白雲は常世の神だけが持っている呪力が込められている雲、
その雲が常世の国へ戻ってしまった。
呪力が失われた浦島はたちまち現実の世界に戻され、あっという間に生命力が失われて
気絶して倒れ、やがて死にいたります。
何しろ常世にいる間に何百年も経っているのですから。

「 水江(みずのえ)の 浦の島子が 家のところ見ゆ 」
                     巻9-1740 高橋虫麻呂


( このように伝えられている水江の浦の島子の家の跡が見えるのです。)

ここで現実に戻り、作者の回想が終わります。


「反歌」
 「 常世辺(とこよへ)に 住むべきものを 剣太刀 
    汝(な)が心から おそやこの君 」 
                 巻9-1741 高橋虫麻呂

「おそや」 愚かな
「剣太刀」 枕詞。 古来、刀を「な」といったことから同音の「汝:な」に掛かる

( 常世の国に いつまでも住める身であったのに
 自分自身の浅はかさから そんなことになって 
なんとまぁ 愚か者であることか。この浦の島子の君は )
  
浦島を繰り返し「愚か者」と詠う虫麻呂は、一体何を伝えたかったのでしょうか?
現世で執着心を持つことへの愚かさと人間の弱さ、切っても切れない親子の関係、
そして何人といえども避けることが出来ない老や死。
さればこそ、その心の奥底には不老不死のまま絶世の美女とともに暮らしたいという
男の儚い願望も窺われるように思われるのです。

  「 宇良神社 長寿招福 絵馬涼し 」 福井貞子 

 註:  宇良神社は京都府与謝郡伊根町本庄浜に所在。
     もと浦島大明神と称し、浦島一族を祀る。
     浦島氏はかって丹後半島一円に勢力があった名家で
     浦島太郎はその一族と伝える。
     

by uqrx74fd | 2011-06-05 08:34 | 心象

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