人気ブログランキング | 話題のタグを見る

万葉集その三百三十二(夏の夜の夢)

「 ゆふぐれ しづかに  ゆめみむとて
  よの わずらひより  しばし のがる
 
  きみよりほかには  しるものなき
  花かげにゆきて   こひを泣きぬ

  すぎこし ゆめじを  おもひみるに
  こひこそ つみなれ  つみこそ こひなれ 」
               (島崎藤村 逃げ水より 新潮社:藤村詩歌集)

「夏の夜の夢」
今にも楽しげな音楽が流れ出てきそうな響きを持つ言葉です。
万葉集にみえる夢の歌は100首を超えますが、その大半が恋の歌。
古代の人たちにとって夢みることは「逢い引き」をすることでした。
携帯もメールもない時代、遠くに離れている恋人たちは、夢で逢い、
覚めては現実に立ち返り、ますます恋の辛さを思い知らされるのです。

「 夢の逢ひは 苦しくありけり おどろきて
   掻き探(さぐ)れども 手にも触れねば 」
                  巻4-741 大伴家持

( 夢で逢うのはつらいものだ。
 目を覚まして手さぐりしても、あなたはおろか何も手に触れることができないのだから。)

婚約者 坂上大嬢(おほいらつめ)に贈った歌15首のうちの1首です。
作者は当時越中の国守。
婚約者大嬢は遠く離れた都に住んでいます。
古代の人たちは、夢に恋人の姿が現れるのは、「相手が自分を想ってくれているから」
と信じていました。
逢いたい、逢いたいと面影を瞼に浮かべながら眠れぬ時を過ごす。
うとうととしながら、ようやく眠りにつき夜も明けようとするころ、
いとしい恋人の面影が夢に現れる。
美しく豊満な肢体はまるで男を誘っているよう。
「大嬢!」思わず叫んで抱こうとした手はむなしく空を切る。
はっと目がさめ、「あぁ、また夢か!」と呟く家持。

この歌は中国唐代の艶情小説「遊仙窟」の
「 夢に十娘(じふろう)を見る。驚き覚めてこれを攬(と)れば忽然として
  手を空しうす 」からヒントを得て作られたものとされています。

文武天皇の時代、遣唐使に派遣された粟田真人は天皇から書籍を求めてくるように
命ぜられ、多くの文献を集めました。
そして、同行していた山上憶良が「遊仙窟」なる本を見つけて買い求め、
大切に持ち帰ったといわれています。
この本は後々中国で発禁となった通俗小説で

「 男は手を娘の紅の下穿(したばき)きに入れ、足差し違え、口に口を合わせ、
  片捥で頭を支え、乳房を掻き探り、内股を撫で摩(さす)る。
  口吸えば心地よく、抱けばうら悲しく、鼻はくすぶり、胸つまる心地。
  やがてどっと目はかすみ、耳はのぼせ、血管がふくらみ、筋がゆるむ- -」

などの表現から察せられるように、いわゆるエロ本なのです。
四書五経に馴染んでばかりいた憶良はこのような本を読んでびっくり仰天したことでしょう。

帰国後、真面目な憶良は艶なる部分を省いた箇所から「貧窮問答歌」のヒントを得、
この本を借りて読んだ大伴旅人、家持親子は狂喜して(?)、女性を題材にした歌を
作ったといわれています。
そして、旅人は「松浦川に遊ぶ」という神仙譚を創作し、家持は大嬢へのラブレターに
応用したのです。

古代、女性を口説く最大の武器は歌でした。
多くの官人たちは「どのような歌を詠んだら女性の気を引くことが出来るか」熱心に研究し、
あらゆる文献からこれはという材料を探し求めました。
現代の若者が島崎藤村やハイネの詩を引用してラブレターを書くような感覚だったのでしょう。

そして、10世紀中ごろの辞書「和名抄」にもこの「遊仙窟」が収められ、醍醐天皇や
その息女など、やんごとなき女性までこの書を読んでいたそうです。

「 いにしへに ありけむ人も 我(あ)がごとか
        妹に恋ひつつ 寝(い)ねかてずけむ 」 
                       巻4-497 柿本人麻呂


( こんなに苦しいのは自分だけであろうか。
 昔の人も恋人が恋しくて眠れない思いをしたのだろうか )

人麻呂も恋に悩み、寝られぬ一夜を過ごしています。
この歌は、持統天皇紀伊行幸(690年)の折の宴席でのものとされていますが、
女を想って寝られないわが心を昔の人に託して詠ったのでしょうか。
「我がごとか」の一句に強い気持ちが感じられます。

「 夏の夜は 浦島の子が箱なれや
    はかなくあけて 悔しかるらむ 」 拾遺和歌集


※夜が「明ける」と玉手箱を「開ける」とを掛けている

(エピローグ)

「 夜の住人、私どもの、とんだり、はねたり、
  もしも皆様、お気に召さぬとあらば、
  こう思召(おぼしめ)せ、
  ちよいと夜のうたたねに垣間見た夢まぼろしにすぎないと。
  それならお腹も立ちますまい。- -
  つきせぬお名ごりなれど、
  今宵は皆様、これにてお寝(やす)みなさいまし。 」

( W.シエイクスピア 夏の夜の夢 パックの台詞より
            新潮文庫:福田恒存訳 )

by uqrx74fd | 2011-08-14 07:58 | 心象

<< 万葉集その三百三十三(薬の神様)    万葉集その三百三十一(きけ わ... >>