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万葉集その三百五十(もののあはれ)

( 雪月花 筑波の雪 )
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( 滝桜  福島県三春町  がんばれ東北 )
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『 「もののあはれ」を文芸の本意として力説したのは、本居宣長の功績の一つである。
  しからばその「もののあはれ」は何を意味しているのか。
  彼はいふ、「あはれ」とは「見るもの、聞くもの、ふるる事に心の感じて出る
  嘆息の声」であり、
  「もの」とは、「物いふ、物語、物まうで、物見、物いみ などいふたぐひの物にて 
  ひろくいふ時に添ふる語」である。
  従って「何事にまれ、感ずべき事にあたりて、感ずべき心をしりて、感ずる」を
  「物のあはれ」を知るという。
  「あはれ」は悲哀に限らず、嬉しきこと、おもしろきこと、楽しきこと、
  おかしきこと、すべて嗚呼(ああ)と感嘆されるものを皆意味している。
  「あはれに嬉しく」「あはれにおかしく」というごとき用法は
  常に見るところである。 』
           ( 和辻哲郎 日本精神史研究 岩波文庫より)
 
「ものさびしい」「ものがなしい」「もの言い」「物にする」「物になる」
「もの心がつく」「ものわかりのいい人」「女ですもの」「急病になったもので」
「雨を降らせるもの」「もののけ」- - 。

 なんと「もの好きな」日本人よ!

「もの」という言葉は解明が非常に難しい日本語の一つとされています。
古代の人は具体的に識別できる物体のほか、あらゆる森羅万象や空漠とした
心の印象を「もの」とよんでいました。

「 世の中は 空(むな)しきものと 知る時し
    いよよますます 悲しかりけり 」
                    巻5-793 大伴旅人

( 世の中とは空しいものだと思い知るにつけ
 さらにいっそう深い悲しみがこみ上げてきてしまいます。)

727年、作者は大宰府長官に任ぜられ、筑紫に赴任しました。
その半年後、都から異母妹大伴坂上郎女の夫、大伴宿奈麻呂が他界したとの
知らせを受け、悲しみを込めてお悔やみを述べた一首です。

「世の中は空しきもの」は仏教用語「世間空」を翻案したもので、
人力の及ばぬ自然の摂理を「もの」という言葉で表現しています。

「 旅にして もの思ふ時に ほととぎす
    もとなな鳴きそ 我が恋まさる 」 
          巻15-3781 中臣宅守(なかとみのやかもり)


( 旅先にあって物思いに沈んでいるこんな時にホトトギスよ
  そんなにむやみやたらと鳴かないでくれ。 
  都恋しさがますます募るから )

作者は下級女官、狭野弟上娘子(さののおとかみのおとめ)を娶った直後、
勅勘の身となり越前に配流されました。
何の罪であったかは定かでありません。
新婚早々遠く別れ住む二人。
その恋の歌の数々は一大絵巻物語のようです。
ここでの「もの思ふ」は別れてきた新妻のこと、将来への不安など、
歩きながら次から次へと思い浮かんできたことの表現と思われます。

「 水鳥の 立たむ装(よそ)ひに 妹のらに
    物えはず来にて 思ひかねつも 」 
                   巻14-3528 作者未詳


( 水鳥が飛び立つ時のような慌しい旅立ちの準備にかまけて、あの子にろくに
物を言わずに出てきてしまった。 どうも心残りで仕方がない。)

遠国に旅立つ夫がその出発に際して当然妻に言うべき言葉
「体をいとい、子供をしっかり育て留守を守って欲しい」「親の世話を頼む」
「困ったことがあれば誰々さんに相談するように」など、
当然言い置くべきことがすべて「もの」に集約されています。

「 雁が音の 寒き朝明(あさけ)の露ならし
   春日の山を もみたすものは 」 
                          巻10-2181 作者未詳


( 雁の声が寒々と聞こえる。
 春日山をこんなに美しく色づかせるのは、朝明けの露なのだなぁ )

ここでの「もの」は自然現象を詠っています。
古代、紅葉(こうよう)を促進させるものは、時雨であり露であると考えていたのです。

一方、「あはれ」は「あ」+「はれ」で、ともに感動すると自然に発生する声から
生まれた言葉とされています。

「 - 卯の花の 咲く月立てば 
  めづらしく 鳴くほととぎす  
  あやめぐさ 玉貫(ぬ)くまでに  
  昼暮らし 夜わたし聞けど
  聞くごと 心つごきて 
  うち嘆き あはれの鳥と 言はぬ時なし 」
                巻18-4089(長歌の一部) 大伴家持


( - 卯の花の咲く月ともなると、
  愛らしく鳴くホトトギス
  あやめ草を薬玉に通す節句の日まで
  昼はひねもす 夜は夜通し聞くけれども 
  その声を聞くごとに 心がわくわくしてため息をつき
  あぁ、なんと趣深き鳥よ と 言わない時とてない )

作者はホトトギスを格別に好み、その初音を待ちわびる歌を多く詠んでいます。
 ここでの「あはれ」は「憐憫」の情ではなく「言葉に表せないほど心惹かれる」の
意で、万葉時代に早くも「もののあはれ」の感覚が芽生えていたことが窺われます。


『 「あっぱれ」という言葉がある。
  武将などが「いや、あっぱれな奴じゃ」などとつかう。
  おおむね男性的な言葉です。
  「あっぱれ」にくらべると「あはれ」は女性的です。
  しかし、実はこの「あはれ」と「あっぱれ」は同じ言葉をつかいかたを
  変えているにすぎません。
  貴族社会でつかわれた「あはれ」は季節のうつろいや人事や事物の有為転変を
  詠嘆するときの言葉です。
  いわば貴族の文化がみがきあげた感覚である。
  ところが、武士が登場し、政権が武門のほうに移る時代になると、
  清盛がその最初の代表なのですが、武士の棟梁たちも貴族の「みやび」が
  ほしくなり、さまざまに華麗を演じます。
  けれども武家がつかう「あはれ」はアワレとは発音しない。
  「あっぱれ」というふうに破裂音がともなう発音になる。
  それとともに「あはれ」というイメージをもう一段べつのところから詠嘆して
  みせる言葉になるのです。』
                           ( 松岡正剛 花鳥風月の科学 中公文庫より)

by uqrx74fd | 2011-12-17 15:41 | 心象

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